企業という面で捉えても2024年の調査では創業100年以上の老舗企業は京都は1897社で、東京、大阪、愛知に続き全国第4位、全企業数における創業100年以上の企業の割合は5.35%でこちらは全国トップである。
100年商売続けて一人前 みたいなところが京都にはあるのだろうが、この50年足らずで世界のトップクラスに入るような成長を遂げた先進的な企業も多くあり、産業構造という点では 京都はまさしく新旧共存という構図になっているという状況であろう。
少し回り道をしてしまったが、私は 冬になると積雪が多くなる京都府北部の出身で、いまだに京都市内で生まれ育った人に対しては 何とも言えな“田舎もん”という劣等感のようなものが残っており これは45年経った今でもなかなか拭い去ることができない。
私が住んでいた所から京都市まで今でも車で2時間程かかるが、当時は車でも電車(汽車)でも3時間以上かかり、そりゃ何かにつけ 子供心に都会に格差を感じていた。
ただ自分の人生の中でこの“差”が決してマイナスばかりではなく、少し大げさかもしれないが 何かにつけこの思いが自分自身を奮い立たせてくれる材料になっていたようにも思うし、「都会の人に負けるものか」という気持ちを持ち続けたことで何とかここまでやってこれたというのも事実かもしれない。
ハローワークの「採用面接時に配慮すべき事項」では出身地を聞くことはご法度のようであるが、仕事上 特に大手企業に勤める人は ほぼ採用も全国区なので、仕事に中でついつい「ご出身はどちらです?」と聞くこともあり、その出身地が過去に旅行した所であったり、親族のいる土地であったりすると それだけで話が弾んだり、初対面であるにもかかわらず 距離が縮まったりすることもある。
ここからは少し個人的な話になってしまうが、
社会人になってから知り合ったカミさんも実は同郷で、高校は後で考えてみると隣に公立高校に通っていた田舎もん同士であった。もちろんその頃は知りませんでしたが。
私の母校である加悦谷高校は生徒数の減少により、数年前に宮津高校と統合し、宮津天橋高校なんてあまり聞きなれない名前の高校になってしまったが、実はこの宮津高校はカミさんの出身校であり、今やお互いの母校が一本化されたというなんとも不思議なことになっている。
私の周りにいる宮津高校出身の方の中には、学校の歴史の長さや進学率で優っているので「宮津天橋高校の本流は宮津高校」なんていう人もいるし、私から見ても会社の統合(合併)で例えるならば、合併存続側が宮津高校で、被合併消滅側が加悦谷高校と言われても当然のようなこの高校統合である、残念ではあるが・・。
こんな話は過疎化が進む全国各地で見られる現象であるが、実は東京や大阪の都市部でも人口の流動化や私学隆盛の流れの中で公立高校の統廃合が出てきている現状がある。
私は 子供の頃 自分の部屋の窓を開けると近くの神社の森が目の前に広がっていたし、外に出ても山に囲まれた地域であった。
カミさんは家の裏を数十m歩いていくと砂浜が広がり、その先には日本海がすぐそこまで迫ってきていたというから、進学のために18歳で京都に出てきたときの街中での生活は、私と同様しばらくは別世界のようであったと言っていた。
当然のことながら京都に40年以上も住んでいると、慣れ親しんできてはいるもののなかなか何年経っても“都会の人”にはなりきれない自分がそこにはあるが、これは地方から都会へ出てきた多くの人が抱く思いではなかろうか。
先週 仕事で3人の金融機関の方と面談したが、3人とも関東出身の方で、京都で生活している人の中にはこうして意外と根っからの京都人でない人もたくさんいらっしゃるのではと思う。
京都で生まれ育った人と話をする時は、50年前の京都駅や田んぼが広がっていた北山周辺の話を聞くのもそれはそれで好きで、まさにこれまでの街並みの変化を聞きながら今と比較をするのも楽しみの一つである。
最後にもうひととつまらない話であるが、田舎もん同士の旅行先は空気のきれいな田舎はまず選ばないという共通点があり、ない物ねだりというか旅先はついつい東京、横浜、博多、札幌 なんていういまだに憧れの都会を選んでしまう。分かるでしょ、今さら緑に囲まれたところで森林浴をしたいとも思いませんし、カミさんなんかは海の見えるホテルなんていうと、「毎日見てたし、なんで今さら海なん」とすぐさま却下されてしまいます。
何が言いたいのかわからない内容になってしまいましたが、いくつになっても田舎もんの憧れは都会なんです、これってわかりますよね 田舎もんには。

