2022年07月24日

No.789:「遠慮なく顧問料を元に戻してください、もう大丈夫です。」

 先週の勇気づけられた言葉に引き続き、今週もうれしかった一言ということで、観光客や修学旅行先生を対象としたアクセサリーや小さな置物の製作・販売 それにその場で製作の体験教室をされている顧問先との会話を取り上げます。

 2年前 コロナが襲ってくるまではSNSでの宣伝効果もあり、国内のお客様はもちろん それ以外にも外国人観光客も加わり、製作・体験教室は一時は予約も取りづらい状況までになっていた。
 お店(体験教室を含む)は奥様がメインで切り盛りされていたが、今が商機と脱サラされたご主人もそのお店に加わり、個人事業であるがゆえの限界はあるものの、コロナ前の売上は開業15年目にして過去最高を記録するまでになっていた。
 お店は古民家に少し手を入れた程度の京都市北区にあるこじんまりとしたものであったが、コロナ直前の年末には更なる売上アップを図るために地下鉄沿線への進出も検討し、テナント捜しもされはじめ出されていた。
 そんな矢先 年が明けてしばらくすると、誰しもが予期していなかったコロナの大襲来に遭った。
 その後はキャンセルにつぐキャンセルの嵐で売上は前年の8割減となり、お店の経営はもちろんのこと、家の方、つまり家計も大変な状況に陥った。こんな状況なので新たな出店計画も断念せざるを得なかったのは言うまでもない。
 ただ、その後の対応は素早く、まずは国民年金や生命保険の支払い、それに住宅ローンの返済等 支払いが猶予できるものはなりふり構わずその手続きをされた。
 また この状態が長引いた場合も想定し、金融機関から無担保で500万円のコロナ融資も受けられた。
 このように資金の手当ては出来たとはいうものの、3ヶ月経っても一向に客足は戻ってこないので、ご主人は介護施設が運転手を募集しているのを見てすぐに応募、そして採用、あっという間に新しい仕事を始められ、今では送迎の運転手以外に施設内でご自身ができる範囲の他の仕事にも取り組まれている。
 奥様の方もお店は続けながら、空き時間を利用してご主人とは別の施設で介護の補助者としてパートの勤務を始められた。
 そしてその後はコロナは収束することなく、幾度かに渡って押し寄せてはくるが、お二人のがんばりで家計の方は破綻することなく何とか回せるようになった。

 元々人気のあったお店なので今では客足も戻り、今年の4〜6月はコロナ前の水準まで回復するに至った。
 ただ、ご主人はコロナのスタート時に就職された介護施設に継続的に勤務する意思を固められ、現在も勤務し続け 固定的な収入を得られている。
 ご主人は今年の夏は賞与もしっかりともらったということで大そう喜んでおられ、なかなか充実した日々を送っておられる。

 この顧問先はコロナ禍ではここに掲げているような状態に陥っておられたので、この最大の難所を切り抜けてもらうために顧問料を大幅に減額していた。
 3ヶ月に一度面談するという当初からの顧問契約に従い、奥様が先週 4〜6月分の帳簿等の資料を持ってこられ、その折に奥様から次のような話があった。
 「お陰様で客足も戻り、私はその対応に追われ忙しくしていますし、主人も定額収入が確保できる新しい職場で定年までがんばると言っています。万が一の時のために借りた借金も手を付けていなかったのでそっくり500万円返しましたし、固定収入がある分 今までより家計は安定しています。もう心配ないと思いますので、便宜を図って助けてもらっていた顧問料は8月分から遠慮なく元に戻してください。もう大丈夫です。」
 実は顧問料を減額してから2年近く経っていたので、私はそのことさえも忘れかかっていたが、ご自分の方から「顧問料を元に戻してください。」とおっしゃったのには驚いた。
 「本当に助けてもらい、そしてお世話になりありがとうございました。」と言われた時にはなんだか胸が熱くなった。
 私の方もお言葉に甘えた形になるが、迷うことなく顧問料を戻すことに決めた。
 暑い日が続くが、顧問先からの思わぬ一言で久しぶりにいい気分にさせてもらった面談でした。
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2022年07月17日

No.788:80歳の恩師から力をもらった

 昨日の京都新聞に京都マスターズ陸上選手権の結果が載っていた。
 私も長年 陸上競技に取り組んでいた身として、高校や大学時代にいっしょに走った者や誰か知っている人いないかなと思って、何気なく目を通していた。
「いたいた、へ〜 もう80歳か」と私が高校時代 陸上部の顧問だった先生の名前があった。

 〇 80m障害80歳 瀬野弘昭・・京都新、大会新
 そして ずーっと新聞を見ていくと こんな有名人(元オリンピック選書)も載っていた。
 * 100m 50歳 朝原宜治 11秒35・・京都新、大会新
 
 そういえば、この瀬野先生は高校を定年退職されてからも高校の体育教師の時以上に本格的に陸上に取り組んでおられ、年賀状はいつも国際大会で入賞した時の写真だったことを思い出した。
(確か、シンガポールやリオデジャネイロなどあちこち行かれていたな。)

 高校を卒業してから40年以上経つが、その間会ったのは、私の結婚式に出席してくださったのと 10年ほど前 特急電車の中でばったり会ったくらいでそれ以来、年賀状のやり取りだけでお目にかかることはない状態が続いている。
 「よし、今日は勇気を出して おめでとう と電話してみよう」と思い立って、電話番号を検索したが、この先生の携帯電話の番号は登録されていなかったので、登録されている自宅に電話をしてみた。
 数回の呼び出しコールの後、電話に出られ、「廣井増生です。お久しぶりです。」と告げると、「おお、廣井か!」と元気な声が返ってきた。
 新聞で80m障害で京都新で優勝されたことに対するお祝いの言葉を掛けると、「もう一種目優勝してるんやで、立ち五段跳びでも」 となんともうれしそうに2種目優勝したことを話された。
 思い出話も含め、10分近く話した後に、私が「先生、携帯の番号を教えてもらっていいですか」というと、「僕、携帯持ってないねん」とおっしゃった。
 私は思わず、「ほんまですか? 今どき、どんな老人でも携帯くらい持ってますよ。」というと「みんなにそう言われるこど、ほんまに持ってないねん。別に不自由したこともないし。」とこの先生らしい答えが返ってきた。
 昔から、人に惑わされず、好きなことだけをやり通される性格であったが、この携帯電話を持たれないこともこの性格からきているなと勝手に解釈した。

 電話を切った後、本当にお世話になった高校時代のことをいろいろと思い返していたが、
 高校時代は体育教師、そして陸上部の顧問でありながら、(あまり大きな声では言えないが)まるで私のマネージャーのように 国体やインターハイ、それに選抜合宿など全国どこに行くのも田舎者の私の気持ちを落ち着かせる思いもあってかいつも着いてきてくれた。
 インターハイで優勝した時は、私はあまりにもすさまじいレースだったので走り終わった後 しばらく放心状態であったが、瀬野先生は、「わしは廣井にすごいプレゼントをもらったわ。田舎の高校の一体育教師だけど、インターハイチャンピオンを育てた顧問という 京都の陸上界でこの先 大きな顔ができるというものを」となんともうれしそうに満面の笑みを浮かべておられたのを今でもついこの間のことのように思い出される。

 今日は突然電話するのは失礼かなと思いつつ、勇気を出して電話をして本当によかった。
 電話を切る前、「いや〜、何年ぶりかわからんけど、廣井の声を聞いてなんだか元気が出てきたわ。もうそろそろ陸上も引退かなと思っていたけど、もうちょっと練習を続けて次の大会をめざそうという気になったわ。この電話、ほんまに老人を元気にしてくれたわ。」と、こちらにもわくわく感が伝わるような元気な声で話されていた。
 確かに私の電話でこの先生は元気をもらわれたかもしれんけど、私も80代の恩師からとてつもないパワーをもらったような気がした。
 仕事していても家でも ついつい、「もう年だし」とか、「ほんまに最近疲れやすなったし、疲れもなかなかとれへんし」なんて口癖のように言っていたが、この瀬野先生の言葉を聞いて、こんなこと口にするのはまだまだ10年早いわ、いや20年早いわ と思った。
 でも現実的には80までは無理やと思うけどね・・。
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2022年07月10日

No.787:どこもここも財政難

 国も地方自治体も財政的に厳しくなってきている話は皆様方もよく耳にされていることでしょう。
 コロナ前でも厳しい状況であったと思うが、コロナでの莫大な財政支出の後はなおさらアップアップの状態に陥っているというのは、このコロナ関連の支出の大きさから誰しもが想像のつくことであろう。

 会社や家計というある程度 目が行き届く規模なら財布の中身も把握できるが、国や自治体となると規模が大きい分 何が厳しくて、どこにしわ寄せがいくのかわかりずらい面もある。
 医療費や介護サービス、それに子育て世代への支援・援助等は良くも悪くも取り上げられる機会も多く、「また負担増か」とか「こっちも削減されるのか」と比較的わかりやすいが、それ以外の公共サービスの部分は意外と一般の人にはわかりずらい面もある。
 ただ、外出したり、あるいはいろいろな施設を利用したりすると、「もしかして お金がないのかな」と感じられることもある。

 これは財政不足が原因かどうかわからないが、車に乗っていて感じたこととして一例を挙げると、
 観光客や歩く人に優しくということで歩道を広げる工事がいたるところで行われていて、これについてはいい街づくりだなと思うが、車の走る一般道で白い線や横断歩道のラインが消えかかっていたり、見えにくくなっていると感じることがあり、京都市内の幹線道路の一つである五条通もその一つである。
 先日も京都府の北部から国道9号線で京都市内まで戻ってくる途中、京都市内の中心部に入ろうとする片側4車線のところで、車線を示すラインが消えかかっているところがあった。
 夜だったこともあるとは思うが4車線を区切るラインがほとんど見えないところがあり、車が少なかったからよかったもののふと気づけば一瞬ラインをまたいで運転していた。こんなことを言うと交通違反になるかもしれないが、それくらい見えなかったということである。
 数年前まではあちこちに新しい道路(高速道路も含む)ができ、きれいなアスファルト舗装とくっきりとした白いラインがなんとも運転する者にとって気持ちのいいものであったが、最近は気のせいか、白いラインのことだけでなく、くぼんだ道路やアスファルトがつぎはぎだらけになっている道路も今まで以上に目につくようになったと感じている。
 あと、京都市の地下鉄でも竹田駅は上り下りはお互い相手のホームが見えるように対面になっているが、立っていると電車が入ってくるまで反対側のホームの状況がよくわかるが、そのホームの下のコンクリートが見え、じっくり見るとそのコンクリートが欠けているところがある。
 あれくらいでホームが崩れ落ちてくることことはないかと思うが、あれとて本来は何らかの補修が必要ではないのであろうか。

 私はたまたま交通関係のことを取り上げたが、みなさんの日々の生活においてはこういった「国や市はお金がないんやな」と思われることはいくつもあろうかと思う。
 2221年度の国の税収が過去最高という信じがたいニュースも先日耳にしたが、それをもって公共サービスや公共事業等の諸問題を一朝一夕に解決できるわけではないということは誰しもわかっていることである。
 でも こんな時、一体お金はどこへ? と考えてしまうのは私だけではないはずだが・・。
 歳入の見通しが立つのなら、歳出のコントロールでもう少し還元したり、課題となっている問題解決に向けての支出があってもいいように思う。

 こんな話をしていると政治的な匂いもしそうなのでこれくらいにしておくが、今日の参議院選挙の結果がどう出るのか、夜の速報を待つことにしよう。
 私は今回の選挙は先週の日曜日に期日前投票に行ってきたので、今日は投票所に出向くことのない選挙の日である。
 よく、良識ある判断といわれるが、良識のある判断っていったいどういうことなんだろう? これに対してきちんと説明が出来る人ってどれくらいいるのかな、 私も含めて?
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2022年07月03日

No.786:実行しています、34年前に妻から言われたことを 

 今日は朝から強い雨が降っていたこともあり、自宅で自分の部屋にこもって部屋の片隅に積み上げられている「いつかは読まねば」と思っていた冊子や読み物に目を通していた。
 昼ご飯を挟んで午後からも同じようなことを続けていたが、今まで置きっぱなしにいていた量があまりにも多く、全てを読み切ったり片付けたりすることはできそうにないので、途中で気分転換も兼ねて散らかった部屋の後片付けもしていた。
 棚の奥にはかなり古いファイルや封筒もあり、中には私が結婚する前からのものもあり 久し振りに目にする書類を見て「あっ、そうだったな」と思うことがあった。
 そこにあった ○十年前の封筒や書類、それに学生時代に陸上の大会でもらった賞状、それに何度かとり上げられた「陸上競技マガジン」という雑誌等 懐かしいものを順次 手にとって眺めていたが、それらに記されている名前はどれも 今使っている「廣井」ではなく「広井」であった。
*正式には「廣」の中は「黄」であるので手書きの場合には必ず中は「黄」とするが、パソコンではこの文字は変換されないので、名刺や事務所のHP、それに仕事上の書類では「廣」を使用している。
 こんな話と今日のタイトルがなんで結ぶ付くのかと思っておられる方もあるのろうかと思うが いよいよここからが本題なんです。
 私は26歳で結婚するまでは、ほとんど「広井」しか使ったことがなく、学生時代のテストの答案用紙の名前も、就職した時に自分で作ったシャチハタも「広井」であった。
 それがカミさんと結婚した時、カミさんの姓も山ア(山崎ではない)から広井に変わったが、カミさんは「広井より廣井の方がかっこええし、こっちが正式なんだし私はこっち(廣井)を使えわ。」と言って、結婚してから一度も「広井」を使うことなく、「廣井」を使い出した。
 そういえば小学生の頃、親から自分の名前の由来を聞いたときに、漢字(文字)の意味の他に、廣井の「廣」(中は黄)と増生の「増」はどちらも14画だし、二文字目の「井」と「生」も4画と5画ではあるが、どちらも比較的画数が少ない文字なので全体としてちょうどバランスがとれていていい と聞いたことがあった。
 ということで カミさんが結婚を機に「廣」使いだしてから、夫婦で使う漢字が違うのも変だなと思い、それ以来 私も「廣」を使っている(先ほども言いましたが、手書きの時は必ず中は「黄」にしてますけど)。
 たった「廣」と「広」の使い分けだけでここまで話が長くなるとは思わなかったが、もう一つカミさんから言われたことで実行していることがある。
 こちらも結婚して間もない頃、私のひょろひょろとした字が書かれている書類を見て、「字に自信のない人ほど小さく書いてしまうので余計に読み辛くなるんやで。いまさら達筆にと思っても無理なんで、せめて文字を大きく書けばきっとそっちの方が読みやすいし、読む人にも気持ちが伝わってええで。特に名前の小さいんはあかんと思うわ。せめて名前くらいは元気よう大きくないと・・。」と言われた、これも34年前に。
 まるで小学校の書道教室での会話のような話であるが、その甲斐?あってか 今では自筆で署名する時には意識することなく普通に枠いっぱいの大きな文字を書くようになっている。文字の上手い下手は別として。

 こんなつまらぬことを披露して、読んでいる人にとって、「わざわざ、ただの夫婦の会話をこんなところで」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、まあそこはさら〜と流しておいてもらえればありがたいというもんです。
 お忙しい中たわいもない話にお付き合いいただきありがとうございました。
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2022年06月27日

No.785:1つの県から1人も参議院議員が選べない?

 少し盛り上がりに欠けるとはいえ、現在 参議院選挙の真っただ中である。
 京都選挙区の定員は2人、お隣の滋賀県は1人であるが1票の格差の是正措置により、1県で1人の定員を配分されない県が4県あり、2県で定員が1人といういわゆる合区とよばれている選挙区がある。
 これは既にご存知の方もあるかもしれないが、鳥取県と島根県、それに徳島県と高知県で定員が1人というものであり、単独の県で選出した国会議員(参議院議)がいないという状態となっている。
 これに対して東京は定員6人となっており、上記の4県では1県当たりの実質定員は0.5人であるので何と12倍に開きがある。ただ、これば有権者の数に差によるものでこの定員こそ平等であるというものである。
 この定数については1選挙区1人の定数である衆議院の小選挙区では、都道府県単位でみると次回の選挙では東京都は現在の25区から30区と国会議員が5人も増え、逆に和歌山県(他にもあるが)では3区から2区となり県選出の衆議院議員は1人削減され、2人となる。
 1票の格差についてもう一度、その意味合いについて確認をしておくと、
*1票の格差とは「同一の選挙において選挙区ごとの有権者数が異なることで投票の価値に不均衡が生じるとされる問題」と定義されている。
 ということで、憲法でいう法の下の平等ともとでは1票の格差をなくすという当たり前のことではあるが、日常的に多くの物事を都道府県単位で見たり、検証したりする機会の多い現在の日本においては、上記の格差の問題は理解できるとはいうものの 逆に何か不平等感が生じているようにも思えてくる。
 コロナによって人口の都市部から地方への流入も見られるとは言っているが、まだまだ都市部、特に首都圏への人の流れは止まったとは言い難いように思うので、そういう意味ではこの国会議員の定数是正はさらに進んできて東京都をはじめとする首都圏の定員はさらに増え、人口がさらに減少する県では定員1名なんていうことも現実に起こりうることである。
 ただ、誰の力をもってしてもこの最高裁判決を覆すことはできないので、ある意味 従しかないのが我が国における選挙制度というものであろう。
 こんな政治の話の時にスポーツの話を持ち出すのは不謹慎かもしれないが、高校野球では昨年の夏の甲子園の都道府県別参加校は2校が参加できる東京都と北海道を除くと神奈川県が176校、大阪府167校で鳥取県は22校であるが、予選の出場校の数に関係なくどこも1校のみの出場枠である。
 国体なんかも都道府県の代表なので、その予選出場の選手数には大きな開きがあるが、ここでは不平等という議論はほとんど聞かれない。

 あと、今日の新聞にもう一つ地方政治に関わる記事が載っていたので紹介しておくと、
 京都市の北隣にあった京北町という田舎町が2005年の京都市と合併し京都市北区となったが、京都市議会議員の中では票数(人口)の少ない京北町出身の議員は一人もいないとのことで、以前 京北町であった時のように町会議員16人を通して地元住民の声を議会で反映するようなことはほとんどできなくなったとのことである。
 この問題は旧京北町だけでなく、市町村合併があった多くの所で同じようなことが起こっているとのことである。
 選挙と言えば、「○○党躍進。○○党伸び悩み」という記事が主体となるが、今回ここで取り上げた議員の数、そして今後の変遷について目をやることも日本の政治を考えるうえで重要なことのように思う。
 
 今日は少し硬い話になってしまったが、選挙の真っただ中にこうした制度の基本的なこと、逆にいえば選挙戦の裏側を知ることも選挙に参加するうえで意味にあることであるように思う。
 自分の選挙区が今後 どう変わっていくのか一度確認して見られたらどうでしょう。
 では、今日はこの辺で・・・。
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2022年06月19日

No.784:対面でない難しさ

 2年前から現在に至るまで世の中がコロナ禍という状況に陥ってからは、いかに人と会うのを避けるのかということが日常生活を送る上で非常に重要なテーマとなる局面を何度か経験した。
 「経験した」という過去形を使っているが、決してコロナが収まったわけではないし、完全終息宣言が出せるという状況でもないが、国のいろいろな緩和措置によって人々の動きが活発化してきたことは事実である。

 先日、来年の夏以降 京都で事業を立ち上げる予定のある人と“税理士選び”のための面談があったが、この開業予定の方は現在は勤務先の都合で東京で仕事をされているので、この税理士選びの面談はWebで画面越しでのやり取りであった。
 税理士選びも以前であれば、「〇〇さんから勧められて」といういわゆる紹介によって初回の面談をした後、特に大きな支障がないようであれば 顧問先になっていただき、顧問契約の締結に至るケースがほとんどであったが、最近は2〜3人の税理士と面談した後、いろいろな角度から検討された上で顧問税理士決定される方が多くなってきている。
 昨年、「税理士さんとの面談は5人目です」という方がいらっしゃったが、ここまでくるとこちらも「何が何でもうちの顧問先に」という思いもなんだか薄れていって、「運よくうちにきてくれたら・・。本命の税理士さんが既にいて、うちって単なるダミーかな?」なんて最初から勘ぐりながら面談をしたのを覚えている。
 そんな本音が相手さんに伝わってしまったのか、この時は当然のことながらいい結果がでないということになってしまった。

 時代の流れとはいえ、パソコンの画面を通してのWeb面談というのは内容にもよるがやはり限界があり、対面でないとなかなか分からないこともある。
 対面でない分、マスクを外しての面談は可能であるが、画面の向こうということではなかなか真の表情はつかみきれないケースも多々ある。
 よく知っている方ならともかく、初めての人であれば立った時の姿、座った時の姿勢、そして服装も含めた全体の雰囲気をつかむというのも面談時の重要なチェックポイントのような気がする。
 大きな声では言えないが、大手企業にお勤めされている知人のお嬢さんは出勤はなくとも自宅からパソコンを通しての会議出席となるらしいが、下がパジャマのままで、しかも背景は加工しているとはいうもののベッドの上で上半身だけを起こして、画面を通しての上半身だけの会議出席のようである。
 こんな話を聞くと在宅勤務の是非を論じるということよりも、「いったい、社員としてどうなの?」なんて言う気になってしまう。

 コロナで企業の在り方、社員の働き方も大きく変わろうとして中、数年後にはどうなっているのか 私が注目している会社とその取り組みは、
〇パソナ・・営業、人事部門などの本社機能の一部を淡路島に移し、従業員も1,000人規模で異動させる。
〇NTT・・原則の勤務場所を自宅とし、本社に出向くことは出張扱いで、飛行機での出社も可能で交通費も宿泊費も会社負担。対象者は3万人。

 この2つの会社の取り組み、1年後、5年後、そして10年後どうなっていくのか、羨ましさや興味もあって後追いしていきたいと思っている。
 「本社勤務は花形」なんて言っているおっさんはもはや化石化していくのでしょうか・・・?
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2022年06月12日

No.783:日本語を理解しないと時代に取り残されそう

 まずは、私が最近、この言葉どう解釈していいのかな とか、ただ単に私が頭が悪いがために理解に苦しんでいるだけなのかな なんて思うことがある。
 冒頭からこんな訳の分からないことを言っても私が何を言おうとしているのか余計に分からなくなってしまうと思うので、私が「おやっ?」と思ったり、「う〜ん?」と思っている言葉をまずいくつか例に挙げてみることにする。

○「プロパガンダ」・・特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。
・最近 ロシアのウクライナ侵攻後、報道番組の中で、「軍事作戦に正当性があると主張するプーチン政権による国内向けのプロパガンダは、総体として国民の多くに浸透しているといわざるを得ない。」なんて言われているし、この言葉からロシア国内の状況も雰囲気ではわかるが、日本においてはプロパガンダという言葉が日常的に使われたり、その行為が頻繁に行われているわけではないので 自分の中でも理解はできても頭の中に落とし込められていない部分がある。というのも、これは自分がプロパガンの影響を受けたことがないからなのかもしれない。

○「トリガー」・・銃の引き金。また転じて、物事を引き起こすきっかけ。
・先日も、「・・・がトリガーとなって、夫婦の関係は危機的状況に陥ってしまった」という文章がさらりと載っていたが、私にはこのトリガーという言葉がスーッと頭に入ってこなくて思わず、読み直したり、意味を調べたりしてしまった。

○「SDGs」・・持続可能な開発目標
・今や国策というよりも全世界が取り組むべき目標であるということは一応理解している。17色の丸いバッジをつけている人を時折見かけるし、自治体や会社によっては具体的な取り組みを実行しているところもあると聞くが、ある金融機関の支店長に「付けてはりますね」とスーツの襟の17色のバッジを指さして言うと、その支店長が、「うち(会社)の方針で、付けるように指示されてますねん」と言われた時にはなんだかむなしいというか、がっかりした。だから浸透せんのやなって。
 私もこの17色の意味とかを調べたり、それぞれの取り組み事例を見て行くと 「なるほど」と思うのだが、なんせ分野が多岐にわたり過ぎていて、正直何をしていったらいいのか分からにというのが本音です。
 でも、本当のところいうとこんなことを言っている経営者って失格なのかもしれませんね。恥を忍んで思っていることをさらけ出してしまいましたが。

 本当に言葉って難しいですね? 海外生活の経験のある方は今 日本での使われ方と現地(海外)での使われ方やニュアンスの違いを体感的に理解できるんでしょうが、私のような国内組には、頭の中に ? が付くことが多く、多少気劣りすることもある。

 言葉のこと言っても先述の3つの言葉とは言葉の重みは違うが、仕事をしていて若い人たち(とはいっても40代以下か?)がよく使う言葉で、時代やな と思うものがいくつかある。
 その中でも、「・・・的な感じで」、とか、「・・は、ほぼほぼメドが立ってきました」という、“的”や“ほぼほぼ”なんていう言葉は我々の時代にはなかったような気がするし、私は今まで使ったことは一度もない。
 「ほぼほぼ」も何年か前に日常的に使われるようになった時に 「ほぼ」と「ほぼほぼ」はどちらが完成に近いのかなんてその違いを調べたこともあったが、今や私の周りでは「ほぼほぼ」は完全に日常語になった感がある。

 今日は何が言いたいのか分からないような内容になってしまったし、これ以上言っても同じような話になってしまうので、今日は現代用語についていけないおっさんの愚痴として軽く聞き流しておいてもらえれば結構です。
 でも、仕事をする上では愚痴っているばかりではなく、何事も理解することから始めないといけないのだろうな と多少反省もしながら今日の話はお終いとします。
posted by ヒロイ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月05日

No.782:タクシーが走っていない?

 京都市内ならいつでもどこでもタクシーに乗れるというか、つかまえられるというのが今まで当たり前のことであったが、最近 京都市内を走るタクシーがめっきり減ったように思う。
 私も以前は行く先に駐車場がなかったり、駅から離れた場所へ行く時で時間がないような時にはついつい手を上げて乗ることもあった。
 ただ、最近は顧問先を訪問する以外の用事はめっきり減ったし、中でも会食なんていうのはこの2年近く全くなくなってしまったが、これは私だけでなくほとんどの人に言えることであろう。
 乗降客の多い駅、それに観光地等ではタクシーが列を作っているのを見かけるが、それとてコロナ前のような長い列ではなくほんの数台だけという時もあり、やはりタクシーそのものが減っている感じがする。

 最近、こんな光景も見かけた。
 朝の8時頃 北大路通で左手に赤ん坊を抱え、右手に折りたたんだベビーカーを持った若いお母さんがタクシーを探しているがタクシーそのものが走っていない。やっとタクシーが遠くに見えたのでベビーカーを持ったままの右手を必死に上げようとしたが、そのタクシーはお客さんが乗っていたので速度を落とすことなくそのお母さんの前を通り過ぎていった。
 そうこうしているうちに反対側車線で信号待ちをしていた私の方の車が流れ出したのでその後はどうなったか見届けることはできなかった。
 あと、今出川通でも大きな荷物を抱えたおばあさんがタクシーを待っている姿があったが、こちらも昼過ぎだというのにタクシーがほとんど走っていなくて、停めて乗る以前にタクシーが見つからない。
 コロナ前は夜 8時過ぎに自分の車で事務所を出る時に、空車のタクシーがお客さんを探すようにノロノロと走っているのをよく見かけたが、ここのところ それすらほとんど見かけなくなってしまった。
 4月の終わり頃、出町柳駅まで行くのに久しぶりにタクシーに乗った時に運転手さんが、低い声で「コロナで去っていった乗務員(運転手)が戻ってこないんです。戻ってきたところで安い賃金ですし、今や全く魅力のない仕事になってしまいました。若い頃は平均的なサラリーマン以上に稼げたし、コロナの前も日本人観光客と海外からのお客さん、それに修学旅行と休む暇がないくらいになっていたんですがね・・。」とぼやいておられた。
 静かになったというか、街が落ち着いてきた状態は地元の者にとっては住みやすい街になった感じはするが、このままでは国の財政も京都の財政も、そして国民の懐も厳しい状態から脱することすらできないのだろう。
 ある雑誌には「タクシーの乗務員は将来が見通せないとして3割が転職済み」なんて書いてあったが、少し景気が持ち直したり、観光客が戻ってきたからといって そう簡単にはタクシー運転手は戻ってこないのだろう。
 でも、観光都市である京都にはなくてはならない職業と思うんですが。

 仕事で地方都市へ行っても小さな町だとローカル線の駅前には、「タクシーをご利用の方はこちらまで」と車は停まっていない駐車場に電話番号が書かれた看板が立てかけてある。

 たかがタクシー、されどタクシーではあるが、なくてはならないものであるし、今まで当たり前のようにつかまえることができたのが そうはいかなくなったことに不便さ感じているのは私だけではないはず。
 お年寄りの中には病院への通院に必要とされている方もあろうかと思うが、乗りたい時にすぐには乗れないタクシーになってしまったことにコロナから始まった社会構造の変化に直面しているなと感じてしまう。
 街がごみごみして混雑していなという点では、人出の少ないのはいい面もあるが、本当にもうあの頃には戻らないんかなという 別意味での不安もあ。
 さあ、これから先 どうなるんでしょうね。
*今日はたまたま私の車の前に空車のタクシーが2台走っていました。
posted by ヒロイ at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月29日

No.781:「開業支援」だけでなく、「廃業支援」もしています

 本当に暑い日でしたが、あっという間に過ぎた一日でした。
 今日は ある医療関連の団体から「新規開業セミナー」の講師の依頼を受けていたので、朝から昼過ぎまではこの会場で一仕事を終え、そしてセミナーの帰りに事務所に立ち寄ると先週からやり残した仕事が目に入ったので、一定の所まできりをつけ、夕方早めに家に帰ってきた。
 平日と違い、外部からの連絡もない中で比較的ゆったりとした気分で机やパソコンに向かって、気になっていた仕事をメドがつくとこまでやり終えた。 今日の仕事も一定のメドまででなく今日中に完結することも可能であったが、完結する、つまりやり終えるには夜まで事務所にいなければならず、やはり日曜日に遅くまで仕事をしていると次の週の月曜日からモチベーションが上がらず、かえって仕事がはかどらない週になってしまうこともあるのでいい所で切り上げたということである。
 次の週を気持ちよくスタートするために仕事を少し早く切り上げたなんて ちょっとかっこいい言い方なのかもしれないが、やはり仕事は趣味やレジャーでないのだから、否応でもまた明日からまた一週間 仕事は始まるので、こういった「今日はここまで、これでお終い。」という気持ちも大事なのかもしれない。ただ、それほど余裕のあることはほとんどないのが現実なんだけど・・。いつも今日中にやらないといけないという縛りの中に身を置いているので。

 今日の研修で先輩開業医からの実例紹介があり、親族間でなく第三者承継といって、今まで全く知らなかった方からクリニックを引き継いだという事例であった。
 私の顧問先でも身内に後継者がいらっしゃらなくて、次の引き受け手を探しておられる方がいるが、これとて一昔前のように「お願い、頼むわ。」、「はい、私でよければやらせてもらいます。」という軽々しいものではなく、いくらで売ります(譲ります)、いくらで買います(譲り受けます)というまさにM&Aであったり、マッチングという紹介事業であったりするのが最近の通例である。
 社長のイスをめぐる後継者争いレースのようなものがある大企業の記事を見るすることもあるが、零細中小企業では親から子ならまだしも、身内に後継者のいない企業はそれはそれは大変な悩みである。
 当事務所の医療機関でない一般企業の顧問先で社長が80才台になっても後継者が決まらい会社があったが、この2年間いろいろと検討を加えた結果、昨年末やっと現役員の中の一人の方に後を託すことになった。 これまで仕事上、開業支援という事業の始まりを多く手掛けてきたが、ここへきて事業の引き継ぎ方や終い方に頭を悩ませている方も結構いらっしゃて、相談事例も年々増えてきている。
 事業というのはスタートして軌道に乗せるのも大切であるが、実はそれと同じくらい終わり方や引き際も大事で、これを間違えば今までの苦労も水の泡になることだってある。
 これからはこういった相談も増えるだろうし、その方法についてもう少し掘り下げて知識を積み上げていかなければいけないと思っている。
 話がまとまりづらくなってきたが、「開業支援」だけでなく、「上手な事業の閉じ方」なんていうビジネスもこれから今まで以上にニーズが出てくるような気もする。 何をするのも大変な世の中になってきたなと実感するし、いろんな意味で頼られる存在になるために学ぶべきことはいくらでもあるなと思う今日この頃である。 本当に終着点なんてない、というのが人生なんだろうなと妙なことを考えた。ただ、日々終着点のことを考えながら生きていくわけにはいかないし、明日はまた何かに追われる日になるだろう。
 ゆっくりしたい気持ちもあるが、こういう日常が自分には一番合っているんだろうなと思ってしまう。
 本当に忙しかった5月もあとわずか。
 カレンダーを見て少しほっこりしながら日曜日の夜を向かえている。
 さあ、一杯やろか。
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2022年05月22日

No.780:何カ月ぶりだろうか? 母の顔を見たのは

 母が入所している施設に久しぶりに行くことができた。
 行くことができたというのも新型コロナの感染拡大が常態化し、家族であっても面会できない状態が続いていたが、先日 他の用事でその施設の近くまで行っていて、1時間半ほど空き時間があったので、ダメもとで面会が可能かどうか施設に電話を入れてみた。
 施設の顔馴染みのスタッフの方から、「ほんの少しの時間 顔を見るだけくらいならいいですよ、ほんの少しだけですよ。でも、今 お昼寝中なんですけどね。」と言われた。ただ、またいつ面会できなくなるか分からないし、少しだけでも可能ということだったのでの立ち寄ることにした。
 午後4時過ぎだったが、まだ昼寝から目が覚めていないので、車いすに乗せて面談のロビーまで連れて来れないということで こっそり身をひそめるようにして母の部屋(個室)まで案内していただいた。
 話を聞いていたとおり眠っていたが、施設の方が「息子さんですよ。増生さんですよ。」と肩に手をやりながら声を掛けられると、少しだけ目を開け、口をもごもごと動かし、声にはなっていなかったが私の目には何かを言おうとしているように見えた。
 認知も相当進んでいるので、目が覚めていたとしても私のことは分からないし、食事の時には何とか車いすで食堂までは連れて行ってもらうようだが、手で箸やスプーンを持って自分の力で食事をすることはできないらしい。
 こうして私が面会に行っても母にとっては普段と何も変わらないのかもしれないが、私は面会できた時はいつも来てよかったなと思いながら施設を後にする。
 それにしても何カ月ぶりなんだろう? 9カ月近く顔を見てなかったかな? いつも「面会はできませんよ」と言われ続けていたので。
 よくよく考えてみると、こういった面会も私の自己満足にすぎないのかもしれないが、顔を見るといつもなんだか知らない力を与えてくれるし、自分が日々仕事をしたり、日常生活を送っていることの意味を考えるいい機会にもなる。
 我々の同級生や友人も親が亡くなったり、施設に入っている話をよく聞くし、これがある意味 日本の縮図かもしれないが、いつかは自分も通る道なのかな なんていうことも考えてしまう。
 このブログはこれから事業を始めようとする人や今後どのように事業を発展・成長させていこうかと考えているような人も見ていただいていると思うので、できるだけ事業に結びつき、先が開けるような話題を提供するように心がけているのだが、たまにはこういった自分の親、それに自分の将来や老後など、なかなかじっくり考える機会もなく、どちらかというとあまり考えたくないような話題をこうして書き綴るのも、人生や人間の命を考えるきっかけにでもなればと思っている。

 GWは長男と長女が前半と後半に分かれて、それぞれ夫婦で京都に来ていたが、こういったお決まりのようなことが、将来「若い頃、よう京都に行ったな。あの頃は親も元気だったし。」と思いだしたりすることになるのだろう。私も母の顔を見て思い出したのは若かった時のことが多かったし、目を閉じると、母はまだこうしてがんばっているのに目頭が熱くなってしまう。
 今日の話、頭に浮かんでいることをただ単に文章にしているだけなので、あまり役に立つような話ではないかもしれないが、たまにはこんな話にも加わってください。
 親と同居しているともう少し親のことも頻繁に考える機会があるのでしょうが、私のような離れて暮らす親不孝者にとっては、こういう機会こそ、大事にしないといけないと思い今日はこうして綴っている。
 まあ、一瞬かもしれないが「おかあはん ありがとな。」という気持ちが心をよぎっただけでも今回の面談は意味があったのかも。
 なかなか忙しくて次はいつ会えるか分からないけど・・。
posted by ヒロイ at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする