尾道市と言っても 行ったのは広島県と愛媛県を9つの橋で結ぶ“瀬戸内しまなみ海道”の広島県側から3つ目の島である生口島で、現在は人口9,000人、この島の一帯は合併前は瀬戸田町という町であった。
新尾道まで新幹線で行き、駅前で車を借りて 瀬戸田まで事務所の今回の業務担当者に運転してもらい、この島の仕事先まで行ってきた。
仕事に内容はさておき、
実はこの島は、日本画家の巨匠で元東京芸大の学長であった平山郁夫画伯の出身地であるということで、瀬戸田港から5分ほどのところにある平山郁夫美術館にも立ち寄り、平山郁夫氏の絵を堪能してきた。
薄暗い砂漠をラクダが列をなして歩いているシルクロードの絵はじっとして見ているだけで絵の中に吸い込まれそうな感覚になったし、奈良の薬師寺や京都の寺院の絵もいくつもあり、非常に身近にも感じられた。
仕事関係の人を通じて美術館の方に事前に声を掛けてもらっていたので、ちょっと別待遇で平山郁夫氏の実弟である現 館長からもこと細かく絵の説明を聞くことができた。
その中で「兄は何かを見ているとそれをすぐ絵にするんです、まるでポラロイドカメラで写真を撮ったように」と小学校から中学校までくらいまでのスケッチも展示されていたが、鉛筆書きではあるが人の肌の艶まで表現されている絵を見ると これぞまさしく天才という言葉がぴったし当てはまるような出来栄えであった。
あと説明の中で1本の紐を描くのに一筆書きのように筆を滑らすのではなく、紐のほつれや微妙に異なる光沢を出すために、点をなぞるようにして一本の紐を描いたというのを聞き、絵の前まで行き その点で繋げた紐の描写を確認し、その繊細さにも引き込まれた。
絵の才能を見込まれ広島市で寄宿舎生活を送りながら修道中に通っていた時に原爆が投下されたが、無事で翌日 島までたどり着いたという生々しい話もまるでご本人から聞くような語りで、本当にご本人が目の前にいらっしゃるかのような弟さんである館長の話しぶりであった。
例のシルクロードの砂漠の中で座りながら絵を描いている平山氏の写真も展示されていたが、なんとシルクロードと呼ばれる地帯には計140回も足を運んでいたと館長から話を聞き、あの絵の重みをずっしりと感じた。
この旧瀬戸田町も50年近く前は小学校が6つあったらしいが、今では小、中、高がそれぞれ1つずつという 典型的な過疎の町になってしまったとのことで、今は人口8,000人台であるが、以前(50年前)は13,000人が暮らし、造船、観光、農業が人々の生活を支えていたという 日本のあちこちで見られる過疎地の姿と重なるものがある。
高校も少し勉強やスポーツに打ち込みたい生徒は家から通える尾道市内の高校へ、更にもっと上を目指す生徒は下宿生活を送りながら広島市内の学校に通っているという話は、どこの地域でも言われている「過疎化は学校から」という現実がこの島にも存在していた。
海沿いにある造船所らしきところは今では船の本体ではなく船の一部分や部品を作る工場になっているとのことで、大きな建物のそばには働く人のバイクや自転車がたくさん並んでいた。
いくら仕事で行ったとはいえ、この美術館の印象が強すぎたので今日の報告は多少観光案内のようになってしまったが、何とか全ての予定を終え 夜の7時前には無事 京都に帰ってきた。
たまにはこんな旅日記みたいな内容でもお許しください。
昼のいかのお造りと新幹線に乗る前に早めの夕食で立ち寄った尾道ラーメンを口にするという念願も叶い、翌日からの英気も十分に養えた。
こんな仕事ならいくらでもしますが、月曜日からは現実に戻り、まるで特訓のような日が続くので、この英気 いつまで持つことやら・・。