毎年 年始め最初の出勤日に新年のあいさつを兼ねて朝礼を実施しているが、今年は「思っていること考えていることを素直に口に出そう」と いうような話をした。
別に今の職場の状態に問題があるわけではないし、私が若かった頃と比べるとある意味、黙々・淡々と仕事をしていて作業効率という点では申し分ないが、他の人がどんな風に考えているのかということが以前よりも分かりにくいというような気がしないでもない。
古き時代には俗にいう“しょうもない雑談”を通して人の考え方や生活スタイルなども分かり、そんな中に目に見えない仕事のしやすさも潜んでいたようにも思う。
他人様にあまり深入りすることは決していいことととはいえないのでこの辺りのバランスが非常に難しいが、仕事をする上で他の人の考えが分かることによって意思の疎通が図られ、さらには情報の共有化も進むという点では必要なことのようにも思うのでわざわざ新年にこんな話をしたのである。
オフィスが1フロアであれば、全員の顔を見渡せ、ある程度 その場の雰囲気や仕事の状況も自然に察知できるが、我が事務所は22人が3、4、5Fと3つのフロアに分かれて仕事をしているので、顔が見えないということが、情報を共有化するのに少し妨げになっているのも事実である。
ただ、今は社内メールという便利なものがあるので、伝達するのは相手がいなくともいつでもできるという点では大きな問題があるというわけではない。
あと新年に事務所のみんなに「相手の迷惑にならないことであればもう少しおせっかいを焼いてもいいのでは」というような話もした。
もちろん、一線を越えてまでおせっかいを焼くことはただの迷惑行為に過ぎず あってはならないが、職場内はもちろんのこと、顧問先の方に対しても 時と場合によってはもう少し踏み込んでおせっかいを焼くことは決して悪いことばかりではない という話もした。
若い世代にとっては「妙なこと言うな」と思う人もいるか必要と思われるおせっかいは焼く” ということかなと自分には言い聞かせている。
今日の書き出しでも言ったように、成果主義や個人主義を表に出しがちな世の中とは逆行するかもしれないが、こんな経営者がいたり、こんな職場があってもいいではとも思っている。
今日も長くなってしまったが、過去このコーナーで同じようなことを綴っていた記憶があったので探してみると、【No619:今では懐かしい “おせっかいな人”(2019年3月10日)】というのが見つかった。
あらためて内容に目を通してみると 今日の話と少し重なることもあったことからも、私って何年経っても同じようなことを考えているんだなとあまり変わらぬ自分に気付くこともできた。
変わらぬことが良いことが、良くないことかはわからないが・・。