2019年03月17日

No620:毎年 春を感じるのはこんな時

 我々の業界にとっても我が事務所にとっても1年の最大のイベント?でもある所得税の確定申告が先週 3月13(水)に全件の電子申告を終え、翌日に所内全員(私は役目免除)での書類整理、倉庫の格納をもって 確定申告の全業務が完了した。
 14日(土)は確定申告期間中、どうしても時間がとれず面談ができなかった人との面談はあったが、今日(日)は、我が家の大事な大事なワンちゃんの散歩は昼前と夜の雨の止んでいる時間を選んでブラブラしてきたが、それ以外は久しぶりにどこにも出かけず一日中 家で過ごした。

 家にいたからといってあまりゴロゴロするのは好きではないので、この2ヶ月ほとんど寝るためだけで整理もしなかった自分の部屋の片付けをしたり、いつかは見たいと思っていた軽めの雑誌に目を通したりしていた。
 18日(月)からは、スケジュールを見ると事務所の外勤部隊のほとんどが、かなりの外出予定を組み込んでおり、実は3月末までは結構バタバタする日が続きそうである。とはいってもこの仕事をしていると、確定申告が終わる頃には日も段々と長くなり、服装も冬物から春物へのチェンジを考え出すという、毎年恒例のこととはいえ心のどこかに春の訪れにワクワク時期でもある。
 
 事務所が同志社大学の近くにあるのでこの時期になると卒業生や新入生の動きが否応なしにも目に留まる。
 2月の入試に頃は少し賑わうが、最近は以前ほど受験生が押し寄せてくる感じがしないなと思って大学入試のページを検索してみると、それもそのはず、京都の本拠地を含めると全国で17ヶ所も受験会場があり、ちょっとびっくりした。
 北は札幌から南は鹿児島まで受験地が用意されているのは受験生と親にとっては、移動距離の少なさと費用の軽減という点で非常に助かる措置であろう。
 国公立大学は本校での受験に限られていると思うので、私立大学は学生集めという経営努力も今の時代、不可欠なんだなと感じさせられた。今週は卒業式が組み込まれているはずだし、4月になるといよいよ入学式で、今出川駅周辺が人でごったがえす時期でもある。
 引越しもこの時期ならではの多さで、こういった人の動きからも春を感じる時期でもある。
 ここで、こんなことを言うのもどうかと思うが、私どもの顧問先の方の子供さんも多くの受験生がいらっしゃるが、全ての人が思い通りに進学ができているかというとそうでもなく、浪人される子供さんを抱えておられる親御さんの胸の内を思うと、「春は楽しいシーズン」なんて浮かれているのもどうかと思ってしまうこともある。

 そういう意味ではいろいろな思いを持つ人が入り混じる季節でもあるが、春がそこまで近づいていることには違いない そんなことを感じる3月の後半である。

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2019年03月10日

No619:今では懐かしい “おせっかいな人”

【おせっかい】 出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人やそのさま。
  ◆類語:口出し、手出し、ちょっかい、干渉
  ◇関連後:干渉、容喙(ようかい)

 上からも分かるように“おせっかい”という言葉は、辞書によると何ひとついいことが書かれていないが、それほど悪一色なのだろうか?
 こんなことを言っている時点で自分のおせっかいの性格を一部肯定したがっているのかなと自分自身少しいやな気持ちにもなるが、子供たちが小学生くらいまではちょっと口出しをした時なんかは、「大きなお世話」、「放っといて」という態度をとられたこともあったが、3人とも成人した今では、口をはさむ場面さえないし、東京にいる2人の息子にいたっては、年に1、2回しか会わないので、口をきくのも限られたことだけである。
 
 子供が小さい頃住んでいた向かいのおじさん(当時70代)は、私が仕事から帰ってくると家の前で水やりをしながら、「今日は奥さん、6時頃 買物から帰ってきはったで」とか、「今日はお姉ちゃん(長女)の友達が来て賑やかだったわ」等、私がバイクを置いて家の中に入る前に別に教えて欲しいわけでもないのにその日の廣井家の様子を誰よりも早く知らせてくれた。今から思えば一種のおせっかいだったのかもしれないし、人によっては、「そんな解説 わざわざして欲しないわ」と思う人もいるだろうが、これって一種の近所とのコミュニケーションであって、こういった何気ないやりとりで距離が縮まったりすることだってある。
 私が社会人になって働き出した頃は、隣に座っていた女性の上司からは、どこにも書かれていない職場の“暗黙のルール”を教えてもらったり、カミさんの体の調子が悪かったときは、近くに住むパートの人が まだ幼かった私の子供を仕事が終わるまで預かってくれたりとおせっかいどころか、どれだけ助けてもらったことか。
 ただ、こういったやり取りをしていた時から既に25年近くが過ぎ、時代は大きく変わってきたような気がする。親切かなと思って思ってしたことを迷惑がられたり、街中では前を歩く人が手袋を落とされたので拾って渡した時、睨まれたことだってある。
 今の時代、一歩間違えば嫌がらせをされたり、場合によっては殺人事件にもなりかねないような世の中になってきた。
 まだ、私が若かった頃に親から口出しされたようなことは、今の時代では“おせっかい”なのだろうが、親の方は何一つ悪気もなかっただろうし、うまくいくようにと思っていろいろと言っていたんだなと今になって思うことはいくつもある。

 もう、“おせっかい”が世間でいいようにとられる社会はこないのかもしれないが、“おせっかい”を受けたものとしては、最初の辞書にこんなことも付け加えて欲しい気持ちにもなった。
 “おせっかい”は悪いように言われているが、後でハッと気づいて助かったこともある という意見を持つ人もいる。
 ただ、私自身 他人へのおせっかいは禁物であることは肝に銘じておかなければならない。
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2019年03月03日

No618:ブームに乗らない経営、ブームが去っても続けられる経営

 経営者の方と話をしていると自分の会社の柱となる本業についてとことんまで掘り下げ、何があろうとも本業で勝負しようとしている人もいれば、いつも自分自身がアンテナを張りながらいい話があればちょっと乗ってみようかなと思っていて、たまに会うと「なんかええ話ないですかね」が口癖のような人、 どちらがいいかどうかは別にして第三者的にはどちらも魅力的であり、かつ、どちらもリスクを抱えておられるなと思って見ている。
 この仕事をしだして間もない頃、つまり今から30年近く前になるが、30代半ばの若い二代目さんが、ある程度の資金をお持ちになられている親から「なんか新しいことをやってみたら」と後押しをされ、本業以外の商売に手を出され、自分自身ではきっとうまくいくはずだ と私にそのビジネスモデルについて熱く語られたこともあったが、やることなすこと何一つうまくいかず、最後はある駅前の一等地も手放され、確か丹波の方へ家族ごと行かれたと後で聞いた。
 新しい事業に手を出すことが決まった方の中には、こういった事業の開拓は運にも左右されると思っている人もいるかもしれないが、私は事業、特に新しい分野への進出は決して運に左右されるような軽々しいものではないと考えている。
 その分野を深く知ること、そしてその事業に入り込む前に外からもその分野の研究を重ね、過去、現在、そして未来がどう動くのか、周りの人間がどう反応するまで自分なりに組み立てられてこそ初めて、新しい事業がスタートラインに立てるものと考えている。
 
 過去において(もちろん顧問先以外も含めて)カラオケスピーカー、ペットの葬儀、ドッグカフェ、健康借品、レンタサイクル、民芸家具、それに食べ物では百円ケーキなどいろいろなものを見てきたが、私が思い浮かべたところ、今も続いているところはほとんどない。
 1年くらい前、 事務所の近くで立ち飲み屋ができ、私自身は立ってまでお酒を飲もうとは思わないので行ったことはないが、日のよっては結構賑わっており、2年後、3年後、ビジネスとしてどうなっているのかちょっと注目しているスポットである。
 事業というのは単一商品や単一分野だけで勝負することのリスクはあるが、まずは“これ”とよべるもので客や得意先を引き付けられないようでは、第二、第三のものでも勝負はできないであろうし、長続きはしないであろう。
 私が学生時代の頃からあった今出川界隈の“童夢”というケーキ屋さんは今でも残っているし、これまた学生時代にケーキとスパゲティーを食べに行ったセカンドハウスという店は今ではいくつも店を出し、北山店はうちの娘のお気に入りの店でもある。

 少し話が別の方向に行ってしまったので元に戻すが、事業はまずは揺るぎない本業があって初めて、次なる分野へ手を出せるというものであろう。
 それには、世間でブームと言われているからとか、儲かった人の話を聞いたからとかではなく、まずは自分がその分野に惚れ込むほど大好きで、誰にも負けないくらい知識を身に着け、そして、自分以外の第三者から(厳しめに)みても問題なくGOサインが出てはじめて、スタートが切れるということであろう。
 最近、私の知っている若い経営者の方が、「〇〇が今ブームでいいらしい」と言ってその分野に手を出そうとされているが、そんなに研究不足のまま手を出していいの?  と傍では見ているが、このブームというものにいったん入り込んだ人というのは人に耳を貸さないような状態に陥ってしまう。
 決してブームを否定するわけではないが、そのブームや当初の珍しさによる賑わいが去った後も 「あいつは違う」、「あの店は違う」と思ってもらえればそれは実力になってきているのであろう。

 客や得意先、そして一般の人たちは、今や経営者以上に本物を見極める力を持っているということを肝に銘じて新しい分野に取り組んでほしいものである
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2019年02月24日

No617:今、確定申告が“旬”です

 税理士事務所は今、個人の確定申告が“旬”の時期であるが、我が事務所も1月後半から3月の初旬まで約1ヶ月半の間 確定申告業務にどっぷり浸かっている。こんな中で ちょっと手と頭を休めて、確定申告について思い出話も含めて綴ってみることにする。

 今から30年以上前、私がこの業界に入った頃は、最後の集計はパソコンでも電卓でもなくそろばんを使う年配の上司の人がいたし、パソコンは一人に一台ではなく、入力作業の時だけパソコン室(当時は確か“コンピューター室”と読んでいたと思うが・・)にこもって入力作業をするという、今から思えば信じられないような作業工程であった。
 決算書や申告書も最初の2、3年は手書きで作成していたので、出来上がったら税務署提出用の用紙に清書(浄書)をしてくれる字のきれいな女性の人(近所のおばさん)もこの時期だけ手伝いに来られていた。
 こんな時代から思えば、一人に一台のパソコンは当然で、計算は会計・税務のソフトを使って行われるし、申告も税務署へ出向くことなく、私のパソコンから電子申告を行うことによって、全国どこの税務署にでも瞬時に申告が可能である。また、ありがたいことにこの時期の電子申告は曜日に関係なく24時間受付可能となっているので、曜日や時間を気にすることすら必要でなくなってきている。
 なのに、この時期 残業なしでは乗り切れないし、なかなか落ち着いて体を休めたり、食事をとったりする時間はないというのが現状である。

 現時点では今年の確定申告業務が終わったわけではなく、今真っ盛りという状況であるが、今年は、よくよく考えてみると昨年、一昨年とは大きく違うことがある。それは天気に恵まれていて、ほとんど雪が降らずにこのまま冬が終わるかもしれないということである。
 京都府や滋賀県の北部、それに福井県と雪のよく降る地域に多くの顧問先を抱える我が事務所としては、この時期には常に天気予報を気にかけながらスケジュールを立てたり、出かけたりしなければならないが、今年は今のところそういった心配をせずにこの2月の後半までやってきた。
 これから先一週間の天気予報でも気温が14〜15℃と比較的過ごしやすい日が続きそうで、天気のことはあまり気にかけずにここまできたが、実は目に見えない大きな援護射撃になっているような気もする。
 車での外出はもちろんのこと、電車で出かけるときも雪の舞い散る中を出かけるのと、コートを着ていて多少暑くなる今日のような日とでは、気分だけでなく事務所の帰ってきたときの疲労度に大きな差がある。
 今、仕事の合間ではあるが、コーヒーを飲みながらこんなつまらぬことを考えるのも、短時間であれば、気分転換になったり、疲れを癒してくれたりするものである。

 今日は確定申告の折り返し地点でふと考えたことを綴ってみた。
 月曜日からはここまでに仕上がった決算書・申告書の報告のために事務所の多く者が外出する予定となっているが、何とかここまでこぎつけられているのは、事務所のスタッフの慣れたスケジューリングと無駄のない要領のよさのお陰であるのは言うまでもない。
 あと2週間、何とか問題なく、最後までこぎつけられることを願いながら、いったんこのコーナーを閉じて、本業に戻ります。
  では・・・。
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2019年02月17日

No616:ぽぽたんのお父さんなんですね

 この時期になると平日はもちろんこと、休日でも我が家のワンちゃんを散歩に連れて行くことができず もっぱらカミさんの日課になっていたが、昨日(土曜)の午前中 少し時間がとれたので私自身の運動不足解消も兼ねて、ぽぽたん(ワンちゃんの名前)を連れて宝が池まで1時間半程 散歩に行ってきた。
 普段、夜 遅く帰ると近づいてきて飛びかかってくることもあれば、お決まりの場所で気持ちよさそうに眠っていて、ちょっとした私の物音に、「こっちは寝てるのに、静かにしてくれる・・・。」 と言わんばかりに身体は動かさず薄目で私の顏を一瞬チラッと見て、また、目を閉じて眠ってしまうこともある。

 以前、このコーナーでも触れたが、私自身は今まで50数年間、金魚と亀くらいしか生き物を飼ったことがなかったので、動物を飼う人の気持ちがあまり分からないままこの歳まできてしまったが、こんなに癒してくれるんだ と今さらながら自分の気持ちの変化に驚いている部分がある。
 カミさんがあちこち連れまわしているので、宝が池、植物園周辺、加茂川、北山通、そして家の周りと それぞれの場所ごとにワンちゃん友達がいるようだ。
 昨日も宝が池の周りを連れて歩いていると、「ぽぽたん 久しぶり」、「ぽぽたん、女の子らしいおべべ(服)を着せてもろて」と何人かの人に声をかけられ、「今日はお父さんとまわってるんか」と 顔は何度か見たことがある人だが、人間同士はお互い名前も知らずに(聞こうともされないが)、もっぱら私のことは“ぽぽたんのお父さん”という呼び方で接してもらっている。
 私は思わずしゃがみこんで、「ぽぽ お前はどこへ行っても いっぱい知り合いがいて有名人(犬)なんやな」とワンちゃんに話しかけた。
 こんな経験 今までしたこともなかったし、私がランニングをしていた頃 いつも会う人にはお互い横眼であいさつしたり、走りながら軽く手を挙げたりはしていたが、このペット(ワンちゃん)を飼う人同士の気持ちの繋がりというのは、近所や知人そして仕事や親戚等 今まで経験してきた人の繋がりとは全く違うもので、まさにしがらみにとらわれない “素”の自分を出せるなかなか貴重な世界である。

 私は疲れている時、真っ白なぽぽたん(犬種はビションフリーゼ)の横に寝転がって無理やり鼻をつまんで、「ぽぽたんは全部真っ白なのに、何で鼻だけ黒いの?」とまるで幼い子供が聞くようなことを口にしているが、ぽぽたんはさぞ迷惑そうな顔で私の顔とじっと見ている。
 ワンちゃんにとっては、いやなのかもしれないが、言葉で「いや」とも言えないし、また 他のやりとりで人間から見るとすごく喜んでいると思っていても、「あんたらが考えているほど、うれしいことではないんやで」と思われていることだってあるのかもしれない。
 ある程度 ワンちゃんの態度で分かるとはいうものの、人間と違って本心が100%分からないところにワンちゃんをはじめとしペットを飼う魅力があるのかもしれない。
 日頃の私からは想像もつかない態度かもしれないが、それくらい損得や見返りの期待なしでいっしょにいられるのがペットであると この歳になってやっと気がついた。

 ワンちゃんにとっては迷惑な話かもしれないが、今晩も家に帰ったら鼻をつまんで、「ぽぽたんは全部真っ白なのに、何で鼻だけ黒いの?」と話しかけ、疲れを癒してもらおうと思っている。
 いいでしょ、このフレーズ(何度も言いますが)「ぽぽたんは全部真っ白なのに、何で鼻だけ黒いの?」
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2019年02月11日

No615:いつも同じ人がいる安心感

 日々の仕事の中でいろいろな分野の人と関わる機会があるが、「担当が変わります」と、新旧の担当者がそろって事務所に来られ、名刺を差し出されることがある。
 一番多いのが金融機関の方で支店長が交代される時もあれば、当事務所の担当者が変更になる時もある。それ以外では保守契約を結んでいるコピー機の会社、リース会社、生命保険会社など担当者変更についてすぐにでもいくつかの分野や会社が頭に浮かんでくる。
 こんな時、担当者とどうもウマが合わないときは変更になってホッとすることもたまにはあるが、どちらかいうと、「今までの人とは波長が合ってよかったのに」と、がっかりしたり、また新たな関係を築いていかなければならない煩わしさに気乗りしないことの方が多い。
 今回は、この“人(担当)が変わる”ことについて考えてみることにする。

 大きな会社や組織であれば、支店や部署も変わらずに同じところでずっと働くということはほとんどなく、2、3年に一度は転勤や配置転換などがあるが、これは会社の営業戦略やトップの方針の変更によって 必要不可欠であると思うし、人心一新による効果、つまり、働く者にとって新たな気分で物事に取り組むということの意義も当然のことながらあるといわざるを得ない。
 同じ会社内での異動やグループ会社へ転籍にとどまらず、勤め人が自ら会社そのものを辞めて他の会社や他の仕事に転職することもある。

 今回、私が話題にしたいのは大きな会社や組織ではなく、クリニックの受付や小さなお店の店員さんなどもっと身近なところの例である。
 年に何度か通院するクリニックで受付の人が変わらず、いつもにこやかな同じ人がいることの安心感というのは そのクリニックの院長が思っている以上に患者さんは感じていることであろう。
 患者という立場ではないが、私が仕事で訪問する先も よくもこれだけ人の入れ替わりがあるなと感じるクリニックもあり、「あれっ、又 変更? 退職?」と心のどこかに不安な気持ちがよぎるが、これが患者さんであれば、私の何倍もの不満や不安が頭をよぎるであろう。

 もう一つ別の例であるが、もっと身近なところ、実は事務所の隣にあるコンビニでも同じようなことを考えることがある。
 もちろん、曜日や時間帯によって学生をはじめいろいろな方が働いているが、そのうち店長以外ではずっと変わらず働いて、レジを打たれている2名の女性スタッフがいる。
 私の場合、このコンビニを利用するのは週に2、3回であるがこの2人がいるときにあたるとなぜか得した気分になる。非常に慣れた手つきで要領よくレジを打ち、商品の温めなども素早くこなし、多少レジを並ぶ人が多くてもあっという間に待つ人はさばけてくるので見ていても何とも気持ちのいい。
 慣れた人が長く働いていることは、辞められた時の穴埋めができるのかとか、給与(時給)の引き上げはどこまで必要なのかなど、別の観点から考えると経営上の検討課題がないわけではないが、顧客に与える満足度には大きな差が出てくる。
 これは転勤や転籍を伴わない中小企業であれば非常に重要なことで、少し大げさかもしれないが、最後はこういった患者や顧客の心をつかんだところが生き残ってくるのではなかろうかと思ってしまう。
 今の時代、働く人の考え方も人さまざまで、従業員の労働環境を整えるのは非常に難しいことかもしれないが、人の使い方、人の気持ちの読み取り方を考えるという点で、経営や人事において少しは参考にしていただければと思っている。

 先述の事務所の隣のコンビニの話でも、地下鉄の駅から事務所まで2、3のコンビニがあるが、ついつい慣れたところで慣れた人に対応してもらう方が気持ちがいいので、どこにも立ち寄らずにいつも隣のコンビニに入ってしまう。

 みなさん 今回の話 どう思われます?
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2019年02月03日

No614:開業当時のことを思い出させてくれた古い通帳

 先日、仕事を終えて家に帰ると、食卓の片隅に輪ゴムで止めた古い通帳が20冊近く置かれていた。
日頃通帳を手にしない私でも、その通帳を見るなり それが廣井事務所のメイン口座の通帳であることはすぐにわかった。
 現金や預金の入出金の管理は、開業以来 素人ながらも一応経理を預かるカミさんの仕事であり、私は取引が会計データとして入力されたものを入金はもとより、大きな出金や残高の確認のためにパソコンの画面で目を通し、資金の動きを把握している。
 実は、この通帳以外にも前の勤務先から給料が振り込まれ、今でも住宅ローンが引き落とされている いわゆるプライベート口座で、今では見かけないような古い図柄の通帳も何冊か置かれていた。
 私が夕食を食べ終わってホッと一息ついていると、同じ部屋にいたカミさんが、『通帳の数が増えてくると置場もなくなってくるので、もし、保管せずに処分していいのだったら教えて? どれくらい古いものまで置いとかんとあかんのやろ。』とこちらを向いて、通帳が食卓に積まれている理由を説明してくれた。
 平日は仕事が終わって家に帰ってから古い通帳を見る気にもなれず、事務所の休みの日に通帳の中を確認し、残すものと廃棄するものに区分していった。
 この中には事務所開業当時の平成19年(2007年)夏に開設した事務所のメイン口座の通帳があったので、懐かしい思いでこの通帳を開けると、何ともヒヤヒヤ・ドキドキするような数字がたくさん並んでおり、思わず食い入るようにその通帳の数字を目で追っていた。
 通帳には、「〇○さん給与」、「〇○医院(最初は顧問料を個別に振り込んでもらっていた)」、「アスクル ロッカー代」、「コピー機リース料」、「封筒・名刺代」、「HP作成料」、「借入」、「家より補填」等、カミさんが鉛筆で書きこんだものがそのまま残っており、その後のページを見ると、年末には給与と賞与が払えず、また「借入」が必要となった11年前の開業当時のことがいろいろと思い出された。
 社員も2人であとは私とカミさんの計4人で全業務をこなしていた、というよりまだまだ仕事が少なく余力があったのを覚えている。
 初めてパートを採用する時には、給与払っていけるのかなと、今も在籍しているO君と時間をかけて検討したのも ついこの間のように思い出された。

 その後、少しずつではあるがいろいろな方からの紹介で顧問先が増えていったが、当時は毎晩寝るときに目を閉じて、新しく顧問先になっていただいた方の名前を呪文のように唱えながら眠りにつくという妙な習慣ができていた。新顧問先1件目からはじまって、その後 20件目くらいまでは、顧問契約を締結した順にその院長や経営者の顔を毎晩思い浮かべながら、この呪文を繰り返しながら眠りについていた。
 昨日、たまたま郵便物に切手を貼るために事務所の切手BOXの中を見ると、大きさの揃った切手がきれいに保管されていたが、開業当初は、カミさんが金券ショップで1円でも安い切手を買ってくるので、どちらかというと大きさが不揃いな記念切手ばかりで、今から思えば何とも格好の悪い 切手だらけの郵便物をだしていたなと思わず頭に手をやって当時のことを懐かしんだ。

 決して 今心配がなくなっているわけではないが、11年前のこの気持ちを段々忘れかけてきているのも事実であったので、カミさんから頼まれた古い通帳の整理は、私にとっては結構 意味のある、心にずしんとくる作業であった。
 整理が終わって、積まれた通帳を眺めていると古い通帳が私に向かって、「初心忘れべからず」、「ええ気になるなよ」とつぶやいているような気にもなった。
 そんなことで、古い通帳の置場として場所の確保は必要であるが、決して置いておく所が全くないわけではないのでもう少し置いておくことにした。

 今回は人からのアドバイスではなく、通帳からアドバイスと叱咤激励を受けたという貴重な体験であった。
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2019年01月27日

No613:学生と話をすると気分が若返る

 昨日は出身大学 体育会OB会の総会と この1年間で活躍した選手の表彰式を兼ねたパーティーがあり、一応 陸上競技部OB会の役員もしているので例年のこととはいえ参加してきた。
 50近い全クラブのOBと表彰を受ける選手 計780人が集う大掛かりなものであったが、クラブごとに席が配置されていたので、OBだけでなく この日に表彰を受ける現役の陸上部の部員5名ともいろいろな話をすることができた。
 日々は“ビジネス”というくくりの中での顧問先や税理士同志と話す機会が多く、それ以外では家でのたわいもない会話をするくらいであるが、パーティーとはいえこういった機会に現役学生と1対1で話をしていると自分まで若返ってくるようなそんな気持ちにもなった。 事務所が今出川にあるので、毎日のように学生の姿は多く見かけてはいるが・・・。
 この日、私の隣にすわった3回生の砲丸投げの選手が兵庫県豊岡高校卒だったので、日本海側の出身者同志 高校まで過ごした丹後、但馬地方の話で盛り上がった。 
 『今日は朝から雪が降ってましたが、こんなの雪のうちに入りませんよね。』、『豊岡が兵庫県であることを知らない人って結構いるんですよ』と地元のことを交えた話に花が咲き、私も新入生の頃、関東出身の友人に、『京都府が日本海に面してたなんて、廣井の話を聞くまで知らんかったわ。』と言われたことを思い出した。
 こんな話をしたり、他の現役学生とも大学生活のいろんな話を聞いているうちに2時間があっという間に過ぎたが、こういう日頃接する機会の少ない年代の人たちと話をするのって本当に楽しいものである。
 私の子供も3人とも20代ではあるが、東京にいる2人の息子は年に1、2回しか京都に帰ってこないので話をする機会さえ少なく、この日の会話がその代わりのようにも思えて余計に楽しく感じたのかもしれない。。   
 また、陸上部OBの中には80歳を超えた大先輩も出席されていた。自分の親と同年代なのに誰かに連れてきてもらうわけでもなく、30分以上かけ電車を乗り継いで一人で来れるなんてすごい と思わず感心したりしていた。
 この先輩は京田辺に学生マンションを所有されているが、『まだ自分で帳簿付けて、税理士さんへ渡してるで。もうちょっと(あと数年)できそうやわ。』とその健在ぶりに耳を傾けていた。
 こうして私の子供や親と同年代の人たちとテーブルを囲み、食事をしながら話をするのはそうそう機会のある話ではないし、1年に1回とはいえ貴重な時間のように思えた。
 1月も残り少なくなり、いよいよ我々の業界で超繁忙期となる2月に突入しようとしているが、その前の気分展開と活力の充電にはもってこいのパーティーであった。

 昨日に引き続き、今朝も目をさましカーテンを開けると妙法の山が真っ白で何とも寒い朝であったが、冬は寒くならないと身体もピリッとしないし、やはり冬は冬らしい方が頭も冴えるような気がする。
 これから約1ヶ月半、30代や40代の時と同じことはできないぞ と自分に言い聞かせ、しっかりと自覚しながら病気やけがをせずに乗り切っていきたいものである。

posted by ヒロイ at 17:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月20日

No612:人を採用するときのポイントは?

 先日、開業間もない女医先生から、『追加で人を募集するけど、面接時に気を付ける点はどんなところですか?』 という問い合わせがあった。
 この質問は他でも年に何回か受けるがなかなか難しい問題である。
 私も顧問先の採用面接に立ち合ったこともあるし、事務所の従業員の採用面接も何度もしたことがある。
    この時、看護師とか歯科衛生士というような業務の遂行上、資格が必要な時はその資格は当然のことながら必須であるが、公的な資格が必要でない仕事も世の中には数多くある、というか、多くの仕事は資格でなく、個人の能力や実務経験の方を重視している仕事や事業所も多く存在している。
 もちろん業務を遂行していく能力を見極めることは必要であるが、多くの経営者(開業医も含む)はその能力やいわゆる「できる仕事の範囲」に重点を置き過ぎ、人そのものをじっくり見れている経営者は意外と少ないように思う。
 私自身も今まで採用してきた人が全て申し分ないかというとそうではないが、少なくとも今 在職している従業員については、誰一人として欠けてもらっては困る人ばかりである。

 さて、元々の質問である 「面接時の注意点」という論点に戻すが、私は一定のレベルさえあれば、次のことに絞って最終判断を下すことにしている。
 “素直な人”、“向上心を持っている人”、“協調性のある人” この3つさえあれば入社後、絶対にものになると確信している。
 ただ、この3点を備えている人にいつも巡り合えるかというとそうでないこともあるが、あと1つ重要視していることは、“入社後 いっしょに働きたいと思う人”、これは絶対に譲れないことであろう。
 たまにこんなことを口にされるクリニックの院長のがいる。それは、「問題の多い〇〇さんは困ったもんで、私自身もすごくストレスで、週2日勤務の〇〇さんがいる日は朝からブルーなんです。朝、出社拒否っぽくなってしまうんです。」
 これって経営者として最低。自分で採用したにもかかわらず、問題があることについて院長自ら身を乗り出して解決するわけでもなく、いやなことは避けて通る、こんな姿勢ではいい従業員なんて育つはずがないと思う。
 私も今まで事務所で採用した全ての人が問題がなかったわけではないので偉そうなことは言えないが、多くの経営者を見ていると、「人の振り見て我が振り直せ」と考えさせられることもしばしばある。
 今後、科学技術が進歩し、AI(人工知能)によって世の中が動かされるようにも言われているが、まずはどんな人を確保し、どんなことをしてもらうかをしっかり考えることが事業の浮沈を大きく左右することは、過去や現在だけでなく、今後(未来)においても変わりはしないであろう。
 以前に担当していた会社の社長が、面談のたびに 『うちの社員はほんまにパッとせん奴ばかりで・・・』と口にされていたが、聞く私の心も沈んでいくし、ここで働く従業員は毎日、こんなことを思われている経営者の元で仕事をしていてつまらんだろうなと思ったことがある。
 私は仕事柄多くに経営者と話す機会があるが、10数人の従業員に囲まれて仕事をしている私自身が自問自答しながら、自分の足りないことの多さを日々痛感してはいるが、まずは迷走だけはせず前に進んでいくようにしている。
 経営者とは上に立ち過ぎるのはよくないし、かといってフラット過ぎてもよくない、この答えはいつになっても見いだせない。それほど経営者の立ち位置は難しいものである。
 こういったテーマは永遠だからこそ、どの経営者も来る日も来る日も仕事が続けられるのかなとそんな風にも考えられる。

 日曜日の夜も8時を過ぎたので、今日はこの辺で・・・。
posted by ヒロイ at 20:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

No611:くたばれ 読売ジャイアンツ

 まず、書き出しに際してジャイアンツ(巨人)ファンの人ごめんなさいと言っておく。こんな場で自分の意向だけで一球団を攻め立てることを。

 久しぶりに私の大好きなスポーツの話題を、しかも、ここしばらくマスコミでもとり上げられている巨人から西武へ移籍する内海哲也投手と同じく巨人から広島への移籍が決まった長野久義選手 この2選手と巨人という球団について私の思いを述べさせてもらう。
 まず、この話は勝たないといけない巨人という球団だからこそ起こった話であるかもしれないし、スポーツの世界、勝負の世界に人情というものがあってはならないのは分からないでもないが、選手たちは誰のためにプレーするのかを考えてみることも球団を預かる上層部(球団経営者)にとって重要なことではないのかなと思ってしまう。
 巨人を出ていくこの2人のことを調べてみると3つの共通点がある。
 一つ目は、プロ野球のドラフトで巨人入りを熱望していながら、他球団から指名されたために入団を拒否してプロ入りせずに、次の年のドラフトで巨人が指名してくれるまで待った選手である。しかも、長野にいたっては2回もドラフトのくじで外され2年も待って念願の巨人入りを果たした選手である。
 二つ目は、数年前までは成績面では巨人の核となる選手で、いわゆる花形選手であったが、ここ数年、往年の成績には遠く及ばない成績しか残していないという点。
 三つ目は、熱いハートを持っている選手ということであろう。長野は巨人の多くの若手選手から人望があったと伝えられているし、長岡京市出身の内海は自分の稼ぎから母子家庭で育ててもらった母親に一軒の家を買ったという話が残っている。
 こういった選手をよくもまあサッと出せるな巨人軍 と言いたくなってしまう。

 プロ野球選手といえども一人の大人として あるいは一社会人として誰のためのプレーするのかを考えてみたときに、まずはファンのため、家族のため、そして自分の所属するチーム(球団)のため、この三つが基本となるであろう。
 プロ野球選手でなく一般の社会人の場合を考えてみても、顧客のため、家族のため、そして会社のため ということと置き換えられるであろう。
 このファンと顧客が何よりも優先されるというのは、やはり顧客やファンに支えられているからこそ今の自分があるからということがわかっているからであろうし、誰しもが一番やりがいを感じる部分あろう。
 ちょっと話が横道に逸れるが、今の日本の政治家はこの三つのどれにも属さない”自分のために”というある意味 自己顕示欲と名誉のためだけに議員をやっている人がかなりの割合でいるように思う。だから日本の国や政治はよくならないのであろう。
 
すみません 話をプロ野球の方に戻すが、
 これは巨人だからこそできること、かつ、巨人しかできないことであろう。
 どういうことかというと、数の上でも過去の栄光の歴史の上でも圧倒されるようなファン層に恵まれている巨人は何をしてもファンが離れないという自信があると同時に、絶対に勝たなくてはならないという宿命的なもの  この両方を持ち合わせている それが巨人という球団である。

 実は私はもともと阪神タイガースのファンであったが、10年近く前から毎年繰り広げられる人事のバタバタ劇に嫌気がさし、本気で応援する気にもならなくなっているし、アンチ巨人だけは子供の頃から現在に至るまでずっと続いている。こんな私が今年のプロ野球で期待している筋書きはこの2つのどちらかである。
@ 巨人から広島へ移った長野が大活躍して広島が優勝し、巨人が補強(獲得)した丸、炭谷、岩隈、中島の4選手が全く振るわず、Bクラス、できれば最下位になり、原監督が1年で退任(クビ)となる。
A 一応、巨人が日本シリーズに進出し、西武と対戦するも、巨人から移籍した(放り出された)内海が巨人をきりきり舞いさせて、ヒーローインタビューで「巨人さん、私を西武に出してくれてありがとう」というコメントをする(内海も大人なのでこんなことは言わないだろうが)。

 こんなバカげたようなことを考えながら、今年のプロ野球を追っていくのもまた別の意味で楽しみのひとつであろう。
 私にとっては何年かぶりに開幕が待ち遠しい今年のプロ野球となった。
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2019年01月06日

No610:年相応の こんな1年にしたい

 2007年(平成19年)9月に事務所を立ち上げてから11年になるが、ここまでの事務所の運営は決して平坦なものではなかったし、開業当初の思い(ある意味“癖”なのかも?)がいまだに残っていて、「思いたったら即行動」、「悩むのだったら、まず手を付けよう」と 手さぐりしながらもここまでは立ち止まったり、振り向いたりせずに前だけを向いて進んできた。
 しかし、昨年あたりから段々と体がいうことをきかなくなり 無理はできないなと思うことが多くなってきた。決してどこかが悪いわけではないが、食べ過ぎや飲み過ぎの後や寝不足の生活が続くとたちまち体に黄信号がともり、体の方から「無理するなよ」と訴えてくるのがよく分かる。現在56歳であるが、当然 11年前の45歳当時とは体力というか、体そのものが変わってきていると感じることがある。
 身体の変化に合わせて、心の方も年相応の少し落ち着いた人間にならないといけないのに心の成長はずっと遅れているというのが今の自分である。これは私だけでなく、40代、50代の人なら誰しもが感じることであろうし、特に男性は女性に比べて心の成長は遅いと一般的にも言われている。
 「もう少し、周りの人にも配慮して生きていかんとあかんで」と自分に対して警鐘を鳴らされているな と思うことが年に何度かあるが、「前へ前へ」だけでなく、「一歩引いて」物事を考えていかなければならない年代に差しかかってきているようにも思う。

 自分自身のこんな気持ちもあってか1月4日 事務所の仕事始めの日のあいさつではこんなことを話した。

@まず、自分にとって大事なものを見つけて、この1年間 それを何よりも大切にしていきましょう。家族、友人、会社の人、顧問先(お客様)、そして仕事や日常生活に中での自分だけのとっておきのものを。それは人によってさまざまであろうから、あくまで 自分だけのものでいいので一年間思い続けましょう。

A「誠意なきところに仕事はこない」とあるビジネス誌に書いていたが、まさにそのとおりで、こういった気持ち忘れずに 日々仕事に取り組んでいきましょう。顧問先を増やしたり、事務所を成長させるのが最終目的ではないし、必要にされるような存在になれるよう しっかりとした気持ちで仕事に取り組みましょう。

 あまり、硬くなることも必死になることも必要ではなく、あくまで自然体で、年相応の、そして実力相応の仕事をしていきたいものである。
 今日[1月6日(日)]まで休みの会社もあり、7日からいよいよ日本全体が動きだすが、無理せず、無茶せず、顧問先の要望を一つでもたくさん実現できるような そんな一年にしていきたいと考えている。

 年末年始の休暇は、普段 接する時間の少ない我が家の愛犬 ぽぽたん との時間がいつもよりたくさんとれ、ワンちゃん効果で体も心も多少たりとも”和み”を感じられたことが私にとっては一番の収穫だった。
 みなさんはどんな休暇でしたか? 次の長期休暇(4月末から5月初旬の10連休?)を楽しみのこの冬を乗り切っていきましょう。
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2019年01月01日

No609:謹賀新年

 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートを切らせていただきます。

 以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
   謹賀新年  
 皆様方におかれましてはこの一年が希望に満ちあふれることを願って、新たな年をお迎えになられていることと思います。
 日本国内においても、世界に目を向けても 世の移り変わりのスピードが年々早くなってきているように思えてなりません。
 ただ、一足飛びに2歩も3歩も先に進められるかというとそんなに甘いものではなく、一歩ずつ踏みしめながら前に進んではじめて、それまでの過程の全てが自らの力になっていくものと思われます。
 人間だれしも知らず知らずのうちに「ああいう人になりたい」と自分の周りにいる誰かに憧れ、また目標としながら日々の生活を送っています。
 誰かに近づきたい、今までできなかったことができるようになりたい、こんなことを考えている時に出会ったのが中村勘九郎の次の言葉です。
   『型をしっかり覚えた後に、“型破り”になれる。』

 何事もいきなりできるということはありえませんが、そのことを身につけた後は 誰にもまねのできない能力や技術が自分のものになるということです。
 我が事務所のメンバーもこんな気概を持って、この一年間 皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

   平成31年 元旦 

 〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
 URL:http://www.tax-hiroi.com  Tel:075-406-7020 Fax:075-406-7025
   廣井増生税理士事務所
     所長  廣井増生
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2018年12月31日

No608:年末を病院で過ごす母を見舞って考えたこと

 平成30年(2018年)も残すところあと1日となった。
 事務所は恒例となっている28日の忘年会を最後に新年1月3日までの6日間の休暇に入った。
 忘年会はいろいろと悩んだ末、意外と食べる機会のないイタリアンで今年を終えようと企画し、みんなでいろいろな話をしながらしっかりと食べて飲んで今年の事務所の行事を無事終了した。

 実は忘年会の最中に兄嫁から、母が入所している施設で転んで足を骨折したとの連絡が入った。長岡京の住んでいる兄もこの日 忘年会だったらしく、私と同様 お酒も入っているのですぐさま駆けつけることもできない状態であった。
 施設の方からは、今のところ大きな痛みもないようなので、翌日(12月29日)に地元の総合病院に連れていき、再度検査をして、その後の対応を決めるとのことであったので、私は29日に行くことを決め、母には申し訳ないがこの日の忘年会は途中で席を外すこともせず、最後までみんなと過ごした。
 
 今回の年末年始は兄夫婦が年末から現在空き家となっている実家に出向き、年始まで3、4日過ごすということであったので、私は帰省せずに京都の自宅で東京から帰ってくる息子も含め、ゆっくりと過ごそうと思っていた。
 ただ、こういった事態が発生するとそういうわけにもいかず、29、30日の両日 特段重要な予定もなかった私がひとまず29日に病院に行き、その後、帰省する兄とバトンタッチしようと考えた。
 病院に行くと、母が入所している施設の職員方からここまでの経緯を聞き、次に診察・検査をしていただいた整形外科の先生から病状を聞いたが、『このまま入院していただき、明日(30日)の朝10時から手術をします。お年寄りなので、一日も早く手術をし、無理のない範囲であるが、長い入院生活とならないように日常となる施設へ戻って、その施設に併設されている医療機関でリハビリしてもらうのが、本人様にとっても一番と考えています。』との説明であった。
 私は一応、一泊できる用意はしていたが、明日(30日)手術とは? と多少驚いたが、ひとまず29日は泊まって、30日の手術に備えた。
 
 手術といっても2時間程で無事終了したが、その間、病院の食堂でコーヒーを飲みながら雪化粧された天橋立を眺めていろいろなことを考えていた。
 母は認知が進み、私のことはほとんどわからないにしろ、私が正月に顔を見せないのでこんな形で私を呼び寄せたのかな とか、20年程前は父も健在で、我々3人の兄弟も子供を連れて実家に集まって賑やかだったな とか・・・。
 地元を離れて38年になるが、その間に起こったことを思い返してみると、自分の周りの環境も大きく変わったことや子供も大きくなった分だけ、自分も親も歳をとったことなど、普段は日常生活に追われ考えることさえもしないことが、この日は窓から見えるのがあまりにも “地元 丹後”にぴったしの景色だったのでこんな風に感じたのかもしれない。

 母のことは、この後 兄夫婦にバトンタッチすることになったが、まずは一日も早い母の回復を願うと同時に、年越しを病院でする母に対してなんだか申し訳ない気持ちになった年の瀬であった。
 今年もあと一日となったが、何とか無事に年末まで過ごせたことに感謝するとともに、新しい年も平穏な年となることを願って今年最後の綴りを終えることにする。
 
 みなさま この1年間 本当にありがとうございました。
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2018年12月23日

No607:もし、区切りがなかったら

 今年の仕事もあと一週間でお終いという時期になってきたが、この時期いつも今年やり残したことはないのか、今年中に完了しておかないといけないことが済んでいるのかと 「今年中」というキーワードで身の回りにあるいろいろなことを確認して回っている。 
 「もう、何もないよ」と言いたいところだが、実は、まだもう少し「今年中」に終えておかないといけないことが残っているというのが実情である。
 この「今年中」という縛りは、ある意味、すごく重圧がかかってきて気が重くなることも今まで何度もあったが、もし この「今年中」という縛りがなかったら、いろんなことがもっとズルズルと長引いていたのかもしれない。

 今年は、税務調査の当たり年であったのかどうかは知らないが、秋以降、税務調査が5件もあり、11月と12月に納税者(顧問先)や税務署とその解決に向けていろいろなやり取りをしたり、手を尽くした結果、そのうち2件は完了(うち、1件は追徴税額なし)、あと2件は何とか年内にキリがつく形で進んでいる。残りのあと1件は今年唯一の相続税の調査で、税務署側からの返答が遅く何かあるのかなと思って待っていたところ、つい数日前になってやっと税務署からの回答があり、大きな指摘項目もなく何とか終了できるメドがたった。ただ、残念ながら年内に完結というわけにはいかず、全てが終わるのは年明けの1月中旬頃になる予定である。
 上記のどの税務調査も納税者、税務署、そして税理士の3者に「今年中になんとか」という気持ちがなかったら、急がずダラダラと日数ばかりを費やしていたように思う。そういう意味で「今年中」にいう区切りは何事においても実はなくてはならないもののような気がする。
 我々の業界で一番忙しいのは個人の確定申告業務であるが、毎年その期限の3月15日が近づいてくると、「期限が3月末だったらいいのに」と思いながら仕事をしているが、もし、期限が3月末だったとしたら、その時は必ず、「期限が4月末だったらいいのに」と思ってしまうのだろう。
 まあ、人間というのはそれだけ自分に甘く、急ぎでなければ少しでも先延ばしになるというのが目に見えている。
 普段の仕事でも週の初めに「今週中に」という期限の仕事を月、火に済ませておけば楽になるのに、「今週中」というのは「金曜日が期限」と自分で勝手に決めてしまい、ついつい週の後半の仕事にしてしまっている。
 この区切りというのは、他にも、「今日帰るまでに」というのから始まり、「今週中」や「今月中」、中には仕事ではないが自分の人生の目標として、「○○代(私なら50代)のうちに」とか、いろいろな区切りによるプレッシャーを知らず知らずのうちにかけている
 ただ、人間誰しも ホッとしたり、楽しい時間というのはこの縛りのない時間を指すのであろうし、そういった時間にとらわれずに寝ていられる休日の朝やもうすぐやってくる正月を待ち遠しく感じるのは、やはり日頃 時間に縛られた生活を送っているからなのであろう。
 実はこういう時に頭を使うことがあっても日頃仕事をしている時とは違う部分を使っているような気がするし、だからこそ今までにない発想でいろいろなことが考えられる大切な時間ともいえるであろう。
 何とかこういう時間を大切にし、かつ、楽しむようにしたいなと思っている。
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2018年12月16日

No606:「あの人の力になってあげたい」と思わせる社長

 今から2年程前のことだが、非常に業績のよい京都府外の会社の経営者で私共の顧問先であるKさんから、京都市内に不動産を持ちたいのでいろいろと相談したり、物件を探してくれる仲介業者を紹介してほしいと依頼があった。
 私は今まで顧問先の方から、家を建てる土地を探してほしいとか、今住んでいるマンションを売りたい というような相談があった時に紹介していた□□社(大手ではない不動産業者)のT社長のことが真っ先に頭に浮かんだので冒頭で取り上げたKさんに紹介した。
 Kさんは仕事の関係上、日曜日しか京都に来れないが、この不動産屋のT社長は事前に物件情報を細かく調べ上げ、Kさんが京都に来られた日は、何ヶ所かの別件を丁寧に説明しながらいっしょに回ってくれたとのことであった。
 最終的には、このKさんは他の情報源から手に入れた物件情報をもとにマンション(京都の別宅)を購入されたので、親切に対応して下さったT社長の不動産屋の収益には何ら貢献せずに、京都の別邸購入という目的は達せられた形になった。
 ただ、その後もKさんは賃貸用マンションやハイツの購入など何度かT社長に個別で相談され、情報交換される関係は今なお続いているようであるが、KさんはこのT社長を通しての不動産の売り買いはいまだに一度も成立していないようである。

 先日、このKさんと本業の業績や決算について話をしているなかで、現在、所有している不動産物件の一つを1年以内に売却したいので、今の相場を調べて欲しいと依頼があった。
 私は、『今まで なかなか仲介成立には至ってないが、例のT社長に声をかけてみますね。』と言ったところ、Kさんは『是非とも、不動産屋のTさんにお願いしてみてください。何とかしてあの人を通して売りたいんですよ。あの人、本当に親切でめっちゃいい人でしょ。ああいう人と仕事ができ、何とか力になれたらとずっと思っているんですよ。』と、私に訴えてこられ、私は、『分かりました。』とだけ口にしてうなずいた。
 売れる人とそうでない人の違い、できる営業マンとそうでない人の違い、「あっ、これか!」 と私はこの時、“商売のコツ”のようなものを瞬時に感じとることができた。
 この話、Kさんとの些細な会話ではあるが、『めちゃいい人でしょ。・・・・何とか力になれたらと・・』 と この思い抱かせることこそ大切であり、この見えない力こそ、仕事をする上で最も必要とされるものなんだなと妙に納得してしまった。

 以前に、住宅メーカーでかなり上まで昇りつめていった大学時代の同級生と何年かぶりに食事をした時、これと同じような気持ちになったのを思い出した。
 確かに学生時代はいっしょにやんちゃなこともたくさんしたが、この久しぶりにあった時の食事の仕方や注文の仕方、そして支払いが終わって帰る時までの対応について、同級生ながらも最後まですごくいい印象を持ったまま別れたのを思い出した。
 できる奴(人)とは、また会いたくなり、そして いっしょに仕事をして、力になってあげたくなる人なんだな勝手に“できる奴”像を描いたりもしてみた。

 Kさんが社長に対して抱いた「あの人のために」 と思わせるまでになって初めて、その道の達人といえるのであろう。
 自分に何が足りなくて、どういったことが出過ぎているのかを考えさせられたというだけでも、意味のあった今回のKさんとの打合せであった。
posted by ヒロイ at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

No605:経営者に逃げ道はない

 今回は大そうなタイトルをつけてしまったが、タイトルのとおり経営者は全ての決断について自分で責任を負わなければならない ということが今回 伝えたい内容である。

 私共の顧問先である会社の経営者やクリニックの院長からは日々、相談を受け、それに対していろいろな角度からこちらでまとめ上げたものを提案をしているが、最後の最後は、経営者自身が一番いい方法を探りだし、そして前に進めていかなければならないと考えている。
 新型の機器を導入することも、新製品の開発に着手するかどうかも、売りに出た隣の土地を購入するかどうかも、また人員(従業員)を増やすことも減らすことも、過去の経験と目の前にあるデータ(資料)をもとに最終的に結論を出すのは、経営者以外 誰でもない。
 それは別の角度から捉えると、全責任は経営者にあるし、もし、経営判断を誤ってしまうと従業員や家族、それに取引先にも多大な迷惑や損害を与えてしまう。場合によっては多くの関係者を路頭に迷わせたりすることだってある。

 当方に持ちかけられる話で「コンサル会社を入れて経営の立て直しを図りたい」とか、「○○についてコンサルティングをしてもらって会社をいい方向へ導きたい」というような話を聞くことがあるし、我々 税理士からの話も参考にしながら判断を下されることもある。
 こういった時にうまくいっているケースとそうでないケースと明暗がはっきり分かれているように思う。
 その要因はそれを進めていく経営者の意思や姿勢であるが、「コンサルや税理士の意見も十二分に理解したし、自分で検証してみてもこれが正しいを思うので。」と思うのか、「コンサルや税理士が言っていたので、まあ間違いないやろ、とりあえずやってみよか。」と思うのかの違いであろう。
   そして、うまくいかなかった経営者の多くは、原因は自分にはなく、コンサルや税理士にあると言われる。

 今から10年以上前、ある勤務医の先生がクリニックを開業される時に融資を受ける予定の銀行の担当者から開業の動機を聞かれた時、その先生は「教授にも勧められたし、そろそろかなと思って」と返答されたが、その時の銀行の担当者は驚きながら「先生の強いご意志ではないんですか?」と聞き直していた。当時、私もこの銀行員と同様のことを思ったのを今でも覚えている。 二転三転した後、何とか融資は下りたが、この先生がいまだに安定経営に域まで達しないのは、やはり開業時のこの甘さ、気概のなさにも起因しているのではなかろうかと思ってしまう。

 コンサルや我々税理士の意見を参考にされながらも、自分でアレンジしたり、次なる展開まで模索されている経営者やドクターの会社やクリニックはみんないい方向に向かって進んでいる。
 そういった方を見ていると、経営とは考えて考えて、悩み抜いて、そして決まったらまっしぐらに突き進んでいく、まさしく“熟慮断行”が実践できるかどうかにかかっているように思う。
 よく、「経営者は孤独」という言葉を耳にすることもあるが、周りに助けてくれる従業員も家族もたくさんいるし、実は誰よりも多くの人に守られているのが経営者である。孤独と思わないことこそが いい方向へ進む秘訣では と個人的にはそんな勝手な捉え方もしている。
 
 今年もあと3週間。12月28日の事務所の忘年会でおいしいお酒が飲めることを楽しみにしながら、体調を崩さずに年末まで何とか乗り切っていきたいと思っている。
 寒くなってきましたが、皆様もくれぐれも体調には気を遣いながら年末を乗り切っていってください。
 では、今日はこの辺で。今から年賀状の準備に取り掛からないといけないので・・。
posted by ヒロイ at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

No604:人生の終わり方

 妙なタイトルで申し訳ありません。
 なぜ、急にこんなことを書こうかと思ったのかというと、ここしばらく相続関連の仕事をする機会が多く、所得税や法人税とはまた違った仕事の関わり方の中で、自分自身も人生についていろいろと考えさせられることもあり、最近思っていることを綴ってみることにした。
 
 最近、人生の終い方を考えましょう とか言って「エンディングノート」や「自分ノート」という自分が最期を迎えた時や子供に伝えたいことをまとめ上げる、そんなものが出回ったり、こういったものの書き方のセミナーまで開かれている。
 確かに、自分の老後や認知症になった後のこと、そして死に際について語れるのはある程度元気で判断能力のある60〜70代の人であろうし、最近、よく話題になっている“終活”というのも同年代の人が主流のようである。
 たまに50台後半から“終活”を始めていると自慢げに言っている人をテレビや雑誌で見かけるが、がんや白血病で余命〇年と言われている人ならいざ知らず、まだまだ元気盛りの人が“終活”なんて、私の個人的な意見では、「おたく、まだまだ早すぎますよ、その前に子育てや親の介護も含め、自分の日々の生活をもっと充実させる方が大事ですよ。そんなことを考えている場合じゃないでしょ。」とお節介を焼きたくなってしまう。

 実際、60代、70代、いや80代の人が、エンディングノートを書いたってなかなか思いどおりにはなりませんよね、というのが私の本音である。

 実際、私の父は86歳まで生きてたけど、ある日、昼ごはんと共に大好きなお酒を少し飲んだ後、自分の部屋で昼寝をしていて、母が午後3時頃、「お茶にしようか」と起こしに行ったところ息をしていなかったというそんな最期だったし、母は母でその後独り暮らしになってから、私が月に1、2回訪ねて行ったときは機嫌よくしていたが、いつからか認知が進み、段々 私とまともな会話ができなくなっていってしまった。
 こんなことを考えると、歳をとった本人は当然のことながら、その周りにいる家族、特に子供は親が元気なうちにどれだけのことをしてあげられるかを考えて接したり、寄り添うことが親孝行なのであろう。
 自分自身は、子育てや仕事で忙しい時期ではあったが、もっと親と話をしとけばよかったと思ったし、親の方こそもう少し息子との時間を持ちたかったのだろうなと思ってしまう。

 今、目の前にある見本でいただいた「自分ノート」を開いてみると、そこに掲げてある質問事項は、

@ 思い出の歌や好きな歌手
A 得意な料理や思い出の一品
B 若い時のあなた(自分)を振り返って書きましょう・・幼い頃のこと、学校のこと、懐かしい旅行 など

 こんなことを書くことは後生に受け継ぐためではなく、自分自身が人生を振り返るためのノートであり、自分の人生を納得できるものであったと思うために書くノートなのであろう。
 相続の仕事をしていると、ついつい残された人の意見でいろいろなことが決まったり、財産についても揉めたりして、亡くなった人の意向が尊重されないケースも多々あり、むなしく思えることだってある。
 良い死に方に誰しも憧れるが、そのためには今をしっかり生きることこそが、それに近づくのかなと何だか宗教家のような考えに行き着いてしまう。
 人間、生まれてくることは本人で選択できないと言われているが、死ぬ時も思うどおりにならない。そういう意味において、人生って誰が決めるんだろう なんて考えて 答えを見つけ出せないまま今日の話を終わりとする。

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2018年11月25日

No603:歴史を重んじる気持ちもプライドもない市の名称変更

 今回の話は(元)地図マニアの廣井が普段から不思議に思ったり、あきれかえっていることをただ単にぶちまけるだけの内容なので、地図や地名に興味のない人にとってはつまらない話だと思うので、興味のある人だけこの後も続けて読んでください。

 先日、兵庫県の篠山市が住民投票の結果「丹波篠山市」に変わることになったことはご存じだと思うが、篠山だけでは知名度が上がらず、やはり「丹波」とつけることによって、栗や黒豆の売上も伸びるだろうし、多くの人にいち早く認知してもらえるようにというのが変更の理由のようである。
 
 今回の件もそうであるが、私のような地図マニアの気持ちを一気に醒めさせたのが、2005年前後に全国各地で起こった平成の大合併である。この時はどこでもここでも市町村が合併し、新しい市、しかも縁もゆかりもない市の名前がついた あの騒動のことである。
 社会科、特に地理が好きだった小学生の頃から必死になって覚えた地名はたくさん変わっていき、県庁所在地の浦和市までもさいたま市なんていう味気ない名前になってしまった。随分前、ここでも取り上げた記憶があるが、清水の次郎長やサッカーJ1の清水エスパルス、そして先日亡くなった ちびまるこの原作者 さくらももこさんの出身地としても有名な清水市まで静岡市に飲み込まれなくなってしまった。
 昭和の時代の合併はそれなりに意味もあり、名称も納得いくものが多かった。
 例えば3つの広島市の話。かつて広島から北海道へ移住してきた人たちが住み着いた札幌の隣町が発展していき北にある広島として北広島市と名付けられたが、今や札幌のベットタウンとなり、北海道日本ハムファイターズも2023年に本拠地を札幌市から北広島市に建設中の球場に移すことが決定している。また、東広島市は名前のとおり広島市の東隣の存在するがこちらは今回の合併劇とは違い、1974年(昭和49年)に広島市の近くで、本家の広島市に何とか負けないようにとできた市である。

 平成の合併時の“名づけ”はここまで深く考えずにつけているようにも思える。2006年に名古屋市の北に位置する市町村が合併してできた市が北名古屋市で何とも味気ないが、名古屋の近くということだけはアピールできるという思いだろうか。私はどう考えても名古屋のおまけとしか思えないが・・・(北名古屋市の人 すみません)。

 冒頭の篠山市から丹波篠山市への市の名称変更もそこまでにして有名になりたいのか、名を売りたいのか と思ってしまう。この住民投票、私なら変更反対の1票を投じただろうな。だって、“篠山(ささやま)”の方が味があると思いませんか?  
 
 その他にも、個人的にセンスなさすぎと思える市を掲げてみると、
 群馬県にあるみどり市や栃木県のさくら市。合併騒動の中で誕生したさくら市であるが、さくら市の名前の由来を調べてみると「桜の花のように美しい市になって欲しい」と何とも単純。重みや歴史のひとかけらもない感じがする。
 それ以外でセンスがないと思っていたのが、四国の真ん中の市町村が合併してできた四国中央市(愛媛県)。この市は、四国の他の3県(香川県、徳島県、高知県)と接しており、四国の真ん中に位置しているらしい。
 九州の南にある市として「南九州市(鹿児島県)」なんていうのもできていてびっくりしたが、この市の人口はなんと3万人台。以前から門司、小倉、八幡を要する北九州市の人口は90万人以上。この北九州市と南九州市のアンバランスさが何とも滑稽に思えてくる。
 元々の市町村の名前には全く関係なくとも、聞いてあの辺りかと分かることを狙ったと思える 伊豆の国市、南アルプス市、そして和歌山県の紀の川市くらいまでなら個人的には許せるかなという感じである。
 
 今回は篠山の名称変更に端を発し、いろいろと勉強させてもらった。篠山市さん ありがとう。
 たわいもない話に最後までお付き合いしてくださった人が何人いるかはわからないが、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

No602:ズバッとものを言ってくれる人

 先日、ある金融機関と税理士との懇談会があった。
 この会は私が所属する近畿税理士会上京支部だけのもので、しかも、任意加入の懇談会なので、人数も全会員で50名超、当日の出席者も30〜40名前後と少人数の集まりであった。
 私は、この会の役員になっているので この日は研修会の後の懇親会では司会を仰せつかっていた。
 実は前日はかなり遅くまで仕事をしていたし、当日も夕方のこの研修会の前までは、とある医療法人の税務調査に立ち合っていたので、懇親会が始まるころには連日の疲れが一気に出てきて、今一つすぐれない体調のまま司会としての任務を果たそうとしていた。

 こんな中で、私は司会として犯してはならないミスを短い時間の間で2回もしてしまった。それは来賓の方の名前の読み方を間違ったのと、途中で楽器演奏する方を紹介をしないといけないのに時間が少し過ぎるまでうっかりしていて、ホテルの方に「そろそろですね」と声を掛けていただいてやっと行動に移したという失態である。この時、もし声をかけていただかなかったら、どうなっていたんだろうと後から考えるとまずかったなという思いでいっぱいだった。

 一応、テーブルには自分の席が確保されていたので、司会としての役割が何もないときにはその席で料理をいただいたり、つがれたビールで喉を潤していたが、同じテーブルだった知り合いの税理士や銀行の支店長の方は、『司会って大変ですね、ちょっと一杯飲んで一息ついてください。』とか、決して慣れているわけでもない私に対して『慣れておられるので緊張されることもないでしょう。』とか、私に気をつかっていろいろと話しかけられてきた。
 そうこうしているうちに、懇親会はお開きとなりホッとしながら会場から玄関の方へ歩いていると、同年代でよく知っている女性のM税理士から、『廣井先生、今日はズタズタでしたね、結構ね。今日の司会はちょっとね・・。』と私に本音でズバッと今日の司会の出来がいまいちだったことを口にしながら私を追い抜いて足早に帰っていかれた。
 今日の司会は自分でも今一つの出来だなと思っていたが、それを口にしていってくれたのはM税理士だけであった。
 確かに自己採点してみても、60点を下回るようなできであったにもかかわらず、誰もそのことには触れられなかったが、出席者の多くが同じような感想を持っていたんだろうなと思った。
 本当にこの忠告(感想)を言ってくれなかったら自分でも反省する機会さえ失っていたかもしれない。
 この日は重い気分で家路についたが、ある大役をこなすときは、最低限の体調管理と事前準備は必要だなと思ったし、それができないようであれば社会人として失格だな と本当に情けない気分になった。
 こういう気付きを与えてくれたM税理士に今度会った時は、『M先生だけや、先日のまずい司会について本音でいってくれたのは』とお礼を言っておこうと思った。
 褒めてもらえるのもうれしいが、こうして本音で話をしてくれる人が自分の周りに何人いるかで自分の成長も変わってくるんだろうなと そんなことも考えさせられた日でもあった。
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2018年11月11日

No601:身近にいる目標とする経営者

 事務所の顧問先の決算作業は原案を作成する者、その後それをチェックする者(当事務所では検算担当者とよんでいる)と最低2人が書類に目を通すことになっている。もちろん私もこの検算担当者になることもあるし、作成(担当)者とその上司の2人で仕上げたものが私のところにまわってくる場合もある。 いずれにしても私は外部に出る書類は全て目を通す仕組みになっている。
 数多くある書類の中で、個人事業の確定申告や法人の決算の書類を見ていると、各会社の経営者や開業医の院長の考えがその決算の数字の中に潜んでいると感じることがある。
 経費をとことん抑え節約する人、結構派手に経費の使う人、従業員に手厚くする人、必要なものとそうでないものをよく吟味してから資金を投入する人、自分が欲しいものを手に入れるために仕事をしてる人、目先のことだけ考えて行動する人、5年先10年先のことを見据えて行動する人、例をあげたらきりがないが、決算書の数字や中身はそれくらい経営者の頭の中にある考え方を反映している。
 実は何年もこの仕事をしていると、会社名や個人名を隠しておいてもその決算書がどこのものか分かるくらい・・というのは少々大げさかもしれないが、決算というのはある意味、経営者の顔といっても過言ではないのかもしれない。

 今日、ここで言いたいのはここまでのことではなく、これだけ経営者の方と接して、しかも経営方針やお金の使い方を見ていると、こんな経営者になりたいなと思えるような人がいるということである。つまり、見本となる経営者をすぐ探せるというのは、税理士の特権なのかもしれない。
 週末にある医療法人の決算書をチェックしていると、その医療法人は医療機器や人など、いわゆる お金を稼ぎだすものにはしっかりと資金を投入し、見栄を張ったり、無駄と言えるような支出はどこを探して見当たらない。そして役員報酬はしっかり確保して、個人の貯えも残しておられる。
 では、この院長は何が違うのかということであるが、自分はまずは医療人で患者の病気を治すのが自分の使命であると常に思って診療されている。スタッフ数も総勢20人近い人を雇っておられるが、誰がどんな仕事をしているのかを全て把握されていて、どんな仕事でも代わってできるそうである。実際、自宅が併設されているので休日に急患があると奥様と二人だけで診察から会計まで何なくこなされるとのこと。
 こんな先生なので、患者は一日〇〇人と平均的な開業医の2〜3倍の患者数である。 週一回の休診日には開業前に勤務されていた病院で働かれているが、これは自分の腕の衰えを防いだり、医療技術の進歩から後れを取らないようにするためらしい。
 あと、事務所がお願いしたことに対する回答や書類準備もピカ一に早いし、決算時の棚卸や未収金チェック、そして毎月の給与計算もこちらから催促することなく、すぐに送ってこられる。
 じっくり考えることは考えた上で、決まったことには迷わずまっしぐら、つまり“熟慮断行”を地でいくような先生である。
 私自身、この先生のようなまねはできないが、この先生を見ていると自分はまだまだ足りないとこだらけだなと反省させられると同時に、少しでもこの目標に近づきたいと駆り立てられものがある。

 人間、刺激を受けることは大事だなと思うということで、今日の話を締めさせていただくことにする。
posted by ヒロイ at 22:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする