2023年01月01日

No.812:謹賀新年

No.812:謹賀新年

あけましておめでとうございます
新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
今年も事務所の年賀状で新年のスタートをきらせていただきます。

以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
謹賀新年 

旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます。
この2、3年間 コロナ禍で何かにつけ混乱する中では、すぐ目の前にある必要に迫られていることなど ついつい“今”に重点を置きながら過ごしがちであったように思います。
完全に元に戻ったとは言えない状況ではありますが、世の中が落ち着きを取り戻しつつある中、今後はもう少し先の5年後、10年後の将来のことを考えながら過ごしていくことが求められるようになっていくでしょう。
我々の周辺も最終的にはコロナ前とは違った状況となり、新しいものを創り上げていく必要もありますが、私は前に進んでいく上でもこの一年はあえて『原点回帰』という言葉を頭の片隅に置きながら過ごしていこうと考えております。
これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

令和5年 元旦

〒602-0941  
京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
    廣井 増生
Tel:075-406-7020   
Fax:075-406-7025
URL:http://www.tax-hiroi.com
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2022年12月25日

No.811:仕事に追われるのではなく、追いかけていきたいのだが・・

 ひぃえ〜、今朝 カレンダーを見るまで気付かなかったが、今日が今年最後の日曜日なんですね。
 仕事は28日(水)までなので、「まだ3日ある」なんて 多少の余裕をもってたかをくくっていたが、今になって2023年はそこまで来ていることに多少焦りを感じている。
 数日前から寒波が到来し、北の日本海側を中心に大雪を降らせているが、私の住む京都は寒さは厳しいものの 雪が降ったり、積もったりはしていないので、今のところ普通の生活が送れている。

 雪をはじめ、台風等の豪雨による災害に遭われた方も数多くいらっしゃるので、あまり不謹慎なことは言えないが、一年を振り返って、あらためて日本に四季があってよかったなと思ってしまう。
 冬の冷え込みや雪を決して望んでいるものでもないし、真夏の灼熱地獄のような日々もその時は何とかならないものかと思っているが、その寒さと暑さの間に春と秋というちょうどいい塩梅(あんばい)の時期があり、よく考えてみると四季ってちょっと贅沢なもののような気がする。
 極寒や酷暑と言われるような生活しづらい状況は望んではいないし、四季があることによって 服装だけでなく、頭の中まで季節ごとに切り替えないといけないのは大変であるが、これはこれで刺激もあり、一年にいろいろな体験ができるというのも四季のある国ならではのことである。
今はこんなに寒いが、今年の夏の甲子園は今までで一番の暑さを体験した日であった。なんせ屋根のない炎天下の中で4試合観たので・・、35℃近くある日に。

 別に最後だからと改まって今年を振り返るつもりはないが、今年も本当にたくさんの、しかも いろいろな種類の仕事の依頼をあり、結構 仕事に追われた一年であった。
 いつも頭の中では、仕事に追われるのではなく、仕事を追うようにしなければいい仕事ってできないのだろうなと思っているが、そう甘くないというのが現実であり、これは決して私だけでなく多くのビジネスマンが感じていることであろう。
 仕事をすることを「仕事をこなす」といういい方もするが、この“こなす”というのは“熟す”という字を書き、いくつかある意味の中で、我々が使う時の意味としては、

〇技術などを習って、それを思うままに使う。また、身につけた技術でうまく扱う。自在に扱う。
〇 与えられた仕事などをうまく処理する。

というものが当てはまるのかと思うが、ついつい日常では「目の前にある仕事をこなさなければならない」なんていう 半分強要されているような使い方をしてしまいがちである。本当は「仕事をこなしていきたい」ともっと前向きにならないといけないのであろうが。
 誰しも自ら「こなしていきたい」というところであろうが、やっていることと言えば、まさに「こなさなければならない」という、悲壮感が漂うものになっていることもある。何事にも余裕をもって取り組むというのが理想であるので、何事も早めに対応することで一定の評価が得られるような仕事の進め方をしていきたい。
 ただ、誰しも経験があると思うが、余裕がある時が決していい仕事ができるかというと、そうでない場合もあり、切羽詰まった中に身を置いて取り掛かったときの仕事の方が中身も濃く、充実した仕上がりになっていることもある。
 でも、こんな火事場の馬鹿力を発揮するような仕事の仕方は慎んでいかないといけないし、やり終わった後 振り返れるくらいのスタイルで仕事はしていきたいものである。
 仕事に追われるのではなく、仕事を追いかけるくらいのつもりで。
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2022年12月18日

No.810:個人面談

 従業員の数が一定数以上になると、それぞれの人の考えや意見がトップである経営者の耳に入ってこなくなったり、入りにくくなることはどこの職場でもあり得ることであろう。
 私も開業当初は私とうちのカミさんを含めて4人だったので、誰が何を考えているかとか、今日はどうして機嫌がいいのか あるいは 悪いのかは本人に聞かなくてもある程度は理解できた。
 今では個人情報という面でも気をつけないといけないが、規模が小さいとこちらから聞かなくても、昨晩ご主人と大喧嘩をしたとか、子供が勉強をしないので困っている なんていう話も自然にこちらの耳に入ってきていた。
 それが20人以上になり、5年程前からワンフロアでなく3Fと4Fに分かれて仕事をしているので、日常的にいつでも顔を合わすという状態ではなくなってきている。

 そんな状況下だからというわけではないが、私は開業以来16年間、事務所のスタッフ全員と年に2〜3回は個人面談をしている。
 「今の時代 個人面談なんて」とか、「する方の自己満足と違うの!」と思う人もいるかもしれないが、今回もいつもどおり 12月15日の賞与支給前に賞与明細を目の前に置きながら、その内容説明も含め 12月5日〜9日まで5日間かけて幹部以外の16人と面接を行った。

 10分弱で終わる人もいれば、中には1時間近くに及んだ人もあったし、その内容については当然のことながらここに掲げるわけにはいかないが、中には「所長の耳にだけ入れておいてほしいことがあります」というような話もある。
 個人攻撃・個人批判のような内容はほとんどなく、事務所や私個人への要望や改善点、この半年の自分自身の仕事への取り組み方や今後 力を入れたいことなど 結構前向きの話をされる人が多い。
 話の内容は言えないが、中には途中で涙を流す人もいて、面談の後 本人が席に戻った時、「所長面談の後、涙目なんてやばいやん」とこちらが気を遣うこともある。
 中にはお上手というか、おべんちゃらと思えることを言う人いるが、16人も面談すると、人の心や頭の中、そして人の考えって本当に様々なんだなと、こちらが勉強になることが非常に多い。
 こういった個人面談自体、単なる私の自己満足なのかなと思わないでもないが、事務所の経営や運営の役に立ったり、ヒントになるような話も聞けるので、私の方は非常に貴重な場と思って今もなお続けている。
 ただ この個人面談って、結構 時間と体力がいるし、「検討して、改善すべき点は改善するようにしていきます」と半年前に言っておきながら何も変わっていないこともあり、面談自体が私にとって苦痛となることもあるが、私は何もかも自分で決めて、突っ走っていけるほどの能力と勇気がないのでついついこうしていろんな人の意見を聞くことによって、自分自身の心と頭の整理に役立てているという側面も否定できない。
 まあ、いまどき 対面式の個人面談の実施についてはいろいろな意見があると思うが、私にとっては間違いなく身の引き締まるいい機会である。
 今まで何十回とこういった個人面談をしてきて、一つだけ気をつけていることは、それぞれの人に対して先入観を持たずに、素(す)の気持ちで臨むこと、これが双方にとって一番 意味のある面談になるように思う。
 中には「所長の自己満足ですね」と思っている人もいるかもしれないが それはそれでいいでしょう。全員が満足するっていうこともあり得ないわけですから。

 最後に面談の話ではないが、
 大きな声を出すことを良しとしない時代ではあるが、我が事務所の朝の出社時の挨拶の声は結構大きく、9時出社パートさん(社員は8時30分出社)の元気のいい声を聞いて、一日の始まりを感じることも多い。
 どんな時代でも挨拶って気持ちのいいものですね。
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2022年12月11日

No.809:節目がなくなってきているように思うのは私だけ?

 あと3週間ほどで年末、そして新しい年を迎えることになるが、一年のうちでも年が変わるというのは一番大きな節目であるし、それ以外にも年が変わると季節を追うごとに節分、そして春には卒業式、入学式そして入社式、その後も夏はお盆と様々な行事やイベントがあるが、どの行事をとってみても以前ほどの一大イベントという感じがしないように思う。
 決して、大げさに取り上げるのがいいかというとそうばかりではないのはわかるが、今までの自分の人生を振り返ってみると、やはり節目というか区切りのようなものがあるとそれを目標にしたり、気持ちの中での変換点にしたりして次なるステップへ進もうというきっかけにもなった。
 こういったものがなくなってきたり、大きく取り上げられなくなったのはコロナの影響があったのも事実であるが、よく考えてみるとコロナの影響だけでなく日々の生活の中で“個”を重視する傾向が強まり、多くの人や団体で何かを取り組むということが少なくなってきたこともこういった流れに拍車をかけているのではと自分なりに勝手に解釈している。

 学校の卒業式や入学式もコロナ禍では中止や縮小の形がとられていたが、徐々に緩和され 少しずつまとまった人数で実施される学校も出てきたが、まだまだ以前のように多くの人に見送られての卒業式はあまり実施されないのであろう。
 無理して実施する必要はないが、卒業式というのは卒業証書をもらうだけでなく、これまでの世界から新たな世界へ飛び出していくという、一抹の不安を抱えながらも新鮮さも持ち合わせながら迎える一つのイベントであったのだが。それも多くの人に見送られながら。
 就職にしても我々の時代は入社式には「ここで頑張るしなかないな」と一つの覚悟をもって臨んだものだが、今や新卒の3人に1人が3年以内に転職する時代になれば、入社式でその会社への思い入れはそれほど強いものではないだろうし、新入社員の気持ちも大きく変化していっているのであろう。「自分に合う会社、あるいは仕事か ひとまず様子を見てみるか。」という感じで。
 少し話がそれるが、小学校の運動会というのは全校生徒が集う行事であったが、今や学年単位での運動会も多くの学校で実施され、これも もしかすると「以前は運動会って 全校でやってたらしいよ。」なんていう時代が来るのかもしれない。

 私のような何か刺激がないと体が動かないような人間は、「来年からは・・」とか、「これを機会に・・」なんとすぐ思って、気持ちを切り替えたり、ある時は(無理やり)やる気を起こさせたりしているが、今の人はそんなイベントがなくとも、毎日 コツコツと気を抜かずにできるっていうのは、我々とは比較にならないほど自分というものを持っているからなのだろうか と思ってしまう。

 事務所は今年も忘年会の実施は見送ることになったが、一年を通して節目や行事のなくなっていく世の中に自分自身も段々馴染んできていっているのも事実である、。
 今まで人に励まされたり、刺激を受けたり、場合によっては流されたりしながら生きてきた自分にとっては、いろいろな方向性を自分で決めないといけないという点において結構きつい世の中になってきている。
 そういう意味ではまさに生活、そして人生を組み立てるためには、自分がしっかりしていないといけない時代になってきたんでしょうね。
 それにしても世の中の変化が速すぎるって思いませんか? 何もかも。
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2022年12月04日

No.808:自分がボーっとできる時間

 毎年のことであるが、気がつけばあっという間に12月になってしまっている。
 「あれもこれも」としたいことやしなければならないことはまだまだ残っているが、どんなに慌てたところで今年もあと1ヵ月で終わってしまう。
 今 最も旬な話題はサッカーワールドカップであるが、時差の関係も吹き飛ばしてまで日本の試合を見て、寝不足あるいは徹夜に近い状態で朝を迎えるような勇気はないので、特に無理せずに起きていればテレビをつけて見るというスタンスで今回のワールドカップに接している。
 先日のスペイン戦も4時過ぎには目が覚めるかなと思ってアラームのセットもしなかったが、やはり体はいつもどおりの反応で試合開始から1時間以上も経った5時15分頃に目が覚めた。
 テレビのスイッチを入れると試合は後半に入っていて、大方の予想に反してなんと日本がリードしていたのには驚いたし、思わぬ試合展開に脳が刺激を受けたからなのか 起きてから5分後には頭の中は観戦モードに入ってしまい、そのまま試合終了まで見て その後 身支度を整えて家を出た。

 平日はスケジュール表と時計を見ながらの生活が続いているので、たまの休日といってもなかなか外出、特に遠出するほどの元気は残っていない。
 そんな中でふと気づけば結構楽しみにしていることがあることに気がついた。
 仕事、特に税や経営に関する書物や書類を読むときは、頭をクリアにして読まないと細かな規定や難しい文言がきちっと頭に入ってこないので、一定の緊張感をもって文章に接しているが、仕事に関係のない本(雑誌を含む)に目を通す時にはストレスから解き放たれ結構 気分転換にもなっている。
 見る、というより眺めるように読みたい箇所だけ目を通すという たわいもない行為であるが、寝る前や休日の空き時間がそれに充てられて、今では結構楽しみな時間になっている。
 そういった読み物の中の一つに 日経新聞が1ヵ月に1回くらいの割合で掲載する「日経脳活クイズ・・超ムズ間違いさがし」というものがある。
 左右に並んでいる絵から毎回9つの間違いを捜すのであるが、これがものすごく難しくここ4ヵ月、9つ捜しきれたことはなく、まだ道半ばなのでこのコーナーが載っていて捨てられずに溜まった新聞が4つになった。
 何かの問題を解くというものではないにしても かなりの集中力をもってしてもなかなか9つに行き着かないが、休日の朝コーヒーを飲みながら、そして夜はお酒を飲みながらこんな”遊び”をするのも一種の息抜きになっている。
 でもよくよく考えてみるとこのクイズはお酒を飲みながらでは無理なんでしょうがね、かなりのハイレベルですから。
 
 今日はある意味 インパクトのなさすぎる話だったかもしれないが、自分がボーっとできる時間について綴ってみた。
 でも、本当はこういった時間こそ必要なんでしょうね。大事な局面でしっかりと頭を働かせるためにも・・。
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2022年11月27日

No.807:油断大敵

 かつてはスポーツで汗を流すのが楽しみであったし、息抜きという点でも私には適していたが、自分の体が思うように動かなくなってからはスポーツの観戦が趣味の一つになってきた。
 自分が経験したことのある野球と陸上競技以外では、サッカーやラグビーの試合も見に行くことがある。

 サッカーワールドカップに出場している日本が第一戦で強豪のドイツを破ったということで世間の盛り上がりはすごいものがあるが、私は性格が曲がっているせいか、世間が騒げば騒ぐほど 一歩引いて物事を見てしまうところがある。
 もちろん第一戦の勝利はものすごくうれしかったが、マスコミの騒ぎ方は異常とも思えるし、「たった1回勝っただけでそこまで騒ぐもんじゃない」というのが私の本音である。
 先の野球の日本シリーズだって、3戦を終わって2勝1分のヤクルトがその後、4連敗し、オリックスが優勝したし、勝負事なんて本当に終わってみないとわからい。
 今夜の第二戦の相手のコスタリカだって、第一戦のようなみじめな試合はしないだろうし、各地区の厳しい予選を勝ち上がってきたのだから侮っていい相手ではないはずである。
 スポーツでホッとしていいのは全てが終わってからのはずなのに、まだ始まったばかりでこの騒ぎ、これには日本で古くからいわれている「勝手兜の緒を締めよ」のかけらもないくらいの浮かれようである。
 同じグループの他の試合結果次第ではあるが、今日 勝ったとしても最終のスペイン戦に負ければ1次リーグ敗退だってあり得る。
 ただ、監督や選手たちは決して浮かれていないだろうから、どこまで「たった一戦 終わっただけ」と冷静に考えて第二戦を迎えているのか今日の出来をじっくりと見てみたい。

 スポーツの中で実力の差が結果に出てくる、つまり番狂わせの少ないスポーツで代表的なのはラグビーとバスケットボールと言われているが、得点の入りにくいスポーツであるサッカーはその逆で、仮に3対7の割合で攻め込まれていても得点を与えず、こちらが放ったたった1本のシュートが決まると勝つことだってある。
 そういう意味においては、たとえ番狂わせであっても相手より1点でも多く得点すれば勝者になれるし、相手がボール支配率やシュートの数で優っていても結果がすべてという点では他のスポーツと何ら変わりはない。
 私自身 厳しい話もしているが、今日の戦い次第では第一戦のドイツ戦がまぐれでなかったことを証明するチャンスでもある。
 スポーツは最終戦が終わるまで気を抜いてはいけないし、気を抜いたり、緩めた者(チーム)の負けである。

 少しサッカーから離れるが、本当の強さという点では、今年の夏の甲子園では優勝こそできなかったが、あの最強と言われる高校野球の大阪桐蔭は10対0になっても絶対に手を緩めないし、これでもかこれでもかというくらい襲い掛かってくる 怖くて憎らしいほどの強さがある。あそこまでいって初めて本当の実力と言えるのであろう。大阪桐蔭は油断とは無縁であるように思う。
 日本のサッカーが本当に強くなったのかどうかは今晩 一つの結果が出る。そんな目で今晩のコスタリカ戦を観ると結構 冷静に見ることができるように思うし、これも私なりのスポーツの楽しみ方である。
 勝ってほしいですけどね、「日本ってほんまに強いやん」って言われるように。
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2022年11月20日

No.806:私はまだまだ新聞“紙”に頼ってます

 新聞の購読率(自宅で月ぎめで新聞を購読している)が60%を割り込み、58.3%になったというニュースが目に留まった。
 これだけSNSと共存し、個人的にもスマホやパソコンに囲まれながら生活している状態では、情報源はもはや新聞ではないという人がどんどん増えていっているのであろう。
 調査が開始された14年前 2008年の88.6%と比較すると大幅に減少しており、新聞を紙で読む世代の高齢化に伴って50%を切るのは時間の問題と思われる。
 我々の世代は子供の頃、新聞が読めるようになるとなんだか大人の仲間入りをしたような気分にもなり、その後 生活する上ではテレビと同じようになくてはならないものであった。
 私の家ではダメと言われた「毎日小学生新聞」をとっていた友達がうらやましくて仕方がなかったことや大学受験の国語は朝日新聞の天声人語からよく引用されると言われた頃は、新聞が闊歩していたような時代であった。
 あと 新聞の思い出というと、実家のすぐ近所に新聞屋さん(新聞販売所)があり、私の実家もそこの新聞をとっていたが、父は新聞が配達される6時過ぎまで待つことができず、毎日のように5時半にはその新聞屋さんへ新聞を取りに行っていた。まさに新聞はテレビ、ラジオに匹敵するくらいの情報源で、早く読みたいものであったのであろう。
 今の時代、情報はスマホからと言わんばかりにみんなが四六時中スマホをいじっているし、大きな事件が起きると 瞬時にその情報が飛び込んでくるので、新聞と違って時差はほとんど感じられない

  こういった波は中小企業の求人活動にも大きな影響を及ぼしていて、以前は人を雇い入れる場合、ハローワークと新聞の折込広告が主流であったが、購読率が6割、もしかすると若年層では5割は割り込んでいるであろう新聞の折込広告への期待はどんどん下がってきているであろう。
 私が社会人になった頃、いや10年近く前までは、朝電車に乗ると新聞(ほとんどが日経新聞)を折りたたみながら読んでいる多くのサラリーマンの姿が目の前にあったが、今や新聞紙を広げている人は1車両に数名で、1、2名の時も珍しくない。
 こんな状態であっても私はまだまだ紙の新聞から離れられなくて、朝6時過ぎに自宅のポストに入っている2紙(京都新聞と日本経済新聞)をとりに行くところから私の一日は始まり、毎朝 1時間近くかけて目を通した後、出勤の身支度を始めるのが日課になっている。
 新聞の本欄以外に結構楽しみにしているのが広告の内容である。飲食店、旅行ツアー、セミナーの案内、それに新聞の紙面広告以外にも折込広告も目を通していて、こういった新聞の本来にニュース記事以外でも貴重な情報源となっている。
 
 実は今回この内容を書き出していくうちに一つ謎が解けたことがある。
 2、3年前までは 10月1日の新聞折込には(私立)幼稚園の入園案内が10枚近く入っていたのが 最近は数枚しか入らなくなっていたので経費削減かなと思っていた。
 しかし、若年層の購読率がここまで下がってくると20〜30代をターゲットとした広告の効果は著しく低下していっているから効果少なし 判断しているように思われる。
 学習塾の冬期講習等の案内は相変わらず多いが、最近は老人ホームや老人向け宅配弁当(宅食)の折り込みが目立つのも新聞の購読を支えているのが高齢者であることと無関係ではないということも想像できる。
 消費税が10%に引き上げられた時、自宅配達の新聞代だけは新聞業界の後押しもあり8%のままに据え置かれたが、考えてみればこういった恩恵を受けているのは限られた層ということになってくる。

 新聞のことで思い出話も含めいろいろと取り上げたが、数十年後には「以前は新聞は紙で、家に配られていたらしいよ」なんて言う時代が来るのかもしれない。
 過去において50年間での変化が、今や10年、ものによっては5年で様変わりするが、よくよく考えてみると生きていきやすくなったのか、生きづらくなったのかわからない時代である。
 前回も少し昭和について触れたが、数年先には「昭和の人たちはこんなことしてたんよ。」と言われるのでしょうか。大変な時代に突入していっているなと思うこと自体、遅れているのかな?
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2022年11月13日

No.805:今やレトロって “大正”ではなく “昭和”?

 先日、仕事で60代の女性の方と面談する機会があり、その折にご主人の相続のことや3人のお嬢様の現況と将来について、ご自身が考えていることをいろいろと話された。
 メインの話が終わった後、1週間前に飼っておられた14才のワンちゃんが亡くなりとても悲しいということやこれまでのワンちゃんとの充実した生活についての話の後には、ご主人の実家が何代も続くお蕎麦の製造販売をされているのでお蕎麦の食べ方に関する話等、仕事の後の雑談の方も多岐にわたるいろいろな話があった。
 そんな中でテレビや歌の話にもなり、ご主人との年の差が10歳あるので、歌える歌や好みの歌が違うし、テレビ番組や歌、特に歌謡曲とよばれるものは時代(年代)を物語っているということも話されていた。
 最近、テレビでも平成を飛び越して、昭和をテーマにした番組が流れていることがあるが、昭和生まれの私にとって 「昭和ってそんなに昔?」と思うこともある。ただ、私の周りいる平成生まれの人にとっては、昭和というのは少し前の時代で今とは違う時代 という感覚なのであろう。
 我々が子供の頃、「あそこのじいさんは明治生まれの頑固じじいやし」と言って、近所の怖〜い爺さんをみんなで恐れていたこともあったが、よく考えてみると明治時代の人なんて今生きていたら110歳以上ということになる。

 先日、仕事で大阪の箕面に行ったとき、そのマンションの廊下から山の中腹に大きなホテルが見えたので、「あれって箕面温泉スパーガーデンですかね?」とその日訪ねたそこにお住いの方(60代)に言うと、その方から 「我々の時はそうだったんですが、今は頭に大江戸温泉物語って付くんですよ」と教えてもらった。
 私たちの時は歌手が歌う歌だけでなく、テレビのコマーシャルソングも結構耳に残っていて、この温泉のコマーシャルソングは子供の頃 関西に住んでいた55歳位以上の人なら大体歌えると思います 「箕面温泉スパー〜ガーデン♪」って。
 段々と話が妙な方へ行ってしまっているが、ついでに温泉に関することで、テレビや雑誌であるホテルが取り上げられていてとても懐かしかったという話をもう一つ。
 それは東京から1時間半ほどで行ける伊豆の伊東温泉にあるホテルで、昭和の雰囲気が漂っているということで関東圏に住む若い女性から、「昭和レトロ感 満載」と言われ人気があるとのこと。
 そのホテルは「ハトヤホテル」といって、我々が子供の頃、毎日のようにテレビでコマーシャルが流れていたし、その歌は今でも耳に残っている。
  「伊東にゆくならハトヤ、電話は4126(よいふろ)〜
    ・・・・4126、4126やっぱり決めたハトヤに決めた・・・」

 今日の話は何が何だか分からなくなって、収拾がつかなくなってしまったが、知っている歌で歳がわかるということから始まって、歌は時代を物語るっていうこと。
 それにしても我々の年代ではレトロやロマンと言えば大正の後に付けて「大正レトロ」、「大正ロマン」と言っていたが、最近はレトロやロマンと言えば昭和を指すようで、若い人たちから見て我々はまさにレトロ、つまり懐かしい年代ということなのだろうか。
*「レトロ」・・古き良きものを懐かしみ愛好する

 今日は歌やコマーシャルから時代の違いを知るという話でしたが、仕事の上でも相手の年代を知り、それに合わせて仕事をすることも重要なことのように思うし、こういったこと、つまり相手の年代に対する感覚についていかないと昭和の人たちも世の中から取り残されてしまうのかも。
 今の時代に伊東温泉のハトヤがブームになっている。つまりハトヤは過去のものではなく まさに今の、旬のものなのであった。
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2022年11月06日

No.804:毎月 顧問先のことを探る楽しみ

 顧問先の月次の損益計算書をはじめとする何種類かの経営指標は、事務所で作成する先が大部分を占めるが、顧問先の経理担当者が作成されたものをメール等で送ってこられるケースもある。
 そういったものが各担当者を経由して毎月100件以上私のところに回ってくるが、すべての先について細かくチェックできているわけではない。 ただ、顧問先ごとの一定の情報が私の頭の中にインプットされていれば、各先ごとに見るべきポイントが浮かび上がってくるのも事実である。
 いくつか例を挙げると

・コロナの影響を受け 大幅な減収となった先がここへきて回復基調にあるが、これから始まるコロナ時に受けた融資の返済にまで資金が回せるのか。
・本店の移転を計画中であるが、自己資金だけでは賄えない分をいくら融資を受ければいいのか。
・季節変動の大きな業種の場合、落ち込む月はともあれ、通常月の2倍近い売り上げが見込める月が今年もそれくらいの数字を確保できているか。
・「人に手厚く」という方針のもと例年以上の昇給をしたが、それがどこまで収益に反映されているのか
・同じ診療圏内に同一診療科のクリニックが開業したが、その影響はどれほどあるのか。
 等々。

 こういった状況は各顧問先 一件ごとに異なっているし、各担当者から毎月、報告を受けている内容と照らしてどうなのか、またその担当者は前回の提案事項を実行に移すためにどんな働きかけをしているのかを、顧問先の経営者の顔を思い浮かべながら経営数値を眺めていると最終 所長の決裁印を押す前に考えることは結構ある。

 毎月の面談は直接顧問先と関わる いわゆる巡回監査担当者9名で対応しているが、上記のような思いを頭の中で想定しながら数字に接していると、私自身 顧問先と面談していなくても身近に感じられるようになる。
 業種的には開業医、いわゆるクリニックの顧問先が多いが、逆にクリニック以外の業種の話に興味が湧いてくることも多い。
 建築業、自動車部品の製造、Tシャツのプリント販売、動物病院、それに居酒屋等、いろいろな業種の経営状況を知ることで多少なりとも世の中の流れというものを感じ取ることができる。
 こういったいろいろな角度から数字を見ていくと、単なる数字の羅列ではなく、各顧問先が向かう方向(道)が見えたり、経営者の努力の跡が読み取れたりする。
 また、今の物価高はどんな業種がどういう影響を受けているのか? 政府が躍起になっている給与水準の引き上げは現実として実行されているのか、果たして賃上げができる環境下にあるのか・・・。
 考えはいくらでも広がっていくので、私の方も毎月 頭が整理されたり、リセットされたりして 刺激的な中で日々の業務をこなしている。

 私が全ての顧問先の中に入る込めないという現状の中で、私の役割としては顧問先の方々に、「廣井事務所でよかったわ」と思ってもらえる指導体制を作り上げることが役目なのかなと思っている。
 我が事務所の運営方針のような少し硬い話しになってしまったが、通常していることを整理してみれば今日のような内容にまとまってしまった。
 事務所のメンバーも指導型、伴走型、御用聞き型 と様々なタイプがいるが、最終的には顧客満足度がどうしたら高まっていくのかが一番重要なところである。

 私も事務所も顧問先の方々に対して、まだまだフォローしないといけないことがたくさん残っているなと感じながら、休日にこんなことを考えていること自体 果たしていいのか なんて妙なことも考えてしまっている、こんな言葉も頭の片隅に置きながら・・。
 「無駄な時間を過ごすことこそ贅沢であり、これを浪費と思ってはいけない。人間には誰からも入り込めない時間が必要である。日常とは切り離された。」
 なかなか難しいわ、ほんまに。
posted by ヒロイ at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月30日

No.803:野村克也を生んだ “うらにし”

 先週 定期的な顧問先への訪問のため京都府北部へ行く機会があった。
 私が住んでいた子供の頃は片道3時間以上の時間を要し、京都府の中心地である京都市とは同じ京都府といっても別の地域といってもいいほどいろいろな面において大きな違いがあった。
 今では道路も整備され、約2時間で行けるようになったので思わず近くなったような気になる時もあるが、地図上の距離が縮まったわけではないのは誰しも理解できるところではある。
 京都府に限らず、地域の違いによって経済(所得)格差や教育格差以外にもいろいろな差がある都道府県はいくつも見受けられる。
 大阪府のような比較的面積が小さければその差もまだ小さいのであろうが、近畿内でも兵庫県や和歌山県のように南北に長い県は北と南では大きな違いがある。
 和歌山県でも県庁所在地にの和歌山市と南の果ての潮岬や那智勝浦では、その生活の状況は同じ県内とは思えないくらい違うであろうし、兵庫県なんかは神戸市と北の但馬地方の城崎温泉や豊岡市、それに南の淡路島とでは風土も住んでいる人の気質も違って当然と言えば当然のことであろう。
 話を私の住んでいる京都府のことに話を移すが、南と北とでは都会と過疎地という違いはあるが、実は一番大きなのは気候の違いのようにも思う。
 まあ、根本的にはこの気候の違い、それに地形の違いがこの格差を生み出す原因になっているのではあろうが。
 冒頭でも言っていた先週のある日、朝 冷え込んではいたものの9時以降は日も差し始め、穏やかで結構いい天気の中で事務所のある京都市を出発したが、1時間後の丹波(京都府の真ん中あたり)辺りで曇り空に変わり、そして2時間後、日本海も近い丹後方面に差し掛かると天候は小雨混じりに変わっていった。
 確かに朝の天気予報では京都府南部は晴れ、京都府北部は雨と言っていたが、まさにその通りの天候であった。
 私はこれぞ”うらにし”と空を見上げながら妙に納得してしまっった。

*「うらにし」
・京都府北部の丹後地方周辺に特有の気象。10月から11月末にかけて瞬間的に丹後半島の近海を通る風と、この影響で生じる不安定な気候のことを指す。
 一日の気象の変化が激しく、朝は晴れているかと思えば突然暗雲が垂れ込め、雨や雪を交えた湿度の高い風が吹き荒れたかと思えば、束の間の晴天に恵まれたりする。

 この地方に住んでいたり、私のように過去に住んだ経験のある者にはすんなり受け入れられるが、知らない人からすると「なんだこの天気?」と思ってしまうこともあるでしょう。
 私が小学生だった頃、朝 家を出る時 晴れていてもおじいさんから「傘 持ったか」と言われたことを覚えているが、その後「“うらにし”は、弁当忘れても傘忘れな ということだし」とこの地方で古くから言い伝えられている言葉を最後に付け加えていた。
 こんなことが今の歳なっても身についているからなのか、どこかに出かける時、折りたたみ傘を持たずに出ることはまずない。
 
 この丹後地方出身の野球人 野村克也の本は何冊も読んだが、その中で「“うらにし”のようなうっとおしい気候が人格や性格の形成にも影響し、陰気臭い性格にもなった反面、予期せぬことにも対応できたり、我慢強い人間にもなった」と語っていたことを思い出した。まさしくノムさんそのものでないか。

 秋のある日の天気のことを捉えて今日もダラダラと思ったことを書き綴ったが、久しぶりに野村のことだけでなく、故郷のことも思い出した休日であった。
 実はこの“うらにし”の後、初雪、そして寒波で豪雪地帯の冬が始まるのである。
 あ〜、恐ろしや。
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2022年10月23日

No.802:近所づきあいって

 今どきの人にとって近所づきあいというのは、プラスの面よりマイナスの面の方が目につくと思っている人の方が多いような気がする。
 私は朝 家を出て、夜帰ってくるまで近所の人に会うことはほとんどないが、先週の日曜日に玄関先で単身赴任中の隣のご主人と会ったのであいさつすると、「行ったり来たりで大変です。今月は京都でも用事があるのでほぼ毎週のように戻ってきています」と話されていた。
 また、向かいの家の野球をしている小学生と中学生の男の子は夜になるとバットを持って素振りをしていて、帰ってきた私が車から降りると元気よくあいさつをしてくれるし、私もたまに「甲子園行くときは、応援行くし声かけてな」 なんて声をかけることもある。
 もちろん誰にでも声をかけるのがいいかというとそうではないのは分かっているが、こういったコミュニケーションをとることって、気持ちがほぐれるというか ちょっとほっとすることがある。
 また、近所の人がどんな人かということがわかっているという点でも安心感がある。
 休日の朝 たまにカミさんといっしょにワンちゃんの散歩に行くと、犬仲間の多いカミさんは何人もの人に声をかけられるので、「お前 ほんまにいろんな人知ってるな」というと、「お互いワンちゃん繋がりなんで、中には名前も知らん人もいるんやで」と言っていたこともあったが、そんなことどうであれ、それだけ知っている人がいるというのは、ぽぽたん(うちもワンちゃん)さまさまだなと思ってそのやり取りを横で見ている。
 中にはコミュニケーションをとるのが苦手な人であったり、決してとりたがらない人もいし、こういった行動をすべてよし とするわけにはいかないが、社会生活するうえではこれも何らかの意味をなしているように思う。
 学校、特に大学では長い間オンライン授業が主流となっていたし、会社もリモートワークやテレワーク形式の在宅勤務を導入し、なお現在も継続している企業は、事務系の仕事を中心に決して少なくないように思う。
 この形式の良し悪しは別として、私なんかはこれまで育った環境とあまりにも違うので多少戸惑うこともあったが、我が事務所でもコロナの流行期には導入していたので知らない世界ではなくなってきているのも事実である。
 ただ、この1、2年の間に進学したり就職した人の中には、在宅での授業や仕事が主流で 出向いて対面でということをあまり経験していない人も結構いるだろうし、こういった人たちの社会への出方って本当に難しいし、大変なだと思う。そうそう、先日 「最近の人って対面の経験が少なく」と一人の人が言うと、別の人は「画面でしっかり対面していますから・・」という発言があったのには驚いたし、「感覚違う」と思わず自分に言い聞かせていた。
 日本が世界から大幅な遅れをとっている IT化を進める上では、これはこれでなかなかいい環境ともいえるし、またとないチャンスなのかもしれないが、一定の年齢以上の者にとっては正直まだまだついていけない部分もある。

 近所づきあいの話から始まり、途中でとんだ方向へ行ってしまったが、そういえば うちの子供たち3人もマンション住まいなので近所づきあいなんていうのは皆無であろうし、もしかするといつの時代かには“ご近所づきあい”なんていう言葉は死語になっているかもしれない。
 それにしても何もかもが過去の経験が通用しづらくなってきているし、中年や老人には段々 住みにくい世の中になっているように思う。
 そんな中、朝から結構大きな声で「おはようございます」の声が聞こえる職場って、私にとってはなんだかホッとする場所なのかもしれない。
 あ〜、言っていることが古すぎる、本当に困ったもんだ。
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2022年10月16日

No.801:コロナのない生活って

 これだけの長い期間 コロナ コロナで追いまくられていると、コロナのなかった頃のことで忘れかかっていることもあるが、最近では もう第8波が来ないかのように “アフターコロナ”とが“脱コロナ”とか言って世間が騒ぎ出している。
 つまらないことであるが、“アフターコロナ”と“脱コロナ”の違いはわからないが・・?
 
 京都にいるとコロナへの対応が緩められていることに気づかされる場面にいくつか遭遇することがある。
 まずは日本人観光客に修学旅行生がいっきに増えたし、そして1週間ほど前からは外国人観光客の姿もちらほら目にするようになった。
 そうそう、コロナの最盛期以外は細々と運航していた二階建オープンデッキの赤い観光バスも少し前までは数人しか乗っていなくて、よく運営できているなと心配していたが、今日御所の近くで前を走っていたバスは7割近く乗っていて、2年以上見かけなかった光景で驚きながら上を見上げていた。
 仕事で移動中に二条城の前をよく通るが、ここでは4、5日前 駐車場が満車で観光バスが二条城の周りで待機していたのには驚いた。
 当事務所のすぐそばに同志社大学があり、コロナが広がりだしてからは長らくひっそりとしていたが、この春からは学生も徐々に増えだしていた。そしてこの秋からは多くの講義が対面授業に戻ったからなのだろうか、今出川通を歩く学生の数は急に増え、静かだったのに慣れてしまったせいもあるのか多少うんざりする。
 あと 一番びっくりしたのが先日ファミレスでトイレを利用し、手を洗った後、「ウ〜〜ン」と音がして風の出る、ハンドドライヤーが使えたことである。
 これってどこでも使用禁止の張り紙がしてあり、この設備を製造している会社っていくつ潰れたんだろうと想像したりしていたが、久々の「ウ〜〜ン」には驚いた。
 政府も観光業を活気づかせるのに躍起になっているが、旅行が活発に行われるようになれば日常が戻るかのようなピンポイントと言われても仕方のない取り組み姿勢である。

 以前のようにマスクのない生活に戻ればいいが、国全体でそんな風になるのはもう少し時間はかかりそうである。
 政府は
・屋外ではマスクの着用は不要です。
・屋内では距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用を。
と言っているが、これって相手のあることだし、朝散歩していても知っている人がいると無言で通り過ぎるわけにはいかないので結局マスクは手放せない ということになってしまう。
 日本人の気質からして外国の一部の国のようにマスクなしの生活にはなかなか戻らないのではないのだろうし、仕事中も一人でいるとき以外はまずマスクを外すことはない。やはりこちらもマスクあっての社会となっている。
 インフルエンザの流行期が終わって春になれば、次のステップの何らかの方向性が示されるであろうから、それを待つしかないのでは。

 今日は少しずつ変わってほしいのと、そんなに早く変わっていいのかという交錯した気持ちの中で近頃の世の中の変化や気づいたことをまとめてみた。
 
 今日は冷房も暖房もいらない本当にちょうど“いいあんばい”の一日のようです。
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2022年10月10日

No.800:800回ですが

 今日は10月の第2月曜でスポーツの日という祝日であるが、以前は10月10日は体育の日であった。
 1964年に行われた前回の東京オリンピックの開会式の日にちなんで祝日としたなんて古いことを言っていたら、「何それ?」と言われそうなくらい時代は進んでしまっている。

 このコーナーは15年前に私が開業して以来 ほぼ週一回のペースで綴ってきたが、今回 800回ということでちょっとした区切りの回となるようである。
 このブログは開業した日(2007年9月21日)の翌日、「あまり形にこだわらず、自己紹介も兼ねて思っていることを綴ってみようか」と軽い気持ちで始めたのを覚えている。
 本業である税に関することはそれぞれの依頼者の方と直接やり取りするので、ここでは本当の意味での日記、つまり行動記録のような内容でという趣旨でここまで続けている。
 特にルールもないが、あえて気に掛けていることとしては、画面に向かう時は、画面の向こう側では誰が読んでくれているのかわからないので、あまり特定の人、つまり向こう側の読者を気にせずに書き込むようにしている。
 会った人から「読ませてもらってます」なんて言われると意識せずとも顔が頭に浮かぶこともあるので。


 いつやめようか、何回目でストップしようかと思ったこともあったが、自分自身の一週間を振り返ったり、次の週はこんな週にしようかなと頭を整理する意味もあったのでここまで続けてこれたのであろう。
 この15年の期間を振り返るために日本の総理大臣が何人変わったのか 調べてみると 現在の岸田総理まで9人変わっていた。
 「総理っいいな、代われるんだもの」なんて不謹慎なことを言ってはいけないんだろうけど、経営者って そう簡単に変われないし、特に自分も含め中小企業の場合はなおさらで 業績に浮き沈みのある顧問先のトップの方の何人かの顔を思い浮かべていた。
 実は8年前に亡くなった父も生前はここの読者の一人であったが、パソコンなんて使えないので私が月に一、二回 実家に帰る時に紙に出力して持っていっていたし、母も読んだ感想を言ったり、内容についての質問をよくしていた。
 ただ、その母も今では介護施設に入っていて、認知症も進んできているので読める状態ではない。
 父が亡くなった後、母はしばらく一人暮らしをしていたが、今になって思えば施設に入所する一年くらい前からは私の印刷したブログがそのまま積んであることが多かったし、ある時から母は感想も何も言わなくなったが、あの頃から認知が進んでいたのかもしれない。 これって随分 後になってわかったことなんですが・・・。

 始めた頃は家の方も5人で暮らしていたが、今では2人になってしまったし、こうして思えば 結構長いことやっているんだな とあらためて思った。
 いつまでも続くかわからないし、何かの理由で突然やめてしまうかもしれないが まあ無理することなく続けられるとこまでやってみようかなと思っている。ぼけ防止とは言わないまでも一応 頭の中を整理するのには役立っていると思うし。

 今日は月曜日ですが、祝日で事務所は休みです。
 秋って祝日や連休が多いのはうれしいが、決して仕事量が減ってるわけではないので、それはそれで結構きついものでもある。

 今朝は雨が降ったりやんだりだったのでワンちゃんの散歩も遅めで、先ほど帰ってきたら雨はあがったみたいです。
 今日 1日ずれの月曜日なので朝に書きあがりました。
 散歩の途中で買ったパンを食べるのでここまでということで。
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2022年10月02日

No.799:相続の仕事のときに 親との思い出話が聞けるって・・。

 この仕事に就いた20代の頃、人が亡くなって真っ先に浮かんでくる仕事といえば葬儀屋さんであったが、相続税の仕事という面では税理士もそうなんだ なんて少し不思議な感覚を持ったのを覚えている。
 ただ その頃は相続税の基礎控除額が今よりもずっと大きかったので、相続税がかかるのは一部の資産家とよばれる方のみであったが、その後2015年(平成27年)に相続税法が改正され課税最低限が引き下げられてからは 「ちょっとした豊かな人=小金持ち」にも相続税が課されたり、申告の必要な人が出てきている。
 2010年(平成22年)は課税割合(死亡者数に対する相続税の課税件数の割合)は4.2%だったのが、10年後の2020年(令和2年)にはなんと8.8%に上昇し、亡くなった100人のうち9人が相続税が課される人ということになってきており、10人に1人 ということになるのは時間の問題のように思われる。
 ただ これも地価の高い大都市圏と地方とでは大きな開きがあるが、先日 仕事で関わったのは大阪の方だったので、ここでいう大都市圏にお住まいの方ということになる。
 今回 ここで税金の細かな話をするつもりはないが、この大阪の方の遺産の分け方とその打ち合わせ時のやり取りについて少しだけ触れさせていただくことにする。

 今回の相続税の依頼は事務所の職員が以前勤務していた会社の上司からの紹介ということで、元々 事務所の顧問先の方に関する相続案件ではなかったので、事前に相談を受けていたというわけではなく、お亡くなりになった後、税理士を探しておられる中で相続税の申告業務についてご紹介・ご依頼を受けたという関係である。
 まずは昨年(令和3年)1月に90代前半で亡くなられたお父様の相続税の申告ということで依頼されたお嬢さんと(娘さん)と相続人であられるお母様、それに依頼された方の妹さんと話を詰めていき、遺産分割、そして相続税の申告を期限内に無事終えた。
 そしてそれからわずか1年後の今年2月にお父様の時に依頼のあった上の娘さんから 今度はお母様が亡くなられたと連絡が入り、こちらの方もお父様の時に引き続き 相続の相談と申告をお願いしたいとのこのであった。
 一年前のお父様の相続の話をしていた時はお母様はお元気で一人暮らしをされてたので、正直びっくりし、「えっ?この間お元気でしたのに・・。」と思わず言ったくらいである。
 それから初回の面談の後、メールや電話でのやり取りを経て、姉妹間での財産の分け方が決まったということで連絡を受け、その後の申告に向けての準備もほぼ終えていたので、現時点で計算できている税額の報告とあと残された作業の確認のために昨日 ご自宅を訪問した。

 遺産の分割はほとんどもめることなく、お二人で話しをして決められたので、こういった財産の中身や申告内容についてはここでには触れない(仕事上、触れるわけにはいかない)が、その面談時のほとんどの時間 先に亡くなったお父様も含めてご両親の人柄やいっしょにに過ごしていた日のこと等の思い出話をお聞かせいただいた。
 その内容は相続の話に伺っているにも関わらず、本当にほのぼのとした雰囲気に包まれるいい空間、いい時間であった。
 テレビのお葬式のコマーシャルで、「おじいちゃん、孫の野球の応援で必死だったよね・・。」なんというシーンを見て、こんな和やかな雰囲気の葬式ってないよね と思っていたが、まるでこれに近い形の話が多く、「お母さんが若い頃、秋のお祭りで踊っていたよね」とか、「お父さんは会社勤務だった若い頃より70代以降の方が服装が派手になってたよね」という本当に心の温まる話をいくつも聞くことができた。
 昨日の面談はもちろん相続税申告に向けての最終段階の打ち合わせであったので、申告に向けての準備も後は遺産分割協議書と相続税申告書の作成、それに納付書の準備を残すだけとなった。
 相続というとなんだかどろどろとしたことを思い浮かべてしまうことも多いが、今回のような形は仕事をしていてもスッキリ感があり、非常に後味のいい終わり方であった。

 相続となると相続人 それぞれの方の思いもあり、当然のことながらすべてが問題なく終了するかといえばそうでないケースもいくつかあるが、こんな時 口にはしないが、ふと「亡くなった人はどう思っているんだろう」と考えてしまうこともある。
 今回の相続はお母様はどちらかというと急な亡くなり方ではあったが、亡くなったご両親は、残された者(子)が感謝の念を抱くという意味では、とてもいい人生だったような気がする。
 相続の仕事は 事前対策や節税等いくつも検討する項目はあるが、仕事とは少し離れた観点から見てみると 自分と親との関係、そして自分と子供との関係を考える上で、いい勉強になるなと思うことが幾度となくある。
 こういった局面に出会うと人生の数だけ死があり、そしてその数だけ家族があるなと思うし、ある意味、まだまだ人生になかで学ぶことは山ほどあり、悪いことは排除し、いいことは取り入れる そんなことで仕事を通して人生プラスなるようになれば相続の仕事もまた意義深いものになるように思う。
 日常に追われてる中では“人生”についてなんて考えないですからね。
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2022年09月25日

No.798:縁に頼り、縁に頼らず

 最近では “縁(えん)”という言葉をあまり聞かなくなったような気がする。
 ネット社会の中で生活している最近の若い人たちは、人の繋がり、特に個人的な人間関係に頼ることなく、自分で情報を入手し、自分の判断で物事の良し悪しを決めるという人も多い。
 SNSでの情報や口コミサイトなどには非常に敏感で、必要な物を買う、食事の店を選ぶ、それに医療機関を選ぶなど 何か行動を起こす時にはこういった外からの情報が判断の決め手になっていることも多いように思う。
 振り返ってみると我々のような古い人間は多くの場面で縁がつきまとっていたように思うし、さらに親の代には縁談に始まり、縁故、血縁など縁なしには社会が成り立たないような時代であったように思う。
 ただ 我々が社会に出る頃、つまり今から40年くらい前は、古いしがらみのような意味を持つ 縁を断ち切ろうとのしていた時代であったのかもしれない。
 というのもあの頃 縁というのは決してよいイメージでなく、縁故とか血縁というのが何かしらどろどろとしたイメージがあったし、縁談というのもこの頃からはあまり口にすることがなくなったように思う。
 この縁談についてであるが、今でもお付き合いを始めるきっかけはまだまだ他の人からの紹介が多いように思うが、古い時代のように家と家の繋がり中での紹介というのはほとんどなくなってきており、もう少し軽いというか身近な友人からの紹介が主流のようである。
 そもそも今の若い人たちにとって縁談とかお見合いなんていうのは古い時代のものになってきているのかもしれない。

 我々が仕事をしていくうえで、顧問先になってもらったり、相続やコンサルの仕事の依頼を受けるのは、HPを見てとか、私が講師を務めた研修会を受講してというのもたまにはあるが、数としては非常に少なく、やはりまだまだ知っている方からの紹介というのが圧倒的の多い。
 もっと大手の税理士事務所であれば、「HPや広告を見て是非ともお願いしようと思いました」というようなこともあるかもしれないが、中小の税理士事務所ではまだまだ“縁”を頼って相談にこられたり、仕事の依頼をされる方が多い。
 一言で縁と言っても、この縁というのは結構 奥が深いように感じる。
 新しい顧問契約を結んでいただく方の中には、「評判を聞いて」という方もいらっしゃるが、これとて見知らぬ方からの情報ではないので一種の縁が取り持ってくれているといってもおかしくないように思う。

 縁、縁、縁と同じようなことばかり言っているが、やはり我々のような仕事は評判や口コミも含めた縁というのが非常に大事であり、そのためには決してうわべでお上手したり、されたりというのではなく、正当な形で評価してくれることが必要である。
 また、逆に悪評となれば、またたく間に多くの人に知れ渡るのでこれはこれで非常に怖い部分である。
 ただ これからの時代、若い人をターゲットとした新しい形のビジネスは縁だけを頼っていては広がりを持たないであろう。
 そういう意味ではタイトルにあるように縁に頼らないビジネスの手法やスキルもしっかりと身につけないと取り残されるであろう。
 今までビジネスというのは何か一つの強みがあれば成り立つこともあったが、これからはいくつかの強みを持ち合わせて いろいろな角度から評価してもらわないと生き残っていけない時代になっていくように思う。
 そういう意味において今日のタイトルの「縁に頼り、縁に頼らず」ということについて自分なりに考えていたことを綴ってみた。 

 でも “縁”って本当に難しいですよね。
posted by ヒロイ at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月19日

No.797:もう15年が過ぎました

 23年間勤めていた税理士法人を退職し、独立開業という形で事務所を立ち上げてから9月21日で15年になる。
 何事も過ぎてしまえば あっという間 というのがお決まりなのだろうし、思い返してみても「本当に早かったなこの15年間」というのが正直な気持ちである。
 ただ、顧問先や社員等の事務所のこと、それに私の家族を取り巻く状況の変化に目を向けると、この間 本当にいろいろなことがあったし、そのいくつもの場面が頭の中に浮かんでくる。
 15年の間、決してトラブルや問題がなかったわけではないが、こうして無事15年を終えられたということで、一応 「よし」としようと思っている。
 事務所のとっては9月21日が創業記念日で、5年目、10年目の節目の時には、社員旅行を実施してきた。
 ただいくら節目とはいっても 15年目の今年はそんなことができる状況ではなかったので、ささやかな食事会でも と比較的コロナが下火であった7月に 約2年半ぶりの全員での食事会の計画を立てたが、9月2日の実施予定日の前には第7波が猛威を振るい、20人そろっての食事会の開催はさすがに実行に移すことはできず、いったん中止ということになった。
 毎年、9月21日には全員にささやかなお礼の品を渡しているが、今年は15周年の食事会ができなかったし、その代わりに何がいいだろうと考えていたところ、先に事務所のみんなから開業15周のお祝いの品物をいただいた。
 先日、朝の9時半頃 いつもどおり自分の机で仕事をしていて、何かざわついているなとふと顔を上げると、全員が事務所のフロアいっぱいに輪を作り、「15周年おめでとうございます」といって 高そうなものに入っている私が一番の好みである麦焼酎と何種類も入ったおつまみセット、それによく車に乗るからということで素敵な革製のキーホルダーをいただいた。
 正直 全く予期していなかったし、突然のことであったのでびっくりするやら、感動するやらで何とも言えないうれしい気持ちになった。
 事務所の人たちにとって、この職場って働きやすい環境なんだろうかと ことあるごとに自問はしているが その答えは自分ではわからないし、社員のみんなとこういった話をする機会もほとんどない というか 私からは聞けないことである。
 どうすればみんなが満足でき、そしてどんな不満を抱えているのか これは世の経営者がいつも頭の中で考えていることであるが、その最良の答えは何年たってもつかめないまま、こうして何年かが過ぎていってしまっている。
 開業前も開業後も特に変わったこと、特別なことなど一切していないが、ただ一つだけこれだけはと心に刻んでいることがある。
 それは「毎日 後ろ指をさされないように生きていこう」という単純なことであり、誰でもできるようなことかもしれないが、実はこのことって 結構大変で、自分にとって何か重しのようなものになっているなと感じることもある。
 まあ、所詮 どこまで行っても普通の人間なんだし、自分らしく無理せずに日々を送っていくことが大事なんだと思っている。
 なんだか最後は少しだけ重い話しになってしまったが、一応15年目の節目として自分自身にも言い聞かせるつもりで今日の内容をまとめてみた。

 そろそろ近畿地方にも台風の影響がでてきそうなので、この後はおとなしくして、明日に備えようと思っている。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

No.796:「了解」、「納得」、そして「満足」してもらうまでには

 このブログは私の独立開業を機に確か開業日[2007(平成19)年9月21日]の前日に第1回を掲げたので もう少しで丸15年を迎えることになる。
 その間、自分自身はもちろんのこと、事務所、それに各顧問先の状況も大きく変化したなとあらためて感じる。
 元々 自分が国語力、文章力が劣っているはわかっていたので、この日記を綴ることで少しは自己鍛練の機会にでもなればという思いもあり、スタートを切ったのを覚えている。
 ただ、若い頃に基盤が作り上げられる才能とか能力はそう簡単に築いたり、アップできるものではなく、いつになってもなかなか満足のいく文章が書けないので、自分でも嫌になることもある。
 これは恥ずかしながら 本気で国語の勉強に取り組んだことがないことと あまり(ほとんど?)本を読まなかったことに起因していることは重々わかっているが、自分の語彙力のなさにはついつい情けなくなることもある。
 また、語彙が豊富な人の話や文章に触れるとただただその人のことが羨ましくなったりもする。

 こんなことを考えている私であるが、よく似た言葉で使い方やニュアンスが微妙に違う言葉に遭遇し、考えさせられることがあったので 今日はそのことについて少しだけ触れることにする。
 それは「了解」、「納得」、「満足」という3つの言葉であるが、あらためて確認してみると、これらの言葉の意味は下記のとおりである。
*了解:物事の内容や事情を理解して承認すること。
*納得:他人の考えや行動などを十分に理解して得心すること。
*満足:希望が満ち足りて不平がなくなること。十分であると感じること。

 人と話をしていたり、メールでやりとりをして、相手の方から「了解しました」とか「承諾しました」という返事をもらってホッとすることは誰しも経験のあることであろう。
 ただ、その文章を深く読んでみると 「了解」はされているとはいうものの、気持ちのうえでは「納得」されていないのではと思うこともある。
 この「了解」と「納得」の間には大きな差があり、似てはいるもののこの差を埋めるのには相当なエネルギーを要することもある。
 上の言葉の説明にあるように「了解」は理解し、承諾することであるが、「納得」は理解したうえでさらに得心しなくてはならない。
 仕事をしていて「納得」までたどり着ければ、一応 及第点であろうが、この「納得」の上にはさらに「満足」という言葉がある。
 「満足しました」ということは、とてもうれしかったという意味合いも含まれていると思うし、仕事をしていてここまで至ることができれば、当然のことながらこちらも「とても満足できる仕事ができた」と次なる仕事へのファイトも出てくるものである。
 すべてのこと関して相手様に満足を与えられるかというとそれはそれでなかなか難しいことであるが、仕事をする者にとっては目標としたいものである。

 お客様が「納得」止まりなのか、「満足」されているのかわかりやすい目安がある。
 それは「納得」の場合にはその気持ちは自分だけで留まるが、「満足」された場合には、その満足したことを他の人に話されるし、仕事の場合、他の人を紹介してくださったりするということである。
 この「満足」をどれだけの人に与えられるか それがすべての仕事での共通の目標のようにも思う。
 ただ、そう簡単には「満足してもらう」までには到達しませんがね。
posted by ヒロイ at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月04日

No.795:何も考えなくていい時間

 今日は久しぶりに朝からぽぽたん(うちのワンちゃん)と散歩をすることができた。
 平日はカミさんが6時過ぎには連れて出て行ってしまうし、逆に起きるのが少し遅くなって出るのが6時半を過ぎたときは散歩から帰ってくるのが7時半頃になってしまう。というわけで どちらにしても平日は私はなかなか時間が合わず 今日のような何も用事のない休日の朝くらいしか連れていけない。
 たぶん赤ん坊もそうなんだろうけど、ワンちゃんも屈託がないというか、素直なところもあるが、相手の行動や気持ちに敏感でいっしょにいるとなかなかおもしろい。
 朝とはいえ車も走っているので飛び出したりしないようには気をつけないといけないが、こちらも休日の朝というのは時間を忘れ 「いつまでも付き合いまっせ」というくらいのゆったりとした気分で朝のひと時を楽しんでいる。
 私なんかは毎日付き合うわけではないのでこんなのんきなことを言っているが、日課として、朝夕2回ワンちゃんの散歩をしている人にとっては、義務的というか ある意味ノルマのように気持ちで歩いている人も多いはずである。まあ、私のようにたまに付き合う者にとっては非常に貴重な時間であるが。
 
 今日のタイトルである「何も考えなくていい時間」ということで、もう一つ思いつくことがある。
 これは我が家の暴露話のようなことになってしまうし、聞く人にとっては本当につまらない話かもしれなので、興味がなければさーっと飛ばしてください。
 私は1週間を通して、ニュースとスポーツ番組以外はほとんどテレビは見ないが、一つだけ見逃すことなく見ている番組がある。
 この番組名を言うのは多少恥ずかしさもあるが、言わないことには今日の話に続いていかないので言いますね。
 ご存じの方もあろうかと思うし、関西の人であれば一度くらいは観たことある あの土曜日の昼過ぎにやっている「吉本新喜劇」です。
 土曜日の昼のテレビ放映の時間に観たことはなく、録画で撮ったものを週に1回か、2週間に1回(この時は2本)観るが、この時間というのがカミさんと同じ時間に夕食を食べる時間なんです。それが月に1、2回でそれ以外はいっしょの時間帯に食べることってまずないですから。
 実にこの吉本を観ている時だけは本当に頭が空っぽになり、まさに「何も考えなくていい時間」なんです。
 それと私は丹後ちりめんの織屋の次男として育ち、朝から晩までワイワイガヤガヤ、家には常に誰かがきている まるで吉本のような家庭であったが、カミさんの家庭は真逆で親が公務員と学校教師で、本人曰く「家庭内に冗談を言うような雰囲気は全くなかった」ようです。今でこそ私以上に社交的で、だれとでも仲良くなれるような性格になっているが、若い頃はこういった家庭で育った片鱗のようなものがあり、私がつまらぬことを言うと、「しょうもないこと言って」と冷たい視線を浴びせられたこともあった。それが今では。
 本人には言わないが、吉本を見ながら声を出して笑っているカミさんは若い頃とのギャップが大きく、最初の頃はそのテレビを観る姿に私の頭の中には結構???マークがついた。
 
 まあ、最初に言ったとおり今日は本当につまらない話に終始してしまったが、ただ 時間に追われる中でのこういった「何も考えなくていい時間」は大事にしたいものである。
 もしかすると脳の老化を防ぐのに結構役立っているのかもしれないし・・。
posted by ヒロイ at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月28日

No.794:京都市が危ない

 今日の地元紙(京都新聞)の朝刊の一面を見て驚いた。
 【京都市の人口 日本一減った・・・1万2千人減】

 私が京都市で暮らすようになったのは18歳からなので、京都で生まれ育ったとはいえないが、私の周りにたくさんいる京都生まれ京都育ちの根っからの京都人と呼ばれる人は、「東京や大阪ほどではないが そこそこの都会で、しかも世界に誇れる歴史にあふれる観光都市なのでどこにも負けない。本当に魅力的な都市。」なんて思っている人も多いと思う。
 根っからの京都人ではない私でさえもこれに近い思いを抱いているところもあるので、私自身 40年以上住み続けて少しは京都人に近づいていっているのかもしれない。
 
 人口の話に戻るが、それにしても私が子供だった頃は日本の人口は増加の一途で、多くの学校は児童、生徒のために教室を増やし、学校を建てていったし、今では過疎になってしまった私の故郷のような地方でも当時はまだまだ活気が残っていた。

 今日 新聞にとりあげられていた1万2千人というのは現在1万3000人(完成時には2万2500人)が住んでいる向島ニュータウンに匹敵するし、現在2万人(最も多かった頃は4万人)が住んでいる洛西ニュータウンの6割くらいである。

 
 ここからは私見で思いのまま 今考えていることを述べるが、結論的には京都の人口減少はそう簡単に止まらないように思う。
 なぜって?
 今の京都市の市政(方針)は、観光にも力を入れたい、外国人留学生も多く受け入れたい、地価の下落も避けたい、近代化の波にも乗りたいが古いものも残したい、若い夫婦をはじめとする若年層も増やしたいが外国人や首都圏の資産家には街中の1億以上のマンションも買ってもらいたい等々。
 つまり、何から何まで希望をかなえたい、これが今の京都市が考えていることのように思うが、こんなに欲張ったらだめだと思うし、そんなことしてたら何一つ実現できないかも。
 やはり、世界の観光地No1というのにあぐらをかいている部分もあるし、ほっといても人は来るし、今までだったら修学旅行一つとってもどこからでも京都に来てくれたが、今やそういった意識も大きく変わろうとしている。
「京都はどこにも負けない」という意識がまだまだ京都の人たちの心の片隅にあるように思う。
 逆に発想を変えて、世界一の観光都市になることを最優先させるので、「人口は増えなくてもいい、但し 観光客は世界一 」というような発想もあってもおかしくないのだが・・。
 京都人が京都の中心部を田の字と言って、「田の字に中に住みたい」言ったり、少し年配の人になると中心部を洛中という人もいまだにいる。これでいくと私の住んでいるところは洛外だが。
 つまり本気で人口を増やそうとするのなら行政だけでなく、住んでいる者の意識改革も必要なように思う。


 神戸が大阪をライバル視しすぎたため、神戸らしさを失い、しかも大阪に大きく水をあけられたという 厳しい例も目の前にある。
 あるところでは「近畿のおまけ県」なんて言われている和歌山県を修学旅行先に選んだ学校は2018年は63校だったのが、2021年は575校と大幅に増加している。世界遺産の熊野古道、捕鯨の歴史、梅ジュースづくりの体験 と和歌山ならではのことで目下売り出し中である。

 チャンスはどこにあるか分からないし、チャンスはいつ逃すか分からない。
 選挙の時だけニコニコして頭を下げるだけでなく、市民の生活、市の将来を本当に考える市政運営者であってほしい、市長や議員さんには。

 厳しいなこれからの京都は、当分の間。
 財政ワーストランキングでいつも1ケタですよ。いつだったかは夕張市に次いで全国ワースト第2位の年もありましたし。
 見栄を張ってる場合とちゃーうで、ほんまに。
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2022年08月21日

No.793:「嫌いになった人の数だけ 人から煙たがられ(嫌われ)、好きになったなった人の数だけ人から好かれる」

 創業4年目のある経営者の話です。
 経営者であるAさんは会社を立ち上げた後、予測を上回る売上で経営は順調に推移し、パートを含め7名近くの従業員を抱えるまでに発展した。
 固定客もつき、またいろいろな方面から情報を得たとか評判を聞きつけてと言って 新たな顧客も付き、事業としては稀にみる急成長を遂げた。
 ただ、問題が全くなかったわけではなく、事業が大きくなるにつれ いくつかの問題点もあらわになってきた。
 その中でも一番の問題点は従業員の退職者が比較的多いという点である。
 この会社のトップは俗にいう金儲け主義ではなく、自社の製品をいかに喜んで使ってもらえるのかという点を常に念頭において、一番強い(社長曰く「どこにも負けない」)部分を徹底的の売り込み、そんな中でも商品のレパートリーを増やし、また販売手法も変化を加えながら どんどん事業を拡大されている。
 事業の規模が少しは大きくなったとはいえ、まだまだこの社長の魅力、つまりこの社長の豊富な知識と人柄でこの会社は成り立っているのは誰が見てもわかるところである。
 ここまでの話だけでは順風満帆に見えるのだが、唯一 人(従業員)の使い方でまずいなと思える点が気になっていた。
 端で見ていれば経営者と働く者との関係は良好のように見えるし、事業をしていれば ある程度の退職者が出るのはやむを得ないが、実は今まで4年の間に数こそ覚えていないが、それなりの数の退職者が出てきている。 ここの場合、従業員との関係で次の2つが非常に気になる点である。
 一つはある意味ワンマン社長なので、会社の問題点や従業員の意向が社長の耳に届かない点である。言い方を変えれば風通しの悪い会社なのかもしれない。
 この春先にも 社内規定の範囲内とはいえ結構突然 退職の申し出があり、後任探しにかなりの苦労を要した。私から見てもこの社長は社内の空気を読んでないなと思うことは往々にあり、最後の最後になって初めて社長の耳に入ることが何度かあった。

 二つ目は、最初の話の続きのような内容であるが、その会社にとって結構キーマンと呼ばれるような方の退職が度々ではないが2、3回あった点である 。
 この社長が信頼し、私にも「○○君は、思っていたより何倍も仕事ができ、言うことないわ」と話されていた社員が先日 退職された。
 私はこの特定の人に期待し過ぎたり、仕事を任せ過ぎるのは何かがあった時に逆に弱点にもなりかねないと 何度か指摘していたが、この方から退職の申し出があった時はこの社長はさすがに焦りに焦って、今後の会社の運営方針を変更せざるを得ない状況にまで陥った。
 その後、何度かにわたって求人を重ね、何とか混乱は最小限に抑えられる形で現在に至っているが、この間 他の部署で別の退職者がでたり、新入社員がすぐ辞めたりで本当に“人事”が大変であり、いっときは規模の縮小まで考えざるを得ないくらいの混乱ぶりであった。
 事業は順調とは言え、人のことでつまずくと事業まで影響をしかねないのでここの部分は会社経営の根幹ですよと 何度か言ってはいたが まさに人(従業員)のことを少し甘く見過ぎていた経営者の事例である。  

 最後にこの社長は常日頃から、「○○さんはよく仕事ができて最高や。まああの分野では彼女の右に出る者はいないしな」と最高の賞賛の言葉を口にされることがあったが、思いもかけず この人から退職願が提出されると、「○○さんには裏切られてしもた。過大な評価をして買い過ぎてたわ。」というようなことも何度か口にされていた。こんな場で言うのもなんだが、経営者が絶対してはならないことは「根に持つ」ことかもしれないがこの社長は結構 根に持つタイプのようにも思える。
 確かに期待を裏切られ場合、裏切られた側の気持ちも分からないでもないが、この気持ちが強いと経営って絶対にうまくいかないと思うし、こういう経営者の言動って、残っている従業員はよく見ていることだと思う。
 私自身でも今までこういった思いを抱いたことがないわけではないが、30代の頃 ある先輩から言われたのは、「人間関係で嫌なことがあっても裏切られたといって根に持っては絶対にいけない。嫌なこと、嫌な人のことは根に持つのではなく、しっかりと記憶にとどめておけばいい。その出来事を絶対に忘れないように そして同じ過ちを繰り返さないためにも。」ということである。
 これって人間ってなかなかできないことかもしれないし、私も実行できている自信はないが、経営者である以上 心のどこかに刻んでおきたい言葉である。 自分一人ではどうしようもない、みんながいて会社は成り立っているのだから・・。
 そうそうこんなことを言っている人もいたな、「嫌いになった人の数だけ 人から煙たがられ(嫌われ)、好きになったなった人の数だけ人から好かれる」
 あ〜、難し。
(今日は随分長くなってしまいました)
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする