私は朝 家を出て、夜帰ってくるまで近所の人に会うことはほとんどないが、先週の日曜日に玄関先で単身赴任中の隣のご主人と会ったのであいさつすると、「行ったり来たりで大変です。今月は京都でも用事があるのでほぼ毎週のように戻ってきています」と話されていた。
また、向かいの家の野球をしている小学生と中学生の男の子は夜になるとバットを持って素振りをしていて、帰ってきた私が車から降りると元気よくあいさつをしてくれるし、私もたまに「甲子園行くときは、応援行くし声かけてな」 なんて声をかけることもある。
もちろん誰にでも声をかけるのがいいかというとそうではないのは分かっているが、こういったコミュニケーションをとることって、気持ちがほぐれるというか ちょっとほっとすることがある。
また、近所の人がどんな人かということがわかっているという点でも安心感がある。
休日の朝 たまにカミさんといっしょにワンちゃんの散歩に行くと、犬仲間の多いカミさんは何人もの人に声をかけられるので、「お前 ほんまにいろんな人知ってるな」というと、「お互いワンちゃん繋がりなんで、中には名前も知らん人もいるんやで」と言っていたこともあったが、そんなことどうであれ、それだけ知っている人がいるというのは、ぽぽたん(うちもワンちゃん)さまさまだなと思ってそのやり取りを横で見ている。
中にはコミュニケーションをとるのが苦手な人であったり、決してとりたがらない人もいし、こういった行動をすべてよし とするわけにはいかないが、社会生活するうえではこれも何らかの意味をなしているように思う。
学校、特に大学では長い間オンライン授業が主流となっていたし、会社もリモートワークやテレワーク形式の在宅勤務を導入し、なお現在も継続している企業は、事務系の仕事を中心に決して少なくないように思う。
この形式の良し悪しは別として、私なんかはこれまで育った環境とあまりにも違うので多少戸惑うこともあったが、我が事務所でもコロナの流行期には導入していたので知らない世界ではなくなってきているのも事実である。
ただ、この1、2年の間に進学したり就職した人の中には、在宅での授業や仕事が主流で 出向いて対面でということをあまり経験していない人も結構いるだろうし、こういった人たちの社会への出方って本当に難しいし、大変なだと思う。そうそう、先日 「最近の人って対面の経験が少なく」と一人の人が言うと、別の人は「画面でしっかり対面していますから・・」という発言があったのには驚いたし、「感覚違う」と思わず自分に言い聞かせていた。
日本が世界から大幅な遅れをとっている IT化を進める上では、これはこれでなかなかいい環境ともいえるし、またとないチャンスなのかもしれないが、一定の年齢以上の者にとっては正直まだまだついていけない部分もある。
近所づきあいの話から始まり、途中でとんだ方向へ行ってしまったが、そういえば うちの子供たち3人もマンション住まいなので近所づきあいなんていうのは皆無であろうし、もしかするといつの時代かには“ご近所づきあい”なんていう言葉は死語になっているかもしれない。
それにしても何もかもが過去の経験が通用しづらくなってきているし、中年や老人には段々 住みにくい世の中になっているように思う。
そんな中、朝から結構大きな声で「おはようございます」の声が聞こえる職場って、私にとってはなんだかホッとする場所なのかもしれない。
あ〜、言っていることが古すぎる、本当に困ったもんだ。