2022年03月27日

No.772:事業がうまくいく人の特徴

 この仕事をしているとほぼ毎日のように経営者の方と接するが、「経営者といってもこうも違うもんだ」と思うくらい本当にいろいろな考え方をお持ちの方がいることに気付かされる。
 経営的に申し分ない人、まあまあでひとまず軌道に乗っている人、そしてまだまだかなという状態から脱し切れていない人と経営状況もさまざまである。
 事業を始められて最初は厳しくても大半の方が2、3年経って心配のない状態になってきているが、そこまでの努力や苦労は並大抵のものではない。

 今まで数多く見てきた経営者の中で、常にお金の心配をしていて、支出内容のチェックも怠りない人というのは、事業に行き詰まったり、失敗するということはまずないように思う。
 こういう人は、お金に関して確かに細かい面はお持ちであるが、決してケチではないし、お金を出す必要のある時はスパッと出すという思い切りのいい面も持ち合わせておられる。 
 うまくいっている開業医の場合、医療機器を購入しようと思えば、業者に発注すれば比較的早く手に入れられる環境下にあるが、その医療機器を他のクリニックが使っていても自分の診療には必要でないと思えば、自分の判断で購入するのをやめられ、周りに流されて購入されるようなことはない。
 ただ、購入される場合もそうでない場合も、話題にのぼったその機器についてはひととおりの研究や検討はされるので、内容は熟知されている場合がほとんどである。
 それと事業がうまくいっている人というのは、いろいろな事に関心があり、誰もがついつい口にしがちな、「これってうちには関係ないし・・」と言うことはほとんどおっしゃらない。本当にいろいろな分野のことに興味を示され、人の話にも誰よりも耳を傾けられる、というか常に何事にも興味津々という感じがこちらにも伝わってくる。
 こういう方なので、事業に関することについて誰よりも研究熱心であるのは言うまでもないし、こういった下地があるから対策を練るのも、その対策を実行に移すのも非常に早い。まさに間髪いれずという感じで・・。
 ここで顧問先の方のことを悪い事例で掲げるのも気が引けるが、みなさまの経営の参考になればと思うので、あえて1、2例あげるがお許しいただきたい。
 まずは初動の遅い人、こういう方は何をしてもうまくいかない。
 同業他社との差別化を図る上でも、「HPをもう少し充実させないと」と焦りながら相談を受けてから、1年経っても何の手も打ってない人や従業員の時給の見直したいと言われながらも従業員からせっつかれて初めて具体的な検討を始める人。
 あと、お金の使い方が計画的でない人っていうか、臨時の収入や予定以上の売上があり、目の前に通常以上に預金の残高があると、「さあ、何買おうかな? お金も少し余裕があるので〇〇でも買おうか」とまるで衝動買いのような買い方をする人、後々のことも考えないで。

 逆にうまくいっているのは自分と考え方が違う人の話も聞けるという人で、これは非常に難しく、なかなか根気のいる行動であるが、このことで自分のやるべきこととしてはいけないことをしっかり見極め、自分なりに頭の中の整理ができていっているような気がする。
 人間が好きな人は必ずと言っていいほど事業がうまくいっているという結論もここでは導き出せるであろうし、本人はもちろんのこと、スタッフや家族が喜んでくれる顔が見たいがために事業に力を注いだ結果、いい方向に向かっていったといっても過言ではないように思う。

 今日も勝手なことを言ってしまったが、実は日々こんなことも考えながらいろんな方と接しているんです。
 明日からまた多くの方との面談の予定が入っているが、お互い試したり、試されたり、そんなことの繰り返しの毎日である。
 明日はどんな学び、気付きがあるのでしょうね。
 では、今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月20日

No.771:貴重な“いつもどおり”

 先ほど事務所のすぐそばにある同志社大学の前を車で通ると袴姿の女子大生を何人か見かけたし、大学の門の所では「卒業式」と書かれた案内板の前で記念撮影をしている人もいた。
 あっ、そういう時期だったのか? と思うと同時に、久しぶりに大学らしい光景を目にし、少しうれしい気持ちになった。
 2013年に文系の多くの学部が京田辺から今出川に移り、それに伴って今出川は6,000人近く学生が増え、 そりゃ当時はすごい賑わいであった。
 その頃、大学の近くで空いているビルがあるとすぐ学生マンションをあっせんする不動産業者が入り、周辺の飲食店やコンビニも賑わい、時間帯によっては今出川通の人通りは半端ではなく、しっかり前を向いて歩かないと人か自転車にぶつかるというような状態であった。
 それが2年前のコロナからは人影も少なく、最初の緊急事態宣言の時には日本中がそうであったようにこの界隈もまるでゴーストタウンのような状態になっていた。
 その後、多少 通学する学生は増えてきだしたとはいうものの、コロナ禍前と比べると1/4、もしかすると1〜2割程度しか学生が戻っていないように感じる。
 地下鉄の駅の上の一等地であった烏丸今出川の交差点のビルは今ではほとんどが空きテナントとなっているし、車で10分足らずの所にある京都大学の近辺(百万遍界隈)も同じような状況で、こちらも人通りの多い交差点の角にあったドラッグストアが撤退した後、1年近くになるが今でも「テナント募集」の張り紙が張られている。
 以前は大学のある場所は観光地とはまた違う人(学生)で賑わう街で“タウン化”していっていたし、以前 研修会で関西大学に行った時も阪急の関大前駅から大学までの道はやたらと人が多く、道端にあるどの店も混雑していたのを覚えている。
 コロナになって学生が学校に行かずWebで授業を受ける方式もすっかり定着してきたが、このままの状態が続くともう学生街というのは寂れるというか、いつしか学生街というものがなってしまうのではという感じがしないでもない。
 東京の高田馬場や三田、それに本郷なんかも人通りの少ない街になっているんだろうし、地方の大学は規模の大小はあるにせよ、その地域にはなくてはならない賑わう場所であったと思うが、今やどうなっているのであろうか?

 そんな中で今日の卒業式は家族の同伴者はほとんど見かけなかったとはいえ、久しぶりに見る華やかな光景であった。
 また、昨日は事務所の3軒隣のマンションに引っ越し業者が2回にわたってトラックを横付けしていたが、こういう新たに京都に住む人ための引っ越しを見ると春の当たり前の光景とはいえ、なんだかホッしてしまうという、今までにはなかった気持になってしまう。

 世界的にも大変な状況が続いているし、本当に晴れ晴れとはいえないすっきりしない春であるが、暦は世の中の状況や人の心とは関係なく同じ間隔で時を刻んでいき、3月もあと10日余りとなってしまっている。
 以前は“春”と聞いただけで心がウキウキするものであったが、なかなかそんな気分になれないのは私だけではないはずで、平和はもとより日常というものがこれだけ素晴らしいものだったんだと思わざるを得ない今の世の中である。
 “いつもどおり”とは本当に貴重なものあると思わざるを得ない今年の春である。
posted by ヒロイ at 15:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月12日

No.770:春は親離れ、子離れの季節

 確定申告も一定のめどがつき 昨日[3/11(金)]で大部分が完了となっているが、コロナの影響を受け濃厚接触者や陽性者が出た顧問先、それに我が事務所内でも超繁忙期である2月中旬に同様の理由で自宅待機を余儀なくされたスタッフが担当している先等 数件はまだ最終に至らず残っている。
 昨年と一昨年は法定の申告期限が1ヵ月延長となったので、顧問先の方々の理解を得たうえで少し間延びをした形での確定申告業務であったが、今年はコロナの影響があった場合の申告期限の延長は可能とはいえ、基本的には3月15日の法定申告期限は動かないままであった。
 今年も昨年までとは違った形でコロナには翻弄されたが、期限が従来の3月15日に戻っただけで、まるで期間の短縮がなされたかのように短期集中型で体に堪える確定申告であった。
 そうそう、私はこのブログは非常事態以外は毎週書き込むというのをモットーとしていたが、ここ2週間はこの誓いも破り、お休みをさせていただいた。 
 このことからもこの2週間は久しぶりにほっと一息つく時間もないような生活であった。

 毎年、この確定申告期は入試結果の発表の時期でもあり、特に高校3年生や浪人生を持つ親にとっては、落ち着かない時期でもある。
 数日前に面談した経営者のご夫妻は、「子供が何とが大学に受かったので、いよいよ家を出ていくことになりました。他の子供はまだ残っていますが、数年後には子供部屋だけが残るんですよね。」と少し寂しそうにおっしゃっていた。
 当然、子供の合格、入学というのは大きな喜びであろうが、この“家を出ていく”というのは親だけでなく、子供の方もひとつの区切りとなるのであろう。
 よく “親離れ、子離れ”は難しいと言われるが、これは考えたり、また誰かが準備したりしてやってくるものではなく、このような子供の成長の過程で必然的に訪れるものでものである。
 私自身も18歳で家を出て、京都で下宿生活をスタートさせたが、私の親も3人いる子供の末っ子がいよいよ家を出ていったということで兄姉の時 以上に寂しさを感じていたのであろう。
 私の長女は大学生になってからも家から京都市内の勤務先に通っていたので さほど大きな変化はなかったが、今年で30歳になる長男が大学生に合格後、一人暮らしを始めるために家を出ていったときは、「いつも居る者がいない」何とも言えない寂しさというか違和感があったのを覚えている。

 実は今月末には我が家も再び“プチ親離れ子離れ”がやってくる。
 というのも長女は大学卒業後、先述のとおり就職してからも家にいたし、一昨年に結婚して奈良での新しい生活を始めてからも1時間ほどで通える同じ京都の勤務先だったので、何かあれば我が家に立ち寄ったり、次の日の仕事が朝早い時には前泊と称してよく泊まりに来ていた。
 それがご主人の仕事の関係で4月から和歌山で生活することになり(何事もなければ多分永住)、本人も3月で職場を退職し、今月末に奈良から和歌山に引っ越すことになっている。
 ということで度々 行き来ができた奈良とは違って、そう頻繁には来れなくなる距離になってしまう。
 とはいっても海外でもなく、国内 しかも近畿圏内のいるので遠くに行ったわけでもないが、長男も次男も東京なので、いよいよ自宅には頻繁に子供たちが行き来しない 限り、2(夫婦)プラス1(ワンちゃん)での生活となる。

 ただ、これとて多くの人たちが歩んできた道であり、寂しがったりすることなく、今までとは違った形での生活を充実させるしかないように思う。
 そのためにも健康というのは今まで以上に大事なことになるので、体には気をつけながら毎日の生活を送っていかねばと考えているところである。

 もう一度、確定申告の話に戻すが、何件か残っている特別な事情のある先を除いて15日までにあと数件仕上げて、申告期限の最終日を迎えたいものである。
 では、少しだけ仕事に戻るのでこれで終わりにします。
posted by ヒロイ at 18:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月20日

No.769:“コロナのお陰”と言える日は来るのか?

 先日、「東京都心部から周辺へ、そして地方へ」というような記事を目にしたが、ご存じのようにコロナによるテレワークの普及・推進により、都心を含む都市部から離れて住み、都市部のオフィスに通わずとも仕事ができる環境が徐々にではあるが整いつつあるとはいうものの、こういったことができるのは特定の職種であったり、一定規模以上の企業であったりとまだまだその利用は限られているのが現実であろう。
 ただ、時代の流れとして2年以上もこういったコロナに追いまくられるような生活が続くと、コロナ禍前のような生活を望まない層も出てきているのも事実である。
 地方の活性化と聞けば、古くは1970年代の前半、当時の田中角栄首相が掲げた日本列島改造論(これを知っている人は50代後半以上か?)、そして昭和から平成にかけて竹下登首相により各市町村一律に1億円がばらまかれた うふるさと創生とよばれた政策。当時、その1億円で金塊を購入し、展示した淡路島内のどこかの自治体もあったと記憶している。
 そして数年前からの東京一極集中の是正のために地方創生と叫ばれていたが、現実にはほとんど進まなかったというのがコロナ禍前までの我が国の状況であった。
 この地方創生担当大臣は初代が石破茂議員だったことを記憶している人はあるかと思うが、現在、このポストに野田聖子議員が就いていることを知っている人は数少ないように思う。
 こういった「政治の力で地方に活力を」と多くの政治家が叫んでいたが、一向に進まず、数年前からの東京、あるいは首都圏への集中は勢いを増すと言っていいほどどんどん進んでいった。
 この状況下にあった時に コロナが蔓延し、企業やそして東京をはじめ都市部に住居を構えていた人が、多少のゆとりも含め人間らしく生活ができる、子育てができる場を求めて移住という行動に表れているというのが最近の動きのようである。
 ただ、私はマスコミで捉えているほど移住はメリットばかりではないように思う。
 都会の人(子供も含む)が、自然を求めて というのが最近の移住する人たちの思惑のようであるが、本当にそこに理想郷があるかどうかの答えは5年後、10年後にならないと出てこないであろう。
 私は田舎暮らしも都会暮らしも経験したことがあるが、田舎暮らしはついつい“自然”が強調されがちであるが、いざ生活するとなると、まずは仕事、そして教育、それと健康で生きていくために欠かせない医療・福祉の3つがきちんと整備していなければ、まるでバブル崩壊後のリゾート開発のように、ブームが去れば空き家だけが増えたということにもなりかねない。
 移住にはお金も必要であるし、支援金も魅力の一つであるので、島根県のように「移住者へ最大100万円の支援金」という うたい文句で移住者を募っているところもある。目の前の100万円は確かに大きな金額かもしれないが、100万円で自分や家族の将来が買えるわけではないこともよく理解しておく必要がある。
 「本当に来てよかった、これからもずっと居たい。」と思えるような場所にするのは長い長い道のりで、答えは本当に数年後にしか出ないであろう。
 こんなことばかり言っていると、地方への移住の反対論者みたいに思われそうだが、決してそういうわけでなく、行ってみたい、住んでみたい、そして戻ってみたい場所が全国のあちこちに出てくれば、日本は今とは違った形で地方も生かした活性化の道筋が作れると思っている。

 最後に、結婚や子供の出産のことは個人の尊厳に関わることなのでここで触れると問題があるのかもしれないが、もう少し日本の人口が増えないことには何をするにも限界があり、人口構成のバランスを欠いた発展はあり得ないし、しりすぼみになってしまう可能性だってある。
 そういう意味において、(各自の自由であるという大前提はあるのは分かっているが)、結婚、出産、子育てがしやすい世の中を作ることが重要であるように思うし、このキーを握っているのは女性でなく、男性であるように思う。
 なんだか政治的な匂いもしそうな話になってしまったが、日本のあちこちで子供の声が聞こえるような国にあこがれるのは、私自身が地方でも賑やかだった時に幼少期を過ごしたことと無関係ではないであろう。
 そろそろコロナの功罪について検証も始まるだろうが、こういったことが実現できれば、いつかは「コロナの後 日本は変わった、いい意味で。」と言える時が来るかもしれない。
 「コロナのお陰」とは言わないまでも、「コロナが転換期だったな今の日本があるのは、今の世界があるのは」と言えるようになればいいのにと思っているのは私だけではないはず・・。
posted by ヒロイ at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月13日

No.768:シャッターの音で忙しさが分かる

 我が事務所はこじんまりとしたテナントとはいえ、5階建のビルをまるごと借りているので、1日の最初と最後のビルの開閉は事務所の誰かが行うことなる。
 今日の話をする上で、事務所に来られたことのない方は構造や出入りのルールについて触れておかないと意味が分からないので、先に少しだけ説明をしておく。
 事務所のビルは、正面に大小のシャッターがあり、最初に事務所に入る者は、一般的によくあるドアの鍵開けから入るのではなく、まずはシャッターを開けないと入ることができない。
 そのシャッターも人が入る玄関の小さい方のシャッターは手動の鍵で開閉し、車2台分の幅があるガレージ側の大きなシャッターは電動で開閉するようになっている。
 事務所は8時30分から9時30分の範囲内での時差出勤制をとっているが、基本は8時30分が始業なので通常 私は8時10分前後に事務所に入るが、当然のことながら既に出社している者によって2つのシャッターは開けられている。
 帰りは比較的 外出先からの戻りが遅い私が、書類整理や決裁をした後、最後に閉めて帰ることが多い。

 今日の本題は閉める時、最後に電動シャッターのキキーン、キーという摩擦音の大きさが半端なく大きいことにに関係している。その帰りの時間が7時台なら、車も人もそれなりに行き交っているのでさほど気にならないが、8時以降となると車の通行量も少なくなっているので、シャッターの閉まる音が静かな夜の街に響き渡る。
 金曜日は夜も営業されている3軒隣の散髪屋のご主人からは、週明けに顔を合わすと、「先週の金曜は遅くまでされてしましたね。あのシャッターの閉まる音を聞くとうちもそろそろ終わりにしようかと思うんです。」とあいさつされることもあるし、自宅内に事務所を構えられている近くの先輩税理士さんからも、「シャッターの音を聞いて、ああ 廣井さん そろそろお帰りかとか、時には寝る頃 まだ事務所にいはったんや と思いながら寝付くこともあるんです。」と話されていたこともあった。
 このシャッターの開閉時、特に閉まる時の大きな音は、なんとかしたいと思いつつも構造上の問題からもまた改修や取り替え費用の点からも半ば諦めていたが、先日 出入りの工事業者からシャッターの溝のクリーニングと適度な油をさすことで大幅に改善されると聞いたので、即 実行に移した。
 終わった後、「なんでもっと早くせんかっんやろ」と思うくらい静かになり、ご近所の顔見知りの人はもとより、事務所の周りに建ち並ぶマンションの方々にも「毎晩 騒がしくしてすみませんでした」と思った次第である。
 それといよいよ繁忙期に入る時期に周りを気にせず静かに帰れることにほっとしているのも事実である。今頃言うのもなんだが、なんでもっと早く手を打たんかっんやろ。
 ただ、一つのストレスの要因がなくなったことは何はともあれめでたしめでたし。
 ところで、このシャッターの件、業者さんに急いでお願いしたので見積りを取らんかったけど一体いくらするんやろ? 明日電話して聞こ。
posted by ヒロイ at 11:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月06日

No767:“言っても無駄な人”にならないためにも

「あの人何言っても無駄やで」と思う人 みなさんの周りにはいませんか?
 こんなこと言っている私も他の人からそう思われていないとも限らないし、特に先輩や上司、ましてや経営者ともなれば周りの人の本当の気持ち、つまり本音というのはなかなか本人の耳には届きにくいものである。

 企業規模の大小に関わらずトップは人の意見に惑わされることなく、自分の考えで信念を曲げずに走らないといけない局面もあると思うし、時には相談する時間的余程もなく、即 決断を求められることだってある。
 私は自分自身も含め4人で事務所を立ち上げたが、今となって思うと人の仕事ぶりや考え方がきちんと把握できるのは普通の人なら5、6人までで、余程そういった能力に長けている人であってもきちんと把握できるのはせいぜい10人くらいまでかと思われる。
 私自身 一人で全ての舵取りができるほどの能力もなければ、自信もないというのが正直なところで、そういう意味での限界は早くから感じていたので、当初は2人、今は3人で1週間に1回 幹部会なる事務所運営の打ち合わせの機会を設けている。
 もちろんそこで全てスタッフの意見が汲み取られているかというとそうではないと思うが、私一人で考えるよりはこうして複数の者で議論する方がずっといい組織が作れるように思う。

 全ての人の意見や気持ちを理解でき、みんなの希望を叶えてあげられたらそれにこしたことはないが、全体の調和、そして経営的な観点から取り入れられないことだっていくつもある。
 まだまだこの場で伝えたいことはいろいろとあるが、「あの人は聞く耳持ってない人やし、言うだけ損」とか、「あの人 昔はもっと話のわかる人だったのにな」と思われないようにすることが、経営者にとっては重要なことのように思うし、開かれた組織の方がきっと長続きすると思う。
 各人が抱える悩みは当然解決することが必要だとは思うが、今までの経験では 事務所内でも顧問先の経営者からの聞いた話においても、まず いろいろと考えているの話や悩みを聞いたり、意見を言う場があるということが重要のようである。
 これは職場だけでなく家庭内でもいえることであろうし、今回は自省の意味も込めてこんな内容になってしまっている。 
 振り返ってみると、今まで仕事でも仕事以外のことでも、「あんたの言うこと聞いても意味ないし」と言われたこともあるし、「もうええ、うるさい」と半ば切れられたことは仕事上でのことも含め一度や二度ではないが、そう言われた人には自然と距離をとってしまい、それ以降 絶対に近づいたりしませんものね、あれだけのこと言われたのだから当然でしょうし。
 まあ、今ではそういう人とはお付き合いが続いていないし、もし 心当たりのある人がこれを読んでいたらどうしようとも思ったが、そんな人 読んでるわけないですよね 私のブログなんて。
 まあ、気にせず今日はこのへんで終わりにしよ。これ以上続けるとつまらぬ愚痴を言ってしまいそうなので。
posted by ヒロイ at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月30日

No766:1月最後の休日の朝

 またまたコロナで大変な状況になってきているので、ふらっとどこかへ出掛けるというわけにもいかず、休日といえども相変わらず籠りがちな生活が続いている。
 こんな中でもぽぽたん(犬)の散策は省略するわけにはいかないので、私がお供できる休日くらいは気分転換も兼ねてご近所以外の所に足を延ばすようにしている。ただ 喜んでいるのかどうか、ぽぽたんの本心は確認のしようがないが・・。

 足を延ばすとは言っても決して遠出するわけでもなく、車で10分から15分位の場所が多く、国際会館・宝が池方面か 今出川の京都御所に行くくらいである。  
 今朝はいつもと違うところへ行こうと思い 北大路橋の近くに車を停めて、賀茂川沿いを南の出雲路橋まで往復約1時間かけて散歩した。
 旅行で観光地を訪れた時は、「○○も見なきゃ」とか「○○へも回っておきたいな」というように、時計を見ながらもついつい足早に移動してしまうが、犬の散歩というのはある意味 それ以外の目的がないので、ゆっくりと歩きながら普段なら何でもないようなものを新鮮に感じるという思わぬ効果がある。
 川の中で戯れる鳥、木の下で食べ物をつつく鳩、そしてランキングする人、それも凄い早いスピードの人から、重たそうな体を揺らしながら歩くのよりも少しだけ早く走っている人など、目に飛び込んでくるものを追っているだけだが決して退屈することはない。

 コロナ後は本格的な旅行は計画すら立てられないし、京都以外の近畿圏内で開催されることもあった税理士関係の研修もほとんどがリモート開催になってしまっているので、大阪にすら行く機会がほとんどない。
 旅行だけでなく研修であっても他の街へ行くとその街の変化にも気付くし、何と言っても、通りがかりとはいえ おいしいお店を探すのも楽しみの一つであったが、そんな他の街の様子はテレビを通してでないとみることさえもできなくなってきている。


 これから確定申告期に突入するので、いずれもにしてもしばらくは自由な時間はとれそうにないが、何とか春には今よりも気兼ねなく、行きたい所へ出掛けられるようになっていたら と願うばかりである。

 それにしてもこの1ヵ月は本当にあっという間に過ぎ去ったが、2月もきっとそれ以上のスピードで駆けていってしまうのだろう。
 ただ 目の前にある仕事のことを考えるとやり残していることの多さに気付くが、実は2月の初めは毎年こういった状況であり、これを3月の上旬までにひとつひとつ片付けていくしかないのは自分が一番よく分かっていることである。
 実質的には既に始まっており、これからいよいよ本格的となる確定申告の業務も 私にとっては今年で38回目である。
 それにしてもすごい回数しているんだなとあらためて思ったし、なぜか毎年新鮮に感じてしまうのは不思議なものである。
 それは毎年 新しい人、新しい案件に出会えるからなのかな? 
 まあ、いろいろと考えたり、心配しても仕方がないので、とりあえずスタートすることにしよ。
posted by ヒロイ at 22:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月23日

No765:顧問先で毎回トマトが出てくるという話

 私が毎月定期的に訪れる顧問先は20件以上あるが、その中でも毎回同じ決スタイルとはいえ ちょっと変わった形で私を迎え入れてくれる顧問先がある。
 そこはクリニックで、スタッフのいない午後の時間に院長と奥様が対応して下さるが、面談の場所である休憩室に入るなり、テーブルの私が座る側には大きな器に切ったトマトが盛られている(多分 2個分)。そして横にはお塩とフォークが置かれていて、私は軽めのあいさつの後、まずこのトマトを休むことなく食べ、全て食べ終わってから訪問の目的である巡回監査業務に入っていく。
 知らない人が聞くと「これ何っ?」と思われるので少しだけこうなった経緯を話しておく。
 3年程前の夏の暑い日にこのクリニックを定例の面談のために訪れると、「甘い物や清涼飲料水よりも こういった物で水分補給するほうが体にいいですよ」と程よい大きさに切られたトマトがお皿に盛られて出てきた。その冷え方は"キンキンに冷えた”とい表現が当てはまるようなものであった。
 実は私は小さい頃、夏の暑い日に祖母や父が畑でとってきたトマトをそのまま丸かじりすることが習慣のようになっていて、家の裏で切らずにそのまま食べていた。
 そんな中で育ったからなのかどうかは分からないが、トマトは野菜の中でも大好物で、少し野蛮な話だが、きゅうりも端だけ切って、そのまま片方の手に持った塩をかけながら丸かじりすることもあった。
 こういう経験の持ち主であったので、このクリニックで初めてトマトをいただいたときは「めちゃ美味しいですねこのトマト。実は私 トマトが大好きで、こんな仕事中にまさかトマトをいただけるなんてうれしくて・・。」と思わず素直な気持ちでお礼を言った。
 それ以来、毎回必ずトマトが用意されていて、冒頭に書いたような形でその訪問先での仕事がスタートする。
 私の中ではトマトは夏の野菜というイメージであったが、ここでは季節を問わず私のために毎回トマトを準備していただいているので1年に10回位(奥様が不在の時はなし)いただくことになる。
 事務所から2時間近くかかる遠方の顧問先であり、お二人とも私より年が上なので、子供とは言わないまでも弟か後輩がはるばるやってきたという感じで迎え入れてくれるのであろう。
 もちろん、別に何かを出してほしいというわけではないが、このお気持ちが妙にうれしく、ここに着いて車を降りるとなぜか仕事のことよりまずトマトのことが頭に浮かぶというなんとも言えない訪問先のひとつである。
 夏場の訪問時には帰り間際にはこれまコップにたっぷりと入った麦茶もいただいて帰るのだが、トイレの方が事務所に着くまで持たないということだけは、心しておかないといけないことである。

 今日は仕事の中身の話ではないが、こういったユニークとはいえ うれしいおもてなしをして下さる顧問先の話を少し紹介してみた。
 「今日は廣井先生に会えるということで、昼からずった待っていたみたいですよ、うちの先生は。」とトマトを食べているとき奥様から掛けられる言葉も疲れを吹き飛ばしてくれる。
 税金や経営の話だけでなく、こういう時間もある意味 大事で、こんな形のコミュニケーションの中からふと妙案が浮かんできたりすることもある。
 「2月は〇日がトマトの日か」と手帳を見ながら、うれしい気分になれるだけでもありがたい。
 当然のことながら毎回トマトの大きさも固さもそして味も少しずつ違うが、これも楽しみのひとつなってきている、「今日はどんなんかな」と。
posted by ヒロイ at 23:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月16日

No764:昭和に引き続き、平成も徐々に消えていく・・大丸のファミリー食堂が閉店

 新聞記事等で目にされた方もあるかと思うが、大丸京都店のファミリー食堂がこの2月末で閉店になる。
 私はこのファミリー食堂にはたくさんの思い出が詰まっていて、小学生の頃、父母や祖父母に連れられて田舎から京都の遊びに来ると、帰る前に大丸に連れて行ってもらい、まずはおもちゃ売り場でゲームを買い、その後 ここでご飯を食べたことが何度かあった。
 それほど頻繁ではなく 1、2年に一度で計3、4回だったと思うが、大丸に来たときは、ガラス張りのメニューの所で何を食べようかと顔を摺り寄せて中を覗き込んでいた記憶が残っている。
 また、平成元年に最初の子供が生まれ、平成6年生まれの3人目まで、3人の子供たちが小学生の頃も、何度か行った記憶があるし、今にして思えば まさに子育て真っ盛りの頃であったように思う。
 この時もまずは6階のおもちゃ売り場で何か(何を買っていたかあまり記憶にない)を買って、最後はこのファミリー食堂で早めの夕食を食べて帰るのが定番であった。
 今から20年少し前のことであるが、この頃は食事時であれば大変混雑していて、食券を買った後、ロープに沿って並びながら、中にいる店員さんから、「次の方」と手招きしてもらえるのをじっと待っていた。
 その後、子供が大きくなってからも、年に1回くらいであるが、カミさんと贈答品等を買うために訪れた時も子育て時代の頃の懐かしさが残っていたのか、2人で夕食を済ませて帰ったことも何度かあった。
 ただ、こうして2人で行くようになってからは、確かに満席ということは一度もなく、食券を買ったら、 「お好きなお席へどうぞ」 と並ぶことなく すぐに席に着くことができた。
 ある意味、私というか、廣井家の歴史(ちょっと大げさかな?)と共に歩んできた部分もある大丸のファミリー食堂がなくなるのは何とも言えない寂しさがあるが、まさに歴史の転換点というか、昭和、平成としっかり役割を終えてきた感がないでもない。

 ここまでは私の思い出話を中心に綴ってみたが、よく「昭和の頃」と一昔前のことのように言われてきた後、ここへきて「平成の頃はな〜」と平成も過去になりつつあるのかなと時代の移り変わりの早さを感じていた。
 特にコロナに世の中が侵されてからは、今までの2、3年分が1年で置き換わっていくような、世の中の移り替わりの早さを感じずにはいられないし、2年前までは京都市内でも外国人で溢れかえったり、学生を中心とした若い人たちが夜遅くまでお酒を飲んだり騒いだりしていたが、そういった光景はほとんど見られなくなった。

 これからどうなるんでしょうね?
 少なくとも多くの人が期待しているような前の形、つまり以前のような世の中には戻らないだろうし、この2年間の経験で 騒がしい、あるいは 賑やかな状況を望まない人も多くなってきているように思う。
 人間なら誰しも楽しみたいという欲望はあるので、家から一歩も出ない禁欲で仙人のような生活にはならないであろうが、「自分が楽しむには」という“個”の重視というのがより一層強まってくるように思う。
 これはビジネスにおいてもいろいろな局面で出てくるであろうし、仕事に限らず旅行や趣味も含めた遊びも、そして家族関係や人間関係もお決まりの形というものがなくなってくるのであろう。
 そういう意味ではいったい自分は何がしたいのかを考える機会が今まで以上に増えてくるだろうし、今まであった世の中の流れに身を任すというような大きな“流れ”そのものがなくなっていくようにも思うし、今から40年、50年と生きていかないといけない若い人にとっては、本当に大変な世の中になっていくように思えてくる。
 年のせいかどうかは分からないが、1年が、3年が、そして10年が 目まぐるしく過ぎていくし、目の前の1日も、1週間も、そして1ヵ月も本当にあっという間だと感じてしまう。
 あ〜、それだけ年をとっていっているんですよね。 あ〜 恐ろし。
posted by ヒロイ at 18:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月09日

No763:今年の楽しみは旧友に会えること?

 この場で元旦に年賀状代わりの挨拶はしたものの 従来の形で文章を綴るのは今回が今年初めてである。
 事務所は昨日から3連休で今日はその2日目であるが、毎年この連休は非常にありがたい。
 新年早々にまた連休 という感じを持たれる方もあるかもしれないが、お正月でなまった体と心にはたとえ年始の数日間だけの仕事でも結構堪えるもので、今やこの休みを終えてやっと本格稼働という感じがしないわけでもない。
 以前は1月15日が成人の日であったが、20年程前から1月の第2月曜が成人に日と定められてからは、土曜日が休みの人は 必ず3連休になるので、社会人にとっては正月過ぎのお年玉のようなものである。

 我が家は3人の子供(長男の所は奥様だけ帰京)が、それぞれの都合で年末から年始にかけて京都にやってきた。みんな揃って一斉にというのではなく、ぱらぱらという状態であったので12月26日の夜から1月5日の朝まで常に誰かが来ているという状態で、ある意味 長く続く正月という感じであった。
 私はいつものように自分の思うままに動いていたが、カミさんはこの10日以上の対応は結構大変だったように思う。ただ、こうして顔を見せに来てくれるのは非常にありがたいことと 皆に感謝している。

 年末のどこかで散髪にと思っていたところ、事務所の近くの行きつけの店の予約がとれなくて年を越してしまったが、今日の予約がとれていたので、頭の方は年をまたいでやっとすっきりしたという状態である。
 ここのお店は金曜日は昼始まりで夜10時まで、そして月に一回は店長の家族サービスの日で連休をということで、日曜日を休みにされている。
 以前は美容院も含め月曜日が休みというのが定番であったが、今度はそれぞれの立場でいろいろな選択肢がでてくるんだろうなと思った。

 次の土日は大学入学共通テストで受験生やその親御さんは息の抜けない年始であろう。
 こんな方々に次の日曜日は毎年 京都で開催される全国都道府県対抗女子駅伝は楽しみなんです なんていうと、何とも失礼なというか、緊張感のない人だなと思われるので、それぞれの方の今の立場の考えながら話をしないといけない季節でもある。

 余談だが、我々の頃はこの試験は「共通一次」と言っていたし、うちの子供が受験していたころは「センター試験」と言っていたのに、知らぬ間にまた名前が変わっていて、これも世の中の変化の一つであろう。

最後に
 今や年賀状には賛否両論あり、年々減ってきているように思うし、「今回で書き納め」という方も何人かあり、そのこと自体は各人の考えで対応したらいいと思っているが、受け取った年賀状で今年の楽しみになりそうなものがあった。
 それは陸上部以外では数少ない大学時代の友人(同じ経済学部)からのもので、「いよいよ定年の年です。3年前から古い友人と会っていて、もうすぐ京都です。」と書いてあった。
 彼は神戸出身であったが就職してからずっと関東在住で、大学卒業後 結婚式以外では一度も会っておらず、もし今年会うことができればなんと34年ぶりである。
 コロナがまたまた怪しげになってきたので こういったこともどこまで実現できるか分からないが、こんなことも楽しみにしながらこの一年を乗り切っていきたいと思っている。

 私は毎朝、6時過ぎに目が覚めると すぐさま新聞を取りに行き、その後 まるで病室の病人のようにベットにもたれかけながら、1時間くらい新聞2紙に目を通すのが日課であるが、その時 カーテンを全開した窓の外は、明るくなってくる時間が確実に早くなってきている。
 ただ、日中の最高気温が10℃を下回るようでは、春が近づいてきてるとは言い難いし、まず その前には最大の難関である確定申告を終えないと、我々の業界は春が来ないのは分かっている。
 あと2カ月はまだまだ心身とも厳しい日が続くということである。
 春が待ち遠しいいなー。
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2022年01月01日

No762:謹賀新年

あけましておめでとうございます
 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートをきらせていただきます。
 以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

謹賀新年  

今年も無事 新年を迎えることができました。
コロナ騒動が起こる前は、新しい暦を見ながら また1年経ったのか とお決まりのように大した思い入れもなく元日の朝を迎えていた人もいたでしょう。
しかし コロナが世にはびこってからは、多くの人が「去年は大変だったけど今年こそは」と今まで以上に 次なる年に期待する気持ちを持って新年の訪れを待つようになったのではないでしょうか。
不安な世の中になればなるほど、周りの人に頼る機会も増えてくるかもしれませんが、こんな時こそ自分のそばにいる人に感謝し、今まで以上に他人を思いやる気持ちが必要となってくるように思います。
私はこの1年、次の言葉を頭の片隅に置きながら過ごしていきたいと考えています。

 「人のせいにしない。人をせめない。全てに感謝。」
(オリックス 山本由伸投手:弱冠23歳でプロ野球 投手部門のほぼ全タイトルを獲得)

これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

  令和4年 元旦 

廣井増生税理士事務所
 所長 廣井増生

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
URL:http://www.tax-hiroi.com  
Tel:075-406-7020 
Fax:075-406-7025
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2021年12月26日

No761:従業員を辞めさせたくない

 なんと 次の日曜日は新しい年となっているので、今日は今年最後の日曜日である。
 この一年間を振り返ってみると新規開業支援、医療法人の設立支援、それに相続関連の業務等 例年何件か舞い込んでくるこういった業務以外に、今まで手をつけたことのないような分野での仕事をいくつも手掛けた年でもあった。
 既にキリがつき 完了しているものもあれば、2年がかりになる仕事で、継続しながら来年に持ち越しになっているものもある。

 自分自身 この一年で決して目を見張るような成果があったわけでもないが、新しい分野の仕事(具体的な内容はここでは差し控えてが)というのは、研究というか、調べることも多く、自分の知識不足をあらためて感じることが何度かあった。
 中には 期日内に答えを出さないといけないものもあり、今年は結構緊張しながら仕事をする局面がいつになく多かったように思う。
 
 こんな中、事務所の運営をする上で、税理士というよりも経営者として、常に心掛けていたことが一つだけある。
 それはできるか限り人を「辞めさせない経営」をしようと強く思い続けていたことであろう。
 どこの事業所でも、経営者が自分の所で働いてくれている従業員に100%満足しているかというと そうではない場合もあるだろうし、中には辞めさせたいなと思うような人を抱える事業所もあると思う。
 我が事務所は現在 パート4人、嘱託1人を含む20人体制で業務を行っているが、パートの人は個人的な事情のある方も含め、2〜3年に一人くらいは辞めていかれるが、常勤は4年ほど前に地方の実家に帰るため退職した男性以降、ここまで退職者を出さずに運営できている。
 なぜ? ということはさておき、このことで「退職→求人→面接→採用→(新人)教育」というお決まりの人員確保、人材育成ということにかける時間が非常に少なくて済んでいる。
 また、退職者や人に入れ替わりというのは経営者にとって最大のストレスであるが、これがない分、最初に述べたような新しいことに取り組む力が残されている。
 当然、人件費の上昇は経営者として気にかけないといけないことかもしれないが、我々の業界でのお決まりの業務である「法人の決算」、「個人の確定申告」、「年末調整」等は、『○○の改正点と昨年多少問題のあった□□だけは気をつけ、他は例年(いつもの)形で早めに準備をして、進めてようにしてください。』と号令をかけるのが私の仕事で、「いつものように」とは言っても、毎年毎年 その仕事のスピードはどんどん速くなっていっていて、「えっ? もう終わったん」と思うこともしばしばある。
 採用について何か特別に心掛けていることがあるわけでいが、人を採用するときは、人員不足に陥ってから 焦って採用しないようにはしている。ただ、決して余剰を抱えられる状況でもないので、その+1名の新規採用のタイミングには細心の注意を払うようにしている。
 実は1月5日(事務所の仕事始め)から、20代半ばの常勤者の採用が決まっており、新年早々楽しみにしていることの一つである。
 この新入社員は事務所の最年少で、平均年齢の引き下げにも寄与してくれる人材でもある。

 事務所内で年齢が一番上の方は59歳のパートの方であるが、仕事ぶりは全く問題ないのでご本人からの申し出がない限り、まだまだ働いてもらおうと思っているし、これからの時代、「○○才まで」なんて年齢で区切りをつけるのではなく、今の仕事がやってもらえる限りというのが、今後 60歳以上の人を雇用する上で必要なことであろう。

 年の最後に偉そううな話をしてしまったかもしれないが、自分自身に対して、自分が採用したからには、「 今後も人を大事にしろよ」という戒めの意味も含めて事務所の現状を振り返ってみた。

 それにしても本当によく仕事をしてくれる人ばかりで、「辞めてもらってもいい人は一人もいない」という中で仕事ができる環境に感謝しながら今年の幕を下ろすことにする。
 当事務所は12月29日から1月4日まで休暇になるが、しっかりとした骨休めと少しばかりに充電ができればと思っている。
 とはいっても明後日[12/28(火)]までに片づけないといけないことはまだまだ残っているので、ひとまず今日はこの辺で失礼します。
 では、皆様もよい年の瀬と年始をお過ごし下さい。
posted by ヒロイ at 15:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月19日

No760:ずっと気になっていること

 日本語の使い方が気になること自体、“おじさま”なのであろうが、最近では当たり前になってきている 「全然○○です」・・例えば、「全然 大丈夫です(できます)」とか「全然 間に合います」という言葉の使い方にはいまだに慣れないし、自分自身うまく使えないのか、一度も使ったことがない。
 例えば、「○○は全然できそうにありません」とか、「前の人には全然追いつけません」等、私が習った国語教育では、「全然」の後には、否定的な言葉がくるものだと習ったし、学校で習っていなくとも 「全然・・・(否定形)」はごく当たり前だと思っていた。
 それが最近はビジネスシーンでも使われることがあり、問題なくできることを「全然OKです。」と普通に言ってくるので、最初に「全然」と聞くと、ダメだったのかと思いきや結論は 問題なし ということを告げられ 頭の中が ? の状態になることもある。
 こういった使い方はいつからこの世にはびこったかは分からないが、周りの人を見ていると現在の年齢で50歳前後がこの言葉遣いの境のように思う。

 ただ、人の言葉使いに神経をとがらせ、偉そうなことを言っているが、私自身、先日発表された2021年新語・流行語大賞ベスト10のうち5つしかその言葉の意味が分からなかったし、この旬の言葉が分からないことの方が ある意味ずっと時代遅れなのかもしれない。
 ところでみなさん下記の10の言葉のうちいくつ分かりますか?
 少し恥ずかし話ですが、5つ分かったといっても、そのうちいくつかはきちんとした説明はできず、何となくというか ぼやっとでも意味が分かったものも含まれている。
 どこかで恥をかかないようにと新聞に載っていた言葉の由来や意味に目を通したが、使うこともなければ気に掛けることもない言葉なので、頭に残ることもなく数週間のうちに、元々知っていた5つ以外はたちまち意味が分からなくなってしまった。
 その中でも一つだけ最初は分からなかったが、この学習の成果として、今でもボヤッと覚えているのは 「スギムライジング」くらいである。

○リアル二刀流/ショータイム
○うっせぇわ
○親ガチャ
○ゴン攻め/ピッタピタ
○ジェンダー平等
○人流
○スギムライジング
○Z世代
○ぼったくり男爵
○黙食

 こんな状態なので、今の若い人たちが言っていることなど 到底理解できない世代に入っていっているのかもしれないが、クイズ番組に出るわけでもないので、こんなことを無理して覚えるつもりもない。
 それにしてもいろいろな意味で世代の格差や生きていくステージの違いを感じるようになったのは、自分が年をとったからなのか、それとも世の中の変化が今まで経験していたようなものとは全く違った流れになってきているからなのか、どうであれ分からないことが多すぎる。
 若い人たちに理解を示すことは必要であっても 本質に迫る必要もないというか それはなかなかできないし、自分なりに今まで生きてきた延長として、あと何年か仕事をし、人に迷惑を掛けずに人生を送れたらいいと思っている。
 
 年末になってからではあるが、最近 気になっていることをぼやいてちょっとすっきりした気分である。
 でも、よくよく考えると今日の話って、誰も悪くないもんね。
posted by ヒロイ at 22:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

No759:平均寿命の延びが相続への対応を難しくしている?

 当事務所が定期的に発行している資産に関するレポートの相続の準備に関するアンケートに「何も対応していない」という人が全体の6割近くあり、その理由で一番多いのが、「時期尚早だと思っている」というもので全体の約45%を占めていた。
 実はもう少し掘り下げ年代別で見た場合、比較的若い層ならこういった理由も理解できるが、70歳以上で「時期尚早」が30%もあったのには驚いた。
 では、何歳になれば相続に関する対応をするのか、70歳以上の方に確認したい気持ちになってきた。 
 相続というと ついつい資産家の相続税への対応のことが思い浮かぶが、今住んでいる家を誰に相続させるのかとか、お墓のことや不動産の管理・処分に関してはどのようにするのか等、資産家でなく、いわゆる一般人であっても相続ということに関しては何らかの事前対応が必要と思われる。
 
 ここでは深い部分までは触れられないが、80歳を過ぎた方でも、「今後のことはもう少し経ってから考えようと思っている。」とおっしゃる方も何人かいらっしゃる。
 別に財産とか相続税がどうとかいうことではなく、自分が亡くなった後のいろいろなことの対処の仕方は、子供をはじめとする親族の方にある程度 話しておく必要はあるように思うのだが・・。
 突然 亡くなったり、亡くならなくとも救急車で病院に運ばれるようなことがあっては、取引のある銀行や証券会社、それに通帳や印鑑の場所さえ本人しか分からず、困ったことも起こってくるように思う。
 あと、今後 相続の仕事で大変になってくるケースとしては、最近 増加傾向にある未婚の方やあまり親族と交流することなく亡くなっていかれた場合であろう。
 どんどん高齢化が進んでいく中で、私の周りでは亡くなられた方の年齢が90歳以上の例もいくつかあり、実はその亡くなられた方(被相続人)の関係者に連絡することさえ困難なことも生じてきている。
 少し話がそれるが、頭の整理も兼ねて、相続関連の冊子に載っていた平均寿命の推移を掲げてみる(抜粋)。

[昭和22年] 男:50.06歳  女:53.96歳
[昭和40年] 男:67.74歳  女:72.92歳
[平成 2年] 男:75.92歳  女:81.90歳
[令和 2年] 男:81.64歳  女:87.74歳

 これを見て驚いたのは、戦前の平均寿命が短いことや私が生まれた頃(私は昭和37年生まれ)と現在を比較すると、男女とも15歳近く平均寿命が延びている点、そして、ついこの間のような平成2年からも5歳以上延びているという点、これらは全て想像していた以上であった。
 平均寿命の伸びは医療技術の進歩が一番の要因かもしれないが、変な言い方(場合によっては失礼な言い方かも?)をすると。本当にそう簡単には死なない、そして死ねない世の中になってきている。
 そういう意味においては、最初の相続についてのアンケートで「何も対応していない」という人が多いのもうなずけるが、これはこれで個人的には問題を先送りしているだけのような気もする。

 先週、70代半ばで今後の人生について、資産、家族、仕事(開業医)についていろいろの角度から かなり真剣で考えている方と面談する機会があったが、この方はあと1、2年のうちに廃業(継承)や自宅の処分、転居も含め大きな決断を下されそうで、ある意味 今後の見通しがはっきりしている数少ない人である。

 一般的にはサラリーマン等 定年のある方は、節目節目でいろいろな変化があるが、開業医を含め事業をされている方は、定年もないので年齢についての節目がつきにくく、特に後継者がいらっしゃらなければ健康状態の変化があって初めて、節目が訪れるという方も少なくない。

 我々の仕事も税務・会計が本業とはいうものの、長くお付き合いしてきた経営者の方々の事業や人生の終い方というか、ソフトランディングの仕方をいっしょになって導くことも大事な仕事で、今まで関与してきたことへの恩返しともいえるようにも思う。
 ただ、こちらがいくら気をもんでもご本人がその気にならなければ、話は一向に進まないのが現実であるが。

 それにしても平均寿命はどこまで延びるのか? また延びることメリットだけでなく、問題点もしっかり把握しながら対処していく必要があるように思う。
 それにしても今回のデータを見てすごいと思った。女性であれば85歳で亡くなった場合、「ちょっと早いですね」ということになるのですから・・。
posted by ヒロイ at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月05日

No758:【再掲・・No16:“かに”は3時のおやつ(2007/12/08)】

 いよいよ12月に入り、本来であれば いくつかの忘年会が始まる時期ですが、当然のことながら 今年も昨年に引き続きそういった集まりは一つもないし、事務所の忘年会も2年連続 「開催は見送り」と一ヶ月ほど前に発表した。
 ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
 事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
 その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
 このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
 前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。

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【No16:“かに”は3時のおやつ  2007/12/08】

 京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
 T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。

 おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
 まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。

 最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
 でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
 
 先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
 お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。
posted by ヒロイ at 17:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月28日

No757:今だから話せます 「本当に運がいいと思いました」

 妙なタイトルですみません。
 実は1ヵ月ちょっと前に車が大破するような事故に遭った。
 ここで取り上げるのもどうかと思ったが、相手が車でも人間でもなく、動物だったので参考になるかどうかは分からないが当時の様子を簡単に綴ることにする。
 
 相手の動物は鹿で、片側1車線の高速道路を走行中、私の車の上から突然 飛んできた。
 京都府北部の顧問先で仕事を終えての帰り道で、時間は夜の7時半頃であったが、周りは山に囲まれ 真っ暗で、しかも小雨が降っていた。
 衝突の瞬間は「上から何かが落ちてきた」という感じで、後から事故処理に駆けつけられた道路公社の人から話を聞くと、鹿が左側のガードレールを勢いよく飛び越えて車の前のボンネットに上から落ちてきて、その後、フロントガラスに当たって右側に落ちたようである。
 実は鹿が車に当たった瞬間に6つのエアバックが1秒もしないうち、つまり瞬時に開いたので、私の目の前はそのシートで真っ白となり何も見えなかった。実はその衝突した鹿さえも一度も見ていない。事故処理後、写真で見せてもらいましたが・・。
 私は山からの落石かな、「ヤバい」と思ったが、その数秒後(ほとんど覚えていないが)、何とかエアバックで前も見えない中、無意識のうち車を左の路肩に避けて、1車線の本線が徐行できるスペースを空けていた。
 ただ、避けた瞬間エンジンは止まり、その後は二度とかからなかったし、エンジンも折れていたその車はその後 全損扱いで廃車となった。

 そしてしばらく何が起こったか分からないまま放心状態でいると、「大丈夫ですか、すごい鹿でしたね。後ろを走っていたうちの車がはねてしまいました。」とドアを開けて若い男性の方が話しかけてこられた。
 「えっ、鹿だったんですか? あの落ちてきた物体は」と思わず叫ぶような声を出していたが、この時やっと何が起こったのか少しずつ分かるようになっていった。
 幸い私の体はどこかにぶつかるでもなく、車内で四方から出てきたエアバックに体が触れることもなく、不思議なくらい何のけがもなかった。
こうして元気なのでいえる話であるが、エアバックが開いた後は花火の時の火薬のようなにおいが車内に充満していた。
 実はエアバックに気づくまでは車の前のガラスの外側に塊の入った白い袋が落ちてきたと思っていたし、これが車外にあるのか車内にあるのかさえも しばらく判別もできない精神状態であった。
 私が連絡した警察とこの道路を管理している公社の方が30分ほどで到着し、聞き取りがあったが、その後 レッカー車の到着までの約1時間半は寒い山中で待つしかなかった。
 そしてレッカー車到着後、無残にも破壊された私の車はレッカー車に積まれ、私は助手席に乗せてもらい京都まで戻った。
 翌日 車をトヨタの販売店(修理工場)まで運んでくれるとのことだったので、車内に残っていた3つもある かばんや袋を抱え、タクシーに乗り込み12時半ごろ何とか自宅に帰ってきた。

 体こそ、何とも運がいいというか無傷であったが、この日はなんだか興奮してあまり眠れなかった。
 翌日からは自動車保険の30日間レンタカー無料サービスを利用して、通常の仕事をこなすことができたことも、翌朝 車の状態を見るとまるで奇跡としか言いようがない事故であった。

 今回の一件は果たして運がいいのか悪いのか?
 多くに通行量の中で私の車に鹿が飛んできたことは何万分の一か何十万分の一以上の確率で運が悪かったのであろうが、こうして元気でいられるということは、当たっておきながら言うのもなんだが、すごく運が良かったと言えるのかもしれない。
 雨の降る日の真っ暗の中で、横からならまだしも、上から降ってきた鹿は誰であっても避けようがなく、今となってはまるで夢のような一件であった。

 少しだけ鹿事件の話を というつもりが、ついつい興奮して長くなってしまいましたが、みなさんも気をつけましょう 高速道路での鹿には。
 とはいっても避けようがないんですけどね・・・。
posted by ヒロイ at 18:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月21日

No756:やはり秋は物悲しい

 先日、ある顧問先の院長のお母様がお亡くなりになられた。
 80代半ばではあるが、5年程前にご主人を病気で亡くされた後、この1、2年前まではご自身で病院へ通われたり、趣味の延長の習い事(勉強)もできる範囲でされていて、何とか自分の体を気遣いながらも 充実した日々を送っておられた。
 今年の2月下旬には、確定申告の報告を兼ねて電話連絡したところ、コロナが広がりだした昨年の春以降は、なかなか外出したり、人と接触することができなり とても寂しくなったとおっしゃっていた。
 このお母様とご主人(先代の院長)は私が前に勤務していた税理士事務所からのお付き合いで、大学を出て間もない20代半ばくらいから、今の事務所で新しい担当者が決まるまでの間、約25年近く面談をしたり、いろいろな相談を受けたりしていた。
 
 この方以外にも私がまだ20代だった頃から訪問や面談をしていた方がここ数年 相次いでお亡くなりになっている。
 事業としてはしっかりと後継者にバトンタッチされ、事業承継という点では問題はない方がほとんどであるが、お付き合いの期間が長かった人ほど 思い出すことも多く何とも寂しいものである。
 
 大学を出てすぐの頃、一応 仕事の仕方だけは先輩から教えてもらっていたが、礼儀作法というか、ビジネスマナーはほとんど身に付いていなかった。そんな何も分からない当時の私をよくぞ不満も言わずに受け入れてくれたのもだと 今になって感謝の気持ちが沸き起こってくる。
 今80代でご存命の方も同年代で既にお亡くなりになられた方も 今から思えば一本 筋が通っていて、何か間違いがあるとよく怒られたものである。ただ その時、単に怒られるだけでなく、必ずこうしたら次は失敗しないから というアドバイスまでいただいた。

 ある時、大事な相談があると事前に言われておきながら、その後の訪問先の到着時間までに十分な時間の確保ができていなかったので、相談の時間が足りず そわそわしながら何度となく横目で時計を見ていると、「もう少し落ち着いて相談に乗ってもらえると思っていたのに、次の人との面談時間のことばかりが気になっているようなんで、今日はもう相談する気がなくなった。」と大目玉を食らって突然 面談の打ち切りをされたこともあった。
 また、別の方であるが、その方の話を聞くときの私の態度や姿勢が悪い(「なってない」)ということで、座っていた応接のソファーから降りるように言われ、横の畳の間で正座させられたこともあった。
 今なら「・・ハラ」と言われるような、上から下への問題発言であったり、問題行動になるかもしれないが、まだ昭和の時代はこんなことはさほど不思議ではない光景であった。
 ただ こういった方々の熱い思いや厳しい躾のお蔭で、何もわからなかった若僧が少しずつ世の中のルールを身につけていける、それはそれである意味 よき時代でもあった。
 今回亡くなった方は私が時間の調整がつかず やむなく昼前に訪れると、温かいラーメンを準備して待っていてくださり、「あんたら若いからお腹すいてるやろ、仕事に入る前にまず腹ごしらえせんと。」というまるで母親のように暖かい言葉を掛けていただいた。
 こういった方々は数年前から一線は退かれていたので、お目にかかるのも1年に1度か、電話で声を聞くくらいの関わりになってしまっていたが、今回亡くなられた方は、今年の3月に電話をした時は、「廣井さん、長いこと会ってないな、いっぺん顔が見たいわ。コロナが収まったら一回誘うからお昼ぐらいいっしょに付き合ってな。」と言われていた。
 う〜ん、その楽しみも実現できずに亡くなられてしまった。コロナさえなければ、あと1、2度はお目にかかったり、いっしょに食事ができたかもしれないのに。
 今こうして思うと、コロナって本当に多くのものを奪い取っていった憎きものであるが、こうして振り返ってみると 私は今まで本当にいい人に囲まれながらここまで仕事をすることができたなとつくづく感謝するばかりである。

 今日は先週亡くなられた方のことを思い浮かべながら、今の思いをまとめてみた。
 過去のことを思い出す、これは決して無駄ではなく、時にはとても大事なことであるとあらためて感じた。
 ただ、今回のようなこともあってか 秋は本当に寂しさが募る季節である。
posted by ヒロイ at 22:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月14日

No755:見本となるような定年後の暮らし

 新型コロナの感染も多少 下火とはいえ、まだまだ表立って人と会うことはしづらい状況であるが、今日 60歳を超えたご夫婦と2年ぶりに会って話しをする機会があった。
 ご主人は40年以上の会社勤めを終え、今は年金暮らしの65歳、奥様は63歳でもうしばらくパート勤務を続けるとのこと。
 このご夫妻の懐具合は分からないが、子供は3人とも独立されているので、無理さえしなければ夫婦2人 十分に普通の生活ができる状況のようである。
 定年退職されているこのご主人は朝夕とパート勤めの奥様を駅まで送り迎えをされること以外に、買い物から食事の準備までほぼ毎日されているようであるが、ご主人は定年までは家事はあまりされず、基本的には奥様がされていたが、今は土日以外はほぼ毎日ご主人が食事の用意をされているようである。

 今日 話を聞いて感心したことがいくつかあったが、
 まず一つ目は、長年連れ添った夫婦と言えども、年齢や家族構成の変化、それにそれぞれの置かれている状況に応じて生活のスタイルを変えておられることである。
 少し前までは家庭内において、男の仕事と女の仕事ははっきりと分かれており、私の父も家事をすることはなく、亡くなるまでこのスタイルを崩すことはなく続けていた。
 しかし、これってどちらかが亡くなったり、あるいは病気による長期入院があったような場合、たちまち家庭として日常が機能しなくなり、場合によっては大変なことに陥ることだってある。
 そういう意味でこのご主人の変わりようは、老後の生活で重要なことを65歳以降 自然に習得されつつあるという点では何とも立派なものである。

 そしてもう一つ、こちらがなかなか難しいことであるが、平日にほとんど空いた日を作らずに活動されていることである。
 事業をされている方や定年後も何らかの形で仕事に関わりたい人はそれはそれでしっかりしたライフワークを推し進め、それまでと変わらないような充実した日々を送っている人もいるが、この方は平日も若い頃されていたテニスをし、小学校以来という俳句を市民教室で習い、あと、若い頃 仕事での出張で毎月のように訪れていたお隣の国の韓国語まで学んでいるとのことであった。これに持病を抱えておられるので病院通いもあり、ほとんどの日、カレンダーが埋まっているようだ。
 男ってこの人のように、若い頃から形を変えることができなくて、家庭内においても煙たがられたり、しまいには役に立たないように思われて、夫婦や家族の間に溝ができることだって少なくはない。
 ドラマでもあるが、「定年後、毎日 家でゴロゴロしていて・・。」と言われるようでは長い老後の生活、決して充実したものになるとは思われない。
 この方は長男なので1、2年後には京都の家を売り払い、田舎に戻り、現在空き家になっている実家で生活することも計画中で、奥様もこの考えに乗っておられるとのことで これもなかなかうまく事が運びそうである。

 「男だから」、「俺は長く働いてきたから」、「あとはすることもないしゆっくりと」なんて思っているといい老後なんて送れいだろうし、自分の置かれている立場が今までの会社人間とは違うことを一日も早く自覚することが大事なんだろうなとこの人を見ていてつくづく思った。

 今日の話は若い人にはピンとこないかもしれないが、私も含め55歳以上の人であれば十分参考になる話のように思う。
 60歳、あるいは65歳以降も仕事を続けられる方はもちろん仕事の中で充実感を見いだされたらいいと思うし、定年後 一息つこうと思っている人にとっては今日の話はいつまでもいて欲しい人と思われるためにもヒントになる部分もあるように思う。
 ただ、どんな場合でも健康が第一であることはいうまでもない。
posted by ヒロイ at 20:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月07日

No754:気持ち次第で大音量もこれだけ違って聞こえる

 この土日は仕事だけでなく、プライベートでも人と会う予定を入れていなかったので、少しだけ身の回りの整理をした後、溜まっていた仕事関係の書類に目を通したり、本を読んだりして、久しぶりに自分の時間を過ごすことができた。
 
 普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
 この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
 仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
 仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、

 家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
 私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
 今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
 最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
 今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。

 上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
 “心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
 今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも
posted by ヒロイ at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月31日

No753:決算の説明で褒めちぎった顧問先

 コロナが蔓延してから、腹の底から笑うことが本当に少なくなってきたような気がする。
 これは楽しことが見当たらないというだけでなく、楽しいことがあってもその出来事の全てを人に言いにくい雰囲気がまだまだ世の中にはある。
 乗り物好きの私も長い間、飛行機や新幹線には乗っていないが、仮に今後どこかへ旅行に行ったとしても、しばらくの間は以前のように「○○に行ってきてん、 名物の○○もめちゃ美味かったし」と言える状況ではないように思う。
 ただ、徐々にとはいえ人の動きも出て来て、私の周りも多少なりとも明るい話題もちらほら聞かれるようになってきている。
 今までのような遠方へ旅行に行った人にはなかなかお目にかかれないが、「娘のところに行ってきてん」とか、「久しぶりに じじばばに孫の顔を見せてきました」というような、身内の中で行き来された話は、この1ヶ月で何人からか聞いた。
 コロナに関してはまだまだ油断できないし、この先 年末までに何が起こるかわからないので、気を緩めることはできないことに変わりはない。

 こんな中で少しだけほんわかする話です。
 ある顧問先の経営者(クリニックの院長)には、現在30前後のお嬢さんが2人いらっしゃるが、10年程前はそれぞれの成人式の晴れ着姿が院長のパソコンの画面出てくるようになっていて、照れながらも何ともうれしそうに私の方へ画面を向けられた。
 先日 訪問したときは、二年前に結婚された長女さんへ住宅資金贈与の相談があり、その後、お孫さんへの教育資金贈与の話になったが、私は「お孫さん いつお生まれになられたんですか?」と聞くと、「いや、まだ娘は妊娠中で出産は来年なんです。先日、うちのエコーで見たらはっきりと見えまして、もう感動もんでしたよ」とおっしゃったが、思わず「お生まれにならないと贈与できませんよ。」と笑いながら答えた。
 この先生とは、クリニックを開業された15年程前からのお付き合いであるが、何年経っても開業当時の謙虚な気持ちをお持ちで、患者さんの受けも大変よく(私の知っている人も患者で通っている)、また、コロナへ対応もどこよりも早く、患者も安心できるクリニックという見方をしているようである。
 そしてこの4ヶ月はコロナワクチンの接種に追われ、いっしょになってそれに対応してくれたスタッフに対する待遇も院長の気持ちも込め 他のクリニックよりも手厚いものであった。まさに院長とスタッフが一体となり、体を張っての奮闘ぶりであった。

 最後にこの先生の人柄を表したものとしての話をもう一つ。
 3年前に還暦を迎えられた時、奥様とスタッフが院内食事会の中で番外の“還暦お祝い”を先生には内緒で計画され、それが実行に移された当日は、先生は驚きを超え、感無量の表情だったとのこと。
 この先生はいい車にこそ乗っておられるが、必要な物はすぐ取り入れ、ムダなものには手を出さないという何か信念のようなものをお持ちの経営姿勢で、今まで銀行からお金を借りられたことは一度もない。
 先日 説明をした決算数値は手堅い経営内容を表す数字が並んでいて、思わず「今回の決算数値は全く問題がありません。このままの形、今までどおりの経営姿勢で続けていって下さい。」と私の思いを率直に伝えるだけで終わった。

 この先生は口数こそ少ないが、接していると「謙虚な気持ちは何よりも勝る」ということが伝わってくる感がある。
 
 本当に顧問先の方々は良き見本の宝庫であり、まだまだ地に足がついていない私にとって、本当に見習いたい生き方が目の前にたくさんある。
 変な話、これだけでも税理士っていい仕事だなとつくづく思う今回の話でした。
posted by ヒロイ at 22:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする