2021年12月12日

No759:平均寿命の延びが相続への対応を難しくしている?

 当事務所が定期的に発行している資産に関するレポートの相続の準備に関するアンケートに「何も対応していない」という人が全体の6割近くあり、その理由で一番多いのが、「時期尚早だと思っている」というもので全体の約45%を占めていた。
 実はもう少し掘り下げ年代別で見た場合、比較的若い層ならこういった理由も理解できるが、70歳以上で「時期尚早」が30%もあったのには驚いた。
 では、何歳になれば相続に関する対応をするのか、70歳以上の方に確認したい気持ちになってきた。 
 相続というと ついつい資産家の相続税への対応のことが思い浮かぶが、今住んでいる家を誰に相続させるのかとか、お墓のことや不動産の管理・処分に関してはどのようにするのか等、資産家でなく、いわゆる一般人であっても相続ということに関しては何らかの事前対応が必要と思われる。
 
 ここでは深い部分までは触れられないが、80歳を過ぎた方でも、「今後のことはもう少し経ってから考えようと思っている。」とおっしゃる方も何人かいらっしゃる。
 別に財産とか相続税がどうとかいうことではなく、自分が亡くなった後のいろいろなことの対処の仕方は、子供をはじめとする親族の方にある程度 話しておく必要はあるように思うのだが・・。
 突然 亡くなったり、亡くならなくとも救急車で病院に運ばれるようなことがあっては、取引のある銀行や証券会社、それに通帳や印鑑の場所さえ本人しか分からず、困ったことも起こってくるように思う。
 あと、今後 相続の仕事で大変になってくるケースとしては、最近 増加傾向にある未婚の方やあまり親族と交流することなく亡くなっていかれた場合であろう。
 どんどん高齢化が進んでいく中で、私の周りでは亡くなられた方の年齢が90歳以上の例もいくつかあり、実はその亡くなられた方(被相続人)の関係者に連絡することさえ困難なことも生じてきている。
 少し話がそれるが、頭の整理も兼ねて、相続関連の冊子に載っていた平均寿命の推移を掲げてみる(抜粋)。

[昭和22年] 男:50.06歳  女:53.96歳
[昭和40年] 男:67.74歳  女:72.92歳
[平成 2年] 男:75.92歳  女:81.90歳
[令和 2年] 男:81.64歳  女:87.74歳

 これを見て驚いたのは、戦前の平均寿命が短いことや私が生まれた頃(私は昭和37年生まれ)と現在を比較すると、男女とも15歳近く平均寿命が延びている点、そして、ついこの間のような平成2年からも5歳以上延びているという点、これらは全て想像していた以上であった。
 平均寿命の伸びは医療技術の進歩が一番の要因かもしれないが、変な言い方(場合によっては失礼な言い方かも?)をすると。本当にそう簡単には死なない、そして死ねない世の中になってきている。
 そういう意味においては、最初の相続についてのアンケートで「何も対応していない」という人が多いのもうなずけるが、これはこれで個人的には問題を先送りしているだけのような気もする。

 先週、70代半ばで今後の人生について、資産、家族、仕事(開業医)についていろいろの角度から かなり真剣で考えている方と面談する機会があったが、この方はあと1、2年のうちに廃業(継承)や自宅の処分、転居も含め大きな決断を下されそうで、ある意味 今後の見通しがはっきりしている数少ない人である。

 一般的にはサラリーマン等 定年のある方は、節目節目でいろいろな変化があるが、開業医を含め事業をされている方は、定年もないので年齢についての節目がつきにくく、特に後継者がいらっしゃらなければ健康状態の変化があって初めて、節目が訪れるという方も少なくない。

 我々の仕事も税務・会計が本業とはいうものの、長くお付き合いしてきた経営者の方々の事業や人生の終い方というか、ソフトランディングの仕方をいっしょになって導くことも大事な仕事で、今まで関与してきたことへの恩返しともいえるようにも思う。
 ただ、こちらがいくら気をもんでもご本人がその気にならなければ、話は一向に進まないのが現実であるが。

 それにしても平均寿命はどこまで延びるのか? また延びることメリットだけでなく、問題点もしっかり把握しながら対処していく必要があるように思う。
 それにしても今回のデータを見てすごいと思った。女性であれば85歳で亡くなった場合、「ちょっと早いですね」ということになるのですから・・。
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2021年12月05日

No758:【再掲・・No16:“かに”は3時のおやつ(2007/12/08)】

 いよいよ12月に入り、本来であれば いくつかの忘年会が始まる時期ですが、当然のことながら 今年も昨年に引き続きそういった集まりは一つもないし、事務所の忘年会も2年連続 「開催は見送り」と一ヶ月ほど前に発表した。
 ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
 事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
 その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
 このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
 前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。

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【No16:“かに”は3時のおやつ  2007/12/08】

 京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
 T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。

 おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
 まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。

 最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
 でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
 
 先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
 お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。
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2021年11月28日

No757:今だから話せます 「本当に運がいいと思いました」

 妙なタイトルですみません。
 実は1ヵ月ちょっと前に車が大破するような事故に遭った。
 ここで取り上げるのもどうかと思ったが、相手が車でも人間でもなく、動物だったので参考になるかどうかは分からないが当時の様子を簡単に綴ることにする。
 
 相手の動物は鹿で、片側1車線の高速道路を走行中、私の車の上から突然 飛んできた。
 京都府北部の顧問先で仕事を終えての帰り道で、時間は夜の7時半頃であったが、周りは山に囲まれ 真っ暗で、しかも小雨が降っていた。
 衝突の瞬間は「上から何かが落ちてきた」という感じで、後から事故処理に駆けつけられた道路公社の人から話を聞くと、鹿が左側のガードレールを勢いよく飛び越えて車の前のボンネットに上から落ちてきて、その後、フロントガラスに当たって右側に落ちたようである。
 実は鹿が車に当たった瞬間に6つのエアバックが1秒もしないうち、つまり瞬時に開いたので、私の目の前はそのシートで真っ白となり何も見えなかった。実はその衝突した鹿さえも一度も見ていない。事故処理後、写真で見せてもらいましたが・・。
 私は山からの落石かな、「ヤバい」と思ったが、その数秒後(ほとんど覚えていないが)、何とかエアバックで前も見えない中、無意識のうち車を左の路肩に避けて、1車線の本線が徐行できるスペースを空けていた。
 ただ、避けた瞬間エンジンは止まり、その後は二度とかからなかったし、エンジンも折れていたその車はその後 全損扱いで廃車となった。

 そしてしばらく何が起こったか分からないまま放心状態でいると、「大丈夫ですか、すごい鹿でしたね。後ろを走っていたうちの車がはねてしまいました。」とドアを開けて若い男性の方が話しかけてこられた。
 「えっ、鹿だったんですか? あの落ちてきた物体は」と思わず叫ぶような声を出していたが、この時やっと何が起こったのか少しずつ分かるようになっていった。
 幸い私の体はどこかにぶつかるでもなく、車内で四方から出てきたエアバックに体が触れることもなく、不思議なくらい何のけがもなかった。
こうして元気なのでいえる話であるが、エアバックが開いた後は花火の時の火薬のようなにおいが車内に充満していた。
 実はエアバックに気づくまでは車の前のガラスの外側に塊の入った白い袋が落ちてきたと思っていたし、これが車外にあるのか車内にあるのかさえも しばらく判別もできない精神状態であった。
 私が連絡した警察とこの道路を管理している公社の方が30分ほどで到着し、聞き取りがあったが、その後 レッカー車の到着までの約1時間半は寒い山中で待つしかなかった。
 そしてレッカー車到着後、無残にも破壊された私の車はレッカー車に積まれ、私は助手席に乗せてもらい京都まで戻った。
 翌日 車をトヨタの販売店(修理工場)まで運んでくれるとのことだったので、車内に残っていた3つもある かばんや袋を抱え、タクシーに乗り込み12時半ごろ何とか自宅に帰ってきた。

 体こそ、何とも運がいいというか無傷であったが、この日はなんだか興奮してあまり眠れなかった。
 翌日からは自動車保険の30日間レンタカー無料サービスを利用して、通常の仕事をこなすことができたことも、翌朝 車の状態を見るとまるで奇跡としか言いようがない事故であった。

 今回の一件は果たして運がいいのか悪いのか?
 多くに通行量の中で私の車に鹿が飛んできたことは何万分の一か何十万分の一以上の確率で運が悪かったのであろうが、こうして元気でいられるということは、当たっておきながら言うのもなんだが、すごく運が良かったと言えるのかもしれない。
 雨の降る日の真っ暗の中で、横からならまだしも、上から降ってきた鹿は誰であっても避けようがなく、今となってはまるで夢のような一件であった。

 少しだけ鹿事件の話を というつもりが、ついつい興奮して長くなってしまいましたが、みなさんも気をつけましょう 高速道路での鹿には。
 とはいっても避けようがないんですけどね・・・。
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2021年11月21日

No756:やはり秋は物悲しい

 先日、ある顧問先の院長のお母様がお亡くなりになられた。
 80代半ばではあるが、5年程前にご主人を病気で亡くされた後、この1、2年前まではご自身で病院へ通われたり、趣味の延長の習い事(勉強)もできる範囲でされていて、何とか自分の体を気遣いながらも 充実した日々を送っておられた。
 今年の2月下旬には、確定申告の報告を兼ねて電話連絡したところ、コロナが広がりだした昨年の春以降は、なかなか外出したり、人と接触することができなり とても寂しくなったとおっしゃっていた。
 このお母様とご主人(先代の院長)は私が前に勤務していた税理士事務所からのお付き合いで、大学を出て間もない20代半ばくらいから、今の事務所で新しい担当者が決まるまでの間、約25年近く面談をしたり、いろいろな相談を受けたりしていた。
 
 この方以外にも私がまだ20代だった頃から訪問や面談をしていた方がここ数年 相次いでお亡くなりになっている。
 事業としてはしっかりと後継者にバトンタッチされ、事業承継という点では問題はない方がほとんどであるが、お付き合いの期間が長かった人ほど 思い出すことも多く何とも寂しいものである。
 
 大学を出てすぐの頃、一応 仕事の仕方だけは先輩から教えてもらっていたが、礼儀作法というか、ビジネスマナーはほとんど身に付いていなかった。そんな何も分からない当時の私をよくぞ不満も言わずに受け入れてくれたのもだと 今になって感謝の気持ちが沸き起こってくる。
 今80代でご存命の方も同年代で既にお亡くなりになられた方も 今から思えば一本 筋が通っていて、何か間違いがあるとよく怒られたものである。ただ その時、単に怒られるだけでなく、必ずこうしたら次は失敗しないから というアドバイスまでいただいた。

 ある時、大事な相談があると事前に言われておきながら、その後の訪問先の到着時間までに十分な時間の確保ができていなかったので、相談の時間が足りず そわそわしながら何度となく横目で時計を見ていると、「もう少し落ち着いて相談に乗ってもらえると思っていたのに、次の人との面談時間のことばかりが気になっているようなんで、今日はもう相談する気がなくなった。」と大目玉を食らって突然 面談の打ち切りをされたこともあった。
 また、別の方であるが、その方の話を聞くときの私の態度や姿勢が悪い(「なってない」)ということで、座っていた応接のソファーから降りるように言われ、横の畳の間で正座させられたこともあった。
 今なら「・・ハラ」と言われるような、上から下への問題発言であったり、問題行動になるかもしれないが、まだ昭和の時代はこんなことはさほど不思議ではない光景であった。
 ただ こういった方々の熱い思いや厳しい躾のお蔭で、何もわからなかった若僧が少しずつ世の中のルールを身につけていける、それはそれである意味 よき時代でもあった。
 今回亡くなった方は私が時間の調整がつかず やむなく昼前に訪れると、温かいラーメンを準備して待っていてくださり、「あんたら若いからお腹すいてるやろ、仕事に入る前にまず腹ごしらえせんと。」というまるで母親のように暖かい言葉を掛けていただいた。
 こういった方々は数年前から一線は退かれていたので、お目にかかるのも1年に1度か、電話で声を聞くくらいの関わりになってしまっていたが、今回亡くなられた方は、今年の3月に電話をした時は、「廣井さん、長いこと会ってないな、いっぺん顔が見たいわ。コロナが収まったら一回誘うからお昼ぐらいいっしょに付き合ってな。」と言われていた。
 う〜ん、その楽しみも実現できずに亡くなられてしまった。コロナさえなければ、あと1、2度はお目にかかったり、いっしょに食事ができたかもしれないのに。
 今こうして思うと、コロナって本当に多くのものを奪い取っていった憎きものであるが、こうして振り返ってみると 私は今まで本当にいい人に囲まれながらここまで仕事をすることができたなとつくづく感謝するばかりである。

 今日は先週亡くなられた方のことを思い浮かべながら、今の思いをまとめてみた。
 過去のことを思い出す、これは決して無駄ではなく、時にはとても大事なことであるとあらためて感じた。
 ただ、今回のようなこともあってか 秋は本当に寂しさが募る季節である。
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2021年11月14日

No755:見本となるような定年後の暮らし

 新型コロナの感染も多少 下火とはいえ、まだまだ表立って人と会うことはしづらい状況であるが、今日 60歳を超えたご夫婦と2年ぶりに会って話しをする機会があった。
 ご主人は40年以上の会社勤めを終え、今は年金暮らしの65歳、奥様は63歳でもうしばらくパート勤務を続けるとのこと。
 このご夫妻の懐具合は分からないが、子供は3人とも独立されているので、無理さえしなければ夫婦2人 十分に普通の生活ができる状況のようである。
 定年退職されているこのご主人は朝夕とパート勤めの奥様を駅まで送り迎えをされること以外に、買い物から食事の準備までほぼ毎日されているようであるが、ご主人は定年までは家事はあまりされず、基本的には奥様がされていたが、今は土日以外はほぼ毎日ご主人が食事の用意をされているようである。

 今日 話を聞いて感心したことがいくつかあったが、
 まず一つ目は、長年連れ添った夫婦と言えども、年齢や家族構成の変化、それにそれぞれの置かれている状況に応じて生活のスタイルを変えておられることである。
 少し前までは家庭内において、男の仕事と女の仕事ははっきりと分かれており、私の父も家事をすることはなく、亡くなるまでこのスタイルを崩すことはなく続けていた。
 しかし、これってどちらかが亡くなったり、あるいは病気による長期入院があったような場合、たちまち家庭として日常が機能しなくなり、場合によっては大変なことに陥ることだってある。
 そういう意味でこのご主人の変わりようは、老後の生活で重要なことを65歳以降 自然に習得されつつあるという点では何とも立派なものである。

 そしてもう一つ、こちらがなかなか難しいことであるが、平日にほとんど空いた日を作らずに活動されていることである。
 事業をされている方や定年後も何らかの形で仕事に関わりたい人はそれはそれでしっかりしたライフワークを推し進め、それまでと変わらないような充実した日々を送っている人もいるが、この方は平日も若い頃されていたテニスをし、小学校以来という俳句を市民教室で習い、あと、若い頃 仕事での出張で毎月のように訪れていたお隣の国の韓国語まで学んでいるとのことであった。これに持病を抱えておられるので病院通いもあり、ほとんどの日、カレンダーが埋まっているようだ。
 男ってこの人のように、若い頃から形を変えることができなくて、家庭内においても煙たがられたり、しまいには役に立たないように思われて、夫婦や家族の間に溝ができることだって少なくはない。
 ドラマでもあるが、「定年後、毎日 家でゴロゴロしていて・・。」と言われるようでは長い老後の生活、決して充実したものになるとは思われない。
 この方は長男なので1、2年後には京都の家を売り払い、田舎に戻り、現在空き家になっている実家で生活することも計画中で、奥様もこの考えに乗っておられるとのことで これもなかなかうまく事が運びそうである。

 「男だから」、「俺は長く働いてきたから」、「あとはすることもないしゆっくりと」なんて思っているといい老後なんて送れいだろうし、自分の置かれている立場が今までの会社人間とは違うことを一日も早く自覚することが大事なんだろうなとこの人を見ていてつくづく思った。

 今日の話は若い人にはピンとこないかもしれないが、私も含め55歳以上の人であれば十分参考になる話のように思う。
 60歳、あるいは65歳以降も仕事を続けられる方はもちろん仕事の中で充実感を見いだされたらいいと思うし、定年後 一息つこうと思っている人にとっては今日の話はいつまでもいて欲しい人と思われるためにもヒントになる部分もあるように思う。
 ただ、どんな場合でも健康が第一であることはいうまでもない。
posted by ヒロイ at 20:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月07日

No754:気持ち次第で大音量もこれだけ違って聞こえる

 この土日は仕事だけでなく、プライベートでも人と会う予定を入れていなかったので、少しだけ身の回りの整理をした後、溜まっていた仕事関係の書類に目を通したり、本を読んだりして、久しぶりに自分の時間を過ごすことができた。
 
 普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
 この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
 仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
 仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、

 家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
 私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
 今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
 最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
 今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。

 上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
 “心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
 今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも
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2021年10月31日

No753:決算の説明で褒めちぎった顧問先

 コロナが蔓延してから、腹の底から笑うことが本当に少なくなってきたような気がする。
 これは楽しことが見当たらないというだけでなく、楽しいことがあってもその出来事の全てを人に言いにくい雰囲気がまだまだ世の中にはある。
 乗り物好きの私も長い間、飛行機や新幹線には乗っていないが、仮に今後どこかへ旅行に行ったとしても、しばらくの間は以前のように「○○に行ってきてん、 名物の○○もめちゃ美味かったし」と言える状況ではないように思う。
 ただ、徐々にとはいえ人の動きも出て来て、私の周りも多少なりとも明るい話題もちらほら聞かれるようになってきている。
 今までのような遠方へ旅行に行った人にはなかなかお目にかかれないが、「娘のところに行ってきてん」とか、「久しぶりに じじばばに孫の顔を見せてきました」というような、身内の中で行き来された話は、この1ヶ月で何人からか聞いた。
 コロナに関してはまだまだ油断できないし、この先 年末までに何が起こるかわからないので、気を緩めることはできないことに変わりはない。

 こんな中で少しだけほんわかする話です。
 ある顧問先の経営者(クリニックの院長)には、現在30前後のお嬢さんが2人いらっしゃるが、10年程前はそれぞれの成人式の晴れ着姿が院長のパソコンの画面出てくるようになっていて、照れながらも何ともうれしそうに私の方へ画面を向けられた。
 先日 訪問したときは、二年前に結婚された長女さんへ住宅資金贈与の相談があり、その後、お孫さんへの教育資金贈与の話になったが、私は「お孫さん いつお生まれになられたんですか?」と聞くと、「いや、まだ娘は妊娠中で出産は来年なんです。先日、うちのエコーで見たらはっきりと見えまして、もう感動もんでしたよ」とおっしゃったが、思わず「お生まれにならないと贈与できませんよ。」と笑いながら答えた。
 この先生とは、クリニックを開業された15年程前からのお付き合いであるが、何年経っても開業当時の謙虚な気持ちをお持ちで、患者さんの受けも大変よく(私の知っている人も患者で通っている)、また、コロナへ対応もどこよりも早く、患者も安心できるクリニックという見方をしているようである。
 そしてこの4ヶ月はコロナワクチンの接種に追われ、いっしょになってそれに対応してくれたスタッフに対する待遇も院長の気持ちも込め 他のクリニックよりも手厚いものであった。まさに院長とスタッフが一体となり、体を張っての奮闘ぶりであった。

 最後にこの先生の人柄を表したものとしての話をもう一つ。
 3年前に還暦を迎えられた時、奥様とスタッフが院内食事会の中で番外の“還暦お祝い”を先生には内緒で計画され、それが実行に移された当日は、先生は驚きを超え、感無量の表情だったとのこと。
 この先生はいい車にこそ乗っておられるが、必要な物はすぐ取り入れ、ムダなものには手を出さないという何か信念のようなものをお持ちの経営姿勢で、今まで銀行からお金を借りられたことは一度もない。
 先日 説明をした決算数値は手堅い経営内容を表す数字が並んでいて、思わず「今回の決算数値は全く問題がありません。このままの形、今までどおりの経営姿勢で続けていって下さい。」と私の思いを率直に伝えるだけで終わった。

 この先生は口数こそ少ないが、接していると「謙虚な気持ちは何よりも勝る」ということが伝わってくる感がある。
 
 本当に顧問先の方々は良き見本の宝庫であり、まだまだ地に足がついていない私にとって、本当に見習いたい生き方が目の前にたくさんある。
 変な話、これだけでも税理士っていい仕事だなとつくづく思う今回の話でした。
posted by ヒロイ at 22:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月24日

No752:いよいよこの時期がやってきた

 税理士業界が一年の中で一番忙しい時期というのは1月後半から3月後半までの確定申告の時期であるのは世間でも知られていることと思うが、実はこの時期だけでなく、我が事務所では確定申告に向けての準備を10月から始めるので、今の時期もいろいろな業務が立て込んでくる時期である。
 確定申告というのは1年間終わったものを決算という形にまとめ上げ、税金の計算をするというのがメインであるが、当事務所では毎年10月になると、8月までの実績に年末までの残りの期間(9〜12月)の予測値を加え、「決算・税額予測」なるものを顧問先に提示している。
 これは各担当者が8月までの数値をもとにして、あと4ヶ月分の予測を立てるという作業であるが、昨年と同様 今年も今までにはなかった”コロナ”の影響を受けている顧問先も多く、予測すら立てにくい先も何件かある。
 ただ、税金のことだけでなく、中には資金繰りの心配や相談に乗る必要のある顧問先もあり、担当者の頭のひねりどころであるし、この決算損益予測という作業は、顧問先のこの一年間の活動をあらためて確認すのには非常に意味のあることである。
 どの業種もコロナに翻弄されているとはいえ、先回りしながらコロナ対策を立てたり、避けることなくじっくり向き合っている事業者はそれなりの業績が維持できているのを見ると、向かってくる敵には勇気を振り絞って向かっていかなければならないこともある というのがコロナ対策を練っておられる方々を見ていて感じることである。

 当事務所の顧問先の多くを占める医療機関もこの時期になると、コロナのワクチン接種はひとまず横に置き、これからは例年どおりインフルエンザのワクチン接種で忙しくなってくる。
 世間では”医者”というのは高学歴で高収入というのが一般的な捉え方あろうが、身近で見ていると国をはじめとする行政からの要請と患者さんからの要望という、ある意味 考えの違うものの板挟みで頭の痛いも多くなってきているように思う。
 医者に接する機会は多いが、仕事上で寄り添っているからなおさらであろうが、「医者って羨ましい」なんて思うことはまずない。いや〜、そりゃ大変ですよ、特にコロナ後は。

 コロナに振り回されているとはいえ、街中はそれなりに行きかう人も増えているが、果たしてこのまま 以前の日常に戻っていいのか そんな思いを抱きつつ、半信半疑のまま外出をしている方も多いように思う。
 気のせいかもしれないが、コロナ前の心の底からレジャーを楽しんでいるようには見えないんです、人の顔を見ていると。

 今年もあと残すところ2ヶ月とちょっとになってしまったが、このまま年末まで突っ走るのではなく、この10月後半は少しだけ立ち止まって、ここまで今年がどんな年だったのか、そして残りの2ヶ月、そして来年はこんな年にと、考えてみるラストチャンスかもしれない。
 11月になると誰しもがお尻に火が点いてくると思うので、その前にという意味である。
 
 今 私がパソコンを打つ横にいるポポタン(ワンちゃん)はいつもどおり、本当に気持ちよさそうに眠っているが、そろそろ起きそう時間なので、起きたら散歩にでも行ってきます。
 では、日に日に寒くなりますが皆様方もお身体には気をつけて年末までの2ヶ月を乗り切ってください。
posted by ヒロイ at 16:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月17日

No751:12年ぶりのJ1復帰まであと一息

 今日は久しぶりにスポーツの話題です。
 スポーツといっても今盛り上がっているサッカーワールドカップのアジア最終予選でもなく、いよいよ佳境を向かえている日本のプロ野球のことでもない。
 今や注目度では下降気味とも言われているサッカーJリーグ、しかもJ1ではなく、J2 いわゆる2部の話題である。
 このJ2の順位を追っている人は極まれだと思うし、今 J1への昇格が可能となる1、2位にどのチームが入っているかご存知の方ってほんのわずかしかいないとは思うが、なんと20年近く応援し続けている地元の京都サンガFCが昇格圏内の2位に着けているんです。
  京都新聞とKBS京都(テレビ、ラジオ)では たまに取り上げられる機会もあり、さすが地元メディアだなと感心することもあるが、他では話題にもあがらず、私の周りの人で興味を示す人はほとんどないという状態である。
 先日も事務所のある男性スタッフに「サンガが今2位なんで今年こそはJ1に上がるかも知れんな」と私が話し掛けると、「結構 調子がいいのは聞いていましたが、そんな上なんですか」という 大して関心のなさそうな返事であった。
 私も元々はサッカーにそれほど興味のある方ではなかったし、子供の頃は当時 サッカ不毛の地と言っていいような田舎に住む ただの野球少年であった。
 というか当時の私の地元には中学までサッカー部がなく、小学、中学ではサッカーに触れるのはせいぜい体育の授業くらいであり、ルールもほとんど理解しないまま試合をしていた。
 オフサイドなどの決まりごとはほぼ無視され、キーパー以外は手を使ってはいけないというくらいがみんなの共通のルールであった。
 逆に野球は数名のプロ野球選手を輩出し、ノムさん(野村克也氏)の出身地も同じ地方で、そりゃ野球は子供から老人まで、朝から晩まで盛んな地域であった。

 そんな環境下で育ったので、スポーツとしてサッカーに関わり出したのは、長男が小学3、4年の頃、少年サッカーチームに入ってからのことあり、確か日韓ワールドカップも開催され、日本中がサッカーで沸き返っていて、当時は子供といっしょに西京極にサンガ(当時は「京都パープルサンガ」というチーム名であった)の応援に何度も通ったものである。
 一番多い年は1年に10回以上は行っていたでしょう、紫色のユニフォームを着て。
 サッカーチームのユニフォームは毎年デザインが変わるので、今 当時のものを着ている人はいないが、一応 子供たちと過ごした思い出の品として、私のタンスの底にずっと置いていたが、実はこの春の衣替えの時、弱いチームのものだし、着ることもないのでと思って処分したところである。
 もし、ユニフォームを処分した年に12年ぶりにJ1に昇格したとすれば、過去を捨てたことによって這い上がってきたのかと勝手に感傷にふけったりしている。

 いずれにしてもまだ今日の夕方からの試合を含め9試合も残っているので、最後まで分からないが、私にとってはコロナで明け暮れ、何ともどんよりした年にちょっとだけご褒美があってもいいのかなとJ1復帰を願っている。
 年末まで結構仕事は詰まっているが、その合間に(スタジアムに行くことはできないが)サンガの試合を追うことで息抜きができればと思う。
 最終戦の12月5日にはどうなっているのか、年末までの楽しみを持つ、にわか復帰のサンガオールドファンの一人である。
 今日の16時からの試合で勝てば、また一歩 J1が近づくのにな・・。
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2021年10月10日

No750:時間の怖さ

 先日、ある大事な打ち合わせで当事者の一方の人が、打ち合わせ開始時間を勘違いされていたという、結構ドキドキすることがあった。
 私の事務所で4名で打ち合わせをすることになっていて、私とあるドクター(A先生)は予定時間である午後5時の10分くらい前からスタンバイしていた。
 この日に非常に重要な話に来られる予定になっていたある取引関係の会社の方(Bさん、Cさん)が、約束の5時を10分過ぎても、15分過ぎてもお越しにならない。
 A先生と顔を見合わせながら、「何が何でも遅いですよね、連絡もないし。何かトラブルでもあったのかもしれませんが、一度 連絡とってみます」と言ってBさんの携帯電話に連絡を入れると、電話が繋がり 私がまず第一声目に「今日、17時でしたよね?」と言うと、Bさんは「えっ?!」と驚きの声をあげたまま しばらく何もおっしゃらず、10秒近く経ってから「今日6時でなかったですか? ちょっと待ってください。」と言って、また数秒の空白の後、「大変申し訳ございません、前回が6時だったのですっかり今回も6時と思い込んで動いてました。今、そちらに向かってますが、到着は6時前くらいになりそうです。大丈夫でしょうかね、お時間の方は。」とおっしゃったので、「とりあえず待ってますので、気をつけてお越しください。」と言って電話を切った。
 このA先生はとてもお忙しい方で、この日も5時前から5時半までならなんとか時間がとれ、45分までなら延長可能、ただ それ以降は次の予定が入っているのでどうしても6時は無理ということであった。
 しかし、タイムリミットの45分になってもBさんとCさんは到着されなかったので、A先生は私に「今日は仕方ないというか、せっかく時間を確保できたのに残念です。Bさんがお越しになられたら次回の面談日を相談しておいてください、私は〇日の午後と△日の夜なら大丈夫ですから」と言い残して急いで帰って行かれた。
 普通なら、こんな時間の間違いをされると怒り爆発となってもおかしくないし、私もヒヤヒヤしている中で このA先生の冷静な対応には驚いた。
 この後、6時に到着されたBさんとCさんが今まで仕事に中ではあまり見たことがないくらい頭を下げ続けられたが時すでに遅しで、今日の大事な本題の話ができないまま、次回の面談日を調整する流れになった。
 そしてそれから3日後の何とか調整がついた時間に今度は4人で、面談をすることができた。
 この話、当事者であるBさんとしては、頭を丸太で殴られたくらい(今どきこんな表現はご法度か?)の状態であっただろうし、本来であればあってはならないことであるが、このA先生の神のような対応に救われたとしか言いようのない時間に関する“事件”であった。

 約束の時間を守るというのはある意味 決まりきったことであるし、場合によっては人間性そのものの評価に直結することだってある。
 私は時間に特別に厳しいという感覚はないが、どんな面談でも、どんな相手であっても、面談の中身について 常に対等は状態でスタートを切りたいと考えている。 だから、「すみません 今日は少し遅れ、お待たせしまして」という言葉だけは口にしないですむように心掛けている。
 頭を下げ、お詫びから入っていく面談(交渉)なんて、まずはマイナスからのスタートになるし、当方にとって決して良い結果にならないような気がする。
 時間をまず自分の方へたぐりよせ、自分のものにする。そして自分のペースで時間を使う。
 これってすごく大切ですよね、どんな場合であっても。
 みなさんの時間に対する思いはどんな感じでしょうか。
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2021年10月03日

No749:コロナで忘れかけている今までの日常

 幾度にもわたり、しかも長く続いていた新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言が解除されてまだ3日目であるが、宣言→解除→宣言→解除 を何度も繰り返していたので正直 何がどう変わるのかピンとこないが、観光地の多い京都は一時閉鎖・休園していた公的な施設が再開しだしたということで、人の動きがいつもの休日より活発になっているし、今日の昼過ぎに通りかかった植物園の北門(北山)辺りもいつにない賑わいであった。
 まだ車が渋滞しているという状況ではないが、10月以降は修学旅行の予約も入りだしているとのことで、しばらく京都市内でほとんど見かけなかった観光バスも10月半ばからあちこちで目にすることになるのであろう。
 ただ、やっとここまで戻ってきたかと思う反面、こうしてOKの方へハンドルを切るとまた今までと同じことを繰り返すのではなかろうかと解除後の心配の方が先立つ。
 地下鉄や市バスも徐々に乗客が増えてきているとはいうものの、先週までは日中であれば まだ比較的距離を保ちながら乗ることができたが、こちらも再び 肌が触れ合うような混み具合になるのではと心配である。
 
 昨夜は大学の陸上部OBの役員会がWebで行われたが、これはコロナには関係なく、遠く離れている者同士が同時に議論できる こういったスタイルがとれるようになったのはコロナのお陰といっていいのかもしれない。
 先日、「自粛していた税務調査もコロナ前という状態ではないが、宣言解除後は徐々に元の形に戻します」という大阪国税局からのお知らせが税理士会を通じて送られてきたが、息つく暇もなく10月1日に早速、京都市内の税務署からある法人の税務調査実施の連絡が入った。
 「いきなりか。ここまでじっと待ってたんやろか。」と驚くと同時に、少し気持ちを引き締め直す自分がいることに気がついた。
 税務調査はここ数年、減少してきている傾向にあったが、税理士をしている以上避けて通れないことである。ただ、いつになっても税務調査はないにこしたことはないが。

 昨年の春以降、緊急事態の期間があまりにも長いので、今まで通常に行われていたことが、中止や規模縮小となり、いろいろな点で日常を忘れかけていたところがあった。
 学校行事やイベントの他、葬式もこの間、1回 家族葬(密葬)に出ただけで黒いネクタイを締める機会はほとんどなかった。
 結婚式もまさか身内の結婚式がこんな時期になろうとは思ってもみなかったが、5月の緊急事態宣言中に娘の結婚式が新郎新婦を含め10名だけで実施された。この結婚式は今までに経験したことのない“特別感”は十二分にあった。アルコール類の一切出ない結婚式ということも含めて。

 緊急事態宣言が解除された後は世の中の切り替えが早すぎて、また宣言が出ないとも限らないが、我々は行政のお役人でもないし、医療関係者でもないので、国や京都府、京都市からの発信に従っていくしかない。
 これだけいろいろなことが停止、塩漬け状態にされていたので、いざ宣言が解除されたからと言って、日常が大きく変わるわけではないが、少し落ち着いてくれば行ってみたいところがある。
 それは、鉄道ファンでありながら開館4年になるが、まだ訪れることができていない 京都鉄道博物館 である。
 ただ、期間限定の催物でもないし、逃げていくものではないのでゆっくりと世の中の状況を見極めながら実行に移したいと考えている。 スケジュール表を見る限り しばらくは行けそうにはないのは分かっているが。

 事務所は今出川通に面しているし、大学も近いので、明日以降 街の様子がどう変わるのか、外の様子も気にかけながら、宣言解除後の状況変化を捉えていきたいと考えている。
 それにしても去年に引き続き 何か落ち着かない秋ですよねー、今年の秋も。
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2021年09月26日

No748:忘れもしない 生まれて初めて“都会”を感じた時のことを

 今日は少し思い出話を(仕事には全く関係ありません)。
 田舎のお年寄りは「都会って怖い所やで」と言ってたこともあったし、「田舎もんと都会の人」 、「田舎暮らしにあこがれて」等、都会とか田舎とかという言葉を使っていろいろなことが語られる。
 私は18歳までいわゆる田舎で生活していたので、都会へのあこがれや興味、それに心のどこかで前述のお年寄りの話ではないが、都会に対する恐怖心のようなものも持っていたように思う。
 こんな私も家族旅行や修学旅行で京都や大阪、それに東京など都会を訪れる機会は何度となくあったが、今になって思い返せば、初めて「これが都会か」と思った時のことは鮮明に覚えている。
 それは私が小学校6年の時、学年で7つ離れていた兄が神戸の大学に進学し、私が一人でその下宿に遊びに行った時のことである。
 兄ももちろん田舎育ちであったが、私に対して誇らしげに都会のあちこちを見せて回ってくれた。
 確かこの時、一度は行ってみたかった甲子園球場にも連れて行ってもらい野球を見たが、実はこんなことよりも兄の下宿の近くの国鉄(今はJR)垂水駅の飲食店街で生まれて初めて明石焼きなるものを食べさせてもらったことの方がよく覚えている。。
 駅の脇の狭い通り沿いにあったその店の前はすごい人込みで、「何これ? 人ばっかしやん?」と都会のパワーに圧倒されながら その明石焼きを口にしたが、口にした瞬間「この食べ物何? たこ焼きのできそこないみたい? また、なんでおつゆにつけて食べるの?」と最初から最後まで不思議な気持ちを抱きながら食べていた。
 その後、近くにあったスーパー ダイエーに買い物に立ち寄ったが、ここも人人人で、それまでに何回か行ったことのあった京都にあるデパートの大丸や丸物(今のヨドバシカメラの所にあった)とは全然違う人の多さや人の動きで、「これが都会か、これが神戸か、すごいな」とその強烈な都会の印象が頭に突き刺さってきたのを今でもはっきりと覚えている。
 私も京都市内で生活しだしてから既に40年以上になるので、今は東京に行けば多少なりとも 「都会だな」と思うことはあっても、体や頭が多少なりとも都会慣れしていっているのは間違いないし、またそうでないとこんなに長く京都で生活できていないであろう。
 実はうちのカミさんも18歳まで田舎育ち(京都府宮津市)で、入試で京都に来た時に、既に下宿生活を始められていたお姉さんにマクドナルドでシェイクを食べさせてもらったらしいが、当時、宮津にはちろんマクドナルドはなく、このシェイクの味や食感を「都会にはこんなおいしいものがあるんだ」と感じたということを話していたのを思い出した。。

 昨今、東京一極集中なんて言われているが、コロナの影響で会社への出勤は減り、仕事の内容によっては、テレワークという仕事のスタイルで“脱都会”を実現している人もいるが、これは数少ないコロナによる恩恵の一つともいえるかもしれない。
 私は中学や高校でクラブ活動をしていたが、「勝ち上がれば西京極で走れるし、京都の旅館にも泊まれる」 なんて言うことも、当時、京都市まで3時間もかかる所に住んでいた者にとっては、間接的ではあったかもしれないが、クラブに熱が入る一つの要因だったようにも思う。
 このようにクラブでの遠征だけでなく、進学して都会で下宿生活が送れるなんて、兄が大学に進学した時のことを思い出せば、それはそれは新しい生活への大きな憧れだったのかもしれない。

 今日はただの思い出話に終始した感はあるが、田舎から出てきて今 都会で生活している人の何割かは、これに近い思いを抱く人もいるのではないかと思う。

 今日は田舎もんが都会で暮らし始めて、そしてそのまま住み続けているという たわいもない話を書き綴りましたががいかがでしたか。
 すみません、今日は本当にただの思い出話につき合っていただいて。
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2021年09月20日

No747:今 気付きました、明日は事務所の創業記念日だということに

 朝、新聞を読んでいてもパソコンをいじっていても 今日の日付を全く見ることなくこの時間まで過ごしていたが、今 日付表示のある目の前の時計を見て、「あっ、明日 創業(独立)した日だ」ということに気付いた。
 実は毎年 事務所の全スタッフにささやかなお礼の品を送るので、9月21日が近づいてくると、「そろそろだな」と準備を始めるのが私の中での恒例行事となっていた。
 今年はある果物を“産直”で取り寄せたため、その農園から食べ頃 間近のものが収穫でき次第 順次送られてきた。
 9月に入って早々3回に分けて送られてきたものを到着した分から すぐさまみんなの机の上に置いていき、9月10日には全て完了していたので、この9月21日という本当の記念日のことはもうすっかり頭から飛んで行ってしまっていた。
 多分このコーナーでもこの節目の日のことについては過去に何度か触れたことがあるが、以前にどんなことを綴っていたかは読み返していないので、これから言おうとしていることが、「また、いつものやつ」と思われる内容かもしれないが、創業記念日くらいは何年か前の創業当時の気持ちを思い出してみるのも決して意味のないものではないように思う。
 14年経って、そりゃ開業当初と比べるといろいろな意味で“ドキドキ”、“ヒヤヒヤ”という経営ではなくなったが、14年前に給与支給日が近づいてくると通帳の残高を食い入るように眺めていた時の気持ちは今思い出すと“ゾッと”するような心境である。

 「経営は細く長くが難しい」とはよく言ったもので、過去最高益と喜んでいた数年後に会社が傾きそうになったということを今まで何度か目にしてきた。
 もちろん業種によっては顧客の嗜好の変化だけでなく、世の中の状況の大きな変化によって売上が激減することも往々にしてある。会社や経営者がどんな努力をしようとも・・・。
 今回のコロナの流行・蔓延はその最たるもので、個人の力ではどうしようもない現実が目の前にある。
 ただ、ここへきて堅調とまではいかなくとも、会社そのものの底が堅いと感じとれる経営者も数名いらっしゃる。
 こういった方の共通点は、「良いときに調子に乗らない」、「常に最悪の場合を想定して行動する」 という理念を持ち続けているところにある。
 経済的に見るとこういった行動や思いは、消費したり、お金を流すという景気浮揚策には相反するかもしれないが、こういった経営者はお金を出すときには出すという気前の良い部分もどこかに持ち備えている感じもする。
 この仕事をしていて得した感があるのは、こういった実例を目の前で見たり聞いたりできることである。
 たまにはあまりよろしくない例も目にすることもあるが、それはそれで反面教師としてこちらも頭の中に叩き込んでおくこともできる。

 話が少し変な方向へ行ってしまったが、記念日というのは決して祝うだけではなく、こうして反省したり、思い返すのには またとないいい機会である。
 こんなことが毎月あるとやってられないであろうが、年一回くらいであれば反省したり、次なることを考えるにはちょうどいいタイミングである。
 とはいってもこういった過去を思い起こした時には満足できるものは何一つなく、どちらかと言えば「ああしとけばよかった」というような反省や後悔の方が頭に浮かぶものである。

 まあ、何はともあれ事務所が14年間続いているということに素直に感謝し、明日の9月21日を迎えようと思っている。
 これも顧問先のみなさまの支援は当然のことながら、事務所のメンバー18人が同じ方向に向かって行動しているからこそ成し遂げられているのであろう。
 ある経営者はコロナ禍になって、「1年1年が勝負です」と言われるが、これは決して先のことを読んでいないということではなく、正に今の経営環境下ではそれくらいの気持ちで日々の経営にあたらないと取り残されそうになるという危機感の表れであると思う。
 本当に大変な世の中になったものである とつくづくそう思う9月20日であった。
posted by ヒロイ at 21:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月12日

No746:マスクの下は?

 コロナの感染が日本でも市中に広まりだしたのは、都市部では昨年の2月後半からだったと記憶しているが、当初は街中でも職場でもマスク着用が必須という状況ではなく、あくまで“任意”で(いまでも一応、法的には強制されていない)、市街地を離れて周辺部やさらに離れて過疎地に行けば行くほど、マスクの着けない人もちらほらする時期もあった。

 今となってはマスクなしで出歩くことはないし、当然のことながら職場を含む家庭内以外の場所での着用率は100%である。
 ただ、先日 マスクの下は、「それあり?」という人に遭遇した。
 今までは髭を伸ばしたことがない人が髭を伸ばしていて、もしかして これを機会に多少おしゃれの意味も込めて変身を試みられているのかな? と思ったが、よくよく見るとちょっと見苦しいくらい手入れができたおらず、いわゆる"ボーボー"の状態であった。
 そして出されたお茶を飲むときだけ少しマスクを下にずらされていたが、飲み終わった後 マスクを定位置に戻されると、そこにはまたびっくりすることがあった。
 マスクで隠れる所だけ手入れができておらず、マスクを着けるとその髭の剃り残しの部分がすっぽりマスクの中に収まるという完成度の高い技であった。
 こんなこと本人様の自由なんだろうが、捉え方によっては、「見えないところはどうでもいい」というふうにもとられかねない危ない技のような気がした。
 まあ、こんなふうに考えること自体 古いというか 大きなお世話なんでしょうけどね。
 そもそも これもお茶を飲む機会がなければわからなかったことですし。

 コロナ禍ならではの話をもう一つ。
 ある会社で新入社員(中途)の採用時に履歴書での書類選考の後、パソコンの画面越しにWeb面接をされ、その時の印象をもとに採用して、失敗したという話を聞いた。
 非常に好印象で問題ないと判断の上 採用されたらしいが、入社後、「あれっ」と思えるようなことが度々重なり、数ヶ月後には 「あの人だけは堪忍して。担当を代えてもらえますか。」と数社のお客様から申し出があったとのこと。
 それらのお客様が上記のようにおっしゃった担当者交代の理由は、「いろいろな面において横着で信頼できない」というものであったようだ。
 この採用した側の方の人にもう少し突っ込んで話を聞くと、「Zoozではわからんかったわ。靴の脱ぎ方、かばんや書類の置き方、それに人と話をする時の姿勢。姿勢といっても画面では首から上しか映らんし。足もとから頭の上まで、そして指先まで見ておかんとな・・。」とおっしゃった。
 ちなみに書類選考の後、Web面接だけで採用されたので、本人と直で初めて会ったのは入社の当日だったようである。


 このことを聞いて私が思ったのは、もちろん全ての場合に該当するわけではないが、「画面だけでは、全容、つまりしぐさの隅々まで見切れないものな」ということであった。
 決して騙されたというわけではないが、ものごとは見えるところだけではいい判断がしづらいということなのであろう。
 最初のマスクの髭の話もそうであるが、コロナだからと言って、そして後の話のように画面だからと言って気を抜かないように対処したいものである。

 それにしても何事においても難しくことが多く、古い人間は本当についていくのが大変な世の中になってきていることには違いない。
 そんなことを考えさせられた コロナ禍での話でした。
posted by ヒロイ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月05日

No745:開業が不安な奥様の顔

 来年に開業を予定されているドクターの開業支援に何件か関わっているが、その中で勤務先の病院でも要職に就かれていて、勤務医として年収は平均をかなり上回っているという方がいらしゃる。
 働き盛りとはいえ住宅ローンも残っているし、大学生を筆頭に3人のお子様があり、教育費もまだまだこれからという年代なので多額の資金を金融機関で借りての開業は不安がないわけではない。
 
 こういった生活環境あるいは経済状況での開業はよくあるケースであり、開業されるご本人は「不安がないわけではないが、決めたからにはやるしかない」と強い思いを抱いておられるし、また、生半可な気持ちで開業されてもうまくいくはずもないので当然と言えば当然のことであろう。
 ただ 奥様方はそれぞれ開業に関して思い入れの違いや温度差があり、それが私の方にも伝わってくることもある。。

 今 進めている開業案件で、ここまでの打ち合わせで奥様が3回 同席されているが、初めての面談の時はまだ開業を検討されている段階であり、この医療モールに関わる建設業者や医療機器業者の説明を先生といっしょに聞かれていた。
 その時は不安げな顔つきで、にこやかな表情は最初から最後まで見せられることはなく、その隣で終始落ち着いた表情の先生と対象的だったのを覚えている。
 全ての説明が終わって、先生と奥様、それに私の3人になってから、奥様は開口一番、「ほんとに先程の説明のようにうまくいくんでしょうかね? 各業者さんっていいことしか言いませんよね。それが逆に不安をあおるんですよ。」とおっしゃった。
 確かにいろいろな開業事例をご存知でない奥様がそう思われるのも決して不思議なことではなかった。
 私はこの後、開業されることが決まった場合、当方でできる支援内容の他、新規開業のリスクについてもあえて説明したが、リスクは一方的に襲ってくるばかりではなく、回避する方法もあることを話した。
 先生と奥様、そしてクリニックちに関わる人たちの力で、事業を早く軌道に乗せることは可能であることや今まで多くの開業医の先生方が実現されていることも・・・。

 この日から2週間後、先生から「家内とよく相談した結果、いっしょにがんばろう ということになりました。家内の不安が100%消えたわけではありませんが。」 と連絡があり、当方への開業支援の正式な依頼もあった。

 それから数日後、先生からは開業に関わる費用、そして奥様からは教育費を含む 家計としての必要額などの聞き取りを終え、現在 私の方で作成した[事業計画書]を銀行へ持ち込み、融資の審査にかけてもらっているところである。

 先週までにこの先生ご夫妻とは3回面談したが、奥様の顔から不安な表情が徐々に和らいでいっているのがこちらにも伝わってくると同時に、「ここまで来たら やるしかないな」という奥様の気持ちが前に座っている私にも伝わってきた。

 まだまだ先は長いが、この奥様が「開業してよかった」と心から喜んでもらえるようにしっかりと支援していかねば と思った。

 ある顧問先の先生からは、「廣井先生が開業支援の仕事を続けられる限り 我々の競合先が増えるということですね。」と厳しいことを言われたことも何度となくあるが、開業を決意された先生とその家族の生活をバックアップするということに喜びややりがいを感じるのも事実である。

 今回のような まだ不安の消えない奥様であれば、意地でも不安を解消してやるぞ と。
 これも開業支援の仕事のやり甲斐のひとつなんでしょうかね。
posted by ヒロイ at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月29日

No744:旅した気分

 人を採用するときの面接時に聞いてはいけないことの一つに本籍地や出生地というのがある。
 これは本人に責任がなく就職差別につながるおそれがあるからとのことで、当然 納得のいくものであるが、こういった採用面接ではなく、仕事で初対面の人の場合、話の流れでついつい出身地の話になることがある。
 特にクリニックの新規開業の支援で金融機関に提出する履歴書や経歴書を受け取る時に、「私、○○県の○○市出身なんです、ご存じですか?」とおっしゃる方もあり、その流れで地域の有名な観光地や名産品の話を熱く語られることもある。
 一般企業の経営者の方と話していても、「私の母校、今年も甲子園に出てるんですよ」とか、「テレビでも何回かとり上げられた有名なおそば屋さんがあるんです」という話で本題そっちのけで盛り上がったりすることもある。

 実は私は根っからの旅行好きだが、期日の差し迫った仕事を抱えることが多くなったことに加え、昨今のコロナ禍の状況が続く限り、私の楽しみは当分の間 かなえられそうにない。
 こんな中で最近 会った方は結構、京都や近畿圏以外の人も多く、過去の私の旅の思い出と照らし合わせたり、おいしいお店を教えてもらったりして、本来の仕事の話の合間に、わずかながらとはいえ旅行気分のかけらだけ味わうことができる。
 この2、3ヶ月でも、島根県、北海道、愛媛県、千葉県、長崎県など、いろいろな方から出身地や出身大学、それに過去の勤務地の楽しい話を聞かせていただり、県民性について、いわゆる京都人との違いについて話される方もある。
 その中には、今は実行に移せないが、いつかはきっと訪れてみたいなと思うような場所もいくつかあった。
 
 他には、家で休日にパラパラとめくっていた雑誌に、「東京のおいしいうなぎ屋さん」、「博多のラーメンはここで決まり」、「広島の中でもここのかきフライを逃すな」なんていうのを見て、今度いった時には必ず立ち寄るぞ といき込んではみるが、これとていつかなえられることやらという世の中になってしまっている。
 ここでは決して旅に行けないことに対する不満を言いたいのではなく、郷土料理を味わう以外にも、見たり聞いたりする“仮想旅行”を楽しむことも少しずつではあるが身に付けつつあるように思う。
 こんな旅の話をしていること自体、ひんしゅくかもしれないが、大変な世の中になればなるほど 心の中に少しの色合いの違う現実離れした部分も必要と思っているので 今回の話はお許しいただきたい。

 今のコロナの状況は、顧問先のドクターの話を聞くとかなりひっ迫しているケースや地域もあり、予断を許さない状況であるようだが、我々としてはここはひとまず一定の収束を迎えるまでいろいろな面において協力し、対応していくしかないのであろう。
 私事ではあるが、コロナのワクチン接種はワクチン不足による急なキャンセルもあったが、やっと今日の午前中に2回目の接種を終えることができ、少しほっとしている。

 明日はワクチンの予約の変更よりも早く予定が決まっていた仕事があるので、一応 出社するつもりでいるが、副反応については明日になってみないと分からないので、今 いろいろと考えず、少しは行動は控えつつも普段どおりの休日を過ごしている。

 さあ、明日 体調はどうなっているんでしょうね? ぶっ倒れそうになっていたりして・・・。
posted by ヒロイ at 13:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月22日

No743:謹慎処分という意味も知らないプロ野球の球団と選手・・情けない

【謹慎】とは、
1. 言動をひかえめにすること。
2. 一定期間、出勤や登校などを差し止める処罰。
3. 江戸時代、上級の武士に適用された名目上の刑で、門戸を閉じて昼間の出入りを禁じたもの。慎 (つつしみ) 。
*江戸時代から明治時代初期にかけて日本に存在した自由刑の一種で、一定期間外出を禁止されることである。転じて、活動をしばらく休止することをも指す。 1期につき30日間。
また、
【謹慎処分】とは、「規則や規約を破った人に、罰を加えること」 と書かれている。

 いきなりこんな出だしですみません。
 みなさまも私が何を言いたいのか少しは感づいていらっしゃる方もあるかと思うが、そうなんです プロ野球でこの間まで日本ハムに在籍していた中田翔選手のことです。
 中田選手は8月4日、エキシビションマッチのDeNA戦を前に、同僚選手への暴力行為が発覚し、無期限の出場停止処分を受けていたが、8月20日に巨人へ移籍し、すぐさま21日の試合から出場していた。そして 今日(22日)も出ている。
 訳わからんというか、巨人と中田選手は「謹慎」とか「謹慎処分」の言葉の意味も分からないくらいぼけているのかと情けなくなる。

 最近では芸能人やオリンピック選手も何かあると謹慎処分という、かなり痛い処分を受けているし、中には再起不能に近くなっている というか、軽々しき復帰した場合、世間がそう簡単には受け入れないという素地ができつつあるようにさえ思う。
 もちろん永久的に追放することがいいわけではないし、当然 一定の反省と更生を経て復帰した場合、それを良しするかどうかは本人ではなく、周りの人間であったり、世間が判断することであろう。
 こういった観点から考えても、更生しているかどうかも判別できないくらいの短い期間で復帰されも頭の中には ? ということしか浮かばない。

 私の中では 巨人軍、原監督、中田選手 「やっちまったね」と感じずにはいられないような愚行と思える。

 極刑である死刑をはじめ、罰を課すことについては、人それぞれに考え方の違いがあるにせよ、やはり人間ってすごく弱い生き物なので、罰を受けないために、罰せられないように行動を慎むことは誰にでもあるし、時にはそういった心のブレーキが必要な時もある。
 そういう意味において今回の罰を受けずに、あるいは罪を償わずに いきなり世間の前に出てくることがあっていいのだろうか。
 巨人が良識あるプロ野球の球団で、優れた才能を持つ中田選手を本当に救いたいのなら、「入団させましたが、今年は一切出場させずに 体も心のみっちり鍛え直して、来期には凄まじい選手になってグランドに立たせます」ぐらいの判断があってもいいように思うが。
 こんなこと言っている私って今の時代では古くて、ピントがずれているんですかね。

 でも、最後にもう一言だけ、「終わったな巨人も」。
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2021年08月15日

No742:他人からの親切ってうれしいもんです

 今年のお盆ほど お盆の感じがしない年はない。
 まだパラリンピックはあるとはいうものの国の内外から批判されたりあるいは注目される中、観る側も多少高揚感を抱いた東京オリンピックは幕を閉じた。
 その後、自分の生活もやっと通常に戻りそうだった矢先のこの長雨、何か気が乗らないままお盆へ突入し、カミさんの両親の墓参りをした以外はほとんど何もしないまま お盆は終わろうとしている。
 こんなご時世でどこにも出かけられないのでテレビで高校野球でもと思っていたが、こちらの方も開幕が例年より遅かったのに、さらに順延に次ぐ順延でやっと今日 大会第2日目という前代未聞のスケジュールとなっている。確か以前はお盆明けには決勝戦だったと思うが、こればっかしは人間の力ではどうしようもない。
 こんな気乗りのしない休日であるが、今日は先日、地下鉄の中でちょっとうれしいことがあったのでそのことに触れてみることにする。

 4、5日前、仕事で地下鉄に乗る機会があり、事務所から5分少々とはいえ地下鉄今出川駅まで歩くと少し汗ばんだが、そのままホームに下りると目の前に地下鉄が入ってきたので飛び乗った。
 空いていた座席に座り、すぐさまスマホでメールの確認をしたり、ニュースに目を通したりしていたが、体が熱くなっていたせいもあってか いつも以上に眼鏡がくもり、ポケットから取り出したハンカチで幾度となく眼鏡を拭いては画面を見、すぐさま またくもってくると、ハンカチで拭くということを何度か繰り返していたところ、向かいの席に座っていた70歳くらいの男性が「よかったらこれ使ってください。結構くもりはとれますよ。」と言って眼鏡のレンズくらいの大きさの薄い包みを渡された。
 突然のことだったので、今一つ何だかわからないまま、いただいたものを見ると”メガネクリーナー・・くもり止め”と書いてあり、少し間を置いた後、「ありがとうございます」と軽く頭を下げたところ、その男性もニコッとして頭を下げられた。
 地下鉄の中で席を譲ったり、空けてもらうことはあっても、何かをもらうなんていうことは今まで経験したことはない。
 最近 物騒な世の中なので見知らぬ人から物をもらうなんて、どちらかというと警戒しないといけないという少し悲しい社会になってきているが、今回はほんのちょっとしたことではあるが、ホッとするやり取りであった。
 実は私もマスクをしだしてから、メガネがよくくもるのでポケットに今回もらったものとよく似たくもり止めのペーパーを持っていて、この日もポケットに忍ばせていたが、この男性のさりげない行動に思わずお礼を言いながら受け取っていた。
 私が大きなカバンを抱えて、額から流れる汗を拭いていたので余計に目を引いたのかもしれないが、世の中が忘れかかっているような小さな親切を受けたことで、なんだかこの日はハッピーな日 という思いで一日を終えることができた。
 たまたま降りる駅もいっしょだったので、降り際に再度軽く会釈をしながら「すみませんでした」と言うと、その男性は「お互い暑い時は大変ですよねメガネをかけている者は。特にコロナになってからはマスクもありますしね。」と言った後、私とは逆の方向へ行かれたが、私は5mほど行って振り向くと、少し足が不自由なようで、足を引きずりながらホームをゆっくりと歩いておられた。
 その姿が私の頭に残り、その後 ここ数日の疲れも忘れたかのように、エスカレーターに並んでいる列を横目に自然と階段の方へ足が向かい軽快に?階段を昇っていた。
 ちょっとした親切でこれほど気持ちが変わることも不思議な気もするが、人間って所詮 ”気持ち次第”っていう単純な生き物なんだなと再認識した。
 ちょっとしたことが実行しづらい世の中になってきている時代でのこの日に受けた小さな親切は結構インパクトがあり、今日 みなさんに伝えておきたいなと思ったワンシーンでした。
 以前(昔)は、こんなこといくらでもあったのにねー。
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2021年08月08日

No741:聞き流すことのできる能力

 先日来、五輪選手への誹謗中傷問題がとり上げられ話題になっているが、このことの一番の問題は攻める側と攻められる側があり、攻める側にはほとんどの場合、責任もないし、痛みなんて全く感じないという 攻める側にとって ただただ勝手に都合がいいという点であろう。
 これはまさにネット社会が作り出した問題であり、言った側の顔が見えず、ほとんどの場合 言いっぱなしで、立場が悪くなればすぐにでも雲隠れすることはいとも簡単にできてしまう。というか、その言いっぱなしの当事者が表に出てくることはまずない。

 また もう一つ問題と思われるのが、これに群がる者の多いこと多いこと。群がることで自分も社会の一グループを形成しているかのような錯覚に陥り、中には自分の立ち位置を美化しているような者もいる。
 私はこういったことには基本的には加わらないし、何かを検索していて たまに気に入った項目があれば、タイトルと1、2人目くらいまでは目を通すことはあってもそれ以上どんどん中に入り込んでいくことはない。だって、ほとんどが大したこと言ってないので。所詮 匿名で言うことだから・・・。

 私も一応、誰でも見れる所にこうして自分の意見を綴っているが、ほんの一部の人しか目を通してもらっていないからなのかどうかは別にして、今までこちらが気分を害するようなコメントがあったことは一度もない。
 私はまずは、いろいろなサイトを駆け巡ったり、検索したりするほど時間がないのと、本当に意見が聞きたいときには、この人 という限られた人と差しで話をし(電話、メールも含む)、意見を求めるようにしている。

 こんなことを考えている時、新聞の書籍案内欄でふと目にしたのが、【放っておく力】という神奈川県のお寺の住職が書いた本である。
 この本はまだ手にしていないし、中を読まずして本を紹介するのも気が引けるが、本の紹介欄を見るだけで 以下のようなうなずけるものが並んでいた。

 「いちいち気にしない。反応しない。関わらない。放っておく力で、仕事も人間関係もうまくいく。」
@ 「しかたのないこと」に心を注がない
A そっとしておく、という人間関係のコツ
B 「いい人」の仮面を外しましょう
C お世話や親切は“しっぱなし”でいい
D 後悔は、すべて“妄想”です
E 情報の“暴飲暴食”をやめる
F 「平均」を調べるべからず
G 極力、楽観的に考えるヒント
H ちょっとした失敗なんて“かすり傷”
I 「得意なこと」だけ頑張ればいい

 こんな見出しの中でも、@、E、G、Hなんて「そうそう」とうなずいてしまった。

 少し話がそれるかもしれないが、以前このコーナーで、『朝のテレビで占いは絶対に見ません』と言ったことがあったが、これは今でも実行している。
 「ふたご座の人は今日は運転に注意」と言われたからと言って、急に車での出張を取りやめにするわけにはいかないし、「ちょっとした一言で大きな代償を払うことになる」なんて朝から言われたからと言って、一日中無口でいられるわけがないし、私にとって朝の占いはストレス以外の何物でもない。最近は朝の占いどころか、雑誌も含め、占い欄があると目を背けながら次へ進めるようにしている。
 あと、私の周りで、「口コミサイト」というのをこまめにチェックしている人から、「あそこのランチはおいしいらしいよ」とか、「あのホテルの接客は・・・・で最低」というような話を耳にすることがあるが、これとて書き込んでいる人の責任や信ぴょう性なんて?がついていて、「ほんとかな」と思うこともある。
 自分が食事に行くときは、その店に行った人から直に聞いたことだけを信じてお店選びをするようにしている。

 最近はテレビに出ている多くの人が、何かを言うとすぐヤリ玉にあげられる傾向があるが、こんな状態が続くとことテレビのキャスターなんて怖くてやってられないだろうし、いつかは「今日の司会はロボットA君です」なんていう時代が来るかもしれない。

 最後に話を少し元に戻しておくが、責任もなく言いっぱなしができるSNSには問題があるが、こんなことになるのはある程度 予測がついていたので、こんな暇な人たちにつき合うという無駄な時間を過ごさないためにも 今日ここで掲げた「放っておく力」でも読んでみることにする。
 顔を出さない、出せない かわいそうな人たちに対抗するためにも。
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2021年08月01日

No740 【再掲載・・No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]】

 東京オリンピックも中盤に差し掛かる中、昨夜の陸上 男子100mは残念な結果に終わった。
 オリンピックも盛り上がりを見せているが、一方ではコロナの感染状況には歯止めがかからず、新規感染者数も多くの所で過去最多となっている。
 こんな中でのオリンピックの開催でいろいろな面においてデリケートな部分もあるので、ここでは今回の東京大会に触れたり、取り上げたりするのではなく、随分前のものではあるが、このコーナーでメダルの重みについて取り上げ、選手の心情について「そうだな」と思えるもののが見つかったので、下記に再掲載することにする。
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No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]

 ソチでの冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっているが、ここへきて日本選手も羽生選手の金メダルを筆頭にいくつかのメダルを獲得しだしてきている。
 各競技の結果を見ていて、オリンピックには程遠いが、私も多少なりともスポーツをかじっていた一人として、今回のタイトルに示した「金メダルと銀メダル」、「銅メダルと4位(メダルなし)」の差はとてつもなく大きな差であり、2位(銀メダル)あるいは4位になった者はとても悔しく、その違いを痛い程 感じていることがわかる。  
 テレビ局のキャスターや各新聞はこういった悔しい銀メダルや4位の選手について過大とも思えるくらい賞賛の言葉を並び立てるが、実は選手自身にとってはいくら何と褒められようともこの悔しさを埋められるものはどこにも見当たらないはずである。
 今回、女子モーグルで4位であった上村愛子選手に対して、“連続入賞、本当にお疲れさん”というような表現をしていたマスコミが多かったように思うが、本人にとっては悔やんでも悔やみきれないほど残念な4位であったに違いない
 ただ、この上村選手が一スポーツ選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしと思ったのは、その悔しさ(ひょっとすると人生最大の悔しさだったかも?)を表に出すことなく、こんなコメントで締めくくっていたからであろう。
『オリンピックの思い出としては、いい思い出で終われると思っている。メダルはないが、頑張ってよかった。』
 応援していた者にとってはいっしょに泣きたいくらいの気持ちになったが、この大人のコメントで多少なりとも救われた気がした。
 ただ、滑り終わった後の『全部終わったときに、点も見ずに泣いていた。一瞬 メダルは獲れたかな、と思ったが また4番だったんだと・・・。』コメントを聞いて、本当はメダルが欲しかったんだろうなと思うと、各局のアナウンサーが「5大会連続入社は立派です」と褒めれば褒めるほど、見ている者にとっては痛々しくも感じられた。
 ただ、スポーツにしろ、勉強にしろ、そしてビジネスにしろ、この埋められなかった悔しさがあるからこのその後の人生、無駄にせずに生きていこうと、次なるステップへと歩み出していけるのではないのだろうか。
 ただのスポーツ好きの大人が言うにはとても偉そうな表現になってしまったが、こうして本音の部分も書くことによって、逆にその悔しさが埋められやしないかなとも思ったりもするのである。


 では、なぜ 選手は金と銀、そして銅と4位にこだわるのか。 それは、そこまでの道のりにおいてとてつもない努力をし、多くのものを犠牲にしてきた者は、その証となるものが欲しいということであろう。じゃあ銀メダルや4位は証にならないのかというとそうではないが、これはスポーツをやってきた者にとってはどうしても欲しい証である。
 私も高校時代 陸上をしていたが、見ていて一番むごいと思ったのは近畿大会の決勝において8人で争われるレースである。このうち全国大会に行けるのは6位までで この時の6位と7位にはとてつもない大きな差があり、これは3年間クラブ活動に打ち込んできた高校生にとってはある意味、“むごい差”でもある。 全国大会に出たことのあるのとないのとの差という・・・。

 話を少し角度を変えて捉えてみるが、
 今回のキャスターの中に2人の元女子オリンピック選手がいる。それはご存知の通りシドニーのマラソンで金メダルを獲った高橋尚子とトリノのフィギアスケートでこれまた金メダルを獲った荒川静香である(呼び捨てしてすみません)。
 こういった場面ではやはりメダリストではなく“金”メダリストに声がかかるんだなと、金メダルの威光と重みをまじまじと感じながら解説を聞いている。


 今回の羽生選手は相手も少しミスをするラッキーはあったものの、やはり最高の、しかもとびっきりの実力者であるがゆえに勝ち取れたものであろう。これが実力拮抗の状態であれば最後で逆転されていたようにも思う。
 そういう意味では金メダルを獲るには、運も必要かもしれないが、実力が誰も寄せ付けないくらいとび抜けている必要があるのであろう。いわゆる“断トツ抜きんでている”というやつである。
 オリンピックになると今でも思い出すが、高橋選手の鍛えられた走力(体力)と完璧なまでに計算されたレース運び、そして、一方 荒川選手のミスを探そうにも見つけられないくらいに最初から最後までこれまた完璧に滑りきったフリーの演技。 やはり、銀、銅のメダリストには申し訳ないが、金メダリストは完璧を貫いたものでないと手に入らない、とてつも重く、かつ、気の遠くなるような繊細な部分も備える必要があるのだろう。
 
 いろいろと偉そうなことを言ってしまったが、本当は我々一凡人にとってはオリンピックに出ることはとてつもなく偉大なことであり、スポーツをする者の中でもほんの一握りの選手しか手に入れることができない栄冠であることを忘れてはならない。
posted by ヒロイ at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする