今回の万博については、ほとんど何も知識の持ち合わせがなく、報道番組で何度か目にした 木造建築の大屋根リングが会場の周囲を囲んでいるということくらいしか思い出せない。
実は私の中で万博というと今から50年以上も前に大阪の千里丘で開催されたEXPO 70のことを思い出す。
私が小学校に入学する前の春休みに 会場の近くにあった親戚に泊めてもらい1週間続けて通ったので、本当に多くのパビリオンを見てまわった。
公式ガイドブックらしきものを事前に買って、毎日「今日は○○と□□は必ずまわる」と計画(作戦)を立てながら、兄たちに連れられて50以上のパビリオンを見て回ったように思う。
今なら当たり前である外国人の姿であるが、田舎から出てきた小学生にとっては外国人を間近に見るのは初めてで、はっきり覚えていないがいっしょに行った従兄たちの前で、「おいおい、あっちにもこっちにも外人がおるで・・。」なんて言いながら、今まで経験したことのない場所に足を踏み入れて、驚きながら”外人”さんを指さしていたんだろうなと当時の自分の姿を想像してしまう。
こういった異次元に世界に足を踏み入れること自体が万博の意義であり、当時のアメリカ館で1時間以上並んで待って、月の石 を見たことも薄っすらと記憶している。
ただそれは月の石 そのものを覚えているわけではなく、うす暗いなかでライトが照らされていたその会場の光景しか思い出せない。
こういった時代背景もあって私の幼少期にあった万博が自分に与えたインパクトはすごいものであったが、お金と時間さえあれば多くの物が手に入る今の時代にどれだけインパクトを与えることができるのか、前の万博を知っている者にとっては心配である。
今回 気になるのは、「前の万博のように・・」と期待する年代の方が主催者側の多くを占めるのではないかということである。
我々の年代は、ことあるごとに、「あの頃の○○をもう一度」ということを期待してしまう傾向があるし、今回の主宰者側もこういった年代の人たちが多く関わっていれば、今の時代に生きる人たちの心とマッチしない部分もあるように思う。
あえて言うと このことが一番の問題で、”今の人たち”をいかに取り込むかという点においてはもっともっと”今の人たち”の意見が反映されないといけないように思う。
大阪・関西の再浮上を願っているのはよくわかるが、まずは人の心をいかに掴むかという議論がどれだけされたかという点において疑問の残るところではある。
私自身、前売りチケットの購入は「もちろん」していないし、果たして行くのか行かないのかも決めていない。
人が行き出すと「自分も」と思うのであろうが、まだまだその機運は感じられない。
今一番 躍起になっているのはスポンサー企業とテレビ局だと思うが、確かにテレビで取り上げる時間と回数は増えてきたように思う。
スポーツイベントやコンサートといっしょでこれからいかに群集心理に火をつけられるかということにかかっているであろう。
私自身 半年後どうなっているのか、機会があればこの場で報告しまが、どうなっているかな・・・?