2024年01月28日

No.866:実は新聞が好きなんです

 新聞の購読率は年々下がってきており、今の若い人からすれば、「まだ新聞 読んでいるんですか?」と言われかねないが、確かにその数値は調査媒体によって差があるもの 家でとっているのはもはや50%前後と言われているし、30歳以下の世代では25%くらいのようである。
 私は自分で言うのもなんだが、新聞が好きで 毎朝2紙を6時過ぎから約1時間以上かけて読んいるし、月に1回ある新聞休刊日の朝は少しだけ物足りなさを感じてしまし、週に1回くらいあるが、ニュースや自分が知りたいネタが多い時は朝の出勤までには読み切れず、夜仕事から帰ってから続きを読みときもある。。
 新聞をとったり、読んだりしていない人からすれば、「ニュースなんてスマホかパソコンで見るもんでしょう」と言われそうであるが、毎朝 新聞を広げて左右の二面に目をやると、細かな記事も含めてるとざっと20くらいのニュースが瞬時に目に飛び込んでくるので、ネットで見るのよりも 幅広い内容のものをいろいろな角度から感じ取ることができるし、見出しの大きさやどのあたりにかかれているかによってニュースの重要性が分かるというのも紙の新聞でしか味わうことのできないことである。
 もちろん全ての記事を隅から隅まで読むわけではないが、これは読んでおきたいとか、このことは頭に入れておかないと と思うところは、割と細かな内容までしっかりと目を通すようにしている。
 早く知りたい、詳しいところまで頭に入れたいという強いので、決して義務感で読んでいるのではないし、今日のタイトルのようにただ単に新聞が好きなんだと思う。
 ただ、事務所を開業して間もない頃、忙しくて新聞を読む時間がなく、リビングのテーブルの上に一週間分を積んで置いていたのを週末にまとめ読みしたことがあったが、この時は読むのに2、3時かかり結構苦痛であった。
 新聞にもよるが大体28〜32ページくらいあるし、日経なんか42ページ(手元にある土曜日のもの)近くあるのでゆっくり読みふけっていてはとてもじゃないけど1時間で2紙なんて読み切れないというのが本当のところである。

 先日 新聞の下の方に目をやると、事務所のすぐそばの建設中のマンションの広告が載っていた。
 もちろん買うつもりはないが、毎日のように前を通るのでいくらくらいなんだろと思っていたら、新聞の広告欄に≪50〜75uで6,000〜8,000万円、駐車場なし≫と載っていて、「高いな 駅から5分やしな」とその金額に驚いた。
 確かに今や新聞の情報は他の媒体に比べると即時性という点においては劣っているが、後々しっかりと頭に残っているのはネットニュースではなくやはり新聞の記事である。
 私も日中 時間があるとき、スマホやパソコンのネットからの情報にくまなく目をやっている方だと思うが、最近のあの「書き込み」とか「口コミ」というのが嫌で嫌で仕方がない。
 責任の所在もはっきりしない奴らが言いたいことを言うのには呆れてもものが言えないというか、あほらしくて読む気にもならない。

そうそう
 最後に今話題の松○人○の騒がれている件で、その内容や今後の動向には全く関心はないが、この人のことで数年前からずっと思っていたことがあったので、このタイミングでこの場を借りて一言。
 この人 テレビに出る時は結構ネクタイをしていたが、ワイシャツの第一ボタンを留めて、シャキッとネクタイを締めていたのを一度たりとも見たことがない。前を開けてネクタイをだら〜んとぶら下げて姿ばかりで・・。これも着こなしのひとつなんですかね。
 もし しっかりとネクタイを見ているのを見たことのある人は教えて下さい、あったらびっくりするけど。
 ネクタイってぶら下げるものではなく、締めるものと思っているが、この考え方自体が今の時代にマッチしないでしょうかね。
 段々、おじさんの現代社会に対する批判のようになってきたのでこれくらいにしておくが、これからもいい読み物をしっかりと選んで、自分の考え方も形成できるようにマスコミやメディアと付き合っていきたいものである。
 では、また一週間後まで・・。
posted by ヒロイ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月21日

No.865:厳しさが伝えられる経営者

 2020年12月に中国の武漢でコロナの第一例目が報告された後、わが国でも2021年2月中旬から瞬く間に国内全域に感染が広がり、そこからの2年間は正に“暗黒の2年間”であったが、今から思えば「あの頃は」と言えるくらいかなりの日数が経ったような気がしないでもない。
 特に昨年の春までの約2年の間にコロナで世の中が大きく変化したし、人間としての生き方も随分変わったと言っても過言ではないように思う。
 我が事務所の顧問先もコロナの初期段階では、ほぼ全業種で収入が激減し、中には資金繰りがひっ迫する顧問先も何件かあったが、何とか持ちこたえて 1件の脱落者も出さずにここまで事業を継続されているのは何よりである。

 ここへきて一見 落ち着いて見える世の中になってきたような感じもするが、いろいろなところでコロナの影響は残っている。
 先週 ある顧問先のドクターにコロナ前とコロナ後のクリニック経営の違いについて話を聞く機会があり、患者の動向、コロナ対応の診療報酬改定、感染拡大により従業員の確保も困難になったこと等 当時の状況を思い出しながら いろいろな方面へと話へ内容は広がっていった。
 この時に面談したドクターは、しっかり収益を確保して、可能な限り従業員に還元するというのをモットーとされており、症例の研究は当然のことながら、経営的な観点に立って患者や従業員にどう対処すればいいかも常に考えられておられ、毎月の面談は今後の取り組みの相談も含め非常に中身の濃いものになっている。
 先週の面談時にも そのドクターからの話は意外な内容であった。
 コロナ初期は、患者減もあるが何とかみんなで乗り切っていこうといろいろな相談を重ね、クリニックとしてでき得ることは全てされてきた。
 その後は、世の中の人から見れば「えっ、そうなん?」と思えるほど診療報酬の加算や補助金・支援金で収入が増えたことにより、わずかの期間ではあったが収入は増加に転じたので、その増収分の多くを従業員に還元されてきた。それは時間超過の残業代とは別であったので給与が通常月の1.5倍近くになる人もあった。
 それが・・。
 今のように平時になると給与は元に戻っただけであり、もちろん基本的な給与を減額されるようなことはないが、従業員に還元されていたコロナ増収分の特別手当はなくなるので 従業員のほとんどの人の手取額は減ることになり、中にはコロナ期があまりにも手厚かったので25〜30%ほど給与が減った人もある。
 給与の減額の理由はある意味当然のことではあるが、やはり“減る”ということをどのように説明しようかと考えていかれる中で、あの時の異常な忙しさと平時の現在との違いをきちんと認識してもらうことが大事であると考えられ、患者数は今のところそれほど大きく変わらないが、今後は患者の目が一層厳しくなったり、患者対象となる疾患が流行しなかった場合には、収入は間違いなく減少に転じることを過去のデータをもとに自らスライドにまとめ、毎月の定例会議で全従業員に報告された。
 こういった目の前にある経営状況の変化をきちんと伝えることができるというのがこの先生のすごいところであり、また 従業員を引き付けるところでもあるのだろう。
 従業員の退職者はほとんどないが、産休や育休で一時的に欠員が出る部分は早めの求人で補充をされる。なんと先日も1人の募集に10人近い応募があった。
 比較的若い従業員が多いが、産休・育休の後もほとんどの人が退職することなく復帰されるので、従業員の適正人員を考えたときには配置の面では難しいところもあるが、いつ訪問しても明るい雰囲気で生き生きした感じがこちらにも伝わってくるクリニックである。

 話しの内容が少しまとまりにくくなってしまったが、要は経営状況のいい時は特に何か手を打つ必要はないが、経営の厳しさが増したり、いわゆる 手詰まり感のある時に従業員に状況説明をし、情報を共有することがいかに重要であるのかということをこの先生から学ぶことができる。
 トップだけでできる経営なんてどこにもないし、そんな経営はきっともろいはずである。
 この先生は従業員に機嫌取りのようなことは全くされないし、退職希望者が出たときには引き留めることもされない。
 なぜか? 「その従業員のニーズを満たせなかった職場であり経営者だったので仕方がないな。残念だけど・・。私の方もできることしてるもん。」
 なかなか真似はできないがこんなことが言える経営者になりたいなと思う。 ただ 現実にはそんなことはなかなかできないけどね。
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2024年01月13日

No.864:実は「自分へのご褒美」っていう言葉 あまり好きじゃないんです

 この言葉っていつくらいからよく使われるようになったのでしょうかね?
 私が幼い頃はもちろん、学生時代や社会人になりたての頃には使っていなかったように思うので たぶんここ10〜20年くらい前から使われだした言葉ではないのかと思う。
 この言葉を使っている多くの人を敵にまわすような今日のタイトルって結構勇気がいったのだが、批判されるのを覚悟で今日は思っていることを綴ることにする。

 実は私自身はこの言葉は一度たりとも使ったことがないので単純に違和感を感じるということであるが、かと言ってこの言葉を使っている人のことを特別視したり、嫌悪感を抱くことは全くないので誤解のないように。
 私自身の考えなので人に押し付けるつもりもないが、私が使えない、あるいは使ったことがないのは、自分にご褒美がもらえるようなことはほとんどできていないし、自分を褒めるような大それた気持ちになることが まずないということに起因しているのかもしれない。
 よく考えてみると私自身“挫折”と“達成感”の繰り返しなような人生で、当然のことながら達成感を得られたことなんて言うのはほんの一握りあるかないかで、ほとんどの場合 味わってきたのは挫折感であろう。
 「あの時 ああすればよかった」とか「なんでもっと頑張れんかったんやろ」という場面がいくつも頭に浮かんでくるし、こんなことを考えていると当然のことながら悔しさが込み上げてくることがないわけではないが、不思議と尾を引かないあっさりした気持ちになっている自分にあらためて気づく。
 これは「やっぱし実力不足やな」、「手を抜いてたんで、当然の結果か」と自らの努力の足りなさや実力不足を認めざるを得ないことの方が多いからなのであろう。
 私は“運”という言葉もあまり好きな方ではないが、うまくいかなかったときは「運がなかったかな」言って自分を慰めるなが、“運”というのはある意味 気持ちを落ち着かせる時に都合のいい言葉である。
 「自分へのご褒美」という言葉って、欲しい物を買ったり、食べたいものを食べたりするときに使われるケースが多いように思うが、私は欲しいものは欲しい時に買うが、高くて買えないものはきっぱりとあきらめがつくような性格なので背伸びしてまで買おうと思ったことは一度たりともない。そういう意味では結構あきらめも早いのかもしれない。
 事業をしていた私の父の口癖は「お金がなかったら買わんでもええ、そんなことで死んだりせえへん」だった。
 父は人生の中で銀行にはもちろん 他人にも一度たりともお金を借りたことがないまま生涯を終えたが、少しはその血が私の中に流れているのかもしれない。でも、私はお金を借りたこともあるし、住宅ローンもの残っていますがね・・。
 なんだか妙な話になってしまったが、たわいもない奴の独り言と思って聞き流してもらっても結構です。

 自分を褒める言葉で誰しもが納得がいくのは、(若い人は知らないだろうが)今から27年前の1996年のアトランタ五輪女子マラソンで炎天下の中で銅メダルを獲得した有森裕子選手がゴールの後、汗まみれの姿で「初めて自分で自分をほめたいと思います」と発した言葉であろう。
 そういう意味でまだまだ褒められない自分がいるからこそ、毎朝起きて、仕事に向かわせてくれているのかもしれない。
 がんばってこの車に乗りたいとか、○○へ旅行がしたい というような具体的な目標がある方がもっと励みになるのかも? でも車にあまり興味がないしな。
 読みたい本を読んで、飲みたいお酒を飲んで、食べたいものを食べる これが一番の楽しみかな?
 でもよくよく考えると これこそ結構贅沢な話かも?
posted by ヒロイ at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月07日

No.863:事務所の年末年始

 私が開業前に勤務していた税理士事務所では、毎日朝礼があり、従業員が順番でスピーチをしていた。
 そこは正社員が30数名いたので、1ヵ月半に一度位の間隔で 順番が回ってきていが、他の人がどんな考えを持っている人なのか とか 職場以外ではどんな生活をしているのかを知る数少ない機会でもあり、朝礼をすることの意義はそれなりにあったように思う。
 その後、私が独立開業した後は、当初はスタッフ数も私とカミさんを含め4人だけだったし、毎日 机を並べて仕事をしたいたので わざわさ朝礼をして何かを伝える必要もなかった。
 現在 開業から16年経って事務所の人数が増えたという理由だけで果たして朝礼をする意義があるのか と思わないわけではないが、ここ数年 コロナの影響があって以降、それまで年末の最終日に行っていた忘年会を開催しなくなってからは、年末最後の営業日と年始最初の営業日に朝礼を行っている。
 別に朝礼をしたからといって、何か身が引き締まるようなものが醸し出されるわけではないが、現在 スタッフが3つのフロアに分かれて仕事をしているのでなかなか一同に会する機会がないのも朝礼をすることになったきっかけの一つでもあった。
 また普段は全員が揃うこともほとんどないので、年末にはいっしょに仕事をしている全員に対してに私から感謝の気持ちを伝えたいというのもある。
 以前は年末の最終日に忘年会を行っていたし、忘年会が開催されなくなった3年前からはこの最終日に朝礼を行い、この時 勤続10年を迎えた人を労う場ともなっている。
 今年は3人といつになく対象者が多く、これで勤続10年となった人は総勢20人(パートを含む)のうち9人となり、長年続いている老舗の事務所や規模の大きな事務所にはまだまだ足りない部分はたくさんあると思うが、少しずつお客様の要望に応えられる体制ができつつあるのかなと思っている。
 12月中旬にパートさんも含めほぼ全員と賞与支給時に面談を実施しているが、その中で、「事務所の将来構想は?」、「所長は今後どんな事務所へしたいと思っているんですか?」というような質問もあったので、それに対する回答も全員を前にしてきちんと示しておかないといけないと思い、自分なりの考えを事前にペーパーにまとめ 年末の朝礼で伝えた。
 がんばって仕事をしていればいるほど、一年なんて あっという間に過ぎてしまうので、こういう年の変わり目というか節目の時に 過ぎた一年を振り返ったり、次の一年やさらにはその先のことを考えるのに この年末、年始の朝礼というのは私にとってはいい機会になっている。中にはまた所長の話か と思っている人もいるかもしれないが・・。

 話はがらっと変わるが、今日は正月過ぎから京都の我が家に来ていた長女とその娘(1歳)を送りにドライブがてらに往復5時間かけて和歌山まで行ってきた。
 途中で立ち寄ったのは高速阪和道の紀ノ川SA 1ヵ所で、同乗のワンちゃんもいっしょにトイレ休憩しただけだが、この和歌山行きはいい息抜きになった。
 和歌山は2年前に長女が住むまでは車では行ったことがなかったが、高速道路を下りてしばらく走り 紀の川に架かっている大きな橋を渡ると和歌山やなと実感するようになった。和歌山って京都の人には近畿の中で一番なじみがなく遠く感じる場所ですよね。車に乗っている時間は片道2時間くらいなんですが・・。
 私は行きは助手席、帰りはワンちゃんに助手席を奪われたので後部座席に一人だけという 贅沢な同乗者だったのでなおさら気分転換になったのかも?
 カミさんは運転が好きなので秋に信州に行った時も私は一度もハンドルを握らなかったが、仕事では毎月2000km程 運転しているので 休日は運転しなくていいでしょ。

 明日 もう一日休日があり、ちょっと得した気分ですね。
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2024年01月02日

No.862:新年を迎えて

 昨年 母が91歳で他界したため、親族や友人等 個人的な繋がりがある人に対しては12月に喪中の挨拶状を出していたので、年賀状は なし ということになっていたが、税理士事務所として 業務上の関係者には例年どおり年賀状を出した。
 年が変わったからといって何かが大きく変わるというわけではないが、新しい年を迎えるということは、いろいろなことがリセットできたり、また新たな気持ちでスタートできるという点において必要であり 意義ある節目ともいえる。
 業務上の年賀状には、新しい年への思いも綴っているので、それをここに掲げて新年のあいさつに代えさせていただくこととする。

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 旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます
 世の中も一定の落ち着きを取り戻しつつありますが、その状況はコロナ禍前とはいろいろな面において違ったものになってきていると感じます
 年を通じて多くの人が望んでいるような平穏無事の日々であればいいのですが、決してそういった毎日が送れるとは限りません 
 また日々の生活に中で何かを実行した場合、報われることもあれば、報われない結果となることもあるでしょう
 ただ “当たり前のことを当たり前にする”ことによって、周りの人に喜ばれ、自分自身も将来「あの頃もよかったな」と思えるような一年にしたいものです

 これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。
   廣井増生税理士事務所
    廣井増生

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 1月4日から仕事の方もいらっしゃるかとは思いますが、我が事務所は1月5日からスタートなので明後日まで休みですが、1月4日は少しだけ試運転しておこうかな思っています。
 では、みなさんあとわずかの休日をお楽しみください。
posted by ヒロイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月24日

No.861:高校時代の同級生から突然 電話があって・・

 2週間ほど前に現在も私の地元に住んでいる中学・高校の同級生から、「12月24日(日)に全国高校駅伝の審判員として京都に行くんで、時間があったら会おうか? 前泊するんで土曜の夕方以降なら時間とれるけど・・。ただ、年末で忙しい時期で誰しも自分の用事が最優先なんで無理せんといてや」と突然電話があった。
 年末 残すところあとわずかの時期なのでスケジュールは立て込んでるやろなと思ってスケジュール表を見ると、なんとこの土曜日は夕方以降はフリーだったので、「何年ぶりやろな? 何十年ぶりかな? ご飯でも食べようか」と言って会う場所をこちらから指定した。
 実はこの一週間はめちゃ忙しい週だったけど、本当に懐かしく「早く土曜日の夕方にならないかな」と会うのが待ち遠しいくらい楽しみにしながら一週間を乗り切ってきたというのが本当のところである。
 私も陸上をしていたので大学の時 公式審判員の免許(審判手帳)?を少しの期間持っていたが、社会人になってからは正式に競技に関わることはなくなったので審判員のことなんか忘れていたが、彼の子供は2人(今は社会人)とも大学まで陸上をしていたようだし、彼自身も地元でいまだに陸上に関わりを持つ根っからの陸上人間である。
 僅か2時間ほどの時間であったが、中学、高校時代の話に花が咲き、仕事に押しつぶされそうな日常も忘れ、気持ちも高校時代に戻ったような最高に楽しい時間であった。
 彼の子供は長距離選手で箱根駅伝の常連校のT大学に入ったが、10人出場できるところを11、12番目の選手だったので出場がかなわなかったと 親として残念だった話もしてくれた。
 実は2週間前 彼から突然電話があったのは、私からの喪中はがきを見てびっくりしたそうで、「廣井の両親はどんな大会でも見に来ていたし、あの元気だったお母さんが亡くなったなんて・・」と言っていたが、「そりゃ あの頃は俺とこのおかあはんも若くて元気だったけど、あれからもう40年も経ってるしな・・。」というと、「そりゃそうだわな、うちもオヤジが亡くなってたし、かあさんは一人で暮らしてるけど 80代だもんな」とこんな話を最初の電話の時にしていた。

 地下鉄烏丸御池の改札口で待ち合わせた後、店に入ったが やはり若い頃 いっしょに汗を流した者との話は盛り上がる盛り上がる。
 高校のあった地元から京都市まで当時は3時間近くかかったので、西京極である京都府大会も2連泊だったし、大阪の長居、神戸の王子、大津の皇子山であった近畿大会は木、金、土と3連泊で、心のどこかでは陸上で勝つことより、何泊も泊まれることの方が楽しみだったのを覚えている。
 「ところで高校駅伝の審判員ってなにするん?」と聞くと、たすきを渡す中継点で張り付けになって、選手の呼び出しや整列・整理等の補助をするらしいが、往路と復路、そして女子と男子 計4回もあるので結構大変なんだろうなと思って話を聞いていた。
 今日 京都で繰り広げられた華やかな全国高校駅伝もこういった裏方がいるからこそ運営が成り立っているんだなということを認識するいい機会にもなった。

 今年になってから○年ぶりや○十年ぶりという友人から、しかも同窓会でなく「京都に行くし時間とれる」という突然の連絡が何人かからあり、中には会えなかった者もいるが、今年は3人も会って話をすることができた。
 確かに時間を作るのは厳しい時もあるが、こういった再会? は日常に埋没している自分自身にとっては旧友と貴重な時間を共有でき、何よりも日々の生活に刺激を与え、なんとも“いい時間”を過ごすことができる。
 こうしてブログを綴っている時も時間を忘れるが、ふと明日からのスケジュールに目をやると早速 明日は往復250qを1人で運転する厳しい1日になるが、仕事もあと4日なので何とか乗り切って いいお正月を迎えられたらと思っている。
 本当に1年って早いものですね。
 まだ「よいお年を」ではなく、「もう少しだけがんばりましょう」と言って今日はお終いにします。 では・・。
posted by ヒロイ at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月17日

No.860:撤退するにも勇気がいる

 コロナの真っ只中の3年前に事業を立ち上げてから、経営者としての豊かな発想と持ち前のファイティングスピリットで、開業後1年も経たないうち事業を軌道に乗せ、その後は同業者を一気に抜き去り 現在に至っている顧問先がある。
 本業以外にもその周辺の業務で何か本業を補うものは? との思いで始められた二番目の事業は 開業当初はたぶん構想に入っていなかったと思うが、始められてから一年もしないうちに十分に収益を確保できるまでに成長していった。
 その後、今から1年程前から構想を練っていた第三の事業もこの秋からスタートした。
 こちらは周りの協力者の力も借りながらの事業なので、そういった取り巻きの業者や頼るべき人たちと何度も打ち合わせを重ねながら、一定の準備期間を経て比較的ゆっくりと動き出した。
 事務所の担当者に同行し、私もいっしょにこの顧問先を訪問しているが、こちらから毎月の経営数値を説明する前に この経営者が準備されているA4 3枚に印刷された[今月のテーマと課題]をもとに打ち合わせが始まる。
 こんな感じの経営者なので “次なるもの” はということを常に頭の中で描いておられ、上の第三の事業の次の事業は1年以上も前から構想を練り、その事業に関わる人たちと幾度となく打ち合わせを重ねておられるが、その事業は規模としては事業開始当時の投資額を大きく上回るもので、設備費用 特に建物の建築費用も含めると億単位の資金が必要にあり、そのほとんどを金融機関からの借入で賄う形で話は進みつつある。
 準備期間も最低でも今から1年半程かかる大きな事業であり、この経営者もいろいろと考え一大決心をして、覚悟を決めて取り組もうとされている。
 それが先日の面談時にいきなり「例の事業 止めようかなと思ってるんです。計画段階では十分採算がとれると思っていたけど、建築費の高騰は予想をはるかに超えるものとなりそうだし、今の時代 人の確保も大変そうなんで。」と話をされていた。
 もちろん現段階では取り止めるという結論は出ていないが、ここまで常に次なる事業は と考えておられた方だし、見方を変えれば ある意味イケイケともとれる経営スタイルであったが、今回 ここで立ち止まれたのは私にとっても意外であった。
 ただ、今回 立ち止まって再検討されているというのは、事業の将来性をきちんと見据える力がついてきたともとれ、私としてもホッとしている部分がないわけではない。
 事業というのは多くの場合、繁栄→拡大 という道筋をたどるが、今回のように立ち止まるということは非常に大事なことであり、その時に深く検証することこそが事業の存続、そして真の意味での成長へとつながっていくのであろう。
 この件はまだ結論を出されたわけではないのでどちらに転ぶかわからないが、この40代の経営者が最終 どういった結論を出されるのか注目しながら追っていきたい。

 今日の話は業務上の守秘義務の関係で、場所や業種を特定できず、表現も多少オブラートに包んだようになったので分かりづらい内容になってしまったが、その部分はどうかご容赦いただきながら、皆様の方で想像しながら読んでもらえたらと思っている。
 要はガンガン突っ走っていた経営トップが立ち止まった ということが注目に値し、計画を引き下げたり撤退するのは、実は進出の何倍も判断能力が問われるということである。
posted by ヒロイ at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月10日

No.859:初めての経験・助産院の開業

 知人からの紹介で助産院を開業される助産師の紹介をいただき、開業前、そして開業されてからの税務的な対処方法を教えて欲しいということで 先日 事務所で面談を行った。
 医師、歯科医師の開業支援は何度も経験があるし、鍼灸院・整骨院、さらには獣医(動物病院)も数こそ少ないが開業前、そして開業後の支援をしたことはあったが助産院は初めてである。
 助産院というくらいなのでお産婆さんが赤ん坊をとり上げるのかなと 昔のイメージを抱きながら話を聞きだしたが、私の想定とはだいぶ違って産婦人科で出産されたお母さんの産後ケアや乳幼児への成長に合わせたアドバイスをするというのが主な業務のようである。
 なかなかこの仕事だけで生計を立てていくのは厳しいようで、週に数回はある医療機関への勤務も続けながら、ダブルワーク、トリプルワークという形でスタートされる。
 最近 クリニックの事業が軌道に乗った後、訪問看護ステーションやサービス付き高齢者向け住宅、グループホーム等の福祉分野にも手を広げられる医療機関も顧問先の中には何件かあるが、今回はこういった事業(助産院)が存在することすらほとんど知らなかったので、自宅の一部での開業という小規模の事業ではあるが、こちらも初めてのことということでなかなか新鮮な気持ちで臨める仕事である。

 税理士事務所の運営も得意分野というか力を入れる業種を絞り込むという戦略もあるが、別の観点から捉えるといろいろな分野の業種の方と接することも税理士ならではの楽しみである。
 当然一人でできる仕事の範囲は限られてくるが、一定数以上のメンバーで事務所を運営していればこういったいくつかの分野への進出し、またその分野を研究することによってその周辺のビジネスへの広がりも想定される。
 医療関連の顧問先以外としては、もともと顧問先としてあった不動産賃貸業や建築業の他にここ数年でシャツのプリント加工、クレーン車の組み立て加工、健康食品さらには社団法人等の準公的団体などの新しい顧問先が加わったし、京都のオーナーが引き継がれた東京のラーメン屋というのもあるが、他の税理士の話を聞くと寺院(宗教法人)、観光産業、IT関連事業のような京都ならでは業種の顧問先を持つ人も結構いる。
 趣味や遊びをビジネスの結びつけるのは不謹慎かもしれないが、以前関わったり仕事を手伝っていた鉄道関連や舞鶴での造船関連の事業は話を聞いていて、(多少仕事も忘れてしまいそうなくらい)ワクワクしたのを覚えている。

 話があちこちに飛んでしまったが今回の助産院も出産に関すること以外に育児、母乳、離乳食の相談、さらには産後の精神的なケアまでされるということで、もちろんほとんどの産婦人科で実行済みのことと重なる部分はあるが どんな展開になるのか見守って行ければと考えている。
 税理士の仕事は税金に関することがメイン業務ではあるが、それぞれの業務に関わることによってこちらも これまで気付かなかった世の中の動きに触れられるという点では面白い仕事なのかもしれない。
 これから先、どんな業種の人との付き合いが出てくるのでしょうね。
posted by ヒロイ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月03日

No.858:社員をどう評価するかによって企業の経営が左右される

 12月になると多くの事業所(企業やクリニック)で冬の賞与が支払われる。
 顧問先から事務所の各担当者へ賞与の金額や決め方、そして同業他社との比較といった問い合わせや確認が多いのもこの時期の特徴である。
 賞与はもらう側は年に2回、あるいは事業所によっては年3回のお楽しみの時期であるが、払う側にとっては一定の資金の確保が必要な時期でもある。
 従業員の数にもよるが、50人規模の所では一人平均50万円とすると2,500万円、30万円平均でも1,500万円の資金の調達が必要になる。
 以前の勤務していた税理士法人の顧問先である300人規模の製造業の会社では、この時期になると財務部長がいつも銀行に資金調達の交渉に出向いておられたのを覚えている。
 ただ問題はこういった支出金額のことだけではなく、従業員の評価をどうするかということも多くの経営者が頭を悩ませるところである。

 大きな企業であれば一定の評価制度に基づき、評価する側もトップ一人の権限ではなく、直属の上司をはじめとし、複数人で評価するのが一般的である。
 私の事務所は基本給に一定の掛け率が決まっているので、ある程度の大枠は決まっているが、やはりこの半年間で貢献度の高かった人や特別な仕事に取り掛かった人をどう評価するかを経営幹部で議論し、多少ではあるが加算をつけることもある。
 いつものことではあるが顧問先の経営者(クリニックの院長を含む)と話していて「おや?」、「なんで?」と思う評価をされる方が何名かいらっしゃる。
 具体的には「最近 ○○君、えらいがんばってるんで今回の賞与ははずもうと思うんだけど・・」、「〇〇さん、最近 愛想もよく非常ににこやかで場の雰囲気も和むので、そういうところも評価してやりたいんだけど」というような相談である。
 最終的に評価をし、決定するのは各事業所のトップなのでどんな評価をされようと自由であるが、私は上に掲げた発言で引っかかることがあるが、みなさん何が問題なのかわかりますか?
 人間がする評価なので、トップの勝手な思い込みがあるのは多少はやむを得ない部分もあるとは思うが、私が引っかかるのは「最近・・」という言葉なんです。
 私自身は賞与は基本的にはこの半年間の評価なので、”最近”ということにとらわれることなく、この6カ月間のがんばりを評価するように心掛けているし、多少将来のことを加味するなら、ここまでの半年間の仕事ぶりから見ての今後の期待度というところであろうか。
 12月になれば夏頃のことは忘れがちになるので、私はこの半年間で誰が何をしたかということを結構細かく記録に残すようにしている。
 そうすることによって目の前の業務だけでなく、各人が6カ月間で取り組んだ具体的な仕事の内容(中には忘れかかっていたこともあったが)が浮かび上がってくる。
 パートを含め20人以上になってくるともちろん私一人では評価できないので、3人の幹部で意見交換しながら最終決定していくが、この検討会が週明けにあるので、きちんと議論してみんなが納得いくような金額を決めたいと思っている。
 パートは6人であり、ひとりひとりの支給額はけっして大きいものではないが、常勤正社員と同じようにしっかりと評価することが、パートの人が今後 仕事をされる上でも活力になってくるように思う。

 経営者って賞与とか昇給の話になるとついつい資金のことが話題の中心になるし、人を評価することが結構苦手な方もあるが、従業員の給与・賞与はれぞれの顔を思い浮かべながら、頭が痛くなるくらい悩んで決めるのが経営者の役目であるように思う。
 実はこの話って今後 企業がどちらを向いて、誰が引っ張っていくのかという点で最重要課題のように思うのだが、経営者のみなさんはどんな思いで給与や賞与を決めておられるんでしょうかね。
posted by ヒロイ at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月26日

No.857:いいですね”懐古”っていう響き

 今日の昼、私が開業する前に勤めていた税理士事務所の創業者であり、長く代表をされていた元所長を囲んでの食事会があった。
 食事会といっても参加者は7人で、1ヵ月ほど前に過去に勤務していた時代の私の元上司から、観光のシーズンなのでホテルのレストラン(中華)の個室が最大8人の部屋しか予約ができなかったが是非とも来るようにとお誘いの連絡があった。

 私が大学を出て新卒で就職し、退職・独立開業までの23年間勤務していた税理士事務所で、私は自分で独立した以外には転職経験はないので、履歴書の職歴欄に書ける唯一の職場である。
 元所長は現在90歳で、バリバリだった現役時代を知る者にとっては今日の足取りを見ていると随分 年をとられたなと感じないわけではないが、自宅から一人でタクシーに乗ってホテルの地下にあるお店まで来ることができるくらいなので、まだまだしっかりされていて、今日その姿を見ることができ安心したというのが本音である。

 今日の会は私が入社した1985年(昭和60年)前後に在籍されれいた方ばかりで、出席者は70代以上がほとんどで私が最年少であった。
 今年38年ぶり2度目の日本一に輝いた阪神タイガースが初めて日本一になったのがちょうどこの年(1985年/昭和60年)で、今日のようなメンバーで顔を合わすと否応なしにも、社会人なりたての当時、「阪神バンザイ、タイガースバンザイ」と叫んでいた頃のことを思い浮かべてしまった。
 今から思えばクラブと遊びしかしていないような大学生活からいきなり社会人になり、本当に右も左も分からない者をよく採用してくれたなと思うし、今日同席されている方はそんな何もわからない私に手取り足取り教えてくれた先輩方ばかりであった。
 当時の自分を振り返るとよくも39年も同じ仕事が続けられているなと思うと同時に社会人になった後も結構めちゃしていたなと今日のメンバーを見て 若かった頃のことをあらためて思い出した。
 食事中も当然のことながら当時の思い出話に花が咲き、ある日残業した後、9時くらいから飲みに行き、遅くなったということで男性5人は家に帰らず、事務所の床に寝て朝まで過ごした時のことも話題に上がった。
 今ではセキュリティーの関係でこんな行動はとれないであろうが、翌日最初に出勤した女子社員が仕事場の床に何人もの男が寝ているのを見て、「キャー」と叫んで泣きそうになっていた。そりゃそうでしょう、机の間から何本もの足が出ていたのですから・・。

 今日の会は元の職場の先輩が音頭をとって開催され、私はたとえ7番目に呼ばれたとはいえ、声を掛けていただいたことを光栄に感じながら会場を後にした。
 この事務所にいた23年の間に結婚もし、3人の子供もでき、家も購入し、社会人としての多くを過ごした期間であった。
 とにもかくにも忙しい事務所であったが、社会人としての基礎が固められた職場であったことは間違いなし、同年代も多かったので、仕事帰りによく飲みに行ったが、常に競争意識を持ちながらも 切磋琢磨していたし、今から思えば人生の中でも貴重な時期でもあったように思う。

 今日はお昼の会であったので2時過ぎにはお開きになり、同じ方向に家がある今日のメインゲストである元所長といっしょにタクシーに乗って帰ったが、毎日目の前の仕事に追われている中で、以前にいっしょに仕事をしていた人たちと過去のことを思い出話をするのもなかなかいいものであった。

 普段ほとんど使わない言葉であるがこういうのをまさに“懐古”というであろう。
 国語の授業以外でこんな言葉を使うことってまずないし、もしかして、自ら使うのって初めてかも?
 いいですね”懐古”っていう響き。でもそう思うのは年をとった証拠かも。
posted by ヒロイ at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする