2020年09月22日

No698:“対コロナ”のキーワードは、「過去を捨てる」、「前例にとらわれない」

 まず最初にお断りです。今日は少し長いですよ。

 私が前の勤務先を退職し、事務所を立ち上げたのが2007年9月21日なので、一昨日で13年を終え、21日からは14年目に入ったことになる。
 私はこの場でも自分の〇周年ということをことあるごとに掲げているので、「節目の好きな廣井さん」となんて思っている方もいるでしょう。
 この毎年必ず訪れる節目は本人以外はどおってことはないでしょうし、私自身も関係している会社や医療機関が〇周年目であろうと正直 「ああ、そうですか」というくらいのものである。
 ただ、私にとっては毎年パーティーをするわけではないが、この節目はまあまあ気にかけている節目の一つである。
 家族の誕生日も何とか忘れずにはいるが、私から何かをするわけでもないし、結婚記念日に至っては何かをした記憶はないというのが実情である。
 また自分の誕生日も祝ってもらったこともないし、声もかけてもらうこともほとんどないので、手帳やカレンダーを見て、「あっ、今日か」とか「そういえば昨日だった」なんて言うことも何度もあるが、50代半ばを過ぎると一応 自分の年齢を自覚しないと、ついつい歳を忘れた恥ずかしい行動をとったり、周りの人に迷惑をかけることがあってはならないので たとえ気付くのが遅れても自覚しておく必要はあるなと感じている。

 休日の最終日に少し真面目な話になるが、事業の立ち上げから現在に至るまでの道のりを1年に1回くらいは振り返えらないと 自分にとって都合のいい方へ、何とか楽する、悪く言えば手抜きする方向へ自分自身を導きがちになる。また、何年か経つと当初の緊張感も段々なくなり、顧問先の方や事務所の従業員からそっぽを向かれたりしていないのか、つまり“裸の王様”になってはいないのかと少し心配になるときもある。
 それと年齢が上がってくると人から注意や忠告を受けることもだんだん減ってくるので、ちょっとくらい立ち止まって振り返る日として、年に一回のこの節目の日は、自分にとっては意味のある日である。

 今年は開業以来というか、私が生まれてから最も世界中が激動した年と言っても過言ではないであろう。これはもちろん新型コロナウイルス感染症の影響によるものであるのは誰しも知るところである。
 少し横道に逸れるが、元アスリートの私にとってはインターハイ、国体、そして春、夏の甲子園が開催されなかったことはもちろん人生で初めてのことであるし、スポーツにあまり興味のない方にとっては関心の順位はそれほど高くないかとは思うが、実は私の中では今年の出来事ランキングのかなり上位になるものばかりである。

 話をもう一度元に戻しますが、
 13年前、私が開業した時、一番に目指したのは人の辞めない税理士事務所であった。
 今の時代、転職なんて当たり前かもしれないし、今 勤めている職場に大きな不満がなくともさらに上、あるいは違う方向を目指したい人は当然のことながら次の職場を探すであろう。
 こういったステップアップしたい人は引き留めようがないかもしれないが、もし 何かの不満があって辞めようという人がいれば、その不満の原因を追求することだけは欠かしてはならないし、少し大げさに言えばそれが経営者の責務であろう。
 顧問先の経営者の方から、「やめたいもんは放っとかんとしゃあないで」という言葉を聞くこともあるが、こんな時、「雇われる側だけでなく雇う側にも何かしら原因があるんと違うの」とか「現実から逃げてない?」(これは口にはしませんよ)と思う時もある。
 大企業ならともかく、中小企業の場合、成長と安定のカギはやっぱり“人”であろう。
 このことは 実は経営者の健康状態にも影響を及ぼしていなと思えることもある。人が安定している会社の経営者はいつも健康そうだし、逆に退職者が多く、常に人の募集をしている会社の経営者は体調も今一つで、気持ちの乗りもこちらに伝わってこないことが多い。

 〇周年の話から、経営や人の話にまで飛んでしまったが、これからはこういったこと以外に、コロナの影響をどれだけ食い止められるかということも各経営者の悩みどころであり、腕の見せ所であろう。この全く先の読めない、また経験したことのない状況下での“対コロナ”のキーワードは、「過去を捨てる」、「前例にとらわれない」 ということに行く着くであろう。
 このようなことは、私のような50代以上の人間が一番苦手なことで、口では言ってもなかなか行動に移せないのも事実であろうが、この一年は、「昔は」、「以前は」、「去年は」という言葉をどれだけ口にせずにいられるかが、ある意味 今後を占う意味でも大事なことである。
 そりゃ、前例が通用しない世の中に変わりつつあるのだから・・・。

 今回は日曜日の更新を少しサボって、この連休最終日になってしまいました。
 では、みなさん 明日からまたがんばりましょう。
posted by ヒロイ at 18:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月13日

No697:結婚式も葬式も 何もかもがなくなっていく

 自宅近くの地下鉄松ケ崎駅周辺から北山駅にかけて教会と一体となった結婚式場がいくつも並んでいて、一応 “北山ウェディングストリート” と呼ばれ休日になると駅周辺は結婚式に招かれた多くの若者や親族の方々で賑わうのが通例であった。特に春、6月、秋の休日はそれはもう結構華やかなものであり、近所に居ながらにして関係のない者までも結構ウキウキさせてくれていた。それがこのコロナが身近な所まで迫って来てからは そういった光景はほとんど見られなくなってしまった。
 知り合いのお嬢さんも春の結婚式を秋に延期されたらしいが、果たして秋にできるのかどうか? 3月の初めにこの近くの式場に人が集まっていると 「大丈夫かこんな時期に大勢集まって?」と思いながら眺めていたし、つい先日は10数名の人が式場から出てこられるのを目にし、「これ以上 延ばせないし、身近な親族だけで何とか済まされたのかな?」 なんて考えながら荷物を抱えてタクシーに乗り込む人を眺めていた。
 着飾った多くの人が集う華やかな光景は半年近く見ていないが、今朝 散歩していると家から一番近いパーティー会場であったレストラン(ビルの1F部分)の撤退工事が完了したかのような状態で今までウェディングドレスが中に見えていたウィンドガラスはなくなり、なんと板が張られていた。
 思わず、「えっ?」と目を疑いたくなるような光景であったが、こんなに長い間ほとんど何もなかったら そりゃ結婚式場も持たんわな と妙に納得してしまわざるを得ないこの半年のブライダル事情である。
 式当日の人だけでなく、これから結婚式をする予定のカップルも休日には何組も出くわし、幸せのお裾分けをもらいつつ、私とは全く関係のない二人を見て「今は結婚した人の3割以上は離婚するので、なんとか7割の方に入りや? 」と勝手に妙なエールを送ったりしていた。

 こんなつまらぬ話は別にして、とにかくイベントというイベントは総崩れで、私とて年に数回あった業界や関連団体のパーティーや研修会付の懇親会も全く開催されない状態が続いている。
 また、この間2人ほど知人やその親御さんが亡くなったが、葬式も結婚式同様、親族以外は参列できず、後になって「故人の遺志により〇月〇日 近親者のみで相い済ませました」というお知らせをいただいた。
 コロナとは関係なくとも 最近ではこういった身内だけで済ませる葬式、いわゆる家族葬も多く、これは生前には社会的にも著名であったり、あるいは会社の経営者であったりしてもこのような簡易な身内だけで済ませる葬式をよく目にするようになっていた。
 そしてこのコロナで更に拍車がかかり、もう多くの人が参列する葬式ってなくなるのではなんて思ってしまうし、街中 あちこちにある葬儀屋さんって、経営的に大丈夫なんだろうかとつい余計な心配までせざるを得ない世の中になってきた。
 結婚式は結婚式で幸せそうな新郎新婦やご家族の様子を見ることでこちらまで幸せな気分に浸ることができるし、葬式は葬式で、その亡くなった方の遺影を見ながら手を合わせると、生前の姿を思い浮かべ 感謝したり、反省したり、至らなかって点を心の中で詫びたり、葬式に参列する意味もそれなりにあるものだと常日頃から思っていた。
 ただでさえ時代的にこういった他の人の人生のイベントに巡り合う機会も徐々に少なくなってきていたが、このコロナ禍で益々 拍車がかかってきているというのが実態である。

 こういった冠婚葬祭だけでなく、音楽、演劇、そしてスポーツ等は今や鑑賞や観戦の機会さえもなくなりつつある。
 こんなことを考えていると今までのようないろいろなことが当たり前のように行われていた世の中に果たして戻るのだろうか、あるいは、これからは今のような 自粛と抑制の世の中が続いていくのだろうか? と考えていると何だか落ち込んでいってしまう。

 こういった結婚式場、葬儀屋さん、芸能・文化芸術関係、スポーツ関係の仕事をしている会社も個人はどこまで持ちこたえられるのかなと、今まで考えたこともないことを考えないといけない世の中になってしまっている。
 1、2年後には、「あの時はほんまに大変やったな」と言える日が来るのことを願いながらも全く先が見通せない日々である。
 とにかく みんなが何の心配もせず集える日が来るのを楽しみに毎日を送って行くしかない。
 そうそう あと5日仕事をすれば4連休。休みが多くて何が何だか分からなくなってるけど・・・。
posted by ヒロイ at 21:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月05日

No696:子育てにほとんど参加しなかった代わりに・・

 私には3人の子供がいるが、今から思えば子育てに関してはカミさん任せでほとんど関わることなく3人とも社会人になってしまった。
 この夏には長女も結婚し、家を出たので、今では家にはカミさんと愛犬ぽぽたんの3人での生活である。
 ここでも何度か触れたことがあったが、子育てがほぼ終わったカミさんの関心はもっぱらぽぽたんで朝の散歩から始まり、就寝までべったりである。
 私から見ていると、ぽぽたんの方からべったりなのか、カミさんの方からべったりなのか判断しづらいが、ぽぽたんは長い昼寝とカミさんが事務所にきて仕事をしているとき以外は家の中でもまるで赤ん坊のように後を付け回している。
 朝も夏の間は、私が6時半頃に自分の部屋からリビングに行くと、2人(カミさんとぽぽたん)の姿はなく、既に朝の散歩に出かけてしまっている。
 夜は夜で暑い日が続いているので散歩の時間がずれ込み、遅い日だと6時半くらいから8時過ぎまで散歩に出ており、当然 夕食の用意はその後であるし、私が8時頃に帰宅した時でも家の鍵がかかっていることもある。
 こんな愛犬とカミさんの関係であるが、私も土日で家にいる時は散歩に出かけることもあり、実は週末の楽しみの一つになっている。
 手入れが大変な犬種(ビションフリーゼ)なので基本的には水遊びはさせないようにしているが、先週の土曜日には定番の宝が池での散歩中にすぐ近くを流れている高野川のそばまで行くと 自分から川の方へ走っていき、まるで「入ってええか?」と言わんばかりに何度かこちらを振り向きながら、一目散で川につかりに行った。
 20分近く水遊びをさせた後、カミさんが家でぐちゃぐちゃになった毛の手入れをし、ご飯を食べた後は、なんと今までにないような高いびきで眠り込んでいた。
 今年最初で最後の水遊びで、体もくたくたになるくらい楽しかったのであろう。
 私からはその寝顔が何とも満足げに見え、これって小さい子供といっしょやな とあらためて思った。

 子供が小さかった勤務時代、仕事からの帰りが遅かったこともあり私が帰った時、テレビドラマのシーンであるような子供が玄関まで飛んでくるような経験は一度たりともなかったが、今度は愛犬には出迎えてもらおうと妙な期待を持っていたがそれもなかなか実現できていない。
 カミさんなんか15分程近所に買い物に行って帰ってきただけで飛び跳ねてくっついてこられているが、私の場合、部屋に入ってきても体さえも起こさない。顔をこちらに向ければまだいい方で、目だけでこちらを追っていることもあるし、時には全く無反応の時もある。
 「これって3人の子供たちといっしょやん」と思いながらも、「明日こそは振り向かせるぞ」と妙に意地になったりしている自分に気づくこともある。

 今日は愛犬との何気ない日常を綴ったが、もしカミさんと2人だけだったらもっとギスギスしていただろうし、夫婦間で何かおかしな雰囲気になっているときは、まるで「あんたらいつも言い合いばかりしてたらあかんで」と言わんばかりにじっーとこちらを見ているときがある。
 50代半ばになって初めて犬を飼ったが、近所の飼い主と話していて、ワンちゃんのことを必ず「うち犬は」ではなく、「うちの子は」と話をされるし、「家族4人で」という中にワンちゃんも入っているときもある。
 今まで年賀状の家族欄に愛犬の名前が書いてあるのを何とも不思議に眺めていたが、ここに名前を連ねたくなる飼い主の気持ちも少しではあるが分かってきた。
 いずれにしても人間の心を豊かにしてくれていることには違いない。

 今日は朝に続いて夜もいっしょに行けそうなのでそろそろ準備でもしようかな。
 では、日曜日から月曜日にかけて台風が大変らしいですが、気をつけてお過ごしください。ただ、今日の京都は真夏と変わらないような暑さでしたが・・。
posted by ヒロイ at 17:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月30日

No695:大学生がいなくなった学生の街

 今から7年前の2013年に事務所を丸太町から現在の今出川に移転した。
 どちらも地下鉄の駅から数分の所にあり、駅も一駅違いであるが、今出川に移って丸太町とは随分 街の様子が違うなと思ったのを覚えている。
 丸太町は京都府庁、京都府警それに日赤病院など多くの公的機関があり いわゆる勤め人が多かったが、今出川は駅を上がった所に同志社大学があり、まずはその学生の多さに驚いた。
 大学があるので当然といえば当然のことであるが、何十年も前から大学は同じ場所にあるのに自分が通っていた40年近く前とは別の場所のような気がして妙に新鮮に感じたものである。
 お店も学生の胃袋を満たす牛丼やラーメンの店、おしゃべりするためのカフェ、それに学生にマンションを斡旋する不動産屋など学生街ならではの街の風景がそこにはあった。2013年には法学部や経済学部などの文系学部が京田辺キャンパスから今出川キャンパスへ移転となり、学生も8,000人が移ってきたので特に不動産屋が増えたという印象がある。
 その後、溢れんばかりの外国人観光客はホテルだけでなく近く民泊の利用者も多く、ただでさえ狭い今出川通の歩道部分はキャリーバッグを引きながら外国人が学生の合間を縫って歩くという凄まじい密度の濃い一角となっていた 。
 昨年の秋まではこれにレンタサイクル軍団、特にイスラム系の人が多かったのも記憶に新しい。
 ここに今から7、8ヶ月前の今出川の光景を紹介したが、今では外国人だけでなく学生の姿もほとんど消えてしまったのが今の今出川界隈である。
 コロナの緊急事態宣言の時はほとんどの店が休業状態であったし、解除後に開いた店もあるが なお閉まったままの店もある。
事務所の近くにあり、たまに利用していた定食屋(夜は居酒屋)も店が持ちこたえられないということで9月末で閉店されるようである。

 さてこんな状況ではあるが、いよいよ9月から大学は再開 というのが春先から夏までの大学側の見解であったようだが、現時点ではWebでの授業もかなり残しながらの再開で完全な再開には程遠いような感じである。
 同志社以上に学生数の多い立命館大学では学生のアルバイト先の減少で生活苦に陥り、学生の約1割が退学を考えているというニュースを目にしたが、受験を終え、念願かなって晴れて大学生になったにもかかわらず、大学には春以降一度も行くこともできず去らないといけないなんて、むごい、かわいそうというだけでなく日本の将来にも暗雲が立ち込めるような感じもするこの事態である。
 また、4回生も仮に1年間ほとんど大学に行かずして社会に放り出されることになれば、学生たちは果たして社会人としてやっていけるのだろうかとか、大学生になったばかりの新入生は友達と接することなく5ケ月近くが過ぎているが、まだ大学での友人は一人もできていないなんていう子もいるのかもしれない。特に地方から出てきた人は大学の授業やクラブに行って初めて新しい友達ができるものなのに・・・。私もそうだったし。
 我が家にはもう学生はいないが、もし自分の子供が大学に通っていたら、通常の授業も受けさせてもらえないのに高い授業料を払う側も何ともやりきれない気持ちになってしまうだろうなと 親の方の大学に対する想いも今までとは大きき違ってくるように思う。
 このコロナに関しては、まだまだ先が見通せないし、誰のせいでもないのであたる所がないが、一日も早く日常が戻ることを願わずにはいられない。
今では、「今出川、人が多過ぎるやん。」と不満を言っていたのが懐かしいというか、まるで1年以上も前のことのように思えてくるのも、今の状況に慣れてしまっているからなのかもしれない。
こんな学生街の光景が全国のいたるところで見受けられるのであろうが、非日常=異常が日常になりつつある日本、いや全世界はどうなっていくのであろうか。
全く想像すらできない今の世の中である。
posted by ヒロイ at 11:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月23日

No694:悩まない経営者に明るい光は絶対に見えてこない

 今日も結構刺激の強いタイトルをつけてしまったが、このコロナ禍で多くの経営者が悩み苦しんでいる中、経営に対する姿勢や洞察力(今後を見据えた考え)、それに従業員に対する思いなどは平時より今のような厳しい環境の時の方がかえって経営者としての差が顕著にあらわれるように思う。

 コロナという問題で世間が騒ぎだしてから半年近くが経過していく中で、新型コロナウイルスの感染状況や世の中の動きが好転するのをじっと待っている人もいるし、今回は誰が悪いわけでもなく全世界がコロナに襲われたわけであるから、これを“運”で片付ける人もいる。
 こういった考えも決して間違ったり、歪んでいると言えるものではないが、「何とかならないものなのか」とか「何とか打てる手はないのか、少しでも可能性があれば。」と悩み抜いたうえでいろいろな対応を模索されている経営者もいる。
 最終的に解決に至らなくともこの“悩む”ことが非常に大事で、こんな時 “悩む”ことも経営者としての義務のひとつであろうし、それは決して無駄にはならず、悩んだ分だけ必ず何らかの形で報われるというか、悩んだ分だけ物事が前に進んでいっているように思う。
 この悩んだ人とそうでない人というのは、その差は1年も経てばこれまでの1年以上に大きな差になってくるであろうし、悩みなくして成長なんてあり得ない。
 こういう難しい局面では経営者は次の3つのことに注力することが、難局から這い上がれるポイントのように思う。

@専門的な技術を高めること
・商品のレベルアップ、医療技術の向上、料理の腕前等、自分属する分野の本道にもう一度磨きをかける。最終的には自分が誰よりも優先して選んでもらえるくらい。

A労務管理がきちんとできている
・従業員の協力なくしては何も成し遂げられないと思う。不満や不安がある従業員の意見も顔を背けずに真正面から向き合う。どんな重い話でも逃げては何の解決にもならない。

B事業に関連するあらゆることに関心を持つこと。
・これは好き嫌いを超えてまさにすべてのことに対して、面倒くさがらずにあらゆる情報に目を通し、吸収することである。この中に一つでも二つでも自分の経営に役に立つ話が潜んでいるはずである。

 一人の経営者が@ABの全て成し得るのはなかなか難しいが、できるかどうかということよりもこういったことから逃げない姿勢が大事であるということである。
 中にはこんながっかりするような発言をする経営者もいるので、自分自身の反省も含め掲げておくと(これを読んで気を悪くしている方もいるでしょう、私が実際に耳にした言葉ですから。もし気を悪くされた方がいらしたらお許しください。ごめんなさい)。

・「どうせうちなんかこんなもんでこれ以上伸びないよ。」
・「今の状況は何したっていっしょやし、動くだけ無駄だと思う。」
・「従業員なんていずれ辞めるんやし、必死に守っても仕方ない。」
・「しんどいのは経営者だけや。雇われている身は気楽でええな」

 物事をこのように決めつけてしまえば、開けられる道も開くはずがないが、本来 経営者は従業員が1人でも10人でも100人でもそして1万人であっても常に光のある方へ向かって模索することが求められている。

 経営者自身が自分の非や実力不足を感じたら、こんな時こそ それを素直に認め、次への道を見つけ、絶対に現実逃避をせずに向かっていくことが必要である。
 今、悩んでいない経営者なんてどこを探してもいないはず。悩まない人間には絶対に光は差しませんから。
 最後に経営者は絶対に人のせいにしてはならない。これはすべてにおける鉄則です。
 
 重い話ですが、これくらい真剣に考えないと目の前の難局はそう簡単に乗り越えられないと思います。
 もう一度言います、どんなことも絶対に避けてはなりません。
posted by ヒロイ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

No693:私は受け入れられない この2つのこと

 7月下旬に吉村大阪府知事が、新型コロナウイルスが再び拡大しているので、5人以上での宴会や飲み会を控えるよう大阪府民へ要請した。
 それに前後して何でも二番煎じで自主性のない、いや各方面と協議を重ねた上で慎重に物事を進める京都府でも飲み会は2時間以内という時間の制限を設けたし、他の自治体でも騒がずに静かに食事をするよう求めるところがでてきた。
 今のご時世 仕方のない措置であるが、こういった制限を受けてまで食事やお酒を飲みに行かなければならないのかそこの辺りが私にはどうも理解できない。
 それと最近“オンライン(Web)飲み会”というのを耳にするのでどんなものかを確認してみると、自分のパソコンやスマホを通して遠く離れた友人たちと飲食や飲酒を楽しむことらしいが、正直何それ?と思えてくる。
 オンラインを使ってのWeb会議なら必要なことを電話よりもう少し臨場感をもって進められるというメリットは感じられるし、今では結婚式や葬式でもこういった形のものが出回りつつあるらしいが、これらは遠く離れていてもカメラの向こうの式典がLIVE(生)で見ることができるので、考え方によってはその中に入り込むというか遠目で眺めることはできるので、決して無意味なものではないように思う。
 また、最近では三密を避けるという観点から従業員の採用面接がWeb上で行われるケースもあるらしいが、これも移動や面談でのリスクを避けるという点ではやむを得ないような気もする。
 ただ、さすが飲み会は???と ?が3つ、?????と?が5つもいてしまうくらい頭に中でイメージができないし、本当に楽しいのかなと思ってしまう。
 先日、学生時代のクラブ仲間が大阪に集まり、当日大阪に行けない者(私もこの中の一人)はWebで参加という話がきていたが、私は全く気がのらなかったので「Webでの参加もできない」と事前に幹事に連絡しておいた。なんでわざわざ京都の自宅から大阪梅田の飲み会にパソコン上で参加しないといけないのか 訳が分からんしそんな無駄な時間を費やす気にもなれなかった(幹事さんごめんなさい)。気心の知れた仲間との飲み会というのは目の前の者とつまらぬ話も交えながらワイワイガヤガヤとすることに参加した意味があるようにも思うのだが・・「こいつ髪の毛薄くなったな」と意味のないことも考えながら・・。 みなさんこういった私の考えって古いでしょうか?
 こんな考えだから、最近は夜になるとゆっくりと一人で飲む酒にはまってしまっていて、ついつい規定以上に酒量が増え、飲んでいる延長線上でそのままベッドに入り、いつ寝たかもわからないという日が週のうち何日かある。ただ、これって酒飲みにとっては究極に贅沢な酒の飲み方なのかもしれまいが、体にはよくないのでしょうかね。

 話は全然変わるが、あともう一つ不思議というか、何これって? と思うことがある。
 同業者(税理士)が新聞や雑誌などの広告に登場したり、インタビュー受けた後、掲載用写真のポーズが腕を組んで仁王立ちしているのが目立つことである。特に若い税理士に。 
 「資産税に強い税理士〇〇〇〇」とか、「税務調査に強く安心できる税理士」とかという見出しで税理士を紹介していて、写真の多くがなぜか腕を組んだものであるが、これってわざわざ腕を組まないといけないのか といつも疑問に思うし、中にはこの税理士って本当に実績があってすごい奴(丁寧にいうとここは「人」というべきか)なんだろうかと真の実力をついつい疑ってしまう。
 というのも私の知っている尊敬できる数名の税理士は誰もがその人のことを実力があると認めているが、何かの機会に雑誌に紹介されるときは腕や手はごく自然に体の横に沿わしているだけである。
 こういった優れた税理士の格好(ポーズ)を見ているので、腕を組む税理士っていったいなんぼのもんなんと思ってしまう。中には本当に実力のある人もいるのですべてを否定しているわけではないですよ。
 ちなみに腕を組む人というのは一般的に威圧的に感じるし、勝ち気で頑固者というイメージがある反面、自分自身の内側は相手を警戒し、悪く言えば必要以上に自分を大きく見せたい人、あるいは見せなければならない人 という風にとらえられると思う。
 だから、何事も普通で自然なのが一番であるし、それが一番安心できると思っている。
 こんなことを言っている私もある方から「最近 偉そう」と言われ少しショックを受けたが、こうして口に出して言ってくれるうちならまだ軌道修正が可能だし、何とかなるのかなと勝手に思っている。
 裏を返せば、「あの税理士、偉そうにしとるし、何言っても無駄だし、口をきくのもいや」と言われた時には、この職業を続ける意味がなくなっているんだろうなとも思う。

 思っていることを好き勝手に綴ってしまいましが、今日はこの辺でお終いにしておきます。
 突然のような終了の仕方ですが、そろそろ体を休めることにします。明日は久しぶりの出勤ですので。
posted by ヒロイ at 23:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月10日

No692:いつ死んでもいい覚悟と100歳まで生きる覚悟

 今回も妙なタイトルをつけてしまったが、タイトルは書きたいことを綴り終わった後に内容を読みかえしてつける場合もあれば、内容についての細かなことは決まっていないが今日はこんなことを書いてみよう、あるいは書いてみたいなと思いをめぐらしながら まずタイトルを先に決めて そのタイトルに沿ったことをまとめ上げていく場合とタイトルをつけるタイミングは大きく分けてこの2つのパターンがある。
 ちなみに今回は後者で、まだ内容についてはまとめられてはいないが、このタイトルに関して今考えていることを綴ってみようと思ったので先にタイトルを決めた。
 今回のコロナ騒ぎの中、何名かの著名人がコロナの感染で亡くなったが、私がまず著名人として頭に浮かんだのだ、志村けん、岡江久美子、オムロンの立石社長の3人である。この人たちご本人はまさか自分がコロナで死ぬとは思ってもいなかっただろうし、周りの人も全く予期していなかったことであろう。
 亡くなる前にしておきたかったこと、言っておきたかったことを何も行動に移せなかったのが今回のコロナによる死であるが、今回のコロナによる死 以外にも、突然の事故や災害により亡くなった場合にも死の準備なんて、亡くなる本人も残された者も全くできていないのがほとんどであろう。
 こういった人たちの死を目の当たりにし、人生について考えてみると 少し大げさかもしれないがいつ死んでもいいという覚悟をもって生きていくことも我々 現在生きている者にも求められることなのであろう。
 とはいっても今生きている人間の多くが、余命○○年、あるいは○○ヶ月と宣告を受けていないであろうし、こんな場合、人生を終う準備なんて到底出来っこないことである。
 ただ、できるのは(少し現実的な話になるが)まだ子供が小さい場合にはこの子供たちが成人に達するまで親として何をしておくのかとか、歳をとった自分の親が健在な場合には、将来 誰がどこで面倒を見てくれるのか、また事業をしている方は自分の亡き後、会社はどうなり、そこで働く従業員はどうなるのかということも考えておかなければならないが、ここまで用意周到で亡くなった方は今までほとんど例がないというのが実態であろう。
 よく、「生命保険に入っているので、死んだら借金はチャラ(なしになり)」という人がいるが、確かに借金はチャラになるが、残された人の生活は更なる保険での保障がない限り、大きな意味でチャラとはいえないであろう。

 次に100歳まで生きる覚悟というのは、病気になったり、認知症になったりしても生がある限り生き続けなければならないということである。
 若いうち(主に50歳くらいまでか)は、「80歳まで生きたら十分」なんて言うことを多くの人が口にするが、これも思うように死にたい年齢で死ぬことができるなんてまず無理であろうし、元気な状態で80歳を迎えられたら あと5年くらいは生きていたいと思うのは人間として当然のことであろう。まして、配偶者、親、それにまだ未成年の子供がいるような場合であれば、少しでも長く生きていたいというか 長く生きていなければならないことだってあるかもしれない。
 先日、安楽死のことが新聞紙上を賑わしていたが、生きることも死ぬこともそう簡単にできることではないということである。
 今日のタイトルのように思いどおりには生きられないが、毎日の生活を悔いなく生きることこそ大事なのだろうなと思った次第である。

 今年の夏は多くの行事がなくなっているし、秋以降も同じ傾向は続くであろう。
 いつから始まったか分からない夏休み、帰省も墓参もままらなない盆休み、20年近く通い続けていた夏の甲子園、“大”の火が点かない大文字の送り火、そして秋の修学旅行も多くが中止か大幅な予定変更となりそうで滋賀県のある小学校は奈良までバスで行って、宿泊は滋賀県に戻って地元でお泊りらしい(県外泊なし)・・ただ これも取りやめになるかも。そして我が家でも東京にいる長男は仕事で動けないが、嫁だけがお盆に京都に行きたいと言っていたので、来る予定であったがこれも“東京の人”なので移動自粛のため取りやめになった。
 何かにつけ異例ずくめの夏であるが、実はもっと恐ろしいのがこれが異例でなく定例・慣例になってしまったときであろう
 お盆の帰省も墓参もなし。修学旅行も運動会もましてや入学式、卒業式、そして成人式もなし。最近ではお葬式も結婚式もなしと何もかもないないずくしであるが、果たしてこれらのことは今後 復活するのであろうか。
 今回の収束の見えないコロナ騒ぎでは予測すら立たない。

 話が本題からは横道にそれたが要はいつ何が起こるか分からないので、今をしっかり生きようということ。
 今日はお盆前の3連休中であったので遅くなってしまったし、いつも以上に長くなってしまったが、例年と違う夏、そしてお盆中に少しだけ人生そのものについて考えるのもいいのかもしれない。
 だって、いつもいろいろなことに追われながら、惰性で生きているというとこもあるでしょ。 私自身がそうなんですから・・・。
posted by ヒロイ at 01:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

No691:経営に好みを持ち込まない

 経営者、中でも中小企業のトップはいろいろなことを自分ひとりの判断で決めることができる場面が多く、当事務所の顧問先もほとんどが中小企業であるので上記のような形態が当てはまる。
 夫婦や親子だけの親族経営であればそれほど気を使う必要はないが、親族以外の人を雇用している場合に独断で物事を決めると思わぬ問題に発展することもある。
 特に人の採用や評価について少しおかしいのではと思った人事を何度か目にしたことがある。
 もう少し掘り下げていうとトップの“お好み人事”が問題を引き起こすことが多いが、一体 この“お好み人事”の問題点はどこにあるか分かりますか?
 それは好き嫌いで人事評価をしたり、給与を決めるので、基本的には正当な評価ができていないと思われることがあるし、中には経営者の“好み”が露骨にあらわれていて「この評価なに?」と感じるケースもある。
 “好み”で判断することを全て否定するつもりはないが、この“好み”というのは優しい言葉を掛けてくれるというような自分にとって都合のいい態度で、経営者のとってだけの心地のよさを醸し出してくれることに他ならない。
 つまりここが問題で かつ 経営者が陥りやすいところである。
 そりゃ心地よく経営(運営)したいのは誰しもが望んでいるところではあるが、心地のよさだけで前の進められるほど経営は甘くないし、事業の対象は自分自身でなく、相手、つまりお客様であるので、経営者だけが心地よくなったところで何のプラスにもならないことは誰にでも分かることである。
 こんなことあたりまえのことであるが、なぜか多くの経営者はこの居心地のよさにぐらっとくるのである。裏を返せば経営者って結構 孤独だからついつい心地よさを求めてしまうものである。
 でも、どこを探しても完璧な人間なんていないわけであるから、自分の弱点を補ってくれたり、間違った方向へ行きそうな時に、「それって、ちょっとおかしいですよ」と指摘してくれることは非常に大切なことである。
 そういう意味において、経営者にとって自分のことを客観的に見てくれる人がそばにいるかどうかが企業が成長するか、一定のところで足踏みするのかの分かれ目のような気がする。

 人事評価に話を戻すが、本当に会社全体のことや会社の将来を考えて行動しているかどうかが査定のポイントであり、それは単純にお気に入りや心地よさを評価基準にするのとは大きく異なってくる。
 時には冷酷に、時には優しくするという硬軟織り交ぜてする評価こそが、正当な評価、つまり評価の神髄であり、それが会社経営のポイントといってもいいのであろう。
 このようなことを実行に移すことはなかなか難しいことではあるが、私の周りには成功事例だけでなく、まずいなと思えるもいくつもあるので、何とかいい事例をまねながら事務所経営をいい方向へ導いていきたいと思っている。
 当事務所にはいないが、経営者に甘くて優しい言葉を投げかけてきて、経営者の心地よくすることだけに長けている従業員、これを見抜き、厳しい評価を下せる経営者こそ成功する経営者ともいえるであろう。
 経営者はこういった目や心を持ち合わせないといけないのであろうが、逆に経営者自身がそこまで達しないところに経営を続けていく意味合いがあるようにも思うし、完成した経営、揺るがない経営なんて存在しないので、そこをいつまでも追及し続けることも経営の醍醐味でもある。
 偉そうなこと言っているが、要はまだまだすべきことは山ほどある、というのが今日の結論である。
 ということで、明日からもがんばります。
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2020年07月26日

No690:多い休日、何して過ごす

 事務所は7月23日(木)から今日まで4連休である。
 コロナさえなければ、今頃 東京オリンピックの開会式も終わり、さあいよいよ各競技スタートということで日本中が熱狂の渦に包まれていたかと思うと、元アスリートとしては何ともやるせないというかこの状況が悔しくて仕方ないというのが今の心境である。
 この連休も本来であればオリンピック休暇であったはずが、梅雨のさなかの何のあてもないただ単に休みが4日間続いただけというものであった。

 私自身は溜まりに溜まっていた仕事を少しでも前に押し進めたかったので1日半は事務所でいくつかの確認作業を行っていた。
 また、今日は相続案件の最終段階の親族間での打ち合わせの日であったので、朝から親族が集まられるご自宅へ訪問した。
 細かな内容についてはここで触れるわけにはいかないが、亡くなられた方の奥様(80代後半)とその娘さん2人 計3人による遺産分割の話であったが、比較的和やかに揉めることもなく1時間ばかりで終了した。
 3人とも、『お父さんがしっか働いて育ててくれて、財産まで残してくれたなんて、本当にいいお父さんやったね。』と感謝の気持ちを口にされていた。
 相続税申告の業務を請け負った場合、当然のことながら 節税策を練り納税額が抑えることも重要であるが、親族間で揉めることなく遺産の分割が決まるということも非常に大事なことのように思う。
 そういう意味では今日はいい家族の形を見ることができ、なんだかすがすがしい気持ちになって帰ってきた。

 話を休日の過ごし方に戻すが、私が社会人になった頃は土曜日が隔週で休みだったし、今ほど休日もなかったので連休にでもなると必ず遊びの予定を入れていたし、3連休ともなるとどこかへ遠出したり、旅行の計画を立てたものである。
 そうそう当時は土曜日は午前中だけ仕事で、午後から休みという“半ドン”なんていう制度もあったが、今やこの“半ドン”なんていう言葉を知っている人は一定の年齢以上の限られた層なのであろう。
 現在のような休みが多いのを否定するつもりもないし、自分自身の体も週休二日に馴染んでしまっているが、実はこの非常に多い休日の過ごし方がいろいろな意味において重要なんだろうなと思えてくる。
 休養と趣味のような自分のやりたいこと、それに少しは仕事の役に立ち 自分を高めるための時間、この3つをバランスよく保てたらいいのだが、なかなか理想どうりにいかないのが私の休日の過ごし方である。
 ついつい休日明けにどっと押し寄せる仕事が気になってそのことに時間を費やしてしまうことが多いが、これから充実した人生に送るには仕事以外のことにも時間を費やすことが必要なのだろうし、現実には思いどおりにはいかなくてもこういう理想を持っているかどうかで人生の中身は随分違ってくるように思う。そういう意味では子供に時間をとられることがなくなった今こそ、自由に時間を使いたいものである。
 いくらあっても足りないのが時間であるが、もし暇で暇で仕方がないような毎日であれば それはある意味つまらない人生なんだろうし、多少イライラ、ドキドキしながら過ごす方が中身の濃い人生なのかもしれない。
 明日からは7月最終の週で、やり残したことを片付ける週になりそうなので、何とかいい形でキリをつけて8月を迎えられるようひとまずは目の前にあるスケジュールをこなしていきたいと思っている。
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2020年07月20日

No689:「引退」とい言葉の重み

 「引退」という言葉を聞いてみなさんは何を考え、誰を想像しますか?
 スポーツ選手の引退は年齢からくる体力の衰えによるものがほとんであるが、中にはまだプレーできるのにと惜しまれながら引退した選手もある。
 前者はほぼ限界までプレーを続けたイチローや野村克也などが思い浮かぶし、後者では野球の江川投手やサッカーの中田英寿選手、それに最近ではレスリングの吉田沙保里や卓球の福原愛などが頭に浮かぶ。
 後の4選手なんかは周りから見ればまだできるのではと思えたが、本人にとっては体力だけでなく気力も含めて限界に達していたのだと思う。

 経営者の場合は、まずは自分が退くと思わない限り、なかなか他人から引導を渡され引退するというのは経営不振の元凶であったり、何か社会的に大きな問題を起こさない限りなかなかないというのが今の日本社会であろう。
 我々のような中小企業の経営者も引き際を考えないわけではないが、今まで「〇〇歳で引退するのが夢」とか、「〇〇歳以降は気ままな自由な生活を送りたい」と言ってきた人で宣言どおりに辞めた人はほとんどといっていいほどない。
 一度は代表取締役社長を他の人に譲りながらも再び社長に返り咲いたユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井社長や社長の座は譲ったもののいつまでも自ら創業した会社の経営に君臨し続ける日本電産の永守会長の姿はすごさや鋭さだけでなく、どこか悲哀なものを感じるのは、どちらも70代にして自分が育て上げた会社を任せられる真の後継者が見つかっていないこともそう思える要因のひとつであろう。
 こんな姿を見ていると、後継者選びと引退ということの難しさをひしひしと感じてしまう。

 よく使う言葉で「まだ」と「もう」という言葉があるが、この両方の言葉を場面に応じてうまく使い分けられる人間がいい形での継承や引退を迎えることができるのではないかと考える。
 企業そのものの置かれている状況や社長の立ち位置によっては、「まだ、○○歳なのでもうひとがんばりしないと・・」と思うと同時に、曲面や状況が変われば、「もう、○○歳だから後進に道を譲らねば・・」と潔い退き方も必要となってくるであろう。

 私は「もう58歳」だが、「まだ58歳」でもある。 年齢からくる衰えもないわけではないが、価値を見出してもらえる年輪と言われる部分とをうまく絡ませながら日々生きていってこそ、必要な人間になれるのであろう。
 まだ、仕事は続ける以上は「〇〇歳で辞める」なんという言葉は、「何が何でも辞めるぞ」という気持ちが固まるまでは口にすべきでないと思っているし、すぐに「辞める」と口にする者ほど信頼できないように思ってしまう。

 実は以前 「辞める(引退する)」言ったはずのあの小室哲哉が芸能界に復帰するというニュースを先ほど耳にしたが、“ああいう人” もっと悪い言葉で言えば“あいつら”にとっては「引退宣言」って何の意味を持っていたのであろうかと思ってしまう。
 こんなのを見ていると辞める時は、「もう復帰はなし」と言い切れる時になってはじめて引退(退任)宣言をしたいものである。
 私は日本にはまだまだ“引き際の美学”があると思っている古い人間の一人かもしれないが、いつかやってくる“退く時”には、やはりいい退き方をしたいと思っている一経営者である。
 「引退」。これこそ人間性が一番表に出る、人生の集大成であるのではなかろか。
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2020年07月12日

No688:コロナ後が見えない

 コロナ、コロナと騒いでいるが、ここにきてコロナによる異変に段々慣れてきた感じがする。
 集団での研修会、一定の以上の人数で行う食事会、無観客あるいは観客のほとんどいないスポーツイベント、バスや電車そして飛行機を利用しての団体旅行・・・など 今まで何の疑問もなく普通に行われてきたことが、今や常識的な行動ではなく、誰もがとらない行動となってきている。
 私の自宅から10分ほどのところにある京都コンサートホールも昨日ワンちゃんの散歩で前を通りかかったが人気もなく、ホール1Fの事務局だけ電気がついているし、松ヶ崎の自宅のそばにあるいくつかのチャペル付の結婚式場もここ数ヶ月人気はなくひっそりとしている。
 あと事務所の近くの同志社大学も門を閉ざし、一般の人は入構さえできなくなっているし、通常であれば2万人近くが通うはずだが、春以降 学生の姿をほとんど見かけない。
 他にも本来なら考えられない光景(風景)が今や当たり前になりつつあるし、何が日常なのか、今までどうだったのかということさえも忘れそうになってしまうくらいコロナ後の状態が段々 日常になりつつある。

 ここまで コロナに関しては、「夏には」とか、「秋には」なんて淡い期待を抱かなかったわけではないが、ここへきてもうそんな期待さえもしなくなった自分、そして世の中が目の前にある。
 こんな中で自分や家族そして事務所の将来や今後の生活や仕事のスタイルなど 先のことを考え出したらキリがないが、こうなったら自分なりに何らかの見通しを立て生き延びていくしかないのではと思うようになってきている。
 そのためにはいろいろな情報を漏らさずにインプットし、日々 いろいろなことに乗り遅れずに過ごしていくことが今まで以上に必要となってくるし、「今までは」とか「過去においては」なんていう概念も無意味なもののなってきつつある。
 今までは会社も自分も一定の幅の中に納まっていれば大きな失敗はなかったが、これからはこの一定の幅が今までの半分か3割くらいのものになり、人並みに生きていくのも一苦労である。
 ここへきて、まさかまさかの50代終盤からの残りの人生である。

 今日は抽象的な話が多く、何が言いたいか分かりにくい面もあったかもしれないが、何気なく生きているとひどい目に合うんじゃないかなという、非常に大きな恐怖心を抱かざるを得ない ということが言いたかったということである。

 本業の税務面においても税務署が行う日常業務の税務調査も長時間、面と向かっては行えないかもしれないし、確定申告時期の個別相談も今後 不可能になってくるかもしれない。
 本当に行政も今まで経験したことのない状況に立ち向かっていかなければならないが、果たして立ち向かって処理していけるのであろうか。
 今や何を考えても頭がくらくらするくらい、解決できないことばかりである。
 ちょっと立ち止まってゆっくり考えてみると、怖〜い世の中に向かっているとしか思えない今の状況である。
 「まずは目の前にあることから」 そんな当たり前のことを考えている自分である。
 では、明日からまた世の中が動き出します。どっちを向いてかはわかりませんが、何とかやっていきましょう 前を向いて。
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2020年07月05日

No687:”肌感覚”で こんな時 どうするのがいいですか?

 新型コロナウイルスの感染拡大も少しは収まりつつあるのかなと思ったのも束の間、拡大とまではいかないにしても収束という状態が遠ざかっていくここ数日の報道を見ていて、他の多くの国と同様とはいえこの出口の見えない状況に苛立ちさえ感じてしまう毎日の感染者数の人数である。

 こんな状況が続く中、今までどおりの経営手法で会社やクリニックの運営が問題なくスムーズに進めていけているところは数少なく、営業時間の短縮や人員配置の見直しに始まり、販売する商品そのものの再検討であったり、クリニックにおいては診療方法の変更を余儀なくされているところも少なくない状況である。
 我が事務所も多くの税理士事務所同様、顧問先ごとに担当制をとっているので私自身が定期的に訪問できていない顧問先もあるが、ここ数ヶ月、あるいは1年近く話すらしてなかった経営者や院長から、直接 私の携帯に連絡が入ることがある。
 必要資金調達のための金融機関との交渉や提出書類の準備、あるいは今 話題となっている雇用調整助成金に絡む必要書類の依頼や準備については担当者サイドで説明し、順次 手配を進めているので問題ないが、私の所へ直接連絡があるのは休業(スタッフの間引き勤務を含む)するのかどうかとか、このタイミングでお金を借りておくべきかどうかなど、今後の経営にかかわる判断をする上での経営者の“肌感覚”としてどうなのかを聞きたいという問い合わせや確認が多いように思う。
 この“肌感覚”というのは経営をシミュレーション等の数字上の観点から捉えるだけでなく、まさに“肌で感じとれるもの”ということで使い方によっては非常に都合のいい言葉であり、まさにニュアンスでは?ということを含んだものともいえるであろう。
 例えば追加融資を受けたあと、当然のことながら資金繰りには余裕が生まれ、毎日 預金通帳の残高を心配しながらの経営からは一時的には脱却できるし、スタッフのことにしても勤務時間の短縮により支出金額を抑えることができ、こちらもある程度即効性が期待できる。
 ただ、この資金が経営者の心に余裕を持たせるだけにとどまらず、油断になりかねないという落とし穴がある。
 また、スタッフのことにしても経営者との関係において、深い信頼関係が築かれていたものが勤務時間を減らすことをスタッフに嘆願することによって関係が強固でなくなったり、将来の雇用関係にまで不安定な要因を作り出す可能性だってないわけではない。
 私への質問はこういった感覚的なものや過去において私が経験したことなどを聞き出したいという経営者の思惑が感じとれる。
 このように事務所の担当者を通り越して、私へ直接 質問がくるというのは、経営環境が悪化し、難しい時代に入っていることを物語っている。
 こんな話があった時には当然のことながら担当者に内緒にするのではなく、「私の意見を聞きたいということで、〇〇先生から直接 私の所へ連絡があった」と具体的な内容まで伝えるようにしているし、これは経営者と私だけで進められるものではないことは百も承知である。

 この春から夏にかけて何名かの経営者(院長)や経理を担当されている奥様から軽い愚痴として言われたのが、『がんばっている特定の人に特別の手当を新たに付けたり、コロナの中で頑張ってくれたことに報いて夏の賞与に特別手当を加算したのに、お礼や感謝の一言もないんですよ。』という話である。
 これってまさに「出してあげたのにどうして喜ばないの?」という経営者感覚であるし、この心情は確かに経営者にしかわからないかもしれないように思う。
 私もこういったスタッフに「喜んでほしい」という感覚がなかったわけではないが、今ではこういったことも段々分かってきて「口にはしないだけで、心の中ではきっと喜んでくれている」と捉えられるようになってきた。
 こういった境地になれるまでには10年近くかったが、もう今では相手がどう思おうと支払う自分が心地よく、かつ、満足すればそれでもいいのでは なんて思えるようになってきた。
 こういうことってやはり経営者感覚というものであり、経営者の方々はこういったことについて私に同意を求めたり、何らかの指針を示してほしいという思いから連絡されてくるのであろう。
 こんなことでよければいくらでも相談に乗ったり、話をしたりできますよ というのが私の気持ちである。
 こういったやりとりをする中でも一応 私にも存在価値があるのかなと少しだけ勝手に満足しながら今日の話は終わることにします。
 コロナと雨と暑さと戦いながらの大変な週になりそうですが、みなさん無理をせず毎日過ごしていきましょう。
 では。
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2020年06月28日

No686:失敗しない経営者

 コロナ感染症拡大防止のために4月は顧問先との面談を控えていたし、中には4月に続き5月も対面でのやり取りをしていなかった先もあり、6月は久しぶりに面談する先が多く、スケジュールもかなり立て込んだ1ヶ月となっている。
 やはりコロナの影響のない先はないし、残念ながら日用品や食料品を扱いこの時期に売り上げを伸ばすような業種の顧問先は我が事務所にはない。
 こういった中で昨年5月に開業し、初めて迎える冬場の患者増に期待を寄せていた顧問先(クリニック)は、2月の前半までは予測に近い伸びを示していたが、コロナが猛威を振るいだした2月後半からは患者の伸びはピタリと止まり、苦戦を強いられている。
 そんな新米クリニックであるが、6月に入ってからは初めて来院される患者、いわゆる新患もちらほら増えだし、最悪の事態は避けられそうな状況までこぎつけてこられている。まだまだ安心できる状況ではないが何とか前を向いて進んでいることが感じとれるまでになってきた。
 実はここのクリニックは前回会ったのが3月上旬で、その後コロナ禍にどっぷりつかってしまったが、当方の担当者とは頻繁に連絡を取り合い、あれやこれやといくつかの対応策を模索したり、この2ヶ月の間に実際に実行に移されたものもあった。
 先週久しぶりに会った時も 「こんなことを始めましたが効果があると思いますか?」とか、「今度、こんな手を打とうと思うんですが、もうこれ以上費用をかけるのはよくないですかね?」と矢継ぎ早に質問をしてこられた。
 50代後半での開業なのでどちらかというと遅い方かもしれないが、40代以下の方よりも発想は豊かであり、頭も非常に柔軟性がある。
 片道1時間以上かかる顧問先なので、先日も帰りの電車の中ではこの先生のことをいろいろと考えながら帰ってきた。
 年末にやっと採算ベースに乗ってきたとこであったのに今回の騒動でガクンと落ち込んだが、あまり心配はいらないのでは、上昇のペース(回復)は他のクリニックよりも早いかも、という気がする。
 それはなぜかというと、この仕事を長くしてきて経営を上向きにさせられる経営者や内的あるいは外的な様々な要因で経営が思うようにいかなくなった時、難局を乗り切れる経営者はいくつかの共通点があり、それは経営そのものを大きな観点から見直すような大掛かりなものだけでなく、日々の運営の中でのちょっとした工夫やいろいろな発想をお持ちの方である。
 この先生のことを頭に思い浮かべながら、いくつか例を挙げてみると

@他人に聞く前にまず自分で調べて、その効果や影響を自分で考えてみる。この逆のタイプの人は私に「どうしたらうまくいくんでしょうかね」と案さえも持ち合わせずただ聞いてこられるだけの人である。

A考えた後はリスクの少ないものから まずは実行に移してみる。先述の対策のうちのひとつは私と面談した時には既に実行中であった。この方法を聞いてこれはうまくいくのではと思ったが、この先生が練りに練られた秘策なので、今ここでは具体的な話まではできないことはお許し願いたい。効果を確認したうえで機会があれば早い段階でお話しします。
B我が事務所の担当者(私も同行)との面談時には、必ずいくつかの質問事項を準備されており、即答できないような内容については質問項目が事前にメールで送られてくる。

C今の時点では10年後のことまでは頭にはないが、常に2年後、3年後、そして5年後くらいまでは構想をお持ちである。

D決してネアカではないかもしれないが、俗にいうネクラではないし、比較的親しみやすいタイプである。また物事を常にいい方に考えられるし、決して人の悪口は言わない方である。またお金遣いは荒い方の部類には絶対に入らないし、かといっていわゆるケチではない(変な表現ですみません)。傍から見ていて非常に金銭感覚は優れているように感じる。

いざ必要と思ったら、ためらわずにお金を出されるが、開業1年目なので日常の生活費を除いて、クリニックに関係のない出費はほとんどない。頭もお金も全てクリニックのためを地でいく感じである。

 こうして書いていると私自身なかなか当てはまらないなと思いつつ、こういった経営者になりたいなと思えるうちの一人である。
 経営自体はまだまだ厳しい状況が続くが、今後どんな数字になっていくのか楽しみな開業2年目のクリニックである。
  そうそう いっしょに話をしていて、「そうですよね。」、「なるほど!」とこちらがうなづく回数が多いのもこの先生との面談時の特徴であることも付け加えておく。
  今日も長くなりましたが この辺で。
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2020年06月21日

No685:言葉を勝手に縮めることは好きではない

 日常の生活や仕事をしていて言葉を短縮したり、簡略化していう“短縮形”や“簡略語”にたびたび出くわすが、私はこの短縮形があまり好きではないし、できるだけ使わないように心掛けている。
 コンビニ、エアコン、ファミコンなどは今や短縮形が日本語になってしまっている感があり、誰しも「コンビニエンスストアに飲み物を買いに行ってくる」なんて言わないのでこれはよしにして。
 また、日頃一般人が使う機会の少ない「外為(ガイタメ)・外国為替」や、「公取(コウトリ)・公正取引委員会」などは、一種のビジネス用語になっているので あまり気にならないが、比較的、日常の生活の中で使う言葉を短縮していうのは気になって仕方がない。
 我々の仕事でも確定申告のことを「確申」、年末調整は「年調」というのは業界内では何の違和感もないし、事務所の中での会話で使うのはいいが、顧問先の方に対して、「年調の書類、そろそろ送ってもらえますか」なんて電話しているのを端で聞いていると、果たして電話の向こうの顧問先の奥様は、「年調」って分かっておられるのかな? と思うこともある。
 私は税務関連の経験の浅い方に対しては、「従業員の方々の年間の税金を年末に精算する“年末調整”の書類ですが・・・」というようにしているし、そうすることによって、今 依頼を受けている書類の重要度と緊急度がどれくらいのものなのかを理解されるので、資料収集も非常に手際よく、早く進めてもらえるという利点がある。
 私は決して頭の回転が速い方ではないので、逆の立場の場合 理解するのに困らないようにすることも仕事のひとつかなと思いながら対応するようにしている(つもりである)。

 最近でこそ一般的な言葉になってきた感のある「取説(トリセツ)・取扱説明書」も今から10年程前にクリニックの開業準備に携わっていた時、医療機器のメーカーの方が、「明日の開業前スタッフ研修は何点かの医療機器のトリセツに2間くらい充てる予定をしています」といわれた時、「トリセツ」の意味が分からなかった。ただ周りにいた人はさぞ当たり前のように頷かれていたので、「トリセツって?」と質問をすることもできず帰ってきたことを覚えている。
 こちらも15年程の話になるが、ある会社で特許権の話をしていた時にその場にいた弁護士さんが、「そのチザイの権利としての認識と評価が問題で・・」といわれた時、「チザイ」の意味が分からず知ったふりをして帰ってきてから、その意味を調べて やっとそれが「知的財産権」と分かり、あの場で聞かなくてよかったと胸をなでおろしたことがあった。
 税理士会の役員をするまでは、「監事」のことを「皿(サラ)カンジ」、「幹事」のことを「ミキカンジ」なんて呼ぶことも知らなかった。
   各方面においてこの短縮形が当たり前のように使われているし、我々業界でもこういった専門用語を知らず知らずのうちに連発していることもある。「簡易(消費税の簡易課税)」、「納特(源泉所得税の納期の特例)」などもその代表的なものであろう。
 私のような小規模な会社や個人事業者の方々を顧問先に持つ者としては、こういった分かりやすい説明をすることも、仕事をスムーズに進めるうえで大切なことであるなと実感することもたびたびある。

 明日の午後からは相続に関しての親族会議に立ち会い、財産の分割や相続税額について説明することになっているが、こちらも相続人4名の方がすべて いわゆる素人さんなので一から丁寧に説明することが必要であろう。
 相続人の一人であるご長男はこのためにわざわざ東京から(丹後まで)帰ってこられての打ち合わせであるので、うまく説明をして相続人のみなさんが納得できるような結論を導き出せるようなお手伝いができればと思っている。
   そういう意味において、結論はすぐには出ないかもしれないが、明日は私にとっては結構 重くて、重要な日になりそうである。
 こんな大事な場面で説明できることもある意味 税理士冥利に尽きるな と勝手に考えながら明日を迎えることにする。

 では、明日は泊まりで荷物の準備もあるので今日はこの辺で。
posted by ヒロイ at 22:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月14日

No684:憧れます、人の話を聞くことができる人のことを

 会社で上に立ったり、あるいは 統括する立場になれば 当然のことながら組織をまとめていかなければならない。
 時にはまとめるだけでなく、引っぱっていかなければならないときもあるが、ここでいう「まとめる」と「引っぱっていく」というのは意味も違うし、一人の人間がこの両方とも備えるのは至難の業である。
 高校野球の部員がキャプテンのこと聞かれた時、 「本当にみんなの気持ちも汲みながらよくまとめてくれたと思います。個性派ぞろいの集団で大変だったと思いますよ。」と話すこともあれば、「〇〇(キャプテンのこと)は本当に、グイグイと力ずくででもみんなを引っぱっていってくれました。アイツの言うことを聞いていれば間違いないですから。」というような話をする者もいる。
 これはスポーツの世界だけでなく、会社でも自分が属するいろいろな団体でも同じようなことがいえる。
 多少なりとも上下関係がはっきりしている組織やグループの中でリーダーになった場合には、こういったやり方のうち 自分に合う方法を選んでまとめていけばいいのであろう。
 話が少し横道にそれるが、夫婦の間でうまくまとめたり、あるいはグイグイ引っぱっていくことができる人もいるかもしれないが、私は結婚して30年以上もの間 一度たりとも引っぱっていった経験もないし、うまくまとめるなんていう神業のようなことをしたこともない。夫婦の関係だけは上下関係がない分 かえって難しいように思う。
 今どき、夫婦に上下関係ってあるんですかね? たまに女性の方が強い夫婦は見かけますが。

 話を元に戻しますが、
 リーダーとよばれる立場の中でも誰もが一目おくリーダーというのは、優れた実力や実績だけでなく、相手の立場に立って物事を考えられる人のように思う。
 相手の立場に立つということはなかなか難しいことのように思えるが、私はまず人の言うことに耳を傾けるというのが大事なことのように思う。
 「みんなの意見を聞いたうえで」なんて言っている政治家や経営者ほど、自分が一番正しいと思っていて、こういった人たちに限って自分の考えていることが通らないなんてありえないと思っているであろう。
 ここでこんな偉そうなことを書いてはいるものの私自身も既にこの部類に入っている “扱いにくい人間”になっているのかもしれない。気づかないのは自分だけだったりして・・。

 ある雑誌で企業の経営者が、「経営者の多くはしゃべり過ぎで、なかなか聞き上手になれない。信頼される経営者は必ず聞き上手という面を持ち合わせている。特に相手の得意なことをうまく聞き出せば、話している本人もさらに上に向かっていくだろうし、そうして前向きな話を聞くことは、経営者にとっても結果的に自分の利益になることも多いはず。」と語っていたのが印象に残っている。
 いろいろな局面において、ついつい一方的にしゃべってしまっているし、まさに相手が聞き上手の人なら なおさら一方的にしゃべりまくっていることもある。
 雑誌の中のたったの数行であったが、いろいろと考えさせられた対談の一コマであった。
 こちら側はうなずきながら、相手からじっくり話を聞き出すなんていう芸当がができたらすばらしい経営者や顧問先のよきパートナーになるのだろうが、まだまだ私にはそこまでたどり着けそうにない。そろそろ じっくりと人の声に耳を傾けてもいい歳であろうし、そういう人に憧れるようになってきた。
 人の話を聞くのって本当に難しいし、人間の器の大小を表す物差しなんでしょうね。
 今日の話、偉そうなことを綴っているけど、結論としては自分はまだまだ器が小さすぎるっていうこと。
 生きるってなかなか思った所には行きつけませんね。
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2020年06月07日

No683:テレビ会議を終えて思ったこと

 先週、仕事で大阪の会社へ出向き、重要な案件について打ち合わせがあった。
 ただ、その案件について一番の責任者といわれる人が、現在 東京支店に配属になっているとのことで、大阪本社と東京支店でテレビを使っての打ち合わせを行った。
 大阪は私を含めて2名、東京は1名という合計3人によるものであったが、過去の状況、現況、そして将来の見込みについて、データを見たり、画面に目をやったりしながらみっちり2時間 休憩時間もとることなく、結構 根を詰めた打ち合わせを行った。
 内容については当然ここで話すことはできないが、結構 秘密裏に進めないといけない案件だったので、途中でお互いの腹の探り合いをするような場面もあり、終わってみればどっと汗をかいており、通常の仕事の何倍もの疲れを感じた。
 実はその後、京都の事務所へ戻ってきたが、10〜12時の大阪での2時間の打ち合わせでその日のエネルギーの大部分を使ってしまい、午後からしばらくは頭の方が使いものにならなかった。
 打ち合わせや連絡をするのに以前は電話や直接会って面談しながらするのが主流であったが、ここ数年はメールでのやり取りが多くなってきている。また、今回のようなテレビ会議やウェブ会議というスタイルが増えてくることも十分考えられるであろう。
 今回 初めて体験してみて、相手の顔や表情が見えない電話よりずっと意思疎通がはかれた感がある。というのもいろいろな発言ややり取りの中で相手の表情がつぶさにわかり、喜んだり、納得しているのか、あるいは 腹を立てたり、腑に落ちないことがあるのかというのが離れてはいても画面を通してその場で判断ができた。
 その点、メールというのは多少腹の探り合いというか、文面ではこのように記しているけど本心はどうなんだろうと思うこともあるし、こちらから何かを伝えたいときは 結構 納得や了解をしているのに文面がうまくまとめられなかったら、相手からはお気に召さないの と思われたりすることもある。
 今後はさらにいろいろな伝達手段が出てくるだろうが、手法が多岐に渡れば渡るほど難しいものになってくる。本当に我々オヤジ族にとっては、ある意味 受難な時代の到来なのかもしれないが、これからも仕事を続けていく以上は避けては通れないものなのだろう。
  テレビ会議の話はこれくらいにして、話題はごろっと変わるが、
   今日はいい天気であったが、2回のワンちゃんの散歩以外は久しぶりに家で過ごした休日であった。

 自宅のすぐ裏がスポーツ広場があるが、ここ2ヶ月余りも間は誰の声も、何の音も聞こえずシーンとしていた。今日は 家にいるとキャッチボールをして ピシッとグラブにボールの収まる音や、別のグランドからはポコーンとサッカーボールを蹴る音が耳に心地よく飛び込んできた。
 ただ、声を出してはいけないことになっているのか、元気な声が聞こえたのは最初のランニングと体操の時の「イチニイサンシ、ゴウロクシチハチ」という掛け声くらいであった。
 通常の年ならこの時期、高校や大学のサッカーやラグビーの試合があり、宝ヶ池球技場のスタンドから、選手紹介のアナウンスや「ウォー!」という地響きのような歓声が聞こえるのだが、まだそういった声は聞こえてこない。
 今まで日常だったことが懐かしく思えると同時に、今日は久しぶりに野球やサッカーをしている音や声が聞こえたのでホッとし、うれしい気分になった。
 日常が戻るにはまだまだ時間がかかるのであろうが、本当に多くのことに気づかせてくれているこのコロナ騒動である。
 経営的に苦境に立たされておられる事業者の方にとっては、まだまだ全く気が抜けないし、不安な気持ちはほとんど払拭できていないというのが本当のところであろう。
 何かにつけ いたたまれない今回のコロナ騒ぎであるが、誰に文句を言っていいのやら腹を立てる先もない 何とも 厳しくやるせない今年の夏である。
posted by ヒロイ at 21:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月31日

No682:優しい言葉では解決にならない

 この2ヶ月近くにわたってかなり強固に張りめぐらされた新型コロナウイルス感染拡大防止の網が明日6月1日から少しずつではあるが緩められる。
 ただ、この間 コロナ対策の中に身を置いてきたので、緩められることをホッとするというより、本当に大丈夫かなという半信半疑の気持ちで明日を迎え,不安な気持ちも頭をよぎる。

 自分自身、外出の回数もかなり減ったし、外食にいたっては移動中に手短に終えられる麺類などの店に数回立ち寄ったが、ゆっくりと談笑しながら食事をすることなど一度もなかった。
 当然のことといえば当然であるが、「食事をしながら打ち合わせ」とか、「ゆっくりと飲みながら和気あいあいと」なんて いつになったらできるのか、もしかすると あんな光景は過去のものになり、今後 訪れないのではなんて 恐ろしいような世の中を想像してしまう。
 ちょうどいまから1年前、ラグビーワールドカップで盛り上がったのがまるでどこかの国でずっと前に起こったことかのような錯覚に陥ってしまうこの数か月での変化である。
 事務所の顧問先も大きな影響を受けているところも何件か出てきているが、私は以前から本当に困ったときに「がんばりましょう」という言葉はあまり掛けないというか、当事者にとってこの「がんばりましょう」がどれほど力になるのか疑問を持つという冷めたところがある。
 というのも、私も人生の中で何度か人にも話せないような厳しい局面(挫折)を経験したことがあるが、こんな時には「がんばりや」とか、「気落ちせんと」という言葉があまり慰めにならなかったという思いがある。
 何とも冷めた言い方かもしれないし、励ましてくれる人は温かい気持ちで声を掛けてくれるのであろうが、本当にとことん落ち込んでいる者にとっては、心の奥底では「今の俺の気持ち絶対にわからんと思うは・・・」なんていう 励ましてくれている相手には失礼な気持ちを抱きながらも、「励ましの温かい言葉ありがとう」とさぞ感謝しているような返しをしたことが何度かある。
 そんな落ち込んでいた時に親父くらいの年の離れたある先輩が、「俺は励ますけど、温かい言葉はかけるつもりはないで。いくら優しい言葉をかけてもらっても解決できるのは自分しかないんやしな。落ちこんどってもどうしようもないわ。まだ生きていくんだったら前を見ろ。振り返ったって何も解決せえへんしな。まあ、あまり手は差しのべんけど、話ならいくらでも聞いてやるし、何かあったらいつでも電話してこい」と一見 冷酷そうで実は私のことを他の人の何倍も思っていてくれていたということがその後、随分時間が経ってから分かった。
 自分の思い出話のようになり、話が少し横道にそれてしまったが、「がんばりましょう」なんていう言葉よりも、ピタッと寄り添い、悩み事を聞いたり、いざという時だけ、「これだけはすぐに実行に移しましょう」と間髪入れずに言えるような存在になりたいと思っている。

 事務所開業以来 13年近くの間 本当に多くの方に支えてもらってきたが、今回のこのコロナウイルスの影響を受けられた方々へ何とか恩返しをしたり、力になれればと思っている。
 「がんばりましょう」とか「乗り切りましょう」というような社交辞令ではなく、まずは「なんでも言ってください」といって、どんなことでも言ってもらえるそんな存在になりたい。まずは同じ目線に立って悩みを聞くところからすべてはスタートすると思うので。
 明日からの再スタートを前に、偉大な先輩が何かにつけ厳しい言葉を投げかけながらも、実は本当に私のことも思っていてくれたということを久しぶりに思い出しながら、「言葉ではなく行動を」と自分に言い聞かせた。

 今日も少し重い話になってしまったのが、そろそろ日も変わりそうなので今日はこの辺で・・・。
posted by ヒロイ at 23:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

No681:純粋にうちのスタッフはすごいと思った

 我が事務所もご多分に漏れず4月20日から交代出勤制に基づく在宅勤務と出勤時には時差出勤を導入している。
 どちらも事務所で初めての導入であるだけでなく、社会人になって40年近くにもなる私でさえも初めて経験するものであり、正直 導入前には「大丈夫?」という心配が先に立ったのも事実であるが、これは一経営者の余計な心配でしかなかったことが1ヶ月以上を経過してみてよくわかった。
 結構 “密”なオフィス環境である事務所内で業務をこなすことと公共交通機関での通勤時の“密”を避けることを第一の目的としてスタートし、顧問先への定期訪問もこの時期は移動と面談で生じる“密”を回避するため原則 行わないという方針を私から発した。
 
 顧問先の試算表をはじめとする経営指標の作成、3月決算法人の決算・申告業務、それに助成金や融資等の個別相談と通常月の業務以外に+αの依頼があるにも関わらずほとんど問題なくこなせている。
 コロナ禍で大きな影響を受けている顧問先も多い中、すぐにでも駆けつけて相談に乗る必要のあった一部の顧問先は訪問せざるを得なかったが、基本的には訪問しないという事務所の方針のもと この間を過ごしてきた。ただ、多くの顧問先が難局を乗り切るために事務所の担当者が経営者や院長と電話やメールで連絡を取り合いながらいつも以上にこまめに対応してくれている。
 私が先日 事務所にいる時 たまたま電話をとると、私自身がここしばらく会えていないあるクリニックの院長夫人であったので、現況を聞きながら 『こんな状況で直接会って話もできずに申し訳ございません』と告げると、その院長夫人は『いや〜、こんなことになるとは思ってもいませんでしたが、担当の〇〇さんとは今まで以上に連絡を取り合っていて、今日も2回も相談に乗ってもらっていたところなんです。』と結構 元気のある声で話してこられた。
 他にもよく似た話をいくつか聞き、スタッフの仕事ぶりが目に見えない在宅勤務を少なからず心配していたが、大きなトラブルもなく ここまできていてホッとすると同時に、そんなことを心配していた自分が何ともちっぽけな経営者に思えてきた。
 自宅での業務は事務所内と違っていつでも資料が見られないことや やはり慣れない環境下での業務のため一般的には2割近く業務効率が下がると言われているが、大きな遅れもなく仕事が進んでいるのは事務所のスタッフが“必至こいて”自宅での業務をこなしてくれている結果に他ならない。
 
 今回は前もって準備していたわけでもなく、いきなりこういった状況下に放り出されたわけであるが、この経験や手法は緊急事態宣言が解除された後も各企業(事業所)が今の形態を一部 残しながら、今までとは違った仕事の仕方を考えていかなければならなくなったことを経営者に投げ掛けている。
 前々回にもこの場で綴ったように慣例、慣習なき時代において今までとは比にならないくらい経営者が試される時代に突入しているように思わざるを得ない。

 我が事務所も6月1日(月)からも時差出勤制だけは継続となるが、他は基本的には通常の業務体制に戻すことになっている。その準備段階として、明日からの1週間は一部在宅勤務を残しながらの最後の調整期間となる。

 6月からは世の中がどんな景色になるのかまだ想像がつかない部分もあるが、少しづつ戻っていくのであろう。しかし、3ヶ月に及ぶこの自粛期間の経済の停滞・下降は1年や2年で回復するとは思えず、長期戦でとらえる必要があるだろう。
 個人的には暑くなる中、いつまでマスクをつけていられるのだろうという心配も頭の片隅をかすめている。
 いよいよいつもと全く違った大変な?夏の始まりである。

posted by ヒロイ at 23:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

No680:今、何がしたい?

 新聞、テレビ、ネット 何を見ても飛び込んでくるニュースはほとんどがコロナ関連のニュースで、たとえコロナ関連でないにしても明るいニュースはほとんど入ってこない。
 若い頃 賞与が出た後、大丸に行って思い切って買ったスーツがDURBAN(ダーバン)だったが、この製品を扱っているレナウンがまさか民事再生の適用を受けることになろうとは・・・。これも今や過去の名前では商売が成り立たないことを表している事例のひとつであろう。

 自分自身も多くの規制の中での生活を強いられているし、仕事の方も限られた状況の中で期日に合わせて粛々と仕事をこなす以外には、厳しさを増す経営状況下の顧問先には、なかなか会うことさえしづらいが、そんな中でも少しでもプラスになるような提案はできないものかと頭をひねりながら、メールや電話で対応する日が続いている。
 昨日は相続関連の仕事でどうしても面談しないといけなかった方と30分程度、直接会っていくつかの未解決事項の確認をしていたが、面談などの通常なら何の疑問もなく行っていた行動が今や事務所でも例外(特例)になってしまっているという現状に不安を感じずにはいられない。

 冒頭でも言ったように暗いニュースしか飛び込んでこないし、私自身がこの場で綴ることもほとんどがコロナ関連かその影響について模索していることといった内容になっているので、今日はこの時期ちょっと”いけない内容”かもしれないが、今やってみたいこと、行ってみたい所について書いてみることにする。
 とはいってもそれほどたいしたことではなく、単純に今 行ってみたいのは、いつから入園や入館の規制が解かれるかどうかはまだ調べていないが、行ったことのない京都水族館と京都鉄道博物館、それに子供が小さかった頃 よく訪れていた京都市動物園、そして近所でありながらずっと門が閉ざされている京都府立植物園、ある意味、こんなありふれた所が足を踏み入れたい場所である。
 どれもコロナの影響でこれまでは閉まっていたが、間もなく開きそうだし、こういった場所はなによりもコロナ、コロナの今の世の中や非常に厳しい経済情勢のことを一時的にせよ忘れられる別世界のように思えるからである。
 現実的に孫もいないのに一人で動物園や水族館に行くのは勇気がいるし、今の世の中の状況を感知していない動物を見ることは一種の現実逃避かもしれないが、心や頭の中がある意味、いったんリセットできるようにも思える。
 ただ 動物も今の状況を感知していないとはいったものの あれほど多くの人間が目の前を通って行ってたのに最近は誰も来ないなとか、もしかすると餌の内容が変わったなとか 何か肌で感じているのかもしれない。
 植物園の花にしたって動物のように何かを考えているわけではないが、いくら咲き誇っても誰の目にも触れずに散っていくなんてあまりにもかわいそうで無残である。
 これらの施設の規制解除は間近とのことなので、休日に少し時間がとれたらまずしてみたいと思っていることである。

 話は変わるが、昨日 相続の相談に行ったときに母が入っている施設の前を通った。いくら京都府の北部とはいえ面談はだめだろうと思っていたが、このコロナ騒動が始まってから2ヶ月程 訪れていなかったので顔だけでも見れたらなと、車から降りて施設の玄関の張り紙を見てみると「親族の方のみカウンター越しで短時間なら」と張り紙がしてあったので少しだけ覗いてみた。
 私はマスクもしていたし、一瞬マスクをとっても私が誰だか分らなかったようだが、施設の職員さんに「何も変わらず元気そうですよ」と最近の様子を話してもらいながら母の顔を見ていると、自分の勝手な思いとはいえ、妙な安心感を覚えて帰ってきた。
 
 最近よく言われている言葉、「今までの日常」がどれほど大切で、意味のあるものだったのかを思い知る毎日である。
 いろいろな方面での自粛解除までにはもう少し時間がかかるだろうし、少し形が変わっての今後の生活になるかもしれないが、一後も早く「日常」が戻って欲しい願っている。みなさんと同じように。
posted by ヒロイ at 18:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

No679:試されている社会、事務所、そして自分

 今回のコロナ騒動で世の中のいろいろな仕組みが変わりつつある。
 予期せぬ休業を強いられたり、お世話になるつもりもなかった金融機関に融資の申し込みに行くことになったり、忙しくて人手不足であった現場が今やお客様や患者様の減少により人余り状態になったりと、3ヶ月前には誰しも想像すらしていなかった状態になっている。
 我が事務所でも時差出勤に始まり、出社制限による在宅勤務や顧問先への訪問自粛など、私が社会人になって初めてのことばかりであるが、世の中の状況に合わせながら事務所もことを進めているというのが今の状況である。
 何年か前の社会なら大混乱をきたしていたであろうが、まさにオフィス環境の進歩や社会の変革はすごいもので、当初はもしかすると混乱するかもと危惧していたようなこともほとんど起こらず、事務所の仕事は順調に進められている。
 毎日、手帳と時計を食い入るように見ながら、行動予定を立てていたが、外出が減った分、今は事務所内にいる時間が多くなってきている。
こんなことを言うと暇になっているのではと思われても不思議ではないが、なぜか今まで同様か今まで以上に日常業務に費やす時間が多くなってきている。
 今から思えばこれまでは数字をつくり、顧問先に出向いて説明するというのがお決まりの流れであったが、この1ヶ月間のように顧問先に出向かないことが増えてくると、不思議と顧問先のことを思う時間が増えてくるというか、顧問先の経営者の顔が今まで以上に頭の中を行ったり来たりしている。
 今までは仕上がったものを対面で説明する場合には、いざとなればその場に行ってからぶっつけ本番であっても乗りも切ることができたが、こういった面談の機会が与えられないとどんな方法でどの点にポイントを絞ってやり取りするのか、また顔の見えない顧問先の要望をいかに読みとるのか、今までにはない一種の“技術”が必要となってくる。これって本当に大変であり、今までの何倍も頭を使うし、自分たちが必要とされている度合いもなんとなく読み取ることもできる。
 また、事務所のスタッフとも毎日会うのが当たり前であったのが、今では週に2回くらいしか顔を合わさないので、会わなくとも他の方法で伝達したり、意思確認をする必要がある。
 これも当初は多少戸惑いもあったが、今ではこのスタイルに違和感もなくなり、必要なことは必要な時に必要なだけという、逆に無駄なく対応するようお互い気をつかってことを進められている。
 夫婦や家族も毎日いっしょにいるより、週に一回しか会わない関係の方がうまくいったり、意思疎通もとれていることさえある なんていうことを聞いたことがあるが、これってある意味本当なのかもしれないと思う。

 中には毎月会うことを楽しみにされていたり、面と向かって相談することで、より大きな安心感を抱いてもらうこともあったのかもしれないが、面談がしづらいこの状況の中で顧問先を何とかよい方向へとリードできるよう、否応なしでも知恵を絞り対応しているという、今まで以上に締まった関係になってきていると感じることさえある。
 社内的にも対外的にも今の状態が決していいわけではないし、早く今までの状態に戻ればと願っているが、今度戻った時は今までとは違ったものの見方や考え方で新しい関係を築くことになりそうである。

 そういう意味では、税理士や税理士事務所、それに各会社の社内の状況もいきなり実験中という場に放り投げられた感じがしないわけでもない。
 今回のコロナ騒動が収束した時、世の中がどう変わっているのか、もちろん経済、経営の立て直しが第一優先であるのは分かっているが、その代わってしまった世の中にいかに順応して行けるかが、これも事業を運営する上で非常に重要なことになってくるだろう。

 悪い頭をひねりながらいろいろと考えてはいるが、結論めいたものには何一つ到達していないし、何も考えずに生きているととんでもない方向へ行ったり、世の中から置き去りにされたりするという怖い世界に入って行っていることはなんとなく肌で感じることができる。

 こんな時、我が家の愛犬ぽぽたんだけはいつもと変わらぬ素振りで私の顔を覗き込んでいる。本当に屈託のない最高にいい奴である。
 人間と違って計算づくで動くのではなく、自分の思いのまま動く姿を見ると 人間界でいろいろと考えながら生きている自分がつまらなく感じることさえある。
 「ぽぽ、ほんまにええ子やな」といいながら頭をなでる時が一番気の休まる時でもある。
 ぽぽたんはいっしょに住む家族の少なくなった我が家には今やなくてはならない存在であることは間違いない。
 
 では今日はこの辺で・・。
posted by ヒロイ at 22:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする