2020年2月から2023年5月までは、日常生活における行動にも一定の制限がかかっていたので当然と言えば当然のことであるが、昨年(2023年)の秋以降は税務調査も少しずつ増え始め、今年(2024年)の春以降はすっかりコロナ前の水準まで戻ってきている感がある。
現場としては「戻ってきている」というのが実態なのであろうが、3年近く税務調査が控えられていたということもあり、“通常状態”になったことがすっかり「増えてきている」という風に肌で感じてしまうということに 人間の感覚や慣れとは怖いものだなと思ってしまう。
この場で税務調査の細かな内容に触れるわけにはいかないので、調査の中身とは違う話になってしまうが、先週 事務所のお膝元である上京区の西陣織の帯製造業の会社に税務調査が入った(現実にはまだ終わっていない・・現在も進行中)。
調査初日の午前中は社長から調査官に対して帯の製造工程についてこと細かな説明があり、時折 調査官も疑問に感じたことを質問してくるという 帳簿のチェックの前に材料、工程、職人という製品ができるまでの流れの中の重要なポイントをきちんと把握した上で、机上の調査に入るという 一般的な税務調査の流れに沿ってやり取りが進んでいった。
税理士という職業柄、当然のことながら税務調査の立ち合いは非常に重要な仕事の一つであるが、今日 この後は税務調査に直接関係のない話で内容をまとめさせてもらうことにする。
私の実家は京都府北部(丹後地方)で祖父、父と二代に渡って織物業を営み、来る日も来る日も反物(たんもの)を織り続けていて、そのお陰で私たち3人の兄弟は学校にやってもらい、就職するまで育ててもらった 恩人ともいえる職業である。
実家の2階にあった私の部屋の下では朝7時に織機のスイッチが入るので、否応なしにも目が覚めるし、実家を離れる高校3年生までは目覚まし時計に頼った記憶もほとんどと言っていいほどない。
この仕事は後継者もいなかったので、今から35年ほど前 父が60歳になったのを機に何の迷いもなく、スパッと廃業し、それからは農耕民族のように畑での野菜やくだもの作りに精を出していた。
税務調査から話は変な方向に流れてしまっているが、この日に行われていた1時間半ほどのやり取りは、私の幼少期を思い出させてくれる懐かしい話しのオンパレードでもあった。
ここで今日のタイトルの話に無理やり戻すが、今回の税務調査の対象となっている西陣織や私の実家が営んでいた丹後ちりめんは、機屋で製造されるのであるが、この機屋を「はたや」と読める人が果たしてどれくらいいのであろうか と思ったのが今日の話をしようと思ったきっかけでもある。
私が通っていた小学校は1学年50人程(今は10人くらいのようである)であったが、そのうち親の職業は70%くらいはこの機屋であったし、15%くらいは機屋でなくとも織物(着物)関連の仕事に就かれていた。俗にいうお勤めの人(うちの母はサラリーマンのことをいつも月給取り と言っていた)や食料品や雑貨のお店をしている人たちが残りの15%位であったように思う。まさに右も左も機屋 一色の地域、そして時代であった。
今日は税務調査から自分の幼少期や親の職業について思い出すことができたという 副産物もあり、頭の片隅に懐かしさが蘇る先日の税務調査であった。
ただ、調査はまだ2日目を残しているので油断はできないが、何とか乗り切れたらと思っている。
“機屋”っていう言葉に触れるのが初めての方も多いと思うが、最後にネットのコトバンク:デジタル大辞泉にこの言葉が載っていたので ここに挙げて今日はお終いとする。
[デジタル大辞泉]
*はたや【機屋】
1 機を織る建物。はたどの。
2 機を織るのを職業とする家。また、その人。織り屋。