2021年09月20日

No747:今 気付きました、明日は事務所の創業記念日だということに

 朝、新聞を読んでいてもパソコンをいじっていても 今日の日付を全く見ることなくこの時間まで過ごしていたが、今 日付表示のある目の前の時計を見て、「あっ、明日 創業(独立)した日だ」ということに気付いた。
 実は毎年 事務所の全スタッフにささやかなお礼の品を送るので、9月21日が近づいてくると、「そろそろだな」と準備を始めるのが私の中での恒例行事となっていた。
 今年はある果物を“産直”で取り寄せたため、その農園から食べ頃 間近のものが収穫でき次第 順次送られてきた。
 9月に入って早々3回に分けて送られてきたものを到着した分から すぐさまみんなの机の上に置いていき、9月10日には全て完了していたので、この9月21日という本当の記念日のことはもうすっかり頭から飛んで行ってしまっていた。
 多分このコーナーでもこの節目の日のことについては過去に何度か触れたことがあるが、以前にどんなことを綴っていたかは読み返していないので、これから言おうとしていることが、「また、いつものやつ」と思われる内容かもしれないが、創業記念日くらいは何年か前の創業当時の気持ちを思い出してみるのも決して意味のないものではないように思う。
 14年経って、そりゃ開業当初と比べるといろいろな意味で“ドキドキ”、“ヒヤヒヤ”という経営ではなくなったが、14年前に給与支給日が近づいてくると通帳の残高を食い入るように眺めていた時の気持ちは今思い出すと“ゾッと”するような心境である。

 「経営は細く長くが難しい」とはよく言ったもので、過去最高益と喜んでいた数年後に会社が傾きそうになったということを今まで何度か目にしてきた。
 もちろん業種によっては顧客の嗜好の変化だけでなく、世の中の状況の大きな変化によって売上が激減することも往々にしてある。会社や経営者がどんな努力をしようとも・・・。
 今回のコロナの流行・蔓延はその最たるもので、個人の力ではどうしようもない現実が目の前にある。
 ただ、ここへきて堅調とまではいかなくとも、会社そのものの底が堅いと感じとれる経営者も数名いらっしゃる。
 こういった方の共通点は、「良いときに調子に乗らない」、「常に最悪の場合を想定して行動する」 という理念を持ち続けているところにある。
 経済的に見るとこういった行動や思いは、消費したり、お金を流すという景気浮揚策には相反するかもしれないが、こういった経営者はお金を出すときには出すという気前の良い部分もどこかに持ち備えている感じもする。
 この仕事をしていて得した感があるのは、こういった実例を目の前で見たり聞いたりできることである。
 たまにはあまりよろしくない例も目にすることもあるが、それはそれで反面教師としてこちらも頭の中に叩き込んでおくこともできる。

 話が少し変な方向へ行ってしまったが、記念日というのは決して祝うだけではなく、こうして反省したり、思い返すのには またとないいい機会である。
 こんなことが毎月あるとやってられないであろうが、年一回くらいであれば反省したり、次なることを考えるにはちょうどいいタイミングである。
 とはいってもこういった過去を思い起こした時には満足できるものは何一つなく、どちらかと言えば「ああしとけばよかった」というような反省や後悔の方が頭に浮かぶものである。

 まあ、何はともあれ事務所が14年間続いているということに素直に感謝し、明日の9月21日を迎えようと思っている。
 これも顧問先のみなさまの支援は当然のことながら、事務所のメンバー18人が同じ方向に向かって行動しているからこそ成し遂げられているのであろう。
 ある経営者はコロナ禍になって、「1年1年が勝負です」と言われるが、これは決して先のことを読んでいないということではなく、正に今の経営環境下ではそれくらいの気持ちで日々の経営にあたらないと取り残されそうになるという危機感の表れであると思う。
 本当に大変な世の中になったものである とつくづくそう思う9月20日であった。
posted by ヒロイ at 21:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月12日

No746:マスクの下は?

 コロナの感染が日本でも市中に広まりだしたのは、都市部では昨年の2月後半からだったと記憶しているが、当初は街中でも職場でもマスク着用が必須という状況ではなく、あくまで“任意”で(いまでも一応、法的には強制されていない)、市街地を離れて周辺部やさらに離れて過疎地に行けば行くほど、マスクの着けない人もちらほらする時期もあった。

 今となってはマスクなしで出歩くことはないし、当然のことながら職場を含む家庭内以外の場所での着用率は100%である。
 ただ、先日 マスクの下は、「それあり?」という人に遭遇した。
 今までは髭を伸ばしたことがない人が髭を伸ばしていて、もしかして これを機会に多少おしゃれの意味も込めて変身を試みられているのかな? と思ったが、よくよく見るとちょっと見苦しいくらい手入れができたおらず、いわゆる"ボーボー"の状態であった。
 そして出されたお茶を飲むときだけ少しマスクを下にずらされていたが、飲み終わった後 マスクを定位置に戻されると、そこにはまたびっくりすることがあった。
 マスクで隠れる所だけ手入れができておらず、マスクを着けるとその髭の剃り残しの部分がすっぽりマスクの中に収まるという完成度の高い技であった。
 こんなこと本人様の自由なんだろうが、捉え方によっては、「見えないところはどうでもいい」というふうにもとられかねない危ない技のような気がした。
 まあ、こんなふうに考えること自体 古いというか 大きなお世話なんでしょうけどね。
 そもそも これもお茶を飲む機会がなければわからなかったことですし。

 コロナ禍ならではの話をもう一つ。
 ある会社で新入社員(中途)の採用時に履歴書での書類選考の後、パソコンの画面越しにWeb面接をされ、その時の印象をもとに採用して、失敗したという話を聞いた。
 非常に好印象で問題ないと判断の上 採用されたらしいが、入社後、「あれっ」と思えるようなことが度々重なり、数ヶ月後には 「あの人だけは堪忍して。担当を代えてもらえますか。」と数社のお客様から申し出があったとのこと。
 それらのお客様が上記のようにおっしゃった担当者交代の理由は、「いろいろな面において横着で信頼できない」というものであったようだ。
 この採用した側の方の人にもう少し突っ込んで話を聞くと、「Zoozではわからんかったわ。靴の脱ぎ方、かばんや書類の置き方、それに人と話をする時の姿勢。姿勢といっても画面では首から上しか映らんし。足もとから頭の上まで、そして指先まで見ておかんとな・・。」とおっしゃった。
 ちなみに書類選考の後、Web面接だけで採用されたので、本人と直で初めて会ったのは入社の当日だったようである。


 このことを聞いて私が思ったのは、もちろん全ての場合に該当するわけではないが、「画面だけでは、全容、つまりしぐさの隅々まで見切れないものな」ということであった。
 決して騙されたというわけではないが、ものごとは見えるところだけではいい判断がしづらいということなのであろう。
 最初のマスクの髭の話もそうであるが、コロナだからと言って、そして後の話のように画面だからと言って気を抜かないように対処したいものである。

 それにしても何事においても難しくことが多く、古い人間は本当についていくのが大変な世の中になってきていることには違いない。
 そんなことを考えさせられた コロナ禍での話でした。
posted by ヒロイ at 22:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月05日

No745:開業が不安な奥様の顔

 来年に開業を予定されているドクターの開業支援に何件か関わっているが、その中で勤務先の病院でも要職に就かれていて、勤務医として年収は平均をかなり上回っているという方がいらしゃる。
 働き盛りとはいえ住宅ローンも残っているし、大学生を筆頭に3人のお子様があり、教育費もまだまだこれからという年代なので多額の資金を金融機関で借りての開業は不安がないわけではない。
 
 こういった生活環境あるいは経済状況での開業はよくあるケースであり、開業されるご本人は「不安がないわけではないが、決めたからにはやるしかない」と強い思いを抱いておられるし、また、生半可な気持ちで開業されてもうまくいくはずもないので当然と言えば当然のことであろう。
 ただ 奥様方はそれぞれ開業に関して思い入れの違いや温度差があり、それが私の方にも伝わってくることもある。。

 今 進めている開業案件で、ここまでの打ち合わせで奥様が3回 同席されているが、初めての面談の時はまだ開業を検討されている段階であり、この医療モールに関わる建設業者や医療機器業者の説明を先生といっしょに聞かれていた。
 その時は不安げな顔つきで、にこやかな表情は最初から最後まで見せられることはなく、その隣で終始落ち着いた表情の先生と対象的だったのを覚えている。
 全ての説明が終わって、先生と奥様、それに私の3人になってから、奥様は開口一番、「ほんとに先程の説明のようにうまくいくんでしょうかね? 各業者さんっていいことしか言いませんよね。それが逆に不安をあおるんですよ。」とおっしゃった。
 確かにいろいろな開業事例をご存知でない奥様がそう思われるのも決して不思議なことではなかった。
 私はこの後、開業されることが決まった場合、当方でできる支援内容の他、新規開業のリスクについてもあえて説明したが、リスクは一方的に襲ってくるばかりではなく、回避する方法もあることを話した。
 先生と奥様、そしてクリニックちに関わる人たちの力で、事業を早く軌道に乗せることは可能であることや今まで多くの開業医の先生方が実現されていることも・・・。

 この日から2週間後、先生から「家内とよく相談した結果、いっしょにがんばろう ということになりました。家内の不安が100%消えたわけではありませんが。」 と連絡があり、当方への開業支援の正式な依頼もあった。

 それから数日後、先生からは開業に関わる費用、そして奥様からは教育費を含む 家計としての必要額などの聞き取りを終え、現在 私の方で作成した[事業計画書]を銀行へ持ち込み、融資の審査にかけてもらっているところである。

 先週までにこの先生ご夫妻とは3回面談したが、奥様の顔から不安な表情が徐々に和らいでいっているのがこちらにも伝わってくると同時に、「ここまで来たら やるしかないな」という奥様の気持ちが前に座っている私にも伝わってきた。

 まだまだ先は長いが、この奥様が「開業してよかった」と心から喜んでもらえるようにしっかりと支援していかねば と思った。

 ある顧問先の先生からは、「廣井先生が開業支援の仕事を続けられる限り 我々の競合先が増えるということですね。」と厳しいことを言われたことも何度となくあるが、開業を決意された先生とその家族の生活をバックアップするということに喜びややりがいを感じるのも事実である。

 今回のような まだ不安の消えない奥様であれば、意地でも不安を解消してやるぞ と。
 これも開業支援の仕事のやり甲斐のひとつなんでしょうかね。
posted by ヒロイ at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月29日

No744:旅した気分

 人を採用するときの面接時に聞いてはいけないことの一つに本籍地や出生地というのがある。
 これは本人に責任がなく就職差別につながるおそれがあるからとのことで、当然 納得のいくものであるが、こういった採用面接ではなく、仕事で初対面の人の場合、話の流れでついつい出身地の話になることがある。
 特にクリニックの新規開業の支援で金融機関に提出する履歴書や経歴書を受け取る時に、「私、○○県の○○市出身なんです、ご存じですか?」とおっしゃる方もあり、その流れで地域の有名な観光地や名産品の話を熱く語られることもある。
 一般企業の経営者の方と話していても、「私の母校、今年も甲子園に出てるんですよ」とか、「テレビでも何回かとり上げられた有名なおそば屋さんがあるんです」という話で本題そっちのけで盛り上がったりすることもある。

 実は私は根っからの旅行好きだが、期日の差し迫った仕事を抱えることが多くなったことに加え、昨今のコロナ禍の状況が続く限り、私の楽しみは当分の間 かなえられそうにない。
 こんな中で最近 会った方は結構、京都や近畿圏以外の人も多く、過去の私の旅の思い出と照らし合わせたり、おいしいお店を教えてもらったりして、本来の仕事の話の合間に、わずかながらとはいえ旅行気分のかけらだけ味わうことができる。
 この2、3ヶ月でも、島根県、北海道、愛媛県、千葉県、長崎県など、いろいろな方から出身地や出身大学、それに過去の勤務地の楽しい話を聞かせていただり、県民性について、いわゆる京都人との違いについて話される方もある。
 その中には、今は実行に移せないが、いつかはきっと訪れてみたいなと思うような場所もいくつかあった。
 
 他には、家で休日にパラパラとめくっていた雑誌に、「東京のおいしいうなぎ屋さん」、「博多のラーメンはここで決まり」、「広島の中でもここのかきフライを逃すな」なんていうのを見て、今度いった時には必ず立ち寄るぞ といき込んではみるが、これとていつかなえられることやらという世の中になってしまっている。
 ここでは決して旅に行けないことに対する不満を言いたいのではなく、郷土料理を味わう以外にも、見たり聞いたりする“仮想旅行”を楽しむことも少しずつではあるが身に付けつつあるように思う。
 こんな旅の話をしていること自体、ひんしゅくかもしれないが、大変な世の中になればなるほど 心の中に少しの色合いの違う現実離れした部分も必要と思っているので 今回の話はお許しいただきたい。

 今のコロナの状況は、顧問先のドクターの話を聞くとかなりひっ迫しているケースや地域もあり、予断を許さない状況であるようだが、我々としてはここはひとまず一定の収束を迎えるまでいろいろな面において協力し、対応していくしかないのであろう。
 私事ではあるが、コロナのワクチン接種はワクチン不足による急なキャンセルもあったが、やっと今日の午前中に2回目の接種を終えることができ、少しほっとしている。

 明日はワクチンの予約の変更よりも早く予定が決まっていた仕事があるので、一応 出社するつもりでいるが、副反応については明日になってみないと分からないので、今 いろいろと考えず、少しは行動は控えつつも普段どおりの休日を過ごしている。

 さあ、明日 体調はどうなっているんでしょうね? ぶっ倒れそうになっていたりして・・・。
posted by ヒロイ at 13:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月22日

No743:謹慎処分という意味も知らないプロ野球の球団と選手・・情けない

【謹慎】とは、
1. 言動をひかえめにすること。
2. 一定期間、出勤や登校などを差し止める処罰。
3. 江戸時代、上級の武士に適用された名目上の刑で、門戸を閉じて昼間の出入りを禁じたもの。慎 (つつしみ) 。
*江戸時代から明治時代初期にかけて日本に存在した自由刑の一種で、一定期間外出を禁止されることである。転じて、活動をしばらく休止することをも指す。 1期につき30日間。
また、
【謹慎処分】とは、「規則や規約を破った人に、罰を加えること」 と書かれている。

 いきなりこんな出だしですみません。
 みなさまも私が何を言いたいのか少しは感づいていらっしゃる方もあるかと思うが、そうなんです プロ野球でこの間まで日本ハムに在籍していた中田翔選手のことです。
 中田選手は8月4日、エキシビションマッチのDeNA戦を前に、同僚選手への暴力行為が発覚し、無期限の出場停止処分を受けていたが、8月20日に巨人へ移籍し、すぐさま21日の試合から出場していた。そして 今日(22日)も出ている。
 訳わからんというか、巨人と中田選手は「謹慎」とか「謹慎処分」の言葉の意味も分からないくらいぼけているのかと情けなくなる。

 最近では芸能人やオリンピック選手も何かあると謹慎処分という、かなり痛い処分を受けているし、中には再起不能に近くなっている というか、軽々しき復帰した場合、世間がそう簡単には受け入れないという素地ができつつあるようにさえ思う。
 もちろん永久的に追放することがいいわけではないし、当然 一定の反省と更生を経て復帰した場合、それを良しするかどうかは本人ではなく、周りの人間であったり、世間が判断することであろう。
 こういった観点から考えても、更生しているかどうかも判別できないくらいの短い期間で復帰されも頭の中には ? ということしか浮かばない。

 私の中では 巨人軍、原監督、中田選手 「やっちまったね」と感じずにはいられないような愚行と思える。

 極刑である死刑をはじめ、罰を課すことについては、人それぞれに考え方の違いがあるにせよ、やはり人間ってすごく弱い生き物なので、罰を受けないために、罰せられないように行動を慎むことは誰にでもあるし、時にはそういった心のブレーキが必要な時もある。
 そういう意味において今回の罰を受けずに、あるいは罪を償わずに いきなり世間の前に出てくることがあっていいのだろうか。
 巨人が良識あるプロ野球の球団で、優れた才能を持つ中田選手を本当に救いたいのなら、「入団させましたが、今年は一切出場させずに 体も心のみっちり鍛え直して、来期には凄まじい選手になってグランドに立たせます」ぐらいの判断があってもいいように思うが。
 こんなこと言っている私って今の時代では古くて、ピントがずれているんですかね。

 でも、最後にもう一言だけ、「終わったな巨人も」。
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2021年08月15日

No742:他人からの親切ってうれしいもんです

 今年のお盆ほど お盆の感じがしない年はない。
 まだパラリンピックはあるとはいうものの国の内外から批判されたりあるいは注目される中、観る側も多少高揚感を抱いた東京オリンピックは幕を閉じた。
 その後、自分の生活もやっと通常に戻りそうだった矢先のこの長雨、何か気が乗らないままお盆へ突入し、カミさんの両親の墓参りをした以外はほとんど何もしないまま お盆は終わろうとしている。
 こんなご時世でどこにも出かけられないのでテレビで高校野球でもと思っていたが、こちらの方も開幕が例年より遅かったのに、さらに順延に次ぐ順延でやっと今日 大会第2日目という前代未聞のスケジュールとなっている。確か以前はお盆明けには決勝戦だったと思うが、こればっかしは人間の力ではどうしようもない。
 こんな気乗りのしない休日であるが、今日は先日、地下鉄の中でちょっとうれしいことがあったのでそのことに触れてみることにする。

 4、5日前、仕事で地下鉄に乗る機会があり、事務所から5分少々とはいえ地下鉄今出川駅まで歩くと少し汗ばんだが、そのままホームに下りると目の前に地下鉄が入ってきたので飛び乗った。
 空いていた座席に座り、すぐさまスマホでメールの確認をしたり、ニュースに目を通したりしていたが、体が熱くなっていたせいもあってか いつも以上に眼鏡がくもり、ポケットから取り出したハンカチで幾度となく眼鏡を拭いては画面を見、すぐさま またくもってくると、ハンカチで拭くということを何度か繰り返していたところ、向かいの席に座っていた70歳くらいの男性が「よかったらこれ使ってください。結構くもりはとれますよ。」と言って眼鏡のレンズくらいの大きさの薄い包みを渡された。
 突然のことだったので、今一つ何だかわからないまま、いただいたものを見ると”メガネクリーナー・・くもり止め”と書いてあり、少し間を置いた後、「ありがとうございます」と軽く頭を下げたところ、その男性もニコッとして頭を下げられた。
 地下鉄の中で席を譲ったり、空けてもらうことはあっても、何かをもらうなんていうことは今まで経験したことはない。
 最近 物騒な世の中なので見知らぬ人から物をもらうなんて、どちらかというと警戒しないといけないという少し悲しい社会になってきているが、今回はほんのちょっとしたことではあるが、ホッとするやり取りであった。
 実は私もマスクをしだしてから、メガネがよくくもるのでポケットに今回もらったものとよく似たくもり止めのペーパーを持っていて、この日もポケットに忍ばせていたが、この男性のさりげない行動に思わずお礼を言いながら受け取っていた。
 私が大きなカバンを抱えて、額から流れる汗を拭いていたので余計に目を引いたのかもしれないが、世の中が忘れかかっているような小さな親切を受けたことで、なんだかこの日はハッピーな日 という思いで一日を終えることができた。
 たまたま降りる駅もいっしょだったので、降り際に再度軽く会釈をしながら「すみませんでした」と言うと、その男性は「お互い暑い時は大変ですよねメガネをかけている者は。特にコロナになってからはマスクもありますしね。」と言った後、私とは逆の方向へ行かれたが、私は5mほど行って振り向くと、少し足が不自由なようで、足を引きずりながらホームをゆっくりと歩いておられた。
 その姿が私の頭に残り、その後 ここ数日の疲れも忘れたかのように、エスカレーターに並んでいる列を横目に自然と階段の方へ足が向かい軽快に?階段を昇っていた。
 ちょっとした親切でこれほど気持ちが変わることも不思議な気もするが、人間って所詮 ”気持ち次第”っていう単純な生き物なんだなと再認識した。
 ちょっとしたことが実行しづらい世の中になってきている時代でのこの日に受けた小さな親切は結構インパクトがあり、今日 みなさんに伝えておきたいなと思ったワンシーンでした。
 以前(昔)は、こんなこといくらでもあったのにねー。
posted by ヒロイ at 17:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

No741:聞き流すことのできる能力

 先日来、五輪選手への誹謗中傷問題がとり上げられ話題になっているが、このことの一番の問題は攻める側と攻められる側があり、攻める側にはほとんどの場合、責任もないし、痛みなんて全く感じないという 攻める側にとって ただただ勝手に都合がいいという点であろう。
 これはまさにネット社会が作り出した問題であり、言った側の顔が見えず、ほとんどの場合 言いっぱなしで、立場が悪くなればすぐにでも雲隠れすることはいとも簡単にできてしまう。というか、その言いっぱなしの当事者が表に出てくることはまずない。

 また もう一つ問題と思われるのが、これに群がる者の多いこと多いこと。群がることで自分も社会の一グループを形成しているかのような錯覚に陥り、中には自分の立ち位置を美化しているような者もいる。
 私はこういったことには基本的には加わらないし、何かを検索していて たまに気に入った項目があれば、タイトルと1、2人目くらいまでは目を通すことはあってもそれ以上どんどん中に入り込んでいくことはない。だって、ほとんどが大したこと言ってないので。所詮 匿名で言うことだから・・・。

 私も一応、誰でも見れる所にこうして自分の意見を綴っているが、ほんの一部の人しか目を通してもらっていないからなのかどうかは別にして、今までこちらが気分を害するようなコメントがあったことは一度もない。
 私はまずは、いろいろなサイトを駆け巡ったり、検索したりするほど時間がないのと、本当に意見が聞きたいときには、この人 という限られた人と差しで話をし(電話、メールも含む)、意見を求めるようにしている。

 こんなことを考えている時、新聞の書籍案内欄でふと目にしたのが、【放っておく力】という神奈川県のお寺の住職が書いた本である。
 この本はまだ手にしていないし、中を読まずして本を紹介するのも気が引けるが、本の紹介欄を見るだけで 以下のようなうなずけるものが並んでいた。

 「いちいち気にしない。反応しない。関わらない。放っておく力で、仕事も人間関係もうまくいく。」
@ 「しかたのないこと」に心を注がない
A そっとしておく、という人間関係のコツ
B 「いい人」の仮面を外しましょう
C お世話や親切は“しっぱなし”でいい
D 後悔は、すべて“妄想”です
E 情報の“暴飲暴食”をやめる
F 「平均」を調べるべからず
G 極力、楽観的に考えるヒント
H ちょっとした失敗なんて“かすり傷”
I 「得意なこと」だけ頑張ればいい

 こんな見出しの中でも、@、E、G、Hなんて「そうそう」とうなずいてしまった。

 少し話がそれるかもしれないが、以前このコーナーで、『朝のテレビで占いは絶対に見ません』と言ったことがあったが、これは今でも実行している。
 「ふたご座の人は今日は運転に注意」と言われたからと言って、急に車での出張を取りやめにするわけにはいかないし、「ちょっとした一言で大きな代償を払うことになる」なんて朝から言われたからと言って、一日中無口でいられるわけがないし、私にとって朝の占いはストレス以外の何物でもない。最近は朝の占いどころか、雑誌も含め、占い欄があると目を背けながら次へ進めるようにしている。
 あと、私の周りで、「口コミサイト」というのをこまめにチェックしている人から、「あそこのランチはおいしいらしいよ」とか、「あのホテルの接客は・・・・で最低」というような話を耳にすることがあるが、これとて書き込んでいる人の責任や信ぴょう性なんて?がついていて、「ほんとかな」と思うこともある。
 自分が食事に行くときは、その店に行った人から直に聞いたことだけを信じてお店選びをするようにしている。

 最近はテレビに出ている多くの人が、何かを言うとすぐヤリ玉にあげられる傾向があるが、こんな状態が続くとことテレビのキャスターなんて怖くてやってられないだろうし、いつかは「今日の司会はロボットA君です」なんていう時代が来るかもしれない。

 最後に話を少し元に戻しておくが、責任もなく言いっぱなしができるSNSには問題があるが、こんなことになるのはある程度 予測がついていたので、こんな暇な人たちにつき合うという無駄な時間を過ごさないためにも 今日ここで掲げた「放っておく力」でも読んでみることにする。
 顔を出さない、出せない かわいそうな人たちに対抗するためにも。
posted by ヒロイ at 15:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月01日

No740 【再掲載・・No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]】

 東京オリンピックも中盤に差し掛かる中、昨夜の陸上 男子100mは残念な結果に終わった。
 オリンピックも盛り上がりを見せているが、一方ではコロナの感染状況には歯止めがかからず、新規感染者数も多くの所で過去最多となっている。
 こんな中でのオリンピックの開催でいろいろな面においてデリケートな部分もあるので、ここでは今回の東京大会に触れたり、取り上げたりするのではなく、随分前のものではあるが、このコーナーでメダルの重みについて取り上げ、選手の心情について「そうだな」と思えるもののが見つかったので、下記に再掲載することにする。
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No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差  [2114年2月16日]

 ソチでの冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっているが、ここへきて日本選手も羽生選手の金メダルを筆頭にいくつかのメダルを獲得しだしてきている。
 各競技の結果を見ていて、オリンピックには程遠いが、私も多少なりともスポーツをかじっていた一人として、今回のタイトルに示した「金メダルと銀メダル」、「銅メダルと4位(メダルなし)」の差はとてつもなく大きな差であり、2位(銀メダル)あるいは4位になった者はとても悔しく、その違いを痛い程 感じていることがわかる。  
 テレビ局のキャスターや各新聞はこういった悔しい銀メダルや4位の選手について過大とも思えるくらい賞賛の言葉を並び立てるが、実は選手自身にとってはいくら何と褒められようともこの悔しさを埋められるものはどこにも見当たらないはずである。
 今回、女子モーグルで4位であった上村愛子選手に対して、“連続入賞、本当にお疲れさん”というような表現をしていたマスコミが多かったように思うが、本人にとっては悔やんでも悔やみきれないほど残念な4位であったに違いない
 ただ、この上村選手が一スポーツ選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしと思ったのは、その悔しさ(ひょっとすると人生最大の悔しさだったかも?)を表に出すことなく、こんなコメントで締めくくっていたからであろう。
『オリンピックの思い出としては、いい思い出で終われると思っている。メダルはないが、頑張ってよかった。』
 応援していた者にとってはいっしょに泣きたいくらいの気持ちになったが、この大人のコメントで多少なりとも救われた気がした。
 ただ、滑り終わった後の『全部終わったときに、点も見ずに泣いていた。一瞬 メダルは獲れたかな、と思ったが また4番だったんだと・・・。』コメントを聞いて、本当はメダルが欲しかったんだろうなと思うと、各局のアナウンサーが「5大会連続入社は立派です」と褒めれば褒めるほど、見ている者にとっては痛々しくも感じられた。
 ただ、スポーツにしろ、勉強にしろ、そしてビジネスにしろ、この埋められなかった悔しさがあるからこのその後の人生、無駄にせずに生きていこうと、次なるステップへと歩み出していけるのではないのだろうか。
 ただのスポーツ好きの大人が言うにはとても偉そうな表現になってしまったが、こうして本音の部分も書くことによって、逆にその悔しさが埋められやしないかなとも思ったりもするのである。


 では、なぜ 選手は金と銀、そして銅と4位にこだわるのか。 それは、そこまでの道のりにおいてとてつもない努力をし、多くのものを犠牲にしてきた者は、その証となるものが欲しいということであろう。じゃあ銀メダルや4位は証にならないのかというとそうではないが、これはスポーツをやってきた者にとってはどうしても欲しい証である。
 私も高校時代 陸上をしていたが、見ていて一番むごいと思ったのは近畿大会の決勝において8人で争われるレースである。このうち全国大会に行けるのは6位までで この時の6位と7位にはとてつもない大きな差があり、これは3年間クラブ活動に打ち込んできた高校生にとってはある意味、“むごい差”でもある。 全国大会に出たことのあるのとないのとの差という・・・。

 話を少し角度を変えて捉えてみるが、
 今回のキャスターの中に2人の元女子オリンピック選手がいる。それはご存知の通りシドニーのマラソンで金メダルを獲った高橋尚子とトリノのフィギアスケートでこれまた金メダルを獲った荒川静香である(呼び捨てしてすみません)。
 こういった場面ではやはりメダリストではなく“金”メダリストに声がかかるんだなと、金メダルの威光と重みをまじまじと感じながら解説を聞いている。


 今回の羽生選手は相手も少しミスをするラッキーはあったものの、やはり最高の、しかもとびっきりの実力者であるがゆえに勝ち取れたものであろう。これが実力拮抗の状態であれば最後で逆転されていたようにも思う。
 そういう意味では金メダルを獲るには、運も必要かもしれないが、実力が誰も寄せ付けないくらいとび抜けている必要があるのであろう。いわゆる“断トツ抜きんでている”というやつである。
 オリンピックになると今でも思い出すが、高橋選手の鍛えられた走力(体力)と完璧なまでに計算されたレース運び、そして、一方 荒川選手のミスを探そうにも見つけられないくらいに最初から最後までこれまた完璧に滑りきったフリーの演技。 やはり、銀、銅のメダリストには申し訳ないが、金メダリストは完璧を貫いたものでないと手に入らない、とてつも重く、かつ、気の遠くなるような繊細な部分も備える必要があるのだろう。
 
 いろいろと偉そうなことを言ってしまったが、本当は我々一凡人にとってはオリンピックに出ることはとてつもなく偉大なことであり、スポーツをする者の中でもほんの一握りの選手しか手に入れることができない栄冠であることを忘れてはならない。
posted by ヒロイ at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月25日

No739:ワンちゃんは正直者

 22日(木)から今日25日(日)まで事務所は暦どうり4連休である。
 ただ、22日は顧問先の院長がこの日しか時間がとれないということで、事務所の担当者と滋賀県の顧問先に医療法人の決算内容の説明に出向いた。
 世の中は連休なので高速道路が渋滞すると嫌だなと思っていたが、大した渋滞もなく比較的スムーズに移動できた。
 それ以外の日は少し残っていた宿題(仕事)を整理するくらいで、比較的に自由な時間を過ごした。
 そんな中でほぼ毎日、起きたらまず暑くなる前にと7時過ぎからぽぽたん(うちのワンちゃん)の散歩につき合っていたが、夏場はこの時間では遅い方で、こちらが公園や宝が池へ連れていく途中には、ワンちゃんの散歩から帰ってくる人と何人もすれ違った。
 普段は朝と夜それぞれ 少ししかいっしょにいる時間がないが、こういった休暇の時は常日頃と比べると長い時間いっしょにいることができる。ただ、こういったたまの休日だけいっしょにいる時間が長いからといって そうそう簡単に私になついてきてくれるものでもなく、普段も私が仕事から帰ってきた時は少し近寄ってきて“あいそ(愛想)”を振りまいてくれるが、それも ものの10秒程度でしばらくすると自分のお決まりの居場所に戻っていく。
 これがカミさんが出かけていて 帰ってくるとこんな簡単なあいさつではなく、そりゃすごい歓迎ぶりである。
 先日、カミさんが夕方まで出かけていて、私が家でいた時なんか、私と2人で静かに過ごしていたが、カミさんが帰ってくるとその喜びようなんて私の時の何倍、何十倍というこちらが焼きもちを焼いてしまうほどの手厚いお出迎えである。
 そばに寄っていき いきなりジャンプの連続、その後 別の部屋で後片付けしようとしても離れようとせず ずっと近くで見守るようにして寄り添っている。
 「これってうちの3人の子供の時といっしょやん」と昔を思い出しながら、悲しくなり少し落ち込んだりもしていた。
 いっしょにいる時間の長さも当然 影響しているだろうけど、ぽぽたんへの愛情の掛け方やその深さに比例しているのであろうか? ただ、残念ながらこれを逆転することはもはや不可能な状態である。
 先日、仕事が終わって8時半頃 お腹を空かして家に帰ると、ちょうどほぼ同時にカミさんとぽぽたんとが夕方? 夜?の散歩から帰ってきて、いっしょの家の中に入ったが、カミさんは迷うことなく、まずはぽぽたんの飲み物(冷たいやぎミルク)を準備し、間髪入れずに次は食事の準備をしている。 ワンちゃんの食事のはずなのに“チン!”という音とともにレンジに中から夕食の一部が出てくる。通常のワンちゃんフードのうえに少しだけのせる一品である。
 そうしてぽぽたんが晩ごはんを食べ出してから、私の食事の順番が回ってくるので、少しの間、私はこの流れの中で新聞でも読みながら、順番が来るのを待っている。この流れを?と思った時点で愛情不足なのだろ。
 ぽぽたんをこっちに振り向かせようと思っても こりゃカミさんには勝てんわ、と妙に納得しながら自分の晩ごはんをつついていた。

 子供が小さい時もそうだったけど、こちらの都合に合わせて遊ぶなんてあまりうれしくなかったのかもしれないし、場合によってはありがた迷惑な時もあったのかもしれない。
 子育てやワンちゃんの相手も常日頃から愛情を注がないと振り向いてくれない。仕事上では、相手の人は多少の損得勘定や俗にいう“愛想”の部分もあるのだろうが、こういった純粋な心を持った子供やワンちゃんは本当に正直にふるまってくるのでドキッとすることもしばしばある。

 今日は自分の愛情が足りないことを思い知らされたことをあえて綴ることで、カミさんと逆転まではいかなくとも 喜んで近づいてくれるよう少しはぽぽたんとの距離を縮めたいなと思った休日であった。
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2021年07月18日

No738:みなさんなら遺言書にどんなことを書きますか?

 相続税の仕事をしていると遺言書というものに接する機会がある。
 最近、新聞や雑誌に特集が組まれていることもあるし、「いい遺言書の書き方」というようなタイトルの本も出ているが、まだまだ多くの人に遺言書というものが浸透しているかというと そうでもないというのが実情であろう。
 相続税の仕事の中では、数年前に書かれた公正証書遺言が開封された後 我々の手もとに届き、大きく揉めることがなければ、比較的 淡々とその内容に沿って申告書の作成を進めていくことになるが、当然のことながらそう簡単には収まらない場合もある。
 遺言書を書くことのメリットはいくつかあるが、このメリットや狙いについては個別にご相談いただくにして、ここでは私が仕事で接した“遺言書”というものについて、日頃 思っていることを述べさせていただくことにする。

 一般的には財産の分配をはじめとし、自分の死後のことを書き留めるということは決して気乗りのする話ではない。
 仕事をする上では、遺言書を書く人の書く時の心の中を読み取ることなんて必要がないことかもしれないが、税理士という職業からは少し離れて、当の本人(亡くなっていれば被相続人ということになる)が、どんな思いで書かれたのかを一個人としてふと考えることがある。
 相続税の申告業務の依頼がある場合、その亡くなられた被相続人を過去において知っていた人の場合もあれば、人づてで申告業務をご紹介いただくような場合には、亡くなった人がどういった人かも全く分からないし、その家族関係もどうだったのか知らないまま仕事に取り掛かることになる。
 ただ、生前を知らなかった人の場合でも、やはり財産の話をする中で、夫婦、親子、そして子供たち兄弟姉妹の関係が浮き彫りにされてくるし、これはこれでまるで人間模様そのもののような事例に遭遇することもある。
 生前にある程度、配偶者や子供たちに自分の意思を伝えていた人で、遺言書の内容もそれに近いものであればそう大きく揉めたりすることもないが、過去において何の意思表示もされていなかった人の場合には、大変な問題に発展することもある。
 以前にもあったが、子である4人の兄弟それぞれが、「お父さんはこう言っていた」と違う内容を言ってこられた場合である。
 最終的には4人で協議(相談)され、何とか収まったが 何とも後味が悪く、自分が思っていた相続分(取り分)よりも少なかった人は、最後まで損をしたという思いが残っていたように思う。
 ひと揉めもふた揉めもあったケースで、相続税の申告や納税も終えられた後、兄弟は法事でさえも一堂に会することはなく、墓参りさえもお互いに探りを入れて、同じ時間にかち合わないようにされるという徹底ぶりであったが、不幸にもこういった死後のことは亡くなった本人は見ることも聞くことも、そして注意することもできないというのが相続のむなしい部分である。

 これらのことから考えても 残ったものにどう思われるかは別にして、よくよく考えて自分の意思をしっかりと文書に残しておくことの意義はあるし、ある意味長く人生を歩んできた者の最後の大きな仕事なのかもしれない。
 揉める相続が悪いというわけではないが、相続税の納付と申告書の税務署への提出が無事終了した後、相続人が揃ったところで、「申告業務を無事終えていただきありがとうございました」と全員からお礼を言われたこともあるが、これこそ税理士冥利に尽きる瞬間であり、自分もこんな死に方がしたいなとふと思ったものである。

 年齢によっては今すぐ遺言書を書く必要がない人も多いかと思うが、後でみんながお墓の前で手を合わせてくれるようにするためには ということを頭の片隅に置いておけば いい遺言書が書けるのかなと考えたりもする。
 遺言書を書く、書かないは別にして、いずれにしても いい死に方ができるような人生を送りたいものである。
 最後はなんだか宗教家のようになってしまったが、相続の仕事は税金の計算以外に、死やさまざまな家族関係と向き合う機会に接することができるという意味においては、なかなか奥深い仕事である。

 今日出来上がった相続税申告書を目の前にして、ふと感じたことを綴るとこんな内容になってしまいました。
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2021年07月11日

No737:市民権を得た感じの”無観客試合”

 東京オリンピックが無観客で何とか開催ということに落ち着いたのはみなさまもご存じのとおりであるが、ここにいたるまでオリンピック・パラリンピックの開催の是非、そして一応 開催されることが決まった後は観客を何人入れるのか人数の議論が始まり、最後の最後になって観客を入れるのか無観客にするのかの検討がなされた。
 最終的には札幌で開催されるマラソンと競歩以外は無観客での開催が決定したが、選手やその関係者という当事者でなく、開催国の一国民に過ぎない我々もここまでの経緯を傍で見ていてほとほと疲れたというのが本音である。
 私の周りの人は、私の感覚では約4割の人が反対派、約2割の人が賛成派、あと残りの4割の人が「どっちでもいいけどどうせするんでしょ」というある意味 無関心派と3つに分かれていたように思う。
 当初予定の2020年開催の前にはチケットが当たった人が私の周りにも何人かいたし、ある開業医の方は競技名は忘れたが、日曜日の夜の試合なので終わってからの新幹線がないため車で行って車で帰ってきて、月曜日の朝からは通常の診療を行うという強行スケジュールまで立てておられたが、しかし2020年の夏は・・・。
 今回 延期の分で、観客上限が1万人に決まった後の抽選で当たった人もいたが、先日、「大きな声では言えませんが、当たったんで行ってきます」と少し気まずそうにおっしゃていた。
 
 今でこそ“無観客”という言葉が一般的にも使われるようになったが、私がこの”無観客”というの初めて目の当たりににしたのは、2005年のサッカーワールドカップアジア最終予選の日本対北朝鮮の試合がである。
 当初 平壌で行われる予定であったが、テロの危険性もあるということで第三国であるタイのバンコクで行われたのを覚えている。
 この時はテレビで見ていたが、今まで見たことのない異様な雰囲気の中、通常の有観客の試合では今まで聞こえなかった選手同士の掛け声や監督(確かジーコ?)の日本語でない大声が響いていたのを覚えている。
 それが昨年の春のプロ野球やその後の多くのスポーツ大会ですっかり”無観客”も市民権を得て、おなじみになった感があるが、世界最大のスポーツイベントのひとつであるオリンピックが”無観客”で行われることはもちろん初めてであるし、多少不謹慎かもしれないが、もしかすると今後、二度とないかもしれない“無観客オリンピック”をしっかり観察しようと、試合結果とはまた違った点で興味を持つようになった。
 どんな雰囲気で競技が開催され、応援する者は本当に家にこもるのか? メディアはどこに陣取りどんな放送をするのか? 体操の着地が決まった後や重量挙げで挙げきった後、静かな中でもガッツポーズするのか? 団体競技の決勝戦で片方のチームにコロナ陽性者が数名出て、決勝戦が不戦勝で金メダルになるのか? 松岡修造は大声を張り上げずにいられるのか? 等々、なんだか本来の競技以外でどんなことが起こるのかということの方に関心がいってしまいそうである。
 世の中がコロナ禍での大会の是非を真剣で検討した結果 開催されることになった非常に責任の重い大会なのに、かなり不謹慎なことを言っているなと自分でも分かっているが、開催される以上はオリンピックの開催、そして進行がどんなものになるのか確かめておきたいという気になっている。

 それにしても日本人以外の選手って、本当に日本に来れて、時間どおりにきちんと移動ができ、本番の試合に出場できるんだろうか? そんなことも考えながら 全世界が心配するオリンピックがあと10日程で始まろうとしている。
 選手は無観客でどうしてモチベーションを高めていくのか、ここも見ておきたいところであるが、選手のみなさん あなたたちは何も悪くないので遠慮なく躍動してほしいものである。
 静かな静かな異様な雰囲気の中 どんな大会になるのやら?
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2021年07月04日

No736:貴重な時間や人生を奪っていくコロナ

 昨日、久しぶりにカミさん宛に従姉からハガキが届いた。
 そこには、「お元気ですか」から始まり、ご主人がなかなか収まらないコロナ禍を捉えて、「この歳での2年間はすごいロスだと言っている」 というようなことが書かれており、コロナの影響によって悔しい思いをされていることがこちらにも伝わってきた。
 このご夫婦は60代後半(70代かも?)で、自宅の近くの介護施設にはご自身のお母様が入所されているが、コロナの影響もあり親の顔も半年以上も見ていないとのこと。
 また、この従姉の方は今まで年齢の割には比較的活発に行動されていたが、このコロナ禍ではご自身も人込みを避けるという観点から私鉄沿線に住みながら電車での外出はほとんどされてないようである。
 各年齢層によって時間の捉え方はさまざまであるが、歳をとっている方が「一年一年を大切に」とよく口にされるのを聞くことがあり、今回の手紙の内容と重なる部分がある。

 また、この方のように100歳手前のお母様が近くにいながら直の面談ができないということも、やむを得ないこととはいえ非常に心配でストレスのかかることであろう。

 あと もう一つ久しぶりという点では、昨日夕方 前の職場でいっしょに仕事をしていて、私よりずっと早く30年程前に独立開業をされた税理士さんから電話があった。
 この方は私が勤務していた税理士事務所では私の上司として在職されていて、当時は本当にお世話になった方で、私が独立する時もいろいろと相談にものってただいたという どちらかいうと恩師のような方である。
 この方とは私が開業した後は1年に1回、そして 数年前からは2年に1回くらいのペースで一杯飲みながら近況報告をしあう関係が続いていた。
 それがここ3、4年は何かの用事があって電話することはあっても、会って食事をしたり話をしたりする機会はなくなっていた。
 昨日の電話は急ぎの用件ではなかったが、「長いこと声も聞かんし、顔なんていつから見んかわからんけど、元気にしとるんか?」ということから始まり、「また落ち着いたらいっぺん顔見て話がしたいな。今の状況からするといつになるかはわからんけど。」 と電話から元気そうな声が聞こえた。

 この方は65歳以上なのでコロナワクチンの接種は2回目も終了したとおっしゃっていたが、私は接種の予約はできているが、まだ1回目の接種すら済んでいない状態である。
 「また」がいつのことになるのかは、2人とも?の付いたままではあるが、積もる話もあるのでコロナが落ち着いたら 会って話がしたいものである。
 最初のカミさんの従姉の話もあとの私の先輩との話も定期的に会っていたことが数年間飛んでしまっているが、その間も時間は過ぎて歳はとっていっているという、少しゾッとするような現実がある。

 今日は比較的年齢の高い人の話をしているが、10代や20代の若い人たちにしても、「俺の中3(高3)は何もできずに終わった」とか、「1年以上大学に行くこともなく、卒業式を迎えた」なんていう 思い出さえも作ることができないかわいそうな話も何度か耳にした。
 今後、多少なりとも世の中が落ち着いてきても今まで”定例”であったものが”定例”でなくなったり、ものによっては「必要でなくなった、あるいは必要でないことがわかったので今後は廃止」なんていうことがいくつも出てくるように思う。

 冒頭であった「2年間のロス」ではないが、本当に「時間を返せ」と多くの人が叫びたくなるくらいコロナ禍の状態は長く続いている。
 どんな状態であっても時間は過ぎ、歳をとっていくことは万人共通で誰しも抵抗のしようがないことなので、時間を大切しながらコロナに逆らわずに毎日を過ごしていくしかないのであろう。
 残念で悔しいことではあるが。
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2021年06月27日

No735:事業は引き際も難しい

 まず、本題に入る前に    
 前々回のNo733で私が予想した 陸上競技 男子100mのオリンピック最終選考会の結果であるが、一昨日 決勝があり結果がでた。
 順位を予想していた者としては40%くらいの今一つの出来で 残念であったが、生き物(生身の体)は、その場面や雰囲気、それに各人のちょっとした体調の変化でどうなるか分からないというのを目の当たりにした近年まれにみる緊迫したレースであった。

 さて 本題に入ることにするが、
 みなさまもご存じのように私は医院の新規開業に数多く関わってきたが、その中の1人で 20年程前に開業支援をし、現在70歳を超えた先生から「いよいよ医院の閉る日も近いので、その方法や時期について いっしょに考えて欲しい」と相談された。
 税理士の仕事をしていると人生の幕を閉じられた後、その方の相続人から相続についての相談があることもあるし、相続税の申告業務は年に数件はあり、これは一定のルールに従って期日内に仕上げるという点ではある程度 手慣れたことではあるが、事業の終い方というのは期日が決まったものでないということもあり、何から手をつけていいのかという点も含めと難しい面がある。

 後継者として院長の子供等の親族に引き継がれる場合や他人(第三者)に一定の条件のもと 譲る場合には、次の引き継ぎ者が決まっているので、いろいろな取り決めや交渉の煩わしさはあるにしても、どこかの時点で完了するという 終点がはっきりしている。
 しかし、後継者がいない方で、いつ医院を閉めようか、いつ自分は身を引こうか悩んでいる場合は、なかなか事が前に進まないことも多い。

 いろいろな問題が絡むし、当然のことながら守秘義務のこともあるので、ここでは細な部分についてまで触れることはできないが、今なお 診療ができる体の状態であるにも関わらず引退するということは、自分で見切りをつけないといけないという点においてそう簡単にできるものではない。
 年配の先生やその家族には失礼な言い方になってしまうが、亡くなられたり、病気やけがで診察ができなくなれば踏ん切りがつくのだろうであろうが、まだ診察できる体でありながら辞めるということは勇気のいることである。
 たとえ「○○歳で辞める」と決断されても、患者さんのことや従業員のことを考えるとそう簡単に辞められないというのが本当のところであろう。
 私が相談を受けた先生は、スタッフの方から、「先生、家も建てたし、ローンもあるのでしっかり働きます。先生も健康でずっと診察を続けてくださいね」と言われたとのことで、この先生はこの話が頭から離れず困ったとおっしゃっていた。
 辞める決断ができるのは、子供さんが自立されているのは大前提であるが、今後の奥様との生活や自分自身が残された人生 何をしていくか、そしてお金の心配はいらないのか等、本当に考えることは山ほどある。
 この先生からは、「終い方のアドバイスを」と言われているが、なかなか「これだ!」という方法は見つけられないし、正しい答えはひとつだけとは限らない。
 ただ、こういう局面はいろいろな形があるにしろ、誰もが通っていかないといけない道なので、他人事とは思わず、真剣になって相談に乗って、「ええ形やったわ。ありがとうな。」と言ってもらえるようなんとか力になれればと思っている。

 医院の経営が先細りにでもなれば、ある意味 踏ん切りがつけやすく着地点は導きやすいのであろうが、いい状態で閉める場合には、資金面においては多少ゆとりがあるのは事実であるが、動いているものを止めるという点においては難しい面もあるなと実感している。
 でも、この先生の「悪くなる前に辞めたい」というの思いを実現できるよう導かないといけない。
 これには この先生も私もまず健康であることが第一であるので、何をするにも体が資本であるていうことをあらためて感じた。
 私自身もこの先生と同様 健康の維持が必要であるが、そのためには まずは“暴飲”を慎むことは必須であろう。
 何本も並ぶ地酒の瓶を目の前にして きつい話であるが。
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2021年06月20日

No734:小心者も悪くはない

【小心者】気の小さい人。臆病な人。度量の狭い人。
 どれをとってもよい意味には捉えにくく、どちらかというとマイナスのイメージで、さらに 勇気がなく、自ら進んで行動できないような人のことを指すこともあり、いずれにしてもよいことは浮かばない言葉である。

 先日久しぶりに稲盛和夫さんの書き物に目を通す機会があり、小心者で臆病なご自身について触れられていた内容が非常に興味深く、今日は少しそのことについて私が感じたことを書いてみようと思ったので、冒頭で わざわざ“小心者”の意味も掲げておいた。

 私も一応 経営者であるが、自分のことよりも顧問先の多くの経営者の方々の顔を思い浮かべてみると こういった性格も経営に何らかの影響を及ぼしているように思えてくる。

 小心者という言葉は確かによい意味で使われることは少ないが、稲盛さんが言うように臆病というのは、石橋を何度もたたいてから渡るとか、最悪の事態も想定しておくとか等、用心深く、繊細な気持ちも持ち合わせており、経営者としてはある意味 重要な要素であるとまでも言われている。
 中には図太い神経の持ち主で自信たっぷりの人が突き進んで成功した例もあると思うが、どちらかというと用心深い人の方が好感が持てるし、自分でも少しはまねてみようかという気にもなる。

 仕事だけでなく日常生活でも、遊びでも細かなところまで事前に考え、徹底とまではいかなくともある程度の準備をしておいた場合の方がことがスムーズに進んでいったという経験は誰しもお持ちであろう。
 顧問先の中には予期せぬトラブルや外的な要因で危機にさらされそうになっても、常に物事を前向きにとらえ難局を乗り切ってこられた経営者が何人もいらっしゃる。
 こういった方は用心深さや繊細さは当然 持ち合わせているが、いざ検討すべきことがあればしっかりと考え、決して結論を引き延ばすようなことはされないし、そしていざ決断を下せば、「よし、行こう」と、即 実行に移される。用心深さと対極とさえ思えるような即断も熟慮の結果としてとれる行動であろう。
 ただ、こういった方は前に進むことばかりではなく、「よく考えたけど、あの件、うちには必要ないわ」とか「不相応と思うんでやめとくわ」と止める時の切り替えも非常に早く、中には切り替えだけでは終わらず、その後の代替案が準備されていることもある。
 この場で顧問先のことを言うのもなんだが、決断の早い人で悪い方向へ行った例は非常に少ないように思うし、相対的にできる人は何に置いても素早いように思う。逆に厳しい言い方をすると、判断をするのに時間を要するのは、事前に索が練られていないからであろうとさえ思ってしまう。
 事務所では、顧問先へ出向くのは私だけでなく、10人近くの外勤部隊がいるが、定期的な面談時には必ず質問や確認事項を準備されている方があり、中には聞きたい内容を書き留めたノートを目の前にして面談が始まる方もある。
 面談時の質問として一番多いのは、経営上 気になる一つの事象、例えば コロナが及ぼしている影響等について他の事業者と比較して自分の所はどうかということである。
 ここであげるのもどうかなと思いつつも、がっかりする例をあえて挙げておくと、ご自身ではあまり深いところまでも考えずに、「何かええ話ないですか?」、「私は(うちの会社は)この先どうしたらいいんでしょう?」という返答するのにも困るような質問をされる経営者である。
 
 今日は小心者の意味から始まり、最後はよい経営者とがっかりさせられる経営者の話で締めることになるが、税理士という仕事は顧問先を通して、自分が経験する何倍もの事例に接することができ、役得だなとつくづく感じた。
 
 私が感じたことを、結構好き勝手に綴りましたが、みなさまにも何かの参考にしていただければ幸いです。
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2021年06月13日

No733: 久しぶりに陸上競技の話題です

 コロナの感染がなかなか収まらない中、こういったところでスポーツの話題に触れることはなかなか勇気のいることである。
 オリンピック・パラリンピックが開催の是非についてほとんど議論されないまま、開催ありきという方向で話が進んでいってしまっているようにも思うが、この現在の状況は国民として何とも不思議に思えてくる。
 これは またまだ開催に対して不安感が拭えない感染の状況が続いているのでなおさらであろう。
 
 そういった中でも、2週間先に迫ったオリンピック 陸上の最終代表選考会を兼ねた第105回日本陸上競技選手権大会が大阪で開催されるが、今回はかつてないくらい注目される種目がある。
 ここからはオリンピックの開催の有無の議論とは関係なく、一陸上ファンとしての競技に関するコメントと捉えて読んでいただきたい。
 具体的にはご存知の方もあろうかと思うが、なんといっても5人がオリンピック参加標準記録を突破している男子100mのレースについてである。
 この5人の内4人が9秒台のタイムを出しているという日本では今までに見ることのできなかった日本人同志のハイレベルなレースが大阪で行われるということである。
 先週、山縣選手がそれまで9秒台を出していた3人の選手のタイムを一気に抜いて、9秒95という日本記録を出したが、オリンピックは同一国3名の枠があるので3人しか出場できないし、代表に選ばれるのは今回は日本選手権での上位3名と決まっているので、山縣選手と言えども4位になったり、万が一フライングでもすればたとえ日本記録保持者であっても出場はできないという規定になっている。
 オリンピックの開催について こんな不安定な時期に不謹慎な内容かもしれないが、オリンピック云々ということはいったん横に置かしてもらって、この100mのレースだけはアスリートの血が騒ぐので自分なりのに予想を立ててみた(ここからは陸上に興味にない方はスルーしてもらった方がいいのかも)。

◆私の予想は
1位 山縣(自己ベスト9.95)
2位 サニブラウン(9.97)
3位 多田(10.01)
4位 桐生(9.98)
5位 小池(9.98)
ケンブリッジ飛鳥(10.03)は7〜8位あたりか

 私の見立てとしては、山縣以外では多田が今 一番昇り調子のように見えるし、いつも70mくらいまではトップなので、もう少し持ちこたえれば9秒台に突入するように思う。
 桐生は滋賀県彦根市出身で洛南高校卒の関西人であるが、この多田選手も大阪桐蔭高校→関学大卒という日本男子の陸上界では数少ない関西の大学出身者なので多少 ひいきにしている選手である。
 さあ、2週間後にはどんな結果になっているのであろうか。
 今回は仕事のことも忘れて、久しぶりに陸上競技マガジンの編集長のような気分で大一番の予測をさせてもらった。

 こんな時期なので大好きな甲子園での高校の野球観戦もあの金足農業が話題を呼んだ2019年の夏を最後に行っていないし、サッカーや駅伝ももっぱらテレビ観戦である。
 ただ スポーツの関していえば、実は私にとって今年は うれしい珍事が2つも重なっている。
 プロ野球は甲子園に足を運ぶような熱狂的なファンではないが多少ひいきにして応援している阪神タイガースが、何年振りであろうか 首位独走中であるし、もうひとつサッカーでJ2に落ちてかなりの年数になる京都サンガが現在2位で、もしかすると久しぶりにJ1に復帰するかもしれないところで踏ん張っている。
 どちらも秋にはやっぱり「ダメ虎」、「ダメ サンガ」で終わっているかもしれないが、まあ今のところはワクワク感をもって結果を追っている。

 このような大変な時期に個人的に興味のある話に終始しでしまったがなって、こういった話題もたまにはお許しください。
 下を向いてばかりではどうしようもありませんから。
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2021年06月06日

No732:不謹慎? 医者がかっこよく見える

 当事務所の顧問先は開業医が多いが、コロナがクリニックの経営にも影響を及ぼすようになった昨年の2月頃から、顧問先の全てのクリニックについて、どのような影響を受けているのかをさまざまな角度から検証し続けてきた。
 その検証の基本となるのが毎月の収入が前年の同じ月と比較してどのように変動してしているのかを把握することである。
 各担当者が作成した毎月の経営指標が全件 私の所にまわってくるので、診療科別に一覧表を作成し、その推移を1年間追ってきた。
 さらにコロナの感染状況は地域差が大きいので都市部とそれ以外を区分することと、開業医の経験年数の違いも何らかの影響があるだろうと思ったので その年数も分かるように一覧表に加えた。
 そしてその総まとめが昨日 完成したので、顧問先の経営指導に役立ててもらおうと私のコメントもつけて事務所のメンバーに送信した。

 この検証で診療科、地域差、開業年数以外にも各院長の経営努力が数字となって表れている先と、なかなか努力報われていない先があることもわかった。
 残念ながら、コロナ禍においては今までに経験した経営環境の変化と異なり 院長の努力がすぐさま経営改善に結びつかないケースがあり、あらゆることについて予想がつきにくいという このコロナの持つべき恐ろしさも影響していた。
 ただ、一年以上たつと各院長のコロナに対する姿勢の違いが徐々に数字に反映されることもわかってきた。
 何かにつけ、「〜だから仕方がない」とか、「自分ひとりの力ではどうしようもない」という人は、今回もこの言葉を何度か口にされていたし、逆に「できる範囲で、できることから手をつくしつていかないと」という人とでは、当然のことながら結果に差が出てきている部分も見受けられた。
 コロナに真正面から向き合う医者だけが評価されるものではないし、いろいろな理由によりコロナとの関わりを少なくしようとされている開業医の先生がいるのも事実である。
 ただ、どんな状況下に置かれたクリニックであっても、顧問先の一人、あるいは一件たりとも脱落者を出さないことは関与税理士の役割のひとつなのかもしれない。
 私が毎月面談する院長の多くは、院内での個別接種、行政が準備した会場での集団接種と休む間もなく、コロナのワクチン接種に時間を割いておられる。
 もちろん自分のクリニックでの通常の診療はこなしたうえでのことなので、こういった先生方の生活はどうなっているのかとこちらが案じてしまうくらいである。
 こういった先生方の中には、自分の行動がクリニックの経営にプラスになっているのかどうかという観点からではなく、まさに「国家の一大事に我々の力を」という気持ちで臨んでおられる方もあり、その熱意がこちらにも伝わってくる。
 つい「夏までは仕方ないです、実は体はへとへとですが・・・。」という言葉を口にされることもあるが、何とか任務(一種のノルマ)をこなされている。
 ここで私がこういったことを綴ると、「そこまで一人の医師ががんばらんでも」 なんていう人もいるかもしれないが、医者でない私から見ると何とも頼もしいというか、ある意味 かっこよくさえ見え、思わず「ご苦労様です」、「ありがとうございます」と声をかけたくなってくる。
 今回は一般国民だけでなく、総理大臣や国会議員であっても、大企業の社長であっても医者にワクチンを打ってもらわなければ何も始まらないし、前に進むことさえできない。
 正に医師を含む医療従事者こそが国家を救うという状況になってきている。
 私は医師ではないので直接コロナと向き合うことはないが、こういったドクターが運営するクリニックをサポートすることで、間接的コロナと関わることができているのかなと考えながら毎日の業務に取り組んでいる。

 何はともあれ、通常の生活ができる日が一日でも早く戻ることを望んでいるし、そうなったときには、コロナ禍のことをどう語っているのだろうかと想像できるところまで近づきつつあるのかなと希望が持てるようになってきた。
 ただ そういった状況が現実のものになるには、更にひと山、ふた山 越えないといけないのであろう。
 本当にコロナはどこまでいっても手強い相手である。
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2021年05月23日

No731:まるで地図が伸びていってしまったような

 旅行は私のいくつかある趣味のひとつであったが、コロナ禍においてはどこにも行くことができない。
 開業してから14年近くになるが、2年前くらいまでは海外旅行こそ行くことができないものの 国内で是非とも見てみたいものや食べてみたいものがあると予定を立てて年に1、2回出かけたものである。
 今ではネットで検索していろいろな情報を入手するのが基本であろうが、数年前までは本屋の旅行雑誌のコーナーでワクワクしながらページをめくるのも楽しみのひとつであった。しかし、このコロナの感染が広まった影響でどこへも行けなくなってしまった。
 私の旅行は基本的には1泊2日がほとんどで、2日あれば北海道であろうと九州であろうといろいろな所に行くことができたし、新幹線で行く名古屋や浜松等は見たいものだけを見て帰る日帰旅行を決行したことも何度かあった。
 それが今や仕事以外では地図を見る機会もほとんどなくなり、どこかへ出かけるといってもせいぜい2時間かけて仕事でお決まりの顧問先へ行くくらいのものである。

 私は地理という教科が大好きだったので、地図を眺めているだけで旅行に行った気分になれるという“お得”な感覚も持ち合わせている。

 それが今や世界地図を見たところでどこへも行けないし、ニュースで見る外国の様子も以前はもっと親近感があり、身近な所で起こっている出来事のように思えていたが、今やお隣の韓国でさえも遠い異国での出来事のように感じてしまう。
 これは国内でも同じで2時間ちょっとで行ける東京でさえも、政治家がたくさんいていろいろな物事が決まっていくところなんて思いながらニュースで国会の様子を見たり、依然として多くの若者が行きかう渋谷のスクランブル交差点の様子を妙な感覚で眺めている。
 今まで飛行機、鉄道、そして高速道路を使っていかに短時間で行けるのかを競ってきたが、その必要さえもなくなってきているようにさえも感じる。
 「コロナが自分の行動を見直すきっかけに」なんて大げさなことは言わないが、ここまで行動範囲が狭くなってくると思考も変化していくし、人生観にも影響を与えるといっても過言ではない。
 事務所にも長期休暇の時に必ず里帰りしていた者も何人かいたが、ここしばらは行けていないようであり、会えない親子や見れない孫の顔というのが常態化しつつある今の我が国の状況である。
 ワクチン接種が進むとこういった状況はかなり改善されるであろうが、今のこの状態は旅行という余暇の過ごし方だけでなく、仕事のやり方や家族の関係さえも変化させようとしている。
 とはいっても、嘆いてばかりいても仕方ないので、こういった状況をいろいろなことを見直すきっかけにしたいものである。

 地図を広げて次の休暇にはここへ行くぞと考えられるような日が待ち遠しのは私だけではないでと思う。それは世界地図でなくとも日本地図で充分なんで。
 そういう意味で私は今まで時間の短縮競争で縮まっていた地図が、伸びて広がってしまったような感覚でいる。
 地図が伸び縮みなんて変な表現かもしれないが、それくらい世の中や我々の行動って変わってきているコロナ禍での世の中である。
posted by ヒロイ at 22:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月16日

No730:贈答品の金額が分かることの功罪

 世の中は新型コロナの感染状況とワクチン接種、それと東京オリンピック・パラリンピックの開催についても話題で持ちきりである。
 こられのことは非常に重要であることは分かっているが、私はここではできるだけ あえてこういったあふれている情報とは違うことをとり上げるようにしている。その方が新鮮味があると思うので。

 今日は便利になったネット検索についてであるが、何でもかんでもネットで検索ができるようになり、いろいろな面で便利になってきていることは誰しもが認めるところであるが、知り合いから贈り物が届いた時にワクワクしながらも、ネット検索することによって その贈り物の金額がすぐわかってしまうので味気ないというか、趣がなくなっていっているなと感じることがある。
 娘が家にいた時なんかは、お歳暮やお中元、それに何かのお返しの品が届いた時にすぐさま 「これ○○円やわ」と金額を教えてくれていて、それはそれで「あっそうか」といち早く情報が頭に入ってくることで助かることもあるが、私自身は実はこういった行動は必要に迫られない限り、今まで一度たりともしたことがない。
 また、最近でこそ機会がなくなってきている会食の場合でも、何かの食事会に招待いただいた時、料理の値段をすぐに検索したり、食事会の後、先程食べたのは「□□御膳で○○円」と店を出るなり金額の検索をしている人の姿も幾度となく見かけし、事務所で食事会をしていた時も、「今日の料理は○○円」って分かっていたんだろうな なんて考えたりしていたこともあった。

 以前はどうだったのかなと思い返してみると、百貨店から届いたお菓子には箱の横に[30]と記載されていれば3,000円かと確認したことはあったが、いただいた品物は金額が分からないところにそれを想像する楽しみがあったような気もする。
 私のような行動を「値段を確認しないなんて さすが違うわ」なんて言う人もいるかもしれないが、食べたいものやもらってうれしいものが届けば金額なんて二の次という思いがある。
 先日も長男の嫁から東京の地ビールが届いたが、値段がいくらであろうと東京のビールということと、送られてきたものというだけで格別の味がするような気がする。何種類かあったがもちろん金額の確認なんてしていない。
 実はこのビール、昨日から冷やしているので今晩じっくりと味わうのが今から楽しみでならない。

 贈答に限らず結婚式や葬式も場所と規模が分かればおおよその金額が分かってしまうので、逆にいうと主催する側も金額がガラス張りに中で催し物が行われていることはある程度 覚悟しておかなければならない。
 そんな思いもあるので、私がいただいて結構うれしいものとしては、“花”や“観葉植物”が挙げられる。 とはいってもそうそうもらう機会はないのだが・・。
 送る側が「この辺の花3種類を1万円になるように」 なんて花屋さんに依頼して、価格表にはないような形で贈答の品が出来上がるので、もらった方は少しくらいは「いくらぐらいのものかな」とは考えるが、金額がいくらかは分からなくとも 単純にきれいな花として評価し、素直にうれしくなるものである。

 最後に先述の話とは関係ないが、花についてちょっとおもしろい話を一つ。
 先日、娘が友人から、「主人が仕事帰りにサプライズでお花を買ってきてくれてうれしかったんだけど、その花がどう見ても仏花のセットなんだけど、これって本人に言うべき?」と相談を受けたらしい。
 更に聞くと、閉店間際の時間でこの花しか残っていなかったらしい。
 娘の友人は、ご主人に感謝の気持ちは伝えた上で、一般常識を知ってもらううためにもこれは仏花であるということは伝えようかなと言っていたらしい。
 この結末は聞いていないが、私も常識知らずのとこがたくさんあるので、この話 人ごととではないなと思いながら聞いていた。
 いくつのなっても「常識とは」ということを学んでいかないといけないなと思った話でした。

 今日の天気からすると梅雨入りは間近かな?
posted by ヒロイ at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月09日

No729:仕事の進め方は “逆算思考“ それとも “積み上げ方式”?

 ある会社の社長が本の中で、「逆算思考こそ成功の秘訣」と述べていた。
 これってどういう意味なんだろうと本の中に目をやると、仕事を締切に間に合わすためにはいつまでにスタートを切り、途中の段階ごとに何をいつすればいいのかを追いながら物事を進める必要があると書いてあった。
 「う〜ん 当然と言えば当然で、誰でも分かっているけど そう思いどおりにいかないからみんな悩んでいるんだけどな。」と感心するより、ひとこと言いたい気持ちになった。
 私の仕事も申告期限の2カ月前、1カ月前、そして 1週間前までにしておくべき仕事を定めながらするという点では、立派に仕事を逆算して取り掛かっているが、思いどおりに進むことの方が稀で、「やばい、やばい間に合わないかも」とお尻を叩かれながら最後の追い込みをするというのがよくあるパターンである。
 仕事というものには必ず期日があるが、法定の期日であれば一日たりとも遅れることは許されないが、自分で決めた目標の期日の場合には、勝手にできない理由を考えて数日延ばすことは誰でも経験のあることだろう。
 この歳になると試験勉強というものはないが、若い頃は、受験勉強も何日までに第1章、そして次は第2章と目標を定めてスタートを切ったり、子供の頃の夏休みの宿題も7月中にはここまで、お盆前までにはここまでと、夏休み前に計画を立てるのだが、残念ながら計画どおりに進んだことは一度たりともない。
 仕事をする上でこの”逆算思考”は確かに効果的であるが、決して楽しいものではなく、長く仕事をしていく上では、これだけでは何か物足りなさを感じてしまう。

 では他にどんな進め方があるのか考えてみたところ、”積み上げ方式”というものの考え方をすれば、仕事を楽しむというところまではいかないが、もう少し達成感を得ながら進められるようのではと思った。
 仕事を積木に例えて、積木が10個積み上がったら完成ということにしておけば、一段階ごとに積木を積み上げていけるので、進んでいる様子が実感でき、残りあといくつという捉え方をすることによって目標(完成)が見えてきて、途中の段階でも少しは達成感に浸ることもできる。  
 ただ、こうして文章で書いていると何だか素晴らしい方法のように見えるが、どちらの方法にせよ期日が迫った時の焦り度合いには大きな差がないのが現実である。

 相続税の申告業務は お亡くなりになられた日(専門用語では一般的には「相続開始日」という)から申告期限までの10カ月間にするべき項目をスケジュール表に並べ、それに沿って進めることことも ある意味”積み上げ方式”で仕事を進めているのであろうし、クリニックの新規開業の支援も立地選定、融資、建築から始まり、最後の広告の検討やスタッフの採用まで1年以上の期間を要する場合が多く、これもまさに”積み上げ方式”の典型的なものであろう。
 法定であってもなくても期日はあるのだが、どうせ仕事をするのなら自分で勝手に”積み上げ方式”の発想を持ちながら進めるようにした方が仕事に対するストレスが少ないのかもしれない。

 冒頭の社長は行き当たりばったりで物事を進めることを戒め、計画どおりに進めるための手法として 「逆算思考こそ成功の秘訣」と言っているが、することは同じであってもあまり縛られずに進めていきたいものである。
 でも 人間って本当に弱いもので、期日のないものはついつい後回しになり、そして「いつかはしよう」という仕事が机の両サイドに積まれている人も多いはずで、私もそのうちの一人である。
 私の場合にも言えることであるが、最終的にはいろいろなことが期日内で終わっているのは、残念ではあるが 自分の頭の中では自然と”積み上げ方式”ではなく、”逆算思考”で仕事をしていっているのであろう。
 ただ、いやと言いながらも期日に縛られない仕事って、もしかすると達成感があまりないのかもしれない。
 人間って勝手なもんですね。縛りがないとだめなのかな 誰しも・・・。
posted by ヒロイ at 17:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月02日

No728:このブログ、なぜ辞めずに続けているんだろう?

 先日、高校時代の友人からある単発の仕事の依頼があった。
 昨年もこの友人の奥様から実家の税金に関する相談があり、当事務所の顧問先ではないが2年続けて仕事で関りを持つことになった。
 我々の業界では、顧問契約を締結していない先(人)から仕事の依頼があった場合、”飛び込み”あるいは”単発”と呼んでいるが、2年続けてこの”飛び込み”があったという何ともありがたい話である。
 実はこの友人というのも高校時代に陸上部で3年間一緒に汗を流したリレーメンバーで、「4×400mリレーで絶対に全国インターハイに行くぞ」と、今では考えられないような過酷な練習を来る日も来る日もいっしょにやってきたチームメイトである。
 私が高校時代まで過ごした所は冬はかなり雪が積もるので、当然のことながらグランドは使えず、学校の横の150mほど続く坂道を息が切れるまで何本も走り続けたものである。当時のクラブ活動では程よい練習なんていうものはなく、常に限界への挑戦であり(ちょっと大げさかな?)、疲れ切って今日はもうでダメかと思ったときも 「みんなで松山インターハイに行こな」という合言葉を掛け合いながら、がくがくする足を手でパチパチとたたきながら、最後にもう1本何とかみんなで走り切ったものである。
 実はこの道は、今でも仕事で顧問先を訪問するときに車で通ることがあるが、通るたびに40年前のあの光景がついこの間のことのように蘇ってくるし、特に雪のちらつくような日であれば、なお鮮明に当時の光景が頭に浮かんでくる。
 先日、この友人から今回の仕事のことで電話があった時に、「去年から、飯でも食いながら一杯やる というのが持ち越しになっているので いつかは絶対やろな。ただ、コロナがこんな状況なんでちょっとめどがたたんけどな・・。」と話していて、その翌日、仕事に関することで送られてきたメールに、「たまにブログ拝見してます。毎週よくネタがあるなーって感心しています。」と書かれていた。
 これを読んだ私は、「ここにも居たんだ私のブログの読者が」とついついうれしくなり、そして今こうして彼とのことを綴っている。

 他の税理士のブログをたまに見る機会があるが、「税制改正」とか、「こんな判例がでました」というようないわゆる本業を補足するような内容が多く、読んでいても今一つ面白いものではなく、続けて読もうという気にはならない。だからというわけではないが、私は開業の日(2007年9月)にNo1を初めて綴った時に、ここ税金の話を書いても他の税理士と代わりばえがしないので、あまり税理士なんて構えずに、「その時々で考えていることを素直に書いてみよう」と思ってスタートし、今でもこの姿勢を貫いている。
 だから、ここではあまり頭をひねるような内容ではなく、自分を飾らず ありのままを出そう と思ってここまで続けてきた。
そんな中でたまにこうして、「読んでるよ」とか、「私も同感」って声を掛けてくれることがあると、それはそれで結構励みになるのも事実である。
 開業当初は事務所の場所もスタッフ数も今とは違っていたし、私の家の方も当時は5人で生活していたが、今や2人となり、子供中心の生活から ぽぽたん(ワンちゃん)中心の生活へと大きくか変わってきたことも含め、こういった仕事以外の日常もたくさん綴ってきた。ある機会があって以前のものを読み返すと、まさに開業後14年間の生活そのものが表れている内容で、懐かしくなることもあれば、自己反省の材料になることもあり、自分で言うのもなんだが一つ一つが自分にとって結構インパクトがある。

 このコーナーって人のためだけではしんどいし、また自分のためだけでもつまらない内容になり、もし、そんな片寄った内容であったならきっと自分でも飽きてしまっていたであろう。
 そういう意味で、読者のためと自分のためというこの2つの方向性があるからこそ ここまで続けられてこれたんだろうなと思う。

 最初は100回くらいは続けようか、次はこの調子で200回続けられるかな、その後500回目の時には以前のものを読み返すとその時々の考えが表されていて、本来の日記の意味が出てきたなと妙に納得したのを覚えている。そして今回728回だが、1,000回続くだろうか? なんて勝手に先のことまで想像してしまっている。

 今、世の中がこんな状況なので先のことは全く読めないが、この読めない時こそ今考えていることと半年後や1年後の現実を照らし合わすことの意義はそれなりにあるのかもしれない。
 昨年のコロナ禍以来、予測は全くあてにならないし、あてにしない生き方を学んだように思う。
 もしかするとコロナで学んだことの一番大きなものは、このあてにならない、予測がつかない、そして生きていくためのには何をするのか? ということを考えさせられたことではないかと思う。    
 果たして連休明けの我が国、関西、そして京都のコロナの状況はどうなっているのだろうか? いや〜、本当に予測のつかない世の中になってしまいました、困ったことに・・・。
 では今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 23:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする