2020年02月16日

No668:一大イベントがやっと終わった

 少し大げさな言い方になってしまっているが、実は昨日 大学の陸上競技部 創立100周年の記念式典があった。
 私もOBOG会の役員であるので、約10名で構成される今回の記念式典の実行委員として2年以上前から関わってきた。特にこの半年近くは個別打ち合わせを含めると10回近く会議を重ねてきた。
 来賓、OBOG、現役部員 総勢で550名という出席者の多い式典であったので、正直 今まで携わったいくつかの催しものの中では最もといっていいほどエネルギーを費やした。
 この実行委員のメンバーの他の人は年明け少し過ぎて比較的 時間のとりやすい時期であったかもしれないが、私は一年で最も忙しい時期と重なり、正直 体力的にかなり厳しかったが、そこは元体育会所属の先輩方の下での運営であったので、「私 この時期 忙しいので」なんて言えるものではなかった。
 ここでこんな愚痴っぽいことを言っても始まらないし、何はともあれ 昨日この一大イベントが無事終了したので、あと1ヶ月はまさに本業の確定申告に専念できる身になった というのが今の心境である。

 でも、考えてみれば100周年の節目に居合わせたのも何かの縁というか、こういったことも大変で忙しい役目をさせられたという風に捉えるのではなく、自分たちの企画で500人以上の人を集めて運営するという、またとない機会であったと捉える方が 疲れも残らないというのは本当のところであろう。

 上は90歳近い方から、そして70代となると本当に多くの先輩方に集まっていただけたし、中には車椅子の方、それに杖をついて参加してくださった方も3、4名 見かけた。
 我がクラブが輩出したオリンピック選手6名のうち5名は健在で、この日も5名とも参加で 1964年ヘルシンキ大会に出場された80代の的場先輩はわざわざ和歌山から家族に連れられて京都まで来られた。
 この5名のオリンピアンの中でも 唯一のメダリストである朝原君(北京 4×400mリレー)が壇上で司会者のインタビューに応えていた時は、やはり会場のざわつきも収まり、我々単なる一OBOGもこんな時だけは勝手に“同志”になったようないい気分になれた瞬間でもあった。

 仕事柄、研修会や祝賀会などいろいろな会に出席することもあるが、一つの会を催すのに規模の大小はともあれ、ほんとに準備することがたくさんあるんだなと、今回 裏方にまわって実感した。
 昨日は北海道から沖縄に至るまで全国のあちこちからOB・OGの方々に集まっていただいたが、このパーティーの後は各年代ごとに何十年ぶりかのミニ同窓会があちこちで開かれ、私も自分が4回生の時の1〜4までの4学年で二次会を開催した。
 30年ぶりに会う先輩や後輩もいて、顔を見るだけでは誰かわからない人も何人かいたが、名札の見るなり、『お―、分からんかったわ 久しぶり』といやり取りがあちこちでなされていた。

 正直、やっと終わって一息といきたいところであるが、目の前にある仕事はそんなゆっくりする暇も与えてくれそうにないというのが現実である。
 月曜日からのスケジュールに目をやると、いよいよ確定申告も佳境に入ってきたなというところであり、一服する暇もなく3月中旬まで走っていくしかないなというのが今 自分が置かれている状況である。
 世の中は、“○○ウイルス”一色の様相を帯びてきているが、油断はしないにしてもできる予防はしっかりとして、何とか健康でいられるよう願っている。
 まあ、忙しいさなかではあるが、今回の内容を書くことで100周年から確定申告にチェンジする機会にしたいし、しなければならないそんな区切りの夜である。
 では・・・。
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2020年02月10日

No667:予期せぬこと


 今、どこへ行ってもコロナウイルスの話題ばかりであるが、このことって発生原因は1ヶ月前にはあったのかもしれないが、少なくとも日本では正月頃には誰しも予期もしていなかったことである。
 それが今や我が国でも中国人の入国制限の他に日本からの渡航制限や空路の減便などあらゆるところで大きな影響が出ている。
 今後のことは予測できないが、夏の東京オリンピック・パラリンピックはどうなるのかという不安の声まで出だしている。
 全く予期しなかったことということで言えば、次元が違うかもしれないがスポーツの世界でいくつか想定外のことが起こっている。
 少し前のことであるが昨年の2月に水泳の池江里璃花子選手が白血病と診断されたのも衝撃的であった。
 明るくて天真爛漫でありながらとにかく強い選手でもある池江選手はリレーを含め16種目の日本記録を持ち、東京オリンピックでの活躍を本人はもとより我々日本国民も楽しみにしていたがそれはお預けとなってしまった。
 そしてもう一つ、東京オリンピックで金メダルの有力候補にあがっていたバドミントン世界ランキング1位の桃田選手の交通事故の一件。その車の運転手は死亡したにも関わらず桃田選手は一命をとりとめたとはいえ日本に帰国後、数日たってから右目の眼窩底骨折が判明したというニュースが昨日になって飛び込んできた。
 他にも予期せぬことはもっとあるのだろうが、今回 例を挙げたこれらのことは当事者はもちろんのこと、周りの者も報道で知るまでは全く予期していなかったことである。

 予期せぬことであっても楽しいことやおめでたいことなら心もウキウキするが、逆であれば不安になったり暗い気持ちになるものである。
 仕事の中でも、人生の中でもこの予期せぬことにどのように対応できるか、いかにして潜り抜けるかが人間の強さを示すバロメーターともいえるであろう。
 何かあると落ち込んだりヘナッとなってしまう自分と、これをなんとか乗り越えないと思う自分があることも、一歩引いて自分を見つめてみると両面を持ち備えているなと思ってしまう。

 今日も何が言いたいのか分からなくなってきているが、何事にも対応できる人間こそが “大きな人“なんだろうなと思ってしまう。
 毎日の生活にしたって予期せぬことの連続で朝に描いていたとおりに一日が終わることなんてほとんどないというのが現実であるが、これって逆にとらえれば“予期せぬこと”があることが日常であると思えば気が楽にあるのかもしれない。

 日曜は朝から雪が降っていたが明日の朝はどうなんだろう。やっと冬らしくなってきたとはいうものの・・。
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2020年02月02日

No666:憧れる“私鉄の社長兼税理士”

 税理士業、税理士業界にとって一番忙しいといわれる確定申告期が直前に迫ってきた。
 我々税理士も毎年2月上旬から3月初旬にかけて税理士会の各支部単位で開催される確定申告の地区相談会に応援に行くことになっており、私も2月12日に当番が当たっている。実は今年からは5支部合同開催となった。
 忙しいさなかのことで、正直 時間的にはかなり厳しいが、ここでは自分の事務所の顧問先ではなく、一般市民というか、一般の納税者の方々からのいろいろな相談に応じたり、申告書の作成方法を説明することになるが、これはこれでいつもと違って新鮮な気持ちになる。
 基本的には税理士と顧問契約をされていない いわゆる素人さんばかりなので、たまに「えっ?」と思うような質問をされることもあるが、顧問先の方とのやり取りと違って、ある意味 自分も世の中の役に立っているのかもと感じることができる日でもある。
 当番の日はほぼ1日張り付きになるので、行くまでは結構気が重いが 当日その場に立つと結構必死になって質問に答えているのには自分でも不思議に思えてくることもある。ただ、夕方 終わった時にはそれはもう かなり疲れきって、ぐったりしている。
 税理士は通常は顧問先の方のために仕事をし、こういった時期には一般納税者のために本業の税務・会計に関わる仕事をしているが、先日ある雑誌で見たのは千葉県の税理士が税理士業以外にユニークな仕事をされていることが紹介されていた。ユニークといってもその仕事は非常に責任のある仕事で、それはあるローカル私鉄の社長業である。 
 旅行、鉄道、地図という言葉には目がない私にとっては何とも羨ましいが、赤字の銚子電鉄(千葉県)をなんとか存続させるために経営改善をするという非常に責任の大きな役割を担っての就任である。
 歳は私と同じ57歳であるが、税理士としては500社もの税務申告も行っているというから私なんか足元にも及ばない。
 そしてなんといってもすごいのが、2016年に電車の運転免許を取得し、自ら電車の運転もできるという 税理士、社長、そして電車の運転士という何でもござれという人物である。
 私も小さい時から鉄道大好き少年で、子供が小さい頃は子供そっちのけでプラレールにはまり、次は子供が持っていた“電車でGO”というテレビゲームにもまった時期があった。
 怪しげなおっさんと思われるのであまり大きな声では言えないが、電車の先頭車両から二本のレールを見るとぞくぞくするし、今でも私鉄では先頭車両に乗って横目で前を見ていることもある。決して、運転手の後ろに立って前方を見たりはしていませんが・・・。

 今日はこうして税理士業の傍ら(この場合税理士業が副業かも?)、やってみたい仕事をしている同年代の人の生き方が羨ましくもなったのでとり上げてみた。
 ただ、こういった赤字ローカル線の社長業はそう楽しいことばかりではないというか、楽しいことなんてほとんどないのかもしれない。
 我々は“税理士”という資格というか冠を被っているが、税理士という資格に関係なく一経営者になった場合(普通の社長はほとんどそうであろうが)、果たして経営は傾かずにやっていけるのか、経営手腕はどんなものなのか自分でも疑問符の付くところではある。
 そういう意味で税理士でなくても会社の経営できるような人物こそが、顧問先の経営相談にのれる頼りがいのある税理士なのだろう。
 税理士は税の専門家でいいと思うが、税理士“業”は税の知識以外に企業家をより良い方向へ導く能力が必要であるように思う。

 まだまだ、学ばないといけないことは山ほどある、そんなことを感じた銚子電鉄社長兼税理士の話であり、自分でも少し憧れる同年代の生き方を記したものであった。
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2020年01月26日

No665:24時間営業の店が減っていく世の中って・・?

 先日ファミリーレストランのすかいらーくが「24時間営業を廃止する」という記事を見て、驚きよりも、「当然では」 と妙に納得してしまった。
 家から車で5分程の所にもロイヤルホストとフォルクスがあるが、ロイヤルホストは24:00、フォルクスは24:30 が終了時間との表示があり、今は夜中はやっていないんだと思ってみていたが、確かに平日は夜10時以降になると停まっている車も少なく、ガラス越しに見える店内のお客さんもまばらというか、1、2組だけではいう日も結構ある。
 何かのデータに基づいて言うわけではないが、この状況は時代とともに変わってきているように思う。
 というのは今から20〜30年前はいろいろな業種において深夜営業は当たり前であったし、そもそも京都の街自体に今以上に活気があり、今のように外国人でごった返すのではなく、どこへ行っても若い人、特に学生がもっと街中に溢れていたように思う。
 当時も今と同様 学生バイトは盛んであったし、生活のためにバイトする学生もいたが、中には遊びのお金欲しさにバイトする人も結構いて、パチンコ、麻雀、ビリヤード、そしてボウリングに映画という遊ぶ所には多くの若い人の姿があった。
 左京区の高野(現在の洛北カナート・・年末から洛北阪急スクエアに変更)にはスケート場もあり、大学時代には日曜日に岩倉グランドで練習が終わった後、「ちょっと滑りに行こか」といって下手なスケートをしに行ったこともあったし、横でボウリングをして帰ったことであった。
 その当時と違って、今は若年人口が減ったこと、つまり少子化の影響もあって当然のことであるが、私の若い頃と違って“暇があれば遊んでいる”若い人たちは確実に減ってきているように思う。みんな部屋にこもってゲームしているからなのかな?
 そういう流れの中で夏の一時期を除いては、夜 特に夜中まで遊ぶ若者の姿はほとんど見かけなくなり、それ以外の季節は10数年以上も前から“引き(帰り)”が早いなと感じていた。
 コンビニの年中無休と24時間営業への問題提議に端を発した、サービス業の営業時間の見直しはますます拍車がかかるのは当然の帰結であろう。
 学生時代は遊び疲れてお腹がすくと夜中にコンビニや牛丼屋に数人で真夜中の腹ごしらえに行ったことが今や遠い過去のことであり、今の時代には受け入れられにくい行動なんだろうなと思う。
 ただ、よく考えてみると人出(労働者)不足や採算面で悪化傾向にある店も多くなってきており、今や店が客に合わすだけの体力は店側にはなく、客が店に合わせて行動する時代に入ってきているように思う。
 家の近くに人気のそば屋(よしむら北山楼)があり、休日の夜たまに食べに行くが、ここは21時で店が閉まるので、これに合わせて行動せざるおえないし、遅くまで開いてる店でないので、客である我々が店の営業時間に合わせることで より計画的に行動するようになり、今まで以上に時間も効率的に使うようになる。

 今の時代の人からは想像できないかもしれないが、我々が社会に出て数年後、平成が始まった頃は、栄養ドリンクのコマーシャルも過酷なものが多く、「5時から男のグロンサン」とか「24時間戦えますか(リゲイン)」なんていう、今の時代なら、一発で アウト! になってしまいそうなキャッチコピーが受けた時代でもあった。

 働き方改革の波が時代を引っ張っていっているような現代社会においては、ある意味 「早寝早起きで時間を有意義に使う」というのが一番ぴったしのようにも思う。
 これからは我々も経験したことのないような少子化、そして、人口減少へと向かっており、客だけでなく労働者(働き手)の不足も予測される中、事業を継続するにはこの両方の確保が不可欠という、非常に難しい時代に突入している。
 経営者はこのことを認識し、素早くそれに対応できた企業・事業所だけが残っていくことができるような気がする。
 本当に厳しい時代に生きなければならない中で、高度成長期に生きてきた親世代を羨ましく思うと同時に、我々の子供たちの時代にはいったい日本はどうなっているのか想像さえもできないほど、時代の流れは速く、世の中を取り囲む状況がどう変わっていくのかもわからない。
 私自身、少し大げさかもしれないが、これからは「先手必勝」が打って出れる事業所だけが残れるのではと思い始めている。

 何気なく書き出したが、休日の真昼間にしては結構重い話になってしまいました。
 では、いい休日の午後をお過ごしください。
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2020年01月19日

No664: 締まりのない冬

 今年は超がつくくらい暖冬で非常に暮らしやすい冬である。
 私は何とも“締まりのない冬”だなと思っているが、この“締まりのない”というの言葉からは、まず“締まりのない体(からだ)”というぶよぶよな体形を想像してしまう。
 つまり、引き締まるところが引き締まっていなくて、全体的にだら〜とした感じで、太り気味っていう そういう体型である。
 今年の暖冬とぶよぶよな体形を結びつける私もどうかと思うが、要は寒くならないといけない時期にはやはり寒くならないと人間に緊張感がなくなりピリッとしないということである。
 私自身 決して寝不足ではないはずだが、例年以上にあくびの回数が多く、昨日も夕方にカミさんと犬の散歩をしている途中に私が何度もあくびをするので、「そんな眠いんやったら、わざわざ散歩にこんでもいいのに。家に帰って寝といたら。も〜、あくびばっかしして。」と言われる始末である。

 冬の寒さは雪国育ちの私にとっては人以上に敏感であるし、子供の頃は今ほど十分な暖房設備が整っていなかったので、冬は早めのお風呂に入った後は、掘りごたつに体ごとすっぽり入り、寝るまでの間に体を冷やさないようにし、寝る時間になるとそのまま あんか(こたつ)の入った布団に潜り込むようにして眠ったものである。
そんな寒い夜の翌朝は必ずと言っていいほど外が銀世界で、父が早くから起きて通学路の確保のために雪かきをしてくれたものである。
*ちなみに私の実家の方では「雪かき」とは言わずに、「雪すかし」と言っていた。


 話が横道にそれた感はあるが、この凍てつくような寒さの中でいかに生きていくのか、どのようにして寒さを乗り切るのか それは大人だけでなく子供にも年齢に応じた冬対策、雪対策というのがあり、いろいろと頭をひねったものである。
*思い出話:雪の中で遊んで中まで濡れた靴を掘りごたつの中に入れておくと数時間後にはパリパリになるくらい乾いていた。これって雪国の人、しかも50歳以上?の人以外は何のことやらって思うだろうけど。すみません、余談でした。
 その後、高校卒業後に京都市内に出てきてからは大雪にあうこともほとんどなくなったが、それでも、冬になると寒さ対策を毎年いろいろと考えながら生活している。
 厚手の下着やコートなど防寒用の服装をはじめ、雪の多い方面に仕事で出向く日の前日には、いつもより入念に天気予報や高速道路の状態をチェックするなど、冬ならではの準備というものがある。
 それが今年はほんとに冬なのかと思う日が続き、今日も午前中に気分転換を兼ねて事務所の近くにある京都御所を散歩していると、まるで秋のようでコートこそ手放せないが、昼前まで1時間以上歩いているとマフラーが邪魔に感じてしまうほどの天気であった。
 冬は冬らしく、夏は夏らしいのは人間にとっては一種の苦痛かもしれないし、それが極寒であったり、猛暑であったりすればなおさらであるのだろうが、そういった時期があるからこそ、穏やかな春や秋が待ち遠しく、春と秋がより一層いい季節であると実感できるのだと思う。
 私は決して寒い冬を望んでいるわけではないが、今年のように異常ともいえる暖冬では、ついついもう少しピリッとするような冬であってもいいのではと思ってしまうし、もしかするとその方が緊張感が高まり日々何かとことが進むのかもしれない。
 ただ、本当に寒くなると「何とかしてこの寒さ」と思うのあろうが・・。
 
 今日は暖冬に関してもよもやま話につき合っていただきありがとうございました。
 *1月23日(木)の予想最高気温はなんと15℃です。
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2020年01月12日

No663:人を助けることもしづらい世の中

 私自身が人に対して優しくしたり、親切にしたりする気持ちを他の人以上に強く持っているかと問われると、正直、首をかしげざるを得ないというか、まあ人並みというのが正直なところであろう。
 これからする話はこんな私が偉そうなことを言えた立場ではないのはわかっているが、普段、考えていることやなぜ?と思っていることを綴ってみる。

   先日、2018年 新幹線の車内で刺されるのを止めに入った人が刺殺された事件の初公判があり、犯人に無期懲役が言い渡されたのを新聞で読んで、何で赤の他人が殺されなければならないのか、さらに軽傷だったとはいえ、その場で刺された2人の女性が刺されないといけない何かがあったのか? もちろん何もあろうはずがない。
  人のためにとった行動ということをあらためて考えてみると、これほど痛ましい事件に至らなくとも、電車で足を組んでいる人に注意したら後をつけられたとか、道いっぱいに広がって歩いている学生に「道 あけて」と声をかけると睨みつけられたとか、日常的に怖くてやばい話はいくらでもある。
  先日もタバコを吸いながら歩いている人が赤信号で立ち止まった時に タバコを手でつまんで側溝に捨てていたので、「それはないやろ」と思ったが、ややこしそうな雰囲気のおっさんだったので見て見ぬふりをしてしまった。
  ちょっと睨まれるくらいならまだしも、追いかけられたり、あげくの果てには刺されるようなことがあってはと 注意したり、止めに入ったりすることすらできないのが今の世の中である。

 いつからこんな世の中になったのか、私が子供の頃なんかはちょっとしたいたずらしようものなら、他人のこどもであっても怒鳴りつけるおじいさんが近所にいたが、別にそのおじいさんのことを懲らしめようとか思ったことは一度もなかった。学校の帰り道に塀によじ登って、他人様の柿をとって食べようとして怒鳴られたのだが、このおじいさんは考えてみるともう40年程前に亡くなっているが、今でも「こらっ」と怒鳴りつけている時の顔が頭に浮かんでくる。別に憎んでもいないし。

 上で述べたこととは少し種類の異なる話であるが、先日 名城大学の学生が准教授を刺した事件も、レポートの提出が期限に間に合わないことを謝罪しに准教授を訪ねたが、単位をあげないと言われ腹が立って刺したらしい。逮捕後に「単位がもらえないなら刺そうと考えた」と言っているのを見て、物事には最低限のルールがあり、そのルールを守らなければだめな事だって当然あるし、その後の処罰(この場合には留年?)が嫌なので何とか期日内に提出するように徹夜してでもするというのが世の道理というものであろう。ただ、この“世の道理”というのが通用しないのが現代社会でもある。
 学生時代に“明日が期限”というのを何度乗り越えてきたことか。自慢できる話ではないが・・。
 大学に限らず、中学、高校の先生もこんなことが日常的に起こるようになれば、まさに命がけの職業と言わざるを得ない。
  本当に今の世の中、いつからこんな風になったのか、憂いても仕方ないのか?私の考え方が古いのか?

 休日にこんな重苦しい話で終わるのもどうかと思うので、最後に身近で起こったちょっとうれしくなる話を一つ。
 先週、事務所の者がタクシーから降りるときに料金を支払った後、急いで降りたので座席に財布を落としたが、そのタクシーが個人タクシーで領収証ももらわなかったので、会社名もわからずお手上げ状態であった。しかし、届け出ていた警察から2日後に見つかったと連絡があった。免許証も保険証も鍵もそのままの状態で。
 私も今回だけは出てこないのではと思って見聞きしていたが、きちっと本人のところへ戻ってきたのを見ていると、人間ってまだまだ捨てたもんじゃないな とちょっとだけ明るい気持ちになった。
 私の事務所の者で財布を落としたのは、ここ2、3年で今回も含め3人目であるが、3人とも無傷で本人の所へ戻ってきている。
 これって運がいいのか、世間の人がいいのか? 
 ただ、どちらにしても落としすぎやけどね、うちのメンバーは。
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2020年01月05日

No662:東京からやってきた3人と過ごしたお正月

 お正月も終わり いよいよ新しい年も始動というところかと思いますが、みなさまのお正月はいかがでしたか。
 私共の顧問先はクリニックが多く 1月4日の土曜日から診療を開始されているところも結構あると聞いているいるので、既に新年最初の業務のスタートを切られている方もあるでしょう。
 毎年、なぜ、年末年始にこれだけ人が移動するのか? と思いながらテレビに映るUターンラッシュを見ているが、その映像は「大変そう」と思わずにはいられないような混雑ぶをりで、こういった中を実は我が家の長男夫婦と次男が東京から来て、そして東京へと帰っていった。
 長男は年末には奥さんのお母さんの実家がある新潟へ、そして年始は京都へ そして仕事が始まるからと昨日に東京へ帰って行ったが、実家が遠くにあるというのは、そうでない人にとっては「楽しそう」と見えたり、中には「羨ましい」という声を聞いたこともあるが、帰省する側も若いうちはいいが年々歳をとってくると この年中行事も大変になってくるのだろうなと帰省を強制されない自分自身の身軽さに今となってはホッとしているというのが正直なところである。
 ただ、自分が親となり迎える側になってみると年に1、2度しか会う機会がないので、会いたいという気持ちが出てくるのも正直なところである。
 私は独身の頃はそれほど実家には帰らなかったが、結婚した後は 親が「いつ帰ってくるんだ?」と12月の半ばになるとよく電話をかけてきていたが、今となっては子供の帰りを待つ親の気持ちが分かってきたような気もする。
 私自身の年末年始は宝くじに当たることもなく(買ってもいないのにあたるはずもないが)、例年どうり年賀状に目を通したり、家から歩いて行ける松ヶ崎大黒天に初詣に行ったくらいで東京から来た3人とのゆっくりとした時間を過ごした。

 不思議なものでなぜか3人とも京都で必ず行きたがるのがラーメン屋さんで、長男夫婦は2泊した滞在中には行く機会がなかったようだが、最後の締めとして新幹線に乗る前に腹ごしらえということで京都駅付近でラーメンを食べて、大混雑の新幹線の自由席に乗り込んで行ったらしい。
 あと、長男夫婦は奥さんが京都での正月は初めてのようで、八坂神社への初詣の後、奥さんが登ったことのない京都タワーに行こうということになったらしく、八坂神社から京都タワーまでフラブラ歩いて行ったことを聞いて少したまげていた。
 次男も年末に京都に戻ってきたときから、「ラーメン食べとかんと」と言っていたので京都で滞在している間に2回も私がつき合って食べに行った。その内 1回は二人とも大好きな「しもがも担々麺」であった。
 子供たちは3人とも仕事をしているのでなかなかいっしょに会う機会もないし、今回もそれぞれいろいろと予定があって、京都の自宅にいる3人を含め6人揃って食事に行く機会は一度もなかったし、次男は4日と5日は東京の友達との予定があると言って、長男と入れ替わるように1月3日の朝早く帰って行った。

 こんなお正月であったが、東京から3人が我が家にやってきて、「お久しぶり」とぽぽたん(我が家のワンちゃん)の相手をするのはいいが、実は人間に愛想をふりまくぽぽたんが一番疲れたようで、東京組が帰った後は時間構わず気がつけば眠っていた。
 
 ある意味 平凡なお正月であったが、年末に温泉に行った以外はバタバタせずにほとんどの時間を自宅で過ごせたお正月は英気を養うのにはちょうどよかったのかもしれない。

 我々の業界はこれから2ヶ月半ほど超繁忙期を迎えるが、体調を整え過ごしていきたいと思っている。
 あらためて 残りの稼働日数が少ない1月のスケジュールに目をやると 例年のことではあるが厳しそうな現実が迫ってきていることをじわじわと感じてしまう休暇最終日の夜である。
 明日の朝は起きるのつらいやろな。
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2020年01月01日

No661:謹賀新年

 あけましておめでとうございます

 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートを切らせていただきます。
 以下、事務所の年賀状より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
謹賀新年  
 旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます
 今や人生100年時代と言われつつある中、自分自身が現在 人生の中でどの時点に立っていて、人生はあと何年残されているのかというのは誰しも予測がつくものではありません。
 そんな状況で自分が今何歳であったとしても「もう〇〇歳だから・・」と考えるのは自ら前進することを妨げ、成長の芽を摘んでいるようなものです。
 逆に「まだ五合目だから・・」とか「まだ いける」のように「まだ」という言葉には未来に向けての可能性を含んでいます。
 そんなことを考えている時に目に飛び込んできたのが、84歳の現役プログラマーである若宮正子さんの次の言葉です。

『人生にもう遅いはない』

 この言葉は自分がいくつであろうとも まだ何かができるのでは と期待を抱かせてくれます。
 私自身はもとより事務所のメンバーもこの一年間 「もう・・」ではなく、「まだ・・」という気概を持って何事にもチャレンジし、皆様とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

 令和2年 元旦 

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
       廣井増生
URL:http://www.tax-hiroi.com  Tel:075-406-7020 Fax:075-406-7025
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2019年12月23日

No660:社員の正当な評価ができる経営者

賞与の時期になると顧問先の社長や院長から、「この冬、他のところはどれくらい賞与を払っておられますか? 例年と比べてどうです?」、「よく 世間相場っていう言葉が使われるけど、世間相場って基本給や毎月の給与の何ヶ月分?」、「今期、過去最高の利益になりそうだだけど、例年と比べてどれくらいアップすればいいんだろう?」、逆に「業績がここ数年低迷してるけど、賞与って削れるの」と 他の会社やクリニックという周りの同業者と比較しての結果を教えて欲しと という相談が非常に多い。
 他と比較するのは自分のところは出し過ぎなのか あるいは 見劣りするのか等 経営者は常に他と比較するという手法で、賞与や昇給の額を模索・検討したいという気持ちの表れであろう。

 ここまではよくある話で質問があっても気にならないないが、聞いていてそれちょっと問題あるで?とか その判断や決定って大丈夫? と思うような相談もたびたびある。
 もう少し具体的にいうと、「〇〇君、最近がんばってくれてるんで今度のボーナス うんとはずもうと思うんだけど いいかな?」とか、「〇〇さん、最近ミスしたんで賞与をカットするつもりだけど・・。」というような個別・個人的な評価についての相談もある。しかし、これって実際いっしょに仕事をしているわけではないので評価のしようがないというのが本当のところである。
 上記の二つの事例で問題だと思うのは、“最近”という何とも気になるキーワードが使われているという点である。
 賞与や昇給というのは、“最近”がんばったから上がるのではなく、恒常的、安定的に能力があアップしたという点に着目して決定すべきものである。
 歩合給とか出来高制であれば数字で結果が表れるのでその数字のまま評価をすればいいのだが、こういった数的根拠もなく、目の前に事だけで評価するということは、決して正当な評価とはいえず、かなり偏った評価になっている事例を目にすることもあり、経営者としては問題ありと言わざるを得ない。
 ただ、半年とか一年という一定の期間の評価ではなく、目の前のここ数ヶ月間だけのことだけで評価してしまう経営者や院長は現実としては結構ある。  
 経営者がこんな評価姿勢であれば、“最近”いい事をした人は賞与が増え、“最近”経営者の気に障ることの原因をつくった人は賞与が下がるという とんでもなくいびつな、“最近”の動きだけでの評価が決まることになる。賞与や昇給の評価というのはもう少し長いスパンで人物を評価し、それを金額に反映させるものであると思うのだが。つまり、賞与や昇給の直前だけでの評価は正当な評価とはいえない場合が多いであろう。
 たまに聞くが、賞与の前や昇給の時期になると急に張りきりだしたり、今までしなかった仕事を急にやりだしたり、目前に迫った賞与を獲得するために経営者(院長)のお気に入りになろうとする、そういった はたで見ていてなんとも不思議と思う光景はいく度となく見たり聞いたりしたことがある。みなさまもお分かりであろうがこんなのはまさに最悪のパターンである。

 決して私も人のことを偉そうに言える経営者でないが、経営者である以上はこういった悪い事例も頭に入れながら、社員を正当に評価する能力を磨きたいものである。
 時には自分にとって心地よくない気持ちにさせることがあっても、それが顧問先のためであったり、自社を成長させるために不可欠のことであればそういった意見にも耳を傾けるだけの度量が必要である。
 経営者の中でも小規模の会社やクリニックの経営者は“自分にとって”という観点だけでなく、得意先(患者様)や従業員のためにという視点に立って物事を考えられるかどうかがいい経営者とそうでない経営者の差であるように思う。
 私は職業的にいろいろな経営者を見ることができるという点で、こういったことを自分のところに当てはめながら事務所の運営ができる非常にいいポジションンに立ちながら仕事ができている。
 「決して自分にとって心地の良いことだけで判断しないように・・・。」ということを肝に銘じながら。
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2019年12月15日

No659:箱根駅伝に出れない山梨学院には特別の思いがある

 箱根駅伝がお正月の風物詩となって久しいが、年明けの1月2、3日に行われる今回の箱根駅伝で少し寂しいことがある。
 とはいっても今回の話題は箱根駅伝だけでなく、古くからの陸上競技関係者しか興味を引く話ではないので、関心のある方のみお付き合いいただければと思っている。

 40年程前は箱根駅伝がまだテレビで放映されておらず、早稲田の瀬古利彦の快走を当時高校生(大学生?)だった私は自分の部屋のラジオで聞いていたという 長きにわたる箱根ファンであるが、その私が今年はぽかんと穴の開いた気持ちになってしまっている。今日はそのことについて綴ってみることにするが、今の時点ではいったい何の話? と思われている方もあるだろう。

 それは33回連続出場を続けていた山梨学院大が予選会で17位(10位までが本戦に出場)となり、お正月の本番に出場できなくなったということである。
 この山梨学院大というのは、今や多くの大学が受け入れている外国人ランナーを早くから(もしかすると第1号かも?)受け入れ、無名であった大学が箱根で戦えるチームとなり、一躍有名になったことでも知られている。
 実はこの山梨学院駅伝チームを強くした最大の功労者は今なお指揮をとり続けている上田誠仁監督である(今年、駅伝監督のみ交代されたが、現在もなお総監督である)。
 上田監督は、私より4つ上で、高校の時は尽誠学園(香川県)でインターハイ、国体、そして高校駅伝に出場して活躍したが、身長が低かったために当時 大学での活躍に疑問視する声もあった。ただ、順天堂大学へ入学した後は並々ならぬ努力の結果、学生陸上界を引っ張るまでの選手になり、そして当時、箱根駅伝でも華々しい活躍を見せたのである。
 この上田選手は大学卒業後は、確か地元 香川県の高校教師をしていたが、20代半ばでこの山梨学院大の陸上部の監督に就任している。
 就任の経緯は知らないが、山梨学院といえば、当時は「聞いたこともない大学」であり、当時大学で陸上をしていた私も 「一体、上田は何がしたいんやろ、わけわからん、あれだけ有名な奴が」と思ったのを記憶している。
 その後、情熱あふれる指導のもと、就任3年目で山梨学院大を箱根駅伝初出場へ導き、後には3回の優勝も成し遂げている。
 しかし、ここ数年は早稲田をはじめ東京の名の通った青山学院、明治や強豪と呼ばれる東洋、駒澤、東海などに選手が流れ、10位以内のシード権を獲得することすらできず、やっとの思いで予選会を勝ち抜き、33回連続で本選出場を果たしてきていた。
 それが今回予選会が突破できず、お正月の箱根駅伝へ出場することができなくなった。
 これはかなりの陸上通しかわからないであろうが、伴走車から聞こえる選手を励ます上田監督の声は熱血漢そのものの厳しい大きな声であるが、かける言葉は本当に選手思いで、山梨学院大学陸上チームを作り上げてきた暖かい人間性というか、懐の大きさを感じるような励まし方であった。
 これが今年の箱根駅伝で見れない、聞けないというのは40年来の箱根ファンとしてはとても寂しいことである。
 以前は早稲田の瀬古監督、最近では青山学院の原監督を知る人は多いと思うが、今の箱根駅伝の盛り上がりの基礎を作ってきたのは、私はこの上田監督でないかと思うくらいほれ込んでいた監督である。
 この上田監督、そしてあのブルーの山梨学院が出場しないのは残念で仕方がないが、またこの上田監督の人柄と指導方法に惹かれる選手が集まり、山梨学院が箱根に戻ってくることを願っている。

 こうなると今年の箱根駅伝は何にスポットを当ててみようかなと現在思案中である。
 こんなことを考えているとスポーツは陽のあたる本番だけでなく、そこまでの道のりにも数々のドラマがあるんだなとあらためて思った。

 今日はかなりマニアックな話になってしまったが、上田監督のファンであったので触れずにはいられませんでした。ちょっと熱くなってしまいましたが・・・。
 最後に上田監督が言った好きな言葉を掲げて今日は終わりにします。

 『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ』
posted by ヒロイ at 19:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする