2019年09月08日

No645:“終活”の難しさは 思うように死ねないこと 

 今回のタイトルは“死”を肯定し、導き出しているともとられかねず、ちょっと誤解を生むようなタイトルになってしまった。
 実は8月以降、「私の現時点での財産を洗い出し、今後の対処方法を教えてほしい」というような依頼を3件も受けて、実際に作業にとりかかっている。
 70代、80代、90代と依頼者3人(すべて男性)の年齢に開きはあるが、3人とも特に入院されているわけでもなく、頭は同年代の方と比べるとかなり上位にランクされるくらい まだまだ聡明という言葉が当てはまるような方である。
 さすがに90代の方は家の中から出ることはできないが、ご家族やヘルパーの方の力を借りてご自宅で生活されており、読みかけの新聞や雑誌が並べてある。

 “終活”とは人生が終わるときのための整理やその後の道筋を立てておくことをいうのであろうが、こういったことをきちんとされていた方は自分の親も含めほとんどない。
 以前、相続税の申告業務の依頼を受け、相続人の方からいろいろな話を聞いたり、残された資料を見せていただく中で、亡くなられた被相続人の方がご自身ですごくきれいに整理されたノートが残されており、その中には預貯金の口座番号や生命保険の証券番号、他にいくつかの契約されたことについて契約者番号や契約期間が細かく記されていた。また自宅の修繕の経過や今後の対応についても書かれており、これを見せていただいた私は、「これはすごい」と思ったと同時に、数年間にわたるがんの闘病期間中にどんな気持ちでこのノートを作成されたのであろうかと、私も親交のあったこの亡くなられた方のことを考えた。

 もちろん多くの財産をお持ちの方は、後々 相続人間での遺産分割でもめないようにしておくことも大事である。
 人間70代以上になると誰しも、「ああしたい」、「こうしたい」と思うだろうし、日々の雑談の延長として私に対して、「財産をこんな風に分けようと思っているんだけど・・・」という話はいく度となく聞いたことはある。
 ただ、正式に「遺言書」で残したり、子供たちがそろった面前ではっきりと口にされるケースはほとんどない。
 逆に言うと年々歳をとり、段々体が弱っていく身である中で、財産の分け方を明言できる(「遺言書の作成」を含む)ほど気丈である人は少ないように思う。

 実は、今回は財産とか遺言の話がしたいわけではなく、「いかに死ねるのか」とか「思うように死ぬことの難しさ」ということについて私が考ていることを少しだけ述べさせてもらおうと思っている。
 お年寄りから、「なんぼ(何歳)まで生きんとあかんのやろ」とか「80歳で亡くなったお父さんにはよ迎えにきてと毎日拝んでるんやけど」なんていう話を聞かされることもある。
 そうかと思えば、交通事故や災害、それに殺人に巻き込まれてある日、ある時、突然にして命を落としてしまうことだってある。
 この命というもの、そして生きることと死ぬことの難しさ、これっていったいどうしたらいいんだろうと思ってしまうし、こんなことを考えていたら計画を立てて死の準備をする“終活”が思いどおりに進められる人ってどれくらいの割合いるのだろうかと考えてしまう。

 ただ、こういったことを考えながら、それそれの人が満足のいく人生の終わり方を導き出すことも我々の仕事の中に入り込んできている。
 どんな書物を読むよりも、亡くなった父や施設で暮らす母のことも考え合わせたり、いろいろな人の思いも聞いたりする そんな体験こそが、財産や税金の計算をするだけの仕事に終わらず、それぞれの人にとって最善の方法を導き出すとき より良いヒントになることもある。

 最後にこういった話の中に入っていく時には、情にほだされたり、“情”によりかかりすぎないようにすることも必要であり、少し冷たい人間に見えるかもしれないが、そのことが結果として一番よい方法を導き出すためには重要なことなんだろうなと自分に言い聞かせながら行動するようにしている。
 ただ、ただいった時にいつも考えてしまう 「一番いい結果ってどんな結果なんだろうなって。」
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2019年09月01日

No644:“口コミ”と“口コミサイト”の違い

 最近、お店の評判をネット上で書き込む“口コミサイト”が話題に上がることが多いし、これを見て行く店を決める人も多いと聞くが、この口コミサイトってどれくらいの信ぴょう性があるのだろうかと思ってしまう。
 決して誤った情報が掲載されているというわけではないが、やはり知人や身内など身近な人から聞いた情報に勝るものはない。
 私自身は詳しく調べたことはないが、我々の税理士業界をターゲットにした口コミサイトもあるらしい。ただ、こういった口コミサイトを気にして仕事をするなんてできそうにないし、日々の業務を忠実にこなすことしか頭にはない。
 飲食店でも確かに口コミサイトで評判のいいところは、当たりはずれもなく一定の水準以上であることが多いが、口コミサイトにも上がっていないような店だが実は味は絶品という店を自分で探すのもこれまた楽しそうな気もする。
 我が事務所の顧問先の多くを占める開業医(クリニック)も今では口コミサイトで良い悪いが語られる代表的な業種のひとつでもある。
 先日、面談した開業後1年に満たない先生は評判もよく、既にかなりの患者数であるが、口コミサイトでいいことが書き綴られているだけでなく、近隣の住民や受診された患者から近所の方や知人へのよい評判の口コミも多いらしい。

 よく自分のお店の客やクリニックの患者の数を増やそうと広告や看板についていろいろと検討され、どこに出したらいいのかとか どれくらいの費用までならかけてもいいのか聞いてこられる経営者も多い。
 事業を始めて間もない頃はお店の名前や場所をいち早く多くの人に知ってもらうために広告というのは一定の効果はあるが、その客がその後も来店し続けてくれるかどうかはやはり店の雰囲気も含めた店そのもののレベルが最終的な判断材料となる。
 クリニックについても同様のことがいえるが、まず他の事業と大きく異なる点は訪れる人、つまり患者は体のどこかが悪くて来ているのでその病気が治ったり、病状が落ち着くというのが一番重要なことであろう。ただ、同じ治るにしても心地よい気分で治療を受けるのと恐る恐る医者やスタッフに接しながら治療を受けるのとでは、続けて来院しようかどうか判断する上で重要な判断材料にもなる。
 そういう意味では一人一人の患者が評判という種をまく対象者であり、まさしく“口コミ”そのものに他ならないし、これは誰か偽装客や偽装患者が書き込んだネット上の“口コミサイト”とはわけが違うほど重いものであり、信ぴょう性がある。
 いい口コミを得るために気を遣ったり、おべんちゃらをしたところでそんなものでは評価は得られないし、“素(す)である状態”の評価こそが本当の評価といえるのだろう。

 大げさな言い方かもしれないがネット上の“口コミサイト”にも勝る利用客や患者から「また次も来たい」と思わせるように店主や院長、それにそこで働く従業員の全ての人が力を結集してこそ、どこにも負けないような形が作れるのであろう。
 人が人を呼ぶ、患者が患者を呼ぶ これこそ口コミそのものであり、生き残るために最も重要なことであろう。
 そのためにはうわべのことだけでなく、よい商品やよい医療の提供するためにはどうすべきかを考えるいい経営者やいい開業医を目指してほしいものである。

 これはもちろん税理士にも言えることであり、日々評価にさらされていることを肝に銘じて過ごしていきたい。

 夏もほぼ終わり いよいよ秋の到来である。学生時代には「秋が勝負の分かれ目」よく言われたが、社会人にもこの言葉は通じるなと考えつつ今日の少し重い話を終わりにする。
 秋とは言っても、まだしばらくは暑い日が続くとは思うが、もう秋はそこまで来ていると感じられることもある。
 エアコンもいらず、秋を感じられる夜になってきました。
 今晩はこの辺で終わりにします。
 では・・・。
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2019年08月25日

No643:神戸市の英断を応援したい

 先日、朝刊に “神戸市 人口減でもタワマン頼らず・・・中心部で新築禁止” という記事を目にして、「おやっ?」と思った。
 どこもかしこも、人口、特に若年層を増やせと言わんばかりに都市部では街の中心地であったり、交通至便の駅前にタワーマンションを建設し、郊外から人を中心部に呼び寄せようとしている。
 大阪市では大阪駅(梅田)、難波、阿倍野周辺にタワーマンションが何棟も建築され、郊外の住宅地から人口が中心部に流入し、タワーマンションは今までの一般的なマンションより速いペースで販売が進んでいる。
 京都市は高さ制限があるのでタワーマンションこそ建築されないが、市の中心部のマンションは戸数分だけ世帯が入っているかというとそうでもなく、他府県の人や外国人がマンションを所有して、祇園祭や大文字の送り火の時だけ滞在するという まるでリゾートマンションのように利用する人も相当な数にのぼるとも言われている。
 それぞれ形態は異なるがこういった大阪や京都の形が悪いと決めつけるつもりもない。ただ、街というのは年齢層も一定のばらつきがあり、一時入居のような住まいではなく、そこに住み着いてこそ居住空間としての価値があるように思う。
 仮に今、入居者の多くが40代であれば20年後には60代、30年後には70代の住民が暮らすマンションとなる。まして、このタワーマンションとよばれるものは300〜400もの戸数、中には500戸を超すものまで出てきている。
ということは一定の年数が経つとそこは老人だけが住む、老人専用マンションにもなりかねない。

 こんなタワーマンション全盛期に神戸市は逆の方策を打ち出した。
 2020年7月から神戸市のJR三ノ宮駅周辺22.6fで新築禁止。JR神戸駅や新幹線新神戸駅付近まで容積率を900%から400%まで落とし、実質 建築不可能な状態にした。
 これはインバウンド効果が大阪市や京都市ほどはなく、人口も他からの流入より市外への流出の方が上回り、人口減となっている神戸市の焦りともとれないわけではなかったが、今回の神戸市のとった措置は将来、大阪市や京都市が羨むような結果になっているかもしれない。
 とにかく、最近の行政や企業は目の前のぶら下がっている即効果が表れる施策に飛びつきがちで、それが20年後、30年後にどのような状態になっているかまでは見極めていないように思える。

 また、国会で話題になったカジノを含む総合型リゾート(IR)も大阪市、和歌山市、長崎・佐世保市、北海道等 いくつかの市や地域が立候補したり、その検討に入っているが、22日には横浜市も手を挙げ、候補地確定までにはかなり壮絶な競争が繰り広げられることが予想される。
 ただ、これも観光客誘致を含む経済効果を目的にしており、この議論の中には住民の暮らしやすさはあまりとり上げられていないようにも見受けられる。

 タワーマンションもIRもただ単に反対するだけというわけではないが、その地に今まで住んでいた人やこれから生活の拠点を構えようとする人にどれだけ恩恵があるのか疑問を抱えずにはいられない。
 そういう意味において、冒頭で述べた神戸市が打ち出した方針はまさしく住民本位と本来の都市機能の確立という点では結構、奥深く、将来まで見据えたものであるように思う。
 私は神戸市民ではないが思わず「がんばれ神戸」と応援したい気持ちになった。
 京都市もホテルや民泊ばかりが増えて、本来の都市が持つべき機能を住民が受けられていないという部分も露呈されつつある。
 私が住む京都市も目先のことだけでなく、もう少し先のことを考えていろいろな方針を打ち出してほしいものである。
 京都市民がいつまでも暮らしやすく、誰にでも誇れる市(街)であり続けられるように・・・。
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2019年08月19日

No642:実は夏が終わるのは寂しいんです

 今年のお盆を含んだ夏季休暇は事業所によってさまざまであった。
 最長では8月10日(土)〜今日 8月18日(日)の9連休の事業所もあったが、顧問先の多くを占めるクリニックはこの間でも13日(火)を診察日にされたり、16日(金)、17日(土)はもうお盆が明けたものとして診察をスタートされているところもあった。
 よくよく考えてみれば公的病院をはじめとする公共機関、それに金融機関などは暦どおりであったのでそういったところは当然のことながら13日(火)〜16日(金)は通常の営業(勤務)であった。
 とはいえ明日19日(月)は散髪屋さんのような月曜が休業(今の時代は違うのかな?)の事業所以外はお盆休暇明けとして通常営業の形が出そろう日でもある。
 私自身はお盆休暇中、今年はあるアクシデントにより当初の予定より1日多く16、17日の2日間 高校野球観戦のため甲子園球場に足を運んだ。
    アクシデントの内容はここで書くと長くなるので省略するが、やはり今年も甲子園はすさまじい暑さの中ですごく熱い試合の連続であった。関東から駆けつけた長男の嫁とお父さんは甲子園初参加ということもあってか、私以上に試合の中に入り込んでいっているのは隣にいる私にも伝わってきた。
 まあ、例年のこととはいえ 私にとってこのお盆の甲子園詣を終えると いよいよ忙しい秋、そして冬に向けての準備がスタートする。
 ここらでちょっと頭を仕事のことに切り替えるが、昨今 我々の業界も顧客(顧問先)獲得に力を入れる税理士も多く、事業所と税理士をマッチングするような有料の顧問先紹介会社のようなものも出てきている。
 新しく我が事務所の顧問先なるのは、ほとんどが現在関与している顧問先(開業医を含む)からの紹介であるが、それほど度々あるものでもない というか滅多にあるものではない。
 人から「紹介があっていいですね」と言われることもあるが、この紹介っていうのはある意味 日々の業務への取り組みや事務所の姿勢が試されているようで息が抜けないというのが本音である。ミスは当然のことながら、何か顧問先の方々のお気に召さないことがあれば、それはマイナス材料としていろいろな方面に伝わっていくという恐ろしい面も持ち合わせている。
 最近 税制をはじめとし、いろいろな制度の改革・改正があるが、そういった変更点を見落としたり、対応が遅れると大変なことになりかねないので常に目を光らせたり、あらゆる方面にアンテナを張っておかないと取り残されてしまいそうになる。
 新しい税制が発表されると、「それは新しい法律なんで・・・。」、「以前のもの知っていましたが新しい制度は今勉強中です。」、(若い人は)「まだ若くて経験が浅いので・・・。」という言い訳は誰しもしたいところではあるが、こういった逃げの言葉、避けるための言葉は職業上 許されるものではない。
 自分でも「あたりまえやろ」、「何を今さら言っているんだ」と言い聞かせてはいるが、これくらいの気持ちがないと夏から秋への気持ちの切り替えができにくいというのが本当のところである。
 夏の暑いのは確かに体に応えるが、私は夏の終わりよりも夏に向かって暑くなっていく季節の方が好きである。それは夏に向かう時期は、夏から秋に、そして冬にかけてじっくり腰を据えて何かに取り組むという時期と違って、汗はドッとかくが何かに縛られることなく自由な気分でいられるからである。
 夏から秋への気持ちと頭の切り替えのための期間、それが正にこれから9月までの2週間であろう。
 高校野球もあと準決勝と決勝を残すのみとなったが、この時期ワクワクというより何かしら寂しい気持ちになるのは夏の終わりが近づいているのを感じるからであろう。
 目の前に餌がないとなかなか体が言うことを聞かない年代になってきているので、次は何を餌に冬に向かおうかなと考えている連続休暇 最終日の夜である。
 日も変わったのでそろそろ終わりにして寝ることにします。
 では みなさん、おやすみなさい。
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2019年08月11日

No641:夜、ワンちゃんにお礼を言っている私

 一昨年の12月に私に確認や了解もなくカミさんがあるペットショップから連れてきた(買ってきた)ワンちゃんは、動物を飼った経験がなかった私は最初の数か月はかなり戸惑ったのも事実であるが、今では結構とりこになっている。
 家に動物がいない生活から比べると日々の生活も何かと制約されるし、大変だろうなと思っていたが、その世話にかかる以上に私の心を癒してくれているのは紛れもない事実である。

 今日は朝5時半に目が覚めるとポポタン(うちのワンちゃんの名前)も目を覚ましてウロウロしていたので、「よし、今朝はこのまま宝が池へ」と顔を洗って着替えるとすぐにポポタンを連れて家を出て、宝が池へと向かった。
 休日の散歩はいつもスロースタートなので8時半くらいに出発していたが、最近は8時半では既に結構な日照り状態で多分30度近くにはなっているように思う。
 いつもより随分早いので勇んで向かったが、池の畔で出会った顔見知りの人は、「今日もすごかったですよ、5時過ぎは。ワンちゃんのお散歩だらけで・・。」と6時過ぎに歩いていた私にそんな話をしてくれた。ワンちゃんのことを思うと涼しいうちに散歩を済ませて、あとはクーラーの効いた部屋で朝ご飯を食べさせてゆっくり休養させるのがこの猛暑を乗り切るワンちゃんの朝の定番のようである。私なんか今日は早いぞと思って出てきたがまだまだのようであった。

 今日は朝からカミさんも娘もいなかったので、家の中でポポタンが寝たり、目を覚ましたりするのを傍で見ながら、本を読んだり高校野球を観たりしていた。
 普段は日中には家にいないのでポポタンがどんな生活ぶりなのかはわからなかったが、今日は暑いからなのか、朝の散歩がハードだったからなのか とにかくよく寝るということを目の当たりにして少々驚いていた。
 昼からは知人のお見舞いに京大病院に出かけたが、その間 2時間くらいも間もまだ寝続けていたようである。
 夕方4時前には目を覚まし、部屋の中をウロウロしたりしていたが、家には私しかいないのが分かってからは私に相手をせよと言わんばかりにすり寄ってきた。
 私は3人の子供が小さかった頃、仕事が忙しかったこともあってほとんどなつかれた記憶はなかったが、こうしてワンちゃんといえどもすり寄ってこられると、無性にうれしくなってしまう。
 6時過ぎに出発し、北山通りから宝が池球技場をまわる夕方の散歩を終えて帰ってくると、今度は飲み物と食事の要求を私にしてきたので、カミさんが事前に用意をしてくれていたのをトレーに入れて出すと何ともうれしそうに私の顔を横目で見ながら一生懸命飲んだり食べたりしていた。

 毎日仕事をしている中では、数字をチェックしたり、顧問先の方との対応に多くの時間を費やしているが、こうしてワンちゃんと過ごしているとそういった数字と時間に追われている現実的なことも忘れられる最高の時と空間を与えてくれる。

 夜はカミさんと娘が帰るまでポポタンと過ごしているが、退屈なのか先ほども私にすり寄ってきたので、「今日は一日ありがとう。また2人だけでいような。これって結構 楽しいねん、お父さんは。心から癒されるし、人間と違っておまえはほんまに素直やしな。」と言って思わず抱きしめてしまった。

 ペットを飼いなれていなかった親父が55歳にしてはじめて飼ったワンちゃんと過ごすある休日の一コマで、「ワンちゃんも人間と同じように暑いんで何とかしてやらんと」と そんなことを考える自分自身を不思議だなと思う そんな休日でした。
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2019年08月04日

No640:「がむしゃら」って よくない言葉?

 私は50代半ばを超えているが、我々の世代以上の人にとってはこの「がむしゃら」という言葉は今まで何度も耳にした言葉と思われるが、最近はこの「がむしゃら」という言葉がいいようには思われず、聞く機会も段々少なくなってきているように思うし、学校や会社での教育の場においても、「がんばる」と同様、「がむしゃら」なんてナンセンスという風潮がある。
 これは人それぞれが個性や能力に応じて自分の納得いく形で物事に取り組むことが大事なことであって、自分の能力や限界を超えるようなところまでのがんばりは必要としない というか、“無理は禁物”というような考え方がいろいろな場面で取り入れられている。
 私自身、「がむしゃら」という言葉が決して嫌いなわけではないが、確かに自分の子供にも使ったことはほとんどないし、仕事でも古き時代には言われたことも言ったこともあったが、ここ数年は口にする機会さえほとんどない。

 実は今日、まだお盆ではないが私の勝手な都合で実家の墓参りに行ってきた。
 5年前に亡くなった父の墓から帰る途中で、父から今では禁句に近いこの「がむしゃら」という言葉をことあるごとに言われたことを思い出した。今から思えば、父の生き様を端的に表すのがまさしくこの「がむしゃら」という言葉であったように思う。
 「がむしゃら」という言葉を調べてみると、漢字では「我武者羅」と書くそうで(恥ずかしながら今日初めて知った)、
  ・一つの目的に向かって夢中で取り組むさま。
  ・後先を考える前に目的へと突き進もうとするさま。
というのがみなさまもご存じの言葉の意味である。
 亡くなった父が口にしていた「がむしゃら」というのは、決して無理をしてまで、自分の能力以上のことをするということではなく、自分のできる範囲で手を抜かずにやるように という意味だったように思うし、その言葉の中には、「お前がやることを親としてしっかり見守ってやるし、応援もするから」というバックアップやフォローする気持ちが込められていたように思う。
 私は全てのことにがむしゃらになれたかというとそうでもなく、中には手を抜いたこともいくつもあったし、たとえがむしゃらに取り組んでも結果を伴わないこともたびたびあった。ただ、脇目もふらずがむしゃらに取り組んだことは、期待したような結果が出なくても不思議と納得のいくものであったように思う。
 
 謙遜して言うわけではないが、凡人の私なんかはがむしゃらに取り組んでやっと人並みの出来で、レベルの高い人たちには振り落とされずに着いていくのが精いっぱいであるというのが本心である。
 年齢的にいつまでもがむしゃらになれるわけではないが、もう少し無理がきく間は、「増生、(達成)できるかどうかは別にして、がむしゃらに取り組んでみ。」と父に言われた言葉を頭の片隅に置きながら、仕事に、そして仕事以外のことにも がむしゃらにあたってみようとあらためて考えた。
 墓参りというのは墓に線香をあげ、手を合わせる単純な行為かもしれないが、墓の向こうから聞こえる声を感じることこそ墓参りする意味のようにも思う。
 本当はしっかりと墓も磨いて、花もきちんと準備しないといけなかったのかもしれないが、十分な時間がなかったこととあまりに暑すぎたことで随分 省略した墓参りになってしまったが墓の向こうにいる父のことをほんの少しでも思い出せたことで行ってきてよかったと思った。

 「がむしゃら」っていい言葉だと思うんだけど、無理を強いてはいけない今の世の中では多用したり、強要してはいけないようなので 他人には使わず、自分のためにだけにある言葉として大事にしていきたいと考えている。

 結果はともあれ がむしゃらにやった後って最高にすがすがしいんだけどな・・・。
 本当に難しい世の中になったもんだ。我々 中年のおっさんにとっては。
posted by ヒロイ at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

No639:この夏の楽しみ

 今年も例年どおり夏の甲子園が近づいてきた。
 今日も全国各地で16の決勝戦が行われ、京都もその中のひとつで9回の裏に逆転した立命館宇治高が出場を決めた。
お盆休暇を利用しての甲子園行きも15年程前から毎年のように子供がつき合ってくれていたが、数年前からは誰もつき合ってくれない年には一人で行くことも1、2度あった。
 今年も子供は3人とも仕事や自分の用事を優先して いっしょに甲子園に行ってくれそうになかったので、「8月16日に一人で行こうかな」と考えだしていたところ、神奈川県にいる長男の嫁が、「○○君(長男)はお盆も土日以外は仕事で無理みたいですけど、私は甲子園に行ったことないので一度行ってみたかったんです」と手をあげてくれた。長男が来る予定の2日前の15日から一人で私の家に遊びに来るが、その嫁と私と二人で甲子園に行くことは想像もしていなかったが、「行きたいんだったら、いっしょに行っみるか」と前売チケットを抑えようとしていたところ、その長男の嫁から「私の父も行ったことないんでいっしょに行ってもいいですか?行きたいみたいです、甲子園に。」と連絡が入った。
私は当初 一人で行く覚悟を決めていたのが、嫁と二人で、そして次はお父さんもいっしょにと 参加者が3人に増え、いつもと違うメンバーでの甲子園行きになりそうだと楽しみも何倍にもなった。
 甲子園には全く行くつもりのない長女に頼んで指定席券の発売日である7月23日の朝に8月16日の内野特別指定席3枚のチケットをとってもらい あとは8月16日の“本番”を待つばかりとなった。


 甲子園の出場をかけての各地の予選に目を向けると先日の決勝戦を投げずに終わった岩手県大船渡高の佐々木投手の160キロのピッチングや清宮の弟(1年生)がいる早稲田実業が敗退し、甲子園で見れなくなったことは多少がっかりしたが、現時点ではすごい選手、すごいチームと騒がれていない中から新たな逸材や観衆をとりこにするチームが出てくるのも甲子園ならではのことである。
    昨年だって、甲子園が始まるまでは金足農業なんていう高校はそれほど注目されていなかったが、1戦ずつ勝ち上がるごとドラマと歴史をつくっていった例だってある。
    まだ、出場が決まっていない県も30日(火)には最終の徳島県と愛媛県の決勝戦が行われ全ての出場校が決定する。
 私も私の周りにいる“甲子園おたく”とよばれる人と同様に毎日、全国各地の予選の全試合をチェックしてきたが、この毎晩の楽しみもあと2日で終わりとなり、いよいよ本番の組み合わせ抽選会を待つという より一層ワクワクする時期になってきた。
 私が予定している8月16日の試合はどこの高校の試合になるかまだわからないが、“甲子園おたく”にとってはそんなことどうでもよくて、あの甲子園で日常を忘れ、体ごと甲子園に浸ることが何にも代えがたい楽しみということである。
 それに今年は昨秋結婚した長男の嫁のお父さんまでもわざわざ参戦してくれ、また16日の夜は京都に戻って二人でゆっくり酒でもという計画もあるので8月16日が私にとっては特別な日となりそうである。
 まだ、半月以上も先の話であるがこれから暑い夏を乗り切るにはこれくらいの楽しみでもないとやってられなという毎日の暑さである。

 興味のない人からすれば、甲子園を楽しむことは不思議な楽しみに見えるかもしれないが、私自身なぜかこの時期になると毎年気持ちが高ぶってワクワクしてくる。
 実は目的とする甲子園に着いてからではなく、梅田の阪神電車に乗るあたりから何とも言えない高揚感があるのが自分自身でも感じられる。

 今年の夏はここまでぐずついた天気が続いたが明日からいよいよ夏本番という天気になってきそうである。この暑さも夏を楽しむためにあるもの というくらいの気持ちで8月を乗りきっていきたいと思っている。
    夏の暑さを避けるのではなく、いっしょに楽しむ?  そんな気持ちで。

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2019年07月21日

No638:大事なのは“出足好調”のあと

 2011年3月11日の東日本大震災でレールが寸断され長い間 不通になっていたJR東日本山田線(宮古・釜石間)がこの春に三陸鉄道に移管され、リアス線として3月23日に再開した。再開後は好調を維持し客足も伸びているとのことで、先日 「再開後3カ月、出足好調 三陸鉄道」という見出しで新聞にもとり上げられていた。
 また、福島県浪江町では福島第一原発事故に伴う避難指示が2017年の春に一部で解除されてから、念願であった初めてのスーパー(イオン)が開店し、帰還した住民や周辺に住む人たちでにぎわっていたという記事も先日目にとまった。
 こういった話を聞くと復興も徐々にではあるが進んできているんだなとうれしい気持ちにもなってくる。
 ただマスコミはこういった表の面というか、プラス面ばかり強調するが、ここまで通常の社会生活や経済活動からも閉ざされ続けていた苦労やこれからの運営というのがどれほど大変なのかにはあまり触れていない。
 確かにこの2つは復興の証として明るい話題には違いないが、じっくりこの内容を考えたり、もう少し中身を掘り下げた記事やコメントに目を向けると決して明るい未来が待っているというものではないことが分かってくる。
 
 まず三陸鉄道の方は、復興のシンボルとして、またラグビーワールドカップの会場である釜石市が沿線にあるということでも当面は盛り上がるだろうが、もともと人口減少地域であるし、冬の寒い時期は観光客を含む利用客数がどう変化していくのか予断を許さない状況であることにかわりはない。
 また、もう一方の浪江町には震災前には2万1400人の人が住んでいたが、現在 避難先から戻って居住登録しているのは1057人で震災前の5%にとどまる。果たしてこんな状態でイオンの経営は成り立つのだろうか心配になってくる。もちろん来店客の対象は浪江町に住む人だけでなく周辺住民も含めてという目算であろうが 今後 イオン側としても維持できるのかと考えてしまう。ただ、浪江町からのイオンへの家賃支援もあるし、それ以外にも震災の復興支援がらみで県、国をあげていろいろな援助があると思われる。
 これらを見聞きして私が思ったのは、最初はマスコミの露出度も多く、地域住民も”初物(はつもの)”の珍しさもあり利用者やお客様は一定の水準を維持できるであろうが、こういった“出足”から数年経ってしまうと果たして“出足”当初のような数字は維持しづらくなってくるのではなかろうかと危惧してしまう。
 公共であれ、民間であれ いろんな施設がマスコミでとり上げられ、先日も「オープンした山もふもとのキャンプ場は土日はほとんど予約がとれない状況となっている」と言っていたが、開業から数年もすると閑古鳥が鳴いていたりする施設を過去いくつもみてきた。私自実家の近くに20年程前にできた「道の駅」も、日本三景の天橋立まで15分という立地もあり、観光バスの立ち寄りやおみやげものを買う人で賑わっていたが、別ルートとなる丹後縦貫道が開通するとほとんど観光客は立ち寄らなくなり、そのあと数年で休館となった。確か今は地元住民の農産物直営所となっているようだし、平日は営業車(私も含む)の駐車場所となっている。

 私も顧問先を指導する立場として、新規事業の支援をするときはまず立ち上げ時に全力を注いでもらって最高のスタートダッシュがきれるよう後押ししているが、実は事業(商売)をする上では、この“出足”だけでなく、“第二の出足”というか、本来の“出足”とがいったん落ち着いた頃の次なる段階の方が大事と思えることもある。
 開業(開店)時が“出足好調”であってもそこで油断したがために、2年後には伸びの止まるお店やクリニックはいくらでもある。
 そういう意味においても、長く事業を続けていくためには開業時、3年目、5年目、10年目と節目ごとに常に緊張感を持って対処していった者だけが残って行ったり、いい数字を維持していったりするのであろう。
 そういう意味では気の休まる暇がない ということこそ商売の醍醐味であろうし、そう思わないと事業なんてやっていけない、これが開業12年になろうとしている私の出した結論出る。
 事業なんて最高の時を思い描くにではなく、最低の時を考えながら進めていってちょうどくらいであり、例えば、悪いうわさが経ったり、ライバル店が近くにできて収入が3割減ったとか、何かのトラブルでスタッフの3割が退職したとか、そんなことも想定しながら自分の事業に目を光らせる これこそまさしく事業というものであろう。
 いい時や上り調子の時なんてほんのわずかの期間、そう思っていてちょうどである。これこそ事業をする人の基本であるように思う。

 そろそろ終わりにしますが、予定していたより重いなってしまったことをお許しください。
posted by ヒロイ at 21:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

No637:オリンピックに出れないのも運命

 待ちに待った東京オリンピックまで残すところあと1年となった。
 オリンピックと聞けば誰しも過去のオリンピックの栄光の瞬間をいくつか 思い出すだろう。その頭に浮かぶシーンというのは年代によってさまざまで、私なんかはロサンゼルスオリンピック(1984年)の陸上でカールルイスが100m、200m、走幅跳、そして400mリレーと4冠を獲得したのが一番印象に残っている。
 当時、大学の陸上部に所属していたからなおさらであろうが、ロサンゼルスオリンピックの後は、冗談半分とはいえ多くに陸上選手があのカールルイスをまねて手のひらをピーンとまっすぐ伸ばしながら走ったものである(私の周りの人の数人だけかな?)。
 1964年に開催された前回の東京オリンピックの時は、私はまだ2歳たっだので全く記憶にはないが、私の周りの人で ”東洋の魔女”、”マラソンの円谷”、”重量挙げの三宅”なんていうことをさぞ嬉しそうに語る人は年齢を確認しなくとも私より年上であることはすぐにわかるという ある意味、年齢や年代を表す指標ともいえるのがオリンピックである。
 2008年の北京オリンピック陸上 400mリレーで3位(後でジャマイカがドーピングで失格となり銀メダルへ繰り上げ)に入り、アンカーの朝原選手がゴール後にバトンを空に向けて投げたシーンはリレーのレースそのものよりも私の頭に焼き付いている。大学の後輩がこういった活躍をした後は我々OBもそれをネタに数年間は盛り上がったが、その後こういった選手を輩出できていないのでそろそろ出てきてほしいと願っているクラブ関係者は多いはずである。
 こうしてオリンピックに出場してメダルを獲ることを目標としている選手もあるだろうが、オリンピックで活躍する前にオリンピックに出場することも同じくらい大変で、いくつもの予選会という壁を乗り越えないといけないというのがオリンピックを目指す選手の第一関門であり、競い合いそのものであろう。

 やはりオリンピックは特別なもので、私がやっていた陸上でも世界記録を出すよりもオリンピックで金メダルを獲ることの方が難しいと言われるのが通例である。
    世界記録は優れた選手であれば場所や時を問わずいつでもどこでもチャンスはあるが、オリンピックは4年に1回で、しかも決勝で勝った1人しか金メダルを手にすることができないという運というかめぐり合わせも重要な要素となってくる。
 メダルを獲得できるかどうかは最終結果であるが、この4年に1回のオリンピックにめぐり合わせが悪くて出場できない選手も毎回何人か出てくる。
 その中の一人は残念で仕方ないが水泳の池江璃花子選手であろう。昨年のアジア大会では史上初の6つの金メダルを獲得し、誰もが東京オリンピックでの活躍を楽しみにしていただろうが、白血病という病魔が突然襲ったために東京オリンピックの出場は厳しいだろうし、本人にとっては言葉にならないくらい残念であろう。しかし、こればかりはどうしようもないし、今はとにかく一日でも早く病気を治し、日常の生活に戻れることを日本中の人が願っている。
 また、陸上では6月の日本選手権100mはサニブラウン選手の圧勝であったが、日本人最初の9秒台スプリンターの桐生選手と共にここまで日本の陸上界を引っ張ってきて、来年の東京オリンピックでは100mとリレーには出場すると思っていた山縣選手も6月の日本選手権の直前に気胸で欠場することがが発表されたが、こちら も東京オリンピックの前年に発病するなんて何ともついていないとしか言いようがない。
 昨年の世界選手権の床で金メダルを獲得した女子体操の村上茉愛選手も腰痛に悩まされ、 先日の日本選手権を欠場していた。
 ここで3人の選手を例に挙げたが、オリンピックに出るというのは実力以外のも何か目に見えないもの、大げさに言えば運命にも左右されているようにも思える。
 こういった壁を乗り越え、やっとの思いで代表に選ばれた者の中で、本当に金メダルが獲れるには各種目一人しかいないという、このすごい競争倍率こそオリンピックそのものであろう。

 来年の東京オリンピックに向けて各競技でこれから予選・選考会がたくさん実施されるであろうが、来年夏のオリンピック本番だけでなく、その前の予選会にも注目し、どういう過程を経て本番の舞台に立てたのかを知ることはオリンピックの本番をより一層楽しめることにもつながるだろう。
 スポーツには勝者と敗者が存在するが勝者の陰には必ず敗者というか、ライバルが存在していたことも忘れてはならない。
 輝くのは勝者であるが、見ていて感動させるのはなぜか敗者であるということも胸に刻み込みながら、この一年間の代表選考レースを見守っていきたいと思っている。
    何人かの敗者の気持ちも汲みながら。
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2019年07月06日

No636:“死刑囚”と“死刑執行人”双方の苦悩

 いきなり背筋がぞっとするようなタイトルでびっくりされた方もいらしゃるかもしれないが、先日来 読んでみようと思っていた2冊の本が読み終わり、胸の中に何とも言えない思いが残っていてとれなかったので、あえて気持ちを整理もせずに今の気持ちをありのまま綴ってみることにする。
 まず、その本とは次の2冊である。
〇「ある若き死刑囚の生涯」(加藤乙彦・・筑摩書房/2019年1月)
〇「死刑執行人の苦悩」(大塚公子・・角川文庫/1993年5月)

 「ある若き死刑囚の生涯」の方は、2月の忙しいさなかに新聞の書籍紹介欄に載っているのが目に留まり即座に購入し、今まで買い置きしていた本である。
 1986年に24歳で横須賀線爆破事件を犯し、27歳の時 最高裁で死刑が確定、そして32歳で死刑が執行された純多摩良樹の事件犯行までの人生と逮捕後、死刑が執行されるまでの5年近くの刑務所での生活ぶりを描いたものである。
 事件の凶悪性が許されるものではないが、ここでは事件の真相や罪の重さにはについてはあえて触れず、この犯人(死刑囚)の心の変化についてとり上げてみた。。
 2冊目の本と合わせて考えてみても、私自身、死刑廃止論に積極的賛成でもないし、この死刑制度が取りざたされる時にいつも出てくる、「被害者の立場や心情を考えると・・」とか、「やったことの責任をとれ」という考えも理解できるが、この2冊を読み終えてみると心の中の軸が初めて死刑廃止論の方へ少しだけ傾いたのが自分自身でも認識できた。しかし、まだ、凶悪犯罪への抑止力という面でも、即座に死刑廃止まで行き着くには難題も多く、この奥の深い論題には私自身まだ入口に差しかかった程度の認識である。
 純多摩死刑囚は収監後、独学で短歌を学び、その後 獄中からの投稿では数多くの賞を受賞している。私の心にグサッときたこの死刑囚の心の変化を表した独房からの叫びともいえる作品を紹介しておく。


・一瞬に人を殺(あや)しめわが罪をおもへばこの身凍る思ひす
・偶(たま)さかの獄の集会席二つ空きてゐてわれの死期を悟れり
・わが希(ねが)ひ歌に託して詠みゆかん処刑さるる日近づきてゐむ
・屋根の上のつがひの鳩にも見られゐん獄にうごめくわれの姿は
・獄の壁に話しかくれば夜の更けを何か心にひびくものあり
・鉄窓に凭(もた)れて夜空を見放くれば小さき星がわれにまたたく
・陽のとどく位置に机をおきかへて死ねばならぬ心さだまる
・伸びすぎたる爪を剪(き)るとき母想う断ちきれぬ記憶のなかに構へて
・文鳥の飼育許され独房に互(かた)みにいのち悲しみ合ふ [独房で文鳥の飼育のみ許されていた]
 この本の中の数多くの短歌のうち2、3例を紹介しようと思っていたが、心打たれたものを書いているうちにこんなに多くなってしまった。

 死刑執行直前に「死にたくないよー」と大声を張り上げたり、暴れたりする死刑囚もいるなかで、この純多摩死刑囚はいたって落ち着き、死刑執行日が本人に告げられ、執行日前日の筆者(加賀氏)への最後の手紙では、このように綴られていた。
「加賀先生に最後のお手紙を、書かなければればならない日がやってまいりました。とうとう私に〈お迎え〉が参りました。数時間後の旅立ちに備え、こうしてお別れの筆を執っている次第です。・・・・・所長さんに、お世話になったお礼を述べ、握手をさせていただきました。・・・・・加賀先生にはくれぐれも、お身体をお大事にされますように。ほんとうにいろいろとありがとうございました。夕食しながら長く談笑してしまい、時間が長くなりました。  それでは、行って参ります」


 後の方の本は、拘置所で死刑を言い渡したり、実際に執行に立ち会った人の話であるが、これもまた苦悩の連続で、いくら仕事とはいえ人間が人間を処することで気がおかしくなった人もいるとのこと。
 死刑執行の時、死刑囚を目隠しする、手を縛る、縄を首にかける というのを3人でわずか数秒で整えなければいけない刑務所の執行官の役目。これは読んでいて人間の心をおかしくするのも当然だとも思えた。
 刑務官は日々死刑囚と接しており、中には更生して、罪を償いたいととか、「私はこれで償えるでしょうか」と訴えてくる受刑者もいたとのこと。中でも3人を殺害したある受刑者は、「殺してしまったのは3人なのに私一人にの命では償いきれない、やりきれない。」と訴えてきた死刑囚もいたようだ。
 あと、印象に残ったのは法務大臣が署名押印した死刑執行命令書に基づき、死刑囚に死刑執行(基本的には当日)を告げるのは刑務所の所長の役目のようだが、ある所長は死刑が確定した後、反省し模範囚に更生した死刑囚には、数時間後に執行される事実をこんな言葉でしか伝えられなかったとその時の苦悩を口にされていた。その言葉とは、『残念だが、お別れだよ。』

 後の方の本は最初は興味本位で読みだした本であったが、受刑者と同じくらい執行者も苦悩に満ちた人生を送っていることに初めて気づかされた重い重い本であった。
 また、やはり被害者側の心情をどう理解し、納得させていくかも今回の2つの本を読んで考えないといけないということもあらためて感じた。
 この2冊を読んで、私が心に刻んだのは、罪を犯すようなことはしない ということはもちろんであるが、命を大切にしないといけなということである。
 生きることの意義を久しぶりに考えさせられた良本であった。
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2019年06月30日

No635:こんなの初めて 待ち遠しかった梅雨

 毎年6月になると、「梅雨入りはいつかな?」とか、「いやな季節がやってきたな」と なんとなく暗いイメージのある梅雨、そして6月(今日で終わりですが)である。
 実をいうと私は6月生まれですが、会話の中で誕生月の話になって6月生まれであることを相手に伝えると、6月という月があまり印象に残ることが頭に浮かばないのか、「雨の降る時期ですが紫陽花(アジサイ)がきれいな時ですね」と言われたり、私が子供を産んだわけでもないのに、「本格的に暑くなる前でよかったですね」なんて訳の分からない 6月の印象を聞かされたことがある。
 確かに4月なら、「桜のきれいな時期ですね」とか、10月なら「気候の穏やかな時でよかったですね」とすぐにでも言葉が思いつくのだが、6月はねえ〜。
 今ではジューンブライドといって6月の結婚式や花嫁がもてはやされるようになったが、これとて私の若い頃はほとんど聞かなかった。ただ今日は私の家の近くの松ヶ崎北山通り沿いにあるいくつかの結婚式場は朝から結構賑わっていたし、カレンダーをみると6月の最終日である今日は友引でもあり、「今日までだよね、6月は。」と今日の賑わいが自分でもうなずけた。
 紫陽花の花も小さい頃は、雨に濡れ、葉にかたつむりがのっている印象でしかなかったが、50近くになってからは、大きな花のわりにはしっとりと咲いていて、なかなかきれいな花だなと思うようにもなってきた。
 仕事での移動中に地下鉄から近鉄への乗り換えで竹田駅のホームに立っていると、 ”あじさいを見に奈良 長谷寺へ” というような看板を目にする、これを見るたびに一度行ってみたいと思っているがいまだに実現はしていない。

 今年の京都は6月になっても梅雨の気配さえも感じられず。いつになったら梅雨入りするのかと気をもませるくらい梅雨入りが遅かった。近畿の気象台は6月26日になってやっと「近畿地方が梅雨入りしたとみられる」と発表したが、これは平年より19日遅く、昭和26年の発表開始以来一番遅い梅雨入りだったとのこと。
 仕事での外出や通勤、通学には当然のことながら雨が降らない方がいいのに決まってはいるが、やはり降る時には降らないと逆に体の感覚が鈍ってしまうような気にさえもなった今年の6月であった。
 梅雨の話でまず一番にこんなことを思い出した。長男と次男が子供の頃 少年サッカーをしていて、よく親が試合当番として何人かの選手を車に乗せてあちこちの競技場へ連れて行ったことがあった。サッカーは野球と違って雨天中止がないので、この梅雨の時期は泥んこの中で試合を終え、「えっ、それで乗るのか?」と思わず言ってしまいそうな選手たちを車に乗せて帰ってきたこともあったが今となってはこんなこともいい思い出のひとつである。

 梅雨があるからこそ、春の穏やかな気候がよりうれしく感じられるし、この梅雨が明けたあとの灼熱のような太陽の日差しがまさしく夏本番と感じられ、暑いのはどちらかというと苦手な方であるが、暑い時は暑く、寒い時には寒いという、やはり季節にもメリハリがあってこそ日常生活も引き締まるという感じがする。
 今年は冬の気候も異常だったようで、雪深いとされる私の出身地である京都府北部の丹後地方でも暖冬の影響でほとんど降雪がなく、京都地方気象台によると、降雪は平年の2〜3%しかなく、除雪費が大幅に減少した一方で、京都府北部唯一のスイス村スキー場(京丹後市弥栄町)は開業できないまま今季の営業終了を決めたという異常な冬でもあった。

 最後に天気予報でいつの頃からか「梅雨入りした(梅雨入り宣言)」とか「梅雨が明けた(梅雨明け宣言)」という言い方をせずに、「梅雨に入ったとみられる」とか「梅雨が明けたとみられる」なんて自信のない中途半端な言い方をするように変わった。
 随分前 「梅雨入り宣言」した後、雨がほとんど降らずに ウソのような梅雨入り宣言 だったと言われたからその言い方を変えたという節もあるが、こんな中途半端な言い方は気象の専門家としてどうかと思う。
 例えば、受験をした人が「受かったように思われる」とか、仕事で質問をされたときに「それは正しいように思われる」なんて言っても誰も納得しないと思う。
 この気象台が「〇〇のように思われる」というのを聞いて多少なりともイラっときているのは私だけなのでしょうか。
 最後につまらないことを愚痴ってすみません。
 いよいよ明日から梅雨本番ですよ。万全の雨対策でお出かけください。梅雨明けを心待ちしながら・・・。
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2019年06月23日

No634:従業員を平等に扱うことの難しさ

 大企業ならともかく、中小企業 あるいは数名の事業所の場合、従業員の要望に応えるというのは、従業全員の要望というよりと特定の人の希望をかなえるための措置という場合が往々にしてある。
 我が事務所の顧問先も総従業員数10人未満である事業所が多いが、経営者からの話を聞いていると各従業員からの個別の要望は多岐にわたるものがある。
 例えば、特定の人だけ出勤時間を遅らせてもらえないかとか、逆に週2回は早く帰れないかとかという勤務時間に関するものや 小規模の個人事業所の場合、一定の基準以下であれば、事業所として厚生年金の加入義務はないが、従業員の一人から将来のために何とか入ってもらえないかと嘆願されたり、早く帰らないといけないのでどうしても自家用車で通勤させてほしいとか、個別に挙げればきりがないほどいろいろな要望が出てくる。
 こんな時、優しい経営者は、辞められても困るし何とか継続してもらうためには、今回の特例措置はやむを得ないかと、特定の人のための特別な救済措置をとられることもある。
 決してこの特例措置をダメだというつもりはないが、ある経営者はいろいろな要望を聞き入れるあまり、特例措置だらけで何が原則か分からなくなってきているようなところもあるし、ある人の救済のつもりでとられた措置が、別の人にとっては非常に不平等に感じることだってある。
   こういった時にしっかりと経営者の考え方をまとめておかないと、あとで収拾がつかなくなり、それで人事面の混乱を招き、経営的にも命取りになってしまうことだってある。
 そういう意味で、経営者は「あなただけですよ今回の措置は」というような例はできるだけ作らないことが、後々、事業所全体としてのよい雇用関係が築けることにもつながってくるようにも思う。
 もし、やむを得ず特例をつくる場合でも、その人と個別、あるいは内緒のようなものにせずにできれば公表できるようなものにしておき、場合によってはその特例措置は同じような境遇の人が出てくれば 次の人にも使えるようなものにしておく必要がある。
 「あなただけですよ今回の措置は」というのは、詳細な事情を知らない他の人からは、「なぜあの人だけ許されるの」ということになってしまい、最終的には他のスタッフの勤労意欲をそぐことにもなりかねない。

 顧問先の経営者との会話の中で、「よくやってくれる〇〇さんには特別に手厚くしていたのに裏切られてしまった」と口にされる経営者を今まで何人も見てきた。
 従業員を思う熱い想いや優しい気持ちは経営者にとってなくてはならないものだとは思うし、自分自身も今までいろんなケースに遭遇してきたが、自分の事務所での出来事の方が、ある物事や特定の人からの要望があったとしてもそれほどのめり込まずに、逆に一歩引いて物事を見つめるようにしている部分がある。これは顧問先の方々がいろいろな面で苦労されてきた事例を数多く見てきた副産物ともいえるかもしれない。
 私自身、やむにやまれず特例措置を決める必要が出てきた場合に、家庭の事情等による期間限定の事項でなければ、いつまでも つまり5年後、10年後であってもその特例措置が続けられるかどうか自問するようにしている。たとえ自分の気持ちや感情に変化があったとしても。
 こういったことを頭の片隅においていろいろことを判断していくと、偏った考え方に陥らず、意外とスムーズのことが進んでいくことがある。
 ただ、私のことを「あなただけよ」ということをなかなか受け入れない経営者として見られ、思いやりに欠ける経営者と思われるかもしれないが、こういった気持ちを持って対処しないと自分自身の身が持たないというのが現実である。
 いろいろな取り決めをするとき、「一時の感情に流されず」、「臨時的な措置でなく長く続けられることかどうか」、「同じ境遇の他の人の場合でも適用できるか」 、こんな気持ちを持ちながら物事を決定することが、ある意味 労使間の一定の関係を長く持たせる秘訣かもしれない。

 一歩引いて物事を考える、ちょっと冷めた目で・・、こんなことこそ中小企業の経営者には重要なことのように思う。
 実はこんなことを言っている私にも一番難しいことなんだけどね。
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2019年06月16日

No633:“超”建設ラッシュの京都のホテルは大丈夫?

 今日の京都新聞で「暮らしと京都観光」という特集記事のシリーズ1回目が載っていたが、内容は観光客が増加しすぎて市民生活に影響が出ているという話であった。
 具体的には市バスの混雑、観光地でのマナー違反等が掲げられているようだが、私はこういったこと以外にも日本人観光客の減少や過剰なまでのホテルの建設ラッシュが今後の京都に負の影響を及ぼさないかと懸念している。

 京都市内で生活(仕事も含む)をしている私は、市内を歩いていたり、車で走っていると、「ここもまたホテルか」というくらいあちこちで建築中のホテルが目に入る。
 特に交通の便のよい四条から京都駅の地下鉄沿線と、八条口を含む京都駅周辺はすさまじいばかりの建築ラッシュである。
 新聞記事によると京都駅北側の下京区だけでこの1年間にホテルの新規オープンは34件、それに簡易宿泊所(民泊含む)が142件と半端な数ではないし、ホテルの客室総数はこの2年間で3,000室の増加というとんでもない増え方となっています。
 京都駅の南ではJA(JRではないですよ)までもが260室のホテルを建築中で2020年オープンの予定である。
 四条通より北でも元々商業施設であった新風館跡地には190室、丸太町駅すぐ南の京都商工会議所跡地にも200室のホテルが建設されている。
 一体これから京都はどうなるのか? 観光客の増加は見込めても、ビジネスの街としての発展は見込めず、今後若い人にとっての職場は観光関連以外に残るのだろうかという不安も出てくる。
 観光客が増えるのは収入確保ということではメリットもあり、行政面でも財政安定化という道筋ができるのかもしれないが、(観光)ビジネスとして京都を狙っているのは企業だけでなく、京都市までもが金稼ぎに走っていることにどうも納得がいかないが、この1、2年で妙な動きが出てきているのも事実である。

 一つの例を挙げると、児童数減少により小学校が統廃合された結果、廃校となった小学校の跡地をホテルにするという何とも軽はずみな計画である。
 私が知っているだけでも 元立誠小学校(中京区)、元清水小学校(東山区)、元植柳小学校(下京区)と3例あるが、観光客を増やすことに血眼になっている京都市のことだから、まだまだこういったホテル候補の小学校があるのかもしれない。
 確かに廃校の跡地、しかも一等地とよばれる地域では利用方法が難しい問題となっているが、どこの国でもどこの町でも教育文化ゾーンとよばれる地域はビジネスとは一線を画す必要があるように思うし、ある意味 聖域であるように思うのだが。たとえそれがお金を生まないものであっても・・・。

 さあ みなさん、これから5年後、10年後 これらのホテルがどうなっているのかじっくり観察してみましょう。
 決して失敗を望んであるわけではありませんので誤解のないようにしてもらいたいのですが、昨今の異常なまでともいえる人手不足の状況下において、増えすぎるホテルで働く人の確保は可能なのだろうかという疑問も私に中では消えない。
 最悪の場合、客室は足りてもスタッフの不足しているホテルだらけになって、「京都のホテル最悪。だって、ホテルのスタッフ いなんだもん」なんて言われることのないように・・・。
 最近は求人広告を見ていてもホテルのベッドメイキングのパートが時給1,100〜1,200円で出ているという異常なまでの賃金の上昇。こういった影響は京都の一般企業や私共の顧問先に医療機関にも及んできており、人手不足や求人・募集への反響の少なさで悩んでいる経営者も多いように思う。

 さあ、これから京都のこれらの“供給過剰”のホテルはどうなっていくのか、一歩引いて冷めた目で見ているとなかなかおもしろく、スリリングな展開も予測される。
 どうして日本人って、いや人間って、いいと思うとまっしぐらで歯止めがかからないんでしょうね。

 「京都のホテル 半額」、「京都のホテル 食事無料」 、「京都駅からのタクシー代はホテルの負担でOK」 というような広告が出るのかも? なんて馬鹿げたことを考えながら今後をホテル建設ラッシュを見守っていくことにしましょう。
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2019年06月09日

No632:散髪屋さんから学ぶ商売上のちょっとした工夫

 大げさなタイトルになってしまっているが、実は今回は私が定期的に通っている理容室(散髪屋さん)のちょっとした工夫について述べることにする。
 人間生きている限り、年齢、性別、髪の毛の量に関わらず、家族の誰かにカットしてもらっている人以外は、美容院か理容室に通っていると思うが、これって誰しも行きつけの所があってそうそうお店を変える人はあまりないと思う。
 私も京都へ出て来て40年近くになるが、その間 通った散髪屋は3件だけである。
 1件目は大学時代の下宿のすぐ近くにあった所で、4年間この1件に通い続け、陸上部に所属していたこともあり、あまり長いと邪魔になるので比較的短めのお決まりの髪型で4年間通した。
 そして、次は社会人になって一人暮らしを始めて、これまた住んでいたマンション(どちらか言うと2階建てだったのでハイツというのが正しいかも?)のすぐ近くにあった40代のおっちゃんが夫婦でされていた小さな散髪屋に通っていた。大学を出てから今日に至るまでずっと京都市内で過ごしているので、家族が増えて2、3度引っ越したものの50歳過ぎまで30年近く通っていた。
 自宅からはそれなりに距離があったが、今まで仕事をした3ヵ所の職場からは程よい距離であったことも長年通い続けた理由のひとつかもしれないが、このおっちゃんとの話が、私が結婚して子供ができ、その子供たちも少しずつ大きくなっていく過程での出来事や仕事の愚痴や悩み事を聞いてくれ、ここに行くとホッとするというのがここまで続いた一番大きな要因だったように思う。
 この散髪屋のおっちゃんが5年程前 病気で入院され、突然お店を閉められて途方に暮れていた時、お試しで勇気を出して飛び込んだのが事務所の3軒隣の今も通い続けている散髪屋さんである。

*ここまでの話は【No351(2014.1.26)「散髪屋のおっちゃんが倒れた」】にも掲載

 とてもとても前置きが長くなったが、実は今日 紹介するのは事務所の3軒隣にあるこの散髪屋さんの話である。
 40前後の姉弟の二人で経営されていて、私はもっぱら弟さんの方にしてもらっているがこの方がまた話題が豊富で、釣りや旅行の話、そしてご自身の2歳の子供さんの話、そして私が非常に関心を寄せるワンちゃんの話と、髪を切ってもらっている間 本当に話は尽きない。ただ、私もかなり眠い状態でお店に入った時は、私の「今日は寝るしな」の一言で、ほぼ最後まで話しかけもされずに黙々と髪の毛を切ったり、洗ったり、顔を剃ったりされている。
 私がここに通い続けている理由はこの話題豊富なこと以外にもいくつかある。
 完全予約なので飛び込みはないので、私も当然のことなが急な飛び込みはできない代わりに予約の時間に行くと待たされることも一切ない。これって店に待ちスペースの必要もなく、かなり狭い場所ではあるが椅子を3台並べて順次こなしていかれる。
 以前に一度だけ飛び込みでいった別の散髪屋さんは、最初に「こんな感じで」と私が簡単な説明をした後は、切り始めから最後まで、一切 髪の切り具合の確認はなく、「終わりました」の一言の後、預けていた眼鏡を渡され、かけてみると、「えっ、なにこれ? これはひどいわ」と思ったがそれも後の祭り、自信ありげな店主を前に何も言わずにお金を払って出ていった。もちろんそれ一回きりで、その後その散髪屋に行くことはなかった。
 それが今 通っている所は私が寝ていない限り、途中で1、2回 「いつもより短めってこんな感じでいいですか」とわざわざ眼鏡をかけさせて確認してくれるし、後ろから鏡を当てての確認もあり、安心しながら仕上がっていく。まあ、私の残り少ない髪なんかどうでもいいかもしれないが、一応自分なりのいい仕上がりはこの歳になっても期待している。
 あと、このお店はお昼の12時に予約を入れておいて、事務所から駆け込むと、「1時前には事務所に戻っていたい」という希望もなんなく叶えてくれるので忙しい時期には何ともありがたいお店である。
 また、金曜の夜は10時まで営業されていて、仕事が一段落した後の時間で予約がとれていると金曜日に散髪を済ますことができ、翌日の土曜日が有効に使えるが、実は最近、この金曜日の夜はほとんど予約がとれない状態である。
 あと、スタンプポイントでの500円割引や毎回、予約の電話代と言って10円もらえるのも何か得した気分になる。

 今日は私の散髪の歴史(ちょっと大げさか?)と店を変えずに通う理由について触れたが、街中の小さな散髪屋さんでも人気店になれる要素はいくらでもあるということである。
 その引き付けられる要素は人によって違うだろうが、「もう一度行ってみたい」と思わせるのが大切であり、どんな商売でもそこには頭を使ってこそ勝ち組になれるという現実があるということでる。
 こんな些細なことの中にいろいろなビジネスモデルやビジネスチャンスが潜んでいることになんだかワクワクしてしまう。

 最後にこの散髪屋さんで最近困ったことが起こっている。それは予約がなかなか取りづらくなってきていることである。だた、何でも流行っているとこに行っている自分がうれしくなるという好循環を客に対して放っているように思うし、それがまた勝ち組になれる重要なことのように思う。
これは散髪屋さんだけでなく、レストラン、ホテル、スーパーも、工務店や設計士も、そして開業医や弁護士も。ひょっとして税理士も? 同じことが言えるような気もする。

 いろいろ考えると自分自身にもはね返りがあり、しんどくなりそうなので今日はこのへんで・・・。
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2019年06月02日

No631:羨ましい休暇の過ごし方

 顧問先の会社経営者やクリニックの院長の方々との面談時には事業の現況や今後の展開等 事業運営についての話をするのが基本であるが、事業以外の話をすることもその経営者の考え方を知るうえで重要なことである。
 親や子供 そして夫婦など家族のこと、ご自身の将来、もろにお金の話、今の悩み事、そして仕事以外の自由時間の使い方・余暇の過ごし方 などいろいろな話を聞く機会があるが、その方の将来の目標や大げさに言うと人生の到達点に向かって、私共が何らかのお力添えができないものかと考えながら接していくことは、この仕事をしていて必要不可欠なことのように思う。
 そんな中で今日は堅い話ではなく、どんな休日を過ごされているのかを聞いたことを基に私なりに考えたことをまとめてみることにする。

 今回の大型連休の過ごし方で一番羨ましかったのは 9連休にされ、一人で四国一周 自転車の旅をされたとあるクリニックの院長の話である。
 この間 宿泊先だけ決めておいて、がんばれるところは自転車をこぎ、無理な部分は 自転車を折りたたんでJR四国の在来線や路線バスで繋ぎ四国4県を制覇された。
 交通の便が悪く、次の電車やバスまで1時間以上の待ち時間の所もあったようだが、そんな時間は待合でスマホの映画を見ていて全く苦にならなかったそうで、日頃はかなりの患者数で夜診の終了も10時をまわることも度々ある超多忙な先生の日頃の姿とは全く違った休日を過ごされた自転車の旅の話を聞き 少々驚いたりもした。ただ、今回の自転車の旅がどれほど満足のいくものだったかはこの時に口にされた、「今後も毎年 どこかで長期休暇をつくって今回のような旅がしたい。いや、絶対するぞ。」という言葉から今回の旅の充実度がうかがい知れた。 その時、横にいらっしゃった奥様は、「連休中 ずっといなくて本当に楽でした。」と これからもどうぞと言わんばかりにおっしゃったので、前にすわっていた私もどんな反応をしたらいいか少し戸惑ったが、夫婦ともども満足のいく連休だったようである。

 前述の先生以外にも、それほど混み合わずゆっくり観れる京セラドームのオリックス戦年間シートを購入され、ご夫婦で(時には他の人やお一人で)フリードリンク・食事付の席での観戦に行かれる、そんな非日常を楽しむという余暇の過ごし方をされている方もある。私も1、2度 誘われているがなかなか日程が合わず、ご一緒に観戦することはまだ実現していない。

 先週は大の犬好きの先生とその奥様から、北区の山の中でのドッグランに我が家の愛犬ぽぽたんも誘われ いっしょに行ってきた。
 特に何か催物があるわけでもなく、ただ 10匹近い犬と戯れたり、遊ばせ、人間の方は暑くて疲れると日陰に入ってお茶を飲みながら話をする そんな集まりであったが、この時間が何とも楽しく、時間の経つのを忘れてしまうようなひとときであった。
 また、ここがゴルフ場のさらに奥で家も建てられないような地域であったので、時折通る軽トラ以外には物音ひとつしなかったこともなおさら心を休ませてくれる空間であったのかもしれない。

 休日の過ごし方をいくつか掲げたが、今回紹介した経営者や院長は仕事はもちろんのこと、それ以外の時間の使い方や楽しみ方を十分に心得ている人であり、こういった方こそいい仕事をされるんだろうなと 目の前のよき見本をみて考えさせられた。
 休日だからと言って何かをする必要があるわけでもなく、何もせず時間を気にせずボーっと一日過ごすのも決して無意味ではなく、これはこれで意味があるなとも思う。

 周りにいるいろいろな人の休日の過ごし方、時間の使い方を参考にしたり、教えてもらいながら、休みの過ごし方が下手な自分を少しでも変えていけたらなとも思っている。
 休暇っていうのはとる前も楽しみで、中には1カ月以上も前から楽しみなこともあるし、休暇の後も体は結構疲れていても 決して休もうとは思わない充実感が残るのでやはり休暇こそ人生を豊かにするものだなと、周りの人たちをみてあらためて思った。

 ただ、時間があれば 今自分が一番したいこと、それがたくさんあり過ぎて困っている私です。
posted by ヒロイ at 19:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

No630:「国が副業を推進」・・受け入れられないのは私が古い人間だから?

 “副業”という言葉はかなり前から使われているが、可能な限り本業に打ち込むべきと教えられてきた我々の世代にとっては、“副業”というのは何かマイナスのイメージが先行し、なかなかすんなりとは受け入れられにくいというのが本音であるが、こんな考え方はもはや時代遅れのようである。

「政府は副業・兼業を推進するための環境整備を積極化させる」
「副業推進へ政策総動員」
「首相は副業・兼業の推進は世論に好意的に受け止められるとみる」

 最近の日経新聞の記事の抜粋であるが、ここまで国が後押しする背景には何があるのかと考えてしまう。
 また 記事の中では、「少子化の影響で今後 生産年齢人口が年々減少し、多くの企業が人手不足に陥るといわれているなか、こういった副業・兼業の推進は働き方の多様化に並行して、企業側に人材の有効活用を促す狙いがある。」なんて書かれているが、ここまでくるとこれまでの人口政策の過ちの責任を取らずに、こんな形にして国民、そして働く人たちの生き方にまで入り込んできて、挙句の果てには“推進”なんていう耳触りのいい言葉を使って指図しようとしているとしか思えない。

 現在、我が事務所では私が知る限りでは兼業している人はいないようだが、以前、個人の経済的な事情で事務所が休みの土日に他の仕事もしたいと申し出があり、「事務所の仕事に影響を及ぼさないのであれば」という条件のもと許可したことがあるが、1ヶ月もしないうちに体が続かないという理由でその方は退職された。
 中小企業、そして 同じような地域で働くことは、他にも“守秘義務の堅持”という点においても不安の残るところである。
 現在 働き方改革の旗印のもと、仕事以外に趣味や娯楽はもとより、将来役立つように自己研さんにも時間を有効的に使おうと言われているが、前述の副業の話は、政府が言っているようなきれいごとだけではなく、「掛け持ちすることでより生活が安定しますよ」とより働くことを推進しているようにもとれてしまうが、国は「新たな可能性を求める人たちがその道に進んでいくことができるようにするものだ」ととことんきれいごとを並べ、国民の収入が伸びていないといわれている中で、「一ヶ所だけではきついでしょ」というマイナスイメージとなるようなことは絶対に言わない。
 このことって企業や経営者側にも 「うちの給与だけで食べていけなかったら、少し他で補って」というような甘えが生じ、古い経営者が 持っていた「従業員の生活が安定するよう会社の業績も堅く、確実なものにしないといけない」というような考え方はもはや必要でなくなってくるのかもしれないし、今日まで経営者である誰しもが持っていた重い責任も少し横に置いておくことが許される そんな土壌を知らず知らずのうちに作り上げていってしまっているような気もしないわけではない。

 私自身、最近いろいろなところから「その考え少し古いですよ」と言われることがあり、なかなか本音を言うことが怖くなってきている自分に気づくことがあるが、今日は批判を浴びてもいいので本音を述べさせてもらった。
 「副業することってそんなに前向きな生き方、働き方なん?」
 今の時代から、段々と取り残されそうな中年オヤジの遠吠えに聞こえるかもしれないが、少しは同調してくれる人もいるでしょう。

 こんな好き勝手なことを言っているうちに暑かった休日も終わろうとしている。
 明日は少しはましな気温になるのを願って明日に備えます。
 では今日はこのへんで・・・。
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2019年05月19日

No629:理想とする親子の事業承継の形

 “事業承継”という言葉は多くの方が今まで何度か耳にされたことはあると思うが、この中身について掘り下げて考えたことのある人は、引き継がれる側と引き継ぐ側の当事者以外ではごく限られた方かと思う。
 私自身も親から引き継いだ事業ではないので、当事者としてこの“事業承継”の手順やその大変さが分かっているかというと、分かっていない部分が多いとしか言いようがない。
 ただ、日々 中小企業の経営者や個人開業医の院長と接していると、この問題は避けて通れない 重要、かつ、切実な問題であるというのも十分に認識している。
 子供が違う道へ進んだために早い段階から親子承継はないという経営者や院長はある意味、心の中で割り切りができていて、「うちは私の代で終わり」と言い切られる方もいらっしゃるが、多くの方が「何とか引き継いでもらえないか」と思っておられるのも現実であろう。

 ある企業の経営者は自分一代で世間からもしっかりと評価される会社を作り上げられたが、子供(30〜40歳代)を見ているといつになっても自分の子供に対しては「まだまだ」という評価しか下されず、そのうち子供の方もいっしょにやっていくより外でやる方が気分的に楽 という判断のもと、親とは違った形で歩む人(子)も少なくない。
 そんな中で傍から見ていてうまくいっているなと思えるケースが出てきているのでここで少しだけ紹介することにする。

 ある医療法人(一人医師)を運営されているが理事長(父)が、資格のある実の娘さんだけでなく、そのご主人と若い夫婦二人で協力しながら運営する分院を立ち上げられ(立ち上げさせて)、診療科目こそ本院とは違うが、現在とてもスムーズな形で運営されているところがある。
 ここは娘さんのご主人を院長(A先生)とし、実の娘さんは副院長(B先生)として補佐する形をとっておられ、実質的な医院の運営はA先生がなされている。
 また、医療法人から二人に対する報酬(給与)は、理事長が「まだ、儲かるかどうかも分からない者にむやみやたらの報酬を出すわけにはいかない。」という方針のもと、非常に抑えた報酬の額となっている。私から見ても実の娘夫婦が経営に参画し、将来の後継者になられるのであればもう少し出してあげてもいいのではと思っているが、理事長は、「人並みに支給するのはまだまだ。」となかなか手厳しい。
 ただ、こういった理事長(親)の考えにA先生とB先生は反発するわけではなく、しっかり患者を増やし、経営的にも安定させて、「もう少し、報酬を上げてやってもいい」と言われるようになりたいという思いが強く、そのためのには苦労をいとわないというか、しっかりとした診療をされており、その結果、患者の評判もよく、来院患者の数は増加の一途である。
 この事例でうまくいっている要因は、よくある 甘すぎる親 でもなく、また、一方的にいろいろなことを押しつけるような厳しすぎる親 でもなく、「給料上げて欲しいのなら自分たちが頑張るしかないやろ」という子供側に責任を持たせるやり方をされている点、そして、子側も今まで何度か耳にしたことがある、「今の医療はお父さんの時代とは違うんであんまり口出しせんといてな」というような、若い世代の考え方を親に押しつけることもなく、まずは医療界で十分な実績を積んできた親に追いつこうという姿勢を持たれている点、そんなところであろうかと思う。
 親(理事長)は娘夫婦に、「開業時に時期尚早と購入を見送った医療機器をそろそろ買ったら」おっしゃったが、このA院長は、「まだまだ早すぎます」と断られたと聞いて、A院長の男の意地のようなものを感じ、私は、「A院長とB副院長なかなかやるな、もう さほど心配ない」と思ったのも事実である。
 
 今回の事例のポイントは、まず親側が厳しすぎたり、甘すぎたりせず、また子の方も親の懐ををあてにし、お金は頼めば出てくると思い込むような姿勢でない という点であろう。
 ここで取り上げた親子承継はまだまだ日も浅いので、今後どうなるか分からない部分もあるが、私にとって非常に注目し、かつ、楽しみな事例である。
 「親を追い抜こう」とする子側の気概と、「いつまでもと思わず、どこかでバトンを渡そう」と思う親側の一歩引いた姿勢、この2つがうまくかみ合ってこそ親子承継がスムーズいくように思う。

 今日は長い話になってすみません。
 それにしても完成形は本当に少ないですよ、この親子承継って。
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2019年05月12日

No628:最近よく言われます 「還暦くらいですか」って

 最近、初対面の人から実際の年齢以上にみられることが多く、段々と慣れてはきたものの、「なんでやろ?」とか、半分あきらめ気味で「またか」と思うこともある。
 今まで何年かお付き合いのある方からは、私が老けていようがいまいが、既に私の年齢が頭にインプットされているので、そんな”愚問”を投げかけられることはないが、昨日参加したパーティーでも 同じテーブルになった初対面の人からは、その相手の方の反応や話しぶりから推測すると私は軽く還暦は過ぎていると思われていた感じである。 今日、このコーナーではこの後も歳の話が続くので、念のために私の歳を申し上げておきます。56歳です、56歳、いいですね。

 昨日はある顧問先(医院)の10周年記念パーティーが催され、その出席者は現在の従業員だけでなく、元従業員(パートも含む)も来られていたし、それに薬品関連の業者の方々、あと先生の趣味である音楽仲間である開業医の先生2名、そして私と事務所の担当者もお招きいただき参加してきた。
 居酒屋の宴会ホールを貸し切っての形でそれほど堅苦しいものではなく、主催者の先生が2人の開業医の先生といっしょにされたギター演奏もあり、本当にざっくばらんな形でのパーティーであった。実はこの演奏応援の2人の開業医の先生のうち1人は当事務所の顧問先の方であり、当日までも参加されることは知らなかったし、業務上の守秘義務もあり、どこが顧問先であるかを他の人には絶対に言わないので、その場に私がいたことにびっくりされていた。今回の主催者の先生(医院)の顧問していることはこの日でわかってしまったが・・。
 最初の話(場面)をもう少し詳しく話すと、この日は各テーブル7、8人ずつの中に従業員(女性)の方も配置され、私のテーブルでも従業員の方と業者の方がそれぞれの家族のことを話されていて、「そろそろ主人が定年で」、「年金もらいだしてからの生活スタイルはどんなんになるんでしょうかね」、「娘は2人とも30過ぎてますが結婚する気がなくて困ってますわ」というような話で盛り上がっていて、何かの拍子で私の方に話が飛んできて、「私は年金となると随分先の話ですし、還暦までにもあと4年近くありますしね」と話していると、一人の50代の女性(看護師)の方が、「えっ」と言いながら私の方を見てこられた。私は最近このパターンには少し慣れてきているので、「還暦は数年前に済んで、2、3人の孫がいると思ってたんでしょう、私のこと・・・。」と言いながら、さらにその場の話の中に入っていくと、「いや〜、お仕事柄もあるでしょうし、貫禄もおありなので63歳のうちの主人より少し上と思っておりました。正直に言ってすみませんね。」と私の方を見ながら苦笑いされていた。隣にいらした61歳の業者のも、「男は少し上にみられるくらいがいいんですよ。」と妙なフォローを入れられ、私の歳と見栄えのことでその場はある意味非常に盛り上がった。私も「薄いうえに白くなってしまってダブルなんでね。こればっかしはどうしようもないですしね。」と頭をなでながら切り返しておいた。

 まあ、歳のことだけでなく、口に出しては失礼かなと思えるようなこと(決定的に失礼なことは除いて)でも、今回のようにちょっとした雑談を通して本人に伝わることって、決してマイナス面ばかりではなく、他人を通して 本人が知らず知らずのうちに自覚できるチャンスを与えてくれているという点においては決して無意味なものではないような気がする。何もかも包み込んでお上手ばかり言う人もいるが、周りの者は気づいていることでも言われている本人だけが気づかず、見ていてちょっとかわいそうになる時さえある。
 頭(毛)が薄いとか、太ってるとか、色が黒いとか本人が気にされているような身体的なことは口にしてはならないのは当然のことであるが、人間 言ってもらわないと気づかないことも多く、誰も言ってくれないがために後で恥ずかしい思いをすることだってある。
 家族の誰もが私には何も関心を示さなくなって久しいが、以前は、休日に出かける時の服装を「若作りすぎるわ」とか、「その服、サイズが体に会ってへんやん」と 何かと“ケチ”をいやいや“アドバイス”をしてくれることもあったが、言われて初めて気づくこともいくつもあったのも事実である。
 
 言われるうちが花とまでは言わないが、自分では気づかない「ここはちょっと変」というのをさりげなく言ってもらえるそんな人間関係が理想のようにも思う。
 年配の男女の若作りほど見ていてしんどいものはないが、自分もその対象になっているのかもしれない。気づかないことって本当に怖いことですね
posted by ヒロイ at 22:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月06日

No627:初めて経験する10連休から学んだこと

 “超”大型 の10連休も残りあと1日となったが、みなさんはどんな休日でしたか?
 例年、お正月やお盆を含む夏季休暇の時にはあれもしたい、これもしたい といういろいろな思いを抱きながらその休暇が始まるのを心待ちにするのだが、今回のような大型の長期休暇は初めてだったのでいろいろな期待や願望と同時に、連休明けってどうなるのだろうかという多少の不安があったのも事実である。そういった思いもあって、一応 最低限はこれだけは済ませておきたいということを休み前にメモに書き留めて連休のスタートをきったが、完全実行にはほど遠く、いつものように予定の半分くらいしか用件を済ませることができなかった。
 4月の気温が例年よりも低かったこともあり、この連休が衣替えにちょうどいい時期だったのでコートやセーター、それにかさ張っていた犬の散歩用の防寒ダウンも片付けることができたり、いつかは目を通すぞと多少なりとも学習意欲のかけらと勝手に思い込むように山積みとなっていた本や冊子も今年になって初めて落ち着いて選別・整理することができた。
 私なんかまだまだ長期休日の過ごし方が分かっていないが、バカンスとよばれる休暇が当たり前になっている欧米の人たちはもっと有意義な休日の過ごし方ができるのだろうなと自問自答したりもしていた。
 そういったなかで、国から与えられた休暇(休日)とは言え、今回の連休の過ごし方は日々の生活を見直したり、今後訪れる老後の生活を考えるいい機会になったことは事実である。
我々の世代は、休日となると 「明日への活力になる休日」なんて馬鹿げた発想で、「しっかり休んでおかないと休日明けがしんどいぞ」と ついつい休日の過ごし方をセイブしてしまうが、そんなこと考えること自体、休日を本当に満喫していない証拠なんだろうということも気付かされた。
 今回のように4月27日から連休が始まって、次の営業日が5月7日になっているなんて今までの常識から考えると大丈夫かなと思っていたし、今年の2月頃までは何連休にしようかな、間はどこを出勤日にしようかなと考えたりしていたが、連休が終わろうとしている今になると10連休にしてよかったと心から思っている。
 今回は本当にいろいろなことを見直す機会にもなった“まあまあ”いい連休だったのではと自分で勝手に納得しながら、結論づけようとしている。

東京在住で一般企業の営業の仕事をしている学生時代の友人は、旅行好きなのになかなか行けない私に旅先からきれいな景色やおいしいものを食べてる写真を年に何度かメールで送ってきてくれ、私はこれを本当に楽しみしている。
 今回もとびっきりの写真をスイスのアルプスから送ってきてくれ、なかなか遠出ができない私の目を楽しませてくれた。この友人はひとり娘さんが、昨年結婚されたので夫婦で余暇を楽しんでいるという ある意味、模範的な50代の一人である。
まだまだ私にはそんな余裕が時間的にも経済的にもないが、目標にしたい生き方でもある。
 彼の勤務先は上場企業ではあるが、役員になったりするような出世街道ではないと自分で言っていたし、別会社へ出ている(出向?)ようなことも言っていたが、休日にはヨガをしたり、いつだったか江戸川区民のフェスティバルで着飾って踊っている写真を送ってきてくれたこともあり、本当に周りの者を楽しませてくれる友人である。
 京都に本社がある会社に就職したにもかかわらず京都には一度も住んだことがなく、生まれ育った神奈川県に近い東京に居を構え、そんなにガツガツしていない姿はこちらの心も和ませてくれるが、我々には見えない部分で大変な苦労もしているとは思うし、なんといっても彼の素晴らしいことは、学生時代から今に至るまで彼の口から人の悪口や嫌な話を聞いたことがないということである。
 話が大型連休から全然違う方向へいってしまったが、こんな友人のことに端を発して50代半ばのおっさんの生き方についても立ち止まって考えることができた。こんなことができた連休もまた別の意味で意義があったのかもしれない。

 今朝は朝から まずは溜まりに溜まったごみ出しから始まる連休最終日である。
 今回は普段会えない次男にも そして長男夫婦にも会えたことも含め、連続休暇にしていてよかったと思える10連休であった。
 ではみなさん、今日一日 それぞれ ゆっくりと? バタバタと? お過ごしください。
posted by ヒロイ at 07:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

No626:相続の仕事から教えられる親子 そして兄弟の関係

 大型連休に入っているとはいうものの こんな時にしか時間がとれない方もあり、27日(土)は相続の仕事のために3時間ばかしではあるが出勤となった。
 この日は相続税の申告業務の最終段階として、署名捺印のために3人の相続人の方に事務所に来てもらったが、事前に何度か相続人の方の意向確認をしていたので、特に揉めることもなく、“相続”が”争族”にならずにスムーズにことが進んだ案件のひとつである。
 相続の仕事をしていると配偶者や子供さんと面談をする機会も多いが、そんななかで相続人から亡くなった方(被相続人)の生き様や子供の育て方を聞いていると亡くなった方に会ったことがなくても生前の様子が頭に浮かぶこともある。
 27日に来られた相続人の方は40代から50代の3人で、お母さんが昨年の10月に亡くなり、相続税の申告が必要であったので今回、私共に申告業務を依頼してこられた。この方々のお母さんと10年前に亡くなられたお父さんとは、”裸一貫”とは言わないまでも、2人でいっしょに西陣織の仕事を長年続けながら、3人の子供を育てられ上げられ、その上、今回 相続税の申告対象となった財産を残されたということである。

 今回の相続人である3人は、それぞれ仕事や家庭(独身の方もいらっしゃるが)もあり、今 置かれている環境もさまざまであるが、本当に仲のいい兄妹であった。長男、長女、次女という並びで、女性二人が長男であるお兄さんのことを「お兄(おにい)」と呼ばれていたのが印象的でもあり、ちょっと言葉使いが荒いなとも思わないわけではなかったが、嫌な感じなど全くなく いい関係を保たれているなというのが私の方にも伝わってきた。
 決して資産家でもなく ごく普通の家庭をお持ちの人にまで100万円近くの相続税がかかる今の相続税の仕組みについては疑問を感じないわけではないが、3人からは、「お父さんはそうでもなかったけど、お母さんはしっかりしていてコツコツとお金を貯めていたと思うわ。だからというわけではないが、3人それぞれが自宅と工場の跡地(現在ガレージ)は守らんとあかんし、残してもらったお金も親が苦労して貯めたお金なんで大事に使わんとな。」という話もあり、一連の言葉がとてもいい感じで私の心に響いた。

 自分が亡くなった後、子供たちが揉めることなく仲良くやっていってくれることの意義なんてあまり深く考えたこともなかったが、自分が親になってみて、子供たちが仲良くいてくれることって親にとって一番うれしいことなのかもしれないと思えるようになってきた。だた、自分は死んでしまった後のこのなので確認のしようがないのだが・・・。
 5年前に亡くなった私の父が生前に 「親はな、お前ら3人の子がいつまでも仲良くやっていってくれることが一番うれしいことなんやで」と正月やお盆にみんなが集まったときによく言っていたが、3人の子供を持つ親となって、言っていた意味というか親としての気持ちがよく理解できるようになった。
 
 連休のさなかということもあり、今一つ頭が働いていなくて 文章もまとまりがないが(えっ、「いつもまとまっていないですよ」と言っているのは誰だ)、だいたい言いたいことや今思っていることは書き綴れたのでそろそろ終わりにしようかなと思っている。

 今 連休で次男が帰ってきているし、4日には長男夫婦が帰ってくるが、こんなことも親にとっては楽しみのひとつである。
   連休も10日間のうち3日目がスタートしているが、ここまではしようと思っていたことが予定どおりできているので、このまま無理なく、無駄なく、でも 息抜きは怠らずに残りの休日を過ごしたいと思っている。

 前回も言ったが、それにしても長い、長い休暇であることには違いない。みなさんはどのようにして今回の休みを過ごされていますか。
また、連休明けにこんな休みだったというのを聞かせて下さい。
では、今日はこのへんで・・・。
posted by ヒロイ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする