内容がいいこと、あるいは読み終わって「読んでおいてよかった」と思えることであっても、目を引かない見出しだったらそのニュースを開かず通りすぎるので、この時点で勝負ありということになる。
これはニュースにとどまらずお店や商品の案内でも同じことが言えるであろう。
今日 スマホでニュースを開いて目を引いたのが、ニュースの内容という点ではそれほど重要性の高いものではないのかもしれないが、何気なく画面を見ていた私の目に“修学旅行の行き先 富山が増える?”という見出しが飛び込んできた。
このことを知っておかないと世の中から取り残されるほどのことではないのは分かっているが、まず「なんで?」と思わせ、ついついその理由を知りたいなと思わせる欲求がピクピクとしてしまった。
新聞なら文字も大きくして 的を絞ったタイトルのこともあるが、ネットニュースの場合には一行という字数の制限がある中での勝負なのでより一層 出す人の、つまりタイトル名を付ける人の感性の勝負になってくる。
私のこのブログは字数制限もないので やたら長々としたタイトルを付けてしまう時もあり、アップした後 見てみると「センスがないな」とか「ひどい感性」なんて思うこともたびたびある。
私の方で記事(No)ごとにどれだけ読んでいただいているのかはすぐわかるが、「おやっと?」と思えるようなタイトルにした時の反応は確かにいいので、公式の媒体でなく、こんな些細な掲載であっても人目を惹くことって大事なことなんだなと思う。
仕事上 メールでのやり取りも多く、返信の時はこのタイトルを付ける必要はないので気が楽だか、自分が発信元の場合で単なる事務連絡でなく、緊急を要する場合やかなり深く悩んでいることを相談するようなときには、どんなタイトルにしようかななんて多少 頭をひねりながらやり取りすることもある。
自分自身の行動を振り返っても、実際に受信したメールのタイトルによっては「あとでいいか」と思うこともある。
本文を書きだす前のタイトルを付けてしまうと、本文を入力している時にいろいろなことが頭に浮かび、話がいろいろな方面に派生していってしまうことがあったり、時には内容がタイトルから少しずれていってしまうこともあるので、最後の送信する時の再度タイトルを確認し、タイトルを修正することもある。
こういったことも多分 学習したり、研修を受けることによってセンスが磨かれるようには思うが、なんせ国語力が足りない、あるいはセンスがない自分ではタイトル一つつけるのにも限界がある。
では、感性を磨くってどうすればいいのかって考えてみると、いろいろなことに関心を持つことは当然のことであるが、人 つまり 人間という“物体”を好きになることであるように思う。これはもちろん「○○さんが好き」という意味のことではなく、100人いれば100通りの意見や考え方を持つ人間そのものに興味を抱くことであろう。
自分は違うんだぞと言わんばかりに「他人には興味もないし」なんて口にする人がいるが、こんな人には感性は磨かれないであろうし、かわいそうだがいずれは誰も相手にしない人になってしまうのだろうと思ってしまう。
タイトル(見出し)の話から感性の話へ内容が大きく変わってしまったが、やはりいろいろなことに関心を持つことが人間として、あるいはビジネスをする上でも非常に重要で、逆に感性のない人とはいっしょに仕事をしたくないなとさえ思ってしまう。
最後に我が家のワンちゃん ぽぽたんの話です。
10日ほど前に左足の靭帯が切れて直る様子もないので、動物病院で検査をし 獣医の先生と相談した結果、3日前に手術し その後入院していたが、今日退院で夕方に引き取りに行くことになっている。
いつも知った家族の中で生活していたのに、初めて動物病院で入院し、「痛い」、「悲しい」、「寂しい」とも言えず辛かっただろうなと思うし、こちらも想像していた以上に寂しく、やはりいつもいるメンバーがいないって つらいものがあるなと感じた3日間であった。
家に帰ってもしばらくはあまり動いてはだめなようだが、お正月には完治しているように養生させてあげたい。
やはり わんちゃんも立派な我が家の一員ですね。

