2025年06月01日

No.933:羨ましく思う気持ち

 毎日の生活の中で「羨ましいな」と思うことって誰にでもあると思う。
 いい車に乗ってるな、広い家でいいな、休みたい時に休める職場でいいな、子供さんが現役で地元の志望校に受かって羨ましい、優しそうな奥さん(ご主人)でいいな、もっと小さなことでいうと、隣の席に座っている人 昼からビール飲みながらあんなごちそう食べてる、なんて人によっては羨まし対象は馬鹿らしいと思えるものまである。
 これは今 置かれている状況が人によって様々なので、当然のことながら羨ましくなる対象も人それぞれであるが、他人のことを羨ましく思うことが悪いことばかりかというとそうではなく、励みや目標になることもある。
 今は恨みまでいかなくとも、妬んで妙な行動を起こす人がないわけでもないし、単純に「いいなあー、素敵」とか「さすが!」ということを共有しづらい世の中になってきているのかもしれない。
 それは現代社会が生活しづらくなってきていることと全く無関係ではないようにも思う。

 私なんか18歳で都会に出てきたとき、同系列の中高から上がってきた人ってなんておしゃれなんだろうと思ったが、中高6年間 学生服とトレーニングウェア以外ほとんど着たことがなかった者にとってはその“差”はそう簡単に埋められるものではなかった。
 社会人になってからは、さっと試験に受かって税理士になっていく人を羨ましく思ったのはいうまでもないし、学生時代の同級生と30歳過ぎた頃 飲みに行った時にその同級生が私の2倍近い給料をもらっているのを聞いてが、差がありすぎて悔しいとも思わなかったし、「やっぱりマスコミはすごいな」と思ったのを覚えている。

 ここまでダラダラと綴ってきたが、他の人を見たり、話を聞いて羨ましかったことも幾度となくあったが、腹を立てることは一度たりともなかったし、どちらかいうともう少しがんばらなあかんやないかという思いの方が強かったように思う。
 今から思えば、勉強しないといけない年代の時には勉強のできるヤツ、スポーツしている時は自分より上手かったり、速かったりするヤツに近づこうと思うことが大事なんだろう、結果としてたとえ追いつけなかったとしても。
 もうええ歳になってるけど、もっとたくさん羨ましく思える人を探して話を聞いたり、刺激を受けたりしたいものである。
 刺激といっても、近頃あちこちで起こっている事件性のあるものはいやですがね。
posted by ヒロイ at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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