2022年10月23日

No.802:近所づきあいって

 今どきの人にとって近所づきあいというのは、プラスの面よりマイナスの面の方が目につくと思っている人の方が多いような気がする。
 私は朝 家を出て、夜帰ってくるまで近所の人に会うことはほとんどないが、先週の日曜日に玄関先で単身赴任中の隣のご主人と会ったのであいさつすると、「行ったり来たりで大変です。今月は京都でも用事があるのでほぼ毎週のように戻ってきています」と話されていた。
 また、向かいの家の野球をしている小学生と中学生の男の子は夜になるとバットを持って素振りをしていて、帰ってきた私が車から降りると元気よくあいさつをしてくれるし、私もたまに「甲子園行くときは、応援行くし声かけてな」 なんて声をかけることもある。
 もちろん誰にでも声をかけるのがいいかというとそうではないのは分かっているが、こういったコミュニケーションをとることって、気持ちがほぐれるというか ちょっとほっとすることがある。
 また、近所の人がどんな人かということがわかっているという点でも安心感がある。
 休日の朝 たまにカミさんといっしょにワンちゃんの散歩に行くと、犬仲間の多いカミさんは何人もの人に声をかけられるので、「お前 ほんまにいろんな人知ってるな」というと、「お互いワンちゃん繋がりなんで、中には名前も知らん人もいるんやで」と言っていたこともあったが、そんなことどうであれ、それだけ知っている人がいるというのは、ぽぽたん(うちもワンちゃん)さまさまだなと思ってそのやり取りを横で見ている。
 中にはコミュニケーションをとるのが苦手な人であったり、決してとりたがらない人もいし、こういった行動をすべてよし とするわけにはいかないが、社会生活するうえではこれも何らかの意味をなしているように思う。
 学校、特に大学では長い間オンライン授業が主流となっていたし、会社もリモートワークやテレワーク形式の在宅勤務を導入し、なお現在も継続している企業は、事務系の仕事を中心に決して少なくないように思う。
 この形式の良し悪しは別として、私なんかはこれまで育った環境とあまりにも違うので多少戸惑うこともあったが、我が事務所でもコロナの流行期には導入していたので知らない世界ではなくなってきているのも事実である。
 ただ、この1、2年の間に進学したり就職した人の中には、在宅での授業や仕事が主流で 出向いて対面でということをあまり経験していない人も結構いるだろうし、こういった人たちの社会への出方って本当に難しいし、大変なだと思う。そうそう、先日 「最近の人って対面の経験が少なく」と一人の人が言うと、別の人は「画面でしっかり対面していますから・・」という発言があったのには驚いたし、「感覚違う」と思わず自分に言い聞かせていた。
 日本が世界から大幅な遅れをとっている IT化を進める上では、これはこれでなかなかいい環境ともいえるし、またとないチャンスなのかもしれないが、一定の年齢以上の者にとっては正直まだまだついていけない部分もある。

 近所づきあいの話から始まり、途中でとんだ方向へ行ってしまったが、そういえば うちの子供たち3人もマンション住まいなので近所づきあいなんていうのは皆無であろうし、もしかするといつの時代かには“ご近所づきあい”なんていう言葉は死語になっているかもしれない。
 それにしても何もかもが過去の経験が通用しづらくなってきているし、中年や老人には段々 住みにくい世の中になっているように思う。
 そんな中、朝から結構大きな声で「おはようございます」の声が聞こえる職場って、私にとってはなんだかホッとする場所なのかもしれない。
 あ〜、言っていることが古すぎる、本当に困ったもんだ。
posted by ヒロイ at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月16日

No.801:コロナのない生活って

 これだけの長い期間 コロナ コロナで追いまくられていると、コロナのなかった頃のことで忘れかかっていることもあるが、最近では もう第8波が来ないかのように “アフターコロナ”とが“脱コロナ”とか言って世間が騒ぎ出している。
 つまらないことであるが、“アフターコロナ”と“脱コロナ”の違いはわからないが・・?
 
 京都にいるとコロナへの対応が緩められていることに気づかされる場面にいくつか遭遇することがある。
 まずは日本人観光客に修学旅行生がいっきに増えたし、そして1週間ほど前からは外国人観光客の姿もちらほら目にするようになった。
 そうそう、コロナの最盛期以外は細々と運航していた二階建オープンデッキの赤い観光バスも少し前までは数人しか乗っていなくて、よく運営できているなと心配していたが、今日御所の近くで前を走っていたバスは7割近く乗っていて、2年以上見かけなかった光景で驚きながら上を見上げていた。
 仕事で移動中に二条城の前をよく通るが、ここでは4、5日前 駐車場が満車で観光バスが二条城の周りで待機していたのには驚いた。
 当事務所のすぐそばに同志社大学があり、コロナが広がりだしてからは長らくひっそりとしていたが、この春からは学生も徐々に増えだしていた。そしてこの秋からは多くの講義が対面授業に戻ったからなのだろうか、今出川通を歩く学生の数は急に増え、静かだったのに慣れてしまったせいもあるのか多少うんざりする。
 あと 一番びっくりしたのが先日ファミレスでトイレを利用し、手を洗った後、「ウ〜〜ン」と音がして風の出る、ハンドドライヤーが使えたことである。
 これってどこでも使用禁止の張り紙がしてあり、この設備を製造している会社っていくつ潰れたんだろうと想像したりしていたが、久々の「ウ〜〜ン」には驚いた。
 政府も観光業を活気づかせるのに躍起になっているが、旅行が活発に行われるようになれば日常が戻るかのようなピンポイントと言われても仕方のない取り組み姿勢である。

 以前のようにマスクのない生活に戻ればいいが、国全体でそんな風になるのはもう少し時間はかかりそうである。
 政府は
・屋外ではマスクの着用は不要です。
・屋内では距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用を。
と言っているが、これって相手のあることだし、朝散歩していても知っている人がいると無言で通り過ぎるわけにはいかないので結局マスクは手放せない ということになってしまう。
 日本人の気質からして外国の一部の国のようにマスクなしの生活にはなかなか戻らないのではないのだろうし、仕事中も一人でいるとき以外はまずマスクを外すことはない。やはりこちらもマスクあっての社会となっている。
 インフルエンザの流行期が終わって春になれば、次のステップの何らかの方向性が示されるであろうから、それを待つしかないのでは。

 今日は少しずつ変わってほしいのと、そんなに早く変わっていいのかという交錯した気持ちの中で近頃の世の中の変化や気づいたことをまとめてみた。
 
 今日は冷房も暖房もいらない本当にちょうど“いいあんばい”の一日のようです。
posted by ヒロイ at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月10日

No.800:800回ですが

 今日は10月の第2月曜でスポーツの日という祝日であるが、以前は10月10日は体育の日であった。
 1964年に行われた前回の東京オリンピックの開会式の日にちなんで祝日としたなんて古いことを言っていたら、「何それ?」と言われそうなくらい時代は進んでしまっている。

 このコーナーは15年前に私が開業して以来 ほぼ週一回のペースで綴ってきたが、今回 800回ということでちょっとした区切りの回となるようである。
 このブログは開業した日(2007年9月21日)の翌日、「あまり形にこだわらず、自己紹介も兼ねて思っていることを綴ってみようか」と軽い気持ちで始めたのを覚えている。
 本業である税に関することはそれぞれの依頼者の方と直接やり取りするので、ここでは本当の意味での日記、つまり行動記録のような内容でという趣旨でここまで続けている。
 特にルールもないが、あえて気に掛けていることとしては、画面に向かう時は、画面の向こう側では誰が読んでくれているのかわからないので、あまり特定の人、つまり向こう側の読者を気にせずに書き込むようにしている。
 会った人から「読ませてもらってます」なんて言われると意識せずとも顔が頭に浮かぶこともあるので。


 いつやめようか、何回目でストップしようかと思ったこともあったが、自分自身の一週間を振り返ったり、次の週はこんな週にしようかなと頭を整理する意味もあったのでここまで続けてこれたのであろう。
 この15年の期間を振り返るために日本の総理大臣が何人変わったのか 調べてみると 現在の岸田総理まで9人変わっていた。
 「総理っいいな、代われるんだもの」なんて不謹慎なことを言ってはいけないんだろうけど、経営者って そう簡単に変われないし、特に自分も含め中小企業の場合はなおさらで 業績に浮き沈みのある顧問先のトップの方の何人かの顔を思い浮かべていた。
 実は8年前に亡くなった父も生前はここの読者の一人であったが、パソコンなんて使えないので私が月に一、二回 実家に帰る時に紙に出力して持っていっていたし、母も読んだ感想を言ったり、内容についての質問をよくしていた。
 ただ、その母も今では介護施設に入っていて、認知症も進んできているので読める状態ではない。
 父が亡くなった後、母はしばらく一人暮らしをしていたが、今になって思えば施設に入所する一年くらい前からは私の印刷したブログがそのまま積んであることが多かったし、ある時から母は感想も何も言わなくなったが、あの頃から認知が進んでいたのかもしれない。 これって随分 後になってわかったことなんですが・・・。

 始めた頃は家の方も5人で暮らしていたが、今では2人になってしまったし、こうして思えば 結構長いことやっているんだな とあらためて思った。
 いつまでも続くかわからないし、何かの理由で突然やめてしまうかもしれないが まあ無理することなく続けられるとこまでやってみようかなと思っている。ぼけ防止とは言わないまでも一応 頭の中を整理するのには役立っていると思うし。

 今日は月曜日ですが、祝日で事務所は休みです。
 秋って祝日や連休が多いのはうれしいが、決して仕事量が減ってるわけではないので、それはそれで結構きついものでもある。

 今朝は雨が降ったりやんだりだったのでワンちゃんの散歩も遅めで、先ほど帰ってきたら雨はあがったみたいです。
 今日 1日ずれの月曜日なので朝に書きあがりました。
 散歩の途中で買ったパンを食べるのでここまでということで。
posted by ヒロイ at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月02日

No.799:相続の仕事のときに 親との思い出話が聞けるって・・。

 この仕事に就いた20代の頃、人が亡くなって真っ先に浮かんでくる仕事といえば葬儀屋さんであったが、相続税の仕事という面では税理士もそうなんだ なんて少し不思議な感覚を持ったのを覚えている。
 ただ その頃は相続税の基礎控除額が今よりもずっと大きかったので、相続税がかかるのは一部の資産家とよばれる方のみであったが、その後2015年(平成27年)に相続税法が改正され課税最低限が引き下げられてからは 「ちょっとした豊かな人=小金持ち」にも相続税が課されたり、申告の必要な人が出てきている。
 2010年(平成22年)は課税割合(死亡者数に対する相続税の課税件数の割合)は4.2%だったのが、10年後の2020年(令和2年)にはなんと8.8%に上昇し、亡くなった100人のうち9人が相続税が課される人ということになってきており、10人に1人 ということになるのは時間の問題のように思われる。
 ただ これも地価の高い大都市圏と地方とでは大きな開きがあるが、先日 仕事で関わったのは大阪の方だったので、ここでいう大都市圏にお住まいの方ということになる。
 今回 ここで税金の細かな話をするつもりはないが、この大阪の方の遺産の分け方とその打ち合わせ時のやり取りについて少しだけ触れさせていただくことにする。

 今回の相続税の依頼は事務所の職員が以前勤務していた会社の上司からの紹介ということで、元々 事務所の顧問先の方に関する相続案件ではなかったので、事前に相談を受けていたというわけではなく、お亡くなりになった後、税理士を探しておられる中で相続税の申告業務についてご紹介・ご依頼を受けたという関係である。
 まずは昨年(令和3年)1月に90代前半で亡くなられたお父様の相続税の申告ということで依頼されたお嬢さんと(娘さん)と相続人であられるお母様、それに依頼された方の妹さんと話を詰めていき、遺産分割、そして相続税の申告を期限内に無事終えた。
 そしてそれからわずか1年後の今年2月にお父様の時に依頼のあった上の娘さんから 今度はお母様が亡くなられたと連絡が入り、こちらの方もお父様の時に引き続き 相続の相談と申告をお願いしたいとのこのであった。
 一年前のお父様の相続の話をしていた時はお母様はお元気で一人暮らしをされてたので、正直びっくりし、「えっ?この間お元気でしたのに・・。」と思わず言ったくらいである。
 それから初回の面談の後、メールや電話でのやり取りを経て、姉妹間での財産の分け方が決まったということで連絡を受け、その後の申告に向けての準備もほぼ終えていたので、現時点で計算できている税額の報告とあと残された作業の確認のために昨日 ご自宅を訪問した。

 遺産の分割はほとんどもめることなく、お二人で話しをして決められたので、こういった財産の中身や申告内容についてはここでには触れない(仕事上、触れるわけにはいかない)が、その面談時のほとんどの時間 先に亡くなったお父様も含めてご両親の人柄やいっしょにに過ごしていた日のこと等の思い出話をお聞かせいただいた。
 その内容は相続の話に伺っているにも関わらず、本当にほのぼのとした雰囲気に包まれるいい空間、いい時間であった。
 テレビのお葬式のコマーシャルで、「おじいちゃん、孫の野球の応援で必死だったよね・・。」なんというシーンを見て、こんな和やかな雰囲気の葬式ってないよね と思っていたが、まるでこれに近い形の話が多く、「お母さんが若い頃、秋のお祭りで踊っていたよね」とか、「お父さんは会社勤務だった若い頃より70代以降の方が服装が派手になってたよね」という本当に心の温まる話をいくつも聞くことができた。
 昨日の面談はもちろん相続税申告に向けての最終段階の打ち合わせであったので、申告に向けての準備も後は遺産分割協議書と相続税申告書の作成、それに納付書の準備を残すだけとなった。
 相続というとなんだかどろどろとしたことを思い浮かべてしまうことも多いが、今回のような形は仕事をしていてもスッキリ感があり、非常に後味のいい終わり方であった。

 相続となると相続人 それぞれの方の思いもあり、当然のことながらすべてが問題なく終了するかといえばそうでないケースもいくつかあるが、こんな時 口にはしないが、ふと「亡くなった人はどう思っているんだろう」と考えてしまうこともある。
 今回の相続はお母様はどちらかというと急な亡くなり方ではあったが、亡くなったご両親は、残された者(子)が感謝の念を抱くという意味では、とてもいい人生だったような気がする。
 相続の仕事は 事前対策や節税等いくつも検討する項目はあるが、仕事とは少し離れた観点から見てみると 自分と親との関係、そして自分と子供との関係を考える上で、いい勉強になるなと思うことが幾度となくある。
 こういった局面に出会うと人生の数だけ死があり、そしてその数だけ家族があるなと思うし、ある意味、まだまだ人生になかで学ぶことは山ほどあり、悪いことは排除し、いいことは取り入れる そんなことで仕事を通して人生プラスなるようになれば相続の仕事もまた意義深いものになるように思う。
 日常に追われてる中では“人生”についてなんて考えないですからね。
posted by ヒロイ at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月25日

No.798:縁に頼り、縁に頼らず

 最近では “縁(えん)”という言葉をあまり聞かなくなったような気がする。
 ネット社会の中で生活している最近の若い人たちは、人の繋がり、特に個人的な人間関係に頼ることなく、自分で情報を入手し、自分の判断で物事の良し悪しを決めるという人も多い。
 SNSでの情報や口コミサイトなどには非常に敏感で、必要な物を買う、食事の店を選ぶ、それに医療機関を選ぶなど 何か行動を起こす時にはこういった外からの情報が判断の決め手になっていることも多いように思う。
 振り返ってみると我々のような古い人間は多くの場面で縁がつきまとっていたように思うし、さらに親の代には縁談に始まり、縁故、血縁など縁なしには社会が成り立たないような時代であったように思う。
 ただ 我々が社会に出る頃、つまり今から40年くらい前は、古いしがらみのような意味を持つ 縁を断ち切ろうとのしていた時代であったのかもしれない。
 というのもあの頃 縁というのは決してよいイメージでなく、縁故とか血縁というのが何かしらどろどろとしたイメージがあったし、縁談というのもこの頃からはあまり口にすることがなくなったように思う。
 この縁談についてであるが、今でもお付き合いを始めるきっかけはまだまだ他の人からの紹介が多いように思うが、古い時代のように家と家の繋がり中での紹介というのはほとんどなくなってきており、もう少し軽いというか身近な友人からの紹介が主流のようである。
 そもそも今の若い人たちにとって縁談とかお見合いなんていうのは古い時代のものになってきているのかもしれない。

 我々が仕事をしていくうえで、顧問先になってもらったり、相続やコンサルの仕事の依頼を受けるのは、HPを見てとか、私が講師を務めた研修会を受講してというのもたまにはあるが、数としては非常に少なく、やはりまだまだ知っている方からの紹介というのが圧倒的の多い。
 もっと大手の税理士事務所であれば、「HPや広告を見て是非ともお願いしようと思いました」というようなこともあるかもしれないが、中小の税理士事務所ではまだまだ“縁”を頼って相談にこられたり、仕事の依頼をされる方が多い。
 一言で縁と言っても、この縁というのは結構 奥が深いように感じる。
 新しい顧問契約を結んでいただく方の中には、「評判を聞いて」という方もいらっしゃるが、これとて見知らぬ方からの情報ではないので一種の縁が取り持ってくれているといってもおかしくないように思う。

 縁、縁、縁と同じようなことばかり言っているが、やはり我々のような仕事は評判や口コミも含めた縁というのが非常に大事であり、そのためには決してうわべでお上手したり、されたりというのではなく、正当な形で評価してくれることが必要である。
 また、逆に悪評となれば、またたく間に多くの人に知れ渡るのでこれはこれで非常に怖い部分である。
 ただ これからの時代、若い人をターゲットとした新しい形のビジネスは縁だけを頼っていては広がりを持たないであろう。
 そういう意味ではタイトルにあるように縁に頼らないビジネスの手法やスキルもしっかりと身につけないと取り残されるであろう。
 今までビジネスというのは何か一つの強みがあれば成り立つこともあったが、これからはいくつかの強みを持ち合わせて いろいろな角度から評価してもらわないと生き残っていけない時代になっていくように思う。
 そういう意味において今日のタイトルの「縁に頼り、縁に頼らず」ということについて自分なりに考えていたことを綴ってみた。 

 でも “縁”って本当に難しいですよね。
posted by ヒロイ at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月19日

No.797:もう15年が過ぎました

 23年間勤めていた税理士法人を退職し、独立開業という形で事務所を立ち上げてから9月21日で15年になる。
 何事も過ぎてしまえば あっという間 というのがお決まりなのだろうし、思い返してみても「本当に早かったなこの15年間」というのが正直な気持ちである。
 ただ、顧問先や社員等の事務所のこと、それに私の家族を取り巻く状況の変化に目を向けると、この間 本当にいろいろなことがあったし、そのいくつもの場面が頭の中に浮かんでくる。
 15年の間、決してトラブルや問題がなかったわけではないが、こうして無事15年を終えられたということで、一応 「よし」としようと思っている。
 事務所のとっては9月21日が創業記念日で、5年目、10年目の節目の時には、社員旅行を実施してきた。
 ただいくら節目とはいっても 15年目の今年はそんなことができる状況ではなかったので、ささやかな食事会でも と比較的コロナが下火であった7月に 約2年半ぶりの全員での食事会の計画を立てたが、9月2日の実施予定日の前には第7波が猛威を振るい、20人そろっての食事会の開催はさすがに実行に移すことはできず、いったん中止ということになった。
 毎年、9月21日には全員にささやかなお礼の品を渡しているが、今年は15周年の食事会ができなかったし、その代わりに何がいいだろうと考えていたところ、先に事務所のみんなから開業15周のお祝いの品物をいただいた。
 先日、朝の9時半頃 いつもどおり自分の机で仕事をしていて、何かざわついているなとふと顔を上げると、全員が事務所のフロアいっぱいに輪を作り、「15周年おめでとうございます」といって 高そうなものに入っている私が一番の好みである麦焼酎と何種類も入ったおつまみセット、それによく車に乗るからということで素敵な革製のキーホルダーをいただいた。
 正直 全く予期していなかったし、突然のことであったのでびっくりするやら、感動するやらで何とも言えないうれしい気持ちになった。
 事務所の人たちにとって、この職場って働きやすい環境なんだろうかと ことあるごとに自問はしているが その答えは自分ではわからないし、社員のみんなとこういった話をする機会もほとんどない というか 私からは聞けないことである。
 どうすればみんなが満足でき、そしてどんな不満を抱えているのか これは世の経営者がいつも頭の中で考えていることであるが、その最良の答えは何年たってもつかめないまま、こうして何年かが過ぎていってしまっている。
 開業前も開業後も特に変わったこと、特別なことなど一切していないが、ただ一つだけこれだけはと心に刻んでいることがある。
 それは「毎日 後ろ指をさされないように生きていこう」という単純なことであり、誰でもできるようなことかもしれないが、実はこのことって 結構大変で、自分にとって何か重しのようなものになっているなと感じることもある。
 まあ、所詮 どこまで行っても普通の人間なんだし、自分らしく無理せずに日々を送っていくことが大事なんだと思っている。
 なんだか最後は少しだけ重い話しになってしまったが、一応15年目の節目として自分自身にも言い聞かせるつもりで今日の内容をまとめてみた。

 そろそろ近畿地方にも台風の影響がでてきそうなので、この後はおとなしくして、明日に備えようと思っている。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

No.796:「了解」、「納得」、そして「満足」してもらうまでには

 このブログは私の独立開業を機に確か開業日[2007(平成19)年9月21日]の前日に第1回を掲げたので もう少しで丸15年を迎えることになる。
 その間、自分自身はもちろんのこと、事務所、それに各顧問先の状況も大きく変化したなとあらためて感じる。
 元々 自分が国語力、文章力が劣っているはわかっていたので、この日記を綴ることで少しは自己鍛練の機会にでもなればという思いもあり、スタートを切ったのを覚えている。
 ただ、若い頃に基盤が作り上げられる才能とか能力はそう簡単に築いたり、アップできるものではなく、いつになってもなかなか満足のいく文章が書けないので、自分でも嫌になることもある。
 これは恥ずかしながら 本気で国語の勉強に取り組んだことがないことと あまり(ほとんど?)本を読まなかったことに起因していることは重々わかっているが、自分の語彙力のなさにはついつい情けなくなることもある。
 また、語彙が豊富な人の話や文章に触れるとただただその人のことが羨ましくなったりもする。

 こんなことを考えている私であるが、よく似た言葉で使い方やニュアンスが微妙に違う言葉に遭遇し、考えさせられることがあったので 今日はそのことについて少しだけ触れることにする。
 それは「了解」、「納得」、「満足」という3つの言葉であるが、あらためて確認してみると、これらの言葉の意味は下記のとおりである。
*了解:物事の内容や事情を理解して承認すること。
*納得:他人の考えや行動などを十分に理解して得心すること。
*満足:希望が満ち足りて不平がなくなること。十分であると感じること。

 人と話をしていたり、メールでやりとりをして、相手の方から「了解しました」とか「承諾しました」という返事をもらってホッとすることは誰しも経験のあることであろう。
 ただ、その文章を深く読んでみると 「了解」はされているとはいうものの、気持ちのうえでは「納得」されていないのではと思うこともある。
 この「了解」と「納得」の間には大きな差があり、似てはいるもののこの差を埋めるのには相当なエネルギーを要することもある。
 上の言葉の説明にあるように「了解」は理解し、承諾することであるが、「納得」は理解したうえでさらに得心しなくてはならない。
 仕事をしていて「納得」までたどり着ければ、一応 及第点であろうが、この「納得」の上にはさらに「満足」という言葉がある。
 「満足しました」ということは、とてもうれしかったという意味合いも含まれていると思うし、仕事をしていてここまで至ることができれば、当然のことながらこちらも「とても満足できる仕事ができた」と次なる仕事へのファイトも出てくるものである。
 すべてのこと関して相手様に満足を与えられるかというとそれはそれでなかなか難しいことであるが、仕事をする者にとっては目標としたいものである。

 お客様が「納得」止まりなのか、「満足」されているのかわかりやすい目安がある。
 それは「納得」の場合にはその気持ちは自分だけで留まるが、「満足」された場合には、その満足したことを他の人に話されるし、仕事の場合、他の人を紹介してくださったりするということである。
 この「満足」をどれだけの人に与えられるか それがすべての仕事での共通の目標のようにも思う。
 ただ、そう簡単には「満足してもらう」までには到達しませんがね。
posted by ヒロイ at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月04日

No.795:何も考えなくていい時間

 今日は久しぶりに朝からぽぽたん(うちのワンちゃん)と散歩をすることができた。
 平日はカミさんが6時過ぎには連れて出て行ってしまうし、逆に起きるのが少し遅くなって出るのが6時半を過ぎたときは散歩から帰ってくるのが7時半頃になってしまう。というわけで どちらにしても平日は私はなかなか時間が合わず 今日のような何も用事のない休日の朝くらいしか連れていけない。
 たぶん赤ん坊もそうなんだろうけど、ワンちゃんも屈託がないというか、素直なところもあるが、相手の行動や気持ちに敏感でいっしょにいるとなかなかおもしろい。
 朝とはいえ車も走っているので飛び出したりしないようには気をつけないといけないが、こちらも休日の朝というのは時間を忘れ 「いつまでも付き合いまっせ」というくらいのゆったりとした気分で朝のひと時を楽しんでいる。
 私なんかは毎日付き合うわけではないのでこんなのんきなことを言っているが、日課として、朝夕2回ワンちゃんの散歩をしている人にとっては、義務的というか ある意味ノルマのように気持ちで歩いている人も多いはずである。まあ、私のようにたまに付き合う者にとっては非常に貴重な時間であるが。
 
 今日のタイトルである「何も考えなくていい時間」ということで、もう一つ思いつくことがある。
 これは我が家の暴露話のようなことになってしまうし、聞く人にとっては本当につまらない話かもしれなので、興味がなければさーっと飛ばしてください。
 私は1週間を通して、ニュースとスポーツ番組以外はほとんどテレビは見ないが、一つだけ見逃すことなく見ている番組がある。
 この番組名を言うのは多少恥ずかしさもあるが、言わないことには今日の話に続いていかないので言いますね。
 ご存じの方もあろうかと思うし、関西の人であれば一度くらいは観たことある あの土曜日の昼過ぎにやっている「吉本新喜劇」です。
 土曜日の昼のテレビ放映の時間に観たことはなく、録画で撮ったものを週に1回か、2週間に1回(この時は2本)観るが、この時間というのがカミさんと同じ時間に夕食を食べる時間なんです。それが月に1、2回でそれ以外はいっしょの時間帯に食べることってまずないですから。
 実にこの吉本を観ている時だけは本当に頭が空っぽになり、まさに「何も考えなくていい時間」なんです。
 それと私は丹後ちりめんの織屋の次男として育ち、朝から晩までワイワイガヤガヤ、家には常に誰かがきている まるで吉本のような家庭であったが、カミさんの家庭は真逆で親が公務員と学校教師で、本人曰く「家庭内に冗談を言うような雰囲気は全くなかった」ようです。今でこそ私以上に社交的で、だれとでも仲良くなれるような性格になっているが、若い頃はこういった家庭で育った片鱗のようなものがあり、私がつまらぬことを言うと、「しょうもないこと言って」と冷たい視線を浴びせられたこともあった。それが今では。
 本人には言わないが、吉本を見ながら声を出して笑っているカミさんは若い頃とのギャップが大きく、最初の頃はそのテレビを観る姿に私の頭の中には結構???マークがついた。
 
 まあ、最初に言ったとおり今日は本当につまらない話に終始してしまったが、ただ 時間に追われる中でのこういった「何も考えなくていい時間」は大事にしたいものである。
 もしかすると脳の老化を防ぐのに結構役立っているのかもしれないし・・。
posted by ヒロイ at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月28日

No.794:京都市が危ない

 今日の地元紙(京都新聞)の朝刊の一面を見て驚いた。
 【京都市の人口 日本一減った・・・1万2千人減】

 私が京都市で暮らすようになったのは18歳からなので、京都で生まれ育ったとはいえないが、私の周りにたくさんいる京都生まれ京都育ちの根っからの京都人と呼ばれる人は、「東京や大阪ほどではないが そこそこの都会で、しかも世界に誇れる歴史にあふれる観光都市なのでどこにも負けない。本当に魅力的な都市。」なんて思っている人も多いと思う。
 根っからの京都人ではない私でさえもこれに近い思いを抱いているところもあるので、私自身 40年以上住み続けて少しは京都人に近づいていっているのかもしれない。
 
 人口の話に戻るが、それにしても私が子供だった頃は日本の人口は増加の一途で、多くの学校は児童、生徒のために教室を増やし、学校を建てていったし、今では過疎になってしまった私の故郷のような地方でも当時はまだまだ活気が残っていた。

 今日 新聞にとりあげられていた1万2千人というのは現在1万3000人(完成時には2万2500人)が住んでいる向島ニュータウンに匹敵するし、現在2万人(最も多かった頃は4万人)が住んでいる洛西ニュータウンの6割くらいである。

 
 ここからは私見で思いのまま 今考えていることを述べるが、結論的には京都の人口減少はそう簡単に止まらないように思う。
 なぜって?
 今の京都市の市政(方針)は、観光にも力を入れたい、外国人留学生も多く受け入れたい、地価の下落も避けたい、近代化の波にも乗りたいが古いものも残したい、若い夫婦をはじめとする若年層も増やしたいが外国人や首都圏の資産家には街中の1億以上のマンションも買ってもらいたい等々。
 つまり、何から何まで希望をかなえたい、これが今の京都市が考えていることのように思うが、こんなに欲張ったらだめだと思うし、そんなことしてたら何一つ実現できないかも。
 やはり、世界の観光地No1というのにあぐらをかいている部分もあるし、ほっといても人は来るし、今までだったら修学旅行一つとってもどこからでも京都に来てくれたが、今やそういった意識も大きく変わろうとしている。
「京都はどこにも負けない」という意識がまだまだ京都の人たちの心の片隅にあるように思う。
 逆に発想を変えて、世界一の観光都市になることを最優先させるので、「人口は増えなくてもいい、但し 観光客は世界一 」というような発想もあってもおかしくないのだが・・。
 京都人が京都の中心部を田の字と言って、「田の字に中に住みたい」言ったり、少し年配の人になると中心部を洛中という人もいまだにいる。これでいくと私の住んでいるところは洛外だが。
 つまり本気で人口を増やそうとするのなら行政だけでなく、住んでいる者の意識改革も必要なように思う。


 神戸が大阪をライバル視しすぎたため、神戸らしさを失い、しかも大阪に大きく水をあけられたという 厳しい例も目の前にある。
 あるところでは「近畿のおまけ県」なんて言われている和歌山県を修学旅行先に選んだ学校は2018年は63校だったのが、2021年は575校と大幅に増加している。世界遺産の熊野古道、捕鯨の歴史、梅ジュースづくりの体験 と和歌山ならではのことで目下売り出し中である。

 チャンスはどこにあるか分からないし、チャンスはいつ逃すか分からない。
 選挙の時だけニコニコして頭を下げるだけでなく、市民の生活、市の将来を本当に考える市政運営者であってほしい、市長や議員さんには。

 厳しいなこれからの京都は、当分の間。
 財政ワーストランキングでいつも1ケタですよ。いつだったかは夕張市に次いで全国ワースト第2位の年もありましたし。
 見栄を張ってる場合とちゃーうで、ほんまに。
posted by ヒロイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月21日

No.793:「嫌いになった人の数だけ 人から煙たがられ(嫌われ)、好きになったなった人の数だけ人から好かれる」

 創業4年目のある経営者の話です。
 経営者であるAさんは会社を立ち上げた後、予測を上回る売上で経営は順調に推移し、パートを含め7名近くの従業員を抱えるまでに発展した。
 固定客もつき、またいろいろな方面から情報を得たとか評判を聞きつけてと言って 新たな顧客も付き、事業としては稀にみる急成長を遂げた。
 ただ、問題が全くなかったわけではなく、事業が大きくなるにつれ いくつかの問題点もあらわになってきた。
 その中でも一番の問題点は従業員の退職者が比較的多いという点である。
 この会社のトップは俗にいう金儲け主義ではなく、自社の製品をいかに喜んで使ってもらえるのかという点を常に念頭において、一番強い(社長曰く「どこにも負けない」)部分を徹底的の売り込み、そんな中でも商品のレパートリーを増やし、また販売手法も変化を加えながら どんどん事業を拡大されている。
 事業の規模が少しは大きくなったとはいえ、まだまだこの社長の魅力、つまりこの社長の豊富な知識と人柄でこの会社は成り立っているのは誰が見てもわかるところである。
 ここまでの話だけでは順風満帆に見えるのだが、唯一 人(従業員)の使い方でまずいなと思える点が気になっていた。
 端で見ていれば経営者と働く者との関係は良好のように見えるし、事業をしていれば ある程度の退職者が出るのはやむを得ないが、実は今まで4年の間に数こそ覚えていないが、それなりの数の退職者が出てきている。 ここの場合、従業員との関係で次の2つが非常に気になる点である。
 一つはある意味ワンマン社長なので、会社の問題点や従業員の意向が社長の耳に届かない点である。言い方を変えれば風通しの悪い会社なのかもしれない。
 この春先にも 社内規定の範囲内とはいえ結構突然 退職の申し出があり、後任探しにかなりの苦労を要した。私から見てもこの社長は社内の空気を読んでないなと思うことは往々にあり、最後の最後になって初めて社長の耳に入ることが何度かあった。

 二つ目は、最初の話の続きのような内容であるが、その会社にとって結構キーマンと呼ばれるような方の退職が度々ではないが2、3回あった点である 。
 この社長が信頼し、私にも「○○君は、思っていたより何倍も仕事ができ、言うことないわ」と話されていた社員が先日 退職された。
 私はこの特定の人に期待し過ぎたり、仕事を任せ過ぎるのは何かがあった時に逆に弱点にもなりかねないと 何度か指摘していたが、この方から退職の申し出があった時はこの社長はさすがに焦りに焦って、今後の会社の運営方針を変更せざるを得ない状況にまで陥った。
 その後、何度かにわたって求人を重ね、何とか混乱は最小限に抑えられる形で現在に至っているが、この間 他の部署で別の退職者がでたり、新入社員がすぐ辞めたりで本当に“人事”が大変であり、いっときは規模の縮小まで考えざるを得ないくらいの混乱ぶりであった。
 事業は順調とは言え、人のことでつまずくと事業まで影響をしかねないのでここの部分は会社経営の根幹ですよと 何度か言ってはいたが まさに人(従業員)のことを少し甘く見過ぎていた経営者の事例である。  

 最後にこの社長は常日頃から、「○○さんはよく仕事ができて最高や。まああの分野では彼女の右に出る者はいないしな」と最高の賞賛の言葉を口にされることがあったが、思いもかけず この人から退職願が提出されると、「○○さんには裏切られてしもた。過大な評価をして買い過ぎてたわ。」というようなことも何度か口にされていた。こんな場で言うのもなんだが、経営者が絶対してはならないことは「根に持つ」ことかもしれないがこの社長は結構 根に持つタイプのようにも思える。
 確かに期待を裏切られ場合、裏切られた側の気持ちも分からないでもないが、この気持ちが強いと経営って絶対にうまくいかないと思うし、こういう経営者の言動って、残っている従業員はよく見ていることだと思う。
 私自身でも今までこういった思いを抱いたことがないわけではないが、30代の頃 ある先輩から言われたのは、「人間関係で嫌なことがあっても裏切られたといって根に持っては絶対にいけない。嫌なこと、嫌な人のことは根に持つのではなく、しっかりと記憶にとどめておけばいい。その出来事を絶対に忘れないように そして同じ過ちを繰り返さないためにも。」ということである。
 これって人間ってなかなかできないことかもしれないし、私も実行できている自信はないが、経営者である以上 心のどこかに刻んでおきたい言葉である。 自分一人ではどうしようもない、みんながいて会社は成り立っているのだから・・。
 そうそうこんなことを言っている人もいたな、「嫌いになった人の数だけ 人から煙たがられ(嫌われ)、好きになったなった人の数だけ人から好かれる」
 あ〜、難し。
(今日は随分長くなってしまいました)
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする