2022年08月15日

No.792:こんなお盆休暇でした

 このブログは掲げる日(曜日)が決まったいるわけではないが、どんな一週間だったかなと振り返って、うれしかったことを思いだしたり、しまったなと思うことがあれば反省する機会と捉えている面もあるので ついつい日曜日になることが多い。
 ただ 事務所は16日までお盆休暇中ということもあって、昨日はバタバタしていたので 今日 月曜日のアップとなった。

 社会人になると学生のように入学や卒業という節目はないし、夏休み等の長期休暇もないが、お正月を挟む年末年始の休暇、4月末から5月に掛けての連休(一般的にはGWと呼ばれている)、それにお盆も含む夏季休暇と仕事をしている人は一年のうちに3つの長期休暇がある人が多いように思う。
 コロナ禍においては、コロナ前とは休暇の過ごし方も一変し、海外旅行へ出かける人はほぼ皆無となり、国内旅行に出かける人も近場が中心となっている。
 小さい子供さんのいる事務所の男性社員も 今回のお盆は久方ぶりにじいちゃん、ばあちゃんが待つ四国へ行っている。ただ 無条件というわけではなく、確か家族4人ともPCR検査で陰性であることの確認は必要だったようである。

 事務所は13日(土)から16日(火)まで4連休であるが、お盆恒例のかみさんの実家への墓参り(約半日)、それに今年は娘夫婦と昼食に行くこと以外は、気になっていた溜まった仕事を片付けるのに少しだけ時間を費やし、最後は休養にあてようと思っていた。
 そんな中、日頃から懇意にしている仕事の関係先の方から 突然「取れないと思っていた甲子園(高校野球)のチケットが1枚だけ手に入りそうなんですが行きますか? 15日の3塁側内野指定席ですが。」と連絡があった。
 確か娘たちが来るのは13日の昼やし、墓参りは14日の午前中なんでと頭の中でスケジュールを思い浮かべていたが、重なる用事がないとわかると「行きます。いいんてすか、本当に。」と二つ返事でOKであることを伝えた。
 その方に 昨日 事務所のポストに入れていただいていたので、今日はそれを持って甲子園に馳せ参じてきた。
 コロナがこんな状態なので 観戦に行っていいのか少しは考えたのも事実てあるが、一応 世の中て認められたイベントであるし、一定のルールを守った上での開催、そして観戦なのでいいかなと思い実行に移した。
 夏の甲子園は一昨年は中止、昨年は無観客だったので、観客を入れての開催は3年ぶりであったが、私も甲子園に足を運ぶのは3年ぶりで、今日は3年前の101回大会の記念タオルを首から掛けての観戦であった。
 1試合目の途中の朝10時に甲子園球場に入り 第4試合の夕方6時までいたが、頭の中にあったいろんなことを忘れて白球だけを追い続けた8時間であった。
 これだけで、私がどれだけ満足したかはお分かりいただいけるでしょう。屋根がなかったので灼熱の時間帯がめちゃ長かったし、マスク付けっぱなしだったので途中でちょっとだけめげそうになりましたが・・・。でも、いい1日でした。

 そうそう甲子園に行くときはその年の出場校ガイドブックを持って行くのですが、現地でその日に登場する学校のページを見ながら観戦するとさら楽しさが増すというのもいつものことである。今日登場したチームであれば、地域別では東北地方だけが優勝していないが仙台育英が初めての優勝校になれるのか? 高松商業は52年ぶりのベスト8なるか? 愛工大名電には元中日のリリーフエース岩瀬の子供がいる、さすがにOBのイチローは来ていないだろうけど。長崎の海星高校はオランダ坂の上に学校があるのか、なかなか風情があっていいな 等々。

 今日は本当にリフレッシュができたので、休暇明けまでには1日早いですが、することもたくさんあるので 明日は事務所に出向くことにします。
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2022年08月07日

No.791:久しぶりに体育会の面々を目の前にして

 今朝10時から同志社大学の陸上競技部の新入部員の歓迎会があり参加してきた。
 コロナ以降、いつもやる やらないとバタバタしていたが今年はこんな状況下ではあったが、万全の対策をとったうえで、3年ぶりに開催された。
 ただ、このような時期なのでマスク着用はもちろんのこと、1〜4回生の現役全部員と一部のOB 計100人程が、蜜を避けて300人近く入れる大きな会場で行った。
 こんな時期なので飲食禁止はもちろんのこと、必要以上の会話はご法度、しかも1時間以内という いくつかの制約のある中での開催であった。
 以前は京都市内のホテルで飲食や飲酒(20歳以上の者に限る)も伴い、多くのOBOGの参加のもと結構盛大に行われていたが、もうそういったことをしていた時の部員も今の4回生のみで、ここでもコロナにかき回された跡形が残っている。
 今回も過去においてはよくお顔を拝見していた65代以上の方の出席がなかったのと、東京在住の方もわざわざ京都まで出向かれることはなかったので、数日前に数少ない京都在住組である私に「できれば当日出席して歓迎のあいさつを」と東京の先輩から連絡が入っていた。

 私はトップバッターでの挨拶であったが、「とにかく今までのことにとらわれることなく、これまでの慣例も捨て、ただ 熱い思いだけは抱きながら自由に活動してほしい。」と話した。
 「一応、100年以上続くクラブであるが、今や歴史や伝統は全く通用しない世の中になったので、そういったことにも一切とらわれることなく、自分のため、自分たちのためにクラブく取り組んでほしい」 と口火を切った。
 ただ、その後 現役部員数名のからは、私が予想していなかった言葉が次から次へと出てきて驚いた。
 「陸上部員であることの責任と誇りをもって」、「名に恥じないように」、「学生アスリートであることを片時も忘れることなく規律を守り」、「キャプテンの僕を信じて付いてきてほしい」、「チームとして少しでも役に立てる選手に、そして部員になれるように」というような最近 あまり聞かなかった言葉のオンパレードで、私の方が少し面食らった感があった。これって知らない人が聞いたら怖い世界と思うだろうな・・・。
 私のころは体育会といえば一種独特の雰囲気はあったものの、片方では競技を離れたらもっとちゃらんぽらんで、今の学生のように将来の人生設計もなく、多くの部員が漫然と過ごしていたように思う。
 近くにいた40代のOBも、「今の学生はある意味偉いわ。俺らちょっとクラブして、後は遊ぶことしか考えてなかったもんな。勉強にいたっては試験前にちょろっとしただけやし。」と言っていた。

 まあ、こちらが「肩の力を抜いて」と言ったつもりであったが、現役学生の熱に圧倒された1時間であった。
 ただ、本音は強くなって次のオリンピックには誰か出てくれたらなと思うが、そんなことを期待するのはさておき、久しぶりに現役学生に会って 今の学生の凄さというか ひたむきさ見せつけられた感があった。

 暑かったし、コロナのこともあったので、1時間で解散となったが、質素ではあったが中身の濃い 歓迎会であった。
 日曜日わざわざ出向いていったが、日頃のビジネスの世界とはまた違ったこういった世界に触れたことによって、いろいろな意味で刺激を受けた朝の1時間であった。
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2022年07月31日

No.790:お酒がやめられませんし、量も減りません

 お酒に対する強さというのは若い頃は並であったし、晩酌もたまにする程度で今のように毎晩という訳ではなかったが、今では飲まない日はほとんどなく、たぶん一年のうち360日くらいは飲んでいると思う。
 家で飲むお酒もいいが外出時や旅先で飲むお酒はまた格別のものである。
 お酒に関して舌が肥えているとか、通というようなものではないので、日本酒にしろワインにしろ決して味が分かるほうではないし、お酒ならビールに始まり、日本酒、焼酎、酎ハイ、洋酒、それにワインまで何でもござれであるが、家で洋酒を飲むことは少ないし、ワインに至ってはお客様でもない限り飲む機会はほとんどない。
 以前はカミさんも結構飲んでいたが、10年以上前に一時体調が良くない時期があり(今では元気であるが)、その頃からからほとんど飲まなくなり、今ではノンアルコールビール以外口にしたのを見たことがない。まあ、外出時には車を運転してくれるので、私にとっては好都合であるが。
 私のお酒の飲み方には、決して決まったパターンがあるわけではないので、その日の体調や飲む時間帯、それに料理の内容によってお酒の種類は様々である。
 父の日に子供たちからいただくものも年に一、二度帰省する息子たちのお土産もお酒が増えたように思うし、1ヶ月から2ヶ月に1回程度やってくる娘は、嫁ぎ先が和歌山なので、最近では必ずと言っていい程、和歌山ならこれやろ と言わんばかりに特産の梅酒を持ってきてくれる。
私にこだわりがない分、手土産として持ってくる方も「なんでも飲むので、お酒ならいいか」と気軽に持ってこれるのであろう。
 一応言っときますが、一度たりとも「酒 持ってきて」なんて言ってませんしね。
 もし 私がお酒に関して通なら、どこどこのお酒とか何年もののワインなど選ぶ方も気を使うだろうし、費用もかさむであろうが、私には全くこだわりはないので、アルコールが入っていればそれだけで満足である。

 こだわりではないが、勝手に楽しんでいるのがお酒の産地である。
 ただ、これは飲む前にお酒の産地をみて、勝手に旅に出ているような気分に浸っているだけのことであるし、コロナでなかなか旅行に行けない分、こんなことで気分を紛らわせてところもある。
 長崎 壱岐の麦焼酎、新潟県魚沼の日本酒、旭川や富士山麓 御殿場の地ビールはもはや定番になりつつある。
 こんな気分で飲んでいると 今まで行ったことがないのに 地図上のその地にいるような気分でお酒を味わうのも酒飲みならではのことである。
 こんな状態なので私の食卓の横の棚には全国各地のお酒が並んでいるので、お酒の種類ではなく、「今日は東北」と産地を先に決めることもある。
 アル中なんていう怖い病気もあるくらいで、癖になると怖いのでほどほどにしておかないといけないが、正直 以前と比べればお酒が強くなったと感じるは事実である。
 好きとはいえ いくら飲んでもいいというのではなく、まず 休日であっても昼は絶対に飲まないし(当然か)、夜も一定の時間以降は飲まないと決めているが、結構飲むペースが速いので、夕食が早く9時前に食べ出した時は、11時前にはそのまま食卓に伏し寝て居眠っている時がある。
 我が家はこういった場合でも、「そろそそ自分の部屋で寝たら」というような声は掛けないことになっているので、ふと目を覚ませば 食卓で夜中の2時なんていう日もたまにあり、慌てて自分のベッドに駆け込むこともある。

 お酒に関する今の悩みは、お酒の量がだんだん増えてきていることであるが、周りにいるみんながこれほど奨励し? 持ってきてくれるので酒飲みになるのもやむを得ないと勝手に納得してしまっている。
 ちなみに今日はまずはビールが終わり、次に何にいこうかと考えている中休みの途中であるが、定番の麦焼酎 中々くらいがちょうどいいかなと考えているところである。
 では、まずは氷を取りに行ってきます。
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2022年07月24日

No.789:「遠慮なく顧問料を元に戻してください、もう大丈夫です。」

 先週の勇気づけられた言葉に引き続き、今週もうれしかった一言ということで、観光客や修学旅行先生を対象としたアクセサリーや小さな置物の製作・販売 それにその場で製作の体験教室をされている顧問先との会話を取り上げます。

 2年前 コロナが襲ってくるまではSNSでの宣伝効果もあり、国内のお客様はもちろん それ以外にも外国人観光客も加わり、製作・体験教室は一時は予約も取りづらい状況までになっていた。
 お店(体験教室を含む)は奥様がメインで切り盛りされていたが、今が商機と脱サラされたご主人もそのお店に加わり、個人事業であるがゆえの限界はあるものの、コロナ前の売上は開業15年目にして過去最高を記録するまでになっていた。
 お店は古民家に少し手を入れた程度の京都市北区にあるこじんまりとしたものであったが、コロナ直前の年末には更なる売上アップを図るために地下鉄沿線への進出も検討し、テナント捜しもされはじめ出されていた。
 そんな矢先 年が明けてしばらくすると、誰しもが予期していなかったコロナの大襲来に遭った。
 その後はキャンセルにつぐキャンセルの嵐で売上は前年の8割減となり、お店の経営はもちろんのこと、家の方、つまり家計も大変な状況に陥った。こんな状況なので新たな出店計画も断念せざるを得なかったのは言うまでもない。
 ただ、その後の対応は素早く、まずは国民年金や生命保険の支払い、それに住宅ローンの返済等 支払いが猶予できるものはなりふり構わずその手続きをされた。
 また この状態が長引いた場合も想定し、金融機関から無担保で500万円のコロナ融資も受けられた。
 このように資金の手当ては出来たとはいうものの、3ヶ月経っても一向に客足は戻ってこないので、ご主人は介護施設が運転手を募集しているのを見てすぐに応募、そして採用、あっという間に新しい仕事を始められ、今では送迎の運転手以外に施設内でご自身ができる範囲の他の仕事にも取り組まれている。
 奥様の方もお店は続けながら、空き時間を利用してご主人とは別の施設で介護の補助者としてパートの勤務を始められた。
 そしてその後はコロナは収束することなく、幾度かに渡って押し寄せてはくるが、お二人のがんばりで家計の方は破綻することなく何とか回せるようになった。

 元々人気のあったお店なので今では客足も戻り、今年の4〜6月はコロナ前の水準まで回復するに至った。
 ただ、ご主人はコロナのスタート時に就職された介護施設に継続的に勤務する意思を固められ、現在も勤務し続け 固定的な収入を得られている。
 ご主人は今年の夏は賞与もしっかりともらったということで大そう喜んでおられ、なかなか充実した日々を送っておられる。

 この顧問先はコロナ禍ではここに掲げているような状態に陥っておられたので、この最大の難所を切り抜けてもらうために顧問料を大幅に減額していた。
 3ヶ月に一度面談するという当初からの顧問契約に従い、奥様が先週 4〜6月分の帳簿等の資料を持ってこられ、その折に奥様から次のような話があった。
 「お陰様で客足も戻り、私はその対応に追われ忙しくしていますし、主人も定額収入が確保できる新しい職場で定年までがんばると言っています。万が一の時のために借りた借金も手を付けていなかったのでそっくり500万円返しましたし、固定収入がある分 今までより家計は安定しています。もう心配ないと思いますので、便宜を図って助けてもらっていた顧問料は8月分から遠慮なく元に戻してください。もう大丈夫です。」
 実は顧問料を減額してから2年近く経っていたので、私はそのことさえも忘れかかっていたが、ご自分の方から「顧問料を元に戻してください。」とおっしゃったのには驚いた。
 「本当に助けてもらい、そしてお世話になりありがとうございました。」と言われた時にはなんだか胸が熱くなった。
 私の方もお言葉に甘えた形になるが、迷うことなく顧問料を戻すことに決めた。
 暑い日が続くが、顧問先からの思わぬ一言で久しぶりにいい気分にさせてもらった面談でした。
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2022年07月17日

No.788:80歳の恩師から力をもらった

 昨日の京都新聞に京都マスターズ陸上選手権の結果が載っていた。
 私も長年 陸上競技に取り組んでいた身として、高校や大学時代にいっしょに走った者や誰か知っている人いないかなと思って、何気なく目を通していた。
「いたいた、へ〜 もう80歳か」と私が高校時代 陸上部の顧問だった先生の名前があった。

 〇 80m障害80歳 瀬野弘昭・・京都新、大会新
 そして ずーっと新聞を見ていくと こんな有名人(元オリンピック選書)も載っていた。
 * 100m 50歳 朝原宜治 11秒35・・京都新、大会新
 
 そういえば、この瀬野先生は高校を定年退職されてからも高校の体育教師の時以上に本格的に陸上に取り組んでおられ、年賀状はいつも国際大会で入賞した時の写真だったことを思い出した。
(確か、シンガポールやリオデジャネイロなどあちこち行かれていたな。)

 高校を卒業してから40年以上経つが、その間会ったのは、私の結婚式に出席してくださったのと 10年ほど前 特急電車の中でばったり会ったくらいでそれ以来、年賀状のやり取りだけでお目にかかることはない状態が続いている。
 「よし、今日は勇気を出して おめでとう と電話してみよう」と思い立って、電話番号を検索したが、この先生の携帯電話の番号は登録されていなかったので、登録されている自宅に電話をしてみた。
 数回の呼び出しコールの後、電話に出られ、「廣井増生です。お久しぶりです。」と告げると、「おお、廣井か!」と元気な声が返ってきた。
 新聞で80m障害で京都新で優勝されたことに対するお祝いの言葉を掛けると、「もう一種目優勝してるんやで、立ち五段跳びでも」 となんともうれしそうに2種目優勝したことを話された。
 思い出話も含め、10分近く話した後に、私が「先生、携帯の番号を教えてもらっていいですか」というと、「僕、携帯持ってないねん」とおっしゃった。
 私は思わず、「ほんまですか? 今どき、どんな老人でも携帯くらい持ってますよ。」というと「みんなにそう言われるこど、ほんまに持ってないねん。別に不自由したこともないし。」とこの先生らしい答えが返ってきた。
 昔から、人に惑わされず、好きなことだけをやり通される性格であったが、この携帯電話を持たれないこともこの性格からきているなと勝手に解釈した。

 電話を切った後、本当にお世話になった高校時代のことをいろいろと思い返していたが、
 高校時代は体育教師、そして陸上部の顧問でありながら、(あまり大きな声では言えないが)まるで私のマネージャーのように 国体やインターハイ、それに選抜合宿など全国どこに行くのも田舎者の私の気持ちを落ち着かせる思いもあってかいつも着いてきてくれた。
 インターハイで優勝した時は、私はあまりにもすさまじいレースだったので走り終わった後 しばらく放心状態であったが、瀬野先生は、「わしは廣井にすごいプレゼントをもらったわ。田舎の高校の一体育教師だけど、インターハイチャンピオンを育てた顧問という 京都の陸上界でこの先 大きな顔ができるというものを」となんともうれしそうに満面の笑みを浮かべておられたのを今でもついこの間のことのように思い出される。

 今日は突然電話するのは失礼かなと思いつつ、勇気を出して電話をして本当によかった。
 電話を切る前、「いや〜、何年ぶりかわからんけど、廣井の声を聞いてなんだか元気が出てきたわ。もうそろそろ陸上も引退かなと思っていたけど、もうちょっと練習を続けて次の大会をめざそうという気になったわ。この電話、ほんまに老人を元気にしてくれたわ。」と、こちらにもわくわく感が伝わるような元気な声で話されていた。
 確かに私の電話でこの先生は元気をもらわれたかもしれんけど、私も80代の恩師からとてつもないパワーをもらったような気がした。
 仕事していても家でも ついつい、「もう年だし」とか、「ほんまに最近疲れやすなったし、疲れもなかなかとれへんし」なんて口癖のように言っていたが、この瀬野先生の言葉を聞いて、こんなこと口にするのはまだまだ10年早いわ、いや20年早いわ と思った。
 でも現実的には80までは無理やと思うけどね・・。
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2022年07月10日

No.787:どこもここも財政難

 国も地方自治体も財政的に厳しくなってきている話は皆様方もよく耳にされていることでしょう。
 コロナ前でも厳しい状況であったと思うが、コロナでの莫大な財政支出の後はなおさらアップアップの状態に陥っているというのは、このコロナ関連の支出の大きさから誰しもが想像のつくことであろう。

 会社や家計というある程度 目が行き届く規模なら財布の中身も把握できるが、国や自治体となると規模が大きい分 何が厳しくて、どこにしわ寄せがいくのかわかりずらい面もある。
 医療費や介護サービス、それに子育て世代への支援・援助等は良くも悪くも取り上げられる機会も多く、「また負担増か」とか「こっちも削減されるのか」と比較的わかりやすいが、それ以外の公共サービスの部分は意外と一般の人にはわかりずらい面もある。
 ただ、外出したり、あるいはいろいろな施設を利用したりすると、「もしかして お金がないのかな」と感じられることもある。

 これは財政不足が原因かどうかわからないが、車に乗っていて感じたこととして一例を挙げると、
 観光客や歩く人に優しくということで歩道を広げる工事がいたるところで行われていて、これについてはいい街づくりだなと思うが、車の走る一般道で白い線や横断歩道のラインが消えかかっていたり、見えにくくなっていると感じることがあり、京都市内の幹線道路の一つである五条通もその一つである。
 先日も京都府の北部から国道9号線で京都市内まで戻ってくる途中、京都市内の中心部に入ろうとする片側4車線のところで、車線を示すラインが消えかかっているところがあった。
 夜だったこともあるとは思うが4車線を区切るラインがほとんど見えないところがあり、車が少なかったからよかったもののふと気づけば一瞬ラインをまたいで運転していた。こんなことを言うと交通違反になるかもしれないが、それくらい見えなかったということである。
 数年前まではあちこちに新しい道路(高速道路も含む)ができ、きれいなアスファルト舗装とくっきりとした白いラインがなんとも運転する者にとって気持ちのいいものであったが、最近は気のせいか、白いラインのことだけでなく、くぼんだ道路やアスファルトがつぎはぎだらけになっている道路も今まで以上に目につくようになったと感じている。
 あと、京都市の地下鉄でも竹田駅は上り下りはお互い相手のホームが見えるように対面になっているが、立っていると電車が入ってくるまで反対側のホームの状況がよくわかるが、そのホームの下のコンクリートが見え、じっくり見るとそのコンクリートが欠けているところがある。
 あれくらいでホームが崩れ落ちてくることことはないかと思うが、あれとて本来は何らかの補修が必要ではないのであろうか。

 私はたまたま交通関係のことを取り上げたが、みなさんの日々の生活においてはこういった「国や市はお金がないんやな」と思われることはいくつもあろうかと思う。
 2221年度の国の税収が過去最高という信じがたいニュースも先日耳にしたが、それをもって公共サービスや公共事業等の諸問題を一朝一夕に解決できるわけではないということは誰しもわかっていることである。
 でも こんな時、一体お金はどこへ? と考えてしまうのは私だけではないはずだが・・。
 歳入の見通しが立つのなら、歳出のコントロールでもう少し還元したり、課題となっている問題解決に向けての支出があってもいいように思う。

 こんな話をしていると政治的な匂いもしそうなのでこれくらいにしておくが、今日の参議院選挙の結果がどう出るのか、夜の速報を待つことにしよう。
 私は今回の選挙は先週の日曜日に期日前投票に行ってきたので、今日は投票所に出向くことのない選挙の日である。
 よく、良識ある判断といわれるが、良識のある判断っていったいどういうことなんだろう? これに対してきちんと説明が出来る人ってどれくらいいるのかな、 私も含めて?
posted by ヒロイ at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月03日

No.786:実行しています、34年前に妻から言われたことを 

 今日は朝から強い雨が降っていたこともあり、自宅で自分の部屋にこもって部屋の片隅に積み上げられている「いつかは読まねば」と思っていた冊子や読み物に目を通していた。
 昼ご飯を挟んで午後からも同じようなことを続けていたが、今まで置きっぱなしにいていた量があまりにも多く、全てを読み切ったり片付けたりすることはできそうにないので、途中で気分転換も兼ねて散らかった部屋の後片付けもしていた。
 棚の奥にはかなり古いファイルや封筒もあり、中には私が結婚する前からのものもあり 久し振りに目にする書類を見て「あっ、そうだったな」と思うことがあった。
 そこにあった ○十年前の封筒や書類、それに学生時代に陸上の大会でもらった賞状、それに何度かとり上げられた「陸上競技マガジン」という雑誌等 懐かしいものを順次 手にとって眺めていたが、それらに記されている名前はどれも 今使っている「廣井」ではなく「広井」であった。
*正式には「廣」の中は「黄」であるので手書きの場合には必ず中は「黄」とするが、パソコンではこの文字は変換されないので、名刺や事務所のHP、それに仕事上の書類では「廣」を使用している。
 こんな話と今日のタイトルがなんで結ぶ付くのかと思っておられる方もあるのろうかと思うが いよいよここからが本題なんです。
 私は26歳で結婚するまでは、ほとんど「広井」しか使ったことがなく、学生時代のテストの答案用紙の名前も、就職した時に自分で作ったシャチハタも「広井」であった。
 それがカミさんと結婚した時、カミさんの姓も山ア(山崎ではない)から広井に変わったが、カミさんは「広井より廣井の方がかっこええし、こっちが正式なんだし私はこっち(廣井)を使えわ。」と言って、結婚してから一度も「広井」を使うことなく、「廣井」を使い出した。
 そういえば小学生の頃、親から自分の名前の由来を聞いたときに、漢字(文字)の意味の他に、廣井の「廣」(中は黄)と増生の「増」はどちらも14画だし、二文字目の「井」と「生」も4画と5画ではあるが、どちらも比較的画数が少ない文字なので全体としてちょうどバランスがとれていていい と聞いたことがあった。
 ということで カミさんが結婚を機に「廣」使いだしてから、夫婦で使う漢字が違うのも変だなと思い、それ以来 私も「廣」を使っている(先ほども言いましたが、手書きの時は必ず中は「黄」にしてますけど)。
 たった「廣」と「広」の使い分けだけでここまで話が長くなるとは思わなかったが、もう一つカミさんから言われたことで実行していることがある。
 こちらも結婚して間もない頃、私のひょろひょろとした字が書かれている書類を見て、「字に自信のない人ほど小さく書いてしまうので余計に読み辛くなるんやで。いまさら達筆にと思っても無理なんで、せめて文字を大きく書けばきっとそっちの方が読みやすいし、読む人にも気持ちが伝わってええで。特に名前の小さいんはあかんと思うわ。せめて名前くらいは元気よう大きくないと・・。」と言われた、これも34年前に。
 まるで小学校の書道教室での会話のような話であるが、その甲斐?あってか 今では自筆で署名する時には意識することなく普通に枠いっぱいの大きな文字を書くようになっている。文字の上手い下手は別として。

 こんなつまらぬことを披露して、読んでいる人にとって、「わざわざ、ただの夫婦の会話をこんなところで」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、まあそこはさら〜と流しておいてもらえればありがたいというもんです。
 お忙しい中たわいもない話にお付き合いいただきありがとうございました。
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月27日

No.785:1つの県から1人も参議院議員が選べない?

 少し盛り上がりに欠けるとはいえ、現在 参議院選挙の真っただ中である。
 京都選挙区の定員は2人、お隣の滋賀県は1人であるが1票の格差の是正措置により、1県で1人の定員を配分されない県が4県あり、2県で定員が1人といういわゆる合区とよばれている選挙区がある。
 これは既にご存知の方もあるかもしれないが、鳥取県と島根県、それに徳島県と高知県で定員が1人というものであり、単独の県で選出した国会議員(参議院議)がいないという状態となっている。
 これに対して東京は定員6人となっており、上記の4県では1県当たりの実質定員は0.5人であるので何と12倍に開きがある。ただ、これば有権者の数に差によるものでこの定員こそ平等であるというものである。
 この定数については1選挙区1人の定数である衆議院の小選挙区では、都道府県単位でみると次回の選挙では東京都は現在の25区から30区と国会議員が5人も増え、逆に和歌山県(他にもあるが)では3区から2区となり県選出の衆議院議員は1人削減され、2人となる。
 1票の格差についてもう一度、その意味合いについて確認をしておくと、
*1票の格差とは「同一の選挙において選挙区ごとの有権者数が異なることで投票の価値に不均衡が生じるとされる問題」と定義されている。
 ということで、憲法でいう法の下の平等ともとでは1票の格差をなくすという当たり前のことではあるが、日常的に多くの物事を都道府県単位で見たり、検証したりする機会の多い現在の日本においては、上記の格差の問題は理解できるとはいうものの 逆に何か不平等感が生じているようにも思えてくる。
 コロナによって人口の都市部から地方への流入も見られるとは言っているが、まだまだ都市部、特に首都圏への人の流れは止まったとは言い難いように思うので、そういう意味ではこの国会議員の定数是正はさらに進んできて東京都をはじめとする首都圏の定員はさらに増え、人口がさらに減少する県では定員1名なんていうことも現実に起こりうることである。
 ただ、誰の力をもってしてもこの最高裁判決を覆すことはできないので、ある意味 従しかないのが我が国における選挙制度というものであろう。
 こんな政治の話の時にスポーツの話を持ち出すのは不謹慎かもしれないが、高校野球では昨年の夏の甲子園の都道府県別参加校は2校が参加できる東京都と北海道を除くと神奈川県が176校、大阪府167校で鳥取県は22校であるが、予選の出場校の数に関係なくどこも1校のみの出場枠である。
 国体なんかも都道府県の代表なので、その予選出場の選手数には大きな開きがあるが、ここでは不平等という議論はほとんど聞かれない。

 あと、今日の新聞にもう一つ地方政治に関わる記事が載っていたので紹介しておくと、
 京都市の北隣にあった京北町という田舎町が2005年の京都市と合併し京都市北区となったが、京都市議会議員の中では票数(人口)の少ない京北町出身の議員は一人もいないとのことで、以前 京北町であった時のように町会議員16人を通して地元住民の声を議会で反映するようなことはほとんどできなくなったとのことである。
 この問題は旧京北町だけでなく、市町村合併があった多くの所で同じようなことが起こっているとのことである。
 選挙と言えば、「○○党躍進。○○党伸び悩み」という記事が主体となるが、今回ここで取り上げた議員の数、そして今後の変遷について目をやることも日本の政治を考えるうえで重要なことのように思う。
 
 今日は少し硬い話になってしまったが、選挙の真っただ中にこうした制度の基本的なこと、逆にいえば選挙戦の裏側を知ることも選挙に参加するうえで意味にあることであるように思う。
 自分の選挙区が今後 どう変わっていくのか一度確認して見られたらどうでしょう。
 では、今日はこの辺で・・・。
posted by ヒロイ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月19日

No.784:対面でない難しさ

 2年前から現在に至るまで世の中がコロナ禍という状況に陥ってからは、いかに人と会うのを避けるのかということが日常生活を送る上で非常に重要なテーマとなる局面を何度か経験した。
 「経験した」という過去形を使っているが、決してコロナが収まったわけではないし、完全終息宣言が出せるという状況でもないが、国のいろいろな緩和措置によって人々の動きが活発化してきたことは事実である。

 先日、来年の夏以降 京都で事業を立ち上げる予定のある人と“税理士選び”のための面談があったが、この開業予定の方は現在は勤務先の都合で東京で仕事をされているので、この税理士選びの面談はWebで画面越しでのやり取りであった。
 税理士選びも以前であれば、「〇〇さんから勧められて」といういわゆる紹介によって初回の面談をした後、特に大きな支障がないようであれば 顧問先になっていただき、顧問契約の締結に至るケースがほとんどであったが、最近は2〜3人の税理士と面談した後、いろいろな角度から検討された上で顧問税理士決定される方が多くなってきている。
 昨年、「税理士さんとの面談は5人目です」という方がいらっしゃったが、ここまでくるとこちらも「何が何でもうちの顧問先に」という思いもなんだか薄れていって、「運よくうちにきてくれたら・・。本命の税理士さんが既にいて、うちって単なるダミーかな?」なんて最初から勘ぐりながら面談をしたのを覚えている。
 そんな本音が相手さんに伝わってしまったのか、この時は当然のことながらいい結果がでないということになってしまった。

 時代の流れとはいえ、パソコンの画面を通してのWeb面談というのは内容にもよるがやはり限界があり、対面でないとなかなか分からないこともある。
 対面でない分、マスクを外しての面談は可能であるが、画面の向こうということではなかなか真の表情はつかみきれないケースも多々ある。
 よく知っている方ならともかく、初めての人であれば立った時の姿、座った時の姿勢、そして服装も含めた全体の雰囲気をつかむというのも面談時の重要なチェックポイントのような気がする。
 大きな声では言えないが、大手企業にお勤めされている知人のお嬢さんは出勤はなくとも自宅からパソコンを通しての会議出席となるらしいが、下がパジャマのままで、しかも背景は加工しているとはいうもののベッドの上で上半身だけを起こして、画面を通しての上半身だけの会議出席のようである。
 こんな話を聞くと在宅勤務の是非を論じるということよりも、「いったい、社員としてどうなの?」なんて言う気になってしまう。

 コロナで企業の在り方、社員の働き方も大きく変わろうとして中、数年後にはどうなっているのか 私が注目している会社とその取り組みは、
〇パソナ・・営業、人事部門などの本社機能の一部を淡路島に移し、従業員も1,000人規模で異動させる。
〇NTT・・原則の勤務場所を自宅とし、本社に出向くことは出張扱いで、飛行機での出社も可能で交通費も宿泊費も会社負担。対象者は3万人。

 この2つの会社の取り組み、1年後、5年後、そして10年後どうなっていくのか、羨ましさや興味もあって後追いしていきたいと思っている。
 「本社勤務は花形」なんて言っているおっさんはもはや化石化していくのでしょうか・・・?
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2022年06月12日

No.783:日本語を理解しないと時代に取り残されそう

 まずは、私が最近、この言葉どう解釈していいのかな とか、ただ単に私が頭が悪いがために理解に苦しんでいるだけなのかな なんて思うことがある。
 冒頭からこんな訳の分からないことを言っても私が何を言おうとしているのか余計に分からなくなってしまうと思うので、私が「おやっ?」と思ったり、「う〜ん?」と思っている言葉をまずいくつか例に挙げてみることにする。

○「プロパガンダ」・・特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。
・最近 ロシアのウクライナ侵攻後、報道番組の中で、「軍事作戦に正当性があると主張するプーチン政権による国内向けのプロパガンダは、総体として国民の多くに浸透しているといわざるを得ない。」なんて言われているし、この言葉からロシア国内の状況も雰囲気ではわかるが、日本においてはプロパガンダという言葉が日常的に使われたり、その行為が頻繁に行われているわけではないので 自分の中でも理解はできても頭の中に落とし込められていない部分がある。というのも、これは自分がプロパガンの影響を受けたことがないからなのかもしれない。

○「トリガー」・・銃の引き金。また転じて、物事を引き起こすきっかけ。
・先日も、「・・・がトリガーとなって、夫婦の関係は危機的状況に陥ってしまった」という文章がさらりと載っていたが、私にはこのトリガーという言葉がスーッと頭に入ってこなくて思わず、読み直したり、意味を調べたりしてしまった。

○「SDGs」・・持続可能な開発目標
・今や国策というよりも全世界が取り組むべき目標であるということは一応理解している。17色の丸いバッジをつけている人を時折見かけるし、自治体や会社によっては具体的な取り組みを実行しているところもあると聞くが、ある金融機関の支店長に「付けてはりますね」とスーツの襟の17色のバッジを指さして言うと、その支店長が、「うち(会社)の方針で、付けるように指示されてますねん」と言われた時にはなんだかむなしいというか、がっかりした。だから浸透せんのやなって。
 私もこの17色の意味とかを調べたり、それぞれの取り組み事例を見て行くと 「なるほど」と思うのだが、なんせ分野が多岐にわたり過ぎていて、正直何をしていったらいいのか分からにというのが本音です。
 でも、本当のところいうとこんなことを言っている経営者って失格なのかもしれませんね。恥を忍んで思っていることをさらけ出してしまいましたが。

 本当に言葉って難しいですね? 海外生活の経験のある方は今 日本での使われ方と現地(海外)での使われ方やニュアンスの違いを体感的に理解できるんでしょうが、私のような国内組には、頭の中に ? が付くことが多く、多少気劣りすることもある。

 言葉のこと言っても先述の3つの言葉とは言葉の重みは違うが、仕事をしていて若い人たち(とはいっても40代以下か?)がよく使う言葉で、時代やな と思うものがいくつかある。
 その中でも、「・・・的な感じで」、とか、「・・は、ほぼほぼメドが立ってきました」という、“的”や“ほぼほぼ”なんていう言葉は我々の時代にはなかったような気がするし、私は今まで使ったことは一度もない。
 「ほぼほぼ」も何年か前に日常的に使われるようになった時に 「ほぼ」と「ほぼほぼ」はどちらが完成に近いのかなんてその違いを調べたこともあったが、今や私の周りでは「ほぼほぼ」は完全に日常語になった感がある。

 今日は何が言いたいのか分からないような内容になってしまったし、これ以上言っても同じような話になってしまうので、今日は現代用語についていけないおっさんの愚痴として軽く聞き流しておいてもらえれば結構です。
 でも、仕事をする上では愚痴っているばかりではなく、何事も理解することから始めないといけないのだろうな と多少反省もしながら今日の話はお終いとします。
posted by ヒロイ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする