2024年02月12日

No.868:激動の4年間を過ごした大学生が熱く語った

 子供が小さい頃は少年サッカーやクラブの応援とかで いきいきした威勢のいい若者に触れる機会もあったが、子供が社会人になってからは 知人から子供さんの話を聞くくらいで、若い人と接触する機会もかなり限られてきている。
 そんな中で最近のホットな話題といえば、開業する前にいっしょに仕事をしていた後輩の息子さんがこの春 センバツ高校野球に出場するかもしれないという うれしい話題である。
 あえて「するかもしれない」というのは、その学校は春の選抜出場が決定している〇〇気比という高校であり、秋の大会ではその息子さんはレギュラーとなっていたが、春もレギュラーになるという保証はないという厳しい現実があるとのこと。
 野球強豪校はどこも1学年30人前後いるし、部員は補欠も含めて相当なレベルの選手が全国から集まってきているので レギュラーやベンチ入りのメンバーの入れ替えはたびたあり、全く息の抜けないクラブでの生活になっていると聞いている。
 秋の北信越大会まではレギュラーだったので春の甲子園も何とか選手として甲子園の土を踏んでほしいものである。

 話しは変わるが昨日 大学の陸上部の卒業生送別会があり、確定申告の真っただ中とはいえOB会の役員もしているので京都市内のとあるホテルまで出向いて行った。
 部員数も我々の時と違って総勢130人の大所帯であるが、今年の卒業生はまさにコロナとの戦いであったことが 卒業生の思い出話を聞いていてあらためてわかった。
 コロナが始まった年に入学し、秋までは学校に行くこともなくほとんどリモートの授業で、陸上の大会もほとんどが中止に追い込まれていたとのこと。
 入学が2020年といえば 東京オリンピックも延期、甲子園(高校野球)も中止となり、あの非常事態宣言で世の中の動きがピタッと止まった年である。
 2021年もたびたび緊急事態宣言が発出される中、無観客で東京オリンピックが開催されたが、大学の陸上の大会も春の大会はほとんど秋に延期になり、競技場への入場制限、そして応援もできない中で行われていた。
 2022年は競技自体は徐々に開催されだしたが、いわゆる“声出し応援”は禁止で、まだ誰もがマスクを外せないままの静かな競技会であった。
 そして2023年は大学に入って初めて声を出して仲間を応援できたと昨日 卒業生の多くが語っていたし、声を出しての応援は応援される側だけでなく、声を出して応援する側も 「みんなのクラブだな」と喜びと一体感を味わうことができたようである。
 そういう意味で昨日の送別会は過去の送別会とは違って、コロナで始まった大学生生活であったが、最後の一年間は声を出して励ましあえたことがよほどうれしかったのか いつもの学年以上に結束力の強さを感じたし、クラブでの生活の思い出を話していた卒業生の中には感極まって泣き出す学生も何人かいた。
 実は一昨年までの2年間は今回のような食事を伴う送別会も送れなかったが、今年の卒業生はみんなに祝ってもらうことがうれしくて仕方がないというのがこちらにも伝わってきた。

 “最近の若い者は”なんていうのはどちらかというとあまりよくない方に捉える時に使うことが多いが、昨日の卒業生は同級生にも後輩たちにもそして先輩にも感謝の気持ちがきちんと伝えられるという点ではなかなかできた大学生であり、久しぶりに自分でも熱くなるのがわかるようないい時間を過ごすことができた。

 ある卒業生(女子)は「広島で就職するので来たときには必ず連絡してね」と言っていたし、「東京に来たときはいっしょに飲みに行こうぜ」と言った男子の卒業生もいた。また ある上場企業に就職する1人は、「俺は社長になって世の中の働き方を先頭になって変えていくし、いっぱい稼いでこのクラブにもしっかり還元する」と頼もしい誓いを口にする卒業生もいた。
 終わった後、「何年たっても仲間っていいな。しかも多くのことを犠牲? 我慢して、一つのことに打ち込んだ4年間はいつになっても忘れることのできないものだな」と自分とだぶらせながら会場を後にした。
 卒業生はあの後 朝まで飲んでたんだろうな、みんなしてきたことやし・・・。
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2024年02月04日

No.867:ワンちゃんは人間より素直?

 所得税の確定申告は正式には2月16日から3月15日と定められているが、2月15日に我々の取り組みをスタートさせたのでは、とてもじゃないけど期限内の申告はおぼつかないので、1月下旬から2月上旬にある程度 体と気持ちを“確定申告仕様”になるように盛り上げていく必要がある。
 お客様はよく「忙しいのは2月後半と3月ですね」とおっしゃるが、それなりの申告件数を抱えているので、電子申告の処理も含め 3月5日頃には完了に向けて 一定のめどを立てておく必要がある。

 私自身は現在こんな状況ではあるが、昨日は束の間ではあったが いい意味での気分転換を図ることができた。
 とはいってもどこかに遊びに行ったり 誰かとと飲みに行ったりするのではなく、我が家のワンちゃん“ぽぽたん”と朝、夕と2回も散歩をすることができた。
 1週間近く我が家に滞在していた長女と1歳の娘(私から言えば孫)を朝からカミさんが車で和歌山まで送っていったので(もちろん日帰りです)、昨日は朝、夕 2回のぽぽたんの散歩の役割を私が担うことになった。
 平日は夜くらいしか接する機会がないので 今一つ私には慣れ親しんではくれず、いつも「この人 夜になると帰ってくるな」という感じなので私の方が少し寂しく思っているが、昨日はいつも散歩に連れ立ってくれる大好きなカミさんがいないことがわかっていたのか、私が散歩の用意をすると「はよ 行こう」と言わんばかりにホイホイと近づいてきて機嫌よく散歩に出かけてくれた。

 朝は1時間ほどの散歩で家に帰ってきて、その後 飲み物と用意してあった食事をケージの中のお決まりの場所に置いた後、私はやり残していた仕事があったので、それを片付けるために11時頃から事務所に出かけて行ったが、夕方4時前に帰ってくると昼寝もしっかりできたからなのか、朝と同様 機嫌よく私の方に近づいてきて夕方の散歩に出かけてくれた。
 普段はカミさんと朝夕それぞれ1時間半程 散歩をしているので、以前は私が一人で散歩に連れて出ると、「あと一人足りない、いつもの人がいない」と言わんばかりに玄関先から動かないか、家の前の道に出たところで折り返し家の方へ帰っていったことが何度もあったが、最近は少し大人になったからなのか、ピンチヒッターで連れ出す私一人との散歩にも「しゃあないな、いっしょに行ってやろうか」という感じでついてくるようにもなってきた。
 とはいえ、いつもと違う者が連れ出しているのがわかっているので、私とはお互い相手の顔色をうかがいながらの散歩となる。
 ぽぽたんはどう思っているかはわからないが、昨日の朝1時間、夕方1時間半の散歩は私にとっては目の前にあることを忘れることができ、こちらがリフレッシュできたというのが本音のところである。人間と違って会話ができない分、「何考えてるんやろ?」と思いながら歩くのはこちら(人間)の脳の活性化にも寄与しているんじゃないかなと思える時さえある。
 ぽぽたんを私のリフレッシュに使うなんてカミさんに知れたら、「ぽぽが怒るで」と言われそうであるが、私は気持ちも晴れやかになり、家に帰って来てからは頭を何十回と撫でながら、「今日はおかあはんでなくてすまんな。よう付き合ってくれたな。また行こな。」と話しかけていた。
 赤ん坊もそうだけど、生き物って本当に敏感で素直だなって思ってしまう。
 いくら楽しそうなことをしたり、喜びそうなことを言っても、それが一方通行であったり、愛情がないと そんなこと直ぐに見破られてしまう。

 昨日の散歩はコンサートホールの方へ行ったが、何か人気のコンサートでもあるのか北山駅の方からはすごく多くの人が押し寄せ、私はきょろきょろしていたが、ホールへ向かう人を上目遣いで見ているぽぽたんの様子を見ていると、「ここは私のいつもの居場所なんだけど、今日は道も狭いし歩きにくいな。」と言っているようにさえも見えた。
 3人の子供が家を出て行ってからは、こんなことさえも刺激に感じてしまう日々である。
 1月は何かを考える余裕もなくあっという間に終わったが、きっと2月はさらにすさまじいスピードで過ぎ去っていくのでしょうね。
実は明日からがちょっと怖いというのが本音ですが、次の週末は一応 3連休なのでちょっとだけ楽しみにしています。
 休日がいくらあっても仕事の量は減らなんですがね・・。
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2024年01月28日

No.866:実は新聞が好きなんです

 新聞の購読率は年々下がってきており、今の若い人からすれば、「まだ新聞 読んでいるんですか?」と言われかねないが、確かにその数値は調査媒体によって差があるもの 家でとっているのはもはや50%前後と言われているし、30歳以下の世代では25%くらいのようである。
 私は自分で言うのもなんだが、新聞が好きで 毎朝2紙を6時過ぎから約1時間以上かけて読んいるし、月に1回ある新聞休刊日の朝は少しだけ物足りなさを感じてしまし、週に1回くらいあるが、ニュースや自分が知りたいネタが多い時は朝の出勤までには読み切れず、夜仕事から帰ってから続きを読みときもある。。
 新聞をとったり、読んだりしていない人からすれば、「ニュースなんてスマホかパソコンで見るもんでしょう」と言われそうであるが、毎朝 新聞を広げて左右の二面に目をやると、細かな記事も含めてるとざっと20くらいのニュースが瞬時に目に飛び込んでくるので、ネットで見るのよりも 幅広い内容のものをいろいろな角度から感じ取ることができるし、見出しの大きさやどのあたりにかかれているかによってニュースの重要性が分かるというのも紙の新聞でしか味わうことのできないことである。
 もちろん全ての記事を隅から隅まで読むわけではないが、これは読んでおきたいとか、このことは頭に入れておかないと と思うところは、割と細かな内容までしっかりと目を通すようにしている。
 早く知りたい、詳しいところまで頭に入れたいという強いので、決して義務感で読んでいるのではないし、今日のタイトルのようにただ単に新聞が好きなんだと思う。
 ただ、事務所を開業して間もない頃、忙しくて新聞を読む時間がなく、リビングのテーブルの上に一週間分を積んで置いていたのを週末にまとめ読みしたことがあったが、この時は読むのに2、3時かかり結構苦痛であった。
 新聞にもよるが大体28〜32ページくらいあるし、日経なんか42ページ(手元にある土曜日のもの)近くあるのでゆっくり読みふけっていてはとてもじゃないけど1時間で2紙なんて読み切れないというのが本当のところである。

 先日 新聞の下の方に目をやると、事務所のすぐそばの建設中のマンションの広告が載っていた。
 もちろん買うつもりはないが、毎日のように前を通るのでいくらくらいなんだろと思っていたら、新聞の広告欄に≪50〜75uで6,000〜8,000万円、駐車場なし≫と載っていて、「高いな 駅から5分やしな」とその金額に驚いた。
 確かに今や新聞の情報は他の媒体に比べると即時性という点においては劣っているが、後々しっかりと頭に残っているのはネットニュースではなくやはり新聞の記事である。
 私も日中 時間があるとき、スマホやパソコンのネットからの情報にくまなく目をやっている方だと思うが、最近のあの「書き込み」とか「口コミ」というのが嫌で嫌で仕方がない。
 責任の所在もはっきりしない奴らが言いたいことを言うのには呆れてもものが言えないというか、あほらしくて読む気にもならない。

そうそう
 最後に今話題の松○人○の騒がれている件で、その内容や今後の動向には全く関心はないが、この人のことで数年前からずっと思っていたことがあったので、このタイミングでこの場を借りて一言。
 この人 テレビに出る時は結構ネクタイをしていたが、ワイシャツの第一ボタンを留めて、シャキッとネクタイを締めていたのを一度たりとも見たことがない。前を開けてネクタイをだら〜んとぶら下げて姿ばかりで・・。これも着こなしのひとつなんですかね。
 もし しっかりとネクタイを見ているのを見たことのある人は教えて下さい、あったらびっくりするけど。
 ネクタイってぶら下げるものではなく、締めるものと思っているが、この考え方自体が今の時代にマッチしないでしょうかね。
 段々、おじさんの現代社会に対する批判のようになってきたのでこれくらいにしておくが、これからもいい読み物をしっかりと選んで、自分の考え方も形成できるようにマスコミやメディアと付き合っていきたいものである。
 では、また一週間後まで・・。
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2024年01月21日

No.865:厳しさが伝えられる経営者

 2020年12月に中国の武漢でコロナの第一例目が報告された後、わが国でも2021年2月中旬から瞬く間に国内全域に感染が広がり、そこからの2年間は正に“暗黒の2年間”であったが、今から思えば「あの頃は」と言えるくらいかなりの日数が経ったような気がしないでもない。
 特に昨年の春までの約2年の間にコロナで世の中が大きく変化したし、人間としての生き方も随分変わったと言っても過言ではないように思う。
 我が事務所の顧問先もコロナの初期段階では、ほぼ全業種で収入が激減し、中には資金繰りがひっ迫する顧問先も何件かあったが、何とか持ちこたえて 1件の脱落者も出さずにここまで事業を継続されているのは何よりである。

 ここへきて一見 落ち着いて見える世の中になってきたような感じもするが、いろいろなところでコロナの影響は残っている。
 先週 ある顧問先のドクターにコロナ前とコロナ後のクリニック経営の違いについて話を聞く機会があり、患者の動向、コロナ対応の診療報酬改定、感染拡大により従業員の確保も困難になったこと等 当時の状況を思い出しながら いろいろな方面へと話へ内容は広がっていった。
 この時に面談したドクターは、しっかり収益を確保して、可能な限り従業員に還元するというのをモットーとされており、症例の研究は当然のことながら、経営的な観点に立って患者や従業員にどう対処すればいいかも常に考えられておられ、毎月の面談は今後の取り組みの相談も含め非常に中身の濃いものになっている。
 先週の面談時にも そのドクターからの話は意外な内容であった。
 コロナ初期は、患者減もあるが何とかみんなで乗り切っていこうといろいろな相談を重ね、クリニックとしてでき得ることは全てされてきた。
 その後は、世の中の人から見れば「えっ、そうなん?」と思えるほど診療報酬の加算や補助金・支援金で収入が増えたことにより、わずかの期間ではあったが収入は増加に転じたので、その増収分の多くを従業員に還元されてきた。それは時間超過の残業代とは別であったので給与が通常月の1.5倍近くになる人もあった。
 それが・・。
 今のように平時になると給与は元に戻っただけであり、もちろん基本的な給与を減額されるようなことはないが、従業員に還元されていたコロナ増収分の特別手当はなくなるので 従業員のほとんどの人の手取額は減ることになり、中にはコロナ期があまりにも手厚かったので25〜30%ほど給与が減った人もある。
 給与の減額の理由はある意味当然のことではあるが、やはり“減る”ということをどのように説明しようかと考えていかれる中で、あの時の異常な忙しさと平時の現在との違いをきちんと認識してもらうことが大事であると考えられ、患者数は今のところそれほど大きく変わらないが、今後は患者の目が一層厳しくなったり、患者対象となる疾患が流行しなかった場合には、収入は間違いなく減少に転じることを過去のデータをもとに自らスライドにまとめ、毎月の定例会議で全従業員に報告された。
 こういった目の前にある経営状況の変化をきちんと伝えることができるというのがこの先生のすごいところであり、また 従業員を引き付けるところでもあるのだろう。
 従業員の退職者はほとんどないが、産休や育休で一時的に欠員が出る部分は早めの求人で補充をされる。なんと先日も1人の募集に10人近い応募があった。
 比較的若い従業員が多いが、産休・育休の後もほとんどの人が退職することなく復帰されるので、従業員の適正人員を考えたときには配置の面では難しいところもあるが、いつ訪問しても明るい雰囲気で生き生きした感じがこちらにも伝わってくるクリニックである。

 話しの内容が少しまとまりにくくなってしまったが、要は経営状況のいい時は特に何か手を打つ必要はないが、経営の厳しさが増したり、いわゆる 手詰まり感のある時に従業員に状況説明をし、情報を共有することがいかに重要であるのかということをこの先生から学ぶことができる。
 トップだけでできる経営なんてどこにもないし、そんな経営はきっともろいはずである。
 この先生は従業員に機嫌取りのようなことは全くされないし、退職希望者が出たときには引き留めることもされない。
 なぜか? 「その従業員のニーズを満たせなかった職場であり経営者だったので仕方がないな。残念だけど・・。私の方もできることしてるもん。」
 なかなか真似はできないがこんなことが言える経営者になりたいなと思う。 ただ 現実にはそんなことはなかなかできないけどね。
posted by ヒロイ at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月13日

No.864:実は「自分へのご褒美」っていう言葉 あまり好きじゃないんです

 この言葉っていつくらいからよく使われるようになったのでしょうかね?
 私が幼い頃はもちろん、学生時代や社会人になりたての頃には使っていなかったように思うので たぶんここ10〜20年くらい前から使われだした言葉ではないのかと思う。
 この言葉を使っている多くの人を敵にまわすような今日のタイトルって結構勇気がいったのだが、批判されるのを覚悟で今日は思っていることを綴ることにする。

 実は私自身はこの言葉は一度たりとも使ったことがないので単純に違和感を感じるということであるが、かと言ってこの言葉を使っている人のことを特別視したり、嫌悪感を抱くことは全くないので誤解のないように。
 私自身の考えなので人に押し付けるつもりもないが、私が使えない、あるいは使ったことがないのは、自分にご褒美がもらえるようなことはほとんどできていないし、自分を褒めるような大それた気持ちになることが まずないということに起因しているのかもしれない。
 よく考えてみると私自身“挫折”と“達成感”の繰り返しなような人生で、当然のことながら達成感を得られたことなんて言うのはほんの一握りあるかないかで、ほとんどの場合 味わってきたのは挫折感であろう。
 「あの時 ああすればよかった」とか「なんでもっと頑張れんかったんやろ」という場面がいくつも頭に浮かんでくるし、こんなことを考えていると当然のことながら悔しさが込み上げてくることがないわけではないが、不思議と尾を引かないあっさりした気持ちになっている自分にあらためて気づく。
 これは「やっぱし実力不足やな」、「手を抜いてたんで、当然の結果か」と自らの努力の足りなさや実力不足を認めざるを得ないことの方が多いからなのであろう。
 私は“運”という言葉もあまり好きな方ではないが、うまくいかなかったときは「運がなかったかな」言って自分を慰めるなが、“運”というのはある意味 気持ちを落ち着かせる時に都合のいい言葉である。
 「自分へのご褒美」という言葉って、欲しい物を買ったり、食べたいものを食べたりするときに使われるケースが多いように思うが、私は欲しいものは欲しい時に買うが、高くて買えないものはきっぱりとあきらめがつくような性格なので背伸びしてまで買おうと思ったことは一度たりともない。そういう意味では結構あきらめも早いのかもしれない。
 事業をしていた私の父の口癖は「お金がなかったら買わんでもええ、そんなことで死んだりせえへん」だった。
 父は人生の中で銀行にはもちろん 他人にも一度たりともお金を借りたことがないまま生涯を終えたが、少しはその血が私の中に流れているのかもしれない。でも、私はお金を借りたこともあるし、住宅ローンもの残っていますがね・・。
 なんだか妙な話になってしまったが、たわいもない奴の独り言と思って聞き流してもらっても結構です。

 自分を褒める言葉で誰しもが納得がいくのは、(若い人は知らないだろうが)今から27年前の1996年のアトランタ五輪女子マラソンで炎天下の中で銅メダルを獲得した有森裕子選手がゴールの後、汗まみれの姿で「初めて自分で自分をほめたいと思います」と発した言葉であろう。
 そういう意味でまだまだ褒められない自分がいるからこそ、毎朝起きて、仕事に向かわせてくれているのかもしれない。
 がんばってこの車に乗りたいとか、○○へ旅行がしたい というような具体的な目標がある方がもっと励みになるのかも? でも車にあまり興味がないしな。
 読みたい本を読んで、飲みたいお酒を飲んで、食べたいものを食べる これが一番の楽しみかな?
 でもよくよく考えると これこそ結構贅沢な話かも?
posted by ヒロイ at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月07日

No.863:事務所の年末年始

 私が開業前に勤務していた税理士事務所では、毎日朝礼があり、従業員が順番でスピーチをしていた。
 そこは正社員が30数名いたので、1ヵ月半に一度位の間隔で 順番が回ってきていが、他の人がどんな考えを持っている人なのか とか 職場以外ではどんな生活をしているのかを知る数少ない機会でもあり、朝礼をすることの意義はそれなりにあったように思う。
 その後、私が独立開業した後は、当初はスタッフ数も私とカミさんを含め4人だけだったし、毎日 机を並べて仕事をしたいたので わざわさ朝礼をして何かを伝える必要もなかった。
 現在 開業から16年経って事務所の人数が増えたという理由だけで果たして朝礼をする意義があるのか と思わないわけではないが、ここ数年 コロナの影響があって以降、それまで年末の最終日に行っていた忘年会を開催しなくなってからは、年末最後の営業日と年始最初の営業日に朝礼を行っている。
 別に朝礼をしたからといって、何か身が引き締まるようなものが醸し出されるわけではないが、現在 スタッフが3つのフロアに分かれて仕事をしているのでなかなか一同に会する機会がないのも朝礼をすることになったきっかけの一つでもあった。
 また普段は全員が揃うこともほとんどないので、年末にはいっしょに仕事をしている全員に対してに私から感謝の気持ちを伝えたいというのもある。
 以前は年末の最終日に忘年会を行っていたし、忘年会が開催されなくなった3年前からはこの最終日に朝礼を行い、この時 勤続10年を迎えた人を労う場ともなっている。
 今年は3人といつになく対象者が多く、これで勤続10年となった人は総勢20人(パートを含む)のうち9人となり、長年続いている老舗の事務所や規模の大きな事務所にはまだまだ足りない部分はたくさんあると思うが、少しずつお客様の要望に応えられる体制ができつつあるのかなと思っている。
 12月中旬にパートさんも含めほぼ全員と賞与支給時に面談を実施しているが、その中で、「事務所の将来構想は?」、「所長は今後どんな事務所へしたいと思っているんですか?」というような質問もあったので、それに対する回答も全員を前にしてきちんと示しておかないといけないと思い、自分なりの考えを事前にペーパーにまとめ 年末の朝礼で伝えた。
 がんばって仕事をしていればいるほど、一年なんて あっという間に過ぎてしまうので、こういう年の変わり目というか節目の時に 過ぎた一年を振り返ったり、次の一年やさらにはその先のことを考えるのに この年末、年始の朝礼というのは私にとってはいい機会になっている。中にはまた所長の話か と思っている人もいるかもしれないが・・。

 話はがらっと変わるが、今日は正月過ぎから京都の我が家に来ていた長女とその娘(1歳)を送りにドライブがてらに往復5時間かけて和歌山まで行ってきた。
 途中で立ち寄ったのは高速阪和道の紀ノ川SA 1ヵ所で、同乗のワンちゃんもいっしょにトイレ休憩しただけだが、この和歌山行きはいい息抜きになった。
 和歌山は2年前に長女が住むまでは車では行ったことがなかったが、高速道路を下りてしばらく走り 紀の川に架かっている大きな橋を渡ると和歌山やなと実感するようになった。和歌山って京都の人には近畿の中で一番なじみがなく遠く感じる場所ですよね。車に乗っている時間は片道2時間くらいなんですが・・。
 私は行きは助手席、帰りはワンちゃんに助手席を奪われたので後部座席に一人だけという 贅沢な同乗者だったのでなおさら気分転換になったのかも?
 カミさんは運転が好きなので秋に信州に行った時も私は一度もハンドルを握らなかったが、仕事では毎月2000km程 運転しているので 休日は運転しなくていいでしょ。

 明日 もう一日休日があり、ちょっと得した気分ですね。
posted by ヒロイ at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月02日

No.862:新年を迎えて

 昨年 母が91歳で他界したため、親族や友人等 個人的な繋がりがある人に対しては12月に喪中の挨拶状を出していたので、年賀状は なし ということになっていたが、税理士事務所として 業務上の関係者には例年どおり年賀状を出した。
 年が変わったからといって何かが大きく変わるというわけではないが、新しい年を迎えるということは、いろいろなことがリセットできたり、また新たな気持ちでスタートできるという点において必要であり 意義ある節目ともいえる。
 業務上の年賀状には、新しい年への思いも綴っているので、それをここに掲げて新年のあいさつに代えさせていただくこととする。

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 旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます
 世の中も一定の落ち着きを取り戻しつつありますが、その状況はコロナ禍前とはいろいろな面において違ったものになってきていると感じます
 年を通じて多くの人が望んでいるような平穏無事の日々であればいいのですが、決してそういった毎日が送れるとは限りません 
 また日々の生活に中で何かを実行した場合、報われることもあれば、報われない結果となることもあるでしょう
 ただ “当たり前のことを当たり前にする”ことによって、周りの人に喜ばれ、自分自身も将来「あの頃もよかったな」と思えるような一年にしたいものです

 これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。
   廣井増生税理士事務所
    廣井増生

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 1月4日から仕事の方もいらっしゃるかとは思いますが、我が事務所は1月5日からスタートなので明後日まで休みですが、1月4日は少しだけ試運転しておこうかな思っています。
 では、みなさんあとわずかの休日をお楽しみください。
posted by ヒロイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月24日

No.861:高校時代の同級生から突然 電話があって・・

 2週間ほど前に現在も私の地元に住んでいる中学・高校の同級生から、「12月24日(日)に全国高校駅伝の審判員として京都に行くんで、時間があったら会おうか? 前泊するんで土曜の夕方以降なら時間とれるけど・・。ただ、年末で忙しい時期で誰しも自分の用事が最優先なんで無理せんといてや」と突然電話があった。
 年末 残すところあとわずかの時期なのでスケジュールは立て込んでるやろなと思ってスケジュール表を見ると、なんとこの土曜日は夕方以降はフリーだったので、「何年ぶりやろな? 何十年ぶりかな? ご飯でも食べようか」と言って会う場所をこちらから指定した。
 実はこの一週間はめちゃ忙しい週だったけど、本当に懐かしく「早く土曜日の夕方にならないかな」と会うのが待ち遠しいくらい楽しみにしながら一週間を乗り切ってきたというのが本当のところである。
 私も陸上をしていたので大学の時 公式審判員の免許(審判手帳)?を少しの期間持っていたが、社会人になってからは正式に競技に関わることはなくなったので審判員のことなんか忘れていたが、彼の子供は2人(今は社会人)とも大学まで陸上をしていたようだし、彼自身も地元でいまだに陸上に関わりを持つ根っからの陸上人間である。
 僅か2時間ほどの時間であったが、中学、高校時代の話に花が咲き、仕事に押しつぶされそうな日常も忘れ、気持ちも高校時代に戻ったような最高に楽しい時間であった。
 彼の子供は長距離選手で箱根駅伝の常連校のT大学に入ったが、10人出場できるところを11、12番目の選手だったので出場がかなわなかったと 親として残念だった話もしてくれた。
 実は2週間前 彼から突然電話があったのは、私からの喪中はがきを見てびっくりしたそうで、「廣井の両親はどんな大会でも見に来ていたし、あの元気だったお母さんが亡くなったなんて・・」と言っていたが、「そりゃ あの頃は俺とこのおかあはんも若くて元気だったけど、あれからもう40年も経ってるしな・・。」というと、「そりゃそうだわな、うちもオヤジが亡くなってたし、かあさんは一人で暮らしてるけど 80代だもんな」とこんな話を最初の電話の時にしていた。

 地下鉄烏丸御池の改札口で待ち合わせた後、店に入ったが やはり若い頃 いっしょに汗を流した者との話は盛り上がる盛り上がる。
 高校のあった地元から京都市まで当時は3時間近くかかったので、西京極である京都府大会も2連泊だったし、大阪の長居、神戸の王子、大津の皇子山であった近畿大会は木、金、土と3連泊で、心のどこかでは陸上で勝つことより、何泊も泊まれることの方が楽しみだったのを覚えている。
 「ところで高校駅伝の審判員ってなにするん?」と聞くと、たすきを渡す中継点で張り付けになって、選手の呼び出しや整列・整理等の補助をするらしいが、往路と復路、そして女子と男子 計4回もあるので結構大変なんだろうなと思って話を聞いていた。
 今日 京都で繰り広げられた華やかな全国高校駅伝もこういった裏方がいるからこそ運営が成り立っているんだなということを認識するいい機会にもなった。

 今年になってから○年ぶりや○十年ぶりという友人から、しかも同窓会でなく「京都に行くし時間とれる」という突然の連絡が何人かからあり、中には会えなかった者もいるが、今年は3人も会って話をすることができた。
 確かに時間を作るのは厳しい時もあるが、こういった再会? は日常に埋没している自分自身にとっては旧友と貴重な時間を共有でき、何よりも日々の生活に刺激を与え、なんとも“いい時間”を過ごすことができる。
 こうしてブログを綴っている時も時間を忘れるが、ふと明日からのスケジュールに目をやると早速 明日は往復250qを1人で運転する厳しい1日になるが、仕事もあと4日なので何とか乗り切って いいお正月を迎えられたらと思っている。
 本当に1年って早いものですね。
 まだ「よいお年を」ではなく、「もう少しだけがんばりましょう」と言って今日はお終いにします。 では・・。
posted by ヒロイ at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月17日

No.860:撤退するにも勇気がいる

 コロナの真っ只中の3年前に事業を立ち上げてから、経営者としての豊かな発想と持ち前のファイティングスピリットで、開業後1年も経たないうち事業を軌道に乗せ、その後は同業者を一気に抜き去り 現在に至っている顧問先がある。
 本業以外にもその周辺の業務で何か本業を補うものは? との思いで始められた二番目の事業は 開業当初はたぶん構想に入っていなかったと思うが、始められてから一年もしないうちに十分に収益を確保できるまでに成長していった。
 その後、今から1年程前から構想を練っていた第三の事業もこの秋からスタートした。
 こちらは周りの協力者の力も借りながらの事業なので、そういった取り巻きの業者や頼るべき人たちと何度も打ち合わせを重ねながら、一定の準備期間を経て比較的ゆっくりと動き出した。
 事務所の担当者に同行し、私もいっしょにこの顧問先を訪問しているが、こちらから毎月の経営数値を説明する前に この経営者が準備されているA4 3枚に印刷された[今月のテーマと課題]をもとに打ち合わせが始まる。
 こんな感じの経営者なので “次なるもの” はということを常に頭の中で描いておられ、上の第三の事業の次の事業は1年以上も前から構想を練り、その事業に関わる人たちと幾度となく打ち合わせを重ねておられるが、その事業は規模としては事業開始当時の投資額を大きく上回るもので、設備費用 特に建物の建築費用も含めると億単位の資金が必要にあり、そのほとんどを金融機関からの借入で賄う形で話は進みつつある。
 準備期間も最低でも今から1年半程かかる大きな事業であり、この経営者もいろいろと考え一大決心をして、覚悟を決めて取り組もうとされている。
 それが先日の面談時にいきなり「例の事業 止めようかなと思ってるんです。計画段階では十分採算がとれると思っていたけど、建築費の高騰は予想をはるかに超えるものとなりそうだし、今の時代 人の確保も大変そうなんで。」と話をされていた。
 もちろん現段階では取り止めるという結論は出ていないが、ここまで常に次なる事業は と考えておられた方だし、見方を変えれば ある意味イケイケともとれる経営スタイルであったが、今回 ここで立ち止まれたのは私にとっても意外であった。
 ただ、今回 立ち止まって再検討されているというのは、事業の将来性をきちんと見据える力がついてきたともとれ、私としてもホッとしている部分がないわけではない。
 事業というのは多くの場合、繁栄→拡大 という道筋をたどるが、今回のように立ち止まるということは非常に大事なことであり、その時に深く検証することこそが事業の存続、そして真の意味での成長へとつながっていくのであろう。
 この件はまだ結論を出されたわけではないのでどちらに転ぶかわからないが、この40代の経営者が最終 どういった結論を出されるのか注目しながら追っていきたい。

 今日の話は業務上の守秘義務の関係で、場所や業種を特定できず、表現も多少オブラートに包んだようになったので分かりづらい内容になってしまったが、その部分はどうかご容赦いただきながら、皆様の方で想像しながら読んでもらえたらと思っている。
 要はガンガン突っ走っていた経営トップが立ち止まった ということが注目に値し、計画を引き下げたり撤退するのは、実は進出の何倍も判断能力が問われるということである。
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2023年12月10日

No.859:初めての経験・助産院の開業

 知人からの紹介で助産院を開業される助産師の紹介をいただき、開業前、そして開業されてからの税務的な対処方法を教えて欲しいということで 先日 事務所で面談を行った。
 医師、歯科医師の開業支援は何度も経験があるし、鍼灸院・整骨院、さらには獣医(動物病院)も数こそ少ないが開業前、そして開業後の支援をしたことはあったが助産院は初めてである。
 助産院というくらいなのでお産婆さんが赤ん坊をとり上げるのかなと 昔のイメージを抱きながら話を聞きだしたが、私の想定とはだいぶ違って産婦人科で出産されたお母さんの産後ケアや乳幼児への成長に合わせたアドバイスをするというのが主な業務のようである。
 なかなかこの仕事だけで生計を立てていくのは厳しいようで、週に数回はある医療機関への勤務も続けながら、ダブルワーク、トリプルワークという形でスタートされる。
 最近 クリニックの事業が軌道に乗った後、訪問看護ステーションやサービス付き高齢者向け住宅、グループホーム等の福祉分野にも手を広げられる医療機関も顧問先の中には何件かあるが、今回はこういった事業(助産院)が存在することすらほとんど知らなかったので、自宅の一部での開業という小規模の事業ではあるが、こちらも初めてのことということでなかなか新鮮な気持ちで臨める仕事である。

 税理士事務所の運営も得意分野というか力を入れる業種を絞り込むという戦略もあるが、別の観点から捉えるといろいろな分野の業種の方と接することも税理士ならではの楽しみである。
 当然一人でできる仕事の範囲は限られてくるが、一定数以上のメンバーで事務所を運営していればこういったいくつかの分野への進出し、またその分野を研究することによってその周辺のビジネスへの広がりも想定される。
 医療関連の顧問先以外としては、もともと顧問先としてあった不動産賃貸業や建築業の他にここ数年でシャツのプリント加工、クレーン車の組み立て加工、健康食品さらには社団法人等の準公的団体などの新しい顧問先が加わったし、京都のオーナーが引き継がれた東京のラーメン屋というのもあるが、他の税理士の話を聞くと寺院(宗教法人)、観光産業、IT関連事業のような京都ならでは業種の顧問先を持つ人も結構いる。
 趣味や遊びをビジネスの結びつけるのは不謹慎かもしれないが、以前関わったり仕事を手伝っていた鉄道関連や舞鶴での造船関連の事業は話を聞いていて、(多少仕事も忘れてしまいそうなくらい)ワクワクしたのを覚えている。

 話があちこちに飛んでしまったが今回の助産院も出産に関すること以外に育児、母乳、離乳食の相談、さらには産後の精神的なケアまでされるということで、もちろんほとんどの産婦人科で実行済みのことと重なる部分はあるが どんな展開になるのか見守って行ければと考えている。
 税理士の仕事は税金に関することがメイン業務ではあるが、それぞれの業務に関わることによってこちらも これまで気付かなかった世の中の動きに触れられるという点では面白い仕事なのかもしれない。
 これから先、どんな業種の人との付き合いが出てくるのでしょうね。
posted by ヒロイ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする