2023年09月24日

No.848:慌ただしい昼ご飯

 私の昼ごはんは食べる場所も時間もそして食事の内容も決まったものがなく、空いた時に比較的にすぐ食べられるものということを優先するので、「今日は何食べようか?」なんてじっくり考えて食べることはなく、この一週間の何を食べたか思い出そうと思ってもなかなか思い出せないのが私の昼ご飯です。
 車で出かけることが多いのでお昼にいる外出先で食べることが多いが、移動の合間に時間をかけずにということなのでゆっくりランチや定食を食べることはほとんどなく、うどん、そば、ラーメンなどの麺類かカレーなどサッと食べられるもので済ますことが多い。体にはあまりよくないのは分かってはいるが・・。
 月に2、3回 日本海方面に行くのでそのことを他の税理士さんに話すと、「おいしいものがたくさんあっていいですね、今日はカニとか今日はお造りとか考えるだけで仕事も楽しくなりますね」と言われることがある。
 ただ現実はそう甘いものではなく、遠い所に行った時ほど移動時間に多くの時間が割かれ、それにさらに食事までゆっくりしていたのでは仕事の時間が削られることになってしまうので、食事はいつも以上にできるだけ早く済まそう、そして少しでも早く事務所や家に帰ろうとの思いが先立ち、時間のない時はコンビニでお弁当を買って車の中で食べることもある。ただ、眺めは抜群で日本三景のひとつである天の橋立を目の前にして、鳥が舞 う海を眺めながらの食事の時もある。
 私の実家の近くにも大きな海老フライが2つ入っている海老フライ定食がおすすめのお店があるのだが、ここを通る時は「無理無理、今日は時間がない」と横目で見ながらお店の前を通り過ぎることがほとんどで、実はもう1年以上 この店に立ち寄れていない。
 話のついでに もう一つ楽しみにしていた昼ご飯があるので紹介しておく。
 近鉄の大和西大寺のエキナカ(タイムプレイス西大寺)に入っていた「上等カレー」というカレー屋さんで、奈良方面に行くときここで乗り換えのタイミングが合えば、年に数回であるが立ち寄ることをことを楽しみにしており、先日 1年ぶりくらいに立ち寄ったところお店がなくなっていて、しかたなくラーメン屋へ切り替えたが、後で調べてみると閉店したのではなく、構内の他の場所へ移動していたことがわかった。
 明日はちょうど奈良方面に行くことになっているので、お腹を空かして再チャレンジしてみることにする。ここの辛めのカツカレーは本当にうまいんです。
 こんな昼事情なので、お昼を事務所内で食べるのは1ヶ月に5、6回くらいであるが、事務所の2軒隣がコンビニ(ファミリーマート)なので、お昼時にまたがる外出予定のない日は、朝にこのコンビニで昼ごはんを調達してから事務所に入ることもある。
 実は何気なく買った「焼きさばほぐしご飯」と「豚しゃぶ」はばっちりで、これなら定食屋に行かなくてもいいなと思えるくらいのおいしさであった。
 今日は仕事には関係のない食べ物(昼ご飯)の話に終始してしてしまい、とても税理士のブログとは思えないような内容になったが、仕事をする上でも「食事は大事」ということでお許しいただきたい。

 今日は連休2日目であるが、昨日 大学時代の友人から「京都に行くので時間とれる? 直接仕事に関わることではないけどちょっと相談したいことがあるんだけど・・。ややこしい話ではないんで。」と連絡があり、急な話ではあったが夜は何の予定も入っていなかったので 今晩はとりの串焼きのお店で一杯やりながら話をすることになった・・本当に今日は食べ物の話ばかりになってしまいましたね。

 夕方までまだ時間があるので、出かけるまで事務所のインボイス対応について整理でもしておこうかな。
 では、あと半日ですが いい休日をお過ごしください。
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2023年09月18日

No.847:旅が寂しくなります

 事務所も土曜日から3連休で今日はその最終日である。
 こういう暦の場合、土曜日の朝のテレビではキャスターの多くが、「それでは3連休のお天気は?」と世の中の全ての人が3連休かのように話をされるが、気の利くキャスターは「中には今日から3連休となる方もいらっしゃるかと思いますが」という前置きを入れ、連休とはならない人への配慮もできる人もいるなと妙な角度から朝の天気予報を見ている。
 というのも我が事務所の顧問先の多くを占める開業医のほとんどは土曜日は診察日なので今回のような暦の場合には土曜が休みのところとは違って2連休しかならない。ただ 次の土曜日のように土曜日と祝日が重なった場合は一般のサラリーマンと同じで2連休となる。
 事務所は土曜日が休みなので、祝日でない土曜日の朝 ゆっくりとコーヒーを飲んだり、犬の散歩をしていると「顧問先の先生は今日も朝から仕事をされているんだな お疲れ様」と思うこともある。
 ある開業医は、「月曜日が祝日の時は連休になるのでほんまに気持ちがゆっくりするわ」とおっしゃっるがその気持ちはよくわかる。
 ただ開業医の場合、診療日数が直接 収入に影響を及ぼし、休みの多い月は基本的には減収となるので祝日を含め休日の多いことをよしとしない方も結構いらっしゃる。

 休日がらみの話はここまでで、ここからは大好きな旅の話題であるが、JRが立て続けに2つの廃止を発表し、少しショックを受けている。
 まずはJR東海が2023年10月末で新幹線の車内販売を終了すると発表した。
 JR東日本は当面の間続けることを発表したが、東北新幹線等のJR東日本の新幹線に乗る機会はほとんどない。またJR西日本は何も言っていないので新大阪以西の新幹線では車内販売は続けられるのかもしれない。
 新幹線に乗る機会は最近は減ったし、コロナ禍では車内販売はもちろん、確か車内での飲食も規制されてたように思う。
 たまに乗る新幹線ではあるが、夕食の時間帯と重なった時でもお弁当と飲み物は買ってから乗るし、以前のようにお弁当だけでなく車内販売で2本目、3本目のビールを買うこともない。今から思えば 東京からの帰りに車内で水割りまで飲んで京都駅に着いた時にはひどい状態だったことが懐かしい。
 また朝 東京に向かう途中、富士山が見え出すとわぞわざ車内販売でホットコーヒーを注文し、東京での仕事や研修のために目を覚ましたり、気合を入れたこともあった。
 あともう一つの話題としては東海道・山陽新幹線が年末年始、GW、お盆に運行するのぞみを全席指定にすると発表したことである。
 私も基本的には指定席をとってから乗るし、上記の時期には新幹線に乗ることはほとんどないが、東京にいるうちの息子たちには多少影響があるのかもしれない。
 次男は事前に指定席をとってから動く方であるが、長男はお正月に来た時も「ひとまず京都駅に行って時間の合いそうな指定をとって、とれんかったら自由でもええしな、2時間ちょっとやし」と言って帰って行ったことが何度かあったが、これからこの時期にはのぞみに乗り込むことさえできなくなるのであろう。ほんとに乗車もできないのかな? それはまだ調査中である。
 こうして考えると旅も大きく変わろうとしているし、指定席をとるためにあれほど並んだみどりの窓口に並ぶことすらなくなっている。
 私が若い頃には今ほど高速道路網が張り巡らされていなかったこともあり、夜行バスは限られたルートしかなかったので、ほとんどが鉄道の旅だったので、JRをはじめとし、鉄道には本当にお世話になった世代である。
 学生時代 東京にいる友人に会うために京都から普通電車、いわゆる各停(鈍行?)で東京まで行ったこともあった。途中で何回乗り換えたかは覚えていないが、朝7時頃京都駅を出発し、夕方6時頃には東京駅に着いたような気がする。
 最近あちこちで話題になっている食事付きの観光列車、レストラン列車であるがこちらには乗ったことがないので、事前確認をしてどこかで乗ってみたいと思っている。
 最後に余談を一つ。以前、事務所の人から「昔、JRのことを国鉄って言ってたらしいですね。」って言われたことがあったが、この境目っていくつなんだろう? 50代半ばかな?

 この3連休は遠出はしなかったので、久しぶりにゆっくりできた休日であった。読みたい本も読めたし。
 最終日の今日は明日からの準備にため少しだけ事務所に行ってきます。
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2023年09月09日

No.846:目を覚ませるかな この開業医

 あるドクターが 開業されてから10年近くが経ち、そこまで事業も順調に推移していったので、思い切ってご自身で土地を購入し、その上に建物を建築され、手狭になったテナントを解約し移転された。
 移転されてからは待合室や診療スペースも広くなり、それまで以上の駐車台数も確保され、患者数も従来と比べると大幅に増え、誰もが羨むような状況で3、4年が過ぎていった。
 実はここまでがコロナ以前の話で、コロナでこのクリニックは大きなダメージを受け、患者数の減少は他の診療科や他のクリニックと比較すると比べものにならないくらい大きなものであった。
 こういった状況はクリニックに限らず他の業種でも多く見受けられたが、コロナが段々下火になってくると、アフターコロナへの対応について作戦をしっかり立てている事業者とそうでない事業者の差が今まで以上に広がってきた感じがする。
 コロナというのは、各事業の状況がその前と後が繋がっているというのではなく、コロナを境にしていったん世の中がいったんリセットされたと考えるべきで、新たなステージが始まったと捉える方がいろいろな面において前向きな戦略が練れる。
 もちろん全てにおいてではないが、人々の時間やお金の使い方も変化し、いろいろなことに対する考え方も大きく変わった部分が結構見られる。
 前述の開業医はこのコロナでいろいろなものがリセットされたことを深く考えず、コロナ前と同じ考え方、同じやり方で、悪く言えばダラダラと何の増患対策もせず、同じ形で診療を続けてこられた。
 コロナ前までは移転時に背負った莫大な借金返済のために脇目もふらず、そして新しいものは研究しながら取り入れていくという模範的な形で医院経営を進めていかれたが、コロナでそれまで張りつめていた緊張の糸が完全に切れてからは なかなか元の気持ちには戻らず、まるで「世の中が悪い」というような後ろ向きな気持ちになっていかれた。もちろん会話の内容も人のせいにするようなものが目立つようになってきた。
 そういった気持ちの変化はスタッフや患者様にも何らかの形で伝わったかのか スタッフ離れ、患者離れが起こっていった。
 これ以上の具体的な内容はここでは触れるわけにはいかないが、いつもやっていたことが何かの事情によりできなくなったり、やらなくなると歯車が狂ってくるという典型的な例である。
 毎日決まってやることはそうそう重要なことばかりではないが、やはり 何気なしにやっていることは決してムダなことではなく、それがものごとの前後をつなぐという点においては大きな意味があることを忘れてはいけない。
 たとえがいいのかどうかはわからないが、毎日 植木や花に水をやるという行為は、本当にお決まりの何気ない行為であるが、このことをやめてしまうとたちまち枯れてしまいという悲しい結果になる。
 私は経営者に対しては結構口うるさい方だと思うし、結果が出ていなければ、「なぜ?」、「どうしたら浮上できる?」、「少し甘いのでは?」と追及したり、何とか浮上のきっかけをいっしょになって探し出そうとするときもある。
 ただ、これとてやる気のある経営者の場合だけで、当の本人がそこまでの気がないようであれば、バックアップしていても限界がある。
 そういう意味で最初の掲げた経営者にはガツンと言ってやろうかと思っている。「コロナのせいになんかしても何も解決しない、だってすべての人が被ったものなんだから」、「あっという間に競合が増えたなんて言い訳にならない、どこだろうと、いつだろうと いい場所なら競合が生まれるのは当然」、「次へのステップをどこまで考えているのか」、「あなたには家族も従業員もいるんだろ」って。
 とはいっても最後は他力でなく、自力で解決するしか道は開かれない。
 このドクターまだまだ若いしやり直しも効くので目を覚ましたら? ポルシェを眺めてばかりいないで・・・。
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2023年09月03日

No.845:なかなかいい営業マンと有意義な時間を共有できた

 我々のような業種では各方面からの営業や勧誘が頻繁にある。
 メール、FAX それにDMなどの非対面はもちろんのこと、時にはアポなしの飛び込み営業というのもある。
 前触れのない飛び込み営業は私が事務所内にいることが少ないのでほとんどの場合 直接会うこともなく、業務案内と名刺のみ置いて帰られることが多い。
 金融機関や証券会社の営業が一番多いかもしれないが、それ以外には不動産・建築関連、広告会社、求人募集、パソコンや複合機の売り込み、それにコロナ前にはホテルや料亭の支配人が事務所の忘年会等の宴会でご利用下さいというのもあった。
 基本的には事務所が対象であるが、仕事柄 顧問先への紹介を期待されの営業というのも結構ある。
 事前に電話で連絡をいただく場合、事務所の運営上 聞いておきたい内容の場合には直接面談して具体的な話を聞くこともある。
 実は一昨日、全国的にもテレビでもよくコマーシャルが流れているような有名な求人会社の営業担当者と事前に日程調整をした上で面談をした。
 我が事務所でもこの日からパートの方が一人入社され、朝一番に臨時の朝礼を実施し新しく入られた方を紹介していたところであるし、現在 人員的には充足しているので 新たに人を採用する予定はないが、求人関連の会社の人と面談することによって、今 在職している事務所メンバーの給与体系が他の税理士事務所と比較してどうなのかとか、顧問先の方から求人のことで相談された時 いろいろな情報を頭に入れておくことでより適切な指導ができるのではと思って面談に臨んだ。
 どんな業種でも営業の人が事務所の来られた場合、世間話や雑談の延長線上でその業界の情報や今回のような求人関連の会社場合、名前は伏せられているが同業者(税理士業界)の求人状況も聞ける時がある。
 そういう意味ではたとえ一営業担当者との面談も無駄な時間ではなく、思わぬお得(聞き得)な情報を得られる時もある。
 自分のパソコンで「今後メール配信不要」や「迷惑メール」の処理が全部できているわけではないので、メールでの営業や研修案内は数えきれないほど届くが、中にはメールの情報が有益な場合もあるので全てシャットアウトという訳にはいかない。
 メールやFAXで送られてくるセミナー案内は、この業界が次なるターゲットは何にしているのか、今 何を学んでおく必要があるのか、更には業界としての流れはどちらに向かっているのかを知る上では必要と思われるものある。

 一昨日に面談をした求人関連の会社の営業担当者(男性)の話に戻るが、その営業担当者は新卒の方であったが、いきなり自社の売り込みをするわけではなく、現在の業界の状況を端的に説明したり、こちらの現状を確認するような話に結構 時間を費やし、最後の最後になって商品説明が少しあったが、こういった流れで話が進むと30分ほどの時間も決して無駄ではなかったとも思えた。
 実は話の間合いの取り方や非常に心地のよい営業スタイルで慣れた感じがしたので20代後半の方かと思ったので、最後に失礼を承知で年齢を確認すると23歳だと分かった。
 営業といっても商品の利便性や導入の意義の説明は最も重要なことであるが、こちらが今後 取引をしたり、お付き合いする会社の方向性や信用力、それに営業に来ている人の人間性や魅力を探るうえでは直接面談するというのはそれなりに意義のあることのように思う。
 欲しい物の購入や必要なことへの申込はネットでクリックすることで簡単に済ませる世代に人にとっては、今日の私の話はまさに前時代的なおっさんの話かもしれないが、こういった人もいるということも営業をする上でプラスになるようにも思うので、あえておっさんの意見も述べさせてもらった。
 何でもかんでも頭を突っ込んでいたらきりがないし、時間がいくらあっても足りないが、一つの情報で経営が上向くきっかけになることだってあると思えば、どんな業種であっても情報を粗末に扱ってはならないなと思った次第である。

 夏も終わり学校も始まったが、まだ今出川には学生がパラパラしかいないので大学はまだのようである。 今出川近辺が込みだす頃になると夏と秋の境目だなと実感でき、朝と夜が少し過ごしやすくなる時期である。
 それまであと一、二週間なんとか乗り切らないといけないなと思い、まだまだ暑い中 夏の空を眺めている。
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2023年08月26日

No.844:経営者ってそれほど偉くないよね

 まずはお詫びを。
 私 このコーナーはよほどのことがない限り 週一のペースで掲載しているが、先週はお盆休暇明けでいろいろな用事が立て込んいて土日もほとんど家にいない状態だったので流してしまいました すみません。

 ということで8月の後半は通常の月よりかなり過密なスケジュールで、この一週間で20人以上の人と面談をしたが、その面談時に経営者の方から取引先との関係を含む事業内容のことであったり、従業員に関することであったり、その他もろもろ 悩みや不満を聞く機会がいつもの月より多かったように思う。
 そんな中でも従業員に対する不満をお持ちの経営者の話は聞いていても なかなか解決の糸口が見つけられず、こちらが気持ちの上でしんどくなることもあるが、皆さんは何とかならないかと思って私に相談されていると思うので、いっしょになって解決策や対処方法を考えることもある。
 そんななかで従業員に対する思いとして経営者の口からは出るのは、「期待外れやったわ」とか「裏切られた感じ・・」なんていう後ろ向きであったり、批判的な話が多く、その矛先は新入社員だけにとどまらず、入社後 数年も経っている経理担当者や営業担当者に向けられることもある。
 ただ、入社後数年になる従業員になると会社にとって一定の歯車になってもらっているので欠かすことはできないし、また そこまでの数年間 経営者として容認してきた(雇い続けてきた)責任もあるので、今さら急に今までとは違った対応をとるということもできない場合が多い。
 じゃあどうすればいいのだろうか? 解決策はあるの? ということであるが、
 いろいろな面において知識も豊富な優等生の経営者の方は、ご本人は成績表でいえば“優”の方なのだろうが、こういう方ほど従業員もついつい“優”の人を求め、“良”や“可”では満足されないという傾向が少なからずあるように思う。
 経営者ご自身が“不可”のランクの人であれば経営そのものがやっていけないかもしれないが、経営者が“良”やあるいは“可”クラスの普通のレベルの方であってもすごくいい経営ができている場合もある(経営者の方にとってはちょっと失礼な言い方になってしまいましたね、お許しを)。
 こういった方は人間的に魅力があり、30分話していても 私の方が「あっ そうか!」とか、「そういう風に言えばいいんだ」と思うことがいくつもあり、私自身もいい話をたくさん仕入れて持って帰りたいという気になりついつい熱心に聞き入ってしまう。
 こういう魅力的な人のもとには、やはり魅力的な人が集まり、経営者が仮に“良”ランクの人であっても、従業員は“優”の人が集まったりしてきているケースもあり、こういった会社は多少のことがあっても総力戦で乗り切れるので安泰である。
 私がこの仕事をしていてよかったのと思うことは、上記に掲げているような経営者の本音、特に「ここだけの話」というのを聞く機会が他の仕事をしている人よりも多いということであり、事務所の経営や自分の人生にとって参考になることもたくさんある。

 この次にする話は顧問先の方から「廣井さん何言ってんの?あんたはどっちの見方?」なんて言われるかもしれないが、つい最近 ある会社で従業員の代表格の方からそっと耳打ちされた話である。
 その内容は、「私たち正社員の給与はまだましですが、パートの方の給与はいつも最低賃金すれすれで、まさにパートさんの時給は最低賃金との攻防なんですよ。でも、さっき社長の奥様は給与計算ができたと言ってみんなに給与明細だけ渡して帰って行かれました、新車のベンツに乗って。私たち一従業員がいうことではないんですけど・・。すみませんついついこんなつまらぬことまで愚痴ってしまって、まあこの話は忘れて下さいね。」
 この話、きちんと理解されないと話が変な方向へ行ったり、誤解を生じてしまうのでちょっと補足をしておくが、この従業員の方は最低賃金すれすれやベンツに乗っていることが嫌と言っているんのではないんです。経営者と働く者との気持ちが通じていないということが残念で仕方がないということが言いたかったようなんです。こういう会社はベクトルの向かっている方向がバラバラというのは傍で見ているとなんとなくわかります。
 この会社の経営者は業績が向上するようにいろいろな策を練っておられるにも関わらず なかなか業績が上向かないのは、こういったこととも決して無関係でないように思えてしまうんです。えらい辛口の話になってしまいますが・・。
 でもこういった話は、この場で皆様方に言っているだけでなく経営者の端くれの私自身も文章にまとめることによって自問する機会が持てるのではと思ってこうして綴っているんです。
 経営者って怖いですよ、あまり人から注意されないので。外から自分を見る機会を持たないと。

 最後に ここまでの話と少し観点は違ってきますが、仕事や日々の生活の中のいろいろなシーンで人の言動を見ていて思うことをひとつ、
 人を好きになったり嫌いになるのは人それぞれ自由だが、嫌いになった人の数だけ、人から好かれていない(きついので あえて「嫌われている」という表現は使いませんが)ように思うことがあるんですが、みなさんはそんな風には思いませんか? 冷静に考えて・・。

 まあ、忙しいながらもこんな妙なことも考えながらこの一週間過ごしていました。
 高校野球は応援していた学校がお盆の前半で次々に敗退していったので、その後は興味が薄れ、私にとって終盤は消化試合の感覚で結構冷めた目で見ていました。
 まだまだ暑い日が続いておりますが、甲子園が終わると不思議と秋を感じてしまいます。
 今日は私自身が心の中にあったもやもやを吐き出す形でついつい長くなってしまいました。
 最後までお付き合いいただいた方 ありがとうございました。
posted by ヒロイ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月14日

No.843:年に一度だけのお墓参り

 仕事に追われる忙しい毎日とはいえ 特段の変化もなく よく似た日々を送っている人は多いと思う。
 私自身もそういった部類に入る一人かもしれないが、そんな大きな変化のない生活の中でも私にとって お盆のお墓参りは年中行事の一つとはいえ、ちょっと立ち止まることのできる時間でもある。
 親をはじめとし、身近な人の死から年数が経つとその亡くなった人のことを思う気持ちも年々薄れてきていく中、毎年お決まりのこととはいえ墓の前や仏壇の前で手を合わす時は、それがたとえ一瞬であってもその亡くなった人の顔が頭に浮かぶという点においては墓参りの意味はあるのかなと思うし、これがまさにお墓参りというものなのかもしれない。
 毎年8月14日はカミさんの両親の墓参りをした後、その墓の近くにある空き家となっている実家に行って、お坊さんのお参りを迎い入れている。
 今年も午前中にお経をあげてもらうといういつもの流れであり、かれこれ30年近く同じ形で何も変わったこともないが、たとえわずかな時間とはいえ、これもお盆を実感する“とき”である。
 90歳を超える私の母は施設に入ってもう5年以上になるが、父は8年前に亡くなり、その父の墓にはお盆中ではなく毎年お盆の前にお参りしており、今年も近くを通りかかった時に何も持たずにお寺の駐車場に車を止めて、墓の前まで行って手を合わせてきた。
 人から見ればまるで“ついで”のようなお墓参りに映るかもしれないが、一応本人はそんな思いではないことはここできちんと伝えておく。
 私の実家も数年空き家であったが、兄夫婦が今年の1月から移り住んでいるので、墓の掃除やお寺さんとのやり取りも含め 全てを二人にお任せしている。
 私とカミさんは二人とも末っ子という気軽な立場なので、お寺などのお盆の行事に直接関わることもなく、ただ1日だけ、いや往復の時間を含めても数時間の時間を費やすだけのお墓参りであり、世話をしてくれている兄夫婦やカミさんのお姉さん夫婦には本当に頭が下がる思いである。
 父の墓参りを線香や数珠を持って じっくりしたのは法事の時くらいであるが、ただ私自身 お先祖様に対しては何かにつけお願い事をする方で、兄が移り住むまでは実家は空き家でその合鍵を持っていたので、何か困ったときは一人で立ち寄って、仏壇に手を合わせてお願いしてきた。
 子供の大学受験、資格試験、結婚、カミさんの病気やケガ、それに自分が仕事でピンチになった時など、今から思えばお願いしたことは数えだしたらきりがないくらいある。
 お願いと言っても大層なことをいうわけでもなく、「精一杯がんばるんで、困った時 ちょっと力を貸して」といつも同じことを唱えている。
 もちろん全部とまでとは言わないが、何とか良い方へ導きだしてくれることが多いので、祖先を敬うことって大事なことかなと思うと同時に結構 信心深い自分にあらためて気付くこともある。
 夏になると戦争や原爆、そして あのお盆前に起こった日航機墜落のことなどが毎年取り上げられるが、こうして取り上げ、故人のことを思い返すだけでも 故人に対してはもちろんのこと、残された者にとっても大きな意味があるように思う。
 私は親の命日を忘れたまま通り過ごしてしまう年もあるような親不孝な息子なので、こんなことをじっくり考えるのは年1回だけかもしれないが、お盆休暇にお墓参りすることは何かに追われる日常からは切り離されるという点でも貴重なものなのかもしれない。

 明日は台風が直撃しそうで、帰省の人は毎年お決まりの渋滞、満席、混雑とは違った大変なお盆の後半で、交通手段は軒並みストップ、甲子園の高校野球も前日に中止が決定し、災害には気をつけないといけないが、いつになく結構 静かなお盆の15日になりそうである。
 今年は珍しく 甲子園→お墓参り という順となったお盆であり、こちらも年中行事の甲子園詣は昨日(13日)に行ってきたので、15日の天気のことは気にかけなくて済みそうである。
 私の事務所も16日まで休みなのであと2日休んで、16日の五山の送り火とともにお盆に区切りをつけようと思っている。
 では、今日はこのへんで。明日、雨風で危険な状態にならなければいいですがね。
posted by ヒロイ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月06日

No.842:「京都市 22年ぶりに黒字」と聞いて思うこと

 先日、「京都市 昨年(令和4年度)一般会計22年ぶり黒字に」という新聞記事を目にした。
 京都市民として黒字になってよかったという喜びよりも、「21年間も赤字が続いていたんだ」ということに驚いたと同時に なぜか多少の苛立ちも感じてしまった。

 今回 ここで綴るにあたって京都市の財政の内容を細かく検証したわけでもないので、素人考えの域を出ないのはこの先を読んでいく上で承知しておいていただきたいのだが、よくぞここまで放っておいたもんだという気持ちと それにもっと早く手を打つことができなかったのかと疑問も湧き出てきた。
 それぞれの自治体で生活する住民にとっては、赤字であっても「自分たち」、究極は「自分」の生活に手厚い方がいいし、赤字が原因で生活ができなかったり追い出されるわけでもないので、毎日の生活が快適なのがいいのに決まっている。
 こんな中で、地下鉄の敬老乗車証の自己負担額の改定の問題は京都市の財政状態がお年寄りの日々の生活に影響するという点では、老人を抱える世帯では他人事ではなく、まさに生活に密着していると思ったので、この制度について少しだけ調べてみた。
 私の家族にはこの制度を利用している者はいないので、これまで詳しい内容は知らなかったし、正直あまり関心も寄せていなかったが、10年ほど前にある仕事先で所得に応じてかなりの負担があるということを聞いて「全員が無料ではなかったんだ」ということを初めて知った。
 この制度の変遷ついて調べてみると、今まで知らないことがたくさん分かってきたので、この制度について少しだけ触れておくことにする。
 この制度は1973年(昭和48年)に創設され、2005年(平成17年)までは全員無料だったが、その後は所得に応じ自己負担が生じるようになったようだが、直近の負担額を調べるとその内容に大変驚いた。
 ご家族にお年寄りがいらっしゃる方はご存知だと思うが、皆様が具体的な内容を見てどうお感じになるのかということで、京都市の基準を掲げてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【〜令和5年9月末】・・金額は1年間利用(実質 乗り放題)するための自己負担額
・生活保護を受けている方等:負担金はなし
・市民税非課税の方:6,000円
・市民税課税・・合計所得金額が200万円未満の方:10,000円円
(省略)
・市民税課税・・合計所得金額が400万円以上700万円未満の方:30,000円
・合計取得金額が700万円以上の方は、利用できない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ということで、まずは利用できない人もあることに驚いた。
 京都で生まれ育った人で、若い頃から現在までしっかり働き、そしてこの間(現在も)しっかりと税金を払っている人はこの制度を利用できないなんて・・。
 もちろん「所得が高い人は相応の負担を」ということであろうが、なんかこの表を見ると寂しい気もする。
 でも この制度自体が赤字の一因でもあるということであれば致し方ないのと割り切るしかないのだろうか。

 調べついでに京都市の今年度 黒字となった主な要因を調べてみると、
@ 職員数の削減や働き方改革により人件費の削減
A 観光客の増加に伴う宿泊税の増加
B 地価上昇で固定資産税が増加
C ふるさと納税の増加
 ということであるが、@以外は一つ逆風が吹けばたちまち赤字の方向へと進んでいくのではというような感じの黒字要因である。
 公共団体の財政を企業と比較するのはナンセンスという考え方もあるので大きな声では言えないが、企業ならとっくに倒産していた状態である。
 確かに住民サービスを落としてまで黒字化するということは公共性という点では問題はあるが、「あっ、今年は赤字」とか、「久しぶりに黒字脱却」なんて一喜一憂しないで、もう少し長期的な政策やビジョンを持って市を運営していって欲しいと思わざるを得ない。
 やはり住みやすい京都にし、人口も流失しない街にするにはどうあるべきかということを考えることが、街の活性化と存続には不可欠であると思うので。

 今回は赤字の中身を少しだけ勉強してみるかという軽い気持ちでこの話に入っていったが、今まであまり詳しく知らなかった敬老乗車証のことも知ることができたし、赤字の要因は高齢化の波も大きく影響していることも調べていくと数字ではっきりと分かった。
 最後に社会は想像以上に大きく変化してきているということで こんなことを掲げて終わりとします。

◆敬老乗車証制度の創設当時と比べて京都市の平均寿命が11歳伸び、対象者も8万人から32万人になっっている。

 本当に大変な時代になってきていますね。
posted by ヒロイ at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月30日

No.841:“節制”は悪?

 毎日のニュースだけでなく、いろいろなところで特集を組んだり、ダイジェスト版とかでテレビに出てこない日はないのが 今や日本で一番有名な人といってもいい 大谷翔平選手である。
 ただ、あそこまで騒がれると「すごい」というより「またか」という感じになり、すっかり慣れっこになってしまい、私のように性格が少し曲がっていて、人が騒ぐものにはあまり関心を寄せない“ふり”をするところがある者にとっては、決して見ていないわけではないが、「また大谷」と人前ではさらっと流してしまうことも多い。
 逆に「えっ ほんま?」というようなあまり話題にされないようなことであれば、自ら入っていって、「それでどうなん?」と聞き入ってしまい、自分でも結構楽しませてもらうことがある。

 とはいってもまた大谷選手の話に戻ってしまい、多くのところで報道されているので皆さんもご存知と思うが、この大谷選手の日々の生活で何とも驚くのは、今季になってから一度も外食をしたことがないという 話である。
 推定年俸43億円ももらっていながら、「なんで?」と思ってしまうが、やはり自己節制があってこそ今の活躍があるのだろう。
 ただ自己節制といっても食事をはじめとする栄養のことだけでなく、睡眠時間や他の時間の使い方も無駄なく、無理なく、すべてが野球でいい成績を収めるために ということのようなので 恐れ入ったというか 思わず手を合わせたくなるような行動である。
 日本のプロ野球選手が何人かで焼肉屋さんへ行ったとか、銀座や六本木のクラブで飲んでいたとかいうようなことも話題になったこともあったが、この違いを見れば 選手としての成績に開きが出るのもうなずけてしまう。

 ここからは野球の話からはそれていくが、今の時代、節制というか、「がまんする」ということが決して良いようにはとられない時代に変わってきている感もあるし、今では 特に他人様へがまんを強いるなんていうことはあってはならないというような社会になってきている。一歩間違えば 犯罪行為ととられかねないもの。
 まだ私が若かった頃は節制ということは美談ととられる時代であったし、これは次なるステップへの必要不可欠なものであり、何かを乗り越えたい時にはある程度 無理をしないと乗り越えられない という風にも教えられてきた。
 “節制”ということを仕事の観点から考えていくと重い話しになってしまうので、仕事のことはちょっと横に置いておき、仕事以外で自分に対して節制していることを考えてみたところ、なかなかうまくいっていないが減量とお酒の量をひかえることであろう。
 もうこの歳になると、特段 スマートになったり、引き締まった体になりたいというわけではないが、日頃のスーツが無理なく着れる体を保っておきたいとは考えている。お腹パンパンにはなりたくないので・・。(なっているのかな?)
 ただ、これは食事の量を抑えるだけではどうしようもなく、毎日 かなりの量を飲んでいるお酒の量を減らさないことにはなかなか成果は出てこない。
 先日 税理士会の懇親会で同じテーブルになった50代〜70代の方々はみんな健康そうで、体も比較的締まった方ばかりであったので、話を聞くと「お酒の量は年々控えめに」とか、「毎朝5時半から1時間は散歩をしている」というように自らに何らかを課されていた。
 別に今さら受験生のように寝る時間を惜しんで勉強するというような節制は必要でないし、また大谷選手のようことはまねができないが、日々の生活で“キレ”を保つためには、自分なりに節制をし、体をいい状態に保っておくことが必要なのであろう。
 あまりできていない自分が言うのもどうかとは思うが、自分ではある意味 ストイックな面も持ち合わせていると思っているので、本当は結構“節制”ということがは好きなんですけどね・・。
 でも、お酒だけは飲んでしまいますね 健康診断の前日以外364日。
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2023年07月23日

No.840:高校野球からいろいろなことを考えました

 高校野球ファンの私にとっては体がうずうずしてくる季節である。
 前回も少し触れたが、私の母校(近くの高校と統合され校名は変わった)が、3試合連続 1点差で勝利を収めてベスト8まで進み、今日は準々決勝があった。
 ベスト8の他の7校は全て私学、しかも7校とも甲子園の出場経験のある高校で、誰が見ても母校の1校のみ見劣りするが、ここに残っているだけで誇らしい限りである。
 今日の試合は予想どおり?負けてしまい、しかも9対2の7回コールド負けではあったが、甲子園ではなく 久しぶりに身近なところで野球を楽しませてもらった。
 高校野球ファンとしては何としても手に入れたい甲子園のチケットは7月20日から発売されているが、お盆の期間[8月11日(祝)〜8月15日]で私が確保したい席はすでに売り切れで、「あっという間やな」と思っていたが、昨夜、次男から「8月13日のチケットが取れたで」と連絡があり、思わず「ありがとう」と返しておいた。

 実は私の向かいの家にも野球少年の兄弟がいて、休日になるとお父さんまでユニフォームを着て、毎週 試合に同行されていたし、夜になるといつも素振りをしていたが、最近 お兄ちゃんの方を見かけないので尋ねたところ、「甲子園目指せる学校ということで遠い所行ってしまいました、香川県まで・・(尽誠学園)。」と話されていた。
 また、前の職場でいっしょに仕事をしていた元高校球児であった税理士さんと先日仕事の話をしていて、話の最後に「息子さん野球やってんの?」と尋ねたところ、こちらは「そうなんですよ、何とか甲子園に行けるようにという親子共通の想いで福井県の全寮制の学校に行きました・・(敦賀気比)」と熱く話されたいた。
 本格的に野球する子にとっては 今は地元志向はわずかで、こういった野球留学も一般化しているとは聞いていたが、私の身近なところでもこういった例があったことに少し驚いていた。
 ただ、高校野球も少子化の波が押し寄せており、最近では自分の高校だけでは9人のメンバーが揃わず、数校がいっしょになって予選を戦う合同チームもあちこちで見られる。
 これは決して地方都市や過疎地だけでなく、京都府でもあったし、東京都や大阪府の予選でも目にしたので 今や当たり前のようになってきている感がある。
 逆にいうと高校の数が生徒の数に見合っていないということの表れで、今後 学校の統廃合や私学であれば閉校や募集停止というのも今以上に出てくることを予期させる動きである

 小中と野球、高校と大学で陸上をしていた私にとっては、全国高校駅伝と箱根駅伝、そしてこの甲子園は非常に楽しみにしている年間行事で、毎日の生活に張りを与えるという点においてそれなりの役目を果たしているように思う。
 少し話の内容は変わるが、毎月仕事で京都の北部を訪問し、私が通っていた小、中、高の学校のそばを毎回 車で通っているが、こんな行動があるからこそ、地元には住んでいないにも関わらず(住んでいないからこそ)、望郷の念が人より強くなったり、そういう想いが自然と湧き上がってくる要因の一つになっていることは間違いないであろう。
 また今の事務所は4年間通った大学から5分のところにあるので、よくよく考えてみると 私の生活圏は大して広がっておらず、生まれ育った場所や通った学校という点から考えると「ずっと同じようなエリアでの生活しているんだな、代わり映えもせずに」と思ってしまった。

 今日は朝からお医者さんの親子(父 開業医・70代、子 勤務医・40代)が、「この経営状況で子供に継がせていいのか」、あるいは「親の医院を継承していいのか」というシビアな相談のため親子揃って事務所に来られたが、最近こういったサッと答えが出ないような相談も結構多く、これはこれで刺激があって、頭も休まることがなく ある意味張りのある生活が送れる元になっているのかもしれない。

 夏の暑さもピークに近づいてきている感もあるが、もうひと踏ん張りしないとお盆休暇はやってこない。
 明日からの1週間は毎日外出であるが、予想最高気温を見ると36℃と37℃が並んでいる。溶けないように気をつけないと・・・。
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2023年07月17日

No.839:いまだに京都人になれない私

 一昨日の土曜日の昼、京都駅の所にあるホテルで仕事関連の会社の創立〇〇周年記念パーティーが開催されたので参加してきた。
 このパーティーでは祝辞を述べないといけなかったので、最初は落ち着かなかったが、挨拶が比較的早い方だったのでその役目を終えた後は、以前にいっしょに仕事をしていた人も何人か出席されていたので 久しぶりに会った人たちとも 昼間からアルコールを口にしながら楽しいひと時を過ごした。

 今日も3日続きのすごい日射しであるが、この真夏日となる暑い日に祇園祭が行われた。
 一昨日の宵々山から今日の山鉾巡行までピタッと休日と重なり、この2、3年のコロナのもやもやを吹き飛ばすような賑わいで、お祭りの関係者や観光業界の方は久しぶりの京都の最大とも言えるイベントを目の前にして、感慨もひとしおであったであろう。
 この暑さなので土曜日にパーティーに出席した以外は、街中に出て行く勇気もなく、少し事務所へ用事を済ませに行った以外は自宅とその周辺で過ごしている。

 私の周りにも祇園祭に関わる人が何人かいらっしゃるので、祭にまつわるいろいろな話を聞く機会があるが、こういった話をされる方は根っからの京都人で、最低でも3代、さらにその上には、5代以上 京都に住み続けている人が結構いらっしゃる。
 私は京都で生活を始めてからは、京都から離れることなく40年以上住み続けているが、いまだに京都人になった気もしないし、そう簡単になれそうにもない。また、40年くらいで京都人なんて言ったら、本当の京都人の方々からお𠮟りも受けるのであろう
 この祇園祭は八坂神社のお祭りであることくらいは知っているが、私はこの神社のことを通常どおり「八坂神社」としか呼んだことはないが、私の周りの根っからの京都人の人の中には「祇園さん」と言われる方が何名かいらっしゃる。
 18歳で京都での生活を始めた頃、同郷で京都在住の知り合いのおばちゃんとの会話の中で、私が「8月16日の大文字焼き 楽しみにしています」と言ったところ、そのおばちゃんは「大文字焼きなんて言ったら、京都の人から怒られるよ、というか いやあんたはん 何言うてはんの? って 呆れられるよ。」と注意をされ、それ以降 ちゃんと大文字、あるいは五山の送り火と口にできるようになった。
 そうそう、60、70代以上くらいの人になると、「16日は大文字さんやしね」なんて京都の伝統行事、あるいは山のことを「さん」付けで呼ぶ人もいる。

 祇園祭で始まり、大文字で終わるというのが京都の夏であるが、私の夏はこの間に甲子園が入ってくる。
 昨年の夏、お盆に甲子園に行って、1日4試合を見て帰ってきたとき、そろそろ限界かな、連続観戦も途切れるかな?と思ったが、今年は次男がお盆に休暇が取れそうで帰ってくると言っていたので、「甲子園のチケット、8月14日のお墓参りの日以外のどこかで取っといて」連絡しておいた。
 ここ数年、甲子園もコロナで中止だった年もあったし、子供が東京に行ってからは、一人で行くことも多かったが、今年は久しぶりに次男が付き合ってくれそうなのでちょっと楽しみなお盆である。
 ただ、あの場所で数試合観戦するには、今さら遅いかもしれないが体力をつけておく必要があるなと ここ最近の暑さから感じているところである。
 そうそう高校野球の話のついでに、私の母校は近くの高校と統合された形になって、母校の名前は消え「宮津天橋高校」に校名は変わったが、今日の3回戦も延長戦で勝ったようなので もう少し応援が続けられそうである。

 今日は、自分が京都人になれない話が愚痴っぽくなってしまったが、これはどこに行っても長年住んでいる人にとっては「私はここの土着の人」という愛着の表れだろうし、ある意味これが伝統というものなのかもしれない。
 まあ、これからも私一代では「京都人」にはなれないだろうが、無理をせず「半京都人」、「ちょっと京都人」として京都での生活を楽しんでいきたいと思っている。
 毎年夏が来れば思うけど、京都の夏 暑すぎるわ。
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2023年07月08日

No.838:やっと戻ってきた会場型対面形式の研修

 税理以外の方はあまりご存知でないかもしれないが、税理士には年間36時間の研修履修義務がある。 義務といってもあくまで“努力義務”なので、これを満たさなければ税理士資格がはく奪されるというものではないが、一応 「資格があるからってボーっとしていてはいけませんよ」という意味において、全ての税理士に対して一定の学習をし、知識を習得のする義務を課している点では一定の効果はあるように思う。 ただ、本当の意味での必須ではないので、私自身もこれって「意味あるの」と思うことがないわけではないが、時間数稼ぎのために受講していたのでは、仕事をする上ではミスリードをしかねないので、知識を更新するという点においては無視できない制度であると認識している。 これは税理士に限ったことではなく、他のどの専門職でもいえることであろうし、専門職や一定の有資格者に限らず、目まぐるしく変わる世の中についていくには研修というのは全ての社会人にとって必要不可欠なものである。 3年前のコロナ以降、会場型の研修がいったんは完全になくなってしまい、その後もパソコンの画面を見ながらの研修が主流となっていた。 各団体により「マルチメディア研修」とか「オンデマンド研修」と呼び名はいくつかあるが、この研修の形式は なかなか身が入らないというのが私の本音である。 非会場型であればどこでも受講できるし、同時配信でなければいつでも見ることができるという点においては便利ではあるが、今 目の前で講師がこっちを見ていないという点においてはついつい緊張感のない研修となってしまう。 研修の中には正直 “時間稼ぎ”のための研修があるのも事実だが、これぞ知っておきたいという研修は講師を前にして生で聞きたいものである。 この春からは会場型対面形式の研修も増えてきているので、時間の許す限り京都市内だけでなく、大阪くらいまでであれば 出向いて研修を受けるようにしている。 たぶん今の若い人から見ればこの私の行動そのものが、時代遅れ と思われるかもしれないが、仕事をする上で必要な情報を正確に理解し、頭の中に残しておくには私にとってはこの受講様式の方が適している。 先日も会場型の研修で講師の方が、「ビデオの前では淡々としゃべるだけで、講師をしていてもちっともつまんないし、熱も入らない」とおっしゃっていたし、会場型であれば重要なところでは講師のトーンも変わってくる。たまに「レジュメにはありませんが、今日ここにお見えになっている方にだけ伝えておきます・・・」とか「実はここが重要なんです」なんて言うとっておきの情報や実例を聞くこともできる。 このコロナ騒動で一番変わったのは、テレビ会議という方法もあるので、多くの局面においてこの 直での対面は不要 という流れかもしれないし、この流れは今後も続いていく部分もあると思われるが、非対面でのもう一つの手法であるメールでは相手様が喜んだり納得してくれているのか、腹を立てているのか、あるいは はらわた腸が煮えくり返るほど怒っているのか 判別しづらい時もあり冷や冷やすることもある。 いったん時代の波が「対面でなくても」という風になったことは、非常に便利になったことも数多くあり、以前のようには戻らないだろうし、これからはこの対面と非対面とをうまく使い分けながら仕事をしていくことが、税理士だけでなく、ビジネスマンとして生き残るためには重要なことになってくるでようにも思う。 会場型の研修であっても睡魔に襲われてうとうとなんていうことがないわけではないが、興味のある研修内容であれば、3時間しっかりと聞くこともできるので やはり目の前の講師の方の熱量は重要なのかもしれない。 実は今月末 ある医師会で研修会の講師をすることになってるが、うとうとされないような研修にするため 目下レジュメを作成中である。 講師って結構大変ではあるが、講師をするためにはかなり事前学習をしないといけないので、その分野がちょっとした得意分野になるというメリットもある。 今日も長くなってしまったが、この後はレジュメ作成があるのでこのへんで終わります。 では・・。
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2023年07月02日

No.837:子ども時代の原風景 

 今朝起きた時は雨の心配はなさそうとはいうものの空はまだどんよりしていたが、8時過ぎには雨どころか お日さまも顔を出し、今では夏の日射しになってしまっている。
 ぽぽたん(うちのワンちゃん)との散歩で7時過ぎから宝が池まで行ったが、その頃はまだ空を雲が覆っていたので汗だくになる前に帰ってこれた。

 日経新聞に1ヶ月連載の[私の履歴書]というコーナーがあり、今月は建築家 伊東豊雄という人の連載であるが残念ながら私はこの人のことをほとんど知らない。
 ただ、今日の書き出しには、「子ども時代の原風景がその後の人生や仕事にどれほど影響するのだろうか」と綴られていたので、子ども時代とはいつ頃のことを指すのかなと思いつつも この言葉にすぐさま反応し、ひとまず私自身の幼稚園から小学校に入って間もない頃のことに想いを馳せ、今日のこのブログをまとめてみようと思った。

 私の実家は今では少なくなったが当時はまだまだ地域産業の柱であり、当時から現在に至るまで和装業界の中でも全国1位のシェアを誇る丹後ちりめんの一織屋であった。
 今でこそ少なくなったが三世代同居の7人家族で、食事は今どきの背の高いテーブルではなく、和室で座布団を敷いて座って食べる形式であり、人数が多いので祖母が食事の時だけ追加でテーブルを出した後、座布団を並べ、箸を決まった場所に置いていくというのが3人兄弟の末っ子であった私は役目であった。
 夏は近くの畑でとれたトマト、なす、きゅうりやじゃがいもの料理は毎日のように食卓に並んでいた。ただ、家でも作っていたスイカだけは好きになれず、成人になるまでほとんど口にすることはなかったが、今は外食の時に出てくる一口サイズ位なら何とか食べることができるようになった。
 父はちりめんを織る“機屋(はたや)”であったので、朝は6時半頃から織機を動かし、夜は6時半ごろまでずっと工場の中で仕事をしていたが、クーラーのない時代だったので、上はちじみのランニングシャツに下はステテコという、40代以下の人は分からないだろうが、今になって思えば まるでドリフの劇にでも出てきそうな格好であった。
 あと私の部屋はこの工場の真上にあり その振動で目が覚めたので、目覚まし時計は高校生になるくらいまでは使ったことがなかった。
 祖母は洗濯や掃除など家のことを、母も機を織る合間に食事の用意をしていたし、祖父も出来上がった製品(反物・たんもの)から糸が飛び出しているものを探し出し、はさみで切る「ふしとり」という仕事をしていたので、4人の大人が家の中でそれぞれの何らかの仕事をしていたという、今の社会ではなかなか見られなくなったまさしく家内工業そのものであった。
 こんな状況の中で育ったので、ある意味 自由で、「勉強しなさい」なんて言われた記憶は一度もなく、遊びに行ったら晩御飯までに帰ることだけを気にしながら山や川で本当に思いっきり遊んでいた。
 ある時 私の帰りが遅く、家族みんなで私を探していて、「ますお〜」という大きな声がするのが聞こえたが、きつく怒られるのがわかっていたのでうつむき加減で小さくなって声のする方に出て行ったことも今日 何十年ぶりかに思い出した。
 
 最初の「子ども時代の原風景がその後の人生や仕事にどれほど影響するのだろうか」というのを自分に照らし合わせてみると、子供は幼少期はこれでもかというくらい一生懸命遊んでいた。そして大人は週6日間一生懸命仕事をしていたし、父がよく応接でいろいろな人と商談していたのを横で意味も分からぬまま見聞きしていたが、父が誰とでも分け隔てなく気楽に話をするという姿は今でも印象に残っている。もしかすると自分の中にもそういったものが何らかの形で影響しているのかなと思うこともある。
 若い頃はこんなことを考えることもなかったし、今の30代以下の人も「若い頃は」なんて頭に思い浮かべる機会は少ないと思うが、それ以上の人は良い思い出ばかりでないかもしれないが、それぞれ“子ども時代の原風景”の思い出があるのではないでしょうか。
 でも この頃の登場人物の多くの人は今やこの世にはいないんだななんてことも考えてたりもしていた。

 我が国もこの50年くらいで大きく進歩を遂げたが、やはり「忘れてはならないものはいつになってもあるのでは」なんて思いながら これから1ヵ月続く伊東豊雄さんの[私の履歴書]を毎朝楽しみにしながら追っていくことにする。
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2023年06月25日

No.836:自分の性格に愛想がつきそう?

 新しく起業される方は場所の確保、資金の調達、人の採用の他に顧問税理士のを選ぶということがついて回る。
 ただ、そのタイミングは起業される業種や事業の規模によってさまざまで、まず税理士を決めてから 税理士といっしょになって開業に向けて準備に入っていかれる方もあれば、ご自身でほとんど準備を済まされ、開業の1、2ヵ月 あるいはもっと直前になってから顧問税理士を決められる方もある。
 この税理士選びというのも以前も今も知人、先輩、親族、それに関連業者の方からの紹介というのが主流であるが、最近はこの税理士を選ぶという段階で1人の税理士ではなく複数の税理士と面談し、サービス内容や顧問料、それにご自身との相性等 いろいろな角度から比較・検討され最終決定される。
 中には選定の途中で結構悩んでおられるなということ伝わってくる方もあるが、当然すべてではないにしろ、ありがたいことに比較的高い確率で顧問税理士に選んでもらえることが多い。
 ただ もちろん断られることもあり、「大変申し訳ございませんが他の税理士さんに決めました」と連絡をされてくる方があるのも事実である。

 2ヵ月程前にもこういった複数の税理士と面談された方があり、しかもその数は6人。確率でいっても1/6という狭き門であったのでうちの事務所を選んでもらえるのは厳しいだろうなと思っていたが、予想していた?とおりこの時の結論は とある理由で ×であった。
 一応 ここではその理由については触れないが、負け惜しみでなく逆にこういったようなケースで選ばれた時は、他の5人分のいろいろな面をすべて補わないといけないのかな なんてすごいプレッシャーがかかってくることもある。
 ただ、プレッシャーのない仕事って期待も小さいように思うし、やりがいという面でも多少 頭を抱え込むような局面が1、2度あるくらいの方が 後になって大きな成果となって表れてくることが多い。仕事の内容によっては その時は本当に嫌で避けたくなることもあるのだが・・。

 実はこの時は恥ずかしさや見栄もあり あまり周りの人には言わなかったが、この選ばれなかったということがやはり悔しかったのか、その理由について再度考え、最近自分でもあまりなかったくらい刺激を受け、「なにくそ」なんていう思いが起こった。
 そしてその後、弱みを強みに、強みはさらに強みにし 誰から見てもピカッと光るような事務所にしてやるぞ なんて久しぶりに熱く火がついた感があった。
 とはいってもこういった自分の性格はとり方によっては強みの部分であるかもしれないが、実は自分の中で結構 嫌な部分でもある。
 学生の頃や社会人になってから間もない頃であれば こういった気持ちを持つことも大切なのかもしれないが、一定の年齢以上になるともう少し落ち着いて、「あっそう 構わないよ人それぞれだもんね」なんて大人の対応ができる人間にもどこかあこがれているところもある。
 今回のことがきっかけで 私だけでなくいろいろな角度から事務所全体を見つめ直し、さらにグレードアップできればと思ってはいるが、やはり一方では「いいですよ お好きなように・・・。」なんて涼しい顔でいえる大人にあこがれてもいる。
 こうして文章にすることで今回の件は気持ちの整理をつけられたし、まあ今回の選ばれなかったのも理由があってのことなんだから、自分にとっては飛躍できる気付きを与えてくれたという面では決して悪いことではなかったのかもしれない。
 刺激ってどちらかというと重く避けたい部分もあるが、こんなことを休日の昼間に考えるくらいですから 私って最終的には“刺激好き”なんでしょうかね・・・。。
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2023年06月18日

No.835:元気な挨拶と掃除で一日が始まる

 今日は朝からカミさんが不在のため久しぶりにぽぽたん(我が家のワンちゃん)と朝7時過ぎから1時間半ほどに散歩に出かけた。
 散歩に連れ出す者がいつもと違うので最初は何度か振り向きながら様子をうかがっていたが10分もすると自分のペースで、北山通へ出た後コンサートホールを目指して黙々と歩いていた。
 日も照らず比較的過ごしやすい中での散歩だったので私の方も結構リフレッシュでき、この散歩はぽぽたんのためなのかそれとも私のためなのかと思いつつ家に帰ってきた。
 散歩の途中、「ぽぽたん久しぶり」とか「珍しいことに今日はお父さんなん」と私は誰だか分からない犬友達の面々から声を掛けられ、私は思わず「ぽぽ おまえっていっぱい知り合いいるんやな」とぽぽたんの顔を覗き込むようにして話しかけた。

 休日の朝がいつもと違ったので前置きが長くなってしまったが、実はここからが本題です。
 我が事務所は中の掃除を外部には委託していないので、毎朝 私と幹部2名以外の17名で掃除をしてくれている。
 常勤社員12名は8時30分始業時から、パート5名は9時の出社と同時にそれぞれ指定の場所を掃除することになっているが、コロナが押し寄せてからこの4月末まで時差出勤制をとっていた関係で掃除の時間も 各人 時差があったので、掃除について特段感じることもなかったが、5月以降 一律の出社時間に戻ってからは一斉のそうじタイムになっているので、掃除している姿が今まで以上に目に飛び込んでくる。
 この時間、自分の机で急ぎの仕事をしている時と週1回の朝会議の時以外は、掃除の邪魔にならないように机から離れるのが基本となっているので、この掃除の時間は15分程度とはいえ書庫で本の整理をしたり、スマホをいじったりして掃除が終わるのを待っている。
 変な話、これだけの人数が一斉に掃除をするのって結構、朝から活動してるっていう感じがこちらにも伝わってきて、通りがかりで掃除をする人をぶつかりそうになると思わず、「ごめん ごめん」と避けながら歩くこともある。
 前の日についた私の机のインクの跡もきれいにふき取ってくれるし、じゅうたんの上を必死になって掃除機かけている男性を見て、(口にはしないが)そんな一生懸命 力を込めるとじゅうたんが擦り切れて痛むで と言ってしまいそうになるくらい必死になって掃除機をかけてくれている。
 
 それと3階のエレベーター前に下駄箱があるので、朝の出社時には私も含め監査(外勤)部隊が机を並べている3階にいると、全員と顔を合わすことになるが、この時のみんなの「おはようございます」という大きな声で一日の始まりを感じることができる。
 9時前に出社されるパートの方の声は常勤社員よりも元気で大きな声なので、こちらも顔を上げて大きな声で朝の挨拶のお返しをする。

 掃除も挨拶もオフィスで仕事をする者にとっては当たり前のことかもしれないが、この当たり前のことで一日の始まりを感じられるって結構貴重なもののようにも感じる。
 これが小さな声でぼそぼそと挨拶をされたり、掃除も手抜きとなるとこちらもそんな中でピリッとしない一日の始まりになるのであろうが、我が事務所はメインの仕事に入る前の挨拶と掃除でみんなに元気づけられ、なんとも気持ちよく仕事のスタートと切ることができる。

 「当たり前のことを当たり前のように続ける」これって慣れてしまうと結構難しいですよね。
 新しく入ってきた人も同じように挨拶や掃除をしてくれるのは、自然にそうなるんでしょうかね、人を見ていて。
 実は朝の挨拶の私の声も段々大きくなってきているのは、みんなの元気な声のせいなんでしょうね。
posted by ヒロイ at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月11日

No.834:自分が変われば人が寄ってくるようになって・・

 今日は昼過ぎには雨も止んだが、朝は雨が降っていたしすっきりしない天気である。
 実は 特に外出の予定のない雨降りの休日は結構好きで、ひとまずゆっくり本でも読もうかという気にさせてくれるし、家の北隣にあるスポーツ広場もいつものように少年野球や少年サッカーの大きな声もなくいたって静かである。

 昨夜はこの春まで仕事でお世話になった方と食事をしながら、いろいろな話をする機会があった。
 この方はとは一年近く あるプロジェクトに関わる仕事をいっしょにしていて、途中で困難な局面に出くわしたり、結構忙しい時期もあったが、そんな時「一区切りついたらいっしょに食事でも」と言っていたことが、コロナ収まりつつある中、6月になってようやく実現したものである。
 この方は私より2つほど年上で、昨日聞いたところでは 若い頃は東京でバリバリに仕事をこなしておられ、組織の中で一定のところまで昇りつめたというなかなかのやり手であったが、定年を迎えられたことや親の介護のことなどから数年前に京都に戻ってこられたという方である。
 食事をしながらお互い若かった頃の話や大好きな旅行の話、それに親のことなど共通の話題もあり大層盛り上がったが、途中からはその方の体験談や生き方というような話を聞くことができ、これがまた私のとってはなかなか参考になるというかためになる話がたくさんあった。
 ただ、ここで話の内容を一つ一つ説明すると長くなるのでポイントとなる部分に絞ってここで綴ることにする。

 この方が一番仕事をこなされていた40代〜50代という時期は、常に気が張り詰めて ある意味 尖った自分を演じなければならなかったが、いったん長年働かれていた職場を退職された後は、第二の人生という形で先頭に立って走るのではなく 少し引き気味にゆったりとした気持ちを持ちながら仕事を続けているとのことで、私はこの方とはここでいう人生の第二のステージでいっしょに仕事をしたことになる。
 ただ 昨日の話を聞くまでは、この一年近い間の仕事ぶりは、常勤の現役さながらで嘱託(パート)勤務とは思えないほどパワフルなものであったので、この方が現役時代とは違う気持ちで仕事に取り組んでおられるとは知らなかった。
 そして昨日の話の中で、「自分が突っ張ったり、尖っていた時は人って寄ってこなかったけど、自分が人から教えてもらう立場になったり、一歩引いて人に接していくようになると人って優しくなるし、そしていろんな話をしてくれるようになるんですね。」と若い頃と比較して今の自分に対する周囲の人たちの対応が違うことをしみじみと語られていた。
 こういったことが口から出るのも若い頃にすさまじい経験をしてこられた方だからこそ今までと違うことに気付かれたり、こうして話ができるのだろうなと聞きながら思った。
 人生どの時点でアクセルを踏み、どの時点までそのアクセルを踏み続けるのか、あるいはブレーキに切り替えるのかというのは自分自身ではなかなか決めづらいし、自分が決めていても周りの状況によっては自分の思いどおりにはならないものである。
 一概にこの方の生き方をまねるわけにはいかないが、これから生きていく上で非常に参考になる話であった。
 穏やかになったと自分ではおっしゃっていたが、まだまだ往年の片りんも見え隠れするところもある。

 私の場合 まだこういった状況にはならないが、この人生の先輩の言葉も頭の中に入れながら過ごしていくことによって毎日が豊かなものになるのかなと考えたりもした。
 ゆっくりと話しているうちに9時半の閉店の時間になったので、店を後にしてそれぞれ家路についた。
 次 会うのはいつのなるのか分からないが、またその後の生活や仕事ぶりについて話を聞いてみたい人である。
posted by ヒロイ at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月04日

No.833:興味の湧く経営者

 税理士という仕事をしていると週に何回か経営者と面談する機会がある。
 仕事柄 質問や相談を受けることが多いが、特別大掛かりなことでなければ もちろん顧問料の範囲内で対処することになる。
 先週面談した40代の経営者は15年前に起業され、それから2年後 結婚を期に奥様の力も借りて規模を拡大、その後 事業はさらに発展し、今から2年前に支店を出した後も全ての事業や事業所において黒字で、しかも外部からの借り入れはなしという 誰もが羨ましがるような経営状態である。
 
 ただ こういった状況はほっておいて訪れるものではなく、事業の点検をしたり、見直しをし、現在の立ち位置と1年後、3年後、5年後、そして10年後のあるべき姿に近付くために今するべきことが何かということが常にこの経営者の頭の中に描かれている。
 こういった経営者は一般的には社内でも厳しく、従業員の退職者が多くなるケースもあると耳にすることもあるが、ここはゼロとまでは言わないが、目立つような退職者数ではなく、スタッフ構成も比較的落ち着いた状況で推移している。
 毎月の面談時では、こちらから持参した経営指標を私が説明するのを熱心に聞き入り、時には鋭い質問を投げ掛けてこられることもある。
 現在は次なる出店先を模索中で、人の流れ、競合しそうな同業他社、店舗の面積や家賃等の情報収集が最終段階に差し掛かり、出店先はほぼ決まりつつある状況となっている。
 こういったやり取りを通して 経営者の考え方を知るということは、顧問先としての顧問料はいただいているものの私にとっても有益であり、得るものもたくさんある。
 以前に読んだ本の中に古河電工会長 柴田光義氏の「前例がないから、やるのだ」という言葉が載っていたが、経営者にとっては前列はあくまで参考でしかなく、全ては自分の頭で考え、最終の結論を出さなければならないという点では この顧問先の経営者も同じことを考えておられる感じがする。
 次なる出店はどのようなに進んでいくのか、この経営者に奇策や秘策は必要ではなく、数字を分析し、徹底的に策を練った上での事業展開は端で応援する私にとっても次なる楽しみの一つである。
 
 最後に一言、皆様が一番興味があるのは どんな事業なのというところかもしれませんが絶対に言いませんよ(言えませんよ) これだけは、想像してみて下さい どんな商売か。
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2023年05月28日

No.832:経営者は一息はついてもいいが、決して油断はしてはいけない

 今日はある医療団体からクリニックの開業セミナーの講師依頼を受けていたので朝10時から2時間の講演を行ってきた。
 講演といっても日常的に業務として行っている“開業支援”の流れをまとめた内容で毎年 年1回のペースで10年以上行ってきているし、参加者も毎年変わるので年によって内容が大きき変わることはないが、ここ数年はクリニックのコロナへの対応についても触れてほしいという要望があったり、その年ごとにサブタイトルで多少 違いが出てきている
 今年はコロナを特別なものとして捉える必要はないとのことであったが、その代わりというか 最近 以前にも増して希望する人が出てきているということで「第三者への(からの)医院継承」について触れてほしいという要望が事前にきていた。
 この種のセミナーの講師を毎年しているので、開業後10年、20年となる先生からは「僕らのライバルとなるクリニックを増やさんといてな」と軽めのいい方とは言え、冗談では済まないような話しぶりで、結構 真顔でおっしゃる先生もある。
 あらためてこれまで開業支援を手掛けてきた事務所の顧問先一覧を眺めてみると 一人一人の先生の開業時のご苦労やエピソードが結構鮮明に思い出されてくるし、簡単に開業できた人など誰一人としてなく、それぞれの先生がその時々においては真剣そのもので、ある意味人生を賭けた大勝負であったというのは紛れもない事実である。
 こうして思えば、この仕事を継続的に手掛けているのは、私自身 それぞれの先生の開業時の悩みを共有できるやその真剣勝負に立ち会えることに一種のやりがいを感じているからなのかもしれない。
 私は決して顧問先のライバルクリニックを増やそうという思いはなく、今日のような講師を長い期間 続けていると、セミナーで話をする新規開業の題材の中に既に開業されている先生方の経営内容の見直しやスタッフの問題、それに資金的なことで参考になることもたくさんあるし、それは私の税理士事務所の運営上、役に立ったり、ヒントになることもある。
 
 今や開業して3年経つと追われる立場になるので、開業当初は比較的というか、予想以上にいい数字であったにも関わらず ついつい安心したり、気を緩めるのが早いと気づかないうちに停滞したり、下降傾向に陥るようなケースもある。
 これはクリニックに限ったことではなく、どんな事業、商売にも通じることであると思うが、忙しすぎる中で計画的に一息ついたり、一服するのはいいが、ほっとして油断したり、気を抜いているとたちまち取り返しのつかない状態になることだってある。
 そういう意味において、経営はまるで生き物のようでもあり、どこかの会社経営者が「ちょうどこんなもでいいかな と思った時から数字は下降線をたどってしまう」と言っていたが、これは常に気を張り詰めておくようにという戒めのように思う。
 こんなことを考えながら再度 顧問先一覧を見ていると、確かにいい数字を残されている経営者やドクターは、常に「自分の会社やクリニックをどうしたらいいのか、どうしたいのか」ということを考えておられ、日頃から今後の展開についての相談も多いし、またいったん決めたことは間髪入れずに迷わず実行に移されている方が多いように思う。

 今日もセミナーの冒頭と最後の締めに同じことを繰り返して言ったのは、「勤務医と開業医とで最も違う点は勤務医は全てが自分一人の責任になるわけではないが、開業医は誰が何をしようとも最後は全て自分の責任となる」ということである。
 でも、10年も20年も気を緩めずに経営していくことって本当に根気がいるし、そのためには仕事以外で何か楽しみが必要なんですよね。楽しみが・・・。
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2023年05月20日

No.831:目を開けない母の顔を見て思ったこと

 もうすぐ91歳になる母は実家の近くの施設に入所している。
 今年の2月にグループホームから特別養護老人ホームへ移り、移る前のグループホームへは7年近くいたので幾度となく訪れたことはあったが、2月に特養に移った後はまだ一度も面会に行くことができていなかった。
 先日、実家の近くまで行く機会があったので事前に面会の予約電話を入れておき、本来の面会時間とは少しずれていたので大きな会議室のような部屋での面会となった。
 5年程前からは認知症が進んで私が誰だか判別することはできなくなっていたが、それでも独り言を言ったり、理由はともあれ にこっと微笑んだりすることもあったし、また手を握ると握り返したりもしていた。
 少し強く握ると「いたゃー、いたゃー(方言で痛い、痛いのこと)」と言って声を出していたのが今では懐かしい。
 前の施設でもコロナ禍以後は一年のうち かなりの期間が「面会不可」という状態で、面会できる時も当然のことながら母の部屋までは行けず、施設の人が車いすやベッドの母を面会場所まで連れてきてくれるという状態が続いていた。
 その後、2年ほど前からはほぼ完全に寝たきりになり、食事も自力では食べられなくなってしまい、そうこうしているうちにほとんど声も発することなく、一日のうち大半は寝ているという状態になっていった。
 私も昨年までは年に数回 施設を訪れていたが、母が目を開けている状態の面会は段々少なくなっていった。
 そんな状態で入所施設を変わったが、今回の面会でもベッドに寝たままの状態で施設の人がベッドを押して私の所まで連れてきてくれた。
 施設の人は忙しさもあり、「15分程 ゆっくりしていてください」と言って部屋を出ていかれたが、私も眠ったままの母と2人にされてもなと思いながらも、2人だけがいる大きな部屋で「お母はん、元気か増生やで」と声をかけたが、反応するわけでもなく当然のことながら目すら開けなかった。
 ただ、手を握ったり額に手をやると、しっかりと温かさが伝わり、変な言い方かもしれないが「頑張って生きとるんやな」とたまに大きな呼吸をしたり、瞼がぴくっと動く母の顔を覗き込んでいた。
 もう話しをすることはできないだろうが、3人の子供を育て、その後 80歳の時84歳の父を見送りった後 しばらくは一人暮らしをしていたが、2、3年で認知症状が出て、そこからの進行は思った以上に早かった。

 今は近くに兄夫婦や姉夫婦がいてくれるのも安心だし、実はこの日「まーちゃん(私のこと)、あの元気だったおばちゃんがこんなんになってるなんて知らんかったわ」と一つ年下の幼なじみが私の所まであいさつに来てくれ、「ずっとここで働いとって、おっちゃん(私の父)のショートステイの時も知っとるで」と話をしてくれた。
 何十年も会ったことがなかったのに、気軽にそして暖かく声を掛けてくれたことで少し緊張していた私の気持ちを和ませてくれた。
 施設を出て車に乗ると、ベッドで寝ていた母の顔が浮かび、「お母はんもがんばっとるんやで俺も もう少し頑張らんとな」と不思議な気持ちになり、なんだか力が出てきたような気がした。

 父の墓参りや仏壇に手を合わす時も思うけど、やはりこうして親の顔を見ると親の恩を忘れずに生きていこう という気持ちにもなった。
 なかなか時間がなく面会に行けないし、会話も意思の疎通もできないが、こういった機会はすごく意味があるなと思いながら京都に帰ってきた。
 つまらぬことで不満を口にしている自分の心の小ささを感じることができただけでも とても意味のある面会であった。
 「お母はん また行くしな」
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2023年05月14日

No.830:本屋に行く楽しみさえ奪われてしまう

 いろいろなものがインターネットを通して調べることができるようになったのと、たとえ購入が必要な本であっても ネットで検索し、注文すれば、2、3日で手元に届くので本屋でわざわざ欲しい本を探したり、注文する必要はなくなってきている。
 ネットで本を注文する場合、下の方で[この本の購入者はこれも読んでいます]なんて 頼んでもいないのに紹介してくれるが、あれにはありがたいというより、「大きなお世話!」と イラッとすることがある。
 これまで本屋に行くというか立ち寄るのは、目的の本を探すだけでなく、いろいろな分野の本を見ることができたり、思わぬ本に出合うことができたりすることもあり私の中では一種の娯楽のような意味も持っていた。
 ただ最近 本屋が減り続けている影響でその楽しみも段々奪われてきているような気がする。
 松ヶ崎のTSUTAYA(ツタヤ)も今年の2月で閉店となったが、ここは自宅からも近いし、地下鉄の出口を出てすぐ横だったので重宝していた。 
 また駐車場もあり、夜も10時まで(コロナ後は8時?)やっていたので、比較的軽めの雑誌が欲しい時は仕事帰りに立ち寄ることも度々あった。

 ちなみにTSUTAYAのあとはスーパーのライフが出店するようで、建物の解体が終わり、来夏の開店を目指し 夏から店舗の新築工事が始まると聞いている。

 本屋といえば、仕事に関する本を買うのに何度か行ったことのある四条烏丸の北側にマクドナルドとセットであった大垣書店もマクドナルドと共に閉店となっていて 結構ショックだった。

 私が高校生の時まで住んでいた所は田舎町で、当時は大きくはないが個人商店という規模の本屋も数件あり、本、あるいは本屋というのは地方に住む者にとってテレビに次いで都会との距離や格差を縮めるという役割を果たしていたように思う。
 田舎であってもマンガやスポーツの週刊誌、月刊誌は発売日に遅れることもなく発売されていたので、一斉に全国の者と一緒に手にすることができた・・あたり前のことだが。
 学校の帰りに立ち読みするために立ち寄ったことも何度もあったし、立ち読みの時間が長いと店のおばちゃんが掃除用のはたきをもって急にバタバタしだしたりしていたが、今思い返すと本当にほのぼのとしたいい時代であった。
 小学生の頃、親が本屋だったら店の本をただでいくらでも読めていいのにな なんて馬鹿げたことを考えたこともあった。
 こんな環境下で育ったこともあってか、本というのは地域や年代等の差を埋める大切な手段のひとつだったのかもしれない。
 今では知っている人は少ないだろうが、鉄道マニアであった私は本屋の目立つところに積み上げられていた時刻表を見るのが好きで、発行元がJTBと少し大きめのJR(古くは国鉄)のを年に数回買ってその時刻表で仮想の旅行予定表を作って楽しんだものである。
 また前述のTSUTAYAでは入って右にあった旅行コーナーで、旅の予定はないが、行ってみたい所や泊まってみたいホテル・旅館の本を眺めるほっと一息つくのも楽しみのひとつであった。

 今出川の大学の近くにあった雀荘やビリヤードはとっくの昔になくなっているし、パチンコ屋も10年程前からどんどん減っていったが、こうして本屋までなくなると昭和の時代のものはあと何が残っているのか、考えないと思いつかないくらいである。

 今日もたわいもない話に終始したが、私のとって本屋さんは趣味・娯楽の対象であり、文化だったようにさえ思う(←ちょっと大げさかな?)。
 こうなると結局、年代に関係なく時間があればパソコンに向かったり、スマホをいじることに時間を費やすことという結果になってしまう。
 カミさんも気がつけば、電子書籍やらをスマホをいじりながら見ているものな。

 なんかつまらないなー。
posted by ヒロイ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月07日

No.829:今までとは違う連休でした

 連休の最終日であったが、まるで今日は家でゆっくり過ごすようにと空から言われているように朝から雨が降り続いている。
 私は連休前に計画した家の私の部屋と事務所の机と棚の整理に追われ、昨日まではどこか出かけることもなく、また人とも会うこともなく せっせと不要物の選別と処分に励んでいた。
 100%とまではいかないが、ほぼ当初の予定していた90%近くは達成できたし、何よりも物、モノ、もので覆われていた身の回りはすっきりし、足の踏み場も確保でき、今までになく床が見える面積が増えたことでなんだか得した気分になっている。
 自分の性格からして また物をため込んだり、積み上げたりするであろうが、いったんとはいえこうして整理すると ちょっと物を置くのも、不思議と「これってここに置いていていいの?」と自問してしまっているし、自分の物とはいえ今までのように「またいつかは整理しよ」と所かまわず置くことに抵抗を感じるようになっただけでも今までと違うし、今回の整理は意味があったように思う。
 ただ、こういう整理整頓というのは性格によるところが大きいので またいつの間にか元のように置きっぱなしや散らかすことになるのだろうなと思わないでもないが、ひとまずは新たな空間づくりができたことに一人でニンマリとしている。

 あとは例年どおり 連休中に大学時代のクラブのOB会の決算を仕上げないといけないという宿題を抱えていて、毎年 連休最終日には仕上げて OB会の先輩にデータを送るというのが今までのお決まりのパターンであったが、これが予定より一日早く昨日の夕方に終わったので、連休最終日の今日は、以前から買いたかった物を買いに大阪まで車で出かけた。
 本当に自分でも呆れるくらい急な予定外の行動であったが、朝 テレビで天気予報のキャスターが、「今日は本降りですので、連休中の疲れを癒いやす意味でも、ゆっくりと家でお過ごしになるのがいいように思います」と言っていたし、みんな連休最終日は人は動かないという、勝手な思いを抱いていたので共犯込み合わないと 外出を即決し、行動に移した。
 家を出て11時頃 名神高速に入ったが、「よし!」と思うくらいトラックやバスはもちろんのこと、行楽のための車もほとんどなく、普段よりスムーズな車の流れであった。ただ、雨足が強まっていたこともあり50qのの速度規制はされていたが・・・。
 その後、買いたい物だけ買って3時には家に帰ってこれた。

 帰ってきてからはさすがに仕事ことも頭によぎり、明日以降の予定に目をやった。
 5月というのは3月決算法人の申告期で、実は我が事務所も2〜3月の確定申告期の次いで忙しい時期であり、しかも5月はもう7日も過ぎてしまっているので5月の残された日への負荷は相当なものであるなと考えると少し現実に戻されてしまった。

 明日5月8日からはコロナへの対応も変わるという節目の日であり、事務所では明日からは3年近く続いていた時差出勤制をいったん従来の出勤体制に戻すが、事務所内や顧問先への訪問時のマスク着用は当面の間は続けるようにと連休前に全員にアナウンスしたところである。
 これからしばらくはコロナ前と比較しつつ、いろいろなルールをどこまで戻すのか、あるいは戻さないのか 考えていかないといけないことがたくさん出てくるであろう。
 さあ、半年後 そして1年後にはどうなっているのか、コロナに慣れてしまった我々はいろいろな意味で難しい時期を迎えるようにも思う。
 そういえば3年前のGWは、顧問先も事務所も大丈夫かな、もちこたえることができるかな という不安の中、「面談できない場合にはこのレターパックで資料を送ってください。・・・・お互い頑張っていきましょう。」とあいさつ文を添えて顧問先全件にレターパックを送ったが、あの時の先が見えない状況は今まで経験したことのないものであった。
 それにしても3年は長かったな。でも、いわゆる“コロナ後”はまだまだこれからなんだろうけどな。
posted by ヒロイ at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする