2022年08月07日

No.791:久しぶりに体育会の面々を目の前にして

 今朝10時から同志社大学の陸上競技部の新入部員の歓迎会があり参加してきた。
 コロナ以降、いつもやる やらないとバタバタしていたが今年はこんな状況下ではあったが、万全の対策をとったうえで、3年ぶりに開催された。
 ただ、このような時期なのでマスク着用はもちろんのこと、1〜4回生の現役全部員と一部のOB 計100人程が、蜜を避けて300人近く入れる大きな会場で行った。
 こんな時期なので飲食禁止はもちろんのこと、必要以上の会話はご法度、しかも1時間以内という いくつかの制約のある中での開催であった。
 以前は京都市内のホテルで飲食や飲酒(20歳以上の者に限る)も伴い、多くのOBOGの参加のもと結構盛大に行われていたが、もうそういったことをしていた時の部員も今の4回生のみで、ここでもコロナにかき回された跡形が残っている。
 今回も過去においてはよくお顔を拝見していた65代以上の方の出席がなかったのと、東京在住の方もわざわざ京都まで出向かれることはなかったので、数日前に数少ない京都在住組である私に「できれば当日出席して歓迎のあいさつを」と東京の先輩から連絡が入っていた。

 私はトップバッターでの挨拶であったが、「とにかく今までのことにとらわれることなく、これまでの慣例も捨て、ただ 熱い思いだけは抱きながら自由に活動してほしい。」と話した。
 「一応、100年以上続くクラブであるが、今や歴史や伝統は全く通用しない世の中になったので、そういったことにも一切とらわれることなく、自分のため、自分たちのためにクラブく取り組んでほしい」 と口火を切った。
 ただ、その後 現役部員数名のからは、私が予想していなかった言葉が次から次へと出てきて驚いた。
 「陸上部員であることの責任と誇りをもって」、「名に恥じないように」、「学生アスリートであることを片時も忘れることなく規律を守り」、「キャプテンの僕を信じて付いてきてほしい」、「チームとして少しでも役に立てる選手に、そして部員になれるように」というような最近 あまり聞かなかった言葉のオンパレードで、私の方が少し面食らった感があった。これって知らない人が聞いたら怖い世界と思うだろうな・・・。
 私のころは体育会といえば一種独特の雰囲気はあったものの、片方では競技を離れたらもっとちゃらんぽらんで、今の学生のように将来の人生設計もなく、多くの部員が漫然と過ごしていたように思う。
 近くにいた40代のOBも、「今の学生はある意味偉いわ。俺らちょっとクラブして、後は遊ぶことしか考えてなかったもんな。勉強にいたっては試験前にちょろっとしただけやし。」と言っていた。

 まあ、こちらが「肩の力を抜いて」と言ったつもりであったが、現役学生の熱に圧倒された1時間であった。
 ただ、本音は強くなって次のオリンピックには誰か出てくれたらなと思うが、そんなことを期待するのはさておき、久しぶりに現役学生に会って 今の学生の凄さというか ひたむきさ見せつけられた感があった。

 暑かったし、コロナのこともあったので、1時間で解散となったが、質素ではあったが中身の濃い 歓迎会であった。
 日曜日わざわざ出向いていったが、日頃のビジネスの世界とはまた違ったこういった世界に触れたことによって、いろいろな意味で刺激を受けた朝の1時間であった。
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2022年07月31日

No.790:お酒がやめられませんし、量も減りません

 お酒に対する強さというのは若い頃は並であったし、晩酌もたまにする程度で今のように毎晩という訳ではなかったが、今では飲まない日はほとんどなく、たぶん一年のうち360日くらいは飲んでいると思う。
 家で飲むお酒もいいが外出時や旅先で飲むお酒はまた格別のものである。
 お酒に関して舌が肥えているとか、通というようなものではないので、日本酒にしろワインにしろ決して味が分かるほうではないし、お酒ならビールに始まり、日本酒、焼酎、酎ハイ、洋酒、それにワインまで何でもござれであるが、家で洋酒を飲むことは少ないし、ワインに至ってはお客様でもない限り飲む機会はほとんどない。
 以前はカミさんも結構飲んでいたが、10年以上前に一時体調が良くない時期があり(今では元気であるが)、その頃からからほとんど飲まなくなり、今ではノンアルコールビール以外口にしたのを見たことがない。まあ、外出時には車を運転してくれるので、私にとっては好都合であるが。
 私のお酒の飲み方には、決して決まったパターンがあるわけではないので、その日の体調や飲む時間帯、それに料理の内容によってお酒の種類は様々である。
 父の日に子供たちからいただくものも年に一、二度帰省する息子たちのお土産もお酒が増えたように思うし、1ヶ月から2ヶ月に1回程度やってくる娘は、嫁ぎ先が和歌山なので、最近では必ずと言っていい程、和歌山ならこれやろ と言わんばかりに特産の梅酒を持ってきてくれる。
私にこだわりがない分、手土産として持ってくる方も「なんでも飲むので、お酒ならいいか」と気軽に持ってこれるのであろう。
 一応言っときますが、一度たりとも「酒 持ってきて」なんて言ってませんしね。
 もし 私がお酒に関して通なら、どこどこのお酒とか何年もののワインなど選ぶ方も気を使うだろうし、費用もかさむであろうが、私には全くこだわりはないので、アルコールが入っていればそれだけで満足である。

 こだわりではないが、勝手に楽しんでいるのがお酒の産地である。
 ただ、これは飲む前にお酒の産地をみて、勝手に旅に出ているような気分に浸っているだけのことであるし、コロナでなかなか旅行に行けない分、こんなことで気分を紛らわせてところもある。
 長崎 壱岐の麦焼酎、新潟県魚沼の日本酒、旭川や富士山麓 御殿場の地ビールはもはや定番になりつつある。
 こんな気分で飲んでいると 今まで行ったことがないのに 地図上のその地にいるような気分でお酒を味わうのも酒飲みならではのことである。
 こんな状態なので私の食卓の横の棚には全国各地のお酒が並んでいるので、お酒の種類ではなく、「今日は東北」と産地を先に決めることもある。
 アル中なんていう怖い病気もあるくらいで、癖になると怖いのでほどほどにしておかないといけないが、正直 以前と比べればお酒が強くなったと感じるは事実である。
 好きとはいえ いくら飲んでもいいというのではなく、まず 休日であっても昼は絶対に飲まないし(当然か)、夜も一定の時間以降は飲まないと決めているが、結構飲むペースが速いので、夕食が早く9時前に食べ出した時は、11時前にはそのまま食卓に伏し寝て居眠っている時がある。
 我が家はこういった場合でも、「そろそそ自分の部屋で寝たら」というような声は掛けないことになっているので、ふと目を覚ませば 食卓で夜中の2時なんていう日もたまにあり、慌てて自分のベッドに駆け込むこともある。

 お酒に関する今の悩みは、お酒の量がだんだん増えてきていることであるが、周りにいるみんながこれほど奨励し? 持ってきてくれるので酒飲みになるのもやむを得ないと勝手に納得してしまっている。
 ちなみに今日はまずはビールが終わり、次に何にいこうかと考えている中休みの途中であるが、定番の麦焼酎 中々くらいがちょうどいいかなと考えているところである。
 では、まずは氷を取りに行ってきます。
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2022年07月24日

No.789:「遠慮なく顧問料を元に戻してください、もう大丈夫です。」

 先週の勇気づけられた言葉に引き続き、今週もうれしかった一言ということで、観光客や修学旅行先生を対象としたアクセサリーや小さな置物の製作・販売 それにその場で製作の体験教室をされている顧問先との会話を取り上げます。

 2年前 コロナが襲ってくるまではSNSでの宣伝効果もあり、国内のお客様はもちろん それ以外にも外国人観光客も加わり、製作・体験教室は一時は予約も取りづらい状況までになっていた。
 お店(体験教室を含む)は奥様がメインで切り盛りされていたが、今が商機と脱サラされたご主人もそのお店に加わり、個人事業であるがゆえの限界はあるものの、コロナ前の売上は開業15年目にして過去最高を記録するまでになっていた。
 お店は古民家に少し手を入れた程度の京都市北区にあるこじんまりとしたものであったが、コロナ直前の年末には更なる売上アップを図るために地下鉄沿線への進出も検討し、テナント捜しもされはじめ出されていた。
 そんな矢先 年が明けてしばらくすると、誰しもが予期していなかったコロナの大襲来に遭った。
 その後はキャンセルにつぐキャンセルの嵐で売上は前年の8割減となり、お店の経営はもちろんのこと、家の方、つまり家計も大変な状況に陥った。こんな状況なので新たな出店計画も断念せざるを得なかったのは言うまでもない。
 ただ、その後の対応は素早く、まずは国民年金や生命保険の支払い、それに住宅ローンの返済等 支払いが猶予できるものはなりふり構わずその手続きをされた。
 また この状態が長引いた場合も想定し、金融機関から無担保で500万円のコロナ融資も受けられた。
 このように資金の手当ては出来たとはいうものの、3ヶ月経っても一向に客足は戻ってこないので、ご主人は介護施設が運転手を募集しているのを見てすぐに応募、そして採用、あっという間に新しい仕事を始められ、今では送迎の運転手以外に施設内でご自身ができる範囲の他の仕事にも取り組まれている。
 奥様の方もお店は続けながら、空き時間を利用してご主人とは別の施設で介護の補助者としてパートの勤務を始められた。
 そしてその後はコロナは収束することなく、幾度かに渡って押し寄せてはくるが、お二人のがんばりで家計の方は破綻することなく何とか回せるようになった。

 元々人気のあったお店なので今では客足も戻り、今年の4〜6月はコロナ前の水準まで回復するに至った。
 ただ、ご主人はコロナのスタート時に就職された介護施設に継続的に勤務する意思を固められ、現在も勤務し続け 固定的な収入を得られている。
 ご主人は今年の夏は賞与もしっかりともらったということで大そう喜んでおられ、なかなか充実した日々を送っておられる。

 この顧問先はコロナ禍ではここに掲げているような状態に陥っておられたので、この最大の難所を切り抜けてもらうために顧問料を大幅に減額していた。
 3ヶ月に一度面談するという当初からの顧問契約に従い、奥様が先週 4〜6月分の帳簿等の資料を持ってこられ、その折に奥様から次のような話があった。
 「お陰様で客足も戻り、私はその対応に追われ忙しくしていますし、主人も定額収入が確保できる新しい職場で定年までがんばると言っています。万が一の時のために借りた借金も手を付けていなかったのでそっくり500万円返しましたし、固定収入がある分 今までより家計は安定しています。もう心配ないと思いますので、便宜を図って助けてもらっていた顧問料は8月分から遠慮なく元に戻してください。もう大丈夫です。」
 実は顧問料を減額してから2年近く経っていたので、私はそのことさえも忘れかかっていたが、ご自分の方から「顧問料を元に戻してください。」とおっしゃったのには驚いた。
 「本当に助けてもらい、そしてお世話になりありがとうございました。」と言われた時にはなんだか胸が熱くなった。
 私の方もお言葉に甘えた形になるが、迷うことなく顧問料を戻すことに決めた。
 暑い日が続くが、顧問先からの思わぬ一言で久しぶりにいい気分にさせてもらった面談でした。
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2022年07月17日

No.788:80歳の恩師から力をもらった

 昨日の京都新聞に京都マスターズ陸上選手権の結果が載っていた。
 私も長年 陸上競技に取り組んでいた身として、高校や大学時代にいっしょに走った者や誰か知っている人いないかなと思って、何気なく目を通していた。
「いたいた、へ〜 もう80歳か」と私が高校時代 陸上部の顧問だった先生の名前があった。

 〇 80m障害80歳 瀬野弘昭・・京都新、大会新
 そして ずーっと新聞を見ていくと こんな有名人(元オリンピック選書)も載っていた。
 * 100m 50歳 朝原宜治 11秒35・・京都新、大会新
 
 そういえば、この瀬野先生は高校を定年退職されてからも高校の体育教師の時以上に本格的に陸上に取り組んでおられ、年賀状はいつも国際大会で入賞した時の写真だったことを思い出した。
(確か、シンガポールやリオデジャネイロなどあちこち行かれていたな。)

 高校を卒業してから40年以上経つが、その間会ったのは、私の結婚式に出席してくださったのと 10年ほど前 特急電車の中でばったり会ったくらいでそれ以来、年賀状のやり取りだけでお目にかかることはない状態が続いている。
 「よし、今日は勇気を出して おめでとう と電話してみよう」と思い立って、電話番号を検索したが、この先生の携帯電話の番号は登録されていなかったので、登録されている自宅に電話をしてみた。
 数回の呼び出しコールの後、電話に出られ、「廣井増生です。お久しぶりです。」と告げると、「おお、廣井か!」と元気な声が返ってきた。
 新聞で80m障害で京都新で優勝されたことに対するお祝いの言葉を掛けると、「もう一種目優勝してるんやで、立ち五段跳びでも」 となんともうれしそうに2種目優勝したことを話された。
 思い出話も含め、10分近く話した後に、私が「先生、携帯の番号を教えてもらっていいですか」というと、「僕、携帯持ってないねん」とおっしゃった。
 私は思わず、「ほんまですか? 今どき、どんな老人でも携帯くらい持ってますよ。」というと「みんなにそう言われるこど、ほんまに持ってないねん。別に不自由したこともないし。」とこの先生らしい答えが返ってきた。
 昔から、人に惑わされず、好きなことだけをやり通される性格であったが、この携帯電話を持たれないこともこの性格からきているなと勝手に解釈した。

 電話を切った後、本当にお世話になった高校時代のことをいろいろと思い返していたが、
 高校時代は体育教師、そして陸上部の顧問でありながら、(あまり大きな声では言えないが)まるで私のマネージャーのように 国体やインターハイ、それに選抜合宿など全国どこに行くのも田舎者の私の気持ちを落ち着かせる思いもあってかいつも着いてきてくれた。
 インターハイで優勝した時は、私はあまりにもすさまじいレースだったので走り終わった後 しばらく放心状態であったが、瀬野先生は、「わしは廣井にすごいプレゼントをもらったわ。田舎の高校の一体育教師だけど、インターハイチャンピオンを育てた顧問という 京都の陸上界でこの先 大きな顔ができるというものを」となんともうれしそうに満面の笑みを浮かべておられたのを今でもついこの間のことのように思い出される。

 今日は突然電話するのは失礼かなと思いつつ、勇気を出して電話をして本当によかった。
 電話を切る前、「いや〜、何年ぶりかわからんけど、廣井の声を聞いてなんだか元気が出てきたわ。もうそろそろ陸上も引退かなと思っていたけど、もうちょっと練習を続けて次の大会をめざそうという気になったわ。この電話、ほんまに老人を元気にしてくれたわ。」と、こちらにもわくわく感が伝わるような元気な声で話されていた。
 確かに私の電話でこの先生は元気をもらわれたかもしれんけど、私も80代の恩師からとてつもないパワーをもらったような気がした。
 仕事していても家でも ついつい、「もう年だし」とか、「ほんまに最近疲れやすなったし、疲れもなかなかとれへんし」なんて口癖のように言っていたが、この瀬野先生の言葉を聞いて、こんなこと口にするのはまだまだ10年早いわ、いや20年早いわ と思った。
 でも現実的には80までは無理やと思うけどね・・。
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2022年07月10日

No.787:どこもここも財政難

 国も地方自治体も財政的に厳しくなってきている話は皆様方もよく耳にされていることでしょう。
 コロナ前でも厳しい状況であったと思うが、コロナでの莫大な財政支出の後はなおさらアップアップの状態に陥っているというのは、このコロナ関連の支出の大きさから誰しもが想像のつくことであろう。

 会社や家計というある程度 目が行き届く規模なら財布の中身も把握できるが、国や自治体となると規模が大きい分 何が厳しくて、どこにしわ寄せがいくのかわかりずらい面もある。
 医療費や介護サービス、それに子育て世代への支援・援助等は良くも悪くも取り上げられる機会も多く、「また負担増か」とか「こっちも削減されるのか」と比較的わかりやすいが、それ以外の公共サービスの部分は意外と一般の人にはわかりずらい面もある。
 ただ、外出したり、あるいはいろいろな施設を利用したりすると、「もしかして お金がないのかな」と感じられることもある。

 これは財政不足が原因かどうかわからないが、車に乗っていて感じたこととして一例を挙げると、
 観光客や歩く人に優しくということで歩道を広げる工事がいたるところで行われていて、これについてはいい街づくりだなと思うが、車の走る一般道で白い線や横断歩道のラインが消えかかっていたり、見えにくくなっていると感じることがあり、京都市内の幹線道路の一つである五条通もその一つである。
 先日も京都府の北部から国道9号線で京都市内まで戻ってくる途中、京都市内の中心部に入ろうとする片側4車線のところで、車線を示すラインが消えかかっているところがあった。
 夜だったこともあるとは思うが4車線を区切るラインがほとんど見えないところがあり、車が少なかったからよかったもののふと気づけば一瞬ラインをまたいで運転していた。こんなことを言うと交通違反になるかもしれないが、それくらい見えなかったということである。
 数年前まではあちこちに新しい道路(高速道路も含む)ができ、きれいなアスファルト舗装とくっきりとした白いラインがなんとも運転する者にとって気持ちのいいものであったが、最近は気のせいか、白いラインのことだけでなく、くぼんだ道路やアスファルトがつぎはぎだらけになっている道路も今まで以上に目につくようになったと感じている。
 あと、京都市の地下鉄でも竹田駅は上り下りはお互い相手のホームが見えるように対面になっているが、立っていると電車が入ってくるまで反対側のホームの状況がよくわかるが、そのホームの下のコンクリートが見え、じっくり見るとそのコンクリートが欠けているところがある。
 あれくらいでホームが崩れ落ちてくることことはないかと思うが、あれとて本来は何らかの補修が必要ではないのであろうか。

 私はたまたま交通関係のことを取り上げたが、みなさんの日々の生活においてはこういった「国や市はお金がないんやな」と思われることはいくつもあろうかと思う。
 2221年度の国の税収が過去最高という信じがたいニュースも先日耳にしたが、それをもって公共サービスや公共事業等の諸問題を一朝一夕に解決できるわけではないということは誰しもわかっていることである。
 でも こんな時、一体お金はどこへ? と考えてしまうのは私だけではないはずだが・・。
 歳入の見通しが立つのなら、歳出のコントロールでもう少し還元したり、課題となっている問題解決に向けての支出があってもいいように思う。

 こんな話をしていると政治的な匂いもしそうなのでこれくらいにしておくが、今日の参議院選挙の結果がどう出るのか、夜の速報を待つことにしよう。
 私は今回の選挙は先週の日曜日に期日前投票に行ってきたので、今日は投票所に出向くことのない選挙の日である。
 よく、良識ある判断といわれるが、良識のある判断っていったいどういうことなんだろう? これに対してきちんと説明が出来る人ってどれくらいいるのかな、 私も含めて?
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2022年07月03日

No.786:実行しています、34年前に妻から言われたことを 

 今日は朝から強い雨が降っていたこともあり、自宅で自分の部屋にこもって部屋の片隅に積み上げられている「いつかは読まねば」と思っていた冊子や読み物に目を通していた。
 昼ご飯を挟んで午後からも同じようなことを続けていたが、今まで置きっぱなしにいていた量があまりにも多く、全てを読み切ったり片付けたりすることはできそうにないので、途中で気分転換も兼ねて散らかった部屋の後片付けもしていた。
 棚の奥にはかなり古いファイルや封筒もあり、中には私が結婚する前からのものもあり 久し振りに目にする書類を見て「あっ、そうだったな」と思うことがあった。
 そこにあった ○十年前の封筒や書類、それに学生時代に陸上の大会でもらった賞状、それに何度かとり上げられた「陸上競技マガジン」という雑誌等 懐かしいものを順次 手にとって眺めていたが、それらに記されている名前はどれも 今使っている「廣井」ではなく「広井」であった。
*正式には「廣」の中は「黄」であるので手書きの場合には必ず中は「黄」とするが、パソコンではこの文字は変換されないので、名刺や事務所のHP、それに仕事上の書類では「廣」を使用している。
 こんな話と今日のタイトルがなんで結ぶ付くのかと思っておられる方もあるのろうかと思うが いよいよここからが本題なんです。
 私は26歳で結婚するまでは、ほとんど「広井」しか使ったことがなく、学生時代のテストの答案用紙の名前も、就職した時に自分で作ったシャチハタも「広井」であった。
 それがカミさんと結婚した時、カミさんの姓も山ア(山崎ではない)から広井に変わったが、カミさんは「広井より廣井の方がかっこええし、こっちが正式なんだし私はこっち(廣井)を使えわ。」と言って、結婚してから一度も「広井」を使うことなく、「廣井」を使い出した。
 そういえば小学生の頃、親から自分の名前の由来を聞いたときに、漢字(文字)の意味の他に、廣井の「廣」(中は黄)と増生の「増」はどちらも14画だし、二文字目の「井」と「生」も4画と5画ではあるが、どちらも比較的画数が少ない文字なので全体としてちょうどバランスがとれていていい と聞いたことがあった。
 ということで カミさんが結婚を機に「廣」使いだしてから、夫婦で使う漢字が違うのも変だなと思い、それ以来 私も「廣」を使っている(先ほども言いましたが、手書きの時は必ず中は「黄」にしてますけど)。
 たった「廣」と「広」の使い分けだけでここまで話が長くなるとは思わなかったが、もう一つカミさんから言われたことで実行していることがある。
 こちらも結婚して間もない頃、私のひょろひょろとした字が書かれている書類を見て、「字に自信のない人ほど小さく書いてしまうので余計に読み辛くなるんやで。いまさら達筆にと思っても無理なんで、せめて文字を大きく書けばきっとそっちの方が読みやすいし、読む人にも気持ちが伝わってええで。特に名前の小さいんはあかんと思うわ。せめて名前くらいは元気よう大きくないと・・。」と言われた、これも34年前に。
 まるで小学校の書道教室での会話のような話であるが、その甲斐?あってか 今では自筆で署名する時には意識することなく普通に枠いっぱいの大きな文字を書くようになっている。文字の上手い下手は別として。

 こんなつまらぬことを披露して、読んでいる人にとって、「わざわざ、ただの夫婦の会話をこんなところで」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、まあそこはさら〜と流しておいてもらえればありがたいというもんです。
 お忙しい中たわいもない話にお付き合いいただきありがとうございました。
posted by ヒロイ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月27日

No.785:1つの県から1人も参議院議員が選べない?

 少し盛り上がりに欠けるとはいえ、現在 参議院選挙の真っただ中である。
 京都選挙区の定員は2人、お隣の滋賀県は1人であるが1票の格差の是正措置により、1県で1人の定員を配分されない県が4県あり、2県で定員が1人といういわゆる合区とよばれている選挙区がある。
 これは既にご存知の方もあるかもしれないが、鳥取県と島根県、それに徳島県と高知県で定員が1人というものであり、単独の県で選出した国会議員(参議院議)がいないという状態となっている。
 これに対して東京は定員6人となっており、上記の4県では1県当たりの実質定員は0.5人であるので何と12倍に開きがある。ただ、これば有権者の数に差によるものでこの定員こそ平等であるというものである。
 この定数については1選挙区1人の定数である衆議院の小選挙区では、都道府県単位でみると次回の選挙では東京都は現在の25区から30区と国会議員が5人も増え、逆に和歌山県(他にもあるが)では3区から2区となり県選出の衆議院議員は1人削減され、2人となる。
 1票の格差についてもう一度、その意味合いについて確認をしておくと、
*1票の格差とは「同一の選挙において選挙区ごとの有権者数が異なることで投票の価値に不均衡が生じるとされる問題」と定義されている。
 ということで、憲法でいう法の下の平等ともとでは1票の格差をなくすという当たり前のことではあるが、日常的に多くの物事を都道府県単位で見たり、検証したりする機会の多い現在の日本においては、上記の格差の問題は理解できるとはいうものの 逆に何か不平等感が生じているようにも思えてくる。
 コロナによって人口の都市部から地方への流入も見られるとは言っているが、まだまだ都市部、特に首都圏への人の流れは止まったとは言い難いように思うので、そういう意味ではこの国会議員の定数是正はさらに進んできて東京都をはじめとする首都圏の定員はさらに増え、人口がさらに減少する県では定員1名なんていうことも現実に起こりうることである。
 ただ、誰の力をもってしてもこの最高裁判決を覆すことはできないので、ある意味 従しかないのが我が国における選挙制度というものであろう。
 こんな政治の話の時にスポーツの話を持ち出すのは不謹慎かもしれないが、高校野球では昨年の夏の甲子園の都道府県別参加校は2校が参加できる東京都と北海道を除くと神奈川県が176校、大阪府167校で鳥取県は22校であるが、予選の出場校の数に関係なくどこも1校のみの出場枠である。
 国体なんかも都道府県の代表なので、その予選出場の選手数には大きな開きがあるが、ここでは不平等という議論はほとんど聞かれない。

 あと、今日の新聞にもう一つ地方政治に関わる記事が載っていたので紹介しておくと、
 京都市の北隣にあった京北町という田舎町が2005年の京都市と合併し京都市北区となったが、京都市議会議員の中では票数(人口)の少ない京北町出身の議員は一人もいないとのことで、以前 京北町であった時のように町会議員16人を通して地元住民の声を議会で反映するようなことはほとんどできなくなったとのことである。
 この問題は旧京北町だけでなく、市町村合併があった多くの所で同じようなことが起こっているとのことである。
 選挙と言えば、「○○党躍進。○○党伸び悩み」という記事が主体となるが、今回ここで取り上げた議員の数、そして今後の変遷について目をやることも日本の政治を考えるうえで重要なことのように思う。
 
 今日は少し硬い話になってしまったが、選挙の真っただ中にこうした制度の基本的なこと、逆にいえば選挙戦の裏側を知ることも選挙に参加するうえで意味にあることであるように思う。
 自分の選挙区が今後 どう変わっていくのか一度確認して見られたらどうでしょう。
 では、今日はこの辺で・・・。
posted by ヒロイ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月19日

No.784:対面でない難しさ

 2年前から現在に至るまで世の中がコロナ禍という状況に陥ってからは、いかに人と会うのを避けるのかということが日常生活を送る上で非常に重要なテーマとなる局面を何度か経験した。
 「経験した」という過去形を使っているが、決してコロナが収まったわけではないし、完全終息宣言が出せるという状況でもないが、国のいろいろな緩和措置によって人々の動きが活発化してきたことは事実である。

 先日、来年の夏以降 京都で事業を立ち上げる予定のある人と“税理士選び”のための面談があったが、この開業予定の方は現在は勤務先の都合で東京で仕事をされているので、この税理士選びの面談はWebで画面越しでのやり取りであった。
 税理士選びも以前であれば、「〇〇さんから勧められて」といういわゆる紹介によって初回の面談をした後、特に大きな支障がないようであれば 顧問先になっていただき、顧問契約の締結に至るケースがほとんどであったが、最近は2〜3人の税理士と面談した後、いろいろな角度から検討された上で顧問税理士決定される方が多くなってきている。
 昨年、「税理士さんとの面談は5人目です」という方がいらっしゃったが、ここまでくるとこちらも「何が何でもうちの顧問先に」という思いもなんだか薄れていって、「運よくうちにきてくれたら・・。本命の税理士さんが既にいて、うちって単なるダミーかな?」なんて最初から勘ぐりながら面談をしたのを覚えている。
 そんな本音が相手さんに伝わってしまったのか、この時は当然のことながらいい結果がでないということになってしまった。

 時代の流れとはいえ、パソコンの画面を通してのWeb面談というのは内容にもよるがやはり限界があり、対面でないとなかなか分からないこともある。
 対面でない分、マスクを外しての面談は可能であるが、画面の向こうということではなかなか真の表情はつかみきれないケースも多々ある。
 よく知っている方ならともかく、初めての人であれば立った時の姿、座った時の姿勢、そして服装も含めた全体の雰囲気をつかむというのも面談時の重要なチェックポイントのような気がする。
 大きな声では言えないが、大手企業にお勤めされている知人のお嬢さんは出勤はなくとも自宅からパソコンを通しての会議出席となるらしいが、下がパジャマのままで、しかも背景は加工しているとはいうもののベッドの上で上半身だけを起こして、画面を通しての上半身だけの会議出席のようである。
 こんな話を聞くと在宅勤務の是非を論じるということよりも、「いったい、社員としてどうなの?」なんて言う気になってしまう。

 コロナで企業の在り方、社員の働き方も大きく変わろうとして中、数年後にはどうなっているのか 私が注目している会社とその取り組みは、
〇パソナ・・営業、人事部門などの本社機能の一部を淡路島に移し、従業員も1,000人規模で異動させる。
〇NTT・・原則の勤務場所を自宅とし、本社に出向くことは出張扱いで、飛行機での出社も可能で交通費も宿泊費も会社負担。対象者は3万人。

 この2つの会社の取り組み、1年後、5年後、そして10年後どうなっていくのか、羨ましさや興味もあって後追いしていきたいと思っている。
 「本社勤務は花形」なんて言っているおっさんはもはや化石化していくのでしょうか・・・?
posted by ヒロイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月12日

No.783:日本語を理解しないと時代に取り残されそう

 まずは、私が最近、この言葉どう解釈していいのかな とか、ただ単に私が頭が悪いがために理解に苦しんでいるだけなのかな なんて思うことがある。
 冒頭からこんな訳の分からないことを言っても私が何を言おうとしているのか余計に分からなくなってしまうと思うので、私が「おやっ?」と思ったり、「う〜ん?」と思っている言葉をまずいくつか例に挙げてみることにする。

○「プロパガンダ」・・特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。
・最近 ロシアのウクライナ侵攻後、報道番組の中で、「軍事作戦に正当性があると主張するプーチン政権による国内向けのプロパガンダは、総体として国民の多くに浸透しているといわざるを得ない。」なんて言われているし、この言葉からロシア国内の状況も雰囲気ではわかるが、日本においてはプロパガンダという言葉が日常的に使われたり、その行為が頻繁に行われているわけではないので 自分の中でも理解はできても頭の中に落とし込められていない部分がある。というのも、これは自分がプロパガンの影響を受けたことがないからなのかもしれない。

○「トリガー」・・銃の引き金。また転じて、物事を引き起こすきっかけ。
・先日も、「・・・がトリガーとなって、夫婦の関係は危機的状況に陥ってしまった」という文章がさらりと載っていたが、私にはこのトリガーという言葉がスーッと頭に入ってこなくて思わず、読み直したり、意味を調べたりしてしまった。

○「SDGs」・・持続可能な開発目標
・今や国策というよりも全世界が取り組むべき目標であるということは一応理解している。17色の丸いバッジをつけている人を時折見かけるし、自治体や会社によっては具体的な取り組みを実行しているところもあると聞くが、ある金融機関の支店長に「付けてはりますね」とスーツの襟の17色のバッジを指さして言うと、その支店長が、「うち(会社)の方針で、付けるように指示されてますねん」と言われた時にはなんだかむなしいというか、がっかりした。だから浸透せんのやなって。
 私もこの17色の意味とかを調べたり、それぞれの取り組み事例を見て行くと 「なるほど」と思うのだが、なんせ分野が多岐にわたり過ぎていて、正直何をしていったらいいのか分からにというのが本音です。
 でも、本当のところいうとこんなことを言っている経営者って失格なのかもしれませんね。恥を忍んで思っていることをさらけ出してしまいましたが。

 本当に言葉って難しいですね? 海外生活の経験のある方は今 日本での使われ方と現地(海外)での使われ方やニュアンスの違いを体感的に理解できるんでしょうが、私のような国内組には、頭の中に ? が付くことが多く、多少気劣りすることもある。

 言葉のこと言っても先述の3つの言葉とは言葉の重みは違うが、仕事をしていて若い人たち(とはいっても40代以下か?)がよく使う言葉で、時代やな と思うものがいくつかある。
 その中でも、「・・・的な感じで」、とか、「・・は、ほぼほぼメドが立ってきました」という、“的”や“ほぼほぼ”なんていう言葉は我々の時代にはなかったような気がするし、私は今まで使ったことは一度もない。
 「ほぼほぼ」も何年か前に日常的に使われるようになった時に 「ほぼ」と「ほぼほぼ」はどちらが完成に近いのかなんてその違いを調べたこともあったが、今や私の周りでは「ほぼほぼ」は完全に日常語になった感がある。

 今日は何が言いたいのか分からないような内容になってしまったし、これ以上言っても同じような話になってしまうので、今日は現代用語についていけないおっさんの愚痴として軽く聞き流しておいてもらえれば結構です。
 でも、仕事をする上では愚痴っているばかりではなく、何事も理解することから始めないといけないのだろうな と多少反省もしながら今日の話はお終いとします。
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2022年06月05日

No.782:タクシーが走っていない?

 京都市内ならいつでもどこでもタクシーに乗れるというか、つかまえられるというのが今まで当たり前のことであったが、最近 京都市内を走るタクシーがめっきり減ったように思う。
 私も以前は行く先に駐車場がなかったり、駅から離れた場所へ行く時で時間がないような時にはついつい手を上げて乗ることもあった。
 ただ、最近は顧問先を訪問する以外の用事はめっきり減ったし、中でも会食なんていうのはこの2年近く全くなくなってしまったが、これは私だけでなくほとんどの人に言えることであろう。
 乗降客の多い駅、それに観光地等ではタクシーが列を作っているのを見かけるが、それとてコロナ前のような長い列ではなくほんの数台だけという時もあり、やはりタクシーそのものが減っている感じがする。

 最近、こんな光景も見かけた。
 朝の8時頃 北大路通で左手に赤ん坊を抱え、右手に折りたたんだベビーカーを持った若いお母さんがタクシーを探しているがタクシーそのものが走っていない。やっとタクシーが遠くに見えたのでベビーカーを持ったままの右手を必死に上げようとしたが、そのタクシーはお客さんが乗っていたので速度を落とすことなくそのお母さんの前を通り過ぎていった。
 そうこうしているうちに反対側車線で信号待ちをしていた私の方の車が流れ出したのでその後はどうなったか見届けることはできなかった。
 あと、今出川通でも大きな荷物を抱えたおばあさんがタクシーを待っている姿があったが、こちらも昼過ぎだというのにタクシーがほとんど走っていなくて、停めて乗る以前にタクシーが見つからない。
 コロナ前は夜 8時過ぎに自分の車で事務所を出る時に、空車のタクシーがお客さんを探すようにノロノロと走っているのをよく見かけたが、ここのところ それすらほとんど見かけなくなってしまった。
 4月の終わり頃、出町柳駅まで行くのに久しぶりにタクシーに乗った時に運転手さんが、低い声で「コロナで去っていった乗務員(運転手)が戻ってこないんです。戻ってきたところで安い賃金ですし、今や全く魅力のない仕事になってしまいました。若い頃は平均的なサラリーマン以上に稼げたし、コロナの前も日本人観光客と海外からのお客さん、それに修学旅行と休む暇がないくらいになっていたんですがね・・。」とぼやいておられた。
 静かになったというか、街が落ち着いてきた状態は地元の者にとっては住みやすい街になった感じはするが、このままでは国の財政も京都の財政も、そして国民の懐も厳しい状態から脱することすらできないのだろう。
 ある雑誌には「タクシーの乗務員は将来が見通せないとして3割が転職済み」なんて書いてあったが、少し景気が持ち直したり、観光客が戻ってきたからといって そう簡単にはタクシー運転手は戻ってこないのだろう。
 でも、観光都市である京都にはなくてはならない職業と思うんですが。

 仕事で地方都市へ行っても小さな町だとローカル線の駅前には、「タクシーをご利用の方はこちらまで」と車は停まっていない駐車場に電話番号が書かれた看板が立てかけてある。

 たかがタクシー、されどタクシーではあるが、なくてはならないものであるし、今まで当たり前のようにつかまえることができたのが そうはいかなくなったことに不便さ感じているのは私だけではないはず。
 お年寄りの中には病院への通院に必要とされている方もあろうかと思うが、乗りたい時にすぐには乗れないタクシーになってしまったことにコロナから始まった社会構造の変化に直面しているなと感じてしまう。
 街がごみごみして混雑していなという点では、人出の少ないのはいい面もあるが、本当にもうあの頃には戻らないんかなという 別意味での不安もあ。
 さあ、これから先 どうなるんでしょうね。
*今日はたまたま私の車の前に空車のタクシーが2台走っていました。
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2022年05月29日

No.781:「開業支援」だけでなく、「廃業支援」もしています

 本当に暑い日でしたが、あっという間に過ぎた一日でした。
 今日は ある医療関連の団体から「新規開業セミナー」の講師の依頼を受けていたので、朝から昼過ぎまではこの会場で一仕事を終え、そしてセミナーの帰りに事務所に立ち寄ると先週からやり残した仕事が目に入ったので、一定の所まできりをつけ、夕方早めに家に帰ってきた。
 平日と違い、外部からの連絡もない中で比較的ゆったりとした気分で机やパソコンに向かって、気になっていた仕事をメドがつくとこまでやり終えた。 今日の仕事も一定のメドまででなく今日中に完結することも可能であったが、完結する、つまりやり終えるには夜まで事務所にいなければならず、やはり日曜日に遅くまで仕事をしていると次の週の月曜日からモチベーションが上がらず、かえって仕事がはかどらない週になってしまうこともあるのでいい所で切り上げたということである。
 次の週を気持ちよくスタートするために仕事を少し早く切り上げたなんて ちょっとかっこいい言い方なのかもしれないが、やはり仕事は趣味やレジャーでないのだから、否応でもまた明日からまた一週間 仕事は始まるので、こういった「今日はここまで、これでお終い。」という気持ちも大事なのかもしれない。ただ、それほど余裕のあることはほとんどないのが現実なんだけど・・。いつも今日中にやらないといけないという縛りの中に身を置いているので。

 今日の研修で先輩開業医からの実例紹介があり、親族間でなく第三者承継といって、今まで全く知らなかった方からクリニックを引き継いだという事例であった。
 私の顧問先でも身内に後継者がいらっしゃらなくて、次の引き受け手を探しておられる方がいるが、これとて一昔前のように「お願い、頼むわ。」、「はい、私でよければやらせてもらいます。」という軽々しいものではなく、いくらで売ります(譲ります)、いくらで買います(譲り受けます)というまさにM&Aであったり、マッチングという紹介事業であったりするのが最近の通例である。
 社長のイスをめぐる後継者争いレースのようなものがある大企業の記事を見るすることもあるが、零細中小企業では親から子ならまだしも、身内に後継者のいない企業はそれはそれは大変な悩みである。
 当事務所の医療機関でない一般企業の顧問先で社長が80才台になっても後継者が決まらい会社があったが、この2年間いろいろと検討を加えた結果、昨年末やっと現役員の中の一人の方に後を託すことになった。 これまで仕事上、開業支援という事業の始まりを多く手掛けてきたが、ここへきて事業の引き継ぎ方や終い方に頭を悩ませている方も結構いらっしゃて、相談事例も年々増えてきている。
 事業というのはスタートして軌道に乗せるのも大切であるが、実はそれと同じくらい終わり方や引き際も大事で、これを間違えば今までの苦労も水の泡になることだってある。
 これからはこういった相談も増えるだろうし、その方法についてもう少し掘り下げて知識を積み上げていかなければいけないと思っている。
 話がまとまりづらくなってきたが、「開業支援」だけでなく、「上手な事業の閉じ方」なんていうビジネスもこれから今まで以上にニーズが出てくるような気もする。 何をするのも大変な世の中になってきたなと実感するし、いろんな意味で頼られる存在になるために学ぶべきことはいくらでもあるなと思う今日この頃である。 本当に終着点なんてない、というのが人生なんだろうなと妙なことを考えた。ただ、日々終着点のことを考えながら生きていくわけにはいかないし、明日はまた何かに追われる日になるだろう。
 ゆっくりしたい気持ちもあるが、こういう日常が自分には一番合っているんだろうなと思ってしまう。
 本当に忙しかった5月もあとわずか。
 カレンダーを見て少しほっこりしながら日曜日の夜を向かえている。
 さあ、一杯やろか。
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2022年05月22日

No.780:何カ月ぶりだろうか? 母の顔を見たのは

 母が入所している施設に久しぶりに行くことができた。
 行くことができたというのも新型コロナの感染拡大が常態化し、家族であっても面会できない状態が続いていたが、先日 他の用事でその施設の近くまで行っていて、1時間半ほど空き時間があったので、ダメもとで面会が可能かどうか施設に電話を入れてみた。
 施設の顔馴染みのスタッフの方から、「ほんの少しの時間 顔を見るだけくらいならいいですよ、ほんの少しだけですよ。でも、今 お昼寝中なんですけどね。」と言われた。ただ、またいつ面会できなくなるか分からないし、少しだけでも可能ということだったのでの立ち寄ることにした。
 午後4時過ぎだったが、まだ昼寝から目が覚めていないので、車いすに乗せて面談のロビーまで連れて来れないということで こっそり身をひそめるようにして母の部屋(個室)まで案内していただいた。
 話を聞いていたとおり眠っていたが、施設の方が「息子さんですよ。増生さんですよ。」と肩に手をやりながら声を掛けられると、少しだけ目を開け、口をもごもごと動かし、声にはなっていなかったが私の目には何かを言おうとしているように見えた。
 認知も相当進んでいるので、目が覚めていたとしても私のことは分からないし、食事の時には何とか車いすで食堂までは連れて行ってもらうようだが、手で箸やスプーンを持って自分の力で食事をすることはできないらしい。
 こうして私が面会に行っても母にとっては普段と何も変わらないのかもしれないが、私は面会できた時はいつも来てよかったなと思いながら施設を後にする。
 それにしても何カ月ぶりなんだろう? 9カ月近く顔を見てなかったかな? いつも「面会はできませんよ」と言われ続けていたので。
 よくよく考えてみると、こういった面会も私の自己満足にすぎないのかもしれないが、顔を見るといつもなんだか知らない力を与えてくれるし、自分が日々仕事をしたり、日常生活を送っていることの意味を考えるいい機会にもなる。
 我々の同級生や友人も親が亡くなったり、施設に入っている話をよく聞くし、これがある意味 日本の縮図かもしれないが、いつかは自分も通る道なのかな なんていうことも考えてしまう。
 このブログはこれから事業を始めようとする人や今後どのように事業を発展・成長させていこうかと考えているような人も見ていただいていると思うので、できるだけ事業に結びつき、先が開けるような話題を提供するように心がけているのだが、たまにはこういった自分の親、それに自分の将来や老後など、なかなかじっくり考える機会もなく、どちらかというとあまり考えたくないような話題をこうして書き綴るのも、人生や人間の命を考えるきっかけにでもなればと思っている。

 GWは長男と長女が前半と後半に分かれて、それぞれ夫婦で京都に来ていたが、こういったお決まりのようなことが、将来「若い頃、よう京都に行ったな。あの頃は親も元気だったし。」と思いだしたりすることになるのだろう。私も母の顔を見て思い出したのは若かった時のことが多かったし、目を閉じると、母はまだこうしてがんばっているのに目頭が熱くなってしまう。
 今日の話、頭に浮かんでいることをただ単に文章にしているだけなので、あまり役に立つような話ではないかもしれないが、たまにはこんな話にも加わってください。
 親と同居しているともう少し親のことも頻繁に考える機会があるのでしょうが、私のような離れて暮らす親不孝者にとっては、こういう機会こそ、大事にしないといけないと思い今日はこうして綴っている。
 まあ、一瞬かもしれないが「おかあはん ありがとな。」という気持ちが心をよぎっただけでも今回の面談は意味があったのかも。
 なかなか忙しくて次はいつ会えるか分からないけど・・。
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2022年05月15日

No.779:ネット社会での責任の所在は?

 職場でアドレスをあてがってもらって、メールで顧問先や取引先とやり取りを始めたのはいつ頃からなのかはっきりしたことは覚えていないが、私が開業した15年前には全ての人が という状況ではなかったにしろ、ほとんどの人が使えるようになっていた。
 それから考えると、正式な時期こそ定かではないが、前の職場に在籍中だった20年くらい前から徐々に利用しだしていたであろう。
 それが今やメールをはじめとするネットの利用はどんどん広がり、ただのコミュニケーションツールというだけではなく、一つの社会や文化を作り上げていると言っても過言ではない。
 ただ、20年以上も前は、国民や社会の声というのは街中で大声を張り上げたり、テレビやラジオに出演して訴えたり、あるいは投書を通して、みんなに伝わっていた。匿名というのもたまにはあったが、基本的には発言者も陰で何かを言うのではなく、自分も表に出て物言うのが基本であり、そういう意味において、発言には責任がついて回り それなりの重みもあった。
 それが今のSNSを利用しての意思表明は、どこの誰だと名乗る必要もなく、罵声や脅しに近いような言葉であってもほとんど責任をとることもなく何でも言える世の中になってきている。
 今朝も目が覚めた後 すぐにはベッドから出ることもなく、いつものようにスマホをいじりながら今日の天気やニュースを覗き込んでいたが、よく考えればこういった布団の中やお風呂の中そして少し汚い話になるがトイレの中からでも好きなことが言えるというのが今の社会の怖い部分でもある。
 政治に関することになるが、選挙前には政党支持率や各候補者の騰落予測などが公表されるが、これもこうして体や口を動かさずして、指先だけで意思表示をすることによって世の中を動かすことさえ可能であるとも言える。
 ただ、どの選挙でも以前ほど投票率が上がらないのは、ネットでの選挙ごっこに満足して、実際には投票場へ足を運ばない人、特に若者が増えているのではなかろうかと勝手に推測してしまう。
 あと、飲食店や医療機関へのいわゆる“口コミ”が 客や患者の動向に影響を与えているのはみなさんもご存じであろうし、ちょっといい書き込みがあれば、予約がとれなかったり行列ができる飲食店なんかはまさにこの影響の最たるものである。
 私は今まで書き込みをしたことは一度もないし、しようと思ったこともない。良いことでも悪いことでも基本的には自分だけにとどめるか、せいぜい身近な人にだけ耳寄りな情報として伝えるだけで十分と思っている。なぜ、第三者にそんなことまで伝える必要があるのか、特に誹謗中傷と言われる悪口の場合なおさらである。
 それは伝えたがり屋や訴えたたがり屋、そして叫ばずにかまんできない独りよがりで寂しがり屋の人の勝手な行動で、こんなものに振り回されるようにはなりたくないと思っていつも行動している。
 今日はなんだか妙な方向へ話が行ってしまったが、今のネット社会への歳のいったおっさんの独り言と思って流してください。

 それと、ここまでの内容と少し違うが、最近あまり気分がよくなかったことをもう一つ。
 それは携帯電話のスピーカー機能をこちらの了解もなく勝手に使用されていることである。
 つまり私はAさんに電話して話しているのに、途中でAさんの傍にいるBさん(家族又は友人等)がいきなり横から私の携帯電話での会話に飛び込んでくるケースである。
 私は電話という1対1で話をするツールを使ってAさんと話しているのに何でここでBさんが登場するの? ということである。
 本来なら、「重要な話なんで隣にいるBさんにも聞いてもらっていますしね」って一言断りを入れるのが礼儀というものではなかろうか。いやいや礼儀なんて関係ないのかも? この内容、顧問先の方が見られるとまずいかな、でもいいか思ったこと言ってるだけなんで。陰で言っているわけでもないし。
 もっとひどいのは、何の断りもなく会話を録音されていたこともあり、後で「あの時のあの発言ですが・・。」と言われたことである。これこそゾッとするしますよね。
 まあ、これ以上話を続けると ○○の遠吠え なんて言われかねないのでこの辺で終わりにするが、大事な話をするときに「今電話していてもいいですか、一人ですか」とわざわざ断りを入れないといけないこと自体、妙な世の中になってしまっているな と思っていしまう。

 まあ、言いたいことをひと通り言ったので今日はこの辺で終わりにします。
 暑いのか肌寒いのが分からないような天気ですが、夏に向けて今一度体調を整える5月の後半にしたいものです。でも、私はスケジュールを見る限り厳しい残りの2週間になりそうですが・・。
 今日はただの愚痴なのにいつも以上に長くなってしまいました。すみません。
posted by ヒロイ at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月08日

No.778:少なくなった“喝”を入れてくれる人

 日曜日の朝番組の中のスポーツコーナーで“喝”といって批判をしたり、気合を入れるのを見られたことはあろうかと思うが、今朝 久しぶりにこの番組を見る機会があり、少しの時間ではあったが見ていてがっかりしたことがあった。
 それは出演者の発言が番組の進行を妨げたり、「おやっ」とか「ドキッ」と思わせるようなものがほとんどなく、そつなくこなすいい人の発言ばかりであり、その反面というか キレもそしてケンもない発言が続き、以前のように出演者の強烈な個性はほとんど見受けられなくなっていた。
 言い換えると、あっさりし過ぎていて、つまなくなったなと感じたということである。
 ついこの間は司会者のS口さんが適切でない発言をしたとか、少しずれていたとかSNSで叩かれていたし、その前は今は退かれているスポーツコーナーのH本さんの不適切で、捉え方によっては差別的な発言がやり玉に挙げられていたが以前からこの番組を知っている者にとってはやはり今の出演者には物足りなさを感じずにはいられない。
 確かに過去の出演者の中には、その発言内容を後で検証すると問題があったり、視聴者側から逆に“喝”と言い返したいようなものもいくつかあったのも事実である。
 これも時代の流れかと言ってしまえばそれまでの話であるが、何かを言ったら叩かれるという恐怖心を持ちながら番組に出演するのも大変なことのように思う。 

 ここから先はここまでの内容から少し角度を変えて、厳しい忠告、そしてそれを声に出して言ってくれる人について思い出も交えながら述べさせてもらうこととする。
 最近は他の人、特に後輩や部下に“喝”を入れることもなくなったし、ちょっと間違った“喝”の入れ方をすると大きなトラブルに発展することだってないわけではない。
 また、上の人から“喝”を入れらたり、そういった場面を見る機会も少なくなったし、そのうち“喝”なんて死語になるのではと思うぐらい世の中の状況や人間関係は大きく変化してきている。
 我々の年代の者は子どもの頃は先輩から“喝”を入れられることによって、今まで気がつかなかったことに気付くことも何度かあった。
 古い話で恐縮だが、私が中学生だった頃、野球部でいっしょにショートを守ってシートノックを受けていた先輩から、「廣井、さっきのプレーは気合が入っとらんぞ。だから一歩目のスタートがあんなに遅くなるんや。バッターの足の上げ方を見て、こちら(守っている者)の一歩目の踏み出しを右にするのか左にするのか決めるんや わかっとんのか?」と怖〜い注意を受けたことがあった。ただ、この先輩からのこの一言で今まで捕れない打球がとれるようになった。
 今はこの怖〜い一言さえも問題になりかねないご時世だがやはりこの“喝”とか“気合を入れる”ということは、時と場合にはよるだろうが、私は(個人的には)必要なような気がする。ただ、こんなことを言っていること自体、前時代的なのかもしれないし、こういう発言をすることすらヤバいと捉えられかねない難しい時代になってきた。
 “チクリとする一言”とか“くぎを刺す”なんていうことも使い方を誤ると人間関係にひびが入ったり、内容によっては訴えられるようなことにもなりかねない。
 何かにつけ大変な世の中になっていくのを実感する今日この頃である。

 話を急に目の前のことに戻すが、
 GWというのは完全休養ができるわけではないが、年始からここまでバタバタしてきた人にとっては、いったん立ち止まって仕切り直しができるいい期間であるなと思う。
 ただ、明日はもう5月も9日ということで、5月はあと残り3週間。
 いや〜、明日から大変そう。怖い怖い。
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2022年05月01日

No.777:経営が順調である人の悩み

 ふとNoを見ると、今回 第777回なんですね。何かいいことがあるといいのに・・。
 
 つまらぬことはこれくらいにして、本題に入ります。
 今日のタイトルを見て、多くの人が「なんというぜいたくな話」と思うでしょう。でもあるんです、こんな羨ましいような話。
 4年前に30代で事業を始められ、1年目も2年目もほぼ予定どおり目標売上高に達し、その後はさらに右肩上がりの業績が続き、開業時の借入金こそまだ完済されていないが、その返済も順調に進んでいる。
 このような状況なので、個人の生活資金として、家へ入れるお金も当初予測していたよりも少し多めの金額をまわす形がとれている。
 このコーナーでも何度か“事業がうまく人”ということを取り上げているが、今回の方も今まで紹介した成功事例のように何事においても万全の事前準備をした上で事業を立ち上げ、また事業開始後も、ほとんど一息つくこともなくここまでまっしぐらで進んでこられた。
 先日、毎月の面談時に経営指標を見ながら、「いつもよく似たことばかり言っているかもしれませんが、本当に順調ですね。非常にいい状態になってきていますが次なるステップをお考えですか?」と尋ねたところ、「いや〜、順調かもしれませんが、まだまだ安心はなりませんし、正直 今後どのようにしていったらいいのか分からないんです、次なる目標が設定できなくて。」とまさに他の人から聞けばなんともぜいたくな悩みを打ち明けられた。
 そしてその方は、「もし私が50代なら、あと何年がんばって、その後 事業の閉じ方や承継の仕方とかを考えればいいんですが、まだ30代ですしね。普通ならもういっちょやってみるかと事業を拡大する人も多いんでしょうが、私には今のところ拡大志向が全くなくて。」とおっしゃった。
 確かに事業を始めると1年でも1ヵ月でも、いや、1日でも事業が早く軌道に乗るよう、模索をしながら日々事業に取り組んでいくのだが、この方のように早くして目標に達した方のその次というのは、意外と難しいのかもしれない。特に事業欲とか拡大意欲とかがなければ、「じゃあ、この次どうすればいいの? この後何を目標にすればいいの?」ということになってしまう気持ちも分からないではない。
 もちろん家を買うとか、子供の教育資金を確保するというような目の前の目標が全くないわけではないが、「目標としている○○を実現するために働く」というような長期的な展望というか、達成感が得られるようなものが今のところ見当たらないようである。
 「次はどうしたらいいのでしょうね?」というのも 頭を抱えるような悩みではないにしろ悩みには違いない。

 我々の仕事は事業を軌道に乗せたり、可能な限りの節税について模索・提案したりするののも重要な業務であるが、この方のようにいっしょになって目標を見つけ、道筋をつけるというのも経営者を支えるという点では我々に課されている仕事のひとつかもしれない。
 もちろん人それぞれの人生であり、またご家族もいらっしゃ場合には ご家族の方々のご意向も踏まえて考えないといけない場合もあるが、今後の人生をいっしょになって考えていく機会なんてそうそう度々あるものでもない。
 他人の人生なので立ち入り過ぎることのないようにしないといけないのは分かっているが、何年か先、「いい人生だった」と言ってもらえればこれほどうれしいことはない。
 まあ、普通は生きている以上、悩みがなくなるなんていうことなんてないんでしょう。悩みがあることが生きている証拠なんでしょうから・・。

 明日はGWの谷間の営業日ですので何とか一日頑張ってきます。
 そういえば明日は新名神を使って滋賀県の甲賀市まで出張、高速が混まなければいいのだが。
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2022年04月24日

No776:遺影に手を合わせて

 先日、3月にお亡くなりになった方のご家族のとの面談があり、ご自宅を訪問した。
 顧問先の方であったので、事務所に残っている過去の資料と事前確認した情報から判断する限りでは相続税はかからないくらいの財産内容であったが、相続開始後の各種手続きや今後の対応について相談したいとの申し出もあり、4月になったら面談をすることになったいた。
 この亡くなられた方とは基本的には1年に1回会う程度の接触度合いであったし、年齢も80代と高齢の上、病気で入退院を繰り返されていたので直接お目にかかる機会も少なくなっていた。
 しかも、一昨年から新型コロナウイルスが世に蔓延しだしてからは、「会うのも怖い」と言われ、資料のやりとりはもっぱら郵送で行い、あとは電話での補足説明を聞くというのが基本的なスタイルになってきていたので、ゆっくりと顔を突き合わせて談笑する機会もなく、2年が過ぎてしまっていた。
 こんな状況の中、確定申告も終盤に差し掛かった3月上旬に この方の奥様から、「うちの主人ですが、お医者様からあと2、3日と言われています。今 何かしておくことはありますか?」と電話があった。
 そして、その電話があってから1週間後に、「先週 主人が亡くなり、お葬式も内輪で済ませたので、報告しておきます。」と連絡が入った。
 この連絡の後、やはり今までのような外部の人も参列する葬式はされなかったのか、そりゃそうだよな こんな時期だもん、と葬式のついていろいろと考えていると葬式の形態と意義の方へ頭が回りだし、葬式のことをいろいろと考えた。

 コロナ禍以降は死後の儀式であるお葬式のスタイルもすっかり変貌を遂げ、今回のような家族葬的な いわゆる内輪で済ませる葬儀が主流となってきている。
 決して大掛かりな葬儀を推奨したり、望んでいるわけではないが、お世話になった方が亡くなった時に手を合わせる機会がほとんどなくなり、事後的に何かのきっかけで亡くなられたことを知るケースが非常に増えてきている。
 今まで幾度となく葬式には参列してきたが、葬式にはそれを行う意義もあったなと今になって思うこともある。
 亡くなった方には申し訳ないが、通夜や告別式の連絡が入るとそれに参列するための日程調整は正直 結構大変であるし、遠方へ出向いていくことだって幾度となく経験してきた。ただ、お葬式の場で遺影を前にするとその方との楽しい思い出だけでなく、怒られたり、苦言を呈された時のことも脳裏に浮かんでくる。どちらかというと楽しいことよりも苦い思い出が頭に浮かぶことの方が多かったように思う。
 葬式に参列した後、2、3日もすれば日々の忙しさもあってこういったしんみりしたことは忘れて、日常に引き戻されてしまうが、葬式に参列しての帰り道くらいはしんみりとした気持ちになり、自分の生き方について反省すべき点と亡くなられた方への感謝の念が込み上げてくることが幾度となくあった。
 また、葬式に多くの費用をかけることに疑問を持ったこともあるし、相続の関係の仕事をしていると1,000万円近い葬儀費用の明細書を見て、「すごい! でも 故人には申し訳ないが少しもったいない気もするな、残された者の生活のことも考えると。」と思ったこともあった。

 今回の方は一人娘さんが以前 仕事の関係で宮古島にいらっしゃるときに会いに行かれ、帰ってこられて間もない頃 私との面談の時に、沖縄や宮古島に行った時のことを話されていたが、私が「今後も息抜きを兼ねて、定期的にお嬢さんとそのご主人に会いに行ってくださいね。」というと、「もうええわ、70を超えた者には長時間の飛行機は堪えるし、いっぺん行ったらもう十分、やっぱり京都とこの家が最高やし、一番落ち着くわ。」と話されていたが印象に残っていた。そしてこの方の遺影を前にしてこの宮古島の話を一番に思い出した。

 昨今は葬式だけでなく結婚式の方も大幅に減り、また行われても縮小されたりする話を見聞きするが、結婚式への出席は純粋に楽しく華やいだ気持ちになり、さらには少し感動するようなことがあると、「自分も30年以上も前にはあんな気持ちもあったんやな。今は・・・・・になってしまったけど」と自己反省することも度々あった。

 話が葬式から結婚式の方までいってしまったが、もう一度話を 元に戻すと
 遺影の前で手を合わすことは、自分が歩んできた道を振り返り、今後の人生を考えるという点ではそれなりに意味のある行為だったんだなと思ったし、葬式が少なくなった昨今では、そういったしんみりする機会さえもなくなってきていることに少しだけ寂しさを覚えてしまう。
 ただ、以前のような形にはもう戻らないような気もする。
 最近 黒のネクタイを締める機会って本当に少なくなりましたよね、というかほとんどなくなってしまいましたね。
 良いのか悪いのかはそれぞれの人の考え方にもよると思いますが、遺影を前にして いろいろいろ考えてしまいました。
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2022年04月17日

No775:久しぶりのスポーツ観戦で気分爽快

 新型コロナウイルスは最悪の状態は脱し、新規感染者数は減少傾向にあるとはいえ、なかなか底は見えない状況が続いている。
 また、国外に目を向けても緊迫し、悪化の方向へ向かっているともいえるウクライナ情勢、そしてその余波も受けつつある中での世界、そして我が国における経済状況の悪化と目の前に明るい話題が見つかりづらい世の中になってきている。

 そんな中で今日はスポーツの話題であるが、スポーツ好きの私にとってはスポーツは嫌なことを忘れさせてくれ、心を和ませてくれる。

 先週の日曜日に27人の相手バッターを一人も塁に出させない完全試合を達成したロッテの佐々木投手が今日も日本ハムの打者24人を全て抑え込み8回でマウンドを降りるという離れ技を見せた。
 9回まで投げきらず次のピッチャーと交代したのは多少残念であったが、その交代にも不思議と納得がいったのは、まだまだこの佐々木物語が次へと続くという期待があるからなのだろう。
 次へ試合の楽しみは、完全試合やノーヒットノーランというよりも まず佐々木の球を打って最初に塁に出るのは誰か、そして初めてヒットを打つのは誰なのか そんなまるで映画やゲームの世界のようなことを現実のこととして考えられるだけでも、今までに経験したことのないことである。
 この佐々木超特急を止める、つまり塁に出たり、ヒットを打った選手はそれだけで話題の人になるのであろう。
 明るい話題の少ない時にすごい記録でなんともワクワクさせてくれる佐々木投手には尊敬と感謝の気持ちが沸いてくる。

 話は野球からサッカーへ、そして一週間前のことに戻るが、先週の日曜日にサッカーJリーグで12年ぶりにJ1に昇格した京都サンガの試合を亀岡のサンガスタジアムまで観に行ってきた。
 このスタジアムは2年前にできたとこで、屋根付きのドームではないが観客席のほとんどが屋根に覆われており、また ピッチとスタンドとの距離が近く、この日の私の席は前から5例目であったので、監督が指示を出す声や選手の荒い息づかいまで聞こえてくる なかなか臨場感あふれるスタジアムであった。
 実はこの日も朝から家でしていた書類チェックが予定よりも早く終わった(こんなことはほとんどないが)ので、昼ごはんを食べている時に「今からでも間に合うわ。よし行こう。」と、松ヶ崎から14時半過ぎの地下鉄に乗って、電車で亀岡へ向かった。
 それから1時間後には当日券を買ってシートに着くというなんとも慌ただしい動きであったが、試合の方も3対1で京都サンガが勝ったし、昼間からたこ焼きを食べながらビールも飲めたので、ここ暫くの間で一番の気分転換というか息抜きになった。

 まだまだスポーツ観戦も大手を振って行ける状況ではないが、またコロナの心配がなくなり、時間がとれれば一人でふらっと行きたいものである。
 前もって予定を立てておくのではなく、今回のように急であっても時間とれた時に見たいものや行きたい所へ行くというのもなかなかいいもんだなと思った。
 普段 予定に縛られていることが多い身としては、こんな思い付きで急な行動は結構 スリリングで楽しみになるかもしれない。
 ただ、次にこんな時間がとれるのはいつになるのか今は全く予想がつかない。だからいいんだけどね、俗にいう 行き当たりばったり で。
posted by ヒロイ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月10日

No774:なかなかできない身の回りの整理

 昨日は今の勤務先を来年の春に退職し、ご自身で事業を立ち上げようとされている方がご夫婦で事務所にお越しになった。
 事業を始めるまでのスケジュールの確認や必要な資金の調達方法の相談、そして当事務所が行う経営や税務の支援の内容について質問があった。
 面談が終わった後は、今後 相談を継続するかどうか検討してみるということで帰っていかれた。
 現在 顧問先になっていただいている方の開業後の経営状態にあらためて目を向けてみると、事業立ち上げ時の気持ちを開業された後も忘れずに少しでも頭の片隅でもお持ちの方はまずは心配ない。ただ 思った以上に早く軌道に乗った方でついつい初心を忘れ、気が緩み徐々に不安定な経営状態に陥っているケースを目にすることもある。
 事業の立ち上げ、つまり開業というものは、一生に一回きりの場合が多いが、私のように開業支援の仕事をしていると他人様のこととはいえ、事業を立ち上げる時の期待と不安に満ちたドキドキ感のようなものを何度も共有できるのはある意味 ありがたい経験ともいえるだろう。

 昨日は事務所も休みだったので、午後からは静かな中で自分の机の周りにある「ひとまずはここに」と積み上げられていた書類の整理に精を出したが、あまりにも量が多く 当初考えていた1/3くらいしか片づけることができなかった。
 デジタル化が進み、事務所でも「出来るだけ紙ではなくデータで保存を」と言っているのに まだまだ紙で保存しているものの多さにあらためて気付く結果となった。
 「必要かな?」とか、「あったら便利」と思うようなものがあるとついついコピーをとって残してしまうので、気が付けばコピーとそれを入れたファイルの山になっていってしまってるというのが今の状態である。
 目の前のファイルの中を覗き込むと、「なんでこんなものを置いていたんだろう」と思うくらいいろいろなものがあったので、いらないものはすぐさまシュレッダー行きとなった。
 あと、控えを渡す必要のない自分の確定申告書とその関連書類も3月10日の電子申告が終わった状態のまま たくさんの書類を輪ゴムで止めて机の下に置いていたので、整理して正式な保存用ファイルに閉じ込んだ。
 思ったように進まないからと言って、こういった整理作業を避けているとたちまち同じような状態なってしまうので、次は5月の連休にも選別→廃棄の第二段を実施することにしている。

 人間ってなんで使う可能性が少しでもあると 取っておきたくなるんでしょうね。「いつかは使うかも」とか「いつかは着る時がくるかも」なんてつまらぬ呪文をかけているように。
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2022年04月03日

No.773:“一太郎”の思い出

 私の一日は毎朝6時に朝刊を自宅のポストに取りに行き、2つの朝刊のうち まず日経新聞の最終ページにある「私の履歴書」に目を通すとこから始まる。
 ご存知の方も多いと思うが、この「私の履歴書」はその時々の話題の人や著名人、更には過去において名を馳せた人が生まれてから現在に至るまでを自分で振り返りながら1ヵ月に渡って綴るというコーナーである。
 この私の履歴書で先月 久しぶりに“一太郎”という活字を目にし、懐かしさもあって、毎朝わくわくしながらこの連載を読んでいた。
 登場人物の浮川和宣氏ご本人のことに触れる前にまず一太郎の思い出について話しておく。

 私と一太郎との出会いは、私が22歳で社会人になり、結構転職者の多い税理士業界では珍しく新卒者としていきなり身を置いた事務所でのことである。
 その事務所は当時では従業員が20人を超えるという京都では比較的大きな事務所ではあったが、今ではどこにでもあるパソコンなるものはなかったし、現実的にはこの頃はまだパソコンが世に出回っていなかったという時代であった。
 税理士事務所での業務も今のようにいきなりデータ入力するのではなく、まずは自分の机の上でペンと電卓を使いながら仕訳作業をし、それが終わるとやっとコンピューター室(当時は機械室と呼んでいた)の中で小型テレビのような画面に向かって入力作業を行っていた。
 決算書や申告書は手書きであったが、役所に提出する特定の書類だけはワープロの専門学校を出た女性スタッフに入力依頼する形をとっていた。
 こんな状態が何年続いたかは覚えていないが、ある時 各人の机の上に1人1台ずつパソコンがあてがわれるようになり、多分 この頃に一太郎が我々の前に登場したと記憶している。
 定型のひな形がある議事録や契約書は自分で入力するように仕事のスタイルが変わっていったので、周りの人たちから取り残されないようにと必死で一太郎と当時の表計算ソフト“ロータス123”の入力や操作に取り組んだのを覚えている。
 その一太郎も今や役目をすっかりワード(Word)[ロータス123はエクセル(Excel)]にとって代わられているが、当時は一太郎が使えなというだけで仕事ができない奴と言われそうなくらい一世を風靡した。

 今回、私の履歴書を読んで、「この一太郎の会社って、そういえば徳島に本社があったな」というくらいのことは思い出したが、私の履歴書で、創業者である浮川和宣氏が30歳で脱サラし、奥さんと二人で奥さんの実家の応接室を本社として立ち上げたことなどは今回初めて知った。
 ただ 一太郎を開発し、全国くまなく行き渡るまで販売した結果、上場まで果たしたジャストシステムという会社も先述のワードの浸透の波をもろにかぶり、業績は傾き、社長も長くいっしょに仕事をしてきた福良伴昭氏に譲り、その後 浮川氏はジャストシステムを去ることになった。
 一太郎を販売していたジャストシステムという会社はなくなったのかなと心配していたが、その後 キーエンスの傘下に入ったとはいえ、販売する商品も変わり、しっかり方向転換を図り業績を伸ばしている。
 一太郎の産みの親である浮川氏は60歳になって、再び奥さんと新しい会社(MetaMoJi)を立ち上げ、尚 発展途上の最中という凄まじいバイタリティーの持ち主であり、今や少し話題の人のようである。

 月も変わり4月から始まったコマツ(小松製作所)の元社長である野路國夫氏の「私の履歴書」もまだ3日目であるがなかなか興味深い展開になっている。
 野路氏が小学2年生の時に父親を癌で亡くし、小学5年の時には一番上のお兄さんが商売に失敗し、住んでいた家を売り払ったという大変な幼少期のようである。

 話があちこちに飛んでしまったが、こんな風に朝から力を与えてくれる「私の履歴書」は私にとっては今やなくてはならない存在である。
 野路氏には明日からはどんな人生が待ち受けているんでしょうね。
* 一太郎を知っているのって何歳以上の人なんでしょう? 今の若い人は知らないでしょうね。明日 事務所で20〜40代の人に知ってるか聞いてみよ。
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2022年03月27日

No.772:事業がうまくいく人の特徴

 この仕事をしているとほぼ毎日のように経営者の方と接するが、「経営者といってもこうも違うもんだ」と思うくらい本当にいろいろな考え方をお持ちの方がいることに気付かされる。
 経営的に申し分ない人、まあまあでひとまず軌道に乗っている人、そしてまだまだかなという状態から脱し切れていない人と経営状況もさまざまである。
 事業を始められて最初は厳しくても大半の方が2、3年経って心配のない状態になってきているが、そこまでの努力や苦労は並大抵のものではない。

 今まで数多く見てきた経営者の中で、常にお金の心配をしていて、支出内容のチェックも怠りない人というのは、事業に行き詰まったり、失敗するということはまずないように思う。
 こういう人は、お金に関して確かに細かい面はお持ちであるが、決してケチではないし、お金を出す必要のある時はスパッと出すという思い切りのいい面も持ち合わせておられる。 
 うまくいっている開業医の場合、医療機器を購入しようと思えば、業者に発注すれば比較的早く手に入れられる環境下にあるが、その医療機器を他のクリニックが使っていても自分の診療には必要でないと思えば、自分の判断で購入するのをやめられ、周りに流されて購入されるようなことはない。
 ただ、購入される場合もそうでない場合も、話題にのぼったその機器についてはひととおりの研究や検討はされるので、内容は熟知されている場合がほとんどである。
 それと事業がうまくいっている人というのは、いろいろな事に関心があり、誰もがついつい口にしがちな、「これってうちには関係ないし・・」と言うことはほとんどおっしゃらない。本当にいろいろな分野のことに興味を示され、人の話にも誰よりも耳を傾けられる、というか常に何事にも興味津々という感じがこちらにも伝わってくる。
 こういう方なので、事業に関することについて誰よりも研究熱心であるのは言うまでもないし、こういった下地があるから対策を練るのも、その対策を実行に移すのも非常に早い。まさに間髪いれずという感じで・・。
 ここで顧問先の方のことを悪い事例で掲げるのも気が引けるが、みなさまの経営の参考になればと思うので、あえて1、2例あげるがお許しいただきたい。
 まずは初動の遅い人、こういう方は何をしてもうまくいかない。
 同業他社との差別化を図る上でも、「HPをもう少し充実させないと」と焦りながら相談を受けてから、1年経っても何の手も打ってない人や従業員の時給の見直したいと言われながらも従業員からせっつかれて初めて具体的な検討を始める人。
 あと、お金の使い方が計画的でない人っていうか、臨時の収入や予定以上の売上があり、目の前に通常以上に預金の残高があると、「さあ、何買おうかな? お金も少し余裕があるので〇〇でも買おうか」とまるで衝動買いのような買い方をする人、後々のことも考えないで。

 逆にうまくいっているのは自分と考え方が違う人の話も聞けるという人で、これは非常に難しく、なかなか根気のいる行動であるが、このことで自分のやるべきこととしてはいけないことをしっかり見極め、自分なりに頭の中の整理ができていっているような気がする。
 人間が好きな人は必ずと言っていいほど事業がうまくいっているという結論もここでは導き出せるであろうし、本人はもちろんのこと、スタッフや家族が喜んでくれる顔が見たいがために事業に力を注いだ結果、いい方向に向かっていったといっても過言ではないように思う。

 今日も勝手なことを言ってしまったが、実は日々こんなことも考えながらいろんな方と接しているんです。
 明日からまた多くの方との面談の予定が入っているが、お互い試したり、試されたり、そんなことの繰り返しの毎日である。
 明日はどんな学び、気付きがあるのでしょうね。
 では、今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする