政治といっても特定の政党や候補者を後押ししたり、批判するような話ではなく、今 最も注目されている自民党の総裁と立憲民主党の代表を選ぶ選挙のことである。
特に自民党においては今まで派閥というものがあったので、すべてではないが派閥の首領の意向に沿って そこに属する議員は派閥の方針に従うという中で総裁選が行われてきた。
ただ 今回は麻生派以外は派閥としては残っていないので、議員は何かにとらわれたり、ボスの顔色をうかがったりする必要もなく自由に立候補ができ、自由に選挙活動ができるという今までにあまり見たことのない形の総裁選が始まろうとしている。
年齢や当選回数に関係なく自由に立候補ができるという点では一見 開かれた政党になったかのようにも見えるが、今回10人近くの人が立候補するというのにはいささか驚いているし、本音を言うと少しうんざりしている部分がある。
今の国会の議席数からいくと、当然のことながら自民党の総裁になった人が我が国の首相、つまり総理大臣になるわけである。
今回の立候補が予想される顔ぶれを見ると この人が1億人もの日本国民を引っ張っていけるのかと実力を疑いたくなるような人もいるし、我も我もと言って総裁選に手をあげている人の中には、たぶん自分は当選しない、つまり総裁には選ばれないのをわかっていて手をあげている人もいるように思えるのは私だけなのでしょうか?
今までの自民党政治を振り返ると1回目の立候補で総裁になった人ばかりではないので、次のための布石という意味での立候補が決して悪いとはいえないし、それはそれで将来のことを考えると意味のある立候補(体験)にもなってくるのであろう。
何が言いたいのかというと、ここからは私見であるがこの10人近くの人が全て本気で総理大臣になろうという覚悟ができているのかな、あるいは外から見て果たして総理大臣の器かなと多少疑いたくなるような候補者もいるということである。
ここまで言うと言いすぎかもしれないが、「今回は派閥の縛りもないので今後の自分の地位の確保と知名度を上げるためにちょっと顔を売っておこうか」なんて思っている人もいるように思えてならない。
一騎打ちとまではいかないまでも、自分の意思だけでなく自他とも「この人なら」と認める人物というのが、総理大臣にふさわしいのであろうし、そう考えるともう少し絞られてくるようには思うのだが。
話が少し飛躍しすぎかもしれないが、東京都知事選に一人の都知事を選ぶのに56人もの候補者が立候補し、ポスターの貼る場所が足りなくなったのを見て、「選挙って何っ?」とみんなが疑問を抱いたはずだが、今回の総裁選の予測される立候補のメンバーを見てみると、次元は違うが、ひとまず今回は知名度を上げる機会にしかとらえていない人も何人かいるように思う。これは立憲民主党の代表戦も似たり寄ったりの感がある。
そう考えると自由立候補制のようになった今回の自民党の総裁選と比較して、従来の派閥の首領を持ち上げ、みんなで支えて立候補、そして周りの者が応援する従来の立候補者選びも決して悪い形ではなかったのではと思えてくる。
派閥と聞くとすぐお金の話と結びついてくるので、派閥=悪 みたいに捉えられるが、同じ考え方、つまり主義主張の同じ者が集まり、その中で先輩や後輩がいて、いろいろなことを教えあったり勉強しあったりする政策集団としての派閥はそれなりの意味があったのではと思えてくる部分もある。
月曜日以降、まだまだ何人もの立候補表明がありそうだが、こんなふうに考えているので、批判するばかりではなくそれぞれの人の考え方はきちんと聞いておこうとは思うが、私の中ではなんだか人気投票と化してしまったかのような今回の自民党の総裁選、立憲民主党の代表選はますます政治不信を増長させるのではと懸念してしまう。
さあ、両党とも最終的には何人の候補者になるのでしょうね。
ここでは名前はあげませんが、今回の自民党と立憲民主党の候補者でこの人に総理大臣になってもらいたいというか なったらどれだけ日本が変わるのかなと期待が寄せられる人が一人だけいますが、日本は直接選挙制でないので党員にでもならない限り、投票権はないので一般国民ははたで見ているしかないですよね。
各候補者のみなさま、もちろん当選が目的であることを否定はしませんが、マスコミがやたら騒ぎすぎる立候補表明、明日からたくさん見ることになるのでしょうね。
最後に騒ぎ過ぎた台風ですが、これも大げさに言わずに被害が出れば、国やマスコミの責任もあるので、今回のような報道には決して腹も立ちません。
どこにも行かずにじっとしていましたから。