実は私はカレーには目がなく、以前はどこかでカレー屋さんを見つければ必ず入って口にしていたし、家でカレーをたくさん作れば、残ったカレーで翌日も、しかもその翌日が日曜日なら土曜の夜から3食カレーが続いても全く問題なく、どちらかというとそれで幸せな気分になれるくらいの根っからのカレー好きである。
今でも忘れられないのが30代の頃、仕事で大阪の梅田で入ったカレー屋さんはカレーの上に生卵が乗ってて、これが衝撃的であったが今でも忘れられない思い出のカレーとなっている。
前の職場でも「カレー好きですね。何日くらいなら食べ続けられます?」と女性の後輩から質問をされた時に「1週間 続いても平気だし、それはそれで幸せかも」と言ったら、「廣井さん、日本にいるよりインドに行かれた方がいいように思いますよ」と言われたことがある。
私は学生時代と結婚するまでの一人暮らしだった頃、ほんの少しだけ いわゆるの自炊というものを経験したことがあるが、それ以外は全くと言っていいほど自分で料理を作ることはない。
結婚してまだ子供が小さかった頃、カミさんが体調を崩した時に近くのスーパーに買い出しに行って何か作った記憶がある。
料理の内容まではあまり記憶になく、鍋物+1品だったように思うが、料理を出してカミさんが食べるのを見ていると 多少感謝はしている風ではあったが、最後までおいしそうにはせず、いつもより少なめの量で食事が終わった。
そして、日を改めて同じようなことがあった時、「料理、作ってもらわんでもええし、何とかして自分で作るわ」と遠回しではあったが、あの時はあまりおいしくなかったと間接的に言われた。
当時は気も使っていたんだろうけど、何年か後になってから、「あんたの料理は悪いけど食べたいとは思わんわ。料理 もうせんでええしな、自分一人の時は勝手にしてもらってええけど」と“食えたもんじゃない”宣言をされてしまった。
それから30年以上経つが、火を通したり、レンジでチンする以外は洗い物で台所に立つことはあっても、料理を作るために台所に立つことはない。
実はここまでが前置きでこれからが本題です。
この歳になってカミさんのことを褒めるのもどうかと思うが、料理を作るのは結構好きな方で私はその中でも大好きなカレーが出てくると、一日の疲れがぶっ飛ぶほどうれしい夕食となる。
ただ悲しいことに子供たちが家を出てから、特に下の息子がいなくなってから10年以上なるが、私のためにだけにカレーが出てくることはなく、次男が盆暮れに4、5日いる時は、次男もカレー好きなので一回くらいはカレーの日があったが、今やそれさえも風前の灯火である。
それもそのはずカミさんは、以前から自分はほとんどカレーを口にすることはなく、カレーを食べるのが私一人ならこの行動は当然といえば当然のことである。
それが何と先日、私一人しかいないのにカレーの日があったんです。
玄関を開けるなりカレーの匂いがするではないか? カレーコロッケにしては匂いが家の中に充満しているしな と思いつつ、靴を脱いで部屋に入るとその匂いにカレーであることを確信し、まるで少年野球の練習を終えて帰ってきたガキのように「今日はカレーやな、やったー」と思わず叫んでしまった。 よくやるよな、60も過ぎたおっさんが。
この日はもちろんいつもの倍近く食べ、しかもビール付きだったので、食べ終わった後はもう動けないくらいの満腹感で何とも幸せな気分になった。
ごめんなさい ここまでお付き合いいただいた読者の皆様、今日の話はただのこれだけの話なんです。
なぜ突然カレーを作ったのかはカミさんには聞けないが、もしかするとカミさんが友達と外食や泊りで出かけた時、私がCoCo壱のカレーを家で食べた後の容器を目にしたのかもしれない。一応 跡形が残らないように捨てているんですがね。
でもそんな理由なんてどうでもいいんです、カレーが食べられたら。