2022年01月23日

No765:顧問先で毎回トマトが出てくるという話

 私が毎月定期的に訪れる顧問先は20件以上あるが、その中でも毎回同じ決スタイルとはいえ ちょっと変わった形で私を迎え入れてくれる顧問先がある。
 そこはクリニックで、スタッフのいない午後の時間に院長と奥様が対応して下さるが、面談の場所である休憩室に入るなり、テーブルの私が座る側には大きな器に切ったトマトが盛られている(多分 2個分)。そして横にはお塩とフォークが置かれていて、私は軽めのあいさつの後、まずこのトマトを休むことなく食べ、全て食べ終わってから訪問の目的である巡回監査業務に入っていく。
 知らない人が聞くと「これ何っ?」と思われるので少しだけこうなった経緯を話しておく。
 3年程前の夏の暑い日にこのクリニックを定例の面談のために訪れると、「甘い物や清涼飲料水よりも こういった物で水分補給するほうが体にいいですよ」と程よい大きさに切られたトマトがお皿に盛られて出てきた。その冷え方は"キンキンに冷えた”とい表現が当てはまるようなものであった。
 実は私は小さい頃、夏の暑い日に祖母や父が畑でとってきたトマトをそのまま丸かじりすることが習慣のようになっていて、家の裏で切らずにそのまま食べていた。
 そんな中で育ったからなのかどうかは分からないが、トマトは野菜の中でも大好物で、少し野蛮な話だが、きゅうりも端だけ切って、そのまま片方の手に持った塩をかけながら丸かじりすることもあった。
 こういう経験の持ち主であったので、このクリニックで初めてトマトをいただいたときは「めちゃ美味しいですねこのトマト。実は私 トマトが大好きで、こんな仕事中にまさかトマトをいただけるなんてうれしくて・・。」と思わず素直な気持ちでお礼を言った。
 それ以来、毎回必ずトマトが用意されていて、冒頭に書いたような形でその訪問先での仕事がスタートする。
 私の中ではトマトは夏の野菜というイメージであったが、ここでは季節を問わず私のために毎回トマトを準備していただいているので1年に10回位(奥様が不在の時はなし)いただくことになる。
 事務所から2時間近くかかる遠方の顧問先であり、お二人とも私より年が上なので、子供とは言わないまでも弟か後輩がはるばるやってきたという感じで迎え入れてくれるのであろう。
 もちろん、別に何かを出してほしいというわけではないが、このお気持ちが妙にうれしく、ここに着いて車を降りるとなぜか仕事のことよりまずトマトのことが頭に浮かぶというなんとも言えない訪問先のひとつである。
 夏場の訪問時には帰り間際にはこれまコップにたっぷりと入った麦茶もいただいて帰るのだが、トイレの方が事務所に着くまで持たないということだけは、心しておかないといけないことである。

 今日は仕事の中身の話ではないが、こういったユニークとはいえ うれしいおもてなしをして下さる顧問先の話を少し紹介してみた。
 「今日は廣井先生に会えるということで、昼からずった待っていたみたいですよ、うちの先生は。」とトマトを食べているとき奥様から掛けられる言葉も疲れを吹き飛ばしてくれる。
 税金や経営の話だけでなく、こういう時間もある意味 大事で、こんな形のコミュニケーションの中からふと妙案が浮かんできたりすることもある。
 「2月は〇日がトマトの日か」と手帳を見ながら、うれしい気分になれるだけでもありがたい。
 当然のことながら毎回トマトの大きさも固さもそして味も少しずつ違うが、これも楽しみのひとつなってきている、「今日はどんなんかな」と。
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2022年01月16日

No764:昭和に引き続き、平成も徐々に消えていく・・大丸のファミリー食堂が閉店

 新聞記事等で目にされた方もあるかと思うが、大丸京都店のファミリー食堂がこの2月末で閉店になる。
 私はこのファミリー食堂にはたくさんの思い出が詰まっていて、小学生の頃、父母や祖父母に連れられて田舎から京都の遊びに来ると、帰る前に大丸に連れて行ってもらい、まずはおもちゃ売り場でゲームを買い、その後 ここでご飯を食べたことが何度かあった。
 それほど頻繁ではなく 1、2年に一度で計3、4回だったと思うが、大丸に来たときは、ガラス張りのメニューの所で何を食べようかと顔を摺り寄せて中を覗き込んでいた記憶が残っている。
 また、平成元年に最初の子供が生まれ、平成6年生まれの3人目まで、3人の子供たちが小学生の頃も、何度か行った記憶があるし、今にして思えば まさに子育て真っ盛りの頃であったように思う。
 この時もまずは6階のおもちゃ売り場で何か(何を買っていたかあまり記憶にない)を買って、最後はこのファミリー食堂で早めの夕食を食べて帰るのが定番であった。
 今から20年少し前のことであるが、この頃は食事時であれば大変混雑していて、食券を買った後、ロープに沿って並びながら、中にいる店員さんから、「次の方」と手招きしてもらえるのをじっと待っていた。
 その後、子供が大きくなってからも、年に1回くらいであるが、カミさんと贈答品等を買うために訪れた時も子育て時代の頃の懐かしさが残っていたのか、2人で夕食を済ませて帰ったことも何度かあった。
 ただ、こうして2人で行くようになってからは、確かに満席ということは一度もなく、食券を買ったら、 「お好きなお席へどうぞ」 と並ぶことなく すぐに席に着くことができた。
 ある意味、私というか、廣井家の歴史(ちょっと大げさかな?)と共に歩んできた部分もある大丸のファミリー食堂がなくなるのは何とも言えない寂しさがあるが、まさに歴史の転換点というか、昭和、平成としっかり役割を終えてきた感がないでもない。

 ここまでは私の思い出話を中心に綴ってみたが、よく「昭和の頃」と一昔前のことのように言われてきた後、ここへきて「平成の頃はな〜」と平成も過去になりつつあるのかなと時代の移り変わりの早さを感じていた。
 特にコロナに世の中が侵されてからは、今までの2、3年分が1年で置き換わっていくような、世の中の移り替わりの早さを感じずにはいられないし、2年前までは京都市内でも外国人で溢れかえったり、学生を中心とした若い人たちが夜遅くまでお酒を飲んだり騒いだりしていたが、そういった光景はほとんど見られなくなった。

 これからどうなるんでしょうね?
 少なくとも多くの人が期待しているような前の形、つまり以前のような世の中には戻らないだろうし、この2年間の経験で 騒がしい、あるいは 賑やかな状況を望まない人も多くなってきているように思う。
 人間なら誰しも楽しみたいという欲望はあるので、家から一歩も出ない禁欲で仙人のような生活にはならないであろうが、「自分が楽しむには」という“個”の重視というのがより一層強まってくるように思う。
 これはビジネスにおいてもいろいろな局面で出てくるであろうし、仕事に限らず旅行や趣味も含めた遊びも、そして家族関係や人間関係もお決まりの形というものがなくなってくるのであろう。
 そういう意味ではいったい自分は何がしたいのかを考える機会が今まで以上に増えてくるだろうし、今まであった世の中の流れに身を任すというような大きな“流れ”そのものがなくなっていくようにも思うし、今から40年、50年と生きていかないといけない若い人にとっては、本当に大変な世の中になっていくように思えてくる。
 年のせいかどうかは分からないが、1年が、3年が、そして10年が 目まぐるしく過ぎていくし、目の前の1日も、1週間も、そして1ヵ月も本当にあっという間だと感じてしまう。
 あ〜、それだけ年をとっていっているんですよね。 あ〜 恐ろし。
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2022年01月09日

No763:今年の楽しみは旧友に会えること?

 この場で元旦に年賀状代わりの挨拶はしたものの 従来の形で文章を綴るのは今回が今年初めてである。
 事務所は昨日から3連休で今日はその2日目であるが、毎年この連休は非常にありがたい。
 新年早々にまた連休 という感じを持たれる方もあるかもしれないが、お正月でなまった体と心にはたとえ年始の数日間だけの仕事でも結構堪えるもので、今やこの休みを終えてやっと本格稼働という感じがしないわけでもない。
 以前は1月15日が成人の日であったが、20年程前から1月の第2月曜が成人に日と定められてからは、土曜日が休みの人は 必ず3連休になるので、社会人にとっては正月過ぎのお年玉のようなものである。

 我が家は3人の子供(長男の所は奥様だけ帰京)が、それぞれの都合で年末から年始にかけて京都にやってきた。みんな揃って一斉にというのではなく、ぱらぱらという状態であったので12月26日の夜から1月5日の朝まで常に誰かが来ているという状態で、ある意味 長く続く正月という感じであった。
 私はいつものように自分の思うままに動いていたが、カミさんはこの10日以上の対応は結構大変だったように思う。ただ、こうして顔を見せに来てくれるのは非常にありがたいことと 皆に感謝している。

 年末のどこかで散髪にと思っていたところ、事務所の近くの行きつけの店の予約がとれなくて年を越してしまったが、今日の予約がとれていたので、頭の方は年をまたいでやっとすっきりしたという状態である。
 ここのお店は金曜日は昼始まりで夜10時まで、そして月に一回は店長の家族サービスの日で連休をということで、日曜日を休みにされている。
 以前は美容院も含め月曜日が休みというのが定番であったが、今度はそれぞれの立場でいろいろな選択肢がでてくるんだろうなと思った。

 次の土日は大学入学共通テストで受験生やその親御さんは息の抜けない年始であろう。
 こんな方々に次の日曜日は毎年 京都で開催される全国都道府県対抗女子駅伝は楽しみなんです なんていうと、何とも失礼なというか、緊張感のない人だなと思われるので、それぞれの方の今の立場の考えながら話をしないといけない季節でもある。

 余談だが、我々の頃はこの試験は「共通一次」と言っていたし、うちの子供が受験していたころは「センター試験」と言っていたのに、知らぬ間にまた名前が変わっていて、これも世の中の変化の一つであろう。

最後に
 今や年賀状には賛否両論あり、年々減ってきているように思うし、「今回で書き納め」という方も何人かあり、そのこと自体は各人の考えで対応したらいいと思っているが、受け取った年賀状で今年の楽しみになりそうなものがあった。
 それは陸上部以外では数少ない大学時代の友人(同じ経済学部)からのもので、「いよいよ定年の年です。3年前から古い友人と会っていて、もうすぐ京都です。」と書いてあった。
 彼は神戸出身であったが就職してからずっと関東在住で、大学卒業後 結婚式以外では一度も会っておらず、もし今年会うことができればなんと34年ぶりである。
 コロナがまたまた怪しげになってきたので こういったこともどこまで実現できるか分からないが、こんなことも楽しみにしながらこの一年を乗り切っていきたいと思っている。

 私は毎朝、6時過ぎに目が覚めると すぐさま新聞を取りに行き、その後 まるで病室の病人のようにベットにもたれかけながら、1時間くらい新聞2紙に目を通すのが日課であるが、その時 カーテンを全開した窓の外は、明るくなってくる時間が確実に早くなってきている。
 ただ、日中の最高気温が10℃を下回るようでは、春が近づいてきてるとは言い難いし、まず その前には最大の難関である確定申告を終えないと、我々の業界は春が来ないのは分かっている。
 あと2カ月はまだまだ心身とも厳しい日が続くということである。
 春が待ち遠しいいなー。
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2022年01月01日

No762:謹賀新年

あけましておめでとうございます
 新たな年を迎え みなさまはどんなお正月をお過ごしでしょうか。
 今年も事務所の年賀状で新年のスタートをきらせていただきます。
 以下、事務所の年賀状より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

謹賀新年  

今年も無事 新年を迎えることができました。
コロナ騒動が起こる前は、新しい暦を見ながら また1年経ったのか とお決まりのように大した思い入れもなく元日の朝を迎えていた人もいたでしょう。
しかし コロナが世にはびこってからは、多くの人が「去年は大変だったけど今年こそは」と今まで以上に 次なる年に期待する気持ちを持って新年の訪れを待つようになったのではないでしょうか。
不安な世の中になればなるほど、周りの人に頼る機会も増えてくるかもしれませんが、こんな時こそ自分のそばにいる人に感謝し、今まで以上に他人を思いやる気持ちが必要となってくるように思います。
私はこの1年、次の言葉を頭の片隅に置きながら過ごしていきたいと考えています。

 「人のせいにしない。人をせめない。全てに感謝。」
(オリックス 山本由伸投手:弱冠23歳でプロ野球 投手部門のほぼ全タイトルを獲得)

これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

  令和4年 元旦 

廣井増生税理士事務所
 所長 廣井増生

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
URL:http://www.tax-hiroi.com  
Tel:075-406-7020 
Fax:075-406-7025
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2021年12月26日

No761:従業員を辞めさせたくない

 なんと 次の日曜日は新しい年となっているので、今日は今年最後の日曜日である。
 この一年間を振り返ってみると新規開業支援、医療法人の設立支援、それに相続関連の業務等 例年何件か舞い込んでくるこういった業務以外に、今まで手をつけたことのないような分野での仕事をいくつも手掛けた年でもあった。
 既にキリがつき 完了しているものもあれば、2年がかりになる仕事で、継続しながら来年に持ち越しになっているものもある。

 自分自身 この一年で決して目を見張るような成果があったわけでもないが、新しい分野の仕事(具体的な内容はここでは差し控えてが)というのは、研究というか、調べることも多く、自分の知識不足をあらためて感じることが何度かあった。
 中には 期日内に答えを出さないといけないものもあり、今年は結構緊張しながら仕事をする局面がいつになく多かったように思う。
 
 こんな中、事務所の運営をする上で、税理士というよりも経営者として、常に心掛けていたことが一つだけある。
 それはできるか限り人を「辞めさせない経営」をしようと強く思い続けていたことであろう。
 どこの事業所でも、経営者が自分の所で働いてくれている従業員に100%満足しているかというと そうではない場合もあるだろうし、中には辞めさせたいなと思うような人を抱える事業所もあると思う。
 我が事務所は現在 パート4人、嘱託1人を含む20人体制で業務を行っているが、パートの人は個人的な事情のある方も含め、2〜3年に一人くらいは辞めていかれるが、常勤は4年ほど前に地方の実家に帰るため退職した男性以降、ここまで退職者を出さずに運営できている。
 なぜ? ということはさておき、このことで「退職→求人→面接→採用→(新人)教育」というお決まりの人員確保、人材育成ということにかける時間が非常に少なくて済んでいる。
 また、退職者や人に入れ替わりというのは経営者にとって最大のストレスであるが、これがない分、最初に述べたような新しいことに取り組む力が残されている。
 当然、人件費の上昇は経営者として気にかけないといけないことかもしれないが、我々の業界でのお決まりの業務である「法人の決算」、「個人の確定申告」、「年末調整」等は、『○○の改正点と昨年多少問題のあった□□だけは気をつけ、他は例年(いつもの)形で早めに準備をして、進めてようにしてください。』と号令をかけるのが私の仕事で、「いつものように」とは言っても、毎年毎年 その仕事のスピードはどんどん速くなっていっていて、「えっ? もう終わったん」と思うこともしばしばある。
 採用について何か特別に心掛けていることがあるわけでいが、人を採用するときは、人員不足に陥ってから 焦って採用しないようにはしている。ただ、決して余剰を抱えられる状況でもないので、その+1名の新規採用のタイミングには細心の注意を払うようにしている。
 実は1月5日(事務所の仕事始め)から、20代半ばの常勤者の採用が決まっており、新年早々楽しみにしていることの一つである。
 この新入社員は事務所の最年少で、平均年齢の引き下げにも寄与してくれる人材でもある。

 事務所内で年齢が一番上の方は59歳のパートの方であるが、仕事ぶりは全く問題ないのでご本人からの申し出がない限り、まだまだ働いてもらおうと思っているし、これからの時代、「○○才まで」なんて年齢で区切りをつけるのではなく、今の仕事がやってもらえる限りというのが、今後 60歳以上の人を雇用する上で必要なことであろう。

 年の最後に偉そううな話をしてしまったかもしれないが、自分自身に対して、自分が採用したからには、「 今後も人を大事にしろよ」という戒めの意味も含めて事務所の現状を振り返ってみた。

 それにしても本当によく仕事をしてくれる人ばかりで、「辞めてもらってもいい人は一人もいない」という中で仕事ができる環境に感謝しながら今年の幕を下ろすことにする。
 当事務所は12月29日から1月4日まで休暇になるが、しっかりとした骨休めと少しばかりに充電ができればと思っている。
 とはいっても明後日[12/28(火)]までに片づけないといけないことはまだまだ残っているので、ひとまず今日はこの辺で失礼します。
 では、皆様もよい年の瀬と年始をお過ごし下さい。
posted by ヒロイ at 15:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月19日

No760:ずっと気になっていること

 日本語の使い方が気になること自体、“おじさま”なのであろうが、最近では当たり前になってきている 「全然○○です」・・例えば、「全然 大丈夫です(できます)」とか「全然 間に合います」という言葉の使い方にはいまだに慣れないし、自分自身うまく使えないのか、一度も使ったことがない。
 例えば、「○○は全然できそうにありません」とか、「前の人には全然追いつけません」等、私が習った国語教育では、「全然」の後には、否定的な言葉がくるものだと習ったし、学校で習っていなくとも 「全然・・・(否定形)」はごく当たり前だと思っていた。
 それが最近はビジネスシーンでも使われることがあり、問題なくできることを「全然OKです。」と普通に言ってくるので、最初に「全然」と聞くと、ダメだったのかと思いきや結論は 問題なし ということを告げられ 頭の中が ? の状態になることもある。
 こういった使い方はいつからこの世にはびこったかは分からないが、周りの人を見ていると現在の年齢で50歳前後がこの言葉遣いの境のように思う。

 ただ、人の言葉使いに神経をとがらせ、偉そうなことを言っているが、私自身、先日発表された2021年新語・流行語大賞ベスト10のうち5つしかその言葉の意味が分からなかったし、この旬の言葉が分からないことの方が ある意味ずっと時代遅れなのかもしれない。
 ところでみなさん下記の10の言葉のうちいくつ分かりますか?
 少し恥ずかし話ですが、5つ分かったといっても、そのうちいくつかはきちんとした説明はできず、何となくというか ぼやっとでも意味が分かったものも含まれている。
 どこかで恥をかかないようにと新聞に載っていた言葉の由来や意味に目を通したが、使うこともなければ気に掛けることもない言葉なので、頭に残ることもなく数週間のうちに、元々知っていた5つ以外はたちまち意味が分からなくなってしまった。
 その中でも一つだけ最初は分からなかったが、この学習の成果として、今でもボヤッと覚えているのは 「スギムライジング」くらいである。

○リアル二刀流/ショータイム
○うっせぇわ
○親ガチャ
○ゴン攻め/ピッタピタ
○ジェンダー平等
○人流
○スギムライジング
○Z世代
○ぼったくり男爵
○黙食

 こんな状態なので、今の若い人たちが言っていることなど 到底理解できない世代に入っていっているのかもしれないが、クイズ番組に出るわけでもないので、こんなことを無理して覚えるつもりもない。
 それにしてもいろいろな意味で世代の格差や生きていくステージの違いを感じるようになったのは、自分が年をとったからなのか、それとも世の中の変化が今まで経験していたようなものとは全く違った流れになってきているからなのか、どうであれ分からないことが多すぎる。
 若い人たちに理解を示すことは必要であっても 本質に迫る必要もないというか それはなかなかできないし、自分なりに今まで生きてきた延長として、あと何年か仕事をし、人に迷惑を掛けずに人生を送れたらいいと思っている。
 
 年末になってからではあるが、最近 気になっていることをぼやいてちょっとすっきりした気分である。
 でも、よくよく考えると今日の話って、誰も悪くないもんね。
posted by ヒロイ at 22:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

No759:平均寿命の延びが相続への対応を難しくしている?

 当事務所が定期的に発行している資産に関するレポートの相続の準備に関するアンケートに「何も対応していない」という人が全体の6割近くあり、その理由で一番多いのが、「時期尚早だと思っている」というもので全体の約45%を占めていた。
 実はもう少し掘り下げ年代別で見た場合、比較的若い層ならこういった理由も理解できるが、70歳以上で「時期尚早」が30%もあったのには驚いた。
 では、何歳になれば相続に関する対応をするのか、70歳以上の方に確認したい気持ちになってきた。 
 相続というと ついつい資産家の相続税への対応のことが思い浮かぶが、今住んでいる家を誰に相続させるのかとか、お墓のことや不動産の管理・処分に関してはどのようにするのか等、資産家でなく、いわゆる一般人であっても相続ということに関しては何らかの事前対応が必要と思われる。
 
 ここでは深い部分までは触れられないが、80歳を過ぎた方でも、「今後のことはもう少し経ってから考えようと思っている。」とおっしゃる方も何人かいらっしゃる。
 別に財産とか相続税がどうとかいうことではなく、自分が亡くなった後のいろいろなことの対処の仕方は、子供をはじめとする親族の方にある程度 話しておく必要はあるように思うのだが・・。
 突然 亡くなったり、亡くならなくとも救急車で病院に運ばれるようなことがあっては、取引のある銀行や証券会社、それに通帳や印鑑の場所さえ本人しか分からず、困ったことも起こってくるように思う。
 あと、今後 相続の仕事で大変になってくるケースとしては、最近 増加傾向にある未婚の方やあまり親族と交流することなく亡くなっていかれた場合であろう。
 どんどん高齢化が進んでいく中で、私の周りでは亡くなられた方の年齢が90歳以上の例もいくつかあり、実はその亡くなられた方(被相続人)の関係者に連絡することさえ困難なことも生じてきている。
 少し話がそれるが、頭の整理も兼ねて、相続関連の冊子に載っていた平均寿命の推移を掲げてみる(抜粋)。

[昭和22年] 男:50.06歳  女:53.96歳
[昭和40年] 男:67.74歳  女:72.92歳
[平成 2年] 男:75.92歳  女:81.90歳
[令和 2年] 男:81.64歳  女:87.74歳

 これを見て驚いたのは、戦前の平均寿命が短いことや私が生まれた頃(私は昭和37年生まれ)と現在を比較すると、男女とも15歳近く平均寿命が延びている点、そして、ついこの間のような平成2年からも5歳以上延びているという点、これらは全て想像していた以上であった。
 平均寿命の伸びは医療技術の進歩が一番の要因かもしれないが、変な言い方(場合によっては失礼な言い方かも?)をすると。本当にそう簡単には死なない、そして死ねない世の中になってきている。
 そういう意味においては、最初の相続についてのアンケートで「何も対応していない」という人が多いのもうなずけるが、これはこれで個人的には問題を先送りしているだけのような気もする。

 先週、70代半ばで今後の人生について、資産、家族、仕事(開業医)についていろいろの角度から かなり真剣で考えている方と面談する機会があったが、この方はあと1、2年のうちに廃業(継承)や自宅の処分、転居も含め大きな決断を下されそうで、ある意味 今後の見通しがはっきりしている数少ない人である。

 一般的にはサラリーマン等 定年のある方は、節目節目でいろいろな変化があるが、開業医を含め事業をされている方は、定年もないので年齢についての節目がつきにくく、特に後継者がいらっしゃらなければ健康状態の変化があって初めて、節目が訪れるという方も少なくない。

 我々の仕事も税務・会計が本業とはいうものの、長くお付き合いしてきた経営者の方々の事業や人生の終い方というか、ソフトランディングの仕方をいっしょになって導くことも大事な仕事で、今まで関与してきたことへの恩返しともいえるようにも思う。
 ただ、こちらがいくら気をもんでもご本人がその気にならなければ、話は一向に進まないのが現実であるが。

 それにしても平均寿命はどこまで延びるのか? また延びることメリットだけでなく、問題点もしっかり把握しながら対処していく必要があるように思う。
 それにしても今回のデータを見てすごいと思った。女性であれば85歳で亡くなった場合、「ちょっと早いですね」ということになるのですから・・。
posted by ヒロイ at 17:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月05日

No758:【再掲・・No16:“かに”は3時のおやつ(2007/12/08)】

 いよいよ12月に入り、本来であれば いくつかの忘年会が始まる時期ですが、当然のことながら 今年も昨年に引き続きそういった集まりは一つもないし、事務所の忘年会も2年連続 「開催は見送り」と一ヶ月ほど前に発表した。
 ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
 事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
 その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
 このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
 前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。

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【No16:“かに”は3時のおやつ  2007/12/08】

 京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
 T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。

 おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
 まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。

 最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
 でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
 
 先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
 お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。
posted by ヒロイ at 17:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月28日

No757:今だから話せます 「本当に運がいいと思いました」

 妙なタイトルですみません。
 実は1ヵ月ちょっと前に車が大破するような事故に遭った。
 ここで取り上げるのもどうかと思ったが、相手が車でも人間でもなく、動物だったので参考になるかどうかは分からないが当時の様子を簡単に綴ることにする。
 
 相手の動物は鹿で、片側1車線の高速道路を走行中、私の車の上から突然 飛んできた。
 京都府北部の顧問先で仕事を終えての帰り道で、時間は夜の7時半頃であったが、周りは山に囲まれ 真っ暗で、しかも小雨が降っていた。
 衝突の瞬間は「上から何かが落ちてきた」という感じで、後から事故処理に駆けつけられた道路公社の人から話を聞くと、鹿が左側のガードレールを勢いよく飛び越えて車の前のボンネットに上から落ちてきて、その後、フロントガラスに当たって右側に落ちたようである。
 実は鹿が車に当たった瞬間に6つのエアバックが1秒もしないうち、つまり瞬時に開いたので、私の目の前はそのシートで真っ白となり何も見えなかった。実はその衝突した鹿さえも一度も見ていない。事故処理後、写真で見せてもらいましたが・・。
 私は山からの落石かな、「ヤバい」と思ったが、その数秒後(ほとんど覚えていないが)、何とかエアバックで前も見えない中、無意識のうち車を左の路肩に避けて、1車線の本線が徐行できるスペースを空けていた。
 ただ、避けた瞬間エンジンは止まり、その後は二度とかからなかったし、エンジンも折れていたその車はその後 全損扱いで廃車となった。

 そしてしばらく何が起こったか分からないまま放心状態でいると、「大丈夫ですか、すごい鹿でしたね。後ろを走っていたうちの車がはねてしまいました。」とドアを開けて若い男性の方が話しかけてこられた。
 「えっ、鹿だったんですか? あの落ちてきた物体は」と思わず叫ぶような声を出していたが、この時やっと何が起こったのか少しずつ分かるようになっていった。
 幸い私の体はどこかにぶつかるでもなく、車内で四方から出てきたエアバックに体が触れることもなく、不思議なくらい何のけがもなかった。
こうして元気なのでいえる話であるが、エアバックが開いた後は花火の時の火薬のようなにおいが車内に充満していた。
 実はエアバックに気づくまでは車の前のガラスの外側に塊の入った白い袋が落ちてきたと思っていたし、これが車外にあるのか車内にあるのかさえも しばらく判別もできない精神状態であった。
 私が連絡した警察とこの道路を管理している公社の方が30分ほどで到着し、聞き取りがあったが、その後 レッカー車の到着までの約1時間半は寒い山中で待つしかなかった。
 そしてレッカー車到着後、無残にも破壊された私の車はレッカー車に積まれ、私は助手席に乗せてもらい京都まで戻った。
 翌日 車をトヨタの販売店(修理工場)まで運んでくれるとのことだったので、車内に残っていた3つもある かばんや袋を抱え、タクシーに乗り込み12時半ごろ何とか自宅に帰ってきた。

 体こそ、何とも運がいいというか無傷であったが、この日はなんだか興奮してあまり眠れなかった。
 翌日からは自動車保険の30日間レンタカー無料サービスを利用して、通常の仕事をこなすことができたことも、翌朝 車の状態を見るとまるで奇跡としか言いようがない事故であった。

 今回の一件は果たして運がいいのか悪いのか?
 多くに通行量の中で私の車に鹿が飛んできたことは何万分の一か何十万分の一以上の確率で運が悪かったのであろうが、こうして元気でいられるということは、当たっておきながら言うのもなんだが、すごく運が良かったと言えるのかもしれない。
 雨の降る日の真っ暗の中で、横からならまだしも、上から降ってきた鹿は誰であっても避けようがなく、今となってはまるで夢のような一件であった。

 少しだけ鹿事件の話を というつもりが、ついつい興奮して長くなってしまいましたが、みなさんも気をつけましょう 高速道路での鹿には。
 とはいっても避けようがないんですけどね・・・。
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2021年11月21日

No756:やはり秋は物悲しい

 先日、ある顧問先の院長のお母様がお亡くなりになられた。
 80代半ばではあるが、5年程前にご主人を病気で亡くされた後、この1、2年前まではご自身で病院へ通われたり、趣味の延長の習い事(勉強)もできる範囲でされていて、何とか自分の体を気遣いながらも 充実した日々を送っておられた。
 今年の2月下旬には、確定申告の報告を兼ねて電話連絡したところ、コロナが広がりだした昨年の春以降は、なかなか外出したり、人と接触することができなり とても寂しくなったとおっしゃっていた。
 このお母様とご主人(先代の院長)は私が前に勤務していた税理士事務所からのお付き合いで、大学を出て間もない20代半ばくらいから、今の事務所で新しい担当者が決まるまでの間、約25年近く面談をしたり、いろいろな相談を受けたりしていた。
 
 この方以外にも私がまだ20代だった頃から訪問や面談をしていた方がここ数年 相次いでお亡くなりになっている。
 事業としてはしっかりと後継者にバトンタッチされ、事業承継という点では問題はない方がほとんどであるが、お付き合いの期間が長かった人ほど 思い出すことも多く何とも寂しいものである。
 
 大学を出てすぐの頃、一応 仕事の仕方だけは先輩から教えてもらっていたが、礼儀作法というか、ビジネスマナーはほとんど身に付いていなかった。そんな何も分からない当時の私をよくぞ不満も言わずに受け入れてくれたのもだと 今になって感謝の気持ちが沸き起こってくる。
 今80代でご存命の方も同年代で既にお亡くなりになられた方も 今から思えば一本 筋が通っていて、何か間違いがあるとよく怒られたものである。ただ その時、単に怒られるだけでなく、必ずこうしたら次は失敗しないから というアドバイスまでいただいた。

 ある時、大事な相談があると事前に言われておきながら、その後の訪問先の到着時間までに十分な時間の確保ができていなかったので、相談の時間が足りず そわそわしながら何度となく横目で時計を見ていると、「もう少し落ち着いて相談に乗ってもらえると思っていたのに、次の人との面談時間のことばかりが気になっているようなんで、今日はもう相談する気がなくなった。」と大目玉を食らって突然 面談の打ち切りをされたこともあった。
 また、別の方であるが、その方の話を聞くときの私の態度や姿勢が悪い(「なってない」)ということで、座っていた応接のソファーから降りるように言われ、横の畳の間で正座させられたこともあった。
 今なら「・・ハラ」と言われるような、上から下への問題発言であったり、問題行動になるかもしれないが、まだ昭和の時代はこんなことはさほど不思議ではない光景であった。
 ただ こういった方々の熱い思いや厳しい躾のお蔭で、何もわからなかった若僧が少しずつ世の中のルールを身につけていける、それはそれである意味 よき時代でもあった。
 今回亡くなった方は私が時間の調整がつかず やむなく昼前に訪れると、温かいラーメンを準備して待っていてくださり、「あんたら若いからお腹すいてるやろ、仕事に入る前にまず腹ごしらえせんと。」というまるで母親のように暖かい言葉を掛けていただいた。
 こういった方々は数年前から一線は退かれていたので、お目にかかるのも1年に1度か、電話で声を聞くくらいの関わりになってしまっていたが、今回亡くなられた方は、今年の3月に電話をした時は、「廣井さん、長いこと会ってないな、いっぺん顔が見たいわ。コロナが収まったら一回誘うからお昼ぐらいいっしょに付き合ってな。」と言われていた。
 う〜ん、その楽しみも実現できずに亡くなられてしまった。コロナさえなければ、あと1、2度はお目にかかったり、いっしょに食事ができたかもしれないのに。
 今こうして思うと、コロナって本当に多くのものを奪い取っていった憎きものであるが、こうして振り返ってみると 私は今まで本当にいい人に囲まれながらここまで仕事をすることができたなとつくづく感謝するばかりである。

 今日は先週亡くなられた方のことを思い浮かべながら、今の思いをまとめてみた。
 過去のことを思い出す、これは決して無駄ではなく、時にはとても大事なことであるとあらためて感じた。
 ただ、今回のようなこともあってか 秋は本当に寂しさが募る季節である。
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2021年11月14日

No755:見本となるような定年後の暮らし

 新型コロナの感染も多少 下火とはいえ、まだまだ表立って人と会うことはしづらい状況であるが、今日 60歳を超えたご夫婦と2年ぶりに会って話しをする機会があった。
 ご主人は40年以上の会社勤めを終え、今は年金暮らしの65歳、奥様は63歳でもうしばらくパート勤務を続けるとのこと。
 このご夫妻の懐具合は分からないが、子供は3人とも独立されているので、無理さえしなければ夫婦2人 十分に普通の生活ができる状況のようである。
 定年退職されているこのご主人は朝夕とパート勤めの奥様を駅まで送り迎えをされること以外に、買い物から食事の準備までほぼ毎日されているようであるが、ご主人は定年までは家事はあまりされず、基本的には奥様がされていたが、今は土日以外はほぼ毎日ご主人が食事の用意をされているようである。

 今日 話を聞いて感心したことがいくつかあったが、
 まず一つ目は、長年連れ添った夫婦と言えども、年齢や家族構成の変化、それにそれぞれの置かれている状況に応じて生活のスタイルを変えておられることである。
 少し前までは家庭内において、男の仕事と女の仕事ははっきりと分かれており、私の父も家事をすることはなく、亡くなるまでこのスタイルを崩すことはなく続けていた。
 しかし、これってどちらかが亡くなったり、あるいは病気による長期入院があったような場合、たちまち家庭として日常が機能しなくなり、場合によっては大変なことに陥ることだってある。
 そういう意味でこのご主人の変わりようは、老後の生活で重要なことを65歳以降 自然に習得されつつあるという点では何とも立派なものである。

 そしてもう一つ、こちらがなかなか難しいことであるが、平日にほとんど空いた日を作らずに活動されていることである。
 事業をされている方や定年後も何らかの形で仕事に関わりたい人はそれはそれでしっかりしたライフワークを推し進め、それまでと変わらないような充実した日々を送っている人もいるが、この方は平日も若い頃されていたテニスをし、小学校以来という俳句を市民教室で習い、あと、若い頃 仕事での出張で毎月のように訪れていたお隣の国の韓国語まで学んでいるとのことであった。これに持病を抱えておられるので病院通いもあり、ほとんどの日、カレンダーが埋まっているようだ。
 男ってこの人のように、若い頃から形を変えることができなくて、家庭内においても煙たがられたり、しまいには役に立たないように思われて、夫婦や家族の間に溝ができることだって少なくはない。
 ドラマでもあるが、「定年後、毎日 家でゴロゴロしていて・・。」と言われるようでは長い老後の生活、決して充実したものになるとは思われない。
 この方は長男なので1、2年後には京都の家を売り払い、田舎に戻り、現在空き家になっている実家で生活することも計画中で、奥様もこの考えに乗っておられるとのことで これもなかなかうまく事が運びそうである。

 「男だから」、「俺は長く働いてきたから」、「あとはすることもないしゆっくりと」なんて思っているといい老後なんて送れいだろうし、自分の置かれている立場が今までの会社人間とは違うことを一日も早く自覚することが大事なんだろうなとこの人を見ていてつくづく思った。

 今日の話は若い人にはピンとこないかもしれないが、私も含め55歳以上の人であれば十分参考になる話のように思う。
 60歳、あるいは65歳以降も仕事を続けられる方はもちろん仕事の中で充実感を見いだされたらいいと思うし、定年後 一息つこうと思っている人にとっては今日の話はいつまでもいて欲しい人と思われるためにもヒントになる部分もあるように思う。
 ただ、どんな場合でも健康が第一であることはいうまでもない。
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2021年11月07日

No754:気持ち次第で大音量もこれだけ違って聞こえる

 この土日は仕事だけでなく、プライベートでも人と会う予定を入れていなかったので、少しだけ身の回りの整理をした後、溜まっていた仕事関係の書類に目を通したり、本を読んだりして、久しぶりに自分の時間を過ごすことができた。
 
 普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
 この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
 仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
 仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、

 家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
 私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
 今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
 最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
 今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。

 上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
 “心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
 今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも
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2021年10月31日

No753:決算の説明で褒めちぎった顧問先

 コロナが蔓延してから、腹の底から笑うことが本当に少なくなってきたような気がする。
 これは楽しことが見当たらないというだけでなく、楽しいことがあってもその出来事の全てを人に言いにくい雰囲気がまだまだ世の中にはある。
 乗り物好きの私も長い間、飛行機や新幹線には乗っていないが、仮に今後どこかへ旅行に行ったとしても、しばらくの間は以前のように「○○に行ってきてん、 名物の○○もめちゃ美味かったし」と言える状況ではないように思う。
 ただ、徐々にとはいえ人の動きも出て来て、私の周りも多少なりとも明るい話題もちらほら聞かれるようになってきている。
 今までのような遠方へ旅行に行った人にはなかなかお目にかかれないが、「娘のところに行ってきてん」とか、「久しぶりに じじばばに孫の顔を見せてきました」というような、身内の中で行き来された話は、この1ヶ月で何人からか聞いた。
 コロナに関してはまだまだ油断できないし、この先 年末までに何が起こるかわからないので、気を緩めることはできないことに変わりはない。

 こんな中で少しだけほんわかする話です。
 ある顧問先の経営者(クリニックの院長)には、現在30前後のお嬢さんが2人いらっしゃるが、10年程前はそれぞれの成人式の晴れ着姿が院長のパソコンの画面出てくるようになっていて、照れながらも何ともうれしそうに私の方へ画面を向けられた。
 先日 訪問したときは、二年前に結婚された長女さんへ住宅資金贈与の相談があり、その後、お孫さんへの教育資金贈与の話になったが、私は「お孫さん いつお生まれになられたんですか?」と聞くと、「いや、まだ娘は妊娠中で出産は来年なんです。先日、うちのエコーで見たらはっきりと見えまして、もう感動もんでしたよ」とおっしゃったが、思わず「お生まれにならないと贈与できませんよ。」と笑いながら答えた。
 この先生とは、クリニックを開業された15年程前からのお付き合いであるが、何年経っても開業当時の謙虚な気持ちをお持ちで、患者さんの受けも大変よく(私の知っている人も患者で通っている)、また、コロナへ対応もどこよりも早く、患者も安心できるクリニックという見方をしているようである。
 そしてこの4ヶ月はコロナワクチンの接種に追われ、いっしょになってそれに対応してくれたスタッフに対する待遇も院長の気持ちも込め 他のクリニックよりも手厚いものであった。まさに院長とスタッフが一体となり、体を張っての奮闘ぶりであった。

 最後にこの先生の人柄を表したものとしての話をもう一つ。
 3年前に還暦を迎えられた時、奥様とスタッフが院内食事会の中で番外の“還暦お祝い”を先生には内緒で計画され、それが実行に移された当日は、先生は驚きを超え、感無量の表情だったとのこと。
 この先生はいい車にこそ乗っておられるが、必要な物はすぐ取り入れ、ムダなものには手を出さないという何か信念のようなものをお持ちの経営姿勢で、今まで銀行からお金を借りられたことは一度もない。
 先日 説明をした決算数値は手堅い経営内容を表す数字が並んでいて、思わず「今回の決算数値は全く問題がありません。このままの形、今までどおりの経営姿勢で続けていって下さい。」と私の思いを率直に伝えるだけで終わった。

 この先生は口数こそ少ないが、接していると「謙虚な気持ちは何よりも勝る」ということが伝わってくる感がある。
 
 本当に顧問先の方々は良き見本の宝庫であり、まだまだ地に足がついていない私にとって、本当に見習いたい生き方が目の前にたくさんある。
 変な話、これだけでも税理士っていい仕事だなとつくづく思う今回の話でした。
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2021年10月24日

No752:いよいよこの時期がやってきた

 税理士業界が一年の中で一番忙しい時期というのは1月後半から3月後半までの確定申告の時期であるのは世間でも知られていることと思うが、実はこの時期だけでなく、我が事務所では確定申告に向けての準備を10月から始めるので、今の時期もいろいろな業務が立て込んでくる時期である。
 確定申告というのは1年間終わったものを決算という形にまとめ上げ、税金の計算をするというのがメインであるが、当事務所では毎年10月になると、8月までの実績に年末までの残りの期間(9〜12月)の予測値を加え、「決算・税額予測」なるものを顧問先に提示している。
 これは各担当者が8月までの数値をもとにして、あと4ヶ月分の予測を立てるという作業であるが、昨年と同様 今年も今までにはなかった”コロナ”の影響を受けている顧問先も多く、予測すら立てにくい先も何件かある。
 ただ、税金のことだけでなく、中には資金繰りの心配や相談に乗る必要のある顧問先もあり、担当者の頭のひねりどころであるし、この決算損益予測という作業は、顧問先のこの一年間の活動をあらためて確認すのには非常に意味のあることである。
 どの業種もコロナに翻弄されているとはいえ、先回りしながらコロナ対策を立てたり、避けることなくじっくり向き合っている事業者はそれなりの業績が維持できているのを見ると、向かってくる敵には勇気を振り絞って向かっていかなければならないこともある というのがコロナ対策を練っておられる方々を見ていて感じることである。

 当事務所の顧問先の多くを占める医療機関もこの時期になると、コロナのワクチン接種はひとまず横に置き、これからは例年どおりインフルエンザのワクチン接種で忙しくなってくる。
 世間では”医者”というのは高学歴で高収入というのが一般的な捉え方あろうが、身近で見ていると国をはじめとする行政からの要請と患者さんからの要望という、ある意味 考えの違うものの板挟みで頭の痛いも多くなってきているように思う。
 医者に接する機会は多いが、仕事上で寄り添っているからなおさらであろうが、「医者って羨ましい」なんて思うことはまずない。いや〜、そりゃ大変ですよ、特にコロナ後は。

 コロナに振り回されているとはいえ、街中はそれなりに行きかう人も増えているが、果たしてこのまま 以前の日常に戻っていいのか そんな思いを抱きつつ、半信半疑のまま外出をしている方も多いように思う。
 気のせいかもしれないが、コロナ前の心の底からレジャーを楽しんでいるようには見えないんです、人の顔を見ていると。

 今年もあと残すところ2ヶ月とちょっとになってしまったが、このまま年末まで突っ走るのではなく、この10月後半は少しだけ立ち止まって、ここまで今年がどんな年だったのか、そして残りの2ヶ月、そして来年はこんな年にと、考えてみるラストチャンスかもしれない。
 11月になると誰しもがお尻に火が点いてくると思うので、その前にという意味である。
 
 今 私がパソコンを打つ横にいるポポタン(ワンちゃん)はいつもどおり、本当に気持ちよさそうに眠っているが、そろそろ起きそう時間なので、起きたら散歩にでも行ってきます。
 では、日に日に寒くなりますが皆様方もお身体には気をつけて年末までの2ヶ月を乗り切ってください。
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2021年10月17日

No751:12年ぶりのJ1復帰まであと一息

 今日は久しぶりにスポーツの話題です。
 スポーツといっても今盛り上がっているサッカーワールドカップのアジア最終予選でもなく、いよいよ佳境を向かえている日本のプロ野球のことでもない。
 今や注目度では下降気味とも言われているサッカーJリーグ、しかもJ1ではなく、J2 いわゆる2部の話題である。
 このJ2の順位を追っている人は極まれだと思うし、今 J1への昇格が可能となる1、2位にどのチームが入っているかご存知の方ってほんのわずかしかいないとは思うが、なんと20年近く応援し続けている地元の京都サンガFCが昇格圏内の2位に着けているんです。
  京都新聞とKBS京都(テレビ、ラジオ)では たまに取り上げられる機会もあり、さすが地元メディアだなと感心することもあるが、他では話題にもあがらず、私の周りの人で興味を示す人はほとんどないという状態である。
 先日も事務所のある男性スタッフに「サンガが今2位なんで今年こそはJ1に上がるかも知れんな」と私が話し掛けると、「結構 調子がいいのは聞いていましたが、そんな上なんですか」という 大して関心のなさそうな返事であった。
 私も元々はサッカーにそれほど興味のある方ではなかったし、子供の頃は当時 サッカ不毛の地と言っていいような田舎に住む ただの野球少年であった。
 というか当時の私の地元には中学までサッカー部がなく、小学、中学ではサッカーに触れるのはせいぜい体育の授業くらいであり、ルールもほとんど理解しないまま試合をしていた。
 オフサイドなどの決まりごとはほぼ無視され、キーパー以外は手を使ってはいけないというくらいがみんなの共通のルールであった。
 逆に野球は数名のプロ野球選手を輩出し、ノムさん(野村克也氏)の出身地も同じ地方で、そりゃ野球は子供から老人まで、朝から晩まで盛んな地域であった。

 そんな環境下で育ったので、スポーツとしてサッカーに関わり出したのは、長男が小学3、4年の頃、少年サッカーチームに入ってからのことあり、確か日韓ワールドカップも開催され、日本中がサッカーで沸き返っていて、当時は子供といっしょに西京極にサンガ(当時は「京都パープルサンガ」というチーム名であった)の応援に何度も通ったものである。
 一番多い年は1年に10回以上は行っていたでしょう、紫色のユニフォームを着て。
 サッカーチームのユニフォームは毎年デザインが変わるので、今 当時のものを着ている人はいないが、一応 子供たちと過ごした思い出の品として、私のタンスの底にずっと置いていたが、実はこの春の衣替えの時、弱いチームのものだし、着ることもないのでと思って処分したところである。
 もし、ユニフォームを処分した年に12年ぶりにJ1に昇格したとすれば、過去を捨てたことによって這い上がってきたのかと勝手に感傷にふけったりしている。

 いずれにしてもまだ今日の夕方からの試合を含め9試合も残っているので、最後まで分からないが、私にとってはコロナで明け暮れ、何ともどんよりした年にちょっとだけご褒美があってもいいのかなとJ1復帰を願っている。
 年末まで結構仕事は詰まっているが、その合間に(スタジアムに行くことはできないが)サンガの試合を追うことで息抜きができればと思う。
 最終戦の12月5日にはどうなっているのか、年末までの楽しみを持つ、にわか復帰のサンガオールドファンの一人である。
 今日の16時からの試合で勝てば、また一歩 J1が近づくのにな・・。
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2021年10月10日

No750:時間の怖さ

 先日、ある大事な打ち合わせで当事者の一方の人が、打ち合わせ開始時間を勘違いされていたという、結構ドキドキすることがあった。
 私の事務所で4名で打ち合わせをすることになっていて、私とあるドクター(A先生)は予定時間である午後5時の10分くらい前からスタンバイしていた。
 この日に非常に重要な話に来られる予定になっていたある取引関係の会社の方(Bさん、Cさん)が、約束の5時を10分過ぎても、15分過ぎてもお越しにならない。
 A先生と顔を見合わせながら、「何が何でも遅いですよね、連絡もないし。何かトラブルでもあったのかもしれませんが、一度 連絡とってみます」と言ってBさんの携帯電話に連絡を入れると、電話が繋がり 私がまず第一声目に「今日、17時でしたよね?」と言うと、Bさんは「えっ?!」と驚きの声をあげたまま しばらく何もおっしゃらず、10秒近く経ってから「今日6時でなかったですか? ちょっと待ってください。」と言って、また数秒の空白の後、「大変申し訳ございません、前回が6時だったのですっかり今回も6時と思い込んで動いてました。今、そちらに向かってますが、到着は6時前くらいになりそうです。大丈夫でしょうかね、お時間の方は。」とおっしゃったので、「とりあえず待ってますので、気をつけてお越しください。」と言って電話を切った。
 このA先生はとてもお忙しい方で、この日も5時前から5時半までならなんとか時間がとれ、45分までなら延長可能、ただ それ以降は次の予定が入っているのでどうしても6時は無理ということであった。
 しかし、タイムリミットの45分になってもBさんとCさんは到着されなかったので、A先生は私に「今日は仕方ないというか、せっかく時間を確保できたのに残念です。Bさんがお越しになられたら次回の面談日を相談しておいてください、私は〇日の午後と△日の夜なら大丈夫ですから」と言い残して急いで帰って行かれた。
 普通なら、こんな時間の間違いをされると怒り爆発となってもおかしくないし、私もヒヤヒヤしている中で このA先生の冷静な対応には驚いた。
 この後、6時に到着されたBさんとCさんが今まで仕事に中ではあまり見たことがないくらい頭を下げ続けられたが時すでに遅しで、今日の大事な本題の話ができないまま、次回の面談日を調整する流れになった。
 そしてそれから3日後の何とか調整がついた時間に今度は4人で、面談をすることができた。
 この話、当事者であるBさんとしては、頭を丸太で殴られたくらい(今どきこんな表現はご法度か?)の状態であっただろうし、本来であればあってはならないことであるが、このA先生の神のような対応に救われたとしか言いようのない時間に関する“事件”であった。

 約束の時間を守るというのはある意味 決まりきったことであるし、場合によっては人間性そのものの評価に直結することだってある。
 私は時間に特別に厳しいという感覚はないが、どんな面談でも、どんな相手であっても、面談の中身について 常に対等は状態でスタートを切りたいと考えている。 だから、「すみません 今日は少し遅れ、お待たせしまして」という言葉だけは口にしないですむように心掛けている。
 頭を下げ、お詫びから入っていく面談(交渉)なんて、まずはマイナスからのスタートになるし、当方にとって決して良い結果にならないような気がする。
 時間をまず自分の方へたぐりよせ、自分のものにする。そして自分のペースで時間を使う。
 これってすごく大切ですよね、どんな場合であっても。
 みなさんの時間に対する思いはどんな感じでしょうか。
posted by ヒロイ at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月03日

No749:コロナで忘れかけている今までの日常

 幾度にもわたり、しかも長く続いていた新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言が解除されてまだ3日目であるが、宣言→解除→宣言→解除 を何度も繰り返していたので正直 何がどう変わるのかピンとこないが、観光地の多い京都は一時閉鎖・休園していた公的な施設が再開しだしたということで、人の動きがいつもの休日より活発になっているし、今日の昼過ぎに通りかかった植物園の北門(北山)辺りもいつにない賑わいであった。
 まだ車が渋滞しているという状況ではないが、10月以降は修学旅行の予約も入りだしているとのことで、しばらく京都市内でほとんど見かけなかった観光バスも10月半ばからあちこちで目にすることになるのであろう。
 ただ、やっとここまで戻ってきたかと思う反面、こうしてOKの方へハンドルを切るとまた今までと同じことを繰り返すのではなかろうかと解除後の心配の方が先立つ。
 地下鉄や市バスも徐々に乗客が増えてきているとはいうものの、先週までは日中であれば まだ比較的距離を保ちながら乗ることができたが、こちらも再び 肌が触れ合うような混み具合になるのではと心配である。
 
 昨夜は大学の陸上部OBの役員会がWebで行われたが、これはコロナには関係なく、遠く離れている者同士が同時に議論できる こういったスタイルがとれるようになったのはコロナのお陰といっていいのかもしれない。
 先日、「自粛していた税務調査もコロナ前という状態ではないが、宣言解除後は徐々に元の形に戻します」という大阪国税局からのお知らせが税理士会を通じて送られてきたが、息つく暇もなく10月1日に早速、京都市内の税務署からある法人の税務調査実施の連絡が入った。
 「いきなりか。ここまでじっと待ってたんやろか。」と驚くと同時に、少し気持ちを引き締め直す自分がいることに気がついた。
 税務調査はここ数年、減少してきている傾向にあったが、税理士をしている以上避けて通れないことである。ただ、いつになっても税務調査はないにこしたことはないが。

 昨年の春以降、緊急事態の期間があまりにも長いので、今まで通常に行われていたことが、中止や規模縮小となり、いろいろな点で日常を忘れかけていたところがあった。
 学校行事やイベントの他、葬式もこの間、1回 家族葬(密葬)に出ただけで黒いネクタイを締める機会はほとんどなかった。
 結婚式もまさか身内の結婚式がこんな時期になろうとは思ってもみなかったが、5月の緊急事態宣言中に娘の結婚式が新郎新婦を含め10名だけで実施された。この結婚式は今までに経験したことのない“特別感”は十二分にあった。アルコール類の一切出ない結婚式ということも含めて。

 緊急事態宣言が解除された後は世の中の切り替えが早すぎて、また宣言が出ないとも限らないが、我々は行政のお役人でもないし、医療関係者でもないので、国や京都府、京都市からの発信に従っていくしかない。
 これだけいろいろなことが停止、塩漬け状態にされていたので、いざ宣言が解除されたからと言って、日常が大きく変わるわけではないが、少し落ち着いてくれば行ってみたいところがある。
 それは、鉄道ファンでありながら開館4年になるが、まだ訪れることができていない 京都鉄道博物館 である。
 ただ、期間限定の催物でもないし、逃げていくものではないのでゆっくりと世の中の状況を見極めながら実行に移したいと考えている。 スケジュール表を見る限り しばらくは行けそうにはないのは分かっているが。

 事務所は今出川通に面しているし、大学も近いので、明日以降 街の様子がどう変わるのか、外の様子も気にかけながら、宣言解除後の状況変化を捉えていきたいと考えている。
 それにしても去年に引き続き 何か落ち着かない秋ですよねー、今年の秋も。
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2021年09月26日

No748:忘れもしない 生まれて初めて“都会”を感じた時のことを

 今日は少し思い出話を(仕事には全く関係ありません)。
 田舎のお年寄りは「都会って怖い所やで」と言ってたこともあったし、「田舎もんと都会の人」 、「田舎暮らしにあこがれて」等、都会とか田舎とかという言葉を使っていろいろなことが語られる。
 私は18歳までいわゆる田舎で生活していたので、都会へのあこがれや興味、それに心のどこかで前述のお年寄りの話ではないが、都会に対する恐怖心のようなものも持っていたように思う。
 こんな私も家族旅行や修学旅行で京都や大阪、それに東京など都会を訪れる機会は何度となくあったが、今になって思い返せば、初めて「これが都会か」と思った時のことは鮮明に覚えている。
 それは私が小学校6年の時、学年で7つ離れていた兄が神戸の大学に進学し、私が一人でその下宿に遊びに行った時のことである。
 兄ももちろん田舎育ちであったが、私に対して誇らしげに都会のあちこちを見せて回ってくれた。
 確かこの時、一度は行ってみたかった甲子園球場にも連れて行ってもらい野球を見たが、実はこんなことよりも兄の下宿の近くの国鉄(今はJR)垂水駅の飲食店街で生まれて初めて明石焼きなるものを食べさせてもらったことの方がよく覚えている。。
 駅の脇の狭い通り沿いにあったその店の前はすごい人込みで、「何これ? 人ばっかしやん?」と都会のパワーに圧倒されながら その明石焼きを口にしたが、口にした瞬間「この食べ物何? たこ焼きのできそこないみたい? また、なんでおつゆにつけて食べるの?」と最初から最後まで不思議な気持ちを抱きながら食べていた。
 その後、近くにあったスーパー ダイエーに買い物に立ち寄ったが、ここも人人人で、それまでに何回か行ったことのあった京都にあるデパートの大丸や丸物(今のヨドバシカメラの所にあった)とは全然違う人の多さや人の動きで、「これが都会か、これが神戸か、すごいな」とその強烈な都会の印象が頭に突き刺さってきたのを今でもはっきりと覚えている。
 私も京都市内で生活しだしてから既に40年以上になるので、今は東京に行けば多少なりとも 「都会だな」と思うことはあっても、体や頭が多少なりとも都会慣れしていっているのは間違いないし、またそうでないとこんなに長く京都で生活できていないであろう。
 実はうちのカミさんも18歳まで田舎育ち(京都府宮津市)で、入試で京都に来た時に、既に下宿生活を始められていたお姉さんにマクドナルドでシェイクを食べさせてもらったらしいが、当時、宮津にはちろんマクドナルドはなく、このシェイクの味や食感を「都会にはこんなおいしいものがあるんだ」と感じたということを話していたのを思い出した。。

 昨今、東京一極集中なんて言われているが、コロナの影響で会社への出勤は減り、仕事の内容によっては、テレワークという仕事のスタイルで“脱都会”を実現している人もいるが、これは数少ないコロナによる恩恵の一つともいえるかもしれない。
 私は中学や高校でクラブ活動をしていたが、「勝ち上がれば西京極で走れるし、京都の旅館にも泊まれる」 なんて言うことも、当時、京都市まで3時間もかかる所に住んでいた者にとっては、間接的ではあったかもしれないが、クラブに熱が入る一つの要因だったようにも思う。
 このようにクラブでの遠征だけでなく、進学して都会で下宿生活が送れるなんて、兄が大学に進学した時のことを思い出せば、それはそれは新しい生活への大きな憧れだったのかもしれない。

 今日はただの思い出話に終始した感はあるが、田舎から出てきて今 都会で生活している人の何割かは、これに近い思いを抱く人もいるのではないかと思う。

 今日は田舎もんが都会で暮らし始めて、そしてそのまま住み続けているという たわいもない話を書き綴りましたががいかがでしたか。
 すみません、今日は本当にただの思い出話につき合っていただいて。
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2021年09月20日

No747:今 気付きました、明日は事務所の創業記念日だということに

 朝、新聞を読んでいてもパソコンをいじっていても 今日の日付を全く見ることなくこの時間まで過ごしていたが、今 日付表示のある目の前の時計を見て、「あっ、明日 創業(独立)した日だ」ということに気付いた。
 実は毎年 事務所の全スタッフにささやかなお礼の品を送るので、9月21日が近づいてくると、「そろそろだな」と準備を始めるのが私の中での恒例行事となっていた。
 今年はある果物を“産直”で取り寄せたため、その農園から食べ頃 間近のものが収穫でき次第 順次送られてきた。
 9月に入って早々3回に分けて送られてきたものを到着した分から すぐさまみんなの机の上に置いていき、9月10日には全て完了していたので、この9月21日という本当の記念日のことはもうすっかり頭から飛んで行ってしまっていた。
 多分このコーナーでもこの節目の日のことについては過去に何度か触れたことがあるが、以前にどんなことを綴っていたかは読み返していないので、これから言おうとしていることが、「また、いつものやつ」と思われる内容かもしれないが、創業記念日くらいは何年か前の創業当時の気持ちを思い出してみるのも決して意味のないものではないように思う。
 14年経って、そりゃ開業当初と比べるといろいろな意味で“ドキドキ”、“ヒヤヒヤ”という経営ではなくなったが、14年前に給与支給日が近づいてくると通帳の残高を食い入るように眺めていた時の気持ちは今思い出すと“ゾッと”するような心境である。

 「経営は細く長くが難しい」とはよく言ったもので、過去最高益と喜んでいた数年後に会社が傾きそうになったということを今まで何度か目にしてきた。
 もちろん業種によっては顧客の嗜好の変化だけでなく、世の中の状況の大きな変化によって売上が激減することも往々にしてある。会社や経営者がどんな努力をしようとも・・・。
 今回のコロナの流行・蔓延はその最たるもので、個人の力ではどうしようもない現実が目の前にある。
 ただ、ここへきて堅調とまではいかなくとも、会社そのものの底が堅いと感じとれる経営者も数名いらっしゃる。
 こういった方の共通点は、「良いときに調子に乗らない」、「常に最悪の場合を想定して行動する」 という理念を持ち続けているところにある。
 経済的に見るとこういった行動や思いは、消費したり、お金を流すという景気浮揚策には相反するかもしれないが、こういった経営者はお金を出すときには出すという気前の良い部分もどこかに持ち備えている感じもする。
 この仕事をしていて得した感があるのは、こういった実例を目の前で見たり聞いたりできることである。
 たまにはあまりよろしくない例も目にすることもあるが、それはそれで反面教師としてこちらも頭の中に叩き込んでおくこともできる。

 話が少し変な方向へ行ってしまったが、記念日というのは決して祝うだけではなく、こうして反省したり、思い返すのには またとないいい機会である。
 こんなことが毎月あるとやってられないであろうが、年一回くらいであれば反省したり、次なることを考えるにはちょうどいいタイミングである。
 とはいってもこういった過去を思い起こした時には満足できるものは何一つなく、どちらかと言えば「ああしとけばよかった」というような反省や後悔の方が頭に浮かぶものである。

 まあ、何はともあれ事務所が14年間続いているということに素直に感謝し、明日の9月21日を迎えようと思っている。
 これも顧問先のみなさまの支援は当然のことながら、事務所のメンバー18人が同じ方向に向かって行動しているからこそ成し遂げられているのであろう。
 ある経営者はコロナ禍になって、「1年1年が勝負です」と言われるが、これは決して先のことを読んでいないということではなく、正に今の経営環境下ではそれくらいの気持ちで日々の経営にあたらないと取り残されそうになるという危機感の表れであると思う。
 本当に大変な世の中になったものである とつくづくそう思う9月20日であった。
posted by ヒロイ at 21:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月12日

No746:マスクの下は?

 コロナの感染が日本でも市中に広まりだしたのは、都市部では昨年の2月後半からだったと記憶しているが、当初は街中でも職場でもマスク着用が必須という状況ではなく、あくまで“任意”で(いまでも一応、法的には強制されていない)、市街地を離れて周辺部やさらに離れて過疎地に行けば行くほど、マスクの着けない人もちらほらする時期もあった。

 今となってはマスクなしで出歩くことはないし、当然のことながら職場を含む家庭内以外の場所での着用率は100%である。
 ただ、先日 マスクの下は、「それあり?」という人に遭遇した。
 今までは髭を伸ばしたことがない人が髭を伸ばしていて、もしかして これを機会に多少おしゃれの意味も込めて変身を試みられているのかな? と思ったが、よくよく見るとちょっと見苦しいくらい手入れができたおらず、いわゆる"ボーボー"の状態であった。
 そして出されたお茶を飲むときだけ少しマスクを下にずらされていたが、飲み終わった後 マスクを定位置に戻されると、そこにはまたびっくりすることがあった。
 マスクで隠れる所だけ手入れができておらず、マスクを着けるとその髭の剃り残しの部分がすっぽりマスクの中に収まるという完成度の高い技であった。
 こんなこと本人様の自由なんだろうが、捉え方によっては、「見えないところはどうでもいい」というふうにもとられかねない危ない技のような気がした。
 まあ、こんなふうに考えること自体 古いというか 大きなお世話なんでしょうけどね。
 そもそも これもお茶を飲む機会がなければわからなかったことですし。

 コロナ禍ならではの話をもう一つ。
 ある会社で新入社員(中途)の採用時に履歴書での書類選考の後、パソコンの画面越しにWeb面接をされ、その時の印象をもとに採用して、失敗したという話を聞いた。
 非常に好印象で問題ないと判断の上 採用されたらしいが、入社後、「あれっ」と思えるようなことが度々重なり、数ヶ月後には 「あの人だけは堪忍して。担当を代えてもらえますか。」と数社のお客様から申し出があったとのこと。
 それらのお客様が上記のようにおっしゃった担当者交代の理由は、「いろいろな面において横着で信頼できない」というものであったようだ。
 この採用した側の方の人にもう少し突っ込んで話を聞くと、「Zoozではわからんかったわ。靴の脱ぎ方、かばんや書類の置き方、それに人と話をする時の姿勢。姿勢といっても画面では首から上しか映らんし。足もとから頭の上まで、そして指先まで見ておかんとな・・。」とおっしゃった。
 ちなみに書類選考の後、Web面接だけで採用されたので、本人と直で初めて会ったのは入社の当日だったようである。


 このことを聞いて私が思ったのは、もちろん全ての場合に該当するわけではないが、「画面だけでは、全容、つまりしぐさの隅々まで見切れないものな」ということであった。
 決して騙されたというわけではないが、ものごとは見えるところだけではいい判断がしづらいということなのであろう。
 最初のマスクの髭の話もそうであるが、コロナだからと言って、そして後の話のように画面だからと言って気を抜かないように対処したいものである。

 それにしても何事においても難しくことが多く、古い人間は本当についていくのが大変な世の中になってきていることには違いない。
 そんなことを考えさせられた コロナ禍での話でした。
posted by ヒロイ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする