2020年01月26日

No665:24時間営業の店が減っていく世の中って・・?

 先日ファミリーレストランのすかいらーくが「24時間営業を廃止する」という記事を見て、驚きよりも、「当然では」 と妙に納得してしまった。
 家から車で5分程の所にもロイヤルホストとフォルクスがあるが、ロイヤルホストは24:00、フォルクスは24:30 が終了時間との表示があり、今は夜中はやっていないんだと思ってみていたが、確かに平日は夜10時以降になると停まっている車も少なく、ガラス越しに見える店内のお客さんもまばらというか、1、2組だけではいう日も結構ある。
 何かのデータに基づいて言うわけではないが、この状況は時代とともに変わってきているように思う。
 というのは今から20〜30年前はいろいろな業種において深夜営業は当たり前であったし、そもそも京都の街自体に今以上に活気があり、今のように外国人でごった返すのではなく、どこへ行っても若い人、特に学生がもっと街中に溢れていたように思う。
 当時も今と同様 学生バイトは盛んであったし、生活のためにバイトする学生もいたが、中には遊びのお金欲しさにバイトする人も結構いて、パチンコ、麻雀、ビリヤード、そしてボウリングに映画という遊ぶ所には多くの若い人の姿があった。
 左京区の高野(現在の洛北カナート・・年末から洛北阪急スクエアに変更)にはスケート場もあり、大学時代には日曜日に岩倉グランドで練習が終わった後、「ちょっと滑りに行こか」といって下手なスケートをしに行ったこともあったし、横でボウリングをして帰ったことであった。
 その当時と違って、今は若年人口が減ったこと、つまり少子化の影響もあって当然のことであるが、私の若い頃と違って“暇があれば遊んでいる”若い人たちは確実に減ってきているように思う。みんな部屋にこもってゲームしているからなのかな?
 そういう流れの中で夏の一時期を除いては、夜 特に夜中まで遊ぶ若者の姿はほとんど見かけなくなり、それ以外の季節は10数年以上も前から“引き(帰り)”が早いなと感じていた。
 コンビニの年中無休と24時間営業への問題提議に端を発した、サービス業の営業時間の見直しはますます拍車がかかるのは当然の帰結であろう。
 学生時代は遊び疲れてお腹がすくと夜中にコンビニや牛丼屋に数人で真夜中の腹ごしらえに行ったことが今や遠い過去のことであり、今の時代には受け入れられにくい行動なんだろうなと思う。
 ただ、よく考えてみると人出(労働者)不足や採算面で悪化傾向にある店も多くなってきており、今や店が客に合わすだけの体力は店側にはなく、客が店に合わせて行動する時代に入ってきているように思う。
 家の近くに人気のそば屋(よしむら北山楼)があり、休日の夜たまに食べに行くが、ここは21時で店が閉まるので、これに合わせて行動せざるおえないし、遅くまで開いてる店でないので、客である我々が店の営業時間に合わせることで より計画的に行動するようになり、今まで以上に時間も効率的に使うようになる。

 今の時代の人からは想像できないかもしれないが、我々が社会に出て数年後、平成が始まった頃は、栄養ドリンクのコマーシャルも過酷なものが多く、「5時から男のグロンサン」とか「24時間戦えますか(リゲイン)」なんていう、今の時代なら、一発で アウト! になってしまいそうなキャッチコピーが受けた時代でもあった。

 働き方改革の波が時代を引っ張っていっているような現代社会においては、ある意味 「早寝早起きで時間を有意義に使う」というのが一番ぴったしのようにも思う。
 これからは我々も経験したことのないような少子化、そして、人口減少へと向かっており、客だけでなく労働者(働き手)の不足も予測される中、事業を継続するにはこの両方の確保が不可欠という、非常に難しい時代に突入している。
 経営者はこのことを認識し、素早くそれに対応できた企業・事業所だけが残っていくことができるような気がする。
 本当に厳しい時代に生きなければならない中で、高度成長期に生きてきた親世代を羨ましく思うと同時に、我々の子供たちの時代にはいったい日本はどうなっているのか想像さえもできないほど、時代の流れは速く、世の中を取り囲む状況がどう変わっていくのかもわからない。
 私自身、少し大げさかもしれないが、これからは「先手必勝」が打って出れる事業所だけが残れるのではと思い始めている。

 何気なく書き出したが、休日の真昼間にしては結構重い話になってしまいました。
 では、いい休日の午後をお過ごしください。
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2020年01月19日

No664: 締まりのない冬

 今年は超がつくくらい暖冬で非常に暮らしやすい冬である。
 私は何とも“締まりのない冬”だなと思っているが、この“締まりのない”というの言葉からは、まず“締まりのない体(からだ)”というぶよぶよな体形を想像してしまう。
 つまり、引き締まるところが引き締まっていなくて、全体的にだら〜とした感じで、太り気味っていう そういう体型である。
 今年の暖冬とぶよぶよな体形を結びつける私もどうかと思うが、要は寒くならないといけない時期にはやはり寒くならないと人間に緊張感がなくなりピリッとしないということである。
 私自身 決して寝不足ではないはずだが、例年以上にあくびの回数が多く、昨日も夕方にカミさんと犬の散歩をしている途中に私が何度もあくびをするので、「そんな眠いんやったら、わざわざ散歩にこんでもいいのに。家に帰って寝といたら。も〜、あくびばっかしして。」と言われる始末である。

 冬の寒さは雪国育ちの私にとっては人以上に敏感であるし、子供の頃は今ほど十分な暖房設備が整っていなかったので、冬は早めのお風呂に入った後は、掘りごたつに体ごとすっぽり入り、寝るまでの間に体を冷やさないようにし、寝る時間になるとそのまま あんか(こたつ)の入った布団に潜り込むようにして眠ったものである。
そんな寒い夜の翌朝は必ずと言っていいほど外が銀世界で、父が早くから起きて通学路の確保のために雪かきをしてくれたものである。
*ちなみに私の実家の方では「雪かき」とは言わずに、「雪すかし」と言っていた。


 話が横道にそれた感はあるが、この凍てつくような寒さの中でいかに生きていくのか、どのようにして寒さを乗り切るのか それは大人だけでなく子供にも年齢に応じた冬対策、雪対策というのがあり、いろいろと頭をひねったものである。
*思い出話:雪の中で遊んで中まで濡れた靴を掘りごたつの中に入れておくと数時間後にはパリパリになるくらい乾いていた。これって雪国の人、しかも50歳以上?の人以外は何のことやらって思うだろうけど。すみません、余談でした。
 その後、高校卒業後に京都市内に出てきてからは大雪にあうこともほとんどなくなったが、それでも、冬になると寒さ対策を毎年いろいろと考えながら生活している。
 厚手の下着やコートなど防寒用の服装をはじめ、雪の多い方面に仕事で出向く日の前日には、いつもより入念に天気予報や高速道路の状態をチェックするなど、冬ならではの準備というものがある。
 それが今年はほんとに冬なのかと思う日が続き、今日も午前中に気分転換を兼ねて事務所の近くにある京都御所を散歩していると、まるで秋のようでコートこそ手放せないが、昼前まで1時間以上歩いているとマフラーが邪魔に感じてしまうほどの天気であった。
 冬は冬らしく、夏は夏らしいのは人間にとっては一種の苦痛かもしれないし、それが極寒であったり、猛暑であったりすればなおさらであるのだろうが、そういった時期があるからこそ、穏やかな春や秋が待ち遠しく、春と秋がより一層いい季節であると実感できるのだと思う。
 私は決して寒い冬を望んでいるわけではないが、今年のように異常ともいえる暖冬では、ついついもう少しピリッとするような冬であってもいいのではと思ってしまうし、もしかするとその方が緊張感が高まり日々何かとことが進むのかもしれない。
 ただ、本当に寒くなると「何とかしてこの寒さ」と思うのあろうが・・。
 
 今日は暖冬に関してもよもやま話につき合っていただきありがとうございました。
 *1月23日(木)の予想最高気温はなんと15℃です。
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2020年01月12日

No663:人を助けることもしづらい世の中

 私自身が人に対して優しくしたり、親切にしたりする気持ちを他の人以上に強く持っているかと問われると、正直、首をかしげざるを得ないというか、まあ人並みというのが正直なところであろう。
 これからする話はこんな私が偉そうなことを言えた立場ではないのはわかっているが、普段、考えていることやなぜ?と思っていることを綴ってみる。

   先日、2018年 新幹線の車内で刺されるのを止めに入った人が刺殺された事件の初公判があり、犯人に無期懲役が言い渡されたのを新聞で読んで、何で赤の他人が殺されなければならないのか、さらに軽傷だったとはいえ、その場で刺された2人の女性が刺されないといけない何かがあったのか? もちろん何もあろうはずがない。
  人のためにとった行動ということをあらためて考えてみると、これほど痛ましい事件に至らなくとも、電車で足を組んでいる人に注意したら後をつけられたとか、道いっぱいに広がって歩いている学生に「道 あけて」と声をかけると睨みつけられたとか、日常的に怖くてやばい話はいくらでもある。
  先日もタバコを吸いながら歩いている人が赤信号で立ち止まった時に タバコを手でつまんで側溝に捨てていたので、「それはないやろ」と思ったが、ややこしそうな雰囲気のおっさんだったので見て見ぬふりをしてしまった。
  ちょっと睨まれるくらいならまだしも、追いかけられたり、あげくの果てには刺されるようなことがあってはと 注意したり、止めに入ったりすることすらできないのが今の世の中である。

 いつからこんな世の中になったのか、私が子供の頃なんかはちょっとしたいたずらしようものなら、他人のこどもであっても怒鳴りつけるおじいさんが近所にいたが、別にそのおじいさんのことを懲らしめようとか思ったことは一度もなかった。学校の帰り道に塀によじ登って、他人様の柿をとって食べようとして怒鳴られたのだが、このおじいさんは考えてみるともう40年程前に亡くなっているが、今でも「こらっ」と怒鳴りつけている時の顔が頭に浮かんでくる。別に憎んでもいないし。

 上で述べたこととは少し種類の異なる話であるが、先日 名城大学の学生が准教授を刺した事件も、レポートの提出が期限に間に合わないことを謝罪しに准教授を訪ねたが、単位をあげないと言われ腹が立って刺したらしい。逮捕後に「単位がもらえないなら刺そうと考えた」と言っているのを見て、物事には最低限のルールがあり、そのルールを守らなければだめな事だって当然あるし、その後の処罰(この場合には留年?)が嫌なので何とか期日内に提出するように徹夜してでもするというのが世の道理というものであろう。ただ、この“世の道理”というのが通用しないのが現代社会でもある。
 学生時代に“明日が期限”というのを何度乗り越えてきたことか。自慢できる話ではないが・・。
 大学に限らず、中学、高校の先生もこんなことが日常的に起こるようになれば、まさに命がけの職業と言わざるを得ない。
  本当に今の世の中、いつからこんな風になったのか、憂いても仕方ないのか?私の考え方が古いのか?

 休日にこんな重苦しい話で終わるのもどうかと思うので、最後に身近で起こったちょっとうれしくなる話を一つ。
 先週、事務所の者がタクシーから降りるときに料金を支払った後、急いで降りたので座席に財布を落としたが、そのタクシーが個人タクシーで領収証ももらわなかったので、会社名もわからずお手上げ状態であった。しかし、届け出ていた警察から2日後に見つかったと連絡があった。免許証も保険証も鍵もそのままの状態で。
 私も今回だけは出てこないのではと思って見聞きしていたが、きちっと本人のところへ戻ってきたのを見ていると、人間ってまだまだ捨てたもんじゃないな とちょっとだけ明るい気持ちになった。
 私の事務所の者で財布を落としたのは、ここ2、3年で今回も含め3人目であるが、3人とも無傷で本人の所へ戻ってきている。
 これって運がいいのか、世間の人がいいのか? 
 ただ、どちらにしても落としすぎやけどね、うちのメンバーは。
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2020年01月05日

No662:東京からやってきた3人と過ごしたお正月

 お正月も終わり いよいよ新しい年も始動というところかと思いますが、みなさまのお正月はいかがでしたか。
 私共の顧問先はクリニックが多く 1月4日の土曜日から診療を開始されているところも結構あると聞いているいるので、既に新年最初の業務のスタートを切られている方もあるでしょう。
 毎年、なぜ、年末年始にこれだけ人が移動するのか? と思いながらテレビに映るUターンラッシュを見ているが、その映像は「大変そう」と思わずにはいられないような混雑ぶをりで、こういった中を実は我が家の長男夫婦と次男が東京から来て、そして東京へと帰っていった。
 長男は年末には奥さんのお母さんの実家がある新潟へ、そして年始は京都へ そして仕事が始まるからと昨日に東京へ帰って行ったが、実家が遠くにあるというのは、そうでない人にとっては「楽しそう」と見えたり、中には「羨ましい」という声を聞いたこともあるが、帰省する側も若いうちはいいが年々歳をとってくると この年中行事も大変になってくるのだろうなと帰省を強制されない自分自身の身軽さに今となってはホッとしているというのが正直なところである。
 ただ、自分が親となり迎える側になってみると年に1、2度しか会う機会がないので、会いたいという気持ちが出てくるのも正直なところである。
 私は独身の頃はそれほど実家には帰らなかったが、結婚した後は 親が「いつ帰ってくるんだ?」と12月の半ばになるとよく電話をかけてきていたが、今となっては子供の帰りを待つ親の気持ちが分かってきたような気もする。
 私自身の年末年始は宝くじに当たることもなく(買ってもいないのにあたるはずもないが)、例年どうり年賀状に目を通したり、家から歩いて行ける松ヶ崎大黒天に初詣に行ったくらいで東京から来た3人とのゆっくりとした時間を過ごした。

 不思議なものでなぜか3人とも京都で必ず行きたがるのがラーメン屋さんで、長男夫婦は2泊した滞在中には行く機会がなかったようだが、最後の締めとして新幹線に乗る前に腹ごしらえということで京都駅付近でラーメンを食べて、大混雑の新幹線の自由席に乗り込んで行ったらしい。
 あと、長男夫婦は奥さんが京都での正月は初めてのようで、八坂神社への初詣の後、奥さんが登ったことのない京都タワーに行こうということになったらしく、八坂神社から京都タワーまでフラブラ歩いて行ったことを聞いて少したまげていた。
 次男も年末に京都に戻ってきたときから、「ラーメン食べとかんと」と言っていたので京都で滞在している間に2回も私がつき合って食べに行った。その内 1回は二人とも大好きな「しもがも担々麺」であった。
 子供たちは3人とも仕事をしているのでなかなかいっしょに会う機会もないし、今回もそれぞれいろいろと予定があって、京都の自宅にいる3人を含め6人揃って食事に行く機会は一度もなかったし、次男は4日と5日は東京の友達との予定があると言って、長男と入れ替わるように1月3日の朝早く帰って行った。

 こんなお正月であったが、東京から3人が我が家にやってきて、「お久しぶり」とぽぽたん(我が家のワンちゃん)の相手をするのはいいが、実は人間に愛想をふりまくぽぽたんが一番疲れたようで、東京組が帰った後は時間構わず気がつけば眠っていた。
 
 ある意味 平凡なお正月であったが、年末に温泉に行った以外はバタバタせずにほとんどの時間を自宅で過ごせたお正月は英気を養うのにはちょうどよかったのかもしれない。

 我々の業界はこれから2ヶ月半ほど超繁忙期を迎えるが、体調を整え過ごしていきたいと思っている。
 あらためて 残りの稼働日数が少ない1月のスケジュールに目をやると 例年のことではあるが厳しそうな現実が迫ってきていることをじわじわと感じてしまう休暇最終日の夜である。
 明日の朝は起きるのつらいやろな。
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2020年01月01日

No661:謹賀新年

 あけましておめでとうございます

 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートを切らせていただきます。
 以下、事務所の年賀状より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
謹賀新年  
 旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます
 今や人生100年時代と言われつつある中、自分自身が現在 人生の中でどの時点に立っていて、人生はあと何年残されているのかというのは誰しも予測がつくものではありません。
 そんな状況で自分が今何歳であったとしても「もう〇〇歳だから・・」と考えるのは自ら前進することを妨げ、成長の芽を摘んでいるようなものです。
 逆に「まだ五合目だから・・」とか「まだ いける」のように「まだ」という言葉には未来に向けての可能性を含んでいます。
 そんなことを考えている時に目に飛び込んできたのが、84歳の現役プログラマーである若宮正子さんの次の言葉です。

『人生にもう遅いはない』

 この言葉は自分がいくつであろうとも まだ何かができるのでは と期待を抱かせてくれます。
 私自身はもとより事務所のメンバーもこの一年間 「もう・・」ではなく、「まだ・・」という気概を持って何事にもチャレンジし、皆様とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

 令和2年 元旦 

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
       廣井増生
URL:http://www.tax-hiroi.com  Tel:075-406-7020 Fax:075-406-7025
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2019年12月23日

No660:社員の正当な評価ができる経営者

賞与の時期になると顧問先の社長や院長から、「この冬、他のところはどれくらい賞与を払っておられますか? 例年と比べてどうです?」、「よく 世間相場っていう言葉が使われるけど、世間相場って基本給や毎月の給与の何ヶ月分?」、「今期、過去最高の利益になりそうだだけど、例年と比べてどれくらいアップすればいいんだろう?」、逆に「業績がここ数年低迷してるけど、賞与って削れるの」と 他の会社やクリニックという周りの同業者と比較しての結果を教えて欲しと という相談が非常に多い。
 他と比較するのは自分のところは出し過ぎなのか あるいは 見劣りするのか等 経営者は常に他と比較するという手法で、賞与や昇給の額を模索・検討したいという気持ちの表れであろう。

 ここまではよくある話で質問があっても気にならないないが、聞いていてそれちょっと問題あるで?とか その判断や決定って大丈夫? と思うような相談もたびたびある。
 もう少し具体的にいうと、「〇〇君、最近がんばってくれてるんで今度のボーナス うんとはずもうと思うんだけど いいかな?」とか、「〇〇さん、最近ミスしたんで賞与をカットするつもりだけど・・。」というような個別・個人的な評価についての相談もある。しかし、これって実際いっしょに仕事をしているわけではないので評価のしようがないというのが本当のところである。
 上記の二つの事例で問題だと思うのは、“最近”という何とも気になるキーワードが使われているという点である。
 賞与や昇給というのは、“最近”がんばったから上がるのではなく、恒常的、安定的に能力があアップしたという点に着目して決定すべきものである。
 歩合給とか出来高制であれば数字で結果が表れるのでその数字のまま評価をすればいいのだが、こういった数的根拠もなく、目の前に事だけで評価するということは、決して正当な評価とはいえず、かなり偏った評価になっている事例を目にすることもあり、経営者としては問題ありと言わざるを得ない。
 ただ、半年とか一年という一定の期間の評価ではなく、目の前のここ数ヶ月間だけのことだけで評価してしまう経営者や院長は現実としては結構ある。  
 経営者がこんな評価姿勢であれば、“最近”いい事をした人は賞与が増え、“最近”経営者の気に障ることの原因をつくった人は賞与が下がるという とんでもなくいびつな、“最近”の動きだけでの評価が決まることになる。賞与や昇給の評価というのはもう少し長いスパンで人物を評価し、それを金額に反映させるものであると思うのだが。つまり、賞与や昇給の直前だけでの評価は正当な評価とはいえない場合が多いであろう。
 たまに聞くが、賞与の前や昇給の時期になると急に張りきりだしたり、今までしなかった仕事を急にやりだしたり、目前に迫った賞与を獲得するために経営者(院長)のお気に入りになろうとする、そういった はたで見ていてなんとも不思議と思う光景はいく度となく見たり聞いたりしたことがある。みなさまもお分かりであろうがこんなのはまさに最悪のパターンである。

 決して私も人のことを偉そうに言える経営者でないが、経営者である以上はこういった悪い事例も頭に入れながら、社員を正当に評価する能力を磨きたいものである。
 時には自分にとって心地よくない気持ちにさせることがあっても、それが顧問先のためであったり、自社を成長させるために不可欠のことであればそういった意見にも耳を傾けるだけの度量が必要である。
 経営者の中でも小規模の会社やクリニックの経営者は“自分にとって”という観点だけでなく、得意先(患者様)や従業員のためにという視点に立って物事を考えられるかどうかがいい経営者とそうでない経営者の差であるように思う。
 私は職業的にいろいろな経営者を見ることができるという点で、こういったことを自分のところに当てはめながら事務所の運営ができる非常にいいポジションンに立ちながら仕事ができている。
 「決して自分にとって心地の良いことだけで判断しないように・・・。」ということを肝に銘じながら。
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2019年12月15日

No659:箱根駅伝に出れない山梨学院には特別の思いがある

 箱根駅伝がお正月の風物詩となって久しいが、年明けの1月2、3日に行われる今回の箱根駅伝で少し寂しいことがある。
 とはいっても今回の話題は箱根駅伝だけでなく、古くからの陸上競技関係者しか興味を引く話ではないので、関心のある方のみお付き合いいただければと思っている。

 40年程前は箱根駅伝がまだテレビで放映されておらず、早稲田の瀬古利彦の快走を当時高校生(大学生?)だった私は自分の部屋のラジオで聞いていたという 長きにわたる箱根ファンであるが、その私が今年はぽかんと穴の開いた気持ちになってしまっている。今日はそのことについて綴ってみることにするが、今の時点ではいったい何の話? と思われている方もあるだろう。

 それは33回連続出場を続けていた山梨学院大が予選会で17位(10位までが本戦に出場)となり、お正月の本番に出場できなくなったということである。
 この山梨学院大というのは、今や多くの大学が受け入れている外国人ランナーを早くから(もしかすると第1号かも?)受け入れ、無名であった大学が箱根で戦えるチームとなり、一躍有名になったことでも知られている。
 実はこの山梨学院駅伝チームを強くした最大の功労者は今なお指揮をとり続けている上田誠仁監督である(今年、駅伝監督のみ交代されたが、現在もなお総監督である)。
 上田監督は、私より4つ上で、高校の時は尽誠学園(香川県)でインターハイ、国体、そして高校駅伝に出場して活躍したが、身長が低かったために当時 大学での活躍に疑問視する声もあった。ただ、順天堂大学へ入学した後は並々ならぬ努力の結果、学生陸上界を引っ張るまでの選手になり、そして当時、箱根駅伝でも華々しい活躍を見せたのである。
 この上田選手は大学卒業後は、確か地元 香川県の高校教師をしていたが、20代半ばでこの山梨学院大の陸上部の監督に就任している。
 就任の経緯は知らないが、山梨学院といえば、当時は「聞いたこともない大学」であり、当時大学で陸上をしていた私も 「一体、上田は何がしたいんやろ、わけわからん、あれだけ有名な奴が」と思ったのを記憶している。
 その後、情熱あふれる指導のもと、就任3年目で山梨学院大を箱根駅伝初出場へ導き、後には3回の優勝も成し遂げている。
 しかし、ここ数年は早稲田をはじめ東京の名の通った青山学院、明治や強豪と呼ばれる東洋、駒澤、東海などに選手が流れ、10位以内のシード権を獲得することすらできず、やっとの思いで予選会を勝ち抜き、33回連続で本選出場を果たしてきていた。
 それが今回予選会が突破できず、お正月の箱根駅伝へ出場することができなくなった。
 これはかなりの陸上通しかわからないであろうが、伴走車から聞こえる選手を励ます上田監督の声は熱血漢そのものの厳しい大きな声であるが、かける言葉は本当に選手思いで、山梨学院大学陸上チームを作り上げてきた暖かい人間性というか、懐の大きさを感じるような励まし方であった。
 これが今年の箱根駅伝で見れない、聞けないというのは40年来の箱根ファンとしてはとても寂しいことである。
 以前は早稲田の瀬古監督、最近では青山学院の原監督を知る人は多いと思うが、今の箱根駅伝の盛り上がりの基礎を作ってきたのは、私はこの上田監督でないかと思うくらいほれ込んでいた監督である。
 この上田監督、そしてあのブルーの山梨学院が出場しないのは残念で仕方がないが、またこの上田監督の人柄と指導方法に惹かれる選手が集まり、山梨学院が箱根に戻ってくることを願っている。

 こうなると今年の箱根駅伝は何にスポットを当ててみようかなと現在思案中である。
 こんなことを考えているとスポーツは陽のあたる本番だけでなく、そこまでの道のりにも数々のドラマがあるんだなとあらためて思った。

 今日はかなりマニアックな話になってしまったが、上田監督のファンであったので触れずにはいられませんでした。ちょっと熱くなってしまいましたが・・・。
 最後に上田監督が言った好きな言葉を掲げて今日は終わりにします。

 『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ』
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2019年12月08日

No658:趣味のないのも趣味?

 現在、税理士会の支部(上京)で広報委員という役をやっていて、その役の中で一番の仕事といえば年に2回 会報を発行することである。
 カラーで24ページ仕立てのものを記事の企画、原稿依頼、原稿回収とそのチェック、印刷会社とのやり取り等 それぞれポイントごとに期日を決めて進めていき、完成、そして発行にこぎつけるのだが、毎号 約2が月半から3ヶ月という長丁場である。ちなみにこの作業はもちろん私単独の作業ではなく委員13名での共同作業となっている。
 現在取り組んでいるのが年末に発行(発送)される新年号であるが、10月の初回打ち合わせから始まり、今は記事の2回目のチェックの段階まで進みいよいよ終盤にさしかかっている。
 その記事の中で新入・転入会員の紹介のコーナーがあり、そこで趣味を書いてもらう欄への回答に、「これといった趣味がないため現在模索中です。」というのがあった。
 これってこのままを載せるのが本人の真意なのか、現在検討中なので少し時間が欲しいという意味なのか分からず、本人に確認したところ、「そのまま載せてもらうのでいいんです」と言われたので今回、上記のとおり趣味欄に載せることになった。
 このやり取りをする中で、みんな趣味ってさっと言えるほど好きなこと、やりたいこと それに熱中していることってあるのだろうかとふと考えてしまった。
 カメラ(写真撮影)、囲碁、バイク、釣り、登山なんていう人はなんとなくはまってしまっているんだなと想像がつくが、読書、食べ歩き、スポーツ観戦というような人はちょっとだけ好きなんです という人も多いはずである。
 私なんか何ごとにも興味津々な方だから、好きなことと聞かれると旅行に始まり、スポーツ(すること)、スポーツ観戦、柄に似合わず読書や音楽鑑賞なども興味があり、自分でも趣味を一つ二つに絞るなんていうのは至難の業である。
 旅行といっても、元々が田舎者なので温泉秘境めぐりというよりも地方の都会が結構好きで、文化や歴史、そしてそこに住む人柄の違いを感じるのも楽しみの一つである。地方の都会っていうのは分かりやすく言えば地方都市、例えば長崎、宮崎に始まり、松山、松江、金沢、松本、そして先週行ってきた静岡など。こうして考えてみると東日本、北日本はまだまだという感じである。
 スポーツ観戦もおなじみの高校野球は甲子園だけでなく地方予選を見に行くこともあるし、今年はプロ野球、サッカー(Jリーグ)、ラグビー(大学)、陸上競技(全般)、そしてマラソンと駅伝 ほんとにいろんなところに繰り出したものである。話が少しそれるが今 見てみたいスポーツは東京オリンピックに向けて注目を集めている卓球とバドミントンの2つである。
 こんなことを考えているといくら時間があっても足りないのが分かるし、いったい自分が何をしたいのかわからくなる時がある。
 よく趣味に車っていう人があるが、私は仕事で車に乗る機会も多く月間2000q程運転するのに車には全く興味がなく、周り人の車の話は申し訳ないが興味すら感じない。
 こうしていろいろなことを考えていると要は時間をかけて楽しむことだけが趣味ではなく、たとえ短時間でも 「いいなあ〜、この時間」と思えるのものが趣味なのかなと思ってしまう。
 紅葉や桜の中をワンちゃんを連れて散歩する休日の朝とか先週、静岡で富士山を眺めながらコーヒーを飲んでいた1時間、あと日曜日の朝に“大好きな”新聞を時間を気にせず読み比べするのも趣味とは言えないかもしれないが自分にとっては楽しいひと時である。
 そうそう、こんなこともあったという話のひとつとして、鉄道ファンでもある私が学生時代に東京から各駅停車で帰ってきたこと(夜行ではなく昼間に)や一昨年実現した博多までのこだまの乗車(帰りはのぞみで日帰り)など今でもいい時間だったなと思い出すとうれしくなってくる。

 他人と楽しむのもいいが、私は普段 人と接している時間が長いのでどちらかというと一人で楽しむ方が好きである。
 こうして考えると、時間をつくって、あるいは時間をかけてのめり込むようなものも趣味であろうが、私にとっての趣味は長時間であろうが短時間であろうが、そのキーワードは“非日常”ということである。

 明日から年末までは“日常”にたっぷり浸ることにあるだろうが、次なる“非日常”のためにも何とか乗り切っていきたいと思っている。
 今年もあと3週間。本当に時間の経つ早さに驚きながらもたくさんの期限付きの仕事を抱えているので、ここはとにかく年末まで行くしかないなと考えながら日曜日の夜を過ごしている。
 仕事に限ったことではないが、まさに今やっている “今後の作戦を練る”というのも 内容によっては焦りながらも結構好きな時間のひとつである。
 時間がないのに今日も長くなってしまいました。ではこの辺で。
posted by ヒロイ at 22:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月02日

No657:器の大きい経営者

 税理士業というのは顧問先の企業や医療機関と顧問契約を結び、その契約に基づき依頼業務を遂行し、顧問報酬をいただくという 契約と信頼関係の上に成り立っている。
 最近、「税理士に顧問先を紹介します」という顧客紹介サービスの会社から電話があるが、今のところ こういった紹介会社から顧問先になったケースは一度もない。
 このようなサービスを真っ向から否定しているわけではないが、お互いどういった者同士か分からない中での顧問契約はなかなか勇気のいるものである。
 我が事務所も年に数件 新しい顧問先が増えるがその多くが現在 顧問契約を結んでいる方や何らかの関係のある方からの紹介である。
 こんな話をすると「紹介があっていいですね」と思う人もいると思うが、これってかなりのプレッシャーであり、ミスや行き違いは許されないという重いものを背負って顧問契約がスタートする。
 こんな時、私が一番気をつけているのは、その経営者が何を望んでいるのかということをいち早く察知し、それに沿った対応をすることである。
 希望(ニーズ)はさまざまであり、よく似たタイプの二人の経営者のニーズが全く違っていたことも何度もあった。

 そんな中で私も経営者の一人として、「こんな経営者になりたい」とか「この人はすごい」と思えるような人も何人かいる。
 経営者はある意味、経営を安定させるために稼がないといけないが、その稼ぎ方であったり、経営方針が私利私欲に走らず、とはいうものの自分の稼ぎはきちんと確保したうえで 従業員やその他 周りの人にきちっと還元できることが大切である。
 ただ”還元”というきれいごとを実現するには分配できる利益をしっかりと確保するということであろう。 というのも理想はなかなか崇高であり、私もその考え方は素晴らしいと思える経営者は何人もいるが、なかなかこの“還元”というは資金が必要となるので容易ではなく、実際に従業員が満足するくらいきちんと還元できる経営者はかなり限られてくる。
 その限られた数名の経営者の顔を今思い浮かべてみると、やはり、「うちの従業員がいるからこそ今の経営状態が確保できている」という考えを常に抱かれている。口先だけでなく。
 もちろん一定以上の給与水準であったり、いろいろな福利厚生面での充実ということは表に見える部分としてはあるが、やはり従業員に対する細やかな配慮というのは一朝一夕でなしえることができるものではなく、その経営者(院長)の人間性というか、一般的には“器の大きい人”とか“懐の深い人”と表現される人のことを指すのであろう。
 
 この仕事をしていてお金(報酬)をいただきながらもこういった経営者と接することができるのはありがたいし、ある意味 得したというか、この人といっしょに仕事ができてよかったと思える瞬間である。
 自分自身決して器の大きな人間になろうとも思わないし、細かなことを気にかけるという点においては、今の自分ではこういった人の足元にも及びそうにない。
 器の大きいと思える経営者を思い浮かべてみるとそこにはいくつかの共通点があるように思う。
 それはまずは経営が安定している。そして私利私欲に走らない。そして常に周りに配慮し、今の自分、今の会社(医院)があるのはみんなのお蔭というのが口先だけでなく、心から伝わってくる人である。当然のことながらこういったところの従業員はほとんど辞めることもなく安定したスタッフ構成が長い間続いている。

 見よう見まねでもこういったいい形を取り入れて見習っていき、“器の大きい”経営者のまねごとでもできればいいなと思いながらその姿や経営手法を見ている。

 この“器”ってまねをして作り上げられるものではないのはよくわかっているが、自分にない者はまずはまねることから始めるのが一番であろうとも思う。
 こうしてあらためて考えてみると本当にすごい経営者(院長)っているな と、今一度 顔を思い浮かべながらこうして綴っている。
 もう一度言いますが、自分にないものはまずはまねる、これでいいんですよね。
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2019年11月24日

No656:悪い記憶はそう簡単に消えないから・・

 サッカーJ2は今日が最終戦で、試合結果によっては地元 京都サンガもJ1へとの入れ替え戦進出を3〜6位のチームで争うプレーオフへの出場のチャンスも出てくる大事な試合であった。
 相手はJ2で1位が確定し、既に来季からJ1昇格が決定している柏レイソルであるが、「もしかすると」という かすかな期待も抱いていたので、実は午後 外出中も気になりスマホで途中経過をチェックした。
 前半の途中で0-4で負けていたので、「やっぱり相手は強かったな」とこの時点で勝つかもしれないという淡い期待は消え去り、そのあとはチェックする気にもならずそのままにしていた。
 そして夕方、家に帰ってサッカーのことは忘れた状態でワンちゃんの散歩で近くの公園に行くと、税理士会で顔なじみであり、近くに住んでおられるK先生に声を掛けられた。
 K先生は、奥様と5歳と2歳の男のお子さんといっしょに来られていて、この2人の子供さんがうちのワンちゃんと遊んでくれている間に2人で立ち話をしていた。
 その中で先日 K先生がサッカー観戦に行かれていたことを思い出し、『今日 サンガはJ2最終戦で途中まで0-4でしたが、どうだったのでしょうね。』と私が切り出すと、K先生は、『もう、試合は終わってますよ。スコアはちょっと言えないような、言わない方がいいような・・。あれはサッカーの得点ではないですよ。』と申し訳なさそうに言って、スコアは最後まで教えてもらえず、『あとでゆっくり確認してみてください。』とだけ言われた。
 「1-6くらいかな」と思いつつ、先ほどパソコンを覗いてみると 1-13 の歴史的超大敗。
 これはすごいわ。一応 サンガファンである私にとっては 情けなさ、恥ずかしさ、腹立たしさ どう表現していいのか分からないくらいすさまじい負け方であった。
 野球やラグビーであるまいし、いったい何? と考えれば考えるほど虚しさ以外に何もないという気持ちになった。 私の子供が少年サッカーをしていた10数年前のような熱心なサンガファンではないが、再びJ1へと願いながら パソコンや新聞では一応 毎回試合結果だけはチェックしていた。
 そして今日の結果。裏切られた気持ち以上に、ファンであることを恥ずかしくて口にできない そんな気分になったし、記録だけでなく、記憶にも残るような今日の試合の結末というのは、これからずっと尾を引くだろうなと思った。
 高校野球では桑田、清原のいるPL学園に7-29という大敗を喫した東海大山形は35年近くたってもいまだに語り継がれている。
 今日のサッカーはあまり(ほとんど?)注目されないJ2の試合とはいえ、一応 プロのサッカーとしては許されないようなスコアである。
 私は今回の負けだけを問題にするのではなく、こういう“取り返しのつかない”ことをしてしまうとファン離れは加速し、Jリーガーを目標としている若い選手からも見放される そんな結末になるような気がする。
  プロのサッカー選手を目指す者はこれから先 数年間は、「サンガへ入団します」なんて口にすることができないような状況を作ってしまった という意味において。
 今後、京都サンガのことに触れると 「あ〜、あの12点差で負けたサンガですよね」といわれるのが落ちであろう。
 どんなことでも、「今日はたまたま」といえるくらいなら、次 がんばれば前回のことは帳消しになるかもしれないが、こういう恥ずべきことを1回やってしまえば10年程は記憶から消えず、その間ずっと言われ続けるし、悲しいかな人間の記憶は、いいことよりも悪いこと、特に恥ずべきことはそう簡単に消えないものである。
 これはスポーツに限ったことではなく、芸能人や一般の人たちであったも、やってはいけないことをやってしまえば、「・・・・・しでかした○○さんね。」と言われ続けるし、悲しいかなそれが世間であり、人間の記憶である。
 私は過去の過ちを執念深く覚え続けておくだけでなく、改心したり、立ち直った人は優しい目で見て、迎え入れてあげないといけないとは思うが、頭の片隅にある記憶はなかなか消えないのも事実である。
 だからこそ 一回の過ちといっても他人に迷惑をかけたり、今日のサンガの試合のように(人様に言えないような)恥ずべきことはあってはならないのである。
 更生したい人の芽を摘むようにとられると心外であるが、まず 過ちを犯さずに生きていくことこそが大事であり、かつ、非常に難しいことなのであろう。 サッカーの試合からえらい大きな話になってしまったが、今日のスコアはある意味 プロにとっては取り返しのつかない重い結果である。
 京都府が莫大なお金をかけて造った亀岡の立派なサッカースタジアムが来季からサンガのホームになるが、今日の試合を一番悲しんでいるのが、京都府知事と実質のオーナーである京セラの稲盛さんであろう。
 全員が頭を丸めても(←こんな表現、今は問題らしいが 今日は許してください。それくらい腹が立っているので) 取り返しのつかない、そんなサッカーの試合結果を見ての私の感想でした。
 今日も長くなってしまいましたが、この辺で。
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2019年11月18日

No655:”性格の不一致”と”考え方が違う” この違いって?

 離婚の理由として”性格の不一致”という言葉がよく使われる。いや よく使われるというよりもまるで離婚原因の代名詞のようにも言われている。
 ただ、日々の家庭生活や仕事、それに友人とのやり取りでこの”性格の不一致”という言葉を使うことはほとんどない。
 例えば、同じ職場上司・同僚・部下 どれをとっても、「あの人(あいつ)とは”性格の不一致”でうまくやっていけない」なんていう使い方をする人はいないだろう。
 ただ、「あの人とは”考え方が違う”のでいっしょに仕事がやっていけない」とか、友達に対して、「あいつとは”考え方が違う”し、会っていても楽しくないので、もう あまり会いたくないな」というような使い方は決して違和感を覚えるわけではない。
 今日は日本語の学習をしているわけではないが、この2つの言葉の中身を考えると 「なんで?」と思っていたので、今日はこの使い方について私の思うことを述べさせもらうことにする。
 芸能人が、「性格の不一致で・・・」と離婚会見をするだけでなく、一般人の離婚理由でも同じような話を聞くが、私はこの話を聞くたびに 性格が一致している夫婦なんてほとんどいないのでは。性格なんて一致していない方がよほど楽だし、もし、同じ性格だったらと考えるとちょっとゾッとするくらいである。こんな思いは 私だけではないと思うのだが。
 夫婦だけでなく親子や兄弟、それに会社の上司・同僚・部下、それに友人でも”性格の不一致”の関係を案外利用したり 楽しんだりしてところもあるように思う。
 明るい人と暗くはないがそれほど明るくない人、おしゃべりな人と聞き役の方が楽だと思っている人、のんびり屋とそうでない人、整理整頓ができる人とそうでない人 等 案外この性格の違う者同士ってうまくやっていってるケースが多い。もちろん、イラっとすることがないわけではないが。
 と いうことで、「性格の不一致」で離婚するなんてどうも合点がいかないし、それは本当は ”性格の不一致”ではなく、この後 触れる”考え方が違う”というのが真の理由のように思うし、確かに”考え方が違う”というのはいっしょにいて苦痛に感じるかもしれない。
 こんなことを言うと古い人間、いや 場合によっては問題発言ととられかねないが、この”考え方が違う”というのは、その人の生き方やそれまでの人生によるところもあるように思う。
 身内や親族はある程度 同じような環境で育ったり成長してきたが、環境や親の考え方が違えば それはやはり”考え方が違う”ということの要因になるのかもしれない。
 これは親の仕事や経済的なことを言っているのではなく、人生の中で何を大切にするのか、何に恩義に感じるのか、もう少し大げさに言うと、誰に対して自分を犠牲にしてまで力や時間を注いでも悔いが残らないのか等、まさしく 生き方そのものであろう。
 この生き方というのは何を大事にするのか、何に価値観を見出すのか、ということに他ならないように思う。
 今日の話はどんな形で終えられるのかと思って書き出しが、こうしていろいろと書いていると今日の結輪が見えてきた。
 それは離婚やいっしょに仕事をしたくなくなるのは、”性格に不一致”ではなく、“価値観の違う”人だということ行きついた。
 価値を同じことに見出せる人、そんな人といっしょに仕事をしたり、同じ空間で同じ時間を過ごす これこそ人生にとってプラスにあり、より意味のあるものになのだろうとあらためて感じた。
 今後 生きていく上で、“同じことに価値を見出せる人” こんな人と少しでも多くの時間を過ごせるようにしたいなと思った。これは家族という小さなくくりではなく、職場や日々仕事で接する顧問先の方々等 いろいろな人を含めてのことである。

 やっと今日の話、まとまりがついたので終わりにします。
ちょっと堅かったかな、今日の話は。


*上記の文章、実は昨夜[11/17(日)]に書き終わっていたのにそのまま寝てしまったため、アップが今になってしまいました(← 「言い訳」)。
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2019年11月10日

No654:今年も残り あと8週

 明日 月曜日からの予定を確認するため手帳を開けてみると今年も残り少なくなってきたんだなとあらためて気づかされた。
 毎年のこととはいえこの時期、つまり秋という季節があれよあれよという間に終わってしまうことに驚き、そして焦りを感じているが、カレンダーを覗いて再度数えてみると、最終の年末の週は休暇に入るので仕事をするのは実質7週しかない。
 先週末、私の中で毎年恒例となっている仕事の棚卸、つまり今年中にやり終えておかないといけない仕事の整理をし、その多さに少しうんざりしていたが 悩んでいても何一つ前に進まないので、一つ一つ手をつけていかないといけないなと自分に言い聞かせて週末を終えた。
 そうそう、昨夜 家に帰ると早くも喪中はがきなるものが届いていて、これまた年賀状の準備をしないといけない時期が近づいてきていることの否応なしでも気づいてしまった。
 期限のない仕事であれば、「まあ、来年でもいいか」 なんて勝手に優先順位を後に回すこともできるが、この年賀状以外にも、顧問先の年末調整や事務所の従業員の賞与算定そして支給は何があろうとも今年中に終えないといけない仕事であることはよくよくわかっている。他にも今年中 という期限付きの仕事は書き出したメモの中にいくつもある。
 ただ人間って不思議なもので、時間が無くなってきてからの仕事のスピードって、時間のある時の何倍ものスピードで処理ができていく。こういう頭の中での都合のいい計算が勝手に働いてしまうので、体がなかなか動かないという悪循環に陥ってしまうのも毎年 年末に思うことである。
 また、自分自身の衣替えも一斉にというわけにはいかないが、必要に迫られてスーツを秋・冬物へ、そしてコートの準備、まだしていないが近々マフラーと手袋が必要となってくるのであろう。
 今こうして年末の整理をしていながらもう一つ思い出したことがある。それは車のタイヤの交換のことである。
 事務所には現在5台の車が稼働しているが、京都府北部、滋賀県湖北、それに福井県と雪国に多くの顧問先を持つので、12月の中旬までには冬用タイヤへの付け替えも必要となってくる(車屋さんでしてもらうが)。
 でも ふと考えてみると、こうして季節の変わり目があるからこそ私の頭も錆びつかずにそれなりに回転していってるんだと 日本の四季があることをありがたく思うようにもしている。

 話が少し違う方向に行ってしまうかもしれないが、毎年 秋に実施される健康診断も受診し、その結果が届いていたが、お陰様で 多少の注意項目はあったが、大きな問題点もないという結果だったのでホッとしている。
 太りすぎ、つまり体型変化も健康チェックの一つであるが、衣替えの時期にはスーツが上下ともすんなり着れるのか、はち切れそうになるのか、 これも毎年のこととはいえ体調管理の重要な一項目である。先週 入れ替えたが、この春まで着ていた冬物のスーツが秋以降も無事着れたということも異常なしということの証であると一人で勝手に思っている。。
 ひどい年はスーツのサイズが合わなくなって、ウエストを直してもらったり、急いでスーツを新調しなければしなければいけない年もあった。しかも2年続きで。
 自分の体のサイズに変化なし、ということもな納得材料の一つである。

 取りとめのない話になってしまったことには、ここまでお付き合いしていただいた方にお詫びもするが、まあ「税理士 廣井増生の日記」なのでまさに日記として読んどいていただければと思っている。

 最後に事務所内でも既に発表したが、年末年始の休暇は土日を含めると9連休[12/28(土)〜1/5(日)]となり、この連続休暇が1月中旬以降になってじわじわと自分の首を絞めることになるのは分かっているが、やはり連続休暇は誰でもウキウキするものである。
 何か楽しみを持たないと体が動かない方なので、残された7週間を乗り切っていくために この9連休を頭の片隅に留めておこうと思っている。

 そうそう、もう一つ難題を思い出した。11月17日(日)はセミナーの講師の依頼を受けていたんだった。
 この後、その準備に取りかかることにします。
 では・・・。
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2019年11月03日

No653:興味半減、東京オリンピックの札幌マラソン

 2020年の東京オリンピックのマラソンと競歩が東京ではなく 札幌で開催されることが決定したが、この変更はマラソンでなくとも陸上競技をやっていた者にとっては納得のいかない話である。
 確かに今年のドーハでの世界陸上のマラソンで途中棄権者が多かったかもしれないし、8月の気温は東京よりも札幌の方が少しは低いかもしれないが、ここに当事者であり、多くのことを犠牲にしてこのマラソンに賭けてきた選手の意見が全く反映されないのがこの上なく悲しく、むなしい。

 私も高校、大学と陸上競技に取り組んでいたので、選手目線で今回の騒動を考えると、「うそやろ、冗談もほどほどにしてよ。」というのが本音である。
 今年の9月15日に東京のほぼオリンピックと同じコースで、時期こそ1ヶ月ほどずれるが、それでも本番と近い気象条件の中で 今まで日本のマラソン史上でも1、2を争うほどの熱い代表選考の戦いが繰り広げられたとこである。そしてその後この変更、あのレースは何だったのか、夏の東京で勝てる選手を選ぶためのMGC(代表選考レース) は何に意味があったのかと思えるくらい選手無視の今回の決定である。
 街中のインタビューを聞いても札幌市民は、基本的には賛成多数というところだが、その中で「マラソンが少しでも涼しい所で走れるので選手にとっても快適では?」なんて言う馬鹿げた素人の意見を聞くとさらにムカッとしてくる。レースの時期(季節)、天候、地形など あらゆる要素を全て計算し、本当に長い期間トレーニングを積んできた選手の身にもなってみろとこっちは選手に変わって大声で叫びたい心境である。
 私のような短距離やハードルであっても この競技場は風向きや強さはどうかとかオールウェザーのグランド(地面)の固さと跳ね返りの度合いはどうかと いろいろなことが気になり、競技場ごとに対応というか走り方も少しずつ変わってくるというものである。
 これが、リオでオリンピックがあった3年前から東京で走れることを夢見てトレーニングを積み、コーチと作戦を立て、また2018年6月に東京オリンピック本番のマラソンコースが発表されてから、さらに綿密の計画を練り、オリンピックを狙う選手たちは何回試走を重ねたことであろう。本番で走れる日本人は男女3人ずつではあるが、9月のMGC(実質、オリンピック選考会)で出場の切符を手に入れるために、MGCに出場した選手の努力と苦労は並大抵のものではないであろう。それを今頃になって変更とは何たることか。
 仮に今から札幌のコースが発表されても冬の札幌でどれだけコースの下見や試走ができるのか、そして極めつけは日本で開催されるという日本選手にとってはある意味チャンスであるにも関わらず、本番まで夏(8月)の札幌は一度もなく、事前準備もできず残すところ本番である2020年の夏のみである。

 例えが極端といわれるかもしれないが、箱根駅伝を目指す選手たちに「今年からは千葉県の房総半島一周駅伝に変更」と言われたり、甲子園を目指す高校球児に「暑さ対策のために甲子園での試合を全て京セラ(大阪)ドームに変更」と言われたら競技や試合をするためのモチベーションなんて保てるわけがない。
 もちろんモチベーションだけで競技が可能かというとそんなものではないが、オリンピックとなると仕事も家族もそして自分自のしたいことなど いくつも犠牲を払って勝負に挑んできたはずである。しかも、東京という舞台でのデッドヒートを夢見て・・・。
 最初から最後まで元陸上選手の文句で終わりそうだが、最後にもう一回だけ言わせて。
 『なめとんのか、選手の血のにじむような努力や変更になることの心理的ダメージもわからんとって・・・。』
posted by ヒロイ at 23:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月27日

No652:人に期待し過ぎないこともコツかも?

 誰しも今までの人生の中で“裏切られた”経験はあると思うのだが、もし「私はそんな経験は一度もない」と言い切れる人がいるとしたらその人はなんと幸せな人生を送っているのだろうと思ってしまうし、「えっ、裏切られたことないってほんまに? うそやろ?」とその人の発言を疑ってしまうというのが本当のところである。
 ちょっと大げさかもしれないが人生って裏切ったり、裏切られた経験こそが次に生きてくる、よく言えば“成長の糧”となっているように思う。
 親子、兄弟等の親族間や夫婦の間での裏切りは、場合によっては大きな問題に発展しかねないので ないにこしたことはないが、友人や仕事関係では“裏切られた”というほどまではいかないまでも、“期待外れ”ということはよく耳にすることである。

 「経験豊かなで何でもこなせる経理担当者だと思っていたのに」、「前の会社での営業成績も抜群でうちに入社後、低迷している売上のアップに大きく貢献してくれると思っていたのに」、「今まで〇年も医療事務の経験があるので我がクリニックのリーダーになって引っ張ってくれると思っていたのに」、そして新卒入社の新人に対しては、「あんないい学校を出てるんでもっと優秀だと思っていたのに」・・・。
 こんなこと思ったことないですか? 経営者のみなさん。いや、経営者だけでなく各会社やクリニックで働く先輩の方々。
 これってすべて期待が大きすぎることが要因となって、“期待外れ”になったり、内容によっては“裏切られた”というような手厳しい言葉が出てくるのだろう。

 もちろん私もこの歳になるといろいろなことを経験しているが、逆に期待しなさすぎるのも何かと問題があるようにも思う。
 例えば新入社員に対して、「あなたは新人でまだまだ半人前なので別に期待もしてないし、自分のペースでやってもらったらいいしな。」なんて言われたら、普通なら頑張って仕事をしようという気が萎んでしまうであろう。
 この辺は、期待はしているけどプレッシャーにならない対応がとれる上司や経営者こそがいい意味で人の上に立てる人物なのであろう。
 このことを自分に置き換えても なかなかそう簡単にはできそうもないし、期待のし過ぎからいい人材を潰しかねないな と自分の性格上の問題点についてもあらためて反省せざるを得ない。

 こんなことを綴りながら自分自身のことや顧問先のことを頭に浮かべてみると、新たな人を採用した場合、まずは「そこそこやるな」というところから始まり、「意外とできるやん」となり、そして、「こんなにできるやつとは思わんかった。」という流れで、最初は少し期待値を下げてスタートすることが人をうまく使ったり、成長させたりするのではと考えてしまう。

 仕事以外のことになるが、人生の中の大きなイベントである結婚というのも さすがに結婚するときは何かと相手に期待することがあるだろうし、それが結婚の楽しみかもしれないが、結婚後、何年か経っているような方々はこういった期待は段々と小さくなり、私のような30年も経ってしまうと期待なんてほとんどないし、その前にカミさんから「期待なんか すればするほど後でがっかりするだけ。期待したことってここ何年もない。」と言われてしまいそうである。
 確かに夫婦間で期待をし合うっていたら まずそんな夫婦なんて持たないだろうし、夫婦においては、「期待せず」が最良の選択で長く持たせるコツのようにも思う。

 話が少し変な方にいってしまったが、最近 何人かの経営者の方が自社の人材について、 「期待していたのにがっかり」とか、中には「裏切られた」と口にされたことがあったが、こういったことが起こる原因を突き詰めれば、期待値が高すぎたのでは? という今日の話にたどり着いた。

 でも、期待され過ぎるのはプレッシャーかもしれないが、期待されないのも寂しいものですよね。
  あなたはどちらの方がいいですか?
posted by ヒロイ at 16:44| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

No651:ぽぽたん(ワンちゃん)と過ごした土日

 昨日の土曜日は午後からある医療関連グループの会議があったが、それ以外 この土日には特に時間の拘束を受けるものはなかったので日頃 時間をかけて読むことのできない冊子に目を通したり、ちょっと頭をひねらないといけない案件についてじっくりと検討する時間をとることができ、予定がびっしりと詰まった週末より充実した2日間を過ごすことができた。
 そんなスケジュールの中で木曜日あたりから、次の土日はとことん ぽぽたん(我が家の愛犬)につき合おうという勝手な計画も立てていたので、この2日間は雨の降る時間帯もあったが朝と夕方の散歩は全て私が受け持った。
 宝が池、北山、鴨川と毎回 バリエーションを変えて自分自身の気分転換も兼ねてあちこちへ連れまわした。

 今から思えば、自分の子供が幼少期の頃はなかなか時間がとれなかったので、あまり(ほとんど?)子供の面倒を見たことがなかったが、今となっては誰も私を頼りにする家族はいないので、自分の思いのまま ぽぽたんとの時間を過ごすことができる。
 ただ、昨日は夕方の散歩の後、(ぽぽたんが)夜ご飯を終えて休憩し終わった後、帰りの遅いカミさんを玄関のドアの前でまだかまだかと座って待っていたが、その眼はまるでドナドナの子牛のような目つきであった。
 やっぱりカミさんか こんなにかわいがったのに とはいうものの よく考えてみれば日頃はほとんど接する機会がないので私の存在感なんてほんとわずかなものなのだろう。
 子育てを終えたカミさんの日頃からのかわいがりようとその時間の掛け方は半端でなく、夜も1時間半ほど散歩をしたり、ワンちゃんの体にいい食事を準備したりでその入れ込みようは私の倍どころか10倍程の愛情の掛け方である。
 こうなると私に勝ち目はない。子供が2、3歳の頃はほんとに私のそばには近づかず、ファミレスのテーブルで1(私)対4(カミさん+子供3人)で夕食を食べた苦い思い出もある。

 それと比較すると今のポポタンの方がまだ私に馴染んでいるかもしれないし、私も子育て真っただ中で今では問題視されるくらいの労働時間であった当時よりも今の方が少なからず心に余裕があるかもしれない。
 たわいもない話をいろいろと書き綴ったが、今の私には何の損得勘定や思惑もなく意のまま行動を共にできる唯一の存在がぽぽたんなのかもしれない。
 こんな2日間を過ごした日曜日の夜は何とも充実感があり、すがすがしい気持ちで月曜を迎えられる。
 今 横で私の顔を眺めているが、その顔つきはなんとも不思議な力を持っているように思う。
 すみません、親(飼い主)ばかで。たまにはこんな話でもいいでしょ。
posted by ヒロイ at 21:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

No650:変な慰めはいらん

 まず、最初に断っておきますがタイトルに掲げた内容は最後の数行しか出てきません。それまでは私が休日の考えていたこととして読んでください(この部分の方がずっと長いですが)。

 数年前から鉄道の「計画運休」が実施され始めたが、最初の頃は「これって何?」とか、「台風が逸れるかもしれないのにそんなに早く運休を決めるなんて、利用者を無視してる」と思ったりしていた。
 天気予報の当たりはずれによりホッとしたり、悔しい思いをしたり、また、予定していた計画の大きな変更を余儀なくされた経験は誰しもあるでしょう。

 私も数年前に天気予報に振り回された苦く、悔しい経験がある。
 毎年、恒例となっているお盆休暇中の高校野球観戦で、天気予報では台風が近づくかも?と言われていたし、こんな予報が出ているのに試合やるのかなと思いつつも、試合中止の発表は当日の朝になってもなかったので、ひとまず事前に購入していたチケットを持って朝6時台の電車で甲子園に向かった。
 そして、梅田から阪神電車に乗り、甲子園の駅に着いて改札口へ向かっている途中に、「本日予定されていました 第〇日目の4試合はこの後、近畿地方に台風が近づいてくるという予報もあり 中止となり、明日へ順延となりました」と駅のアナウンスが流れていた。
 「うそやろ? もっと早く言えよ、京都から来てるんやで!」と怒りが込み上げてはきたもののいくら怒っても 試合は行われないということで、折り返しで京都まで戻り、京都駅で“慰めの”モーニングを食べて家に帰ったことがあった。
実は、この日 ここからもう一つの山があった。空は一面 雲には覆われてはいるものの一向に雨は降ってこないし、確か昼前後にパラっと小雨はあったのかもしれないが(記憶が確かでない)、ほとんど雨らしい雨も降らずに夕方になった。
 「試合できたやん!」と夕方になって第二弾の怒りが込み上げてきたが、「台風は逸れて」という天気予報を見て ただただ力が抜けていくのが自分でもわかった。

 私の天気予報談議でこんなに時間を費やしてしまったが、もう一つ本題前に最近よく発令される「計画運休」の意義についてであるが・・。
 以前は台風が近づいてきてから急に電車や飛行機の運行ができなくなり、駅や空港、あるいは列車ホテルと称して電車の中で一夜を過ごさざるを得ない事態が度々起こっていた。
 また、いつ乗れるかわからないバスやタクシー乗り場での長蛇の列もこういった時のはおなじみの光景である。
 ただ今回の台風19号のように早めの計画運休があると 誰しもが外出を控えるので駅などでの大きな混乱も少なくなってきている。
 そういう意味では、当初は「電車は走らせないよ」というような何とも冷たい感じがしていた「計画運休」も 最近は一定の効果があるなって思うようになってきた。

 今回はこの秋最高の人出だろうともいわれていた3連休も丸つぶれで、移動もままならないので結婚式や急な葬式はどうなるのだろうか と人ごとながらいろいろな心配をしたりしていた。
 今回の台風は東海から関東・東北に至るまで広範囲で甚大な被害が出ているが、普段と変わらぬ生活の中でラグビーを見ながら通常の週末を送るはずだった人に対してこんな大変な事態が生じたことについては、言葉の掛けようがないくらいお気の毒で仕方がない。
 災害にあわれた方には大変失礼な言い方になるかもしれないが、今回の台風は木曜日くらいから進路予想が出ていたが、ほとんど外れることもなく進行し、気象庁のデータとその分析力の高さには大変驚かされた。
 そうして事前に予想していたとはいえ、その予想以上の猛威を振るった今回の台風で被災され方々については、一日も早く生活の再建を と思うのだが、被災者の方々は生活の場や自分の体力のことだけでなく、今後、当然 資金(経済)面でも差し迫った事態が予測される。
 私は幸いこういった災害の当事者にはなったことがないが、被災された方はまずは我が身と明日からの生活が大変で何も考えることさえできないという状態であろう。
 ましてや大切な人を亡くされたり、行方不明の状態であったりすると悲しみのどん底というのが今の心境であろう。
 こういった時、何かにつけ「被災した人に勇気を与えるために」というコメントが出てくるが、私は根性が少しひん曲がっているので、口にはできないほど追い詰められているのでそんな言葉だけの慰めや勇気づけなんてどうでもいいわ、と思う方である。これって間違っていますかね?
 昨日のラグビーワールドカップでイングランドに勝ったことは歴史的勝利であり、快挙であるが、すぐ こういった喜ばしいことと“被災者の勇気づけ”を結び付けをしてしまうが、私は「この悲しみは当事者しかわからないし、本当にしんどい時やきついときはそっとしておいてほしい と思うのでは」と ちょっと距離を置いて考えてしまう方です。これって相当ひん曲がっていますよね?

 最後に妙な本音を言ってしまいましたが、こんな時 「被災者を勇気づける」というコメントが頻出することに多少違和感を抱いてしまっています。
 私自身 結構「変な慰めはいらんし」と思って人生を送っているもんで・・・。
posted by ヒロイ at 13:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月06日

No649:約束の時間を守る ということ

 この文章が日頃お付き合いのある人や顧問先の方の目に触れると嫌な思いをされる方もいらっしゃるかもしれないし、自分に対しても胸が痛くなったりするようなタイトルだが、日々 約束の時間を気にしながら仕事をしているので今日はこの約束の時間について思っていることを綴ってみることにする。

 私は仕事をする上で、時間を守るということについてはかなり気を使っている方だと思うし、とりわけ重要なことと捉えている。
 こんなことを話題にすること自体、「何をいまさら」と思っている方もあるだろうが、自分でも今まで「時間に間に合わないかも?」とヒヤッとすることも何度かあったので、ここでは反省の意味も込められての話である。
 今は携帯電話という便利なものがあるので、想定外の車の渋滞や思わぬ電車の遅延が起こった場合、どこからでも連絡ができるので待っていただいている相手様に連絡なしで待たせるということほとんどなくなったが、以前は間に合わないという事態が発生した場合、公衆電話を探して連絡を入れたり、それもできずに30分以上も遅れて到着したこともあった。
 もちろん早く着きすぎて、相手様の都合も考えずにその会社を訪問するというのは問題があるが、時間を守ること、特に初めて会う方に対しては何よりも重要なことであろう。
 私の仕事は俗にいう営業をする機会というのはあまりないが、何かを頼んだり、頼まれたりする時に時間に遅れるようではそれだけで信用力が半減するといっても過言ではないだろう。
 定例の面談で毎月 事務所にお越しになる方はほとんど約束の時間の5分前くらいには来られるので、こちらも面談室で待たせることにないよう 10分くらい前からスタンバイして待つようにしている。
 もし、待つ側の私が約束の時間になっても準備不足でバタバタしているようでは、お客様は気分を害されるだけでなく、それだけで信頼度は低下するであろう。
 また、こちらが初めて訪問する先では、どんな場所に会社があり、駐車場はあるのか? もし、なければ近くにコインパーキングがあるのか? など いろいろな局面にも対処できるだけの時間的な余裕は必須であろうし、もし、約束の時間に遅れるようなことがあれば、話のスタートの時点で焦ってしまい、いい状態で面談のスタートが切れるはずもない。
 つまり最初の挨拶が、「はじめまして」とか「こんにちは」ではなく、「今日は遅れてしまって大変申し訳ございません」になってしまう。

 事務所ではほとんどの人が、私のことを“せっかち”と思っているだろうが、これは後で自分が慌てたり、不利に物事を進めないといけなくなることを恐れているから早めの行動を起こしたいだけで、年がら年中、何事においても、「早く、早く」と思っているわけではない(と 自分自身は思っているのだが・・・)。
 もし、大事な用件があってその場に遅れていき、前述のように「すみません、今日は遅刻をしてしまいまして・・・。」なんていうあいさつから入っていくということは、そのマイナス部分を埋めるのに何分間かの時間を要するであろうし、それが埋められた時点でやっと対等でまともな話に入っていけるというものであろう。
 一つの話題でよくぞここまで書けるなと思うが、自分としては“時間を守る”ということはそれくらい気をつかっているし、重要視していることなので今日の話がくどくなったことはお許しいただきたい。
 夏に電車で移動するときは、駅から小走りで行って汗だくで訪問するより、余裕をもってゆっくりと向かい、汗を拭いてから訪問する方が、相手様にとってもきっと気分がいいと思いますよね。
 すみません、日々のこんな当たり前のことをいまさら取り上げて・・・。
 こんな私も家では、出かける時に自分の準備だけ済ませて、家の中で待つと嫌みのひとつでも言ってしまうので、黙って先に車に乗り込んで待つようにしているが、家人は多分 この行動こそが嫌みプレッシャーだと感じているのではないかと思う。
 いろいろなことがなかなか時間どおりに進まないという現実はあるが、時間はそれほど貴重なものだと認識している。特にビジネスの場面においては。
posted by ヒロイ at 21:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

No648:時差のない世界大会を見ることの意味

 昨日 ラグビーワールドカップで日本がアイルランドから勝利をおさめたが、この“勝ち”こそ、願ってはいたものの ほとんどの人がまさか勝つは思っていなかった勝利であった。
 このラグビーのワールドカップに続き、来年はいよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開催されるが、世界的な大会がアジア諸国、しかも比較的近い国で開催されることは限られているので、テレビで見る側も時差を考えながら観戦しなければならない場合が多い。
 オリンピックやサッカーワールドカップも今まで何度となく深夜から朝方にかけて競技や試合があったが、朝の5時ならまだしも、夜中の2時ごろキックオフの試合を見た次の日はほとんど使い物にならない体のまま仕事をしていたということもあった。
 現在開催中の世界陸上はアジアでの開催であるが、開催地であるカタールのドーハは日本からは離れており、時差が6時間もあるので、すべてを生で見るには体調を考えるとかなり無理がある。
 そういう意味で日中から夜にかけて時差のない同じ時間で見ることのできる日本で開催されるスポーツの世界大会は自ずと力が入ってしまう。
 スタジアムに行っていなくとも、日本の中で同じ時間を共有しているという点で一体感があり、これを来年のオリンピックでも味わうことができると思うと更に楽しみが増してくる。
 先日のマラソンの代表選考レースも見ていてまさに手に汗を握る熱い戦いでしたよね。
 昨日、ラグビーの日本戦があった静岡、それに来年のオリンピックがある東京まではなかなか行くことができないし、また、観戦しようにもそう簡単にチケットが手に入るわけでもない。しかし、テレビ観戦であってもやはり日本国内で行われているというのは国外での大会とは見る側の気持ちにも大きな違いがある
 私は根っからのスポーツ好きなので、夏の甲子園、高校や大学のラグビー、サッカーJリーグ、それに冬の高校駅伝など年に数回は“生”で観戦するが、これはまさにその場に身を置くことによって、日頃のストレスを吹っ飛ばすという効果も知らず知らずのうちに期待してのことなのかもしれない。
 そういう意味でも、スポーツは時間があれば現地に駆けつけて、選手や監督の声、それに選手の息づかいも耳に入れながら観戦すると何倍も楽しいものになる。

 ここからはあまりにも急な展開であり、話が少しずれることになるが、最近 この“生”や“臨場感”ということを仕事上で考える必要性に遭遇したので、そのことを少しだけ触れさせてもらうことにする。
 仕事上の連絡はメールでのやり取りが多くなってきているし、相手の時間を気にせず連絡できる点では非常に便利であり、お互い助かることも多いが、相手の真意やその話への傾注度合いを知る上では、メールでなく面談あるいは電話の方がいい場合もある。
 喜び、納得、怒り、不満、疑問 その度合いがメールではわかりにくい場合もあるが、電話であれば声のトーンや間の置き方で直接 言葉にされなくとも、相手の思いが読み取れることも多々ある。
 若い人には申し訳ないが、最近読んだ雑誌に、「若い人は何事もメールやラインで済ますので、直接面談したり電話で話したりする大事なビジネスシーンでの事の進め方に問題がある場合もある」 と書かれていたが、古い世代の私なんかもまさに同じようなことを感じることがある。
 ただ、こんなことを言ってしまうこと自体、時代から取り残されていっているのかもしれないし、自分の子供たちにこんな話をすると、「みんなは口には出さないけど、うっとしがられてるんと違うか?」と言われそうな話である。
 スポーツ観戦における時差の話からとんだ話にまでいってしまったが、“臨場感”を味わいたいおっさんの独り言と思って聞いていただければ結構です。

 9月も今日と明日を残すのみとなりました。早いですね、日が経つのは。
 大した話でもないにも関わらず 長くなってしまいました。
 では、今日はこのへんで。
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2019年09月23日

No647:顧問先の方に誘ってもらったプロ野球観戦

 今日は16年前に医院を開業されて以来 お付き合いのある先生からお声掛けをいただき、京セラ(大阪)ドームまでプロ野球観戦に行ってきた。今まで2、3回お誘いを受けていたにもかかわらず、私の方がスケジュールが合わずなかなか実現できなかったが、連休の間の日である22日(日)にやっとフリーの時間がうまくあったのでいっしょに野球観戦することができた。私が税理士事務所を開業したのは今から12年前であるが、この先生とは私が開業前に勤務していた税理士法人の時からの付き合いで、私の開業と同時に廣井事務所の顧問先になっていただいた方である。とはいっても我が事務所の所長代理が担当し、主だった業務も私の出る機会がないくらい問題なく進んでいて、球場であった時は「10年ぶりくらいですね。」とあいさつを交わしたくらい本当に久しぶりであった。
 この先生は今は夫婦そろってプロ野球ファンで、そのファン度は京セラドームを本拠地とするオリックスのファンクラブにも入っておられるくらいの熱の入れようである。奥様と二人で観戦されるのが基本で、今年だけでも既に21試合観に来ているとおしゃっていた。非常にまじめなご夫婦が野球観戦、しかも 12球団で一番弱いと言われているオリックスのファンというのが不思議でもあり、それがまた妙に親しみが感じられるところでもある。この日の相手はパリーグの優勝がかかっているソフトバンクで、工藤監督をはじめとし、先発ピッチャーの和田や内川、柳田、松田選手など多くの馴染みの選手がいたが、実はこの先生が応援するオリックスの選手はものの見事といっていいくらい一人も顔と名前が一致しなかった。ただ、今日はオリックスのユニフォームを身にまとったこの先生から今の注目選手や今後活躍しそうな選手の説明を聞きながらだったので、本当に楽しく野球観戦をさせていただいた。席もライブ指定席といって選手の顔がはっきりと見えるくらいグランドに近いとてもよい席で 野球好きの私の心を十二分に満たしてくれた。

 試合の後は、心斎橋にあるこの先生が行きつけの店でごちそうになり、いろいろな話をすることができた。
 この先生の年齢は私より一つ上であり、昨年ご結婚されたご長男の子供さん(この先生から見ればお孫さん)の話も聞き、来月 九州から顔を見せに来てくれるととても楽しそうに話されているのが印象的であった。また、私の長男も昨年 結婚したという点では同じような境遇であったことも共通の話題として話の入っていきやすかったのかもしれない。

 まあ、いっしょに野球を観て、一杯飲んでというお決まりの流れではあったが、野球や息子の話題の後はやはり開業医ということもあって、スタッフに恵まれている話を皮切りに昨今の医療事情や地域性の他にも患者の気質や対応の仕方など結構 込み入った内容にも話題は広がり、通常の仕事の時間では本音で口にしづらいことまでいろいろと話を聞くことができ、終わってみれば結構 中身の濃い2時間であった。
 この先生は翌日の23日(月)もまた同じカード(オリックス対ソフトバンク)を観戦されるようだが、私はその日は大事な用事が入っているので、食事が終わったら足早に駅まで歩き、そして地下鉄、京阪と乗り継いで京都まで帰ってきた。
 今日は本当に久しぶりであったが、10年間の空白を埋められるくらい いろいろな話もできたし、最後はこの仕事って 、やはり相手の本音を聞き、経営者(医師)の想いを実現することが大事なんだなとアルコールが入ってはいたものの まじめなことも考えながら京阪電車に乗り込んだ。ただ、10分もしないうちのすっかり寝入ってしまい、目が覚めたら終点 出町柳に着いていた。
 今はその電車での睡眠が効いて 眠気が吹っ飛んでしまったので、遅い時間であるが忘れないうちに書き留めておこうとこうしてパソコンに向かっている。

 明日は朝が早いんだった。もうこんな時間。やばい、ヤバイ、突然ですが今日はこのへんで。
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2019年09月16日

No646:温かみのある経営者

 税理士という仕事をしていると経営者と直接会って話をする機会は多し、私の場合は開業医である顧問先も多いので院長、つまりお医者さんとも週に6、7人、多い時は15人近く会う週もある。
 そういった中で人間的に厚みのある人だな、こんな人間になりたいなと思うこと度々あり、これは日々仕事をしていて何かしら生きるための研修を受けているような気分になる時もある。
 こういった方の共通点は、人を大事にする、自分を飾らない、嘘をつかない、そして何事においても勉強熱心なことであろう。
    それは私より年上の方だけでなく、中には私より10歳近く若い人の場合もある。
 
 俗にいう“おべんちゃら”を言って、一時的に相手を心地よくさせるというのは対人関係でよくあることだが、こんなことはあっという間に本当の気持ちが分かってしまい、下心見え見えなんていうこともある。
 お客様や患者様は物やサービスの提供と価格がつりあっているかどうかということに着目して行動されるが、従業員が職場を選ぶ基準は当然、賃金が重要な要素であるが、それよりも重要なのは経営者の人柄であるように思う、特に中小企業においては。
 私の顧問先の中でも人の入れ替わりが少なく、非常に定着率のよい会社やクリニックがあるが、そこは決して給与水準が他よりも高いというわけでもなく、やはり居心地のよさであったり、お客様や患者様、そして経営者から自分がどれだけ必要とされているのかという点、そういったことが仕事のやりがいにつながっているのだと思う。

 私もあんな風になりたいと思えるトップの方が何人かいらっしゃるが、そういった方々の顔を思い浮かべると まず、自分より相手ありきという姿勢を貫かれている。ただ、自分が何もかも相手に合わせるというのではなく、「この部分は何よりも大事な所なので、絶対に曲げられない。」という信念のようなものも持っておられる。
 私は雑誌も含め、経営者向けの本に目を通す機会が多いが、こういった実体験はどんな本よりも役に立つものである。
 賞与を渡すとき一人一人に違う内容の感謝のメッセージを綴ったメモを入れられる方。5年10年の節目にはスタッフがいたからこそここまでこれたと いっしょになって食事や旅行を楽しむ方、また、その食事会や旅行には従業員の家族の参加(小さなお子様の場合が多いが)もあり、それはそれは賑やかなものとなる。
 こういったことがお客様や患者様を思いやる気持ちにもつながってくるし、これらはどこのマニュアルにも書いはいない対処法である。トップが口で言うだけでは人は動くものではなく、トップの常日頃の言動をみて、ついていっていい人、間違いのない人と従業員は判断するのであろう。
 私も日々多くの経営者と会うことができる職種なので、いいことはためらわずに取り入れ、こういった魅力的な経営者の真似事から始め、少しでも近づけられたらと思っている。
    いい経営者と会ったり話をしたりした後は本当に充実しきった気持ちで帰路につけるし、「近づきたい」と思って自分にはっぱをかけるきっかけにもなる。
 自分を取り巻く人、日々接する人、これは自分の人生にとっても大きな意味を持っていることのように思う。
 「あんな人に近づきたい」と思える人が多い人ほど成長するし、そんな人を一人でも多く持てるよう 人との関りを築いていきたいなとも思う。

 今日は日頃 会っている人の顔も思い浮かべながら このコーナーを綴ってみた。
 明日は休みなのでポポタン(うちのワンちゃん)との朝の散歩がゆっくりできるなと 考え、少しうれしい気分でビールを飲んでいます。
 では、おやすみなさい。
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