2025年03月09日

No.921:高校野球の監督からヒントを得た人事評価

 例年のことではあるが、この仕事は2月になると繁忙期と言われる期間に入り、その中でも2月の後半から3月初旬までが繁忙期の頭に“超”が付く時期となる。
 先週はまさにこの時期の真っただ中であり、顧問先へ出向いての決算・税額報告、そして事務所内にいる間は確定申告書とにらめっこする日が続き、このコーナーを見向くことさえできず、残念であったが先週は久しぶりにお休みをいただいた。
 もちろん確定申告はまだ終わっていないが、事務所内で取り決めた最終作業日である3月13日に向けて、事務所のメンバーも資料の入手待ちで未完了という先を数件抱えながらも最終段階に差し掛かってきているという状況で、今日はその合間を縫って、ひと時の息抜きを兼ねパソコンの前で綴っている。

 実は先日 新聞である高校野球の監督のインタビューの記事が載っていて、その内容が経営者にも通じる部分があるなと思ったので少しだけここで紹介しておく。ちなみにその監督というのは昨年の選抜で優勝した健大高崎の青柳監督である。

 企業経営者にとって業績の安定・向上は重要な課題であるが、それを実現するためには 同じくらい重要であり かつ 不可欠なものとして人事評価が挙げられる。
 今から述べることは過去にもこのコーナーで何度も言ったことがあるので、以前も同じような内容を見たよという方もいらっしゃるかもしれないが、今回 ポイントとなるのは 経営者と従業員の距離があまりない中小企業における人事評価においては 情を挟まない ということである。
 また仕事をする上で人柄は重要な要素であるが、この人柄に重きを置く、つまり人柄に左右され過ぎると人事評価は適正性を欠くことがあるようにも思う。
 この健大高崎は我々のような高校野球のオールドファンから言うと、古くからの名門・古豪ではないがここ数年の活躍ぶりは今や名門と言っていいようなチームになってきている。
 80〜100名近くの部員数を抱え、Aチーム(主力)、Bチーム(育成)、Cチーム(新人)と区分され、各編成ごとに試合を組み 年間試合数は300試合にも及んでいるというから、まさにプロ野球顔負けのチーム構成である。
 私はどのスポーツでも、特に教育の一環として捉えられている高校スポーツの監督は選手の起用には頭を悩まされているだろうな と思っていた。
 今回の青柳監督は この多くの部員数の中でのベンチ入りやレギュラーを選ぶ上で心掛けていることを「部員に近づきすぎると情が生まれ、離れすぎると心をつかめない」という言葉で表現されていた。
 まさにこのことは中小企業の経営者にも当てはまることであり、この考えを貫いてこそ正当な評価ができるできるのでは 気付かされた言葉である。
 確かに経営者は孤独であり、また人には言えないような弱い面も持っているので、ついつい優しくされたり、自分に対して都合よく振舞ってくれるものを評価しがちになるということは誰しもありがちな部分ではあるし、このことは決して否定できない。
 「もちろん“情”は大切であるが、“情”に重きを置き過ぎた評価というのは決して正当なものにはならないし、情で選手起用した時は大抵失敗した。人柄はいいけど試合では使わないという
非常さも監督には必要。」という言葉に監督業の難しさ、苦労がにじみ出ているし、この青柳監督の言葉からはいろいろなことを学びとることができる。

 最後にこれは私が人を評価する上で気を付けていることを一つ上げるとすれば、直近というか、目の前での仕事ぶりだけで評価するのではなく、従業員の行動、仕事ぶりを一年を通じてしっかりと観察した上で評価するようにしている。
 これには「誰が」「いつ」「何をしたか」ということをきちんと記録し、年一回の人事評価の時にこの表も見ながら査定をするようにしている。そうでないと半年以上も前のことになるとついつい記憶が遠のいてしまっていることもあるので・・。
 数人規模の事業所であれば経営者一人で評価することも可能であろうが、10人 あるいは 15人以上になってくると評価する側も複数名で検討しながら評価することも必須であろう。

 これから春に向けてどこの事業所も人事評価の時期になってくると思うので、今日の話を少しだけでも頭の片隅に入れておかれると役に立つこともあるなか と思って綴った次第である。
 では、今日はこの後 確定申告の残った分の処理、整理にかかるので、このへんでお終いとします。
 また、来週 もう少しすっきりした気分でお会いしたいものです。
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2025年02月23日

No.920:今の選挙制度について(独り言)

 連日 国会は自民党が予算を通すためにどの政策を取り入れるのか、またどの党と組むのか という話題で持ちきりで、こういった話が先行すると、傍で見ていても本当の意味での政策論争がどこまで行われているのか疑問を抱かざるを得ない。
 疑問ならまだしも、今や不信と言っていいような状況であるのは多くの人が感じていることであろう。

 今日 ここでは目の前の論争は少し横に置いて、私が選挙のたびに“1票の格差”についていろいろと考えていることについて“私見”を述べさせてもらう。
 有権者の1票の重みに格差があってはならないというのは民主主義の根幹部分であるし、各地の裁判でもいくつも取り上げられ、合憲 あるいは 違憲と国民から見て関心のある話題でもある。
 ただ、国が音頭をとって「地方」、「地方」と叫んでみても当然のことながら地方は人口も少ないがためにそれに比例して割り当てられる国会議員数も少なく、都道府県別にみても10年20年前と比べて大きく定数減となっている地域もたくさんある。
 法的にはどこまで行っても議員の数は人間の頭数に比例するので、今から私が言うことは問題があると思うし、まさに違憲状態のことを言うことにもなるので、あくまで私見というか、ちょっとした個人的な思いという程度で捉えていただきたい。そうでないとこれから述べることは社会人、あるいは日本国民として×と言わざるを得ない意見なので・・。

 前置きが長くなってしまったが、
 衆院選全289小選挙区の中で「日本一広い選挙区」は北海道12区で総面積約1万5300kuは岩手県と同程度で、東京都と埼玉、千葉、神奈川各県の合計より広い。南北に長く、世界自然遺産の知床半島がある斜里町から礼文島までの直線距離約350qは、東京から滋賀県までとほぼ同じであり、網走市や稚内市など計28自治体で構成されている。
 逆に「日本で一番狭い選挙区」は東京都台東区と中央区にまたがる東京2区で面積は約20Ku。
 この2つの選挙区は面積だけで捉えると765倍もの差があり、定数は当然のことながらどちらも1人である。
 何度も言うが、これは国が認めている平等、つまり同じ一票の重さであるので仕方ないが、この面積の広い選挙区は人口は少ないとはいえ、この広大な土地の中には自然、資源、産業等はいろいろなものが存在するのは明らかである。
 ここには国民の食卓を支える農業、中でも酪農が盛んであり、沿岸部ではホタテ漁も多く行われており、こういった人間の数だけで判断しづらいものが日本の国土の中には数多く散らばっている。
 人口の首都圏、特に東京への一極集中が進めば進むほど東京の定数は増え続け、逆に地方の定数は減り続け、衆議院の小選挙区は東京都は20区、片や県内に2つの選挙区(当然 定数は各1人)しかないのは近畿では和歌山県をはじめとし、全国にいくつもある。
 こうなると日本の政治は定数(定員)の多い東京が牛耳ると言っても過言ではなという状態になる。もちろん人が多く住んでいるので当たり前のことではあるが・・。
 私は一体何が言いたいのかいうと、こういう形が続けばますます地方は浮かばれなくなる ということが言いたいのである。
 2024年の選挙前は「10増10減」であったが、将来は選挙での定数見直しは「30増30減」なんて言うことも起こってくるだろうと予測している。
 今日の話はこれ以上 取り上げても法律で決まっていることなので抵抗のしようもないが、田舎に愛着のある私としてはやり切れない部分が残るのは確かである。
 今日は目の前で繰り広げられている若者に目を向けた政治に何かしっくりこない感じがしているおっさんの独り言なのかもしれませんがどうかお許しを・・・。
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2025年02月16日

No.919:経営は3年目が勝負かな

 毎日 確定申告業務にどっぷりと浸かっているとついつい確定申告って正式にはいつから始まっていつ終わるのかまじまじと考えることもないが、基本的な日程は2月15日〜3月15日で 今年は暦の関係で2月17日(月)〜3月17日(月)がその期間である。
我が事務所は個人開業医の顧問先が多く、1年の業務の20〜25%くらいがこの1カ月の間に集中するので気が抜けない期間でもある。
 まだ 出だしとはいえ 我が事務所のスタッフは ほとんどが10年以上(中には20年以上の者もいるが)の経験者なので、誰からか指示を受けるでもなく、資料が入手できた先から各自が脇目もふらずにどんどんて手を付けていくので 事務所内は空気は既にピィーンと張り詰めた感がある。
 事務所内の取り決めでは3月13日には完了しているというスケジュールを立てているので 今から3週間余りの短期集中ということになる。
 私の方には出来上がった書類が全件まわってくるので、申告者(個人事業主や法人役員)の顔を浮かべながら、決算書・申告書の内容を見ていくというのが恒例の業務となっている。

 所得税の確定申告というのは対象者が大きな会社ではないので、業績はあくまでトップの経営手腕が色濃く出てきているというのもこの確定申告ならではの特徴である。
 もちろんすべての人が1年中 息つく暇もなく働いていらっしゃるわけではなし、決してそれが望ましいわけではないが、中には決算数字を見ていて「少しやばいぞ」と思えるような決算書がないわけではない。
 これまでの経験を踏まえると、医師・歯科医師に限らず他の個人事業者も含め、5年後、10年後、そしてそれ以降 軌道に乗って安定した経営が続けられるかどうかは、実は誰もが注目しがちな初年度の立ち上げだけではなく、3年目あたりに大きな岐路があるような気がする。
 というのも個人の起業であれ、会社の設立であれ 最初の1、2年は全身全霊とはいかなくてもいいが、やはり自分で事業を起こそうと決心した人なのでほとんどの人が毎日 経営に注力して過ごされているが、いろんな経営者を見ていると この“注力”というのを長続きさせることが何よりも大変なことである。
 私がこれまで見てきて、1年 あるいは 2年で当初の予想以上にいい数字が上がってきている人が、次の2つのパターンに分かれるような気がする。
@「2年間がんばってきて、比較的順調なので ちょっとひと休みしたいな。これからもたぶん大丈夫だろうし。」と思う人
A「少し数字はましになってきたけど、まだまだ2年くらいでは油断もできないので、もう少し気を緩めずに走らんとあかんな。しっかりとした基盤と自信ができるまで」という人
 この後者の方は放っておいても大丈夫であるし、5年もすると所得も予想以上のものになり、同業者、競合者が近くに現れようとびくともしない。
 それが前者の2年で一息つかれる人は、経営に対してマイナスに働くような何かの外的要因が出てくるとたちまち足元がガタガタし出してくる。
 多くの決算・申告の内容を見ているとこういったことが結構 的中してくることもあり、2、3年目がピークでその後 早くも下り坂となっている経営者には多少なりとも厳しめの話をすることもある。
 私が全件まわって説明するわけではないが、事務所の担当者には決算の数字を見て、終わった数字よりも翌年に向けての対応をしっかりと話してくるように伝えている。この場でも何度か言ったことがあるが、決算はまさしく経営者にとっての通信簿である。
 いろいろな事情があって、たまたま今回思うような数字が出なくても、「よし、次は○○に対して策を練り、取り返そう・・」と思う人は、1年くらい数字が悪くても間違いなく這い上がってこられるが、一番怖いのは、悪い数字から目を背ける経営者である。
 「お金が足りなくなったら銀行へ」なんて言っていては、業績はなかなか好転しないだろうし、借入のある人は何よりも優先して返済を進めていくというのが経営の常道であるように思う。

 軽い気持ちで確定申告のことを書き始めたところ、いざ経営数値の話になると思わず熱くなってしまったが、しっかりとフォローし、一人でも多くの経営者と ほっとした顔で面談できるように事務所としても支えていかないといけないし、それが節税と並んで、税理士・税理士事務所の重要な役割であろう。
 今日は朝の9時半ごろ京都マラソンが自宅の近くを通過するのに伴い、3時間近く北山通が通行止めになるので、その前に家を出てきて先週末から残っていた業務を片付けているが、もう終わっているので 身支度をしてそろそろ帰ろうと思っている。
 もちろん この時期はいつも以上に頭も使うし、明日からは外出も多くなり、事務所に戻ってから内勤という日が続くが、体調を維持することが何よりも大事であることは分かっているので、あと3週間 ペース配分も考えながら過ごしていきたい。
 今日はこんな状況下なので軽めにと思って書き出したが、気がつくと長くなってしまっていた。
 突然ですが、では 今日はこのへんで終わりにします。
posted by ヒロイ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月09日

No.918:雪を見ると故郷を思い出す

 昨日は京都市内も積雪があり、北山通より北に住む私の家の前は路面も真っ白で、しかも凍てついてガチガチの状態であった。
 ただ 雪国育ちの私にとっては、これくらいの雪は大したことではなく「今日は屋根が白いな」という程度の感覚である。
 今回は雪のことに触れようと思っていたところ、以前に雪は嫌な思い出ばかりではない ということをこのコーナーで綴ったことを覚えていたので過去の履歴を探してみるとなんとか見つかった。
  あらためて読み返すと今の自分も励ましてくれるような内容だったので、今日はちょっと手を抜いてこの時の原文をそのまま張り付けておきます。
 長くなって申し訳ありませんが、お時間のある方はお目通し下さい。

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【No711:雪の積もった故郷に元気づけられた(2020.12.20)】
 先週の12/15(火)と12/16(水)は私の出身地である与謝野町を含む京都府北部へ毎月の定例業務ため訪問していたが、よりによってこの2日間はこの京都府北部の日本海側は雪が降っていて、車での移動中も時には横なぐりの雪が降りつけ、車のワイパーは休む暇もなく雪除けに大活躍であった。
 京都市内でも北に位置する北区や左京区は雪も多少ちらつくももの、道路に積もるような降り方ではなかったが、私が仕事で雪国へ向かうこの日はまるで狙い撃ちしたかのような雪降りの天気であった。
 今回の大雪は新潟県などでは高速道路で車が立ち往生したり、他にも積雪による被害が出ているので、雪が降ってよかったなんて言うのは、多少不謹慎かもしれないが、今回 仕事先で雪に遭って 少し心が和んだ部分がある。
 昨冬は暖冬だったので雪を目にすることさえほとんどなかったので、車のスタッドレスタイヤもほとんど活躍することなく、あまり冬を感じることなく春を迎えてしまった。
 日常生活を送る上では、暖冬の方がいいに決まっているが、先週の雪は久しぶりに故郷を思い出したというか、小さい頃はこんな中で、スキーやそり遊びをしたりをしたり、学校の休み時間には雪合戦で雪降りにも関わらず汗だくなったことを思い出した。
 その日も顧問先(クリニック)へ行くと 院長先生が駐車場の雪かきをされており、雪国ならではの苦労を目の当たりにしたが、私なんかはいくら大変だといっても今 毎日の生活に“雪”があるわけでもなく、こういった雪国の方は私なんかの苦労とは比較にならない程 大変なんだろうなと この先生の額の汗を見ながら感じた。

 雪の話をもう一つ。
 あちこちで雪かきしている人を見て、子供の頃 雪の降る朝 いつもより早く起き、スコップで道路の雪かきをし、通学路を確保してくれていた父のことも久しぶりに思いだした。
 雪の日の朝は目さまし時計ではなく、「ガガガガ―」という 雪かきをする父が持つスコップが道路をえぐるような音で目が覚めるのである。 それと、屋根に積もった雪が軒下に落ちてくる「ドーン」という地響きのような音、これが雪の日に目を覚ましてくれる音である。
 仕事で行った故郷でたまたま雪を見て、両親を思い出したという何ともセンチな話であるが、その父は既に亡くなっており、母も施設に入っているので、私と話をするのを楽しみにしていた親と話をする機会さえ今はもうなく 寂しい限りである。

 都会にいると、「温泉に行って雪景色を見ながら かに料理を」なんていう旅行のパンフレットを見ることもあるが、雪国育ちの者にとっては雪を見ながらお酒や料理を楽しむなんていう発想はなし、冬になれば雪というのは生活そのものという感じである。
 だた、私も地元を離れて40年も経つと 段々 昔のことは忘れてしまっているが、仕事とはいえ こうして雪に出会うことは、少し大げさかもしれないが、何か忘れかけたものを思い出させてくれる そんな気持になった。
 確かに雪道を運転するのも一苦労だったし、靴の中までも濡れてしまったが、故郷で雪に遭遇したことは、懐かしさだけでなく、なんとも言えないパワーをもらった気がした。
 また、いろいろな意味で、「いくつになっても自分の原点を忘れてはならないぞ」といって励ましてくれているような気がした。
 思わぬ雪であったが、やはり幼少期を過ごした所は、本人しか分からない不思議な力があるもんだなとも思った。
 私の子供たちは3人とも京都を離れて暮らしているが、将来、京都で祇園祭や大文字、それに鴨川を見ると何か目に見えぬパワーをもらうようなことがあるのかもしれない。
 いくつになっても故郷はいいものであり、温かさを感じられるありがたいものである。

 今年はコロナの影響でお正月に里帰りできない人も多いと思うが、ほんの少しの時間でいいので、故郷のことを考えることは決して無駄なことではないと思うし、きっと自分の原点がそこにはあるような気がする。

 今年も仕事するのは あと1週間。いいお正月を迎えられるように目の前にある やり残したことを何とかきりをつけたいと思っている年末の日曜日の夜である。
 明日も雪の降る日本海方面へ出張ですので今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月02日

No.917:時間を守れる人と守れない人の違いは?

 私の中では時間厳守って特別なことではなく、当たり前のマナーなのでこんな場であえて取り上げなくてもいいのだが、やはり時間を守れる人とそうでない人が世の中にいるようである。
 予想し難い交通渋滞や突然のトラブルによる公共交通機関の乱れの場合にはやむを得ないと思うが、特にアクシデントもないのに約束の場所に遅れてくるというのは、相手に失礼というより、最初に「すみません、お待たせしまして」ということから面談がスタートすることにどんな思いを抱いておられるのか聞きたくなることがある。
 定期的に面談する方の中に常々大変お忙しい方がいらっしゃって、いつもなかなか時間どおりにはお越しにならないので、定例の19時というのをご本人は「19時でも大丈夫です」とおっしゃるが、こちらが気を利かせて「お忙しいようなので少し余裕を持たせて次回からは19時30分」にいう約束にしたところ、やはり19時の約束の時と同じようにほぼ毎回10分後の19時40分に来られる。
 私は特に怒るわけでもないし、毎度のことなのでそれほど気にならなくなってきているが、この人の約束時間って一体何を指すんだろう なんて意地悪なことも考えてしまう。
 物事を頼んだりお願いする時や重要な商談の時、特に初対面の人と会う場合 さすがに遅刻する人はないと思うが、何事もまずは最初の印象って非常に大事なことだと思う。
 ただ 面談先の会社を訪問する時、予定より3〜5分早く着くくらいなら許容範囲であろうが、「少し早く着きそうですがいいですか」という事前の断りもなく、10分以上早く訪問するというのは相手様の準備もあり、これはこれで少し失礼なことのように思う。

 私は面談場所に遅れていくというのは大きなアクシデントでもない限り、絶対とまではいわないがほとんどない。それは約束の時間を守るというのは何よりも重要なことと思っているからなのであろう。
 ただ こんなことを確実に実行するのは結構 大変で、そのために無駄なこともたくさんしている。
 「無駄なことって 何?」 と思う人もあると思うが、それは車の場合には行先のよっては渋滞による遅延を多少多めに見積もったり、電車も万が一の乗り違い(初めての訪問先ならなおさらであるが)が起こることも想定しながら動くので、何事もなくスムーズに動けた場合、結構 空き時間ができてしまうことがあり、行先によってはその時間が30分近くになることもある。
 ただ 実はこの30分が私にとっての自由時間みたいなもので、本を読んだり、スマホで調べものをしたり、その目的地の周辺を歩いて、あるいは車で回ることによってその会社やクリニック、時には開業予定地の周辺調査ができ、この動きが後々役に立つこともある。
 車で2時間近くかかる顧問先を訪問する時は、30分くらいの時間の幅を活かすために車の中には読みたい軽めの本がいつも2、3冊 移動図書館のように置いてあるので退屈することはまずない。

 実は先日 東京にいる次男が勤務先のトップに同行して外出する時に、自分が事前に調べていた電車の時間よりも2本分ほど早く、「廣井君、そろそろ行こか」と言われた時には慌てたと言っていたが、話の最後(オチ)は「世の中にお父さんよりせっかちな人がいてびっくりしたわ」ということであった。
 余談ですが、“せっかち”のことを少しだけ意味の違いはあるにせよ“イラチ”という言い方をすることもありますが、この“イラチ”って関西弁って知ってました?
 今度 東京の人と話をする時に聞いてみよ!
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2025年01月26日

No.916:わんちゃんは見ている

 我が家のわんちゃん ポポタンは普段はカミさんべったりで、朝と夕方の散歩はもちろんのこと、寝る時も同じ部屋でどちらが添い寝かわからないような形で寝ている。
 そんな状態なので休日にカミさんが用事があって出て行った後、私一人が家に残っているときは、いつ帰ってくるんだと言わんばかりにリビングのドアの方へ行ったり来たりして落ち着かない様子である。
 「私が居るのに」といくら私が心の中で呟こうとも私にはあまり関心を寄せてこないが多かった。
 それがあることがきっかけで様子が変わってきたのを見ると、うちのポポタンも結構 繊細な一面も持っているなと思うこともある。
 長女が2歳と5カ月の子供2人を連れて我が家に数日間 来ることがあり、娘(長女)は上の子、カミさんは下の子にかかりっきりで、ポポタンは朝夕の散歩以外はあまり構ってもらえず 部屋の隅っこでゴロンと休んでいることが多く、その様子は私には拗ねているようさえ見えてしまう。
 また赤ん坊の泣き声がうるさい時もその大きな声から逃れようと隣の部屋の端の方へ避難している。
 わんちゃんなので不満も言えず おとなしくしているが、こういう状況の時に私が仕事から帰ってくると今までは私にはあまり関心を寄せてこなかったポポタンが のこのこと私の足元まで忍び寄ってきて顔を覗き込んでくる。
 その表情はまるで「家の中に人が大勢いる時は私はほったらかし」と言っているようで、私は「とうちゃんがいるからな」と言いながら撫でてやると何とも嬉しそうする。普段(平時)にはあれほど関心を寄せないくせして 「こんな時だけかよ」なんて言いつつも私にとっては何とも「かわいいやっちゃな」という感じである。
 こういった様子を見ていると 何気なくいっしょに暮らしていながら、わんちゃんも いろんなことに対して敏感なんだなと思ってしまうし、人間なら言葉で自分の気持ちを表現できるが、わんちゃんはそれができない分余計に態度で表してくる。
 これって動物だけでなく、赤ん坊も似たとこがあって、何かいやなことがあるとすぐに態度に表してきて、私が雑誌を見たり、スマホをいじりながら抱いていると必ずと言っていいほどぐずってくるが、何も持たずに立ってあやすと さっきまで泣いていたのがピタッと泣き止むからこれまた不思議なものである。

 この周りの行動を見たり、何気ないこちらの状況を感じとられているというのは、大人の世界とは違ってとても新鮮であるが、これって わんちゃんや赤ん坊はある意味 素直な気持ちをそのまま純粋に行動に移しているだけなのかもしれない。
 日々のビジネスシーンでは経験することのない こういったとりとめのない日常って、多少は自由を束縛されることがあってもそれほどいやにならないからなんとも不思議なものである。
 そりゃ子育て真っ最中の親であればこんな悠長なことは言ってられないだろうし、毎日が必死なのであろうが、私のような立場であればこれほど新鮮な気持ちで接しられるんだと自分の変わりように驚くこともある。

 今日は時間に追われるような毎日を送っている者が、わずかな時間とはいえ、違う世界に身を置くことでホッと一息ついている日常を紹介させてもらった。
 そう考えると今日のようなことと綴ることで、仕事で抱え込んだストレスを吹き飛ばす効果も大いにあるような気がする。
 ただ、このお世話が毎日だとこんな気持ちにはなれないだろうけど・・。
posted by ヒロイ at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月19日

No.915:風通しが良い職場

 こんなタイトルをつけること自体が個人主義もある程度 認められる今の社会ではマッチしないのは分かってはいるが、自分の職場(事務所)を見渡して、風通しの良し悪しが日常業務の遂行にも多少なりとも影響を及ぼすこともあるのではという思いもあり こんなテーマを取り上げた。
 毎年 年始め最初の出勤日に新年のあいさつを兼ねて朝礼を実施しているが、今年は「思っていること考えていることを素直に口に出そう」と いうような話をした。
 別に今の職場の状態に問題があるわけではないし、私が若かった頃と比べるとある意味、黙々・淡々と仕事をしていて作業効率という点では申し分ないが、他の人がどんな風に考えているのかということが以前よりも分かりにくいというような気がしないでもない。
 古き時代には俗にいう“しょうもない雑談”を通して人の考え方や生活スタイルなども分かり、そんな中に目に見えない仕事のしやすさも潜んでいたようにも思う。
 他人様にあまり深入りすることは決していいことととはいえないのでこの辺りのバランスが非常に難しいが、仕事をする上で他の人の考えが分かることによって意思の疎通が図られ、さらには情報の共有化も進むという点では必要なことのようにも思うのでわざわざ新年にこんな話をしたのである。
 オフィスが1フロアであれば、全員の顔を見渡せ、ある程度 その場の雰囲気や仕事の状況も自然に察知できるが、我が事務所は22人が3、4、5Fと3つのフロアに分かれて仕事をしているので、顔が見えないということが、情報を共有化するのに少し妨げになっているのも事実である。
 ただ、今は社内メールという便利なものがあるので、伝達するのは相手がいなくともいつでもできるという点では大きな問題があるというわけではない。

 あと新年に事務所のみんなに「相手の迷惑にならないことであればもう少しおせっかいを焼いてもいいのでは」というような話もした。
 もちろん、一線を越えてまでおせっかいを焼くことはただの迷惑行為に過ぎず あってはならないが、職場内はもちろんのこと、顧問先の方に対しても 時と場合によってはもう少し踏み込んでおせっかいを焼くことは決して悪いことばかりではない という話もした。
 若い世代にとっては「妙なこと言うな」と思う人もいるか必要と思われるおせっかいは焼く” ということかなと自分には言い聞かせている。
 今日の書き出しでも言ったように、成果主義や個人主義を表に出しがちな世の中とは逆行するかもしれないが、こんな経営者がいたり、こんな職場があってもいいではとも思っている。

 今日も長くなってしまったが、過去このコーナーで同じようなことを綴っていた記憶があったので探してみると、【No619:今では懐かしい “おせっかいな人”(2019年3月10日)】というのが見つかった。
 あらためて内容に目を通してみると 今日の話と少し重なることもあったことからも、私って何年経っても同じようなことを考えているんだなとあまり変わらぬ自分に気付くこともできた。
 変わらぬことが良いことが、良くないことかはわからないが・・。
posted by ヒロイ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月13日

No.914:私が仕えた唯一のトップ

 新年早々のこの連休は、年末年始の休暇以降 休みが多くて仕事の方が停滞しそう と多少なりとも心配はするものの、いざ休みになってしまうと 毎年のことながら正月明けの慣らし運転からこれから訪れる繁忙期の間の時期として頭と体の切り替えにちょうどいい休暇になっている。
 昨日は全国都道府県対抗女子駅伝で地元 京都が優勝したことで 京都府民の中には いくらスポーツのこととはいえ、これまたいい気分で今年のスタートが切れたと思っている人もいるのでは。

 さて ここから本題ですが、
 私が学校を出てから開業するまで23年間勤務していた税理士事務所(退職時には税理士法人)で長年 トップに君臨されていた(元)所長が施設に入っておられることを昨年12月に親族の方からお聞きした。
 特に体のどこかが悪いとかではなく、80代後半の奥様の体調管理との兼ね合いで入所されたと聞いていたし、面会も可能とのことだったので、事前に予約を入れた上で 教えてもらっていたその施設を訪れた。
 市街地からは車で10〜15分ほどで比較的便利のいい場所にありながらも 目の前にはゴルフ場もある自然に囲まれたいい雰囲気の施設であった。
 前回お目にかかったのは2年半程前に所用で私が以前に勤務していたその事務所を訪れたときだったので、久しぶりに顔を見れるということで数日前から面会を楽しみにしていた。
 施設のスタッフの方に部屋(個室)の前まで案内してもらい中に入ったが、6畳くらいの部屋のベットの横で車いすに座って私が来るのを待っていてくれたようである。
 部屋に入るなり、「廣井です、ご無沙汰しております。お元気そうで・・。廣井ですが分かりますか?」と声を掛けると、少し間は空いたものの にこっと笑みを浮かべながら「それくらいわかってるで」と返された。
 2年くらい前までは自宅からバスを乗り継いで事務所に出てこられているとは聞いていたが、今では確か90歳は超えておられるし、もちろん往年の時のような軽快な会話というわけにはいかないが、最後まできちんと話ができ、私の方も非常にいい時間を過ごせたなと思っている。
 話の途中に、「その話はさっきの話の続きみたいだけど、話はひとつづつ区切ってもらわんと僕の頭ではなかなか前後の関係が繋がらんことがたびたびあって・・」とおっしゃったが、それが「そりゃそうですよね」と妙に納得し、その後は更にゆっくりと一つ一つ確認するようにしながら話をした。
 話をしては休憩し という形ではあったが、体調もよさそうで 声は小さめであったが聞き取れないようなことは全くなく、お互いゆっくりめの口調で 昔話や今の生活ぶりについていろいろと話を聞くことができた。
 長居してはいけないので15分ほどで失礼しようと思っていたが、部屋を出る時に時計を見ると30分近く話していたことに驚いた。
 私の場合、私もカミさんもどちらも両親が既に亡くなっているので、最近では身近なところでは90歳以上の人が少なくなってきているが、今日は23年間もいっしょに仕事をして、仕事の進め方や考え方について たくさんのことを教えてもらっり、所員旅行や食事会にあちこち連れて行ってもらったことを懐かしく思いだした。
 天安門事件の前の年だったが、所員旅行で中国に行った時に万里の長城の急な斜面を「きついな」と言いながら必死になって上がっておられた姿は今でもよく覚えている。実は私は入社3年目で初めての海外旅行であった。
 昨日、帰る間際に少し小さめの声ではあったが、「近いとこやし、また顔を見せてな」と言われたので、失礼にならない程度にまた訪れようかなと思い、施設を後にした。
 年齢的には自分の親世代であり、体力的にはもちろん私の方が元気であるし、話の内容も決して大層なことでないが、口にされた一言一言から不思議と目に見えぬパワーをもらうことになり、これって不思議なものだなと思ってしまった。
 今日 話をした思い出話だけでなく、今の私や事務所の運営の根幹は長年いっしょに仕事をしたその勤務先で培われたものもたくさんあり、面会を終えて感謝の気持ちが沸き起こってきた。
 何と言っても 私が生涯で給与をもらった唯一の勤務先ですから、私の社会人としてのイロハがすべて詰まっていた場といっても過言ではないですよね。
posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月05日

No.913:人生の教科書

 今年初めてと思いきや そう言えば元旦に新年の挨拶として、事務所の年賀状を張り付けていたので、新年2回目です。
 みなさんはどんなお正月でしたか?
 私は9連休だったので最初の2日だけは近場に出かけたが、あとは歩いて近く神社へ初詣に行ったのと、年始に東京から帰ってきた次男と、そして昨日 和歌山の長女一家と食事に行ったくらいで、それ以外はほとんど自宅のリビングか自分の部屋に籠っていた。
 時間ができたら読みたいな、目を通したいなとか思っていた本や資料が私の部屋に積まれていたが(中には1年近く)、こういったものを読む時間がいつになくしっかりとれたのは、9日間 ほとんど外部との接触がない休暇だったということも大きかったように思う。
 そのお陰もあって 山積み状態が低い山になり私の部屋も多少なりとも整理ができた感があるが、これから繁忙期に入るので、「また時間がある時に読もう」という本が3月末くらいまで積まれていきそうである。

 私は年賀状をまだ出し続けているが、“年賀状じまい”という人も徐々に増えてきて、今年も数名の方からそういった添え書きのあるものをいただいた。
 このことに関しては本当に各人の自由で以前から返事が来ない人でも 年一度のあいさつ代わりに出している人もいるので、人それぞれの考えで出す、出さないは決めていけばそれはそれでいいのかなと思っていいる。
 前の職場でいっしょに仕事をしていた同年代の女性からの年賀状には、このブログを楽しみにしているということに加えて、「共感することも多いです」と書かれており、こういったのを見ると単純なもので「もう少し続けようか」なんては励みになったりしている。
 あと 私がまだ20代だった頃、私の部下という形でいっしょに仕事をしていた当時 高校新卒だった女性からの年賀状には、「子供は就職し、私は元日から働いています」と書いてあったのには、何の仕事をしているんだろう? 正月から仕事なんて と思ってしまった。

 毎年のことではあるがテレビは正月ならではの番組がほとんどで、元プロ野球が「野球人生ってどうでした」という問いかけに対して、すかさず「野球は人生の教科書です」と答えていたが、箱根駅伝を走った選手たちも20歳前後の若者とはいえ もしかすると同じように「箱根駅伝は人生の教科書です」という人も何人かいるのかもしれない。
 この「○○が人生の教科書」なんて言えるものがあるなんてすごいなと思うし、これって野球や箱根駅伝で活躍したことだけでなく、それまで一つのことに打ち込んだからこそ、その過程がその人の考え方を変えり、人生の根幹となるようなものが出来上がっていったのであろう。
 この歳になって人生の教科書を持ち合わせていない自分に多少恥ずかしさも感じるが、私がまだ小さい頃 親父が晩酌しながらの会話の中で、何回か言っていたいくつかの言葉がいまだに私の頭に残っているが、これが私にとっての教科書みたいなものかな思ってしまった。
 「人に迷惑をかけない」、「いつまでもあると思うな親と金」、あと商売をしていたので「損して得取れ」というのもよく言っていた。
 実はこんなこと久しぶりに思い出したが、これも今日のテーマを決めた後、自分を振り返ることになり、親には大変申し訳ないが数ヵ月ぶりに遠い墓で眠る親のことを思いをはせた。
 最後は妙な展開になってしまったが、年の初めに多少なりとも目が覚めるような終わり方ができてよかった。

 多くの方と同じように私も明日から仕事です。今回のように長い休みの後ってきついですが・・。
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2025年01月01日

No.912:謹賀新年

謹賀新年

旧年中は格別のお引立てに預かり誠にありがとうございます。
世界的にも我が国においても経済は持ち直し、好調・好況と言われている業種も少なくありませんが、周りを見ると日々の生活が豊かになったと肌で感じている人がたくさんいるようには思えません。
大きな社会の中で生活している以上、一人の力ではどうしようもない現実が目の前にありますが、決して腐ることなく、前を見て一歩一歩前進していくしかないように思います。
今の時代 万人にとっていいことばかりではなく、やはり個々の思いと見識に左右される世の中ではありますが、様々な分岐点に立った時 そのまま今の時流に乗るのか、あえて別の道を選ぶのかをきちんと見極めながら毎日を過ごしていかなければならないと考えています。
これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

令和7年 元旦 

廣井増生税理士事務所
 所長 廣井増生

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
   Tel:075-406-7020   
   Fax:075-406-7025
   URL:http://www.tax-hiroi.com
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2024年12月22日

No.911:コスパに挑戦

 今年の冬至は12月21日だったということで、寒さはまだまだこれから本番であるが、これから夏至に向けて日が長くなるということは少しうれしいことである。
 私が寝ているベッドから窓までは50p程しかなく、比較的厚いカーテンとはいえ日が昇ってくると否応なしにも明るさを感じるので、朝が来た ということは寝ながらにしてわかるのだが、このところその明るさが感じられず、時計を見ないと今何時かわからい日が続いていた。
 調べてみる冬至の日の出が7時1分、日の入りが16時49分と思っていたよりずっと遅い日の出と早い日の入りであったことに少し驚いた。

前置きが長くなったが、
 数年前から“コスパ”や“タイパ”という言葉があちこちで飛び交っていて、皆様も「〇〇の食事はコスパがいい」とか、「この業務はタイパがよくないね」なんていうのを聞いたり、使ったことはあるでしょうが、時代遅れなのかもしれないが、実はこの言葉は自分からの話題提供の会話の中ではたぶん 自分からは使ったことがないように思う。
*コストパフォーマンス(コスパ):支出した費用とそれによって得られたものとの割合。費用対効果。
 これは日々の生活の中でも仕事をする上でも重要であることは分かっているが、このことに重きを置きすぎるために何かを失っていないか心配する時もある。
 もちろん費用対効果を探りながら生きていきていくことは必要であろうが、逆にコスパにとらわれずに生きていくことも必要なのではと感じることもある。
 レストランであれば一定のメニューから量的なことは分かるし、空腹を満たすためだけならボリュームにだけ目を向ければいいのでコスパの追及は比較的容易であろうが、味は人によって感じ方も違うし、味だけでなく店の雰囲気も含め こういったことまでコスパということで数値化できるのかどうかは悩むところである。
 実は我々の税理士業界でもこのコスパという言葉が使われており、ネットでは、「格安税理士」、「安くて評判のいい税理士」、「コスパのよい税理士の見つけ方」なんていう見出しが目に飛び込んでくる。
 こういったことは依頼者からすれば当然のことであるし、比較・検討した上で税理士を見つけることは今や必須かもしれないが、我々の仕事は各税目の申告書を作成することは当たり前の業務であって、それ以外にどれだけの付加価値、つまりプラスαを付けられるかが他の税理士との差別化であると考えながら仕事をしているので、「法人の決算 いくらでできますか?」とか「相続税の申告業務はもともと高くつく業務と聞いているので、できるだけ安い税理士さんを探します」なんて言う納税者に遭遇すると何とも言えない気分になる。
 こういった時には事務所として提供できるサービス内容をしっかりと伝え、基本的な報酬を提示し、あとは依頼者の判断に委ねるしかないというのが事務所の考え方である。
 その時 心の中で思っている「税理士の業務って値段だけで決めるものではないですよ」ということを口にすることはないし、税理士自らいうことではないと思っている。

 最初に掲げたもう一つのタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉であるが、時間をどれだけ効率的に使うのか、また一定の投下時間からどれだけの成果物が得られるかというこのこと自体は、仕事をする上では常に念頭に置いて業務に当たらないといけないし、経営効率を追求する立場である経営者であれば、さらにその重要度は高いものになるのであろう。
 「少ない労力で大きな成果を得る」というのがコスパ、タイパを論じる意義だとすれば、そのこと自体は万人にとって良いことなので、何ら非難されることではないが、“コスパ”、“タイパ”という言葉に何かしら薄っぺらな概念というか、我々の世代にとってはスッと頭の中に入ってこないのは、もしかすると年のせいなのかもしれない。
 ただ、一見 無駄と思われること、つまり無駄な時間を費やしてしまったなと思うことの中にも、後で表に現れる顕在的な成果物が潜んでいたりすることもあるし、40年もこの仕事をしていると何年も前に経験したことが役に立つことも数えきれないほどある。それがその当時はそれほど重要でなかったことであっても。
 コスパやタイパを追求することは必要であるが、無駄と思われることの中にもきっと意味のあることもあるはず と思いながら業務、そして日々の生活を送っているので、こんな言い訳がましい話になってしまっていることはお許しいただきたい。
 最近、言葉一つとっても年代の違いを感じてしまう世の中になってしまいましたよね、残念ながら・・。
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2024年12月15日

No.910:忘年会のない職場

 今回のタイトルは実は我が事務所のことを指しているんです。
 決して忘年会を催すことを拒んでいるわけではないし、コロナの前までは毎年12月の最終就業日の夜に開催していたが、コロナで数回開催ができない年があり その流れで現在に至っている。
 また、年末年始は仕事も立て込んでいるのと年末から帰省や旅行などで慌ただしい人もいるのでどちらかというと落ち着いた時期にという私の思いもあり、事務所全体での懇親食事会は確定申告明けので一段落ついた4月初旬の慰労会と暑さも一息つき11月以降の繁忙期に入る前にということで9月から10月初旬に納涼会を行っている。
 毎年食事の内容と場所は、会席料理をはじめ 中華や焼肉などできるだけ重ならないように私の独断で決めている。
 「次は何ですか?」とか「○○なんかいいですね」なんていう言葉も耳に入ってくるので、多少なりともそういった意見も参考にし、もちろん予算と場所も考えながら思いを巡らしている。
 この流れでいくと次は来年の春先になるのであろうが、こういったことを考えることも疲れている時期とはいえ、多少なりとも楽しみながら次のお店捜しをしているというのが本当のところである。
 予算や料理以外に事務所のメンバーはいろいろな交通手段であちこちから通勤しているので、帰りのことを考えるとどうしても交通の便のよい所というのも結構頭を悩ますところではある。
 コロナ以降ということだけではないが最近の傾向としてはこういった職場での行事についてはいろいろな考え方もあり、参加を強制はできないので、それぞれの事情によって参加できない人も毎回数名いるが、これはこれで時代の流れとして致し方ないと割り切っている。

 食の話ということで、仕事柄なのか性格によるところからなのかは分からないが、毎日の昼ご飯は事務所の隣のコンビニで買ってくることも含め、とにかくサッと早く食べられるということを重視しているため、大した昼メシにありつけることはほとんどない。
 車で出掛けることも多いが、まずは並ばずにすぐに席に着ける店となると、昼時が重なれば選択肢は極端に狭くなってくる。
 そんな中で車で数件訪問している途中で面談時間の関係で、少しだけ時間のとれる日が月に1回だけあり、毎回事務所の担当者とお決まりに店に行くことが定番になっている。その店は滋賀県の栗東の国道沿いにある"かつや"というご飯屋さんであり、先週もちょうど立ち寄ることがあり、毎回メニューを見ながら楽しんでいる。
 同行している○○君はいつも決まった定番メニューであるが、私はほぼ毎回違う定食で、先日は定食ではなくなぜか「海老ロースかつ丼+とん汁」を注文した。
 毎回レジで支払する時に 次回使える100円引きの券をもらうが、前回もらったその券を車の中に置いてきたままで、離れた駐車場まで取りに行くわけにもいかず、「しまった」と思うことも2回に1回くらいの割合である。
 もしかすると駐車場に着いたとたん「何食べようかな?」と夢中になり過ぎているからなのかもしれない、お恥ずかしい話ですが。

 こんなしょうもない話ばかりしていますが、仕事はちゃんとしていますよ。なんせこの時期 仕事一色ですから”頭休め”としてこんな内容になってしまうんです(← 言い訳のつもり)。
 年末まであと2週間、もうひとがんばりしないとお正月はやってきません。
 それにしても今日の話も終わってみれば、タイトルと全然違う話になってしまっていますね、これも毎度のことですが。
 では、このへんで・・・。
posted by ヒロイ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月07日

No.909:おいしそうな おにぎり

 最近 おにぎりが話題になり、テレビやネットでとり上げられているのを目にした方もいらっしゃるかと思いますが、私の家の近くにも結構有名なおにぎり屋さんがあり、ワンちゃんの散歩コースによっては店の前を通るときもある。
 北山通りに面したビルの1階に1年半ほど前 オープンした“こじまや”というお店であるが、開店したての頃「こんなところでおにぎり買う人いるの?」と思ったし、最初は人影もまばらでこの店いつまでもつのかな なんて失礼なことを考えたりもしていた。
 それが最近はブームに乗ってかどうかは知らないが、店の前に路上駐車をして買っている人を見かけるし、地元の人だけでなく他府県ナンバーの車が停まっている時もたびたびある。
 2週間ほど前の休日の朝、とはいっても10時頃にワンちゃんの散歩の帰り道で通りかかったので、横にいたカミさんに「昼ご飯に少し買って見よか」と言ったところ、「あんた値段知ってるの? おいしいだろうけど結構高いで」と一蹴され残念ながら買わずに家まで帰ったことがあった。
 話題のおにぎり屋さんということだったので、後でスマホで覗いてみると、
  ・紀州産南高梅 240円
  ・ツナマヨ 280円
  ・タコの炊き込みご飯 300円
  ・まぐろ昆布 350円
  ・北海道産紅鮭 450円
 とおいしそうなメニューが並んでいた。
 これまではおにぎりといえば、急ぎで昼ご飯を済ませたい時にコンビニで買うものというイメージが強かったが、こういったおいしそうなメニューを見るとただ単にお腹を満たすだけのものでなく、しっかりと味わうものになってきている。値段の方もそこそこなので、「おにぎりでも」なんていう軽い気持ちで買うというわけにはいかないが。
 我々 昭和世代の者にとってはおにぎりは遠足や運動会に持っていくために朝早くから親が握ってくれたもので、ちょっと贅沢感を出すために中に入っていた塩昆布が昼にはご飯に味(だし)がしみて 白いご飯が食べる時には何とも言えない味付きのおにぎりに変わっていっているのが楽しみの一つであった。
 昔話ついでにもう少し話を続けると、さらに小さい頃(たぶん小学校1、2年の頃?)には、友達が家に遊びに来ている時に夕方になると祖母が握ってくれたおにぎりの味は今でも思い出す。
 少し辛いくらい塩たっぷりで、海苔にも巻かれていない白いままのものが 子供たちの前に出てきた夕方のおにぎりは最高であったし、横に小さく刻まれていたたくあんをもう一方の空いた方の手でつまみながら食べていた。というか がっついていたというのがまさにその時に表情であったのであろう。
 今度は軽い朝ごはんではなく、一回の食事として扱って 冒頭のこじまやに寄ってみようかなと思っている。
 私は直接買いに行くこともないが、お米の値段が高騰しているという記事を目にすると、おにぎり屋さんの経営も結構大変なんだろうなと心配してしまう。

 自分のブログを見てみると、最近は心の中から叫びたくなるような文句や批判めいた内容が多くなっていて、もう少し ほんわか感 を出さないと思っていたが、今日はそういった内容で終われそうなので、ここでお終いにします。
 でも 世の中も変わりましたね、おにぎり屋さんが北山通りに出てお商売をするようになったのですから。
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2024年12月01日

No.908:京都は日本人にとって近づきにくいまちになったのか?

 昨日 地元紙の朝刊に“京のホテル価格 一段と上昇”という気になる記事の中に下記のようなことが書かれていた。
・駅前 1人用客室が1泊素泊まりで3万円に迫る
・カプセルホテルでも1万6千円を上回る
 「これってどういうこと?」と思ったが、急増するインバウンド(訪日客)だけでなく、人件費や原価高も影響しているということで、今や京都は日本人が手軽に行ける観光地でなくなってきているという現実がある。
 ホテル側にとっては客室稼働率が90%に近づき、しかも高価格帯で、ということであれば経営的に見てありがたい話であろうが、昨年の秋、関東に住む知人が京都へ来て、久しぶりに会った時に「ホテルがとりにくいだけでなく、(宿泊代が)めちゃ高くなっていたので驚いた」と嘆いていたが、それから1年後の今秋、その傾向には一段と拍車がかかってきている状況のようである。

 今年は暑い秋が長く続いたので紅葉の色づきも10日程遅れ、今が見ごろのようであるが、京都に入ってきたり、市内を走る車も確かに多いが今までの紅葉や桜の季節の京都ならではの一番の季節にしては“めちゃ混み”というような大渋滞は一部の観光地だけで、街中の主要道路は普通の休日より少し多めか? というくらいの込み具合である。
 それもそのはずデータに目をやると、今年の10月の速報値では、
 外国人観光客は前年同月比で30%増の65万人、日本人は12%減の33万人で宿泊客の65%が外国人という、まさに国内観光客が減り続けているということで、データから見ても 車でやってくる日本人観光客が少ないのもうなづける。
 でもこれって観光がビジネスである以上、儲かる方へシフトするということはやむを得ないにしろ、こういったことは強制的に入国制限や京都市を訪れる外国人観光客を規制でもしなければどうすることもできず、どちらかいうと行政が掲げていたインバウンド大歓迎という施策にピタッとはまっていっているともいえる状況なのであろう。
 京都が国際都市になるにはこういった現象は当然のことなのかもしれないが、日本人にそっぽを向かれる街になるのは少し寂しい感じがする。
 確かに泊まるだけで3万も5万も、家族連れであれば10万近く準備しないともはや京都には泊まれないということである。
 確かに日本人の家族連れや修学旅行を含む団体旅行にお目にかかる機会はめっきり減ったと感じていたが、今回の報告記事を見て頷くしかなかった。
 こういった現象を見ていると日本人は安上がりで身近なところで旅を楽しむしかなく、こんなところも我が国の経済が好況ということを肌で感じることができにくくなっている要因かもしれない。

 京都は日本人にとって特別な所で、
 「そうだ京都へ行こう!!」という東京駅のポスターや50代以上の人なら一度は聞いたことがある「なのにあなたは京都へゆくの、京都のまちはそれほどいいの・・」というチェリッシュの歌が今や懐かしい響きになって頭をよぎってしまう。
 さあ、1年後、5年後、10年後の京都はどんな街になっているのでしょうかね? 何か先のことは想像すらできない時代になってきているという感じがするのは私だけなのでしょうか?
posted by ヒロイ at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月24日

No.907:第一ボタンをはずす奴

 言葉遣いが悪くてすみません。
 No 何番であったかは覚えていないが、今回の内容は以前にここで取り上げた記憶があるので、その時と内容がだぶっているのか、それとも当時と違うこと言っているのか そこの部分はあえて確認しないまま 今 自分が思っていることを素直に綴ることにするので、そこのところは お許しいただきたいので まずは綴り出す前に断っておく。
 
 私が社会人になったころは、クールビズやカジュアルデーなんていう 着る者の自由度に合わせてファッションを楽しむなんていうビジネスシーンはなかったので、一般的にスースを着る職業(たぶんこの考えが今では古いんでしょうね)でノーネクタイなんてなんていう考え方はなかった。
 残業していて、接客の予定もなく自分の席でデスクワークをする遅い時間帯に 一息つきネクタイを外し首元を緩める時は、ホッとする何とも言えない瞬間であった。
 これは気を緩めるのではなく、さあこれからは 誰にも邪魔されずに自分の世界に入り込んで仕事に集中するぞという ある意味 残業のスタートの合図のような意味合いも持っていたように思う。
 今回 タイトルでもあげているワイシャツの第一ボタンとネクタイというのは自分でもあまり気に留めたことはなかったが、こうして自分自身の行動やその時の気持ちを振り返ってみると、ビジネスの上では結構重要視していた部分であったのかもしれない。
 先日、テレビで久しぶりに私のこういった(ある意味偏った)考え方からして、「こいつめっ!」と思う野球選手の姿が目に入った。
 この選手は2023年5月 ある事件の報道があってから、その後 その年は試合に出ることがないまま、2023年の年末に西武からソフトバンクに移籍し、今年(2024年)には、新天地で本塁打王と打点王の二冠を獲得した。
 そして今回 年俸大幅アップのインタビューでの姿に少しイラついたということであるが、スーツ姿での公式会見であるにも関わらず、ネクタイはゆるゆる、もちろん第一ボタンは外し放題 という出で立ちであった。
 少し前にあった同じくソフトバンク 和田投手の引退会見は、同じくスーツに身を包んでいたが、ボタンも留め、ネクターもビシッと締めていて、あまりにも違うこの二人の姿に野球選手であってもユニフォームを脱いだ時こそ品格が出るな と我ながら勝手に納得してしまった。
 今回のような話はあくまで私の好みやセンスの問題、それに独りよがりの考え方もあるので人さまに強要するつもりは全くないので、あまり深く考えずに古いおっさんの独り言くらいで聞き流してもらえればそれで十分である。
*これを綴りながらこの選手の記事を探していると、昨年12月のソフトバンクの入団会見の時はきちんと第一ボタンを留め、ネクタイもキュッとしまっていた・・やればできるんだ。

 最後にもう一人ネクタイをしていて、ワイシャツのボタンは必ず空けていた芸能人がいる。もし、ネクタイをしてボタンを上まで留めている写真があれば教えて下さい。
 それは今はなかなかお目にかかれなくなった松ちゃんこと〇本〇志さんです。
 もちろんですが、ファッション面からするとネクタイしていない時は逆にボタンをはずしている方が自然であるということはわかってはいます。

【ネクタイ着用のビジネスシーンではシャツのボタンは留める】という マナー集の一部を張り付けておきますのでご参考に。
商談やプレゼンなどネクタイを着用するビジネスシーンでは、シャツのボタンは一番上のボタンを含めて全て留めるのがマナーです。
ビジネスシーンや面接では特に相手に与える印象が大切なため、ボタンは上まできっちり留めましょう。首元に窮屈さを感じる場合にはシャツのサイズを見直すのがおすすめです。
「首元がきついのはサイズが合っていないということなんですよね」 その時はケチらずに買い替えましょう[廣井]
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2024年11月17日

No.906:機屋が正しく読める人

 コロナが始まってからしばらくの間は税務調査も大幅に減っていたし、コロナがピークの時は税務署の調査官が税務調査に出向くことすら制限されていた時期もあった。
 2020年2月から2023年5月までは、日常生活における行動にも一定の制限がかかっていたので当然と言えば当然のことであるが、昨年(2023年)の秋以降は税務調査も少しずつ増え始め、今年(2024年)の春以降はすっかりコロナ前の水準まで戻ってきている感がある。
 現場としては「戻ってきている」というのが実態なのであろうが、3年近く税務調査が控えられていたということもあり、“通常状態”になったことがすっかり「増えてきている」という風に肌で感じてしまうということに 人間の感覚や慣れとは怖いものだなと思ってしまう。
 この場で税務調査の細かな内容に触れるわけにはいかないので、調査の中身とは違う話になってしまうが、先週 事務所のお膝元である上京区の西陣織の帯製造業の会社に税務調査が入った(現実にはまだ終わっていない・・現在も進行中)。
 調査初日の午前中は社長から調査官に対して帯の製造工程についてこと細かな説明があり、時折 調査官も疑問に感じたことを質問してくるという 帳簿のチェックの前に材料、工程、職人という製品ができるまでの流れの中の重要なポイントをきちんと把握した上で、机上の調査に入るという 一般的な税務調査の流れに沿ってやり取りが進んでいった。
 税理士という職業柄、当然のことながら税務調査の立ち合いは非常に重要な仕事の一つであるが、今日 この後は税務調査に直接関係のない話で内容をまとめさせてもらうことにする。

 私の実家は京都府北部(丹後地方)で祖父、父と二代に渡って織物業を営み、来る日も来る日も反物(たんもの)を織り続けていて、そのお陰で私たち3人の兄弟は学校にやってもらい、就職するまで育ててもらった 恩人ともいえる職業である。
 実家の2階にあった私の部屋の下では朝7時に織機のスイッチが入るので、否応なしにも目が覚めるし、実家を離れる高校3年生までは目覚まし時計に頼った記憶もほとんどと言っていいほどない。
 この仕事は後継者もいなかったので、今から35年ほど前 父が60歳になったのを機に何の迷いもなく、スパッと廃業し、それからは農耕民族のように畑での野菜やくだもの作りに精を出していた。
 税務調査から話は変な方向に流れてしまっているが、この日に行われていた1時間半ほどのやり取りは、私の幼少期を思い出させてくれる懐かしい話しのオンパレードでもあった。
 ここで今日のタイトルの話に無理やり戻すが、今回の税務調査の対象となっている西陣織や私の実家が営んでいた丹後ちりめんは、機屋で製造されるのであるが、この機屋を「はたや」と読める人が果たしてどれくらいいのであろうか と思ったのが今日の話をしようと思ったきっかけでもある。
 私が通っていた小学校は1学年50人程(今は10人くらいのようである)であったが、そのうち親の職業は70%くらいはこの機屋であったし、15%くらいは機屋でなくとも織物(着物)関連の仕事に就かれていた。俗にいうお勤めの人(うちの母はサラリーマンのことをいつも月給取り と言っていた)や食料品や雑貨のお店をしている人たちが残りの15%位であったように思う。まさに右も左も機屋 一色の地域、そして時代であった。
 今日は税務調査から自分の幼少期や親の職業について思い出すことができたという 副産物もあり、頭の片隅に懐かしさが蘇る先日の税務調査であった。
 ただ、調査はまだ2日目を残しているので油断はできないが、何とか乗り切れたらと思っている。
 “機屋”っていう言葉に触れるのが初めての方も多いと思うが、最後にネットのコトバンク:デジタル大辞泉にこの言葉が載っていたので ここに挙げて今日はお終いとする。

[デジタル大辞泉]
*はたや【機屋】
1 機を織る建物。はたどの。
2 機を織るのを職業とする家。また、その人。織り屋。
posted by ヒロイ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月09日

No.905:こんな経験初めて

 まずは先週はあるトラブルにより、このコーナーも久しぶりに臨時休業となりましたことをお詫び申し上げます。
 今回の妙なタイトルを見て「いったい何が?」と期待されている方があるかもしれないが、何か身に危険が及んできたとかそういったことではないし、捉え方によってはそう大したことではないとも言えるが、いざ急に自分に降りかかってくると大変なことであった。

 実はスマホ(携帯)が2日間 一切使えない状態になってしまったのです。
 先週の金曜日(11/1)の夕方に事務所内で仕事関係の連絡をしようと思いスマホを手にすると、画面が真っ黒でどこを押しても無反応、試しに充電器に差し込むと、一瞬 チカっとランプがつくがすぐさま消えて再び無反応。
 その後、10分ほどいじっていたが、どうにもならないのでいったん通常の仕事に戻り、ひと通り仕事を終えて繋がらないスマホを持って 20時頃に家に帰ったが、このままでは日常生活もままならないと思い、ドコモショップに故障のための来店予約を入れた・・これも私のスマホでは
予約がとれないのでカミさんのスマホからやってもらった。
 家から15分程度で行ける3つのショップは3件とも11/2(土)と11/3(日)は予約が詰まっているのでご来店いただけません という冷たい(こんな時なのでなおさらそう感じたのかも)アナウンスが流れるだけであったが、唯一 北大路店だけが3連休の最終日の11/4(月)17:30の枠で予約がとれた。
 3連休の初日の朝に ポッカリ心に穴の開いた状態でスマホをいじっていると突然 スイッチが入り画面が現れた。
 「やった!」と思うと同時にこれで一安心、電子機器なんてこんなもんで機嫌を損ねているうちは反応ないが、何かのきっかけで立ち直ることもあるんだ なんて馬鹿なことを考えながら、着信の電話やメールがないか画面を食い入るように見て、15時間程に間 音信不通であった穴を埋めようといじっていると、30分もしないうちに再び×となってしまい、そこからは うんともすんとも全く反応しない元の状態に戻ってしまった。
 休日なんで大した連絡もないだろうと自分に言い聞かせてはいたが、調べたいことがあっても検索はできないし、電車の時間の確認もできない、そして11/4(月)は車で大阪に行く用事があり、高速道路の込み具合が知りたかったがそれを調べることもきないという できないことずくめでスマホ1台がないだけでどれだけ不便なのか痛いほど思い知らされた。
 極めつけはカミさんと大阪に行って、ある店で少しだけ別行動をとる時にスマホで連絡ができないので、それぞれの用事が終わったという連絡や待ち合わせ場所の確認もできず、久しぶりに「○時〇分に玄関前で」という一昔前の待ち合わせ手法を取らざるを得なかった。
 単なる連絡手段だけでなく、買い物や乗り物の決済、それ以外にもスマホは万能ではあるが、こうなってしまえば何もできない自分がただ取り残されているだけという ありなんとも悲しい気分になった。

 待ちに待った11/4の17:30にドコモショップに行って、お店のお兄さんに現物を渡し故障内容を調べてもらうと、「もう少し初期段階(一度だけスイッチが入った段階)で持って来ていただければ、結構 復旧できたかもしれませんがここまで行くと 電話帳と写真以外は一切消えてしまいます」と言われ、「それはないやろ」と思ったものの 今までのメールと電話の着信履歴、それ以外のデータも全てアウトという むごい現実を受け入れる以外 どうすることもできなかった。
 そしてその場で機種を選んだ新しいスマホに何とか電話帳は移し替えられので最低限の仕事のことはできるが、もしスマホでスケジュール管理をしていたら連休明けからどこで誰と会うのかも分からない状態のなるところであった。
 ただ 今や少なくなったが、手書きの手帳でスケジュール管理をしていたのでこの部分の被害は防ぐことができた。
 こんなこといつまで愚痴っていても始まらないので私の頭の中は何とか切り替えられてはいるが、今回のことで日常生活におけるスマホの依存度の大きさがわかったことと、スマホのない2日間は最初は不安であったが2日目の午後になると定期的にスマホを開いてチェックする必要もなく(できないだけだが)、何かに追われているという感覚が徐々に薄れてきて、10〜15年ほど前まではみんなこんな感じだったんだなと感傷にふけることもできるようになった。
 この間 一度だけ地下鉄に乗った時、地下鉄の中ではほとんどの人(一人で乗っている人は9割以上)がスマホをいじっていて、スマホを持たない私がある意味特異な存在であったが、このことさえもスマホを持っていたら気付かなかったであろう。
 いろいろな意味でスマホのあるのが当たり前であり、ないままで生活することすら想像したこともなかったが、とんだ災難によりスマホなしの生活を2日間強いられたのは、何とも貴重な体験であった。
 とはいってもこんな不安な体験 二度としたくないですが・・。
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2024年10月27日

No.904:みなさまの情報源は何?

 「あなたの情報源は?」と聞かれると皆さんはなんてお答えになるのでしょうか。
 私はテレビはほとんど見ないので新聞とネットニュースということになるし、もう少し具体的に使い分けをいうと、急ぎのニュースはスマホやパソコンで即座に情報を仕入れ、急ぎでないものについては朝、夕の新聞ということになる。
 今どき変な奴と思われるかもしれないが、朝の出勤前には2つの新聞を1時間程かけて結構 隅からスミまで目を通す。
 別にどこかの論説委員が書いた格調高い記事を読みたいわけではなく、経済、政治、それに国際情勢の他、スポーツや文化、中には健康のための記事なんかもあり、一通りのことが1時間で頭に入ってくるので今でいうコスパは決して悪い方ではないと自分では思っている。
 地方紙の社会面では、先日も○○市 国道□号の△△の交差点で死亡事故があったことが載っていたが、運転していた人は80代、亡くなった人は90代というのを見ると高齢者の運転について考えさせられたり、中には仕事でよく通る道での事故の記事もあり、そこを通る時 今までよりも更に注意深く運転をするきっかけにもなる。
 また、私も一応 経営者なので求人のチラシを見て、どの業種の募集が多いのか、また月給や時給の相場はいくらなのか一番新しい旬の情報を一目で仕入れることができるし、子育ての終わった私には関係ないが塾や予備校の広告も記事の内容に工夫が見て取れ、塾も経営やもんななんて思ったりもしている。
 実は仕事と日々の生活には役には立たないが、私にはもう一つ新聞を読む楽しみがある。
 それは旅行やグルメの記事に触れることで、一応 旅行は趣味のうちのひとつであるが なかなか時間がとれず実現しづらいので、新聞に載っている旅行案内を見て仮想旅行を楽しんでいる。
 地方紙の日帰りツアーは自分でも行けそうな所もあるので 時間がとれた時に行こうと頭の片隅に記憶させておくこともあるし、日経新聞の旅行は結構豪華版で、時間もなければお金の方もこれだけは出せないなというような金額であるが、魅力のある旅のオンパレードである。
 先日も北欧アイスランドの旅とか、3カ月かけていく豪華客船の旅の旅程表を見ていると行く当てもないのに、そこの街や自然を空想するだけで少しだけ心が和む時間となる。
 だだ最近のこういった贅沢な旅行は大体100万円以上はするので、なかなか手が出せそうにないというのが正直なところであるし、東北6県 湯けむりの豪華な旅というのも見たことがあるが、これとて確か30〜50万円ほどしていたと記憶している。
 言い訳や強がりではないが旅ってなかなか実現しないことも逆に「いつかは」と気持ちを盛り上げる要因になっているように思う。

 話題を新聞そのものの話に戻すが、以前 名古屋の大きな税理士事務所の所長さんと話していた時に、その方は「毎朝5時前に起きて毎朝 新聞を5誌 読むのが日課です」とおっしゃっていたが、ある意味羨ましい所長業だなと思って聞いていたことがある。
 私はとてもそんな時間がとれそうにもないが、それが現実があり残念ではある。

 今日は衆議院の選挙の投票日であるが、既に期日前投票を済ませていたので今日は比較的ゆっくりと過ごせる日であった。
 昼前に以前から連絡をいただいていた遠方からのお客様があったので、北山にある手打ちそばの店で昼食をとり、その後は近くの とはいっても車で10分程の所にある下鴨神社に行ってきた。
 どこかへ遠出したわけではないが、こういった何気ない1日が送れることは、ホッとすると同時に明日からの活力源にもなる。

 先程 ネットニュースを覗いてみると衆議院の総選挙の投票率が伸び悩んでいるという記事が載っていたが、最近は情報網もすごく、選挙結果の予測が各報道機関から日替わりで洪水のように流れてくるのも影響しているような気がする。
 これはあくまで私見であるが、あれだけ毎日情報が溢れ、まるで選挙が終わったかのように予測獲得議席数が発信されると、選挙が終わったかのような気がしないでもない。
 以前は告示以後1、2回だけの予測であったので投開票日にはどうなるのだろうかと思って行動もしたが、この投票前の情報戦は逆に選挙のドキドキ感を奪っているようにさえ思う。
 今日も20時ちょうどに”当確”の情報が溢れるのだろうが、最後に先週行った期日前投票の時に私の前を歩いていた70代くらいのおばさんの言葉が何ともおもしろく、印象に残っているのでこの言葉で今日は終わりとする・・期日前投票でも出口調査があって驚いたが。
 「あれか出口調査いうのんは? なんで自分の投票した人を他人に言わんといかんのや。あほらしいし、嘘ついて投票していない人の名前を言うてやったわ。」
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2024年10月20日

No.903:人口が増えないのに建ち続けるマンション

 京都市内はインバウンド需要が急激に高まったコロナ前には、市内のいたるところで建築ラッシュとよばれるくらい数多くのホテルが建ちまくった。
 その後 あのコロナで旅行客の宿泊需要は大幅に落ち込み、休業するホテルもあちこちで見られ この先どうなるものかと予測もつかない状態が1、2年続き、私は個人的には5年近くは元の世の中には戻らないだろうと思っていたが、その後の立ち直りは私の予想をはるかに上回るスピードで、その回復ぶりには驚いている。
 外資系でありながら日本の趣を残したものや敷地を最大限に利用した大きなホテル、それ以外にも街中で数台の駐車場だった狭い場所まで気がつけばホテルが建っていたというところも何ヵ所かある。
 そして、最近は京都に限ったことではないのかもしれないが、空いた土地があるとホテルではなくマンションが建つという 今ではおなじみの光景があちこちで見られる。
 昨日も五条通沿いのJR丹波口駅の近くを通ると271戸という大きなマンションが建築中であったし、私の自宅から10分のところにも394戸のマンションが建設中である。
 京都は他の都市以上に外国人の富裕層には絶大な人気とのことで今や購入者の何割かは外国人というマンションもあると聞いている。
 ただ、いくら早く売れ、完売になったとしても住民が増えない限り街の活性化にはつながらないし、かえって人の住んでいない所有するだけのマンションは街が衰退に向かうきっかけになるかもしれない。
 タワーマンションといえば東京で建ち始め、その後 横浜、名古屋、大阪と大都市のものだと思っていたが、今では人口が一定以上の地方都市にまで波及してきていている。
*タワーマンション:20階以上のマンション
 私の長女が住んでいる和歌山でも高層のマンションが建築中だし、今日の日経新聞には「青森の2大都市(青森市ではなく弘前市と八戸市)にいよいよ高層マンションが・・・」という広告が載っていたのには驚いた、なんで青森県なの?(青森県の人 ごめんなさい)。
 今やタワーマンションのない県は全国で9県のみで、このうち3県は建設中とのことなので この現象は地方でも県庁所在地等の都市部に人口が集中し、それ以外の地域は人口減、そして過疎化はさらに拍車がかかるのであろう。
 この9県には京都府が入っていないのは、京都府も京都市以外の所でタワマンは存在するということであるが、京都市街地に限っていえば高さ制限は31m(概ね10階まで)となっているので、今後もタワマンのない数少ない都市といえるであろう。ただこのことが京都の地価をつり上げている要因にもなっているのかもしれない。

 今日はこんな内容であったので興味半分で全国各地のタワマンを検索してみると、住みたくなるようなマンションがいくつも画面に広がってきて、何とか買って見たくなるのもわかるような気もする。但し、高さだけではなく値段もとても高いのには驚いたが。
 今日は多少息抜きも兼ねての内容なのでこれ以上 深掘りはしないが、最終的には「日本って人口が減り続けているんだけど、どうして?」というところに行き着いてしまった。
 10年後、20年後にこのマンションがどういう姿になって、どんな人が住んでいるのか、そして人のいなくなった周辺の多くの地方とよばれる日本の国土はどうなっているのか? タイムマシンがあれば確認してみたい気持ちもあるが、その姿は決して明るいものではなく、もしかすると“衰退する日本”そのものの姿になって映し出されているような気もする。
 「人が減り続ける日本」と言われている中でのこのタワマンラッシュ、立ち止まって落ち着いて考えれば不思議な光景と言わざるを得ない。
 
 最後に今日学んだ知識を一つ。日本で高さの一番高いマンション(建物の高さではなく人が住んでいる部屋)はザ・パークハウス 西新宿タワー60 で208.97mで60階建てのようです。
 京都市中心部は10階までしか建たないとわかってちょっと一安心。
posted by ヒロイ at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月13日

No.902:衝撃:久しぶりに乗ったローカル列車で・・

 一昨日 仕事で福井県の片田舎に日帰りで行ってきた。
 事務所の顧問先であるが、二日がかりの業務であったので事務所のメインの担当者は私よりも一日早く車で現地入りして業務を行っていたが、二日目だけ合流する私が別の車で行くと帰りにそれぞれが運転して2台の車を連ねて京都まで帰ってこなければいけなくなってしまうので私はJRでこの顧問先に向かった。
 福井といっても北陸本線や新幹線が通っている所ではなく、福井県の中でも取り残された感のある大飯郡おおい町というところで、すぐ近くにはいろいろな面で注目を集めている原子力発電所(大飯原発)があるが、原発関連の産業以外はほとんどない人気(ひとけ)の少ない町である・・地元の人、失礼な表現ですみません。
 もちろん顧問先での仕事がこの日のメインではあるが、ここに行き着くまでの行程、そしてローカル線の車窓からの景色は私が田舎出身なので特に違和感はなかったが、はまさに日本の原風景という感じであった。
 京都から特急に乗って1時間半で東舞鶴に着いた後 ここから目的地に行くまではJR小浜線の普通列車しかなく、乗っている時間は30分程であったが、乗り継ぎのため待ち時間は50分もあった。
 駅でこれほど待ったのは久しぶりで、ここにはまさに地方の現実そのものがあり、時刻表を見てみると朝夕以外は列車は2時間1本で時間が最もあいている東舞鶴発敦賀行(小浜線)は11:06の次は13:38でなんと1本乗り遅れると次の列車まで2時間半もあいてしまうという都市部に住む者にとって驚くべき実態がそこにはあった。

 この小浜線についてちょっと調べてみると営業係数(100円の営業収入を得るのにかかる営業費用)792、輸送密度(1日の乗客数)864人でJR西日本の営業係数ワースト27位であるが、もう少しこの赤字路線のワーストランキングに目をやると1位の芸備線(東城〜備後落合)は営業係数15,516、輸送密度20人という想像をはるかに超えるものであった。この数字を東京の若者が見ると きっと「意味不明」と思ってしまうのかもしれないですね。
 今回のこのおおい町へは事務所の担当者は毎月2時間かけて車で巡回監査に行っているが、JRで行ったことは一度もないはずであるし、私も今回の訪問地以外でも京都から2時間近くかかる顧問先に出向いているが、毎回 高速道路を利用して車で行っているので今回のような”体験”は初めてであった。
 日本中を見てみれば、今回訪問した地域が特別ではなく日本の各地にこういった状況の所は数多く見受けられるのであろう。この小浜線がワースト27位ということなので、JR西日本管内だけでもこの上?(この下)をいく路線が26あるということである。
 都市部、特に東京一極集中が取り上げられているが、過疎の現実を目の当たりにしてショックを受けているというのが正直なところである。
 ただ、決して住んでいる人がいないわけではなく、道の駅もホテルもスーパーも、車で少し行けばコンビニもあるので生活するのには決して困らないであろう。
 ただ、車ありきの社会になればなるほど公共交通機関の利用者は減少し、その路線を維持することすら難しくなってきているのが現実であろう。
 ちょうど目の前に衆議院議員選挙が迫ってきているが、福井県の小選挙区は2つの区(2人)であり、片や東京都は今回から選挙区が5増えて30区(30人)となり、この差は有権者数に応じて割り振られているとはいえ、福井県民の声が中央に届き、政治を動かすのはかなり厳しいものであることがうかがえる。これは和歌山県や鳥取県など他のいくつかの都道府県でもいえることであろう。

 今日はたまたま乗ったJRから地方の生活の実情に触れる機会があったが、これはこれで自分にとって非常に貴重な体験であった。
 ちなみに私が降りた若狭本郷の駅前にはタクシーが1台だけ停まっていたが、これもどちらかというと珍しい光景でタクシー乗り場というプレートだけあってタクシーのいないところが地方の駅では数多くある。
 ICOCA(ICカード)が使えないので、久しぶりに券売機で420円の乗車券を買ったが、これが何とも新鮮で、仕事で来ているのに少しだけ旅気分を味わうことができた。
 決して広いとはいえない日本ではあるが、この格差ってどうするのだろうと考えるいい機会にもなった。
 ただ、決して都会がよいとか勝ち組であるとか 全く思わないのは、私が元々は田舎者なのからなのでしょうか。
 この日の体験は事務所の中だけで仕事をしていると味わうことや感じることすらなかっただろうし、外に出ていろいろな体験をすることこそが仕事にも人生にも生かされるということかもしれない。
 やはりじっとしていては何も得られないということでしょうかね。
posted by ヒロイ at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする