2023年01月01日

No.812:謹賀新年

No.812:謹賀新年

あけましておめでとうございます
新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
今年も事務所の年賀状で新年のスタートをきらせていただきます。

以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
謹賀新年 

旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます。
この2、3年間 コロナ禍で何かにつけ混乱する中では、すぐ目の前にある必要に迫られていることなど ついつい“今”に重点を置きながら過ごしがちであったように思います。
完全に元に戻ったとは言えない状況ではありますが、世の中が落ち着きを取り戻しつつある中、今後はもう少し先の5年後、10年後の将来のことを考えながら過ごしていくことが求められるようになっていくでしょう。
我々の周辺も最終的にはコロナ前とは違った状況となり、新しいものを創り上げていく必要もありますが、私は前に進んでいく上でもこの一年はあえて『原点回帰』という言葉を頭の片隅に置きながら過ごしていこうと考えております。
これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

令和5年 元旦

〒602-0941  
京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
    廣井 増生
Tel:075-406-7020   
Fax:075-406-7025
URL:http://www.tax-hiroi.com
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2022年12月25日

No.811:仕事に追われるのではなく、追いかけていきたいのだが・・

 ひぃえ〜、今朝 カレンダーを見るまで気付かなかったが、今日が今年最後の日曜日なんですね。
 仕事は28日(水)までなので、「まだ3日ある」なんて 多少の余裕をもってたかをくくっていたが、今になって2023年はそこまで来ていることに多少焦りを感じている。
 数日前から寒波が到来し、北の日本海側を中心に大雪を降らせているが、私の住む京都は寒さは厳しいものの 雪が降ったり、積もったりはしていないので、今のところ普通の生活が送れている。

 雪をはじめ、台風等の豪雨による災害に遭われた方も数多くいらっしゃるので、あまり不謹慎なことは言えないが、一年を振り返って、あらためて日本に四季があってよかったなと思ってしまう。
 冬の冷え込みや雪を決して望んでいるものでもないし、真夏の灼熱地獄のような日々もその時は何とかならないものかと思っているが、その寒さと暑さの間に春と秋というちょうどいい塩梅(あんばい)の時期があり、よく考えてみると四季ってちょっと贅沢なもののような気がする。
 極寒や酷暑と言われるような生活しづらい状況は望んではいないし、四季があることによって 服装だけでなく、頭の中まで季節ごとに切り替えないといけないのは大変であるが、これはこれで刺激もあり、一年にいろいろな体験ができるというのも四季のある国ならではのことである。
今はこんなに寒いが、今年の夏の甲子園は今までで一番の暑さを体験した日であった。なんせ屋根のない炎天下の中で4試合観たので・・、35℃近くある日に。

 別に最後だからと改まって今年を振り返るつもりはないが、今年も本当にたくさんの、しかも いろいろな種類の仕事の依頼をあり、結構 仕事に追われた一年であった。
 いつも頭の中では、仕事に追われるのではなく、仕事を追うようにしなければいい仕事ってできないのだろうなと思っているが、そう甘くないというのが現実であり、これは決して私だけでなく多くのビジネスマンが感じていることであろう。
 仕事をすることを「仕事をこなす」といういい方もするが、この“こなす”というのは“熟す”という字を書き、いくつかある意味の中で、我々が使う時の意味としては、

〇技術などを習って、それを思うままに使う。また、身につけた技術でうまく扱う。自在に扱う。
〇 与えられた仕事などをうまく処理する。

というものが当てはまるのかと思うが、ついつい日常では「目の前にある仕事をこなさなければならない」なんていう 半分強要されているような使い方をしてしまいがちである。本当は「仕事をこなしていきたい」ともっと前向きにならないといけないのであろうが。
 誰しも自ら「こなしていきたい」というところであろうが、やっていることと言えば、まさに「こなさなければならない」という、悲壮感が漂うものになっていることもある。何事にも余裕をもって取り組むというのが理想であるので、何事も早めに対応することで一定の評価が得られるような仕事の進め方をしていきたい。
 ただ、誰しも経験があると思うが、余裕がある時が決していい仕事ができるかというと、そうでない場合もあり、切羽詰まった中に身を置いて取り掛かったときの仕事の方が中身も濃く、充実した仕上がりになっていることもある。
 でも、こんな火事場の馬鹿力を発揮するような仕事の仕方は慎んでいかないといけないし、やり終わった後 振り返れるくらいのスタイルで仕事はしていきたいものである。
 仕事に追われるのではなく、仕事を追いかけるくらいのつもりで。
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2022年12月18日

No.810:個人面談

 従業員の数が一定数以上になると、それぞれの人の考えや意見がトップである経営者の耳に入ってこなくなったり、入りにくくなることはどこの職場でもあり得ることであろう。
 私も開業当初は私とうちのカミさんを含めて4人だったので、誰が何を考えているかとか、今日はどうして機嫌がいいのか あるいは 悪いのかは本人に聞かなくてもある程度は理解できた。
 今では個人情報という面でも気をつけないといけないが、規模が小さいとこちらから聞かなくても、昨晩ご主人と大喧嘩をしたとか、子供が勉強をしないので困っている なんていう話も自然にこちらの耳に入ってきていた。
 それが20人以上になり、5年程前からワンフロアでなく3Fと4Fに分かれて仕事をしているので、日常的にいつでも顔を合わすという状態ではなくなってきている。

 そんな状況下だからというわけではないが、私は開業以来16年間、事務所のスタッフ全員と年に2〜3回は個人面談をしている。
 「今の時代 個人面談なんて」とか、「する方の自己満足と違うの!」と思う人もいるかもしれないが、今回もいつもどおり 12月15日の賞与支給前に賞与明細を目の前に置きながら、その内容説明も含め 12月5日〜9日まで5日間かけて幹部以外の16人と面接を行った。

 10分弱で終わる人もいれば、中には1時間近くに及んだ人もあったし、その内容については当然のことながらここに掲げるわけにはいかないが、中には「所長の耳にだけ入れておいてほしいことがあります」というような話もある。
 個人攻撃・個人批判のような内容はほとんどなく、事務所や私個人への要望や改善点、この半年の自分自身の仕事への取り組み方や今後 力を入れたいことなど 結構前向きの話をされる人が多い。
 話の内容は言えないが、中には途中で涙を流す人もいて、面談の後 本人が席に戻った時、「所長面談の後、涙目なんてやばいやん」とこちらが気を遣うこともある。
 中にはお上手というか、おべんちゃらと思えることを言う人いるが、16人も面談すると、人の心や頭の中、そして人の考えって本当に様々なんだなと、こちらが勉強になることが非常に多い。
 こういった個人面談自体、単なる私の自己満足なのかなと思わないでもないが、事務所の経営や運営の役に立ったり、ヒントになるような話も聞けるので、私の方は非常に貴重な場と思って今もなお続けている。
 ただ この個人面談って、結構 時間と体力がいるし、「検討して、改善すべき点は改善するようにしていきます」と半年前に言っておきながら何も変わっていないこともあり、面談自体が私にとって苦痛となることもあるが、私は何もかも自分で決めて、突っ走っていけるほどの能力と勇気がないのでついついこうしていろんな人の意見を聞くことによって、自分自身の心と頭の整理に役立てているという側面も否定できない。
 まあ、いまどき 対面式の個人面談の実施についてはいろいろな意見があると思うが、私にとっては間違いなく身の引き締まるいい機会である。
 今まで何十回とこういった個人面談をしてきて、一つだけ気をつけていることは、それぞれの人に対して先入観を持たずに、素(す)の気持ちで臨むこと、これが双方にとって一番 意味のある面談になるように思う。
 中には「所長の自己満足ですね」と思っている人もいるかもしれないが それはそれでいいでしょう。全員が満足するっていうこともあり得ないわけですから。

 最後に面談の話ではないが、
 大きな声を出すことを良しとしない時代ではあるが、我が事務所の朝の出社時の挨拶の声は結構大きく、9時出社パートさん(社員は8時30分出社)の元気のいい声を聞いて、一日の始まりを感じることも多い。
 どんな時代でも挨拶って気持ちのいいものですね。
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2022年12月11日

No.809:節目がなくなってきているように思うのは私だけ?

 あと3週間ほどで年末、そして新しい年を迎えることになるが、一年のうちでも年が変わるというのは一番大きな節目であるし、それ以外にも年が変わると季節を追うごとに節分、そして春には卒業式、入学式そして入社式、その後も夏はお盆と様々な行事やイベントがあるが、どの行事をとってみても以前ほどの一大イベントという感じがしないように思う。
 決して、大げさに取り上げるのがいいかというとそうばかりではないのはわかるが、今までの自分の人生を振り返ってみると、やはり節目というか区切りのようなものがあるとそれを目標にしたり、気持ちの中での変換点にしたりして次なるステップへ進もうというきっかけにもなった。
 こういったものがなくなってきたり、大きく取り上げられなくなったのはコロナの影響があったのも事実であるが、よく考えてみるとコロナの影響だけでなく日々の生活の中で“個”を重視する傾向が強まり、多くの人や団体で何かを取り組むということが少なくなってきたこともこういった流れに拍車をかけているのではと自分なりに勝手に解釈している。

 学校の卒業式や入学式もコロナ禍では中止や縮小の形がとられていたが、徐々に緩和され 少しずつまとまった人数で実施される学校も出てきたが、まだまだ以前のように多くの人に見送られての卒業式はあまり実施されないのであろう。
 無理して実施する必要はないが、卒業式というのは卒業証書をもらうだけでなく、これまでの世界から新たな世界へ飛び出していくという、一抹の不安を抱えながらも新鮮さも持ち合わせながら迎える一つのイベントであったのだが。それも多くの人に見送られながら。
 就職にしても我々の時代は入社式には「ここで頑張るしなかないな」と一つの覚悟をもって臨んだものだが、今や新卒の3人に1人が3年以内に転職する時代になれば、入社式でその会社への思い入れはそれほど強いものではないだろうし、新入社員の気持ちも大きく変化していっているのであろう。「自分に合う会社、あるいは仕事か ひとまず様子を見てみるか。」という感じで。
 少し話がそれるが、小学校の運動会というのは全校生徒が集う行事であったが、今や学年単位での運動会も多くの学校で実施され、これも もしかすると「以前は運動会って 全校でやってたらしいよ。」なんていう時代が来るのかもしれない。

 私のような何か刺激がないと体が動かないような人間は、「来年からは・・」とか、「これを機会に・・」なんとすぐ思って、気持ちを切り替えたり、ある時は(無理やり)やる気を起こさせたりしているが、今の人はそんなイベントがなくとも、毎日 コツコツと気を抜かずにできるっていうのは、我々とは比較にならないほど自分というものを持っているからなのだろうか と思ってしまう。

 事務所は今年も忘年会の実施は見送ることになったが、一年を通して節目や行事のなくなっていく世の中に自分自身も段々馴染んできていっているのも事実である、。
 今まで人に励まされたり、刺激を受けたり、場合によっては流されたりしながら生きてきた自分にとっては、いろいろな方向性を自分で決めないといけないという点において結構きつい世の中になってきている。
 そういう意味ではまさに生活、そして人生を組み立てるためには、自分がしっかりしていないといけない時代になってきたんでしょうね。
 それにしても世の中の変化が速すぎるって思いませんか? 何もかも。
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2022年12月04日

No.808:自分がボーっとできる時間

 毎年のことであるが、気がつけばあっという間に12月になってしまっている。
 「あれもこれも」としたいことやしなければならないことはまだまだ残っているが、どんなに慌てたところで今年もあと1ヵ月で終わってしまう。
 今 最も旬な話題はサッカーワールドカップであるが、時差の関係も吹き飛ばしてまで日本の試合を見て、寝不足あるいは徹夜に近い状態で朝を迎えるような勇気はないので、特に無理せずに起きていればテレビをつけて見るというスタンスで今回のワールドカップに接している。
 先日のスペイン戦も4時過ぎには目が覚めるかなと思ってアラームのセットもしなかったが、やはり体はいつもどおりの反応で試合開始から1時間以上も経った5時15分頃に目が覚めた。
 テレビのスイッチを入れると試合は後半に入っていて、大方の予想に反してなんと日本がリードしていたのには驚いたし、思わぬ試合展開に脳が刺激を受けたからなのか 起きてから5分後には頭の中は観戦モードに入ってしまい、そのまま試合終了まで見て その後 身支度を整えて家を出た。

 平日はスケジュール表と時計を見ながらの生活が続いているので、たまの休日といってもなかなか外出、特に遠出するほどの元気は残っていない。
 そんな中でふと気づけば結構楽しみにしていることがあることに気がついた。
 仕事、特に税や経営に関する書物や書類を読むときは、頭をクリアにして読まないと細かな規定や難しい文言がきちっと頭に入ってこないので、一定の緊張感をもって文章に接しているが、仕事に関係のない本(雑誌を含む)に目を通す時にはストレスから解き放たれ結構 気分転換にもなっている。
 見る、というより眺めるように読みたい箇所だけ目を通すという たわいもない行為であるが、寝る前や休日の空き時間がそれに充てられて、今では結構楽しみな時間になっている。
 そういった読み物の中の一つに 日経新聞が1ヵ月に1回くらいの割合で掲載する「日経脳活クイズ・・超ムズ間違いさがし」というものがある。
 左右に並んでいる絵から毎回9つの間違いを捜すのであるが、これがものすごく難しくここ4ヵ月、9つ捜しきれたことはなく、まだ道半ばなのでこのコーナーが載っていて捨てられずに溜まった新聞が4つになった。
 何かの問題を解くというものではないにしても かなりの集中力をもってしてもなかなか9つに行き着かないが、休日の朝コーヒーを飲みながら、そして夜はお酒を飲みながらこんな”遊び”をするのも一種の息抜きになっている。
 でもよくよく考えてみるとこのクイズはお酒を飲みながらでは無理なんでしょうがね、かなりのハイレベルですから。
 
 今日はある意味 インパクトのなさすぎる話だったかもしれないが、自分がボーっとできる時間について綴ってみた。
 でも、本当はこういった時間こそ必要なんでしょうね。大事な局面でしっかりと頭を働かせるためにも・・。
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2022年11月27日

No.807:油断大敵

 かつてはスポーツで汗を流すのが楽しみであったし、息抜きという点でも私には適していたが、自分の体が思うように動かなくなってからはスポーツの観戦が趣味の一つになってきた。
 自分が経験したことのある野球と陸上競技以外では、サッカーやラグビーの試合も見に行くことがある。

 サッカーワールドカップに出場している日本が第一戦で強豪のドイツを破ったということで世間の盛り上がりはすごいものがあるが、私は性格が曲がっているせいか、世間が騒げば騒ぐほど 一歩引いて物事を見てしまうところがある。
 もちろん第一戦の勝利はものすごくうれしかったが、マスコミの騒ぎ方は異常とも思えるし、「たった1回勝っただけでそこまで騒ぐもんじゃない」というのが私の本音である。
 先の野球の日本シリーズだって、3戦を終わって2勝1分のヤクルトがその後、4連敗し、オリックスが優勝したし、勝負事なんて本当に終わってみないとわからい。
 今夜の第二戦の相手のコスタリカだって、第一戦のようなみじめな試合はしないだろうし、各地区の厳しい予選を勝ち上がってきたのだから侮っていい相手ではないはずである。
 スポーツでホッとしていいのは全てが終わってからのはずなのに、まだ始まったばかりでこの騒ぎ、これには日本で古くからいわれている「勝手兜の緒を締めよ」のかけらもないくらいの浮かれようである。
 同じグループの他の試合結果次第ではあるが、今日 勝ったとしても最終のスペイン戦に負ければ1次リーグ敗退だってあり得る。
 ただ、監督や選手たちは決して浮かれていないだろうから、どこまで「たった一戦 終わっただけ」と冷静に考えて第二戦を迎えているのか今日の出来をじっくりと見てみたい。

 スポーツの中で実力の差が結果に出てくる、つまり番狂わせの少ないスポーツで代表的なのはラグビーとバスケットボールと言われているが、得点の入りにくいスポーツであるサッカーはその逆で、仮に3対7の割合で攻め込まれていても得点を与えず、こちらが放ったたった1本のシュートが決まると勝つことだってある。
 そういう意味においては、たとえ番狂わせであっても相手より1点でも多く得点すれば勝者になれるし、相手がボール支配率やシュートの数で優っていても結果がすべてという点では他のスポーツと何ら変わりはない。
 私自身 厳しい話もしているが、今日の戦い次第では第一戦のドイツ戦がまぐれでなかったことを証明するチャンスでもある。
 スポーツは最終戦が終わるまで気を抜いてはいけないし、気を抜いたり、緩めた者(チーム)の負けである。

 少しサッカーから離れるが、本当の強さという点では、今年の夏の甲子園では優勝こそできなかったが、あの最強と言われる高校野球の大阪桐蔭は10対0になっても絶対に手を緩めないし、これでもかこれでもかというくらい襲い掛かってくる 怖くて憎らしいほどの強さがある。あそこまでいって初めて本当の実力と言えるのであろう。大阪桐蔭は油断とは無縁であるように思う。
 日本のサッカーが本当に強くなったのかどうかは今晩 一つの結果が出る。そんな目で今晩のコスタリカ戦を観ると結構 冷静に見ることができるように思うし、これも私なりのスポーツの楽しみ方である。
 勝ってほしいですけどね、「日本ってほんまに強いやん」って言われるように。
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2022年11月20日

No.806:私はまだまだ新聞“紙”に頼ってます

 新聞の購読率(自宅で月ぎめで新聞を購読している)が60%を割り込み、58.3%になったというニュースが目に留まった。
 これだけSNSと共存し、個人的にもスマホやパソコンに囲まれながら生活している状態では、情報源はもはや新聞ではないという人がどんどん増えていっているのであろう。
 調査が開始された14年前 2008年の88.6%と比較すると大幅に減少しており、新聞を紙で読む世代の高齢化に伴って50%を切るのは時間の問題と思われる。
 我々の世代は子供の頃、新聞が読めるようになるとなんだか大人の仲間入りをしたような気分にもなり、その後 生活する上ではテレビと同じようになくてはならないものであった。
 私の家ではダメと言われた「毎日小学生新聞」をとっていた友達がうらやましくて仕方がなかったことや大学受験の国語は朝日新聞の天声人語からよく引用されると言われた頃は、新聞が闊歩していたような時代であった。
 あと 新聞の思い出というと、実家のすぐ近所に新聞屋さん(新聞販売所)があり、私の実家もそこの新聞をとっていたが、父は新聞が配達される6時過ぎまで待つことができず、毎日のように5時半にはその新聞屋さんへ新聞を取りに行っていた。まさに新聞はテレビ、ラジオに匹敵するくらいの情報源で、早く読みたいものであったのであろう。
 今の時代、情報はスマホからと言わんばかりにみんなが四六時中スマホをいじっているし、大きな事件が起きると 瞬時にその情報が飛び込んでくるので、新聞と違って時差はほとんど感じられない

  こういった波は中小企業の求人活動にも大きな影響を及ぼしていて、以前は人を雇い入れる場合、ハローワークと新聞の折込広告が主流であったが、購読率が6割、もしかすると若年層では5割は割り込んでいるであろう新聞の折込広告への期待はどんどん下がってきているであろう。
 私が社会人になった頃、いや10年近く前までは、朝電車に乗ると新聞(ほとんどが日経新聞)を折りたたみながら読んでいる多くのサラリーマンの姿が目の前にあったが、今や新聞紙を広げている人は1車両に数名で、1、2名の時も珍しくない。
 こんな状態であっても私はまだまだ紙の新聞から離れられなくて、朝6時過ぎに自宅のポストに入っている2紙(京都新聞と日本経済新聞)をとりに行くところから私の一日は始まり、毎朝 1時間近くかけて目を通した後、出勤の身支度を始めるのが日課になっている。
 新聞の本欄以外に結構楽しみにしているのが広告の内容である。飲食店、旅行ツアー、セミナーの案内、それに新聞の紙面広告以外にも折込広告も目を通していて、こういった新聞の本来にニュース記事以外でも貴重な情報源となっている。
 
 実は今回この内容を書き出していくうちに一つ謎が解けたことがある。
 2、3年前までは 10月1日の新聞折込には(私立)幼稚園の入園案内が10枚近く入っていたのが 最近は数枚しか入らなくなっていたので経費削減かなと思っていた。
 しかし、若年層の購読率がここまで下がってくると20〜30代をターゲットとした広告の効果は著しく低下していっているから効果少なし 判断しているように思われる。
 学習塾の冬期講習等の案内は相変わらず多いが、最近は老人ホームや老人向け宅配弁当(宅食)の折り込みが目立つのも新聞の購読を支えているのが高齢者であることと無関係ではないということも想像できる。
 消費税が10%に引き上げられた時、自宅配達の新聞代だけは新聞業界の後押しもあり8%のままに据え置かれたが、考えてみればこういった恩恵を受けているのは限られた層ということになってくる。

 新聞のことで思い出話も含めいろいろと取り上げたが、数十年後には「以前は新聞は紙で、家に配られていたらしいよ」なんて言う時代が来るのかもしれない。
 過去において50年間での変化が、今や10年、ものによっては5年で様変わりするが、よくよく考えてみると生きていきやすくなったのか、生きづらくなったのかわからない時代である。
 前回も少し昭和について触れたが、数年先には「昭和の人たちはこんなことしてたんよ。」と言われるのでしょうか。大変な時代に突入していっているなと思うこと自体、遅れているのかな?
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2022年11月13日

No.805:今やレトロって “大正”ではなく “昭和”?

 先日、仕事で60代の女性の方と面談する機会があり、その折にご主人の相続のことや3人のお嬢様の現況と将来について、ご自身が考えていることをいろいろと話された。
 メインの話が終わった後、1週間前に飼っておられた14才のワンちゃんが亡くなりとても悲しいということやこれまでのワンちゃんとの充実した生活についての話の後には、ご主人の実家が何代も続くお蕎麦の製造販売をされているのでお蕎麦の食べ方に関する話等、仕事の後の雑談の方も多岐にわたるいろいろな話があった。
 そんな中でテレビや歌の話にもなり、ご主人との年の差が10歳あるので、歌える歌や好みの歌が違うし、テレビ番組や歌、特に歌謡曲とよばれるものは時代(年代)を物語っているということも話されていた。
 最近、テレビでも平成を飛び越して、昭和をテーマにした番組が流れていることがあるが、昭和生まれの私にとって 「昭和ってそんなに昔?」と思うこともある。ただ、私の周りいる平成生まれの人にとっては、昭和というのは少し前の時代で今とは違う時代 という感覚なのであろう。
 我々が子供の頃、「あそこのじいさんは明治生まれの頑固じじいやし」と言って、近所の怖〜い爺さんをみんなで恐れていたこともあったが、よく考えてみると明治時代の人なんて今生きていたら110歳以上ということになる。

 先日、仕事で大阪の箕面に行ったとき、そのマンションの廊下から山の中腹に大きなホテルが見えたので、「あれって箕面温泉スパーガーデンですかね?」とその日訪ねたそこにお住いの方(60代)に言うと、その方から 「我々の時はそうだったんですが、今は頭に大江戸温泉物語って付くんですよ」と教えてもらった。
 私たちの時は歌手が歌う歌だけでなく、テレビのコマーシャルソングも結構耳に残っていて、この温泉のコマーシャルソングは子供の頃 関西に住んでいた55歳位以上の人なら大体歌えると思います 「箕面温泉スパー〜ガーデン♪」って。
 段々と話が妙な方へ行ってしまっているが、ついでに温泉に関することで、テレビや雑誌であるホテルが取り上げられていてとても懐かしかったという話をもう一つ。
 それは東京から1時間半ほどで行ける伊豆の伊東温泉にあるホテルで、昭和の雰囲気が漂っているということで関東圏に住む若い女性から、「昭和レトロ感 満載」と言われ人気があるとのこと。
 そのホテルは「ハトヤホテル」といって、我々が子供の頃、毎日のようにテレビでコマーシャルが流れていたし、その歌は今でも耳に残っている。
  「伊東にゆくならハトヤ、電話は4126(よいふろ)〜
    ・・・・4126、4126やっぱり決めたハトヤに決めた・・・」

 今日の話は何が何だか分からなくなって、収拾がつかなくなってしまったが、知っている歌で歳がわかるということから始まって、歌は時代を物語るっていうこと。
 それにしても我々の年代ではレトロやロマンと言えば大正の後に付けて「大正レトロ」、「大正ロマン」と言っていたが、最近はレトロやロマンと言えば昭和を指すようで、若い人たちから見て我々はまさにレトロ、つまり懐かしい年代ということなのだろうか。
*「レトロ」・・古き良きものを懐かしみ愛好する

 今日は歌やコマーシャルから時代の違いを知るという話でしたが、仕事の上でも相手の年代を知り、それに合わせて仕事をすることも重要なことのように思うし、こういったこと、つまり相手の年代に対する感覚についていかないと昭和の人たちも世の中から取り残されてしまうのかも。
 今の時代に伊東温泉のハトヤがブームになっている。つまりハトヤは過去のものではなく まさに今の、旬のものなのであった。
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2022年11月06日

No.804:毎月 顧問先のことを探る楽しみ

 顧問先の月次の損益計算書をはじめとする何種類かの経営指標は、事務所で作成する先が大部分を占めるが、顧問先の経理担当者が作成されたものをメール等で送ってこられるケースもある。
 そういったものが各担当者を経由して毎月100件以上私のところに回ってくるが、すべての先について細かくチェックできているわけではない。 ただ、顧問先ごとの一定の情報が私の頭の中にインプットされていれば、各先ごとに見るべきポイントが浮かび上がってくるのも事実である。
 いくつか例を挙げると

・コロナの影響を受け 大幅な減収となった先がここへきて回復基調にあるが、これから始まるコロナ時に受けた融資の返済にまで資金が回せるのか。
・本店の移転を計画中であるが、自己資金だけでは賄えない分をいくら融資を受ければいいのか。
・季節変動の大きな業種の場合、落ち込む月はともあれ、通常月の2倍近い売り上げが見込める月が今年もそれくらいの数字を確保できているか。
・「人に手厚く」という方針のもと例年以上の昇給をしたが、それがどこまで収益に反映されているのか
・同じ診療圏内に同一診療科のクリニックが開業したが、その影響はどれほどあるのか。
 等々。

 こういった状況は各顧問先 一件ごとに異なっているし、各担当者から毎月、報告を受けている内容と照らしてどうなのか、またその担当者は前回の提案事項を実行に移すためにどんな働きかけをしているのかを、顧問先の経営者の顔を思い浮かべながら経営数値を眺めていると最終 所長の決裁印を押す前に考えることは結構ある。

 毎月の面談は直接顧問先と関わる いわゆる巡回監査担当者9名で対応しているが、上記のような思いを頭の中で想定しながら数字に接していると、私自身 顧問先と面談していなくても身近に感じられるようになる。
 業種的には開業医、いわゆるクリニックの顧問先が多いが、逆にクリニック以外の業種の話に興味が湧いてくることも多い。
 建築業、自動車部品の製造、Tシャツのプリント販売、動物病院、それに居酒屋等、いろいろな業種の経営状況を知ることで多少なりとも世の中の流れというものを感じ取ることができる。
 こういったいろいろな角度から数字を見ていくと、単なる数字の羅列ではなく、各顧問先が向かう方向(道)が見えたり、経営者の努力の跡が読み取れたりする。
 また、今の物価高はどんな業種がどういう影響を受けているのか? 政府が躍起になっている給与水準の引き上げは現実として実行されているのか、果たして賃上げができる環境下にあるのか・・・。
 考えはいくらでも広がっていくので、私の方も毎月 頭が整理されたり、リセットされたりして 刺激的な中で日々の業務をこなしている。

 私が全ての顧問先の中に入る込めないという現状の中で、私の役割としては顧問先の方々に、「廣井事務所でよかったわ」と思ってもらえる指導体制を作り上げることが役目なのかなと思っている。
 我が事務所の運営方針のような少し硬い話しになってしまったが、通常していることを整理してみれば今日のような内容にまとまってしまった。
 事務所のメンバーも指導型、伴走型、御用聞き型 と様々なタイプがいるが、最終的には顧客満足度がどうしたら高まっていくのかが一番重要なところである。

 私も事務所も顧問先の方々に対して、まだまだフォローしないといけないことがたくさん残っているなと感じながら、休日にこんなことを考えていること自体 果たしていいのか なんて妙なことも考えてしまっている、こんな言葉も頭の片隅に置きながら・・。
 「無駄な時間を過ごすことこそ贅沢であり、これを浪費と思ってはいけない。人間には誰からも入り込めない時間が必要である。日常とは切り離された。」
 なかなか難しいわ、ほんまに。
posted by ヒロイ at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月30日

No.803:野村克也を生んだ “うらにし”

 先週 定期的な顧問先への訪問のため京都府北部へ行く機会があった。
 私が住んでいた子供の頃は片道3時間以上の時間を要し、京都府の中心地である京都市とは同じ京都府といっても別の地域といってもいいほどいろいろな面において大きな違いがあった。
 今では道路も整備され、約2時間で行けるようになったので思わず近くなったような気になる時もあるが、地図上の距離が縮まったわけではないのは誰しも理解できるところではある。
 京都府に限らず、地域の違いによって経済(所得)格差や教育格差以外にもいろいろな差がある都道府県はいくつも見受けられる。
 大阪府のような比較的面積が小さければその差もまだ小さいのであろうが、近畿内でも兵庫県や和歌山県のように南北に長い県は北と南では大きな違いがある。
 和歌山県でも県庁所在地にの和歌山市と南の果ての潮岬や那智勝浦では、その生活の状況は同じ県内とは思えないくらい違うであろうし、兵庫県なんかは神戸市と北の但馬地方の城崎温泉や豊岡市、それに南の淡路島とでは風土も住んでいる人の気質も違って当然と言えば当然のことであろう。
 話を私の住んでいる京都府のことに話を移すが、南と北とでは都会と過疎地という違いはあるが、実は一番大きなのは気候の違いのようにも思う。
 まあ、根本的にはこの気候の違い、それに地形の違いがこの格差を生み出す原因になっているのではあろうが。
 冒頭でも言っていた先週のある日、朝 冷え込んではいたものの9時以降は日も差し始め、穏やかで結構いい天気の中で事務所のある京都市を出発したが、1時間後の丹波(京都府の真ん中あたり)辺りで曇り空に変わり、そして2時間後、日本海も近い丹後方面に差し掛かると天候は小雨混じりに変わっていった。
 確かに朝の天気予報では京都府南部は晴れ、京都府北部は雨と言っていたが、まさにその通りの天候であった。
 私はこれぞ”うらにし”と空を見上げながら妙に納得してしまっった。

*「うらにし」
・京都府北部の丹後地方周辺に特有の気象。10月から11月末にかけて瞬間的に丹後半島の近海を通る風と、この影響で生じる不安定な気候のことを指す。
 一日の気象の変化が激しく、朝は晴れているかと思えば突然暗雲が垂れ込め、雨や雪を交えた湿度の高い風が吹き荒れたかと思えば、束の間の晴天に恵まれたりする。

 この地方に住んでいたり、私のように過去に住んだ経験のある者にはすんなり受け入れられるが、知らない人からすると「なんだこの天気?」と思ってしまうこともあるでしょう。
 私が小学生だった頃、朝 家を出る時 晴れていてもおじいさんから「傘 持ったか」と言われたことを覚えているが、その後「“うらにし”は、弁当忘れても傘忘れな ということだし」とこの地方で古くから言い伝えられている言葉を最後に付け加えていた。
 こんなことが今の歳なっても身についているからなのか、どこかに出かける時、折りたたみ傘を持たずに出ることはまずない。
 
 この丹後地方出身の野球人 野村克也の本は何冊も読んだが、その中で「“うらにし”のようなうっとおしい気候が人格や性格の形成にも影響し、陰気臭い性格にもなった反面、予期せぬことにも対応できたり、我慢強い人間にもなった」と語っていたことを思い出した。まさしくノムさんそのものでないか。

 秋のある日の天気のことを捉えて今日もダラダラと思ったことを書き綴ったが、久しぶりに野村のことだけでなく、故郷のことも思い出した休日であった。
 実はこの“うらにし”の後、初雪、そして寒波で豪雪地帯の冬が始まるのである。
 あ〜、恐ろしや。
posted by ヒロイ at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする