2021年07月25日

No739:ワンちゃんは正直者

 22日(木)から今日25日(日)まで事務所は暦どうり4連休である。
 ただ、22日は顧問先の院長がこの日しか時間がとれないということで、事務所の担当者と滋賀県の顧問先に医療法人の決算内容の説明に出向いた。
 世の中は連休なので高速道路が渋滞すると嫌だなと思っていたが、大した渋滞もなく比較的スムーズに移動できた。
 それ以外の日は少し残っていた宿題(仕事)を整理するくらいで、比較的に自由な時間を過ごした。
 そんな中でほぼ毎日、起きたらまず暑くなる前にと7時過ぎからぽぽたん(うちのワンちゃん)の散歩につき合っていたが、夏場はこの時間では遅い方で、こちらが公園や宝が池へ連れていく途中には、ワンちゃんの散歩から帰ってくる人と何人もすれ違った。
 普段は朝と夜それぞれ 少ししかいっしょにいる時間がないが、こういった休暇の時は常日頃と比べると長い時間いっしょにいることができる。ただ、こういったたまの休日だけいっしょにいる時間が長いからといって そうそう簡単に私になついてきてくれるものでもなく、普段も私が仕事から帰ってきた時は少し近寄ってきて“あいそ(愛想)”を振りまいてくれるが、それも ものの10秒程度でしばらくすると自分のお決まりの居場所に戻っていく。
 これがカミさんが出かけていて 帰ってくるとこんな簡単なあいさつではなく、そりゃすごい歓迎ぶりである。
 先日、カミさんが夕方まで出かけていて、私が家でいた時なんか、私と2人で静かに過ごしていたが、カミさんが帰ってくるとその喜びようなんて私の時の何倍、何十倍というこちらが焼きもちを焼いてしまうほどの手厚いお出迎えである。
 そばに寄っていき いきなりジャンプの連続、その後 別の部屋で後片付けしようとしても離れようとせず ずっと近くで見守るようにして寄り添っている。
 「これってうちの3人の子供の時といっしょやん」と昔を思い出しながら、悲しくなり少し落ち込んだりもしていた。
 いっしょにいる時間の長さも当然 影響しているだろうけど、ぽぽたんへの愛情の掛け方やその深さに比例しているのであろうか? ただ、残念ながらこれを逆転することはもはや不可能な状態である。
 先日、仕事が終わって8時半頃 お腹を空かして家に帰ると、ちょうどほぼ同時にカミさんとぽぽたんとが夕方? 夜?の散歩から帰ってきて、いっしょの家の中に入ったが、カミさんは迷うことなく、まずはぽぽたんの飲み物(冷たいやぎミルク)を準備し、間髪入れずに次は食事の準備をしている。 ワンちゃんの食事のはずなのに“チン!”という音とともにレンジに中から夕食の一部が出てくる。通常のワンちゃんフードのうえに少しだけのせる一品である。
 そうしてぽぽたんが晩ごはんを食べ出してから、私の食事の順番が回ってくるので、少しの間、私はこの流れの中で新聞でも読みながら、順番が来るのを待っている。この流れを?と思った時点で愛情不足なのだろ。
 ぽぽたんをこっちに振り向かせようと思っても こりゃカミさんには勝てんわ、と妙に納得しながら自分の晩ごはんをつついていた。

 子供が小さい時もそうだったけど、こちらの都合に合わせて遊ぶなんてあまりうれしくなかったのかもしれないし、場合によってはありがた迷惑な時もあったのかもしれない。
 子育てやワンちゃんの相手も常日頃から愛情を注がないと振り向いてくれない。仕事上では、相手の人は多少の損得勘定や俗にいう“愛想”の部分もあるのだろうが、こういった純粋な心を持った子供やワンちゃんは本当に正直にふるまってくるのでドキッとすることもしばしばある。

 今日は自分の愛情が足りないことを思い知らされたことをあえて綴ることで、カミさんと逆転まではいかなくとも 喜んで近づいてくれるよう少しはぽぽたんとの距離を縮めたいなと思った休日であった。
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2021年07月18日

No738:みなさんなら遺言書にどんなことを書きますか?

 相続税の仕事をしていると遺言書というものに接する機会がある。
 最近、新聞や雑誌に特集が組まれていることもあるし、「いい遺言書の書き方」というようなタイトルの本も出ているが、まだまだ多くの人に遺言書というものが浸透しているかというと そうでもないというのが実情であろう。
 相続税の仕事の中では、数年前に書かれた公正証書遺言が開封された後 我々の手もとに届き、大きく揉めることがなければ、比較的 淡々とその内容に沿って申告書の作成を進めていくことになるが、当然のことながらそう簡単には収まらない場合もある。
 遺言書を書くことのメリットはいくつかあるが、このメリットや狙いについては個別にご相談いただくにして、ここでは私が仕事で接した“遺言書”というものについて、日頃 思っていることを述べさせていただくことにする。

 一般的には財産の分配をはじめとし、自分の死後のことを書き留めるということは決して気乗りのする話ではない。
 仕事をする上では、遺言書を書く人の書く時の心の中を読み取ることなんて必要がないことかもしれないが、税理士という職業からは少し離れて、当の本人(亡くなっていれば被相続人ということになる)が、どんな思いで書かれたのかを一個人としてふと考えることがある。
 相続税の申告業務の依頼がある場合、その亡くなられた被相続人を過去において知っていた人の場合もあれば、人づてで申告業務をご紹介いただくような場合には、亡くなった人がどういった人かも全く分からないし、その家族関係もどうだったのか知らないまま仕事に取り掛かることになる。
 ただ、生前を知らなかった人の場合でも、やはり財産の話をする中で、夫婦、親子、そして子供たち兄弟姉妹の関係が浮き彫りにされてくるし、これはこれでまるで人間模様そのもののような事例に遭遇することもある。
 生前にある程度、配偶者や子供たちに自分の意思を伝えていた人で、遺言書の内容もそれに近いものであればそう大きく揉めたりすることもないが、過去において何の意思表示もされていなかった人の場合には、大変な問題に発展することもある。
 以前にもあったが、子である4人の兄弟それぞれが、「お父さんはこう言っていた」と違う内容を言ってこられた場合である。
 最終的には4人で協議(相談)され、何とか収まったが 何とも後味が悪く、自分が思っていた相続分(取り分)よりも少なかった人は、最後まで損をしたという思いが残っていたように思う。
 ひと揉めもふた揉めもあったケースで、相続税の申告や納税も終えられた後、兄弟は法事でさえも一堂に会することはなく、墓参りさえもお互いに探りを入れて、同じ時間にかち合わないようにされるという徹底ぶりであったが、不幸にもこういった死後のことは亡くなった本人は見ることも聞くことも、そして注意することもできないというのが相続のむなしい部分である。

 これらのことから考えても 残ったものにどう思われるかは別にして、よくよく考えて自分の意思をしっかりと文書に残しておくことの意義はあるし、ある意味長く人生を歩んできた者の最後の大きな仕事なのかもしれない。
 揉める相続が悪いというわけではないが、相続税の納付と申告書の税務署への提出が無事終了した後、相続人が揃ったところで、「申告業務を無事終えていただきありがとうございました」と全員からお礼を言われたこともあるが、これこそ税理士冥利に尽きる瞬間であり、自分もこんな死に方がしたいなとふと思ったものである。

 年齢によっては今すぐ遺言書を書く必要がない人も多いかと思うが、後でみんながお墓の前で手を合わせてくれるようにするためには ということを頭の片隅に置いておけば いい遺言書が書けるのかなと考えたりもする。
 遺言書を書く、書かないは別にして、いずれにしても いい死に方ができるような人生を送りたいものである。
 最後はなんだか宗教家のようになってしまったが、相続の仕事は税金の計算以外に、死やさまざまな家族関係と向き合う機会に接することができるという意味においては、なかなか奥深い仕事である。

 今日出来上がった相続税申告書を目の前にして、ふと感じたことを綴るとこんな内容になってしまいました。
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2021年07月11日

No737:市民権を得た感じの”無観客試合”

 東京オリンピックが無観客で何とか開催ということに落ち着いたのはみなさまもご存じのとおりであるが、ここにいたるまでオリンピック・パラリンピックの開催の是非、そして一応 開催されることが決まった後は観客を何人入れるのか人数の議論が始まり、最後の最後になって観客を入れるのか無観客にするのかの検討がなされた。
 最終的には札幌で開催されるマラソンと競歩以外は無観客での開催が決定したが、選手やその関係者という当事者でなく、開催国の一国民に過ぎない我々もここまでの経緯を傍で見ていてほとほと疲れたというのが本音である。
 私の周りの人は、私の感覚では約4割の人が反対派、約2割の人が賛成派、あと残りの4割の人が「どっちでもいいけどどうせするんでしょ」というある意味 無関心派と3つに分かれていたように思う。
 当初予定の2020年開催の前にはチケットが当たった人が私の周りにも何人かいたし、ある開業医の方は競技名は忘れたが、日曜日の夜の試合なので終わってからの新幹線がないため車で行って車で帰ってきて、月曜日の朝からは通常の診療を行うという強行スケジュールまで立てておられたが、しかし2020年の夏は・・・。
 今回 延期の分で、観客上限が1万人に決まった後の抽選で当たった人もいたが、先日、「大きな声では言えませんが、当たったんで行ってきます」と少し気まずそうにおっしゃていた。
 
 今でこそ“無観客”という言葉が一般的にも使われるようになったが、私がこの”無観客”というの初めて目の当たりににしたのは、2005年のサッカーワールドカップアジア最終予選の日本対北朝鮮の試合がである。
 当初 平壌で行われる予定であったが、テロの危険性もあるということで第三国であるタイのバンコクで行われたのを覚えている。
 この時はテレビで見ていたが、今まで見たことのない異様な雰囲気の中、通常の有観客の試合では今まで聞こえなかった選手同士の掛け声や監督(確かジーコ?)の日本語でない大声が響いていたのを覚えている。
 それが昨年の春のプロ野球やその後の多くのスポーツ大会ですっかり”無観客”も市民権を得て、おなじみになった感があるが、世界最大のスポーツイベントのひとつであるオリンピックが”無観客”で行われることはもちろん初めてであるし、多少不謹慎かもしれないが、もしかすると今後、二度とないかもしれない“無観客オリンピック”をしっかり観察しようと、試合結果とはまた違った点で興味を持つようになった。
 どんな雰囲気で競技が開催され、応援する者は本当に家にこもるのか? メディアはどこに陣取りどんな放送をするのか? 体操の着地が決まった後や重量挙げで挙げきった後、静かな中でもガッツポーズするのか? 団体競技の決勝戦で片方のチームにコロナ陽性者が数名出て、決勝戦が不戦勝で金メダルになるのか? 松岡修造は大声を張り上げずにいられるのか? 等々、なんだか本来の競技以外でどんなことが起こるのかということの方に関心がいってしまいそうである。
 世の中がコロナ禍での大会の是非を真剣で検討した結果 開催されることになった非常に責任の重い大会なのに、かなり不謹慎なことを言っているなと自分でも分かっているが、開催される以上はオリンピックの開催、そして進行がどんなものになるのか確かめておきたいという気になっている。

 それにしても日本人以外の選手って、本当に日本に来れて、時間どおりにきちんと移動ができ、本番の試合に出場できるんだろうか? そんなことも考えながら 全世界が心配するオリンピックがあと10日程で始まろうとしている。
 選手は無観客でどうしてモチベーションを高めていくのか、ここも見ておきたいところであるが、選手のみなさん あなたたちは何も悪くないので遠慮なく躍動してほしいものである。
 静かな静かな異様な雰囲気の中 どんな大会になるのやら?
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2021年07月04日

No736:貴重な時間や人生を奪っていくコロナ

 昨日、久しぶりにカミさん宛に従姉からハガキが届いた。
 そこには、「お元気ですか」から始まり、ご主人がなかなか収まらないコロナ禍を捉えて、「この歳での2年間はすごいロスだと言っている」 というようなことが書かれており、コロナの影響によって悔しい思いをされていることがこちらにも伝わってきた。
 このご夫婦は60代後半(70代かも?)で、自宅の近くの介護施設にはご自身のお母様が入所されているが、コロナの影響もあり親の顔も半年以上も見ていないとのこと。
 また、この従姉の方は今まで年齢の割には比較的活発に行動されていたが、このコロナ禍ではご自身も人込みを避けるという観点から私鉄沿線に住みながら電車での外出はほとんどされてないようである。
 各年齢層によって時間の捉え方はさまざまであるが、歳をとっている方が「一年一年を大切に」とよく口にされるのを聞くことがあり、今回の手紙の内容と重なる部分がある。

 また、この方のように100歳手前のお母様が近くにいながら直の面談ができないということも、やむを得ないこととはいえ非常に心配でストレスのかかることであろう。

 あと もう一つ久しぶりという点では、昨日夕方 前の職場でいっしょに仕事をしていて、私よりずっと早く30年程前に独立開業をされた税理士さんから電話があった。
 この方は私が勤務していた税理士事務所では私の上司として在職されていて、当時は本当にお世話になった方で、私が独立する時もいろいろと相談にものってただいたという どちらかいうと恩師のような方である。
 この方とは私が開業した後は1年に1回、そして 数年前からは2年に1回くらいのペースで一杯飲みながら近況報告をしあう関係が続いていた。
 それがここ3、4年は何かの用事があって電話することはあっても、会って食事をしたり話をしたりする機会はなくなっていた。
 昨日の電話は急ぎの用件ではなかったが、「長いこと声も聞かんし、顔なんていつから見んかわからんけど、元気にしとるんか?」ということから始まり、「また落ち着いたらいっぺん顔見て話がしたいな。今の状況からするといつになるかはわからんけど。」 と電話から元気そうな声が聞こえた。

 この方は65歳以上なのでコロナワクチンの接種は2回目も終了したとおっしゃっていたが、私は接種の予約はできているが、まだ1回目の接種すら済んでいない状態である。
 「また」がいつのことになるのかは、2人とも?の付いたままではあるが、積もる話もあるのでコロナが落ち着いたら 会って話がしたいものである。
 最初のカミさんの従姉の話もあとの私の先輩との話も定期的に会っていたことが数年間飛んでしまっているが、その間も時間は過ぎて歳はとっていっているという、少しゾッとするような現実がある。

 今日は比較的年齢の高い人の話をしているが、10代や20代の若い人たちにしても、「俺の中3(高3)は何もできずに終わった」とか、「1年以上大学に行くこともなく、卒業式を迎えた」なんていう 思い出さえも作ることができないかわいそうな話も何度か耳にした。
 今後、多少なりとも世の中が落ち着いてきても今まで”定例”であったものが”定例”でなくなったり、ものによっては「必要でなくなった、あるいは必要でないことがわかったので今後は廃止」なんていうことがいくつも出てくるように思う。

 冒頭であった「2年間のロス」ではないが、本当に「時間を返せ」と多くの人が叫びたくなるくらいコロナ禍の状態は長く続いている。
 どんな状態であっても時間は過ぎ、歳をとっていくことは万人共通で誰しも抵抗のしようがないことなので、時間を大切しながらコロナに逆らわずに毎日を過ごしていくしかないのであろう。
 残念で悔しいことではあるが。
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2021年06月27日

No735:事業は引き際も難しい

 まず、本題に入る前に    
 前々回のNo733で私が予想した 陸上競技 男子100mのオリンピック最終選考会の結果であるが、一昨日 決勝があり結果がでた。
 順位を予想していた者としては40%くらいの今一つの出来で 残念であったが、生き物(生身の体)は、その場面や雰囲気、それに各人のちょっとした体調の変化でどうなるか分からないというのを目の当たりにした近年まれにみる緊迫したレースであった。

 さて 本題に入ることにするが、
 みなさまもご存じのように私は医院の新規開業に数多く関わってきたが、その中の1人で 20年程前に開業支援をし、現在70歳を超えた先生から「いよいよ医院の閉る日も近いので、その方法や時期について いっしょに考えて欲しい」と相談された。
 税理士の仕事をしていると人生の幕を閉じられた後、その方の相続人から相続についての相談があることもあるし、相続税の申告業務は年に数件はあり、これは一定のルールに従って期日内に仕上げるという点ではある程度 手慣れたことではあるが、事業の終い方というのは期日が決まったものでないということもあり、何から手をつけていいのかという点も含めと難しい面がある。

 後継者として院長の子供等の親族に引き継がれる場合や他人(第三者)に一定の条件のもと 譲る場合には、次の引き継ぎ者が決まっているので、いろいろな取り決めや交渉の煩わしさはあるにしても、どこかの時点で完了するという 終点がはっきりしている。
 しかし、後継者がいない方で、いつ医院を閉めようか、いつ自分は身を引こうか悩んでいる場合は、なかなか事が前に進まないことも多い。

 いろいろな問題が絡むし、当然のことながら守秘義務のこともあるので、ここでは細な部分についてまで触れることはできないが、今なお 診療ができる体の状態であるにも関わらず引退するということは、自分で見切りをつけないといけないという点においてそう簡単にできるものではない。
 年配の先生やその家族には失礼な言い方になってしまうが、亡くなられたり、病気やけがで診察ができなくなれば踏ん切りがつくのだろうであろうが、まだ診察できる体でありながら辞めるということは勇気のいることである。
 たとえ「○○歳で辞める」と決断されても、患者さんのことや従業員のことを考えるとそう簡単に辞められないというのが本当のところであろう。
 私が相談を受けた先生は、スタッフの方から、「先生、家も建てたし、ローンもあるのでしっかり働きます。先生も健康でずっと診察を続けてくださいね」と言われたとのことで、この先生はこの話が頭から離れず困ったとおっしゃっていた。
 辞める決断ができるのは、子供さんが自立されているのは大前提であるが、今後の奥様との生活や自分自身が残された人生 何をしていくか、そしてお金の心配はいらないのか等、本当に考えることは山ほどある。
 この先生からは、「終い方のアドバイスを」と言われているが、なかなか「これだ!」という方法は見つけられないし、正しい答えはひとつだけとは限らない。
 ただ、こういう局面はいろいろな形があるにしろ、誰もが通っていかないといけない道なので、他人事とは思わず、真剣になって相談に乗って、「ええ形やったわ。ありがとうな。」と言ってもらえるようなんとか力になれればと思っている。

 医院の経営が先細りにでもなれば、ある意味 踏ん切りがつけやすく着地点は導きやすいのであろうが、いい状態で閉める場合には、資金面においては多少ゆとりがあるのは事実であるが、動いているものを止めるという点においては難しい面もあるなと実感している。
 でも、この先生の「悪くなる前に辞めたい」というの思いを実現できるよう導かないといけない。
 これには この先生も私もまず健康であることが第一であるので、何をするにも体が資本であるていうことをあらためて感じた。
 私自身もこの先生と同様 健康の維持が必要であるが、そのためには まずは“暴飲”を慎むことは必須であろう。
 何本も並ぶ地酒の瓶を目の前にして きつい話であるが。
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2021年06月20日

No734:小心者も悪くはない

【小心者】気の小さい人。臆病な人。度量の狭い人。
 どれをとってもよい意味には捉えにくく、どちらかというとマイナスのイメージで、さらに 勇気がなく、自ら進んで行動できないような人のことを指すこともあり、いずれにしてもよいことは浮かばない言葉である。

 先日久しぶりに稲盛和夫さんの書き物に目を通す機会があり、小心者で臆病なご自身について触れられていた内容が非常に興味深く、今日は少しそのことについて私が感じたことを書いてみようと思ったので、冒頭で わざわざ“小心者”の意味も掲げておいた。

 私も一応 経営者であるが、自分のことよりも顧問先の多くの経営者の方々の顔を思い浮かべてみると こういった性格も経営に何らかの影響を及ぼしているように思えてくる。

 小心者という言葉は確かによい意味で使われることは少ないが、稲盛さんが言うように臆病というのは、石橋を何度もたたいてから渡るとか、最悪の事態も想定しておくとか等、用心深く、繊細な気持ちも持ち合わせており、経営者としてはある意味 重要な要素であるとまでも言われている。
 中には図太い神経の持ち主で自信たっぷりの人が突き進んで成功した例もあると思うが、どちらかというと用心深い人の方が好感が持てるし、自分でも少しはまねてみようかという気にもなる。

 仕事だけでなく日常生活でも、遊びでも細かなところまで事前に考え、徹底とまではいかなくともある程度の準備をしておいた場合の方がことがスムーズに進んでいったという経験は誰しもお持ちであろう。
 顧問先の中には予期せぬトラブルや外的な要因で危機にさらされそうになっても、常に物事を前向きにとらえ難局を乗り切ってこられた経営者が何人もいらっしゃる。
 こういった方は用心深さや繊細さは当然 持ち合わせているが、いざ検討すべきことがあればしっかりと考え、決して結論を引き延ばすようなことはされないし、そしていざ決断を下せば、「よし、行こう」と、即 実行に移される。用心深さと対極とさえ思えるような即断も熟慮の結果としてとれる行動であろう。
 ただ、こういった方は前に進むことばかりではなく、「よく考えたけど、あの件、うちには必要ないわ」とか「不相応と思うんでやめとくわ」と止める時の切り替えも非常に早く、中には切り替えだけでは終わらず、その後の代替案が準備されていることもある。
 この場で顧問先のことを言うのもなんだが、決断の早い人で悪い方向へ行った例は非常に少ないように思うし、相対的にできる人は何に置いても素早いように思う。逆に厳しい言い方をすると、判断をするのに時間を要するのは、事前に索が練られていないからであろうとさえ思ってしまう。
 事務所では、顧問先へ出向くのは私だけでなく、10人近くの外勤部隊がいるが、定期的な面談時には必ず質問や確認事項を準備されている方があり、中には聞きたい内容を書き留めたノートを目の前にして面談が始まる方もある。
 面談時の質問として一番多いのは、経営上 気になる一つの事象、例えば コロナが及ぼしている影響等について他の事業者と比較して自分の所はどうかということである。
 ここであげるのもどうかなと思いつつも、がっかりする例をあえて挙げておくと、ご自身ではあまり深いところまでも考えずに、「何かええ話ないですか?」、「私は(うちの会社は)この先どうしたらいいんでしょう?」という返答するのにも困るような質問をされる経営者である。
 
 今日は小心者の意味から始まり、最後はよい経営者とがっかりさせられる経営者の話で締めることになるが、税理士という仕事は顧問先を通して、自分が経験する何倍もの事例に接することができ、役得だなとつくづく感じた。
 
 私が感じたことを、結構好き勝手に綴りましたが、みなさまにも何かの参考にしていただければ幸いです。
posted by ヒロイ at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月13日

No733: 久しぶりに陸上競技の話題です

 コロナの感染がなかなか収まらない中、こういったところでスポーツの話題に触れることはなかなか勇気のいることである。
 オリンピック・パラリンピックが開催の是非についてほとんど議論されないまま、開催ありきという方向で話が進んでいってしまっているようにも思うが、この現在の状況は国民として何とも不思議に思えてくる。
 これは またまだ開催に対して不安感が拭えない感染の状況が続いているのでなおさらであろう。
 
 そういった中でも、2週間先に迫ったオリンピック 陸上の最終代表選考会を兼ねた第105回日本陸上競技選手権大会が大阪で開催されるが、今回はかつてないくらい注目される種目がある。
 ここからはオリンピックの開催の有無の議論とは関係なく、一陸上ファンとしての競技に関するコメントと捉えて読んでいただきたい。
 具体的にはご存知の方もあろうかと思うが、なんといっても5人がオリンピック参加標準記録を突破している男子100mのレースについてである。
 この5人の内4人が9秒台のタイムを出しているという日本では今までに見ることのできなかった日本人同志のハイレベルなレースが大阪で行われるということである。
 先週、山縣選手がそれまで9秒台を出していた3人の選手のタイムを一気に抜いて、9秒95という日本記録を出したが、オリンピックは同一国3名の枠があるので3人しか出場できないし、代表に選ばれるのは今回は日本選手権での上位3名と決まっているので、山縣選手と言えども4位になったり、万が一フライングでもすればたとえ日本記録保持者であっても出場はできないという規定になっている。
 オリンピックの開催について こんな不安定な時期に不謹慎な内容かもしれないが、オリンピック云々ということはいったん横に置かしてもらって、この100mのレースだけはアスリートの血が騒ぐので自分なりのに予想を立ててみた(ここからは陸上に興味にない方はスルーしてもらった方がいいのかも)。

◆私の予想は
1位 山縣(自己ベスト9.95)
2位 サニブラウン(9.97)
3位 多田(10.01)
4位 桐生(9.98)
5位 小池(9.98)
ケンブリッジ飛鳥(10.03)は7〜8位あたりか

 私の見立てとしては、山縣以外では多田が今 一番昇り調子のように見えるし、いつも70mくらいまではトップなので、もう少し持ちこたえれば9秒台に突入するように思う。
 桐生は滋賀県彦根市出身で洛南高校卒の関西人であるが、この多田選手も大阪桐蔭高校→関学大卒という日本男子の陸上界では数少ない関西の大学出身者なので多少 ひいきにしている選手である。
 さあ、2週間後にはどんな結果になっているのであろうか。
 今回は仕事のことも忘れて、久しぶりに陸上競技マガジンの編集長のような気分で大一番の予測をさせてもらった。

 こんな時期なので大好きな甲子園での高校の野球観戦もあの金足農業が話題を呼んだ2019年の夏を最後に行っていないし、サッカーや駅伝ももっぱらテレビ観戦である。
 ただ スポーツの関していえば、実は私にとって今年は うれしい珍事が2つも重なっている。
 プロ野球は甲子園に足を運ぶような熱狂的なファンではないが多少ひいきにして応援している阪神タイガースが、何年振りであろうか 首位独走中であるし、もうひとつサッカーでJ2に落ちてかなりの年数になる京都サンガが現在2位で、もしかすると久しぶりにJ1に復帰するかもしれないところで踏ん張っている。
 どちらも秋にはやっぱり「ダメ虎」、「ダメ サンガ」で終わっているかもしれないが、まあ今のところはワクワク感をもって結果を追っている。

 このような大変な時期に個人的に興味のある話に終始しでしまったがなって、こういった話題もたまにはお許しください。
 下を向いてばかりではどうしようもありませんから。
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2021年06月06日

No732:不謹慎? 医者がかっこよく見える

 当事務所の顧問先は開業医が多いが、コロナがクリニックの経営にも影響を及ぼすようになった昨年の2月頃から、顧問先の全てのクリニックについて、どのような影響を受けているのかをさまざまな角度から検証し続けてきた。
 その検証の基本となるのが毎月の収入が前年の同じ月と比較してどのように変動してしているのかを把握することである。
 各担当者が作成した毎月の経営指標が全件 私の所にまわってくるので、診療科別に一覧表を作成し、その推移を1年間追ってきた。
 さらにコロナの感染状況は地域差が大きいので都市部とそれ以外を区分することと、開業医の経験年数の違いも何らかの影響があるだろうと思ったので その年数も分かるように一覧表に加えた。
 そしてその総まとめが昨日 完成したので、顧問先の経営指導に役立ててもらおうと私のコメントもつけて事務所のメンバーに送信した。

 この検証で診療科、地域差、開業年数以外にも各院長の経営努力が数字となって表れている先と、なかなか努力報われていない先があることもわかった。
 残念ながら、コロナ禍においては今までに経験した経営環境の変化と異なり 院長の努力がすぐさま経営改善に結びつかないケースがあり、あらゆることについて予想がつきにくいという このコロナの持つべき恐ろしさも影響していた。
 ただ、一年以上たつと各院長のコロナに対する姿勢の違いが徐々に数字に反映されることもわかってきた。
 何かにつけ、「〜だから仕方がない」とか、「自分ひとりの力ではどうしようもない」という人は、今回もこの言葉を何度か口にされていたし、逆に「できる範囲で、できることから手をつくしつていかないと」という人とでは、当然のことながら結果に差が出てきている部分も見受けられた。
 コロナに真正面から向き合う医者だけが評価されるものではないし、いろいろな理由によりコロナとの関わりを少なくしようとされている開業医の先生がいるのも事実である。
 ただ、どんな状況下に置かれたクリニックであっても、顧問先の一人、あるいは一件たりとも脱落者を出さないことは関与税理士の役割のひとつなのかもしれない。
 私が毎月面談する院長の多くは、院内での個別接種、行政が準備した会場での集団接種と休む間もなく、コロナのワクチン接種に時間を割いておられる。
 もちろん自分のクリニックでの通常の診療はこなしたうえでのことなので、こういった先生方の生活はどうなっているのかとこちらが案じてしまうくらいである。
 こういった先生方の中には、自分の行動がクリニックの経営にプラスになっているのかどうかという観点からではなく、まさに「国家の一大事に我々の力を」という気持ちで臨んでおられる方もあり、その熱意がこちらにも伝わってくる。
 つい「夏までは仕方ないです、実は体はへとへとですが・・・。」という言葉を口にされることもあるが、何とか任務(一種のノルマ)をこなされている。
 ここで私がこういったことを綴ると、「そこまで一人の医師ががんばらんでも」 なんていう人もいるかもしれないが、医者でない私から見ると何とも頼もしいというか、ある意味 かっこよくさえ見え、思わず「ご苦労様です」、「ありがとうございます」と声をかけたくなってくる。
 今回は一般国民だけでなく、総理大臣や国会議員であっても、大企業の社長であっても医者にワクチンを打ってもらわなければ何も始まらないし、前に進むことさえできない。
 正に医師を含む医療従事者こそが国家を救うという状況になってきている。
 私は医師ではないので直接コロナと向き合うことはないが、こういったドクターが運営するクリニックをサポートすることで、間接的コロナと関わることができているのかなと考えながら毎日の業務に取り組んでいる。

 何はともあれ、通常の生活ができる日が一日でも早く戻ることを望んでいるし、そうなったときには、コロナ禍のことをどう語っているのだろうかと想像できるところまで近づきつつあるのかなと希望が持てるようになってきた。
 ただ そういった状況が現実のものになるには、更にひと山、ふた山 越えないといけないのであろう。
 本当にコロナはどこまでいっても手強い相手である。
posted by ヒロイ at 14:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

No731:まるで地図が伸びていってしまったような

 旅行は私のいくつかある趣味のひとつであったが、コロナ禍においてはどこにも行くことができない。
 開業してから14年近くになるが、2年前くらいまでは海外旅行こそ行くことができないものの 国内で是非とも見てみたいものや食べてみたいものがあると予定を立てて年に1、2回出かけたものである。
 今ではネットで検索していろいろな情報を入手するのが基本であろうが、数年前までは本屋の旅行雑誌のコーナーでワクワクしながらページをめくるのも楽しみのひとつであった。しかし、このコロナの感染が広まった影響でどこへも行けなくなってしまった。
 私の旅行は基本的には1泊2日がほとんどで、2日あれば北海道であろうと九州であろうといろいろな所に行くことができたし、新幹線で行く名古屋や浜松等は見たいものだけを見て帰る日帰旅行を決行したことも何度かあった。
 それが今や仕事以外では地図を見る機会もほとんどなくなり、どこかへ出かけるといってもせいぜい2時間かけて仕事でお決まりの顧問先へ行くくらいのものである。

 私は地理という教科が大好きだったので、地図を眺めているだけで旅行に行った気分になれるという“お得”な感覚も持ち合わせている。

 それが今や世界地図を見たところでどこへも行けないし、ニュースで見る外国の様子も以前はもっと親近感があり、身近な所で起こっている出来事のように思えていたが、今やお隣の韓国でさえも遠い異国での出来事のように感じてしまう。
 これは国内でも同じで2時間ちょっとで行ける東京でさえも、政治家がたくさんいていろいろな物事が決まっていくところなんて思いながらニュースで国会の様子を見たり、依然として多くの若者が行きかう渋谷のスクランブル交差点の様子を妙な感覚で眺めている。
 今まで飛行機、鉄道、そして高速道路を使っていかに短時間で行けるのかを競ってきたが、その必要さえもなくなってきているようにさえも感じる。
 「コロナが自分の行動を見直すきっかけに」なんて大げさなことは言わないが、ここまで行動範囲が狭くなってくると思考も変化していくし、人生観にも影響を与えるといっても過言ではない。
 事務所にも長期休暇の時に必ず里帰りしていた者も何人かいたが、ここしばらは行けていないようであり、会えない親子や見れない孫の顔というのが常態化しつつある今の我が国の状況である。
 ワクチン接種が進むとこういった状況はかなり改善されるであろうが、今のこの状態は旅行という余暇の過ごし方だけでなく、仕事のやり方や家族の関係さえも変化させようとしている。
 とはいっても、嘆いてばかりいても仕方ないので、こういった状況をいろいろなことを見直すきっかけにしたいものである。

 地図を広げて次の休暇にはここへ行くぞと考えられるような日が待ち遠しのは私だけではないでと思う。それは世界地図でなくとも日本地図で充分なんで。
 そういう意味で私は今まで時間の短縮競争で縮まっていた地図が、伸びて広がってしまったような感覚でいる。
 地図が伸び縮みなんて変な表現かもしれないが、それくらい世の中や我々の行動って変わってきているコロナ禍での世の中である。
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2021年05月16日

No730:贈答品の金額が分かることの功罪

 世の中は新型コロナの感染状況とワクチン接種、それと東京オリンピック・パラリンピックの開催についても話題で持ちきりである。
 こられのことは非常に重要であることは分かっているが、私はここではできるだけ あえてこういったあふれている情報とは違うことをとり上げるようにしている。その方が新鮮味があると思うので。

 今日は便利になったネット検索についてであるが、何でもかんでもネットで検索ができるようになり、いろいろな面で便利になってきていることは誰しもが認めるところであるが、知り合いから贈り物が届いた時にワクワクしながらも、ネット検索することによって その贈り物の金額がすぐわかってしまうので味気ないというか、趣がなくなっていっているなと感じることがある。
 娘が家にいた時なんかは、お歳暮やお中元、それに何かのお返しの品が届いた時にすぐさま 「これ○○円やわ」と金額を教えてくれていて、それはそれで「あっそうか」といち早く情報が頭に入ってくることで助かることもあるが、私自身は実はこういった行動は必要に迫られない限り、今まで一度たりともしたことがない。
 また、最近でこそ機会がなくなってきている会食の場合でも、何かの食事会に招待いただいた時、料理の値段をすぐに検索したり、食事会の後、先程食べたのは「□□御膳で○○円」と店を出るなり金額の検索をしている人の姿も幾度となく見かけし、事務所で食事会をしていた時も、「今日の料理は○○円」って分かっていたんだろうな なんて考えたりしていたこともあった。

 以前はどうだったのかなと思い返してみると、百貨店から届いたお菓子には箱の横に[30]と記載されていれば3,000円かと確認したことはあったが、いただいた品物は金額が分からないところにそれを想像する楽しみがあったような気もする。
 私のような行動を「値段を確認しないなんて さすが違うわ」なんて言う人もいるかもしれないが、食べたいものやもらってうれしいものが届けば金額なんて二の次という思いがある。
 先日も長男の嫁から東京の地ビールが届いたが、値段がいくらであろうと東京のビールということと、送られてきたものというだけで格別の味がするような気がする。何種類かあったがもちろん金額の確認なんてしていない。
 実はこのビール、昨日から冷やしているので今晩じっくりと味わうのが今から楽しみでならない。

 贈答に限らず結婚式や葬式も場所と規模が分かればおおよその金額が分かってしまうので、逆にいうと主催する側も金額がガラス張りに中で催し物が行われていることはある程度 覚悟しておかなければならない。
 そんな思いもあるので、私がいただいて結構うれしいものとしては、“花”や“観葉植物”が挙げられる。 とはいってもそうそうもらう機会はないのだが・・。
 送る側が「この辺の花3種類を1万円になるように」 なんて花屋さんに依頼して、価格表にはないような形で贈答の品が出来上がるので、もらった方は少しくらいは「いくらぐらいのものかな」とは考えるが、金額がいくらかは分からなくとも 単純にきれいな花として評価し、素直にうれしくなるものである。

 最後に先述の話とは関係ないが、花についてちょっとおもしろい話を一つ。
 先日、娘が友人から、「主人が仕事帰りにサプライズでお花を買ってきてくれてうれしかったんだけど、その花がどう見ても仏花のセットなんだけど、これって本人に言うべき?」と相談を受けたらしい。
 更に聞くと、閉店間際の時間でこの花しか残っていなかったらしい。
 娘の友人は、ご主人に感謝の気持ちは伝えた上で、一般常識を知ってもらううためにもこれは仏花であるということは伝えようかなと言っていたらしい。
 この結末は聞いていないが、私も常識知らずのとこがたくさんあるので、この話 人ごととではないなと思いながら聞いていた。
 いくつのなっても「常識とは」ということを学んでいかないといけないなと思った話でした。

 今日の天気からすると梅雨入りは間近かな?
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2021年05月09日

No729:仕事の進め方は “逆算思考“ それとも “積み上げ方式”?

 ある会社の社長が本の中で、「逆算思考こそ成功の秘訣」と述べていた。
 これってどういう意味なんだろうと本の中に目をやると、仕事を締切に間に合わすためにはいつまでにスタートを切り、途中の段階ごとに何をいつすればいいのかを追いながら物事を進める必要があると書いてあった。
 「う〜ん 当然と言えば当然で、誰でも分かっているけど そう思いどおりにいかないからみんな悩んでいるんだけどな。」と感心するより、ひとこと言いたい気持ちになった。
 私の仕事も申告期限の2カ月前、1カ月前、そして 1週間前までにしておくべき仕事を定めながらするという点では、立派に仕事を逆算して取り掛かっているが、思いどおりに進むことの方が稀で、「やばい、やばい間に合わないかも」とお尻を叩かれながら最後の追い込みをするというのがよくあるパターンである。
 仕事というものには必ず期日があるが、法定の期日であれば一日たりとも遅れることは許されないが、自分で決めた目標の期日の場合には、勝手にできない理由を考えて数日延ばすことは誰でも経験のあることだろう。
 この歳になると試験勉強というものはないが、若い頃は、受験勉強も何日までに第1章、そして次は第2章と目標を定めてスタートを切ったり、子供の頃の夏休みの宿題も7月中にはここまで、お盆前までにはここまでと、夏休み前に計画を立てるのだが、残念ながら計画どおりに進んだことは一度たりともない。
 仕事をする上でこの”逆算思考”は確かに効果的であるが、決して楽しいものではなく、長く仕事をしていく上では、これだけでは何か物足りなさを感じてしまう。

 では他にどんな進め方があるのか考えてみたところ、”積み上げ方式”というものの考え方をすれば、仕事を楽しむというところまではいかないが、もう少し達成感を得ながら進められるようのではと思った。
 仕事を積木に例えて、積木が10個積み上がったら完成ということにしておけば、一段階ごとに積木を積み上げていけるので、進んでいる様子が実感でき、残りあといくつという捉え方をすることによって目標(完成)が見えてきて、途中の段階でも少しは達成感に浸ることもできる。  
 ただ、こうして文章で書いていると何だか素晴らしい方法のように見えるが、どちらの方法にせよ期日が迫った時の焦り度合いには大きな差がないのが現実である。

 相続税の申告業務は お亡くなりになられた日(専門用語では一般的には「相続開始日」という)から申告期限までの10カ月間にするべき項目をスケジュール表に並べ、それに沿って進めることことも ある意味”積み上げ方式”で仕事を進めているのであろうし、クリニックの新規開業の支援も立地選定、融資、建築から始まり、最後の広告の検討やスタッフの採用まで1年以上の期間を要する場合が多く、これもまさに”積み上げ方式”の典型的なものであろう。
 法定であってもなくても期日はあるのだが、どうせ仕事をするのなら自分で勝手に”積み上げ方式”の発想を持ちながら進めるようにした方が仕事に対するストレスが少ないのかもしれない。

 冒頭の社長は行き当たりばったりで物事を進めることを戒め、計画どおりに進めるための手法として 「逆算思考こそ成功の秘訣」と言っているが、することは同じであってもあまり縛られずに進めていきたいものである。
 でも 人間って本当に弱いもので、期日のないものはついつい後回しになり、そして「いつかはしよう」という仕事が机の両サイドに積まれている人も多いはずで、私もそのうちの一人である。
 私の場合にも言えることであるが、最終的にはいろいろなことが期日内で終わっているのは、残念ではあるが 自分の頭の中では自然と”積み上げ方式”ではなく、”逆算思考”で仕事をしていっているのであろう。
 ただ、いやと言いながらも期日に縛られない仕事って、もしかすると達成感があまりないのかもしれない。
 人間って勝手なもんですね。縛りがないとだめなのかな 誰しも・・・。
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2021年05月02日

No728:このブログ、なぜ辞めずに続けているんだろう?

 先日、高校時代の友人からある単発の仕事の依頼があった。
 昨年もこの友人の奥様から実家の税金に関する相談があり、当事務所の顧問先ではないが2年続けて仕事で関りを持つことになった。
 我々の業界では、顧問契約を締結していない先(人)から仕事の依頼があった場合、”飛び込み”あるいは”単発”と呼んでいるが、2年続けてこの”飛び込み”があったという何ともありがたい話である。
 実はこの友人というのも高校時代に陸上部で3年間一緒に汗を流したリレーメンバーで、「4×400mリレーで絶対に全国インターハイに行くぞ」と、今では考えられないような過酷な練習を来る日も来る日もいっしょにやってきたチームメイトである。
 私が高校時代まで過ごした所は冬はかなり雪が積もるので、当然のことながらグランドは使えず、学校の横の150mほど続く坂道を息が切れるまで何本も走り続けたものである。当時のクラブ活動では程よい練習なんていうものはなく、常に限界への挑戦であり(ちょっと大げさかな?)、疲れ切って今日はもうでダメかと思ったときも 「みんなで松山インターハイに行こな」という合言葉を掛け合いながら、がくがくする足を手でパチパチとたたきながら、最後にもう1本何とかみんなで走り切ったものである。
 実はこの道は、今でも仕事で顧問先を訪問するときに車で通ることがあるが、通るたびに40年前のあの光景がついこの間のことのように蘇ってくるし、特に雪のちらつくような日であれば、なお鮮明に当時の光景が頭に浮かんでくる。
 先日、この友人から今回の仕事のことで電話があった時に、「去年から、飯でも食いながら一杯やる というのが持ち越しになっているので いつかは絶対やろな。ただ、コロナがこんな状況なんでちょっとめどがたたんけどな・・。」と話していて、その翌日、仕事に関することで送られてきたメールに、「たまにブログ拝見してます。毎週よくネタがあるなーって感心しています。」と書かれていた。
 これを読んだ私は、「ここにも居たんだ私のブログの読者が」とついついうれしくなり、そして今こうして彼とのことを綴っている。

 他の税理士のブログをたまに見る機会があるが、「税制改正」とか、「こんな判例がでました」というようないわゆる本業を補足するような内容が多く、読んでいても今一つ面白いものではなく、続けて読もうという気にはならない。だからというわけではないが、私は開業の日(2007年9月)にNo1を初めて綴った時に、ここ税金の話を書いても他の税理士と代わりばえがしないので、あまり税理士なんて構えずに、「その時々で考えていることを素直に書いてみよう」と思ってスタートし、今でもこの姿勢を貫いている。
 だから、ここではあまり頭をひねるような内容ではなく、自分を飾らず ありのままを出そう と思ってここまで続けてきた。
そんな中でたまにこうして、「読んでるよ」とか、「私も同感」って声を掛けてくれることがあると、それはそれで結構励みになるのも事実である。
 開業当初は事務所の場所もスタッフ数も今とは違っていたし、私の家の方も当時は5人で生活していたが、今や2人となり、子供中心の生活から ぽぽたん(ワンちゃん)中心の生活へと大きくか変わってきたことも含め、こういった仕事以外の日常もたくさん綴ってきた。ある機会があって以前のものを読み返すと、まさに開業後14年間の生活そのものが表れている内容で、懐かしくなることもあれば、自己反省の材料になることもあり、自分で言うのもなんだが一つ一つが自分にとって結構インパクトがある。

 このコーナーって人のためだけではしんどいし、また自分のためだけでもつまらない内容になり、もし、そんな片寄った内容であったならきっと自分でも飽きてしまっていたであろう。
 そういう意味で、読者のためと自分のためというこの2つの方向性があるからこそ ここまで続けられてこれたんだろうなと思う。

 最初は100回くらいは続けようか、次はこの調子で200回続けられるかな、その後500回目の時には以前のものを読み返すとその時々の考えが表されていて、本来の日記の意味が出てきたなと妙に納得したのを覚えている。そして今回728回だが、1,000回続くだろうか? なんて勝手に先のことまで想像してしまっている。

 今、世の中がこんな状況なので先のことは全く読めないが、この読めない時こそ今考えていることと半年後や1年後の現実を照らし合わすことの意義はそれなりにあるのかもしれない。
 昨年のコロナ禍以来、予測は全くあてにならないし、あてにしない生き方を学んだように思う。
 もしかするとコロナで学んだことの一番大きなものは、このあてにならない、予測がつかない、そして生きていくためのには何をするのか? ということを考えさせられたことではないかと思う。    
 果たして連休明けの我が国、関西、そして京都のコロナの状況はどうなっているのだろうか? いや〜、本当に予測のつかない世の中になってしまいました、困ったことに・・・。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月25日

No727:甘くはない田舎暮らし

 コロナ禍において会社へ出社せずに自宅で仕事をしたり、自宅以外の場所で仕事をする いわゆるテレワークを政府の後押しに乗って、何とか推進していこうという企業が出てきている。
 自宅が手狭だったり、家庭内でのコロナ感染のリスクを回避するためにホテルで何日も連泊し、そこで業務をこなすという形も取り上げられおり、ホテル暮らしをしながら仕事なんてなんだか羨ましいような話であるが、果たしてこれって本当にうまく機能しているのだろうかと考えるのは自分が実行できない妬み心からそう思うのであろうか。
 たまのホテル暮らしなら気分転換もでき、多少ウキウキ感もあるが、これが何日も続くとこれはこれで効率が保てるのか、また自分のモチベーションも維持できるのか疑問の残るところであるが、通勤や社内での密を避け、コロナの感染防止という観点から見れば一定の効果はあるだろう。
 ただ、現実にはその費用はだれが負担するのか、仮に会社が負担するにしても何十人もの分を会社が払うとすれば、その負担とて容易なことではない。しかも この時期に業績が低迷しているような会社であればなおさらであろう。

 また、このコロナ禍では都市部から離れて地方への移住も話題になっているが、移り住んだ後、「よかった、もっと早く実行に移せばよかった」という肯定派の意見以外に、「自然が多いことを楽しみにしていたが、それだけでは決して充実した生活は送れない」とか、「移住先のいい面だけを見て移ってきたが、困る点、デメリットももっと想定しておけばよかった」と後悔している話も耳にすることがある。
 これはこのコロナ禍だけでなく都会で会社勤めをしていた人が、老後を自然の豊かな地で過ごすという定年後の移住の場合も多少似た面があるように思う。
 私も山や海が近くにあり、食材も豊富な土地に生まれ育ったが、都会の人が思うほどいい面ばかりではないように思う。
 今まで住んだことのない所、特に都会の人が田舎暮らしを始める時に、経済的なこと(収入面)や子育て世代であれば教育環境について大きな変化があることは、ある程度は事前に情報や知識として得られているであろうが、一番大変なのは日々の生活と密接に関係する医療と介護の状況、それと後になって分かるものととして気候が挙げられる。
大体、今まで生活をしたことのない場所を調べると一番いい気候の時の情報が発信されていることが多いように思う。
 年中温暖な南九州や沖縄、夏も20度台で過ごしやすい北海道、そして自然に囲まれて食べ物の美味しい丹後地方(私の出身地)をはじめとする日本海側 等。
 気候はいい時ばかりでなく、暑くて台風の多い沖縄、1日の最高気温が氷点下の日が続く北海道の内陸部、そして冬は雪が降り続く日本海側等、今までその地で生活をしたことのなかった人にとっては耐えられないくらい厳しいものかもしれない。
 私は田舎暮らしや移住がダメと言っているわけではなく、こういったことも想定したうえで実行に移すべきであると言いたいのである。
 この移住や引っ越しというものが、親の介護で実家に戻るとか、結婚相手が田舎の出身でその地についていくとか一定の理由がある場合には覚悟を決めて、その地でより一層充実した生活を送ることで、納得もでき、満足感も得られるであろう。
 ただ、新聞や雑誌にはいい事だけを取り上げている広告が目について仕方がない。特に移住や老後の生活の場としての広告に。

 今日も言いたいことをいろいろと言ってきたが、何をするにも思いどおりにいかない場合も想定したうえで実行に移すべきであろうということである。

 私は交通の便も程よく、一定の自然もある今の場所での生活は一応満足しているが、自宅で過ごす時間があまりにも少ないことについては満足できないところではある。
 まあ、これは仕事と仕事外のバランスをうまくとることができない私に責任があることはよく分かっている。
 今朝は久しぶりにぽぽたん(うちのワンちゃん)の散歩で宝が池に行くと、目の前のに鹿が現れ 「これぞ自然動物園」と、一瞬とはいえ、時間に追われる日々を忘れられた瞬間でもあった。
 コロナは大変な状況が続いているが、もうしばらくの間、焦らず、無理せず 乗り切って行ければと思っている。
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2021年04月18日

No726:名物・名産なんてなくなるかも?

 先日、新聞で京都の寺町から一定規模以上の電器屋さんがなくなったという記事を見て、時代は大きく変わっていってるなと感じた。
 私も元々京都(市)で生まれ育った人間ではないので、「電化製品を買うなら寺町で」ということは、20歳前後の頃、京都に住んだことのあった兄や姉、それに大学時代の友人から聞いて初めて知ったが、学生時代にウォークマン、そして社会人になって部屋にエアコンを取り付ける時にこの寺町通に軒をを連ねる電器屋さんで安くていいものを探しに行ったものである。
(注)当時の賃貸物件は、全室エアコン完備のものばかりではなく、エアコンを自分で取り付ける物件もあった。
 今でも買い物しているとたまに見かける言葉であるが、当時の寺町の電器店街あった大型店の前には、「当店より安い商品のチラシをお持ちいただければ、その金額にて販売いたします」という張り紙がしてあったのを覚えている。
 私も寺町の電器屋さんになんてほとんど行くこともなかったが、例のウォークマンを買いに行ったとき 3、4軒の電器屋さんを回り、まずは一番気に入った商品を探し、そして買うものが決まれば、次はその商品が一番安い店を探しに回ったのを覚えている。
 京都の寺町=電器屋さん と頭の中で結びつくのは、今や一定の年齢以上の人なのだろうし、今、京都で電化製品を買うなら京都駅周辺に足を運び、ヨドバシかビックカメラを訪れる人が一番多いであろう。
 「○○買うなら○○へ」とか、 「□□のお店がたくさんある街(通り)」なんて言うのが今後はなくなっていくのであろうか? いや、もう既にその多くがなくなっているのでは・・。

 話は電器屋さんの話題から少し変わるが、先日 京都の有名な八ッ橋の店の前を通ると、日中にもかかわらずシャッターが下りていた。
 確かに八ッ橋なんて地元のものがおやつ代わりに食べるものでもないし、観光客、特に修学旅行生や外国人観光客が来なくなり、売上は80%近く減少したの記事を目にしたことがある。
 今 八ッ橋店が店を開いても客は来ないし、開けておくだけ人件費や光熱費等の維持費も掛かり赤字が膨らむだけなのかもしれない。
 今日の本題からはちょっと話が横道に逸れるが、普段はほとんど口にしないゆば(湯葉)の話を少し。
 私の長男の嫁さんが神奈川県出身なので、いつも京都に来ることを大層楽しみにしていてくれて、来る時には必ず 「おいしいものを食べに連れて行ってくださいね」と言われる。
 料理の中でも「ゆば料理」をリクエストされたことがあり、食べに連れて行って、食事中に「京都の人っていつでもこんなものが食べられていいですね」と言われたことがあるが、京都人が日常でゆば料理を食べる機会なんてまずないし、私なんて田舎から大学進学のために京都に出てくるまで、湯葉という食べ物さえ知らなかった。多分初めて口にしたのは、20代の半ばであったように思う。

 そして、又 突然 本題でに戻りますが・・。
 最初の電器屋さんの話は、電化製品だけに限らず あらゆる商品において、大型店の進出により、街中にある個人商店は閉店に追い込まれ、かつては賑わった商店街もわずかの店だけがかろうじて残っている いわゆる歯抜け状態になってきている。
 また、地方特有の料理をはじめとする名物、名産は観光客が訪れて初めて、売れたり、それを扱うお店が商売として成り立つものであるが、このコロナ禍においては移動の制限もあり、観光地にあるどこのお店も閑散としているし、商売自体が継続できない状態に陥っているようである。
 何年か経つと、「ここでは昔○○そばが有名だったらしいよ」とか、「ここの○○餅は、5年程前までは人気があって、並ばないと買えなかったらしいよ」なんて言う何とも寂しい会話があちこちから聞こえてくるのかもしれない。

 新幹線や高速道路の伸張、そして大型店の進出というこれまでになかった新しい生活スタイルに、このコロナが追い打ちをかけ、とどめを刺された感がある。

 コロナ感染防止のため、人の往来に制限をする「○○宣言」が頻発・頻出しているが、そのせいもあって東京に住む長男夫婦はお正月に続き、この5月の連休も帰って来なくなった(来れなくなった)。
 不安を抱えたまま、あと10日ほどでGWに入ってしまうが、本当にこれからどうなっていくのか、いろいろ考えてもなかなか答えの見いだせない春である。
 こんな時は耐えるしかないのでしょうかねえ? でも、我慢しても光が見えてこないからね。ほんとに・・・。
posted by ヒロイ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月11日

No725:別れ際、いや”帰り際”の一言

 なんか妙なタイトルで彼や彼女と別れる時の最後の言葉のことかなと思っておられる方もいるかもしれないが、残念ながら今回は仕事で出向いた先で帰る時の掛けられる一言が、帰って行く者にとって、随分 気持ちに差が出るなという話である。

 コロナの影響は業種、あるいは開業医の診療科目よって差はあるものの ほとんどの顧問先は経営状況が悪化している。
 顧問先の訪問時には月次の定例業務の他に、最近はこの厳しい状況をどのようにして乗り切っていくのか、資金繰りは大丈夫か、それに支援金や補助金の申請方法など相談内容は今までになく多岐にわたっている。
 いろいろな話が終わった後、帰り際には一言 声を掛けられるが、ある経営者は最近 業績が低迷気味である中、「本当にいろいろな方策を示していただきありがとうございます。今日は力をもらいました、明日から何とか前向きに頑張ります。下を向いていても何一つ解決しませんから。」と 最後にこちらが励まされるような言葉を口にして見送ってくださる。
 また、あるクリニックの院長夫人は、「厳しい状況が続いて、なかなか出口が見えませんが、地道にコツコツとがんばっていきます。まだ、ぜいたくしなければやっていけます、今の世の中もっともっと大変な方もたくさんいらっしゃるでしょうし。これからもバックアップお願いいたしますね。」と、この方の場合にもどちらが励まされているんやろと思わず胸が熱くなる帰り際であった。
 又、中には寒い日でも外で私の車が見えなくなるまで見送ってくださる奥様もある。
 こんな帰り際のことだけで顧問先のことを判断するわけではないが、やはりそこには熱い想いがあり、こちらも思わず「なんとしてでも」とか、「何とか救うぞ」なんて想いになってくるものである。
 訪問した時にある経営者は、私への質問をいくつもメモに書き留めておられ、1から順番に聞いてこられるが、これはこれで嫌な話ではなく、私の面談を心待ちにされていたという想いが伝わってきて、ある意味 訪問のし甲斐があるということである。

 ただ、逆に?が付く顧問先がないわけではない。
 訪問した時、いつでも機嫌が悪く、従業員の不満から始まって、お客(患者)への不満、そして最後には税理士(事務所)への一言(褒められたことはほとんどない)で締められる。
 この顧問先については、今まで当事務所としては手を抜いたことなど一度もなく、どちらかというと他の方よりも気を使いながら、細やかな対応しているつもりなんだが、なぜか当事務所への満足度は低く 感謝の言葉など一度も聞いたことがない。別に感謝の言葉を期待しているわけではないのだが・・。単に波長が合わないのかな? と思う時もあるが、この経営者の心のどこかで税理士に頼っているという気持ちがこちらにも伝わってくるので何とか関係は続けられている (この場でこんなことを書いてはいけないのかも、これを読んでおられたらアウトかも?。でも、こちらには嫌な感情など一つもないし)。
 私もこの顧問先を毎月訪問するわけではないが、こんなことがあると次に行く時にはきっと満足させたり、喜ばせるぞと思って訪問するのだが、なかなか満足の得られる結果にはならず歯がゆい思いが続いている。
 顧問先の方が税理士にどんな思いをぶつけられかは自由だが、お互い気持ちよく仕事をすることって非常に大事なことのように思う。


 私も時と場合によっては当然のことながら顧問先に対して厳しい言葉を発しないといけないこともあるが、そこは双方の“想い”によって その言葉の受けとめ方も随分変わってくるものである。
 気持ちだけで仕事が進められるものでもないことは重々に承知しているが、心穏やかに そしてよい気持ちを持ちながら顧問先の対応や応援ができる そんな税理士でありたいなと思っている。

 最後に話はゴロっと変わるが、今日は12月以降で自分の時間が一番とれた休日であった。
 愛犬ぽぽたんと朝夕各2時間ずつ散歩、読むべき 溜め込んでいた資料に目を通す、簡易な衣替え(第一弾)、そして行きたかった蕎麦屋にも行き(今のご時世 外食がダメだったのかも?)、何と5ヶ月ぶりに念願の休日の昼寝もできた。
 こんな休日こそ、本当にリフレッシュできたと言い切れるし、毎週、こんな休日がとれようになれなと思いながら一日を終えようとしている。
 では、おやすみなさい。
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2021年04月04日

No724:自己統制に苦労する

 今日は少し難しい言葉ではスタートするが、
 「自己統制」とは、複雑または困難な状況に直面したときに、自分の感情、行動、身体の動きを管理する能力のことをいう。
 今までこの「自己統制」なんていう言葉はほとんど使ったことがなかったし、言葉の意味自体、あまり深く考えたこともなかったが、あるきっかけで“自己統制”という言葉に触れる機会があったので、コロナ禍にこそ、まさに自分をコントロールする“自己統制”が大事である感じたので今回 取り上げるてみることにした。
 
 新年やお盆に親族が集ったり、成人式、卒業式、入学式・入社式その他 学校や社会において、一年のうちにいくつもの行事があるが、こういったものが縮小されたり、中には開催そのものができなっくなっているものもあるという状況下では、節目というものが非常に分かりづらくなってきている。
 目の前の確定申告にしても、今年は法定申告期限が1カ月延長されたので、現場としては時間的にも体力的にも例年より少しは余裕があったが、いざ 取り掛かりだすと いつになっても確定申告が終わらず、我が事務所でも 今の時点で95%以上は完了したものの、あと数件残っているおり、いつになっても 「確定申告完了」という、例年待ち望んでいるすっきりした気持ちになれず今日に至っている。
 我々の業務もこの仕事だけであれば、「気持ちにゆとりができてよかったな」と言えるのかもしれないが、通常の業務は暦どおり動いているので、そういうわけにはいかない。
 どこでも4月1日は新しい年度が始まり、例年 気持ちも一新し、否応にも引き締まるものであったが、こういったピリッとしたところもなく4月1日を迎えた。まるでただの通過点かのように。

 幸いにも日本には四季があるので、桜の花が咲いたり、必然的に衣替えも必要となるが、これとてこれまでのような一つの区切りというにはほど遠い、暦どおりに訪れる季節の移り変わりに過ぎない。
 こんな中では最初に掲げたように、自分で自分のことをコントロールするということが今まで以上に必要となってくる。
 何かにつけ放っておけば、気が付いた時には 時 既に遅しということになりかねない。緊張感を持続するなんてことは限界があるが、こういった中ではまさに自己統制の能力が問われるし、スケジュールを確認したり、管理することことへのエネルギーは今まで以上に必要になってくる。
 これは、今までのように月単位や季節ごとに行われるいくつものことが行われなくなっているのでやむを得ないことである。

 こういった中で最も自分を活性化してくれるのは、やはり従来からの顧問先様であったり、初めて会う新しいお客様との面談である。
 誰しも過度な刺激は望んでいないが、一定の刺激こそが今の自分には必要なのであろう。ただ、これもコロナの影響でかなり制限されるなかでやりくりしないといけないという難しさがある。
 コロナ禍においては、「何気なく」というのが通用せず、今まで以上に自分で考えて行動する必要があると思うし、なかなか 厳しく、難しい世の中になってきたなと感じてしまう。
 当事務所では4月7日(水)には確定申告を完了させ、やっと通常の体制に戻すので、ある意味、ここからが事務所の新年度といえるかもしれない。 あと3日。長かったな、今年の確定申告は。、

 自己統制が必須とまでもいわないが、ボーっとしてると流されてしまいそうな世の中になってきていることには違いない。
 何かしら落ち着かず、気が付けば4月も終わってしまいそう毎日である。
 明日はそろそろ自分の確定申告のメドをたてないといけないなと考えている日曜日の夜である。
 では、今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 22:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月28日

No723:顧問先からの相談内容は十人十色

 税理士としての仕事の範囲というのは、会計や税務に関する相談、そして税務申告書の作成及び提出がメインであるが、それ以外にも経営や労務に関することや中には経営者ご自身の人生相談っぽいことに対してまで意見を求められることがある。
 人生相談といっても多少なりともお金に関する話が多いが、ご自身の老後資金のことにはじまり、親の介護や認知症への対応など、“老後”というキーワードだけでも相談内容は非常に多岐にわたっている。
 また、お子さまに関する話題も多く、時節柄 学費や進学先についての相談もある。
   中には私大医学部への入学が決まり、数百万円のお金を振り込んだ話とともに今後の学費や生活費の援助(仕送り)に関して相談されるドクターもいらっしゃる。
 さすがに、「どうしたら受かるんでしょうかね?」とか、「今後のことを考えどちらの方面に進むのがいいんでしょうか」なんていう質問には、私自身がお子様ご本人とも会ったことがないし、それぞれの性格や特性も分からないので安易な発言はできないし、しないようにしている。
 あと ご夫婦間のことを相談される方もあるが、こういった話もどちらかの肩を持つとより一層ややこしい話に入っていってしまうことにもなりかねないので、サラッと聞き流すようにしている。

 相談を受ける時、その相談の主である経営者やその奥様が、今までどんな生活をされ、今後どのような生き方をしようとされているのかを少しでも知ることができれば、当事者に合った話もしやすいなと思うこともある。
 特にお金の使い方は人さまざまで、税金を少しでも抑えたい人(これはほぼ全員か?)、とにかくお金を貯めたい人、自分の欲しい家や車にお金をつぎ込みたい人、今はただひたすら子供の教育資金を準備したい人 等、人によって仕事をしたり、お金を稼ぐことの目的は様々であり、相談に乗る前、あるいは相談している中でこういった“目的”を把握できれば、的外れな回答にならずに済むなと思うこともある。

 ただ、こういった多岐にわたる相談内容も今回の新型コロナの影響が色濃く出ていて、人それぞれの将来設計が思い通りにいかなくなってきているケースも結構見受けられる。
 ここでも今までの希望を曲げない人と現状を把握してうまく軌道修正できる人があり、やはり人生っていかに柔軟性をもって対処できるかが重要なことなんだなと人様の行動を見ていて考えさせられることも多い。
 私も今は経営者であるが、開業までの23年は勤務していたので勤務する人の気持ちも少しは分かるし、老親や子供の悩みもひと通り経験しているので、自分のこととだぶらせながら話を聞いたり、アドバイスをすることもある。
 ただ、どんな時でも自分と考えがいっしょなんていう人はまずいないし、どちらかいうと「自分とは違うな」とか、「私だったら別の方法を選ぶのに」なんて思うことの方が多いように思う。
 こういった時にこちらの思いをそのまま伝えることで、気を悪くされた経営者も今まで何人かいらっしゃったので、心のどこかで「本音ってどこまで口にしていいんやろか」なんて考えながら会話しているというのが実情である。
 私が話をしたり、相談に乗る場合、その相談者ご自身の意見とは違っても最後までじっくり聞いていただける方が何人かいらっしゃるが、こういった方と話をした後は、こちらとしてもなんだかすっきりするし、仮に私が話をしたことと別の方法を選択されたとしても 「思ったことを話してよかった」と感じる瞬間である。
 税や会計に関する話以外は、やはり年齢や経験がものをいう場合もあるし、こちらが教えられることも非常に多い。
 そういう意味においてこの仕事をする上では終着点はないし、顧問先の方といっしょになって成長していくくらいの気持ちで接している方がお互いにとってもいい関係が築けていくように思う。
 いろいろな話をしながら、こちらも 「いいことがあったら吸収してやろう」なんて考えながら仕事をするのが、この仕事を長く続けられるコツなのかもしれない。
 まあ、いろいろな方と話をするのが好きであることは、この仕事をする上で多少なりともプラスになっているんだろうなと思える。

 いよいよ3月もあと数日を残すだけとなったが、確定申告は期限が延長された関係もあって、資料の回収が遅れた先が数件あり まだ完了には至っていないが、あと残っている数名の方の申告書の作成を何とかこの1週間で終え、すっきりした気持ちで春を感じたいと思っている。ただ、どこへ行くにも出かけづらい状況が続いているが・・。
 今年の花見は車窓からだけで終わりそうであるが、これもあとになって 「あんな年もあったな」と言える日が来るのを期待しながら今日の話はこれで終わります。
 来週はいよいよ4月ですよ。
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2021年03月21日

No722:憧れる “ 決断の早い人”

 顧問先の経営者の方で、「なんていう決断の速い人」と思えるような人がいる。
 この人のスピードについていくのに一時は苦労したこともあったが、そのテンポのよさには学ぶべき所も非常に多い。
 顧問先の経営者といっても とあるクリニックの院長であるが、この院長が昨年11月 私にに「建物が多少 老朽化してきていることや現在の診療スタイルに合わない間取りなので改装工事を考えている」と構想を告げられた。
 その後、設計の打ち合わせや一時的に別の場所で診療をするための仮診療所の確保とそれに伴う医療関連の各種届出など、主任スタッフと共に慌ただしく動かれていたが、この2月の工事開始から1ヵ月で改装工事を終え、3月には見栄えも、間取りも従来のものとは大きく変わったクリニックが“新装”オープンした。
 きれいになったこともあり、やはり患者も増えてきているし、通りに面したビルの1階にあるこのクリニックの前を歩いている人の中には 「新規開業?」という顔をしながら、中を覗き込むようなそぶりの方が何人もいらっしゃった。
 名称、診察時間、そしてスタッフも改装前と変わってはいないが、改装にもこれほど効果があるものなのかと私の方が少々驚いている。
 医療機器も今まで古くなったものは取り換え、充実したものとなったので検査内容も大きく変わり、検査の予約も4月の末までびっしり埋まったとのこと。みなさん「何科?」と診療科目に興味がおありかと思うが、もちろんここでは伏せておきます。
 こんなことは資金的な余裕があるからこそできることではあるが、このドクターは今までからお金を使う時は貯めていたお金を迷いもなく(当の本人は大層考えられた挙句であろうが)、スパッと出されるので、私の方が、「もう少し支出を抑えては・・」と思うこともあるが、この先生は趣味(スポーツ)以外には、あまりお金を使わず、残すときにはしっかりと残して、こういった必要な時には気持ちがよくなるようなお金の使い方をされる。もちろん無借金経営ですし。
 人の採用についても退職者がでたり、増員が必要な時には、必ずと言っていいほど翌日には求人に向けての動きをとられているし、時には一日も置かず、その日にハローワークに求人の連絡をされている。

 物事を決めるのに即決が美徳とは思わないし、即断をして「しまった」と思ったことは誰も経験があると思うが、このドクターはどうしてこんなに早く物事を決めることができるのであろうか? ということをちょっと興味もあり私なりに考えてみた。
 それはいろいろなことに対する知識や情報を収集する能力が非常に優れていて、このドクターと話し終えた後、「この医者、医療の専門的なことに限らず、世の中の流れや経済的・社会的なことま何でも知ってるな?」と思うこともあるし、逆に私が知らずに恥ずかしい思いをしたことも何度となくある。こういう方なので、私に話をされる時は事前準備も半分くらい進んでいることが多い。
 そうそう、早いということに関する話をいくつか思い出したのだが、先日 「クリニックのHPの内容を改訂しないといけない」とおっしゃっておられたが、それから10日後にはすっかり新しいものに変わっていて、そのスピード感には驚かされた。
 あと、訪問(面談)した時に質問事項を言い残して帰ってきたら、必ず翌朝にはその返事がくるし、早い時にはその日のうちにメールにてその回答が届いている。
 内容によっては早ければいいというものばかりではなし、まずはゆっくり考えて、人の意見も十分に聞いたうえでないと動けないこともあるが、この先生と接していると自分のスピード感や判断力のなさを痛感してしまうし、まさに「先手必勝」とはこのことなのかなと非常に学ぶべきとことも多い。

 最後にもう一つ付け加えておくと、この先生は自分が誤っていたと思うことに対しては、いち早くお詫びの言葉が返ってくるし、私に対して少し手間のかかるような仕事を依頼され、こちらが仕上げて返すと、「いつもご面倒をお掛けしてすみませんね。ありがとうございました。」とお礼の言葉がどんな時でも返ってくる。
 こんなところも、人と情報が集まりやすく、即断する上での自分を取り巻く環境が自然と整って繰んだろうなと思えてくる。
 このドクターは私より10歳以上若いが、本当に教えられることや学ばされることが多く、私自身「まだまだだな」と反省させられることもたびたびある。

 そういえば先週は久しぶりに“臨時休刊”させてもらいました。
今日は天気もすぐれない休日ですが、こういった天候の休日は外出する気も起らず、逆に落ち着くと思っている方もいらっしゃるのでは・・。
posted by ヒロイ at 16:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月07日

No721:人を雇う側と雇われる側のギャップ

 経営者は従業員に対していろいろな期待を持つが、その期待が大きいほど一層仕事に力が入って伸びる者と期待に押しつぶされダメになる者とがいるように思う。
 また、経営者の期待がさほど大きくない場合、「自分はあまり期待されていないようなので・・」と ほどほどの仕事しかしない者もいれば、「俺(私)、もっとできるんだけど」と評価の低いことを「なにくそ」と発奮材料にしてがんばる者等、働く側にもいろいろなタイプの者がいる。
 そういう意味において、人を採用し、仕事を依頼する側の経営者は、従業員がどのタイプの人間かを見極めることも非常に重要である。
 特に中小企業の場合、経営者と従業員の距離がそれほどないので 経営者の一言が従業員の将来や会社の今後に影響を及ぼすことも往々にしてある。
 また、多くの人員を採用する大企業より、採用する人数が限られている中小企業の経営者の方が、早く結果を求めるというのはよくあることであるし、どちらかというとこういった経営者の思い(場合によっては焦りともいえる)がマイナスに作用している場合も多くみられる。
 その要因の一つに考えられるのが、経営上 人件費の増加をある程度抑えることも必要であり、ましてや余剰に人を抱え込むほどの余裕はどの企業もない中で、結構 かつかつの状態、つまり一人でも辞められたら困るという状態で人員配置をしている会社も多くあるし、これも中小企業なら当たり前のことなのかもしれない。
 でも このことがいつになっても人が居つかない会社になってしまう根源であると思える部分でもある。
 新たに人を雇って、「ぼちぼちでいいよ」なんて言うわけにはいかないが、3カ月後、半年後、そして1年後にどれだけの仕事をしてもらうべきなのかをしっかりと考えたうえで、多少 余裕をもって結果を求めるようにすることが大事であろう。

 我々が学校を卒業した頃は学校を出れば働くのは当たり前であったし、働かないと食べていけないという現実が目の前に迫っていたが、今や新卒者の3割以上が3年以内に転職する時代であるし、働くということの意義も人によってさまざまである。
 こういったことも十分に踏まえて人を採用し、育てていかないといけない時代になってきている。
 終身雇用の制度は決してよい点ばかりではなかったのであろうが、今の時代のように、「いったんこの会社に入っといて」とか、「自分のしたい仕事が見つかるまで、じっくり考えてみる」なんていう余裕はなかったし、「会社のため」に働くことが、「自分のために」ということと重なっていたので、多くの人がそれほど疑問を持たずに仕事をしていた時代でもあった。
 そういう意味において、今は何とも羨ましい時代になったもんだと思うだけでなく、時代とともに仕事に対する考え方が大きく変わってきていることを理解する必要があるし、こういった変化への対応ができていない会社や経営者が今や人材難に陥っているのではないかと思えてくる。

 私の周りにも退職者の多い会社とそうでない会社があるが、その差は給与や勤務時間などの待遇面だけでなく、やはり何のために、誰のために働くのかということをしっかり持った人を採用しているかどうかによるように思う。
 それと仕事をしていると、当然のことながら仕事上の何らかの悩みを抱えている人もいると思うが、この悩みを打ち明けられる人がいるということも仕事を続けていく上での大きな要因であるようにも思う。
 家族や友人は当然のことであるが、同じ会社の同僚や上司、そして零細企業においては経営者に直接 話ができるかどうか、聞いてもらえるのかどうかも退職するのか、仕事を続るのかを判断するうえで重要なことのように思う。

 私自身もこの“風通しのいい社風”というのを目指してはいるが、これはなかなか達成できない 長年の目標の一つである。
 風通しがいいことが善であることばかりではないが、経営者も従業員も切羽詰まった状態で仕事をしていると風なんて通るはずがないし、このことを実現するには多少なりとも余裕を持たせることも必要なのであろう。
 ただ、分かっていながらも このことが実現できないもどかしさは私も感じている部分であるし、「余裕を持ちながら、効率化を実現する」ためにまだまだ模索は続くだろう。
 最後に、「何事も完成しないから毎日生きているのかも」なんて自分に言い聞かせながら、今日の話をまとめておしまいにすることにする。
 この調子だと3月もあっという間に終わってしまいそうな3月最初の日曜日でした。
posted by ヒロイ at 18:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

No720:情報に溺れないようにするために

 いつからなのだろうか 我々の周りにこんなに多くの情報が溢れるようになったのは・・。
 今やインターネットを通じて いつでも、どこでも、どこからでも情報が入手できるだけでなく、情報が入ってくる方も半端な量ではなく、この情報の整理というか、自分にとって必要か否かを選別するのがなかなか難しい、しかも瞬時には。
 情報の中にはどちらかというと必要でないものも多くあると思うが、今は必要でなくても知っておくと後で便利なものもあるので情報の切り捨てには勇気がいる面もある。
 こうなってくると情報を入手する方法はもちろんのこと、情報を選別する力も今まで以上に重要視され、この選別する力の差がそれぞれの人間の実力の差となって表れることもある。
 私自身も入ってくる情報を整理し、必要に応じて使いたいときに取り出せるようにしておきたいのだが、情報の整理方法が下手なのか、思ったときになかなか取り出せなくてイライラすることもある。
 ひと昔前なら、朝と夜のニュースと新聞くらいが情報源で、その時だけ集中して視たり、読んだりすればよかったのが、今やパソコンの前で仕事をしたり、スマホを持ち歩いていると、パソコンやスマホを覗き込まない時間が1時間以上空くことはほとんどといっていいほどない。
 逆にこういう状態が続いていると集中力に欠けたり、効率が上がらないこともあり、まさにそこには情報に食い物にされ、情報に溺れかかっている自分がある。
 ただ、いろいろな人と話していると、情報は多いがうわべだけの人と情報の本質まで捉えている人の差もはっきりと分かることもある。
 私も顧問先の方と話していると、「いや〜、何でもよく知っている人だな」とか、「よくそこまで深読みできるな」と 関心してしまうような人が何人か頭に浮かんでくる。
 こういった人の共通点は、情報を自分の都合のいいように解釈することなく、第三者の立場から捉えられる人であり、たまたまかどうかは分からないが どの人にも共通しているのが読書量が多く、時間がとれると常に本を読んでいる人である。
 こんな経営者の部屋(社長室や院長室)の机の上は 読み終えた本とこれから読みたい本がところ狭しと積まれており、その分野も偏ったものでなく非常に多岐にわたっている。
 今まで、院長を含む経営者の机の上にある本で、旅行や車 それに音楽の本などは仕事の合間の息抜きに目を通されるのかなと 納得するしながら見ていたこともあったが、ある経営者の机の上に漫画の本が置いてあるのを見た時には(しかも数冊)、口にさえしなかったが、「これはないやろ」と思ったこともあった。

 これほど情報が溢れる時代であるからこそ、自分を高めるため、あるいは、自分を和ませたり、気持ちを落ち着かせることができる情報を得て毎日の生活を充実したものにしたいものである。

 最後に溢れる情報の整理を実行するには、時間だけでなく勇気も必要とされるが、まずは自分の周りにある情報で必要でないものをもったいぶらずにばっさりと切り捨ててしまうことであろう。

 何ごとにおいてもため込むことが善ではなく、ため込みは悪である という感覚こそがこういったことを実現する早道であるように思う。
 「いらんもんは捨てる」、そうすると きっと新しいものが得られのだろう。
 さあ、今から少しずつでも実行してみるか・・・。
posted by ヒロイ at 22:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする