2024年09月22日

No.899:愚痴の言える相手がいるかどうか

 誰しもが愚痴は口にしたことのあるだろうし、私も自分では愚痴を言っている認識はないのかもしれないが、知らず知らずのうちに愚痴を言っていることもあるのだろう。
 愚痴を口にしたことがないという人がいればお目にかかりたいが、もしかすると「愚痴っても何一つ解決しないんで私は絶対に愚痴は言わない」という人も探せばいるのかもしれない。
 ◆愚痴
  ・言っても仕方のないことを言って嘆くこと
  ・言ってもかえらぬこと、益にないことを言う
  ・泣き言
 確かにこうして愚痴の意味を見てみると いい意味ものは何一つないし、前向き あるいは 発展的な要素はそこにはないのかもしれない。
 山の中に籠って仙人のような生活をしていれば、ものを言う相手もいないし、自分の世界だけという境遇なので愚痴を口にする機会さえもないのであろう。
 ただ、通常 人と接する生活をしていると、思いどおりにいかなかったり、こちらが期待した回答や行動でなかった場合にはついつい、「ちぇっ」、「なんでやねん」、「うそやろ」なんて独り言を言っていることがある。
 周りの人に対して思っていることをすぐ口にするタイプの人もあるが、それはそれで敵を作ったり、周りの人に不愉快な思いをさせることもある。
 愚痴を言っている自分を後で振り返ってみるとうんざりする部分もあるが、心の中を素直に表現するという意味ではそこには本当に素直な自分が存在するのも事実である。
 愚痴が全く生じないようなやり取りなんてある意味存在しないであろうし、職場であれ、家庭であれ、あるいは街中や電車の中、それに車を運転していても 口に出すかどうかは人によるだろうが、思いどおりにいかないことの連続であり、思いどおりに行くときの方が少ないようにさえ思う。

 心の中だけで自分に叫ぶ愚痴もあるが、周りに人がいる時に「ちょっと聞いて」という気持ちも多少込めて愚痴を言っている時があるが、こういう気持ちを外に出すことって非常に大切であるし、そういう環境にいられるのであればそれはとても幸せなことのような気がする。
 あまりにもどぎつい愚痴で周りにいる人が不愉快な思いをするようなものはマイナス効果しかないであろうが、口にすることによってスカッとするだけでなく、時には愚痴を言っている自分を反省していることもある。「あんな愚痴、人前で言わんかったらよかった」なんて。
 そういう意味で(軽めの)愚痴が吐き出せる環境って必要だろうし、これにより自己反省するだけでなく、次へのステップになったりすることもある。
 ただ、愚痴が高じれば悪口になったり、相手を責めたりすることにもなりかねないので愚痴もほどほどに というのが大切な部分であろう。
 今日はもともと愚痴る自分が嫌になることもあり、その反省の意味も兼ねて書き出したのであるが、ふと今話題の兵庫県の齋藤知事のことが頭に浮かんだ。
 この人ってたぶん愚痴る人もいなかったり、愚痴れる人柄でなかったのかもしれない。
 というのも口にしている愚痴が間違っていたり、ひどすぎると、それに対して意見を言ったり、注意する人もあり、その結果 自分自身の生き方や発言を修正する機会にもなるのであろうが、齋藤知事はそういう機会がなかったのかもしれない。
 でも それは偶然そうなったのではなく、そういうものが言えない環境を自分自身が作り出したものに他ならない。

 言い過ぎるて 聞いていた人に不快感を与えてはいけないが、愚痴が言える環境って意外と大事なことなのかもしれないし、社会、学校、家庭、そして職場でも必要で、もしかすると企業経営のコツの一つともいえるのかも?
 私の場合、言い過ぎたことで失敗したことは何度もありますが、皆さんはどうですか?

 先週に続いて、今週も連休っていうのはうれしいですね、まだあと一日ありますから。
 では、今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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