2021年12月12日

No759:平均寿命の延びが相続への対応を難しくしている?

 当事務所が定期的に発行している資産に関するレポートの相続の準備に関するアンケートに「何も対応していない」という人が全体の6割近くあり、その理由で一番多いのが、「時期尚早だと思っている」というもので全体の約45%を占めていた。
 実はもう少し掘り下げ年代別で見た場合、比較的若い層ならこういった理由も理解できるが、70歳以上で「時期尚早」が30%もあったのには驚いた。
 では、何歳になれば相続に関する対応をするのか、70歳以上の方に確認したい気持ちになってきた。 
 相続というと ついつい資産家の相続税への対応のことが思い浮かぶが、今住んでいる家を誰に相続させるのかとか、お墓のことや不動産の管理・処分に関してはどのようにするのか等、資産家でなく、いわゆる一般人であっても相続ということに関しては何らかの事前対応が必要と思われる。
 
 ここでは深い部分までは触れられないが、80歳を過ぎた方でも、「今後のことはもう少し経ってから考えようと思っている。」とおっしゃる方も何人かいらっしゃる。
 別に財産とか相続税がどうとかいうことではなく、自分が亡くなった後のいろいろなことの対処の仕方は、子供をはじめとする親族の方にある程度 話しておく必要はあるように思うのだが・・。
 突然 亡くなったり、亡くならなくとも救急車で病院に運ばれるようなことがあっては、取引のある銀行や証券会社、それに通帳や印鑑の場所さえ本人しか分からず、困ったことも起こってくるように思う。
 あと、今後 相続の仕事で大変になってくるケースとしては、最近 増加傾向にある未婚の方やあまり親族と交流することなく亡くなっていかれた場合であろう。
 どんどん高齢化が進んでいく中で、私の周りでは亡くなられた方の年齢が90歳以上の例もいくつかあり、実はその亡くなられた方(被相続人)の関係者に連絡することさえ困難なことも生じてきている。
 少し話がそれるが、頭の整理も兼ねて、相続関連の冊子に載っていた平均寿命の推移を掲げてみる(抜粋)。

[昭和22年] 男:50.06歳  女:53.96歳
[昭和40年] 男:67.74歳  女:72.92歳
[平成 2年] 男:75.92歳  女:81.90歳
[令和 2年] 男:81.64歳  女:87.74歳

 これを見て驚いたのは、戦前の平均寿命が短いことや私が生まれた頃(私は昭和37年生まれ)と現在を比較すると、男女とも15歳近く平均寿命が延びている点、そして、ついこの間のような平成2年からも5歳以上延びているという点、これらは全て想像していた以上であった。
 平均寿命の伸びは医療技術の進歩が一番の要因かもしれないが、変な言い方(場合によっては失礼な言い方かも?)をすると。本当にそう簡単には死なない、そして死ねない世の中になってきている。
 そういう意味においては、最初の相続についてのアンケートで「何も対応していない」という人が多いのもうなずけるが、これはこれで個人的には問題を先送りしているだけのような気もする。

 先週、70代半ばで今後の人生について、資産、家族、仕事(開業医)についていろいろの角度から かなり真剣で考えている方と面談する機会があったが、この方はあと1、2年のうちに廃業(継承)や自宅の処分、転居も含め大きな決断を下されそうで、ある意味 今後の見通しがはっきりしている数少ない人である。

 一般的にはサラリーマン等 定年のある方は、節目節目でいろいろな変化があるが、開業医を含め事業をされている方は、定年もないので年齢についての節目がつきにくく、特に後継者がいらっしゃらなければ健康状態の変化があって初めて、節目が訪れるという方も少なくない。

 我々の仕事も税務・会計が本業とはいうものの、長くお付き合いしてきた経営者の方々の事業や人生の終い方というか、ソフトランディングの仕方をいっしょになって導くことも大事な仕事で、今まで関与してきたことへの恩返しともいえるようにも思う。
 ただ、こちらがいくら気をもんでもご本人がその気にならなければ、話は一向に進まないのが現実であるが。

 それにしても平均寿命はどこまで延びるのか? また延びることメリットだけでなく、問題点もしっかり把握しながら対処していく必要があるように思う。
 それにしても今回のデータを見てすごいと思った。女性であれば85歳で亡くなった場合、「ちょっと早いですね」ということになるのですから・・。
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2021年12月05日

No758:【再掲・・No16:“かに”は3時のおやつ(2007/12/08)】

 いよいよ12月に入り、本来であれば いくつかの忘年会が始まる時期ですが、当然のことながら 今年も昨年に引き続きそういった集まりは一つもないし、事務所の忘年会も2年連続 「開催は見送り」と一ヶ月ほど前に発表した。
 ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
 事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
 その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
 このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
 前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。

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【No16:“かに”は3時のおやつ  2007/12/08】

 京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
 T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。

 おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
 まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。

 最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
 でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
 
 先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
 お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。
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2021年11月28日

No757:今だから話せます 「本当に運がいいと思いました」

 妙なタイトルですみません。
 実は1ヵ月ちょっと前に車が大破するような事故に遭った。
 ここで取り上げるのもどうかと思ったが、相手が車でも人間でもなく、動物だったので参考になるかどうかは分からないが当時の様子を簡単に綴ることにする。
 
 相手の動物は鹿で、片側1車線の高速道路を走行中、私の車の上から突然 飛んできた。
 京都府北部の顧問先で仕事を終えての帰り道で、時間は夜の7時半頃であったが、周りは山に囲まれ 真っ暗で、しかも小雨が降っていた。
 衝突の瞬間は「上から何かが落ちてきた」という感じで、後から事故処理に駆けつけられた道路公社の人から話を聞くと、鹿が左側のガードレールを勢いよく飛び越えて車の前のボンネットに上から落ちてきて、その後、フロントガラスに当たって右側に落ちたようである。
 実は鹿が車に当たった瞬間に6つのエアバックが1秒もしないうち、つまり瞬時に開いたので、私の目の前はそのシートで真っ白となり何も見えなかった。実はその衝突した鹿さえも一度も見ていない。事故処理後、写真で見せてもらいましたが・・。
 私は山からの落石かな、「ヤバい」と思ったが、その数秒後(ほとんど覚えていないが)、何とかエアバックで前も見えない中、無意識のうち車を左の路肩に避けて、1車線の本線が徐行できるスペースを空けていた。
 ただ、避けた瞬間エンジンは止まり、その後は二度とかからなかったし、エンジンも折れていたその車はその後 全損扱いで廃車となった。

 そしてしばらく何が起こったか分からないまま放心状態でいると、「大丈夫ですか、すごい鹿でしたね。後ろを走っていたうちの車がはねてしまいました。」とドアを開けて若い男性の方が話しかけてこられた。
 「えっ、鹿だったんですか? あの落ちてきた物体は」と思わず叫ぶような声を出していたが、この時やっと何が起こったのか少しずつ分かるようになっていった。
 幸い私の体はどこかにぶつかるでもなく、車内で四方から出てきたエアバックに体が触れることもなく、不思議なくらい何のけがもなかった。
こうして元気なのでいえる話であるが、エアバックが開いた後は花火の時の火薬のようなにおいが車内に充満していた。
 実はエアバックに気づくまでは車の前のガラスの外側に塊の入った白い袋が落ちてきたと思っていたし、これが車外にあるのか車内にあるのかさえも しばらく判別もできない精神状態であった。
 私が連絡した警察とこの道路を管理している公社の方が30分ほどで到着し、聞き取りがあったが、その後 レッカー車の到着までの約1時間半は寒い山中で待つしかなかった。
 そしてレッカー車到着後、無残にも破壊された私の車はレッカー車に積まれ、私は助手席に乗せてもらい京都まで戻った。
 翌日 車をトヨタの販売店(修理工場)まで運んでくれるとのことだったので、車内に残っていた3つもある かばんや袋を抱え、タクシーに乗り込み12時半ごろ何とか自宅に帰ってきた。

 体こそ、何とも運がいいというか無傷であったが、この日はなんだか興奮してあまり眠れなかった。
 翌日からは自動車保険の30日間レンタカー無料サービスを利用して、通常の仕事をこなすことができたことも、翌朝 車の状態を見るとまるで奇跡としか言いようがない事故であった。

 今回の一件は果たして運がいいのか悪いのか?
 多くに通行量の中で私の車に鹿が飛んできたことは何万分の一か何十万分の一以上の確率で運が悪かったのであろうが、こうして元気でいられるということは、当たっておきながら言うのもなんだが、すごく運が良かったと言えるのかもしれない。
 雨の降る日の真っ暗の中で、横からならまだしも、上から降ってきた鹿は誰であっても避けようがなく、今となってはまるで夢のような一件であった。

 少しだけ鹿事件の話を というつもりが、ついつい興奮して長くなってしまいましたが、みなさんも気をつけましょう 高速道路での鹿には。
 とはいっても避けようがないんですけどね・・・。
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2021年11月21日

No756:やはり秋は物悲しい

 先日、ある顧問先の院長のお母様がお亡くなりになられた。
 80代半ばではあるが、5年程前にご主人を病気で亡くされた後、この1、2年前まではご自身で病院へ通われたり、趣味の延長の習い事(勉強)もできる範囲でされていて、何とか自分の体を気遣いながらも 充実した日々を送っておられた。
 今年の2月下旬には、確定申告の報告を兼ねて電話連絡したところ、コロナが広がりだした昨年の春以降は、なかなか外出したり、人と接触することができなり とても寂しくなったとおっしゃっていた。
 このお母様とご主人(先代の院長)は私が前に勤務していた税理士事務所からのお付き合いで、大学を出て間もない20代半ばくらいから、今の事務所で新しい担当者が決まるまでの間、約25年近く面談をしたり、いろいろな相談を受けたりしていた。
 
 この方以外にも私がまだ20代だった頃から訪問や面談をしていた方がここ数年 相次いでお亡くなりになっている。
 事業としてはしっかりと後継者にバトンタッチされ、事業承継という点では問題はない方がほとんどであるが、お付き合いの期間が長かった人ほど 思い出すことも多く何とも寂しいものである。
 
 大学を出てすぐの頃、一応 仕事の仕方だけは先輩から教えてもらっていたが、礼儀作法というか、ビジネスマナーはほとんど身に付いていなかった。そんな何も分からない当時の私をよくぞ不満も言わずに受け入れてくれたのもだと 今になって感謝の気持ちが沸き起こってくる。
 今80代でご存命の方も同年代で既にお亡くなりになられた方も 今から思えば一本 筋が通っていて、何か間違いがあるとよく怒られたものである。ただ その時、単に怒られるだけでなく、必ずこうしたら次は失敗しないから というアドバイスまでいただいた。

 ある時、大事な相談があると事前に言われておきながら、その後の訪問先の到着時間までに十分な時間の確保ができていなかったので、相談の時間が足りず そわそわしながら何度となく横目で時計を見ていると、「もう少し落ち着いて相談に乗ってもらえると思っていたのに、次の人との面談時間のことばかりが気になっているようなんで、今日はもう相談する気がなくなった。」と大目玉を食らって突然 面談の打ち切りをされたこともあった。
 また、別の方であるが、その方の話を聞くときの私の態度や姿勢が悪い(「なってない」)ということで、座っていた応接のソファーから降りるように言われ、横の畳の間で正座させられたこともあった。
 今なら「・・ハラ」と言われるような、上から下への問題発言であったり、問題行動になるかもしれないが、まだ昭和の時代はこんなことはさほど不思議ではない光景であった。
 ただ こういった方々の熱い思いや厳しい躾のお蔭で、何もわからなかった若僧が少しずつ世の中のルールを身につけていける、それはそれである意味 よき時代でもあった。
 今回亡くなった方は私が時間の調整がつかず やむなく昼前に訪れると、温かいラーメンを準備して待っていてくださり、「あんたら若いからお腹すいてるやろ、仕事に入る前にまず腹ごしらえせんと。」というまるで母親のように暖かい言葉を掛けていただいた。
 こういった方々は数年前から一線は退かれていたので、お目にかかるのも1年に1度か、電話で声を聞くくらいの関わりになってしまっていたが、今回亡くなられた方は、今年の3月に電話をした時は、「廣井さん、長いこと会ってないな、いっぺん顔が見たいわ。コロナが収まったら一回誘うからお昼ぐらいいっしょに付き合ってな。」と言われていた。
 う〜ん、その楽しみも実現できずに亡くなられてしまった。コロナさえなければ、あと1、2度はお目にかかったり、いっしょに食事ができたかもしれないのに。
 今こうして思うと、コロナって本当に多くのものを奪い取っていった憎きものであるが、こうして振り返ってみると 私は今まで本当にいい人に囲まれながらここまで仕事をすることができたなとつくづく感謝するばかりである。

 今日は先週亡くなられた方のことを思い浮かべながら、今の思いをまとめてみた。
 過去のことを思い出す、これは決して無駄ではなく、時にはとても大事なことであるとあらためて感じた。
 ただ、今回のようなこともあってか 秋は本当に寂しさが募る季節である。
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2021年11月14日

No755:見本となるような定年後の暮らし

 新型コロナの感染も多少 下火とはいえ、まだまだ表立って人と会うことはしづらい状況であるが、今日 60歳を超えたご夫婦と2年ぶりに会って話しをする機会があった。
 ご主人は40年以上の会社勤めを終え、今は年金暮らしの65歳、奥様は63歳でもうしばらくパート勤務を続けるとのこと。
 このご夫妻の懐具合は分からないが、子供は3人とも独立されているので、無理さえしなければ夫婦2人 十分に普通の生活ができる状況のようである。
 定年退職されているこのご主人は朝夕とパート勤めの奥様を駅まで送り迎えをされること以外に、買い物から食事の準備までほぼ毎日されているようであるが、ご主人は定年までは家事はあまりされず、基本的には奥様がされていたが、今は土日以外はほぼ毎日ご主人が食事の用意をされているようである。

 今日 話を聞いて感心したことがいくつかあったが、
 まず一つ目は、長年連れ添った夫婦と言えども、年齢や家族構成の変化、それにそれぞれの置かれている状況に応じて生活のスタイルを変えておられることである。
 少し前までは家庭内において、男の仕事と女の仕事ははっきりと分かれており、私の父も家事をすることはなく、亡くなるまでこのスタイルを崩すことはなく続けていた。
 しかし、これってどちらかが亡くなったり、あるいは病気による長期入院があったような場合、たちまち家庭として日常が機能しなくなり、場合によっては大変なことに陥ることだってある。
 そういう意味でこのご主人の変わりようは、老後の生活で重要なことを65歳以降 自然に習得されつつあるという点では何とも立派なものである。

 そしてもう一つ、こちらがなかなか難しいことであるが、平日にほとんど空いた日を作らずに活動されていることである。
 事業をされている方や定年後も何らかの形で仕事に関わりたい人はそれはそれでしっかりしたライフワークを推し進め、それまでと変わらないような充実した日々を送っている人もいるが、この方は平日も若い頃されていたテニスをし、小学校以来という俳句を市民教室で習い、あと、若い頃 仕事での出張で毎月のように訪れていたお隣の国の韓国語まで学んでいるとのことであった。これに持病を抱えておられるので病院通いもあり、ほとんどの日、カレンダーが埋まっているようだ。
 男ってこの人のように、若い頃から形を変えることができなくて、家庭内においても煙たがられたり、しまいには役に立たないように思われて、夫婦や家族の間に溝ができることだって少なくはない。
 ドラマでもあるが、「定年後、毎日 家でゴロゴロしていて・・。」と言われるようでは長い老後の生活、決して充実したものになるとは思われない。
 この方は長男なので1、2年後には京都の家を売り払い、田舎に戻り、現在空き家になっている実家で生活することも計画中で、奥様もこの考えに乗っておられるとのことで これもなかなかうまく事が運びそうである。

 「男だから」、「俺は長く働いてきたから」、「あとはすることもないしゆっくりと」なんて思っているといい老後なんて送れいだろうし、自分の置かれている立場が今までの会社人間とは違うことを一日も早く自覚することが大事なんだろうなとこの人を見ていてつくづく思った。

 今日の話は若い人にはピンとこないかもしれないが、私も含め55歳以上の人であれば十分参考になる話のように思う。
 60歳、あるいは65歳以降も仕事を続けられる方はもちろん仕事の中で充実感を見いだされたらいいと思うし、定年後 一息つこうと思っている人にとっては今日の話はいつまでもいて欲しい人と思われるためにもヒントになる部分もあるように思う。
 ただ、どんな場合でも健康が第一であることはいうまでもない。
posted by ヒロイ at 20:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月07日

No754:気持ち次第で大音量もこれだけ違って聞こえる

 この土日は仕事だけでなく、プライベートでも人と会う予定を入れていなかったので、少しだけ身の回りの整理をした後、溜まっていた仕事関係の書類に目を通したり、本を読んだりして、久しぶりに自分の時間を過ごすことができた。
 
 普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
 この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
 仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
 仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、

 家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
 私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
 今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
 最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
 今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。

 上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
 “心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
 今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも
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2021年10月31日

No753:決算の説明で褒めちぎった顧問先

 コロナが蔓延してから、腹の底から笑うことが本当に少なくなってきたような気がする。
 これは楽しことが見当たらないというだけでなく、楽しいことがあってもその出来事の全てを人に言いにくい雰囲気がまだまだ世の中にはある。
 乗り物好きの私も長い間、飛行機や新幹線には乗っていないが、仮に今後どこかへ旅行に行ったとしても、しばらくの間は以前のように「○○に行ってきてん、 名物の○○もめちゃ美味かったし」と言える状況ではないように思う。
 ただ、徐々にとはいえ人の動きも出て来て、私の周りも多少なりとも明るい話題もちらほら聞かれるようになってきている。
 今までのような遠方へ旅行に行った人にはなかなかお目にかかれないが、「娘のところに行ってきてん」とか、「久しぶりに じじばばに孫の顔を見せてきました」というような、身内の中で行き来された話は、この1ヶ月で何人からか聞いた。
 コロナに関してはまだまだ油断できないし、この先 年末までに何が起こるかわからないので、気を緩めることはできないことに変わりはない。

 こんな中で少しだけほんわかする話です。
 ある顧問先の経営者(クリニックの院長)には、現在30前後のお嬢さんが2人いらっしゃるが、10年程前はそれぞれの成人式の晴れ着姿が院長のパソコンの画面出てくるようになっていて、照れながらも何ともうれしそうに私の方へ画面を向けられた。
 先日 訪問したときは、二年前に結婚された長女さんへ住宅資金贈与の相談があり、その後、お孫さんへの教育資金贈与の話になったが、私は「お孫さん いつお生まれになられたんですか?」と聞くと、「いや、まだ娘は妊娠中で出産は来年なんです。先日、うちのエコーで見たらはっきりと見えまして、もう感動もんでしたよ」とおっしゃったが、思わず「お生まれにならないと贈与できませんよ。」と笑いながら答えた。
 この先生とは、クリニックを開業された15年程前からのお付き合いであるが、何年経っても開業当時の謙虚な気持ちをお持ちで、患者さんの受けも大変よく(私の知っている人も患者で通っている)、また、コロナへ対応もどこよりも早く、患者も安心できるクリニックという見方をしているようである。
 そしてこの4ヶ月はコロナワクチンの接種に追われ、いっしょになってそれに対応してくれたスタッフに対する待遇も院長の気持ちも込め 他のクリニックよりも手厚いものであった。まさに院長とスタッフが一体となり、体を張っての奮闘ぶりであった。

 最後にこの先生の人柄を表したものとしての話をもう一つ。
 3年前に還暦を迎えられた時、奥様とスタッフが院内食事会の中で番外の“還暦お祝い”を先生には内緒で計画され、それが実行に移された当日は、先生は驚きを超え、感無量の表情だったとのこと。
 この先生はいい車にこそ乗っておられるが、必要な物はすぐ取り入れ、ムダなものには手を出さないという何か信念のようなものをお持ちの経営姿勢で、今まで銀行からお金を借りられたことは一度もない。
 先日 説明をした決算数値は手堅い経営内容を表す数字が並んでいて、思わず「今回の決算数値は全く問題がありません。このままの形、今までどおりの経営姿勢で続けていって下さい。」と私の思いを率直に伝えるだけで終わった。

 この先生は口数こそ少ないが、接していると「謙虚な気持ちは何よりも勝る」ということが伝わってくる感がある。
 
 本当に顧問先の方々は良き見本の宝庫であり、まだまだ地に足がついていない私にとって、本当に見習いたい生き方が目の前にたくさんある。
 変な話、これだけでも税理士っていい仕事だなとつくづく思う今回の話でした。
posted by ヒロイ at 22:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月24日

No752:いよいよこの時期がやってきた

 税理士業界が一年の中で一番忙しい時期というのは1月後半から3月後半までの確定申告の時期であるのは世間でも知られていることと思うが、実はこの時期だけでなく、我が事務所では確定申告に向けての準備を10月から始めるので、今の時期もいろいろな業務が立て込んでくる時期である。
 確定申告というのは1年間終わったものを決算という形にまとめ上げ、税金の計算をするというのがメインであるが、当事務所では毎年10月になると、8月までの実績に年末までの残りの期間(9〜12月)の予測値を加え、「決算・税額予測」なるものを顧問先に提示している。
 これは各担当者が8月までの数値をもとにして、あと4ヶ月分の予測を立てるという作業であるが、昨年と同様 今年も今までにはなかった”コロナ”の影響を受けている顧問先も多く、予測すら立てにくい先も何件かある。
 ただ、税金のことだけでなく、中には資金繰りの心配や相談に乗る必要のある顧問先もあり、担当者の頭のひねりどころであるし、この決算損益予測という作業は、顧問先のこの一年間の活動をあらためて確認すのには非常に意味のあることである。
 どの業種もコロナに翻弄されているとはいえ、先回りしながらコロナ対策を立てたり、避けることなくじっくり向き合っている事業者はそれなりの業績が維持できているのを見ると、向かってくる敵には勇気を振り絞って向かっていかなければならないこともある というのがコロナ対策を練っておられる方々を見ていて感じることである。

 当事務所の顧問先の多くを占める医療機関もこの時期になると、コロナのワクチン接種はひとまず横に置き、これからは例年どおりインフルエンザのワクチン接種で忙しくなってくる。
 世間では”医者”というのは高学歴で高収入というのが一般的な捉え方あろうが、身近で見ていると国をはじめとする行政からの要請と患者さんからの要望という、ある意味 考えの違うものの板挟みで頭の痛いも多くなってきているように思う。
 医者に接する機会は多いが、仕事上で寄り添っているからなおさらであろうが、「医者って羨ましい」なんて思うことはまずない。いや〜、そりゃ大変ですよ、特にコロナ後は。

 コロナに振り回されているとはいえ、街中はそれなりに行きかう人も増えているが、果たしてこのまま 以前の日常に戻っていいのか そんな思いを抱きつつ、半信半疑のまま外出をしている方も多いように思う。
 気のせいかもしれないが、コロナ前の心の底からレジャーを楽しんでいるようには見えないんです、人の顔を見ていると。

 今年もあと残すところ2ヶ月とちょっとになってしまったが、このまま年末まで突っ走るのではなく、この10月後半は少しだけ立ち止まって、ここまで今年がどんな年だったのか、そして残りの2ヶ月、そして来年はこんな年にと、考えてみるラストチャンスかもしれない。
 11月になると誰しもがお尻に火が点いてくると思うので、その前にという意味である。
 
 今 私がパソコンを打つ横にいるポポタン(ワンちゃん)はいつもどおり、本当に気持ちよさそうに眠っているが、そろそろ起きそう時間なので、起きたら散歩にでも行ってきます。
 では、日に日に寒くなりますが皆様方もお身体には気をつけて年末までの2ヶ月を乗り切ってください。
posted by ヒロイ at 16:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月17日

No751:12年ぶりのJ1復帰まであと一息

 今日は久しぶりにスポーツの話題です。
 スポーツといっても今盛り上がっているサッカーワールドカップのアジア最終予選でもなく、いよいよ佳境を向かえている日本のプロ野球のことでもない。
 今や注目度では下降気味とも言われているサッカーJリーグ、しかもJ1ではなく、J2 いわゆる2部の話題である。
 このJ2の順位を追っている人は極まれだと思うし、今 J1への昇格が可能となる1、2位にどのチームが入っているかご存知の方ってほんのわずかしかいないとは思うが、なんと20年近く応援し続けている地元の京都サンガFCが昇格圏内の2位に着けているんです。
  京都新聞とKBS京都(テレビ、ラジオ)では たまに取り上げられる機会もあり、さすが地元メディアだなと感心することもあるが、他では話題にもあがらず、私の周りの人で興味を示す人はほとんどないという状態である。
 先日も事務所のある男性スタッフに「サンガが今2位なんで今年こそはJ1に上がるかも知れんな」と私が話し掛けると、「結構 調子がいいのは聞いていましたが、そんな上なんですか」という 大して関心のなさそうな返事であった。
 私も元々はサッカーにそれほど興味のある方ではなかったし、子供の頃は当時 サッカ不毛の地と言っていいような田舎に住む ただの野球少年であった。
 というか当時の私の地元には中学までサッカー部がなく、小学、中学ではサッカーに触れるのはせいぜい体育の授業くらいであり、ルールもほとんど理解しないまま試合をしていた。
 オフサイドなどの決まりごとはほぼ無視され、キーパー以外は手を使ってはいけないというくらいがみんなの共通のルールであった。
 逆に野球は数名のプロ野球選手を輩出し、ノムさん(野村克也氏)の出身地も同じ地方で、そりゃ野球は子供から老人まで、朝から晩まで盛んな地域であった。

 そんな環境下で育ったので、スポーツとしてサッカーに関わり出したのは、長男が小学3、4年の頃、少年サッカーチームに入ってからのことあり、確か日韓ワールドカップも開催され、日本中がサッカーで沸き返っていて、当時は子供といっしょに西京極にサンガ(当時は「京都パープルサンガ」というチーム名であった)の応援に何度も通ったものである。
 一番多い年は1年に10回以上は行っていたでしょう、紫色のユニフォームを着て。
 サッカーチームのユニフォームは毎年デザインが変わるので、今 当時のものを着ている人はいないが、一応 子供たちと過ごした思い出の品として、私のタンスの底にずっと置いていたが、実はこの春の衣替えの時、弱いチームのものだし、着ることもないのでと思って処分したところである。
 もし、ユニフォームを処分した年に12年ぶりにJ1に昇格したとすれば、過去を捨てたことによって這い上がってきたのかと勝手に感傷にふけったりしている。

 いずれにしてもまだ今日の夕方からの試合を含め9試合も残っているので、最後まで分からないが、私にとってはコロナで明け暮れ、何ともどんよりした年にちょっとだけご褒美があってもいいのかなとJ1復帰を願っている。
 年末まで結構仕事は詰まっているが、その合間に(スタジアムに行くことはできないが)サンガの試合を追うことで息抜きができればと思う。
 最終戦の12月5日にはどうなっているのか、年末までの楽しみを持つ、にわか復帰のサンガオールドファンの一人である。
 今日の16時からの試合で勝てば、また一歩 J1が近づくのにな・・。
posted by ヒロイ at 13:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月10日

No750:時間の怖さ

 先日、ある大事な打ち合わせで当事者の一方の人が、打ち合わせ開始時間を勘違いされていたという、結構ドキドキすることがあった。
 私の事務所で4名で打ち合わせをすることになっていて、私とあるドクター(A先生)は予定時間である午後5時の10分くらい前からスタンバイしていた。
 この日に非常に重要な話に来られる予定になっていたある取引関係の会社の方(Bさん、Cさん)が、約束の5時を10分過ぎても、15分過ぎてもお越しにならない。
 A先生と顔を見合わせながら、「何が何でも遅いですよね、連絡もないし。何かトラブルでもあったのかもしれませんが、一度 連絡とってみます」と言ってBさんの携帯電話に連絡を入れると、電話が繋がり 私がまず第一声目に「今日、17時でしたよね?」と言うと、Bさんは「えっ?!」と驚きの声をあげたまま しばらく何もおっしゃらず、10秒近く経ってから「今日6時でなかったですか? ちょっと待ってください。」と言って、また数秒の空白の後、「大変申し訳ございません、前回が6時だったのですっかり今回も6時と思い込んで動いてました。今、そちらに向かってますが、到着は6時前くらいになりそうです。大丈夫でしょうかね、お時間の方は。」とおっしゃったので、「とりあえず待ってますので、気をつけてお越しください。」と言って電話を切った。
 このA先生はとてもお忙しい方で、この日も5時前から5時半までならなんとか時間がとれ、45分までなら延長可能、ただ それ以降は次の予定が入っているのでどうしても6時は無理ということであった。
 しかし、タイムリミットの45分になってもBさんとCさんは到着されなかったので、A先生は私に「今日は仕方ないというか、せっかく時間を確保できたのに残念です。Bさんがお越しになられたら次回の面談日を相談しておいてください、私は〇日の午後と△日の夜なら大丈夫ですから」と言い残して急いで帰って行かれた。
 普通なら、こんな時間の間違いをされると怒り爆発となってもおかしくないし、私もヒヤヒヤしている中で このA先生の冷静な対応には驚いた。
 この後、6時に到着されたBさんとCさんが今まで仕事に中ではあまり見たことがないくらい頭を下げ続けられたが時すでに遅しで、今日の大事な本題の話ができないまま、次回の面談日を調整する流れになった。
 そしてそれから3日後の何とか調整がついた時間に今度は4人で、面談をすることができた。
 この話、当事者であるBさんとしては、頭を丸太で殴られたくらい(今どきこんな表現はご法度か?)の状態であっただろうし、本来であればあってはならないことであるが、このA先生の神のような対応に救われたとしか言いようのない時間に関する“事件”であった。

 約束の時間を守るというのはある意味 決まりきったことであるし、場合によっては人間性そのものの評価に直結することだってある。
 私は時間に特別に厳しいという感覚はないが、どんな面談でも、どんな相手であっても、面談の中身について 常に対等は状態でスタートを切りたいと考えている。 だから、「すみません 今日は少し遅れ、お待たせしまして」という言葉だけは口にしないですむように心掛けている。
 頭を下げ、お詫びから入っていく面談(交渉)なんて、まずはマイナスからのスタートになるし、当方にとって決して良い結果にならないような気がする。
 時間をまず自分の方へたぐりよせ、自分のものにする。そして自分のペースで時間を使う。
 これってすごく大切ですよね、どんな場合であっても。
 みなさんの時間に対する思いはどんな感じでしょうか。
posted by ヒロイ at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする