事務所はお盆も含めての夏季休暇が今日までで、明日からは通常業務となる。
毎年こうしてお盆がきて、正月がきて、新学期や新年度、また春にはGWと同じ行事や休暇が繰り返されるが、どちらかいうと自分ではこういった行事っていうのを比較的 気にかけている方だと思う。
仕事が休みになるということはもちろんあるが、それだけでなく それぞれの区切りでリフレッシュした後はいくつになっても新たに何かに取り組もうという気が起こるものである。
「今年からは・・」とか、「連休明けからは・・」というように いつまでその気持ちが続くかは別にして、いったんは新たな気持ちで何かに取りかかるということで、こんな“気分一新”を何十回、何百回と繰り返してきているが、これがまさに人生なのであろう。
学校に通っている子供のいる方は卒業や入学、そして学年が変わるなど、変化を避けて通ることはできないが、子供が大きくなった私のような年代では少なくともこういった区切りは身近なところにはなくなってきている。
終盤を迎えている高校野球でも、地方予選であれ、甲子園であれ、敗れた次の日から、「次の主役は俺たちだ」と思って、今秋、そして来年に向けて始動している2年生の高校球児も全国にたくさんいることであろう。
私にしても毎年のことではあるがお盆明けからは、「秋⇒年末年始⇒確定申告」と今後訪れる仕事のイベントを多少なりとも意識しながら、過ごす日々の始まりでもある。
そういう意味で、もし区切りがなかったら 私なんか もともとなまけ癖のある方なので、漫然とそしてボーっと過ごし、いつの間にやら日だけが過ぎていくという恐ろしい事態になりかねない。
あまり区切りを気にし過ぎてもいけないが、誰しも知らず知らずのうちに何らかの区切りによって気持ちの切り替えをはかっているのであろう。
身近なところでは金曜日の朝と月曜日の朝は同じ一日の始まりであっても気分に大きな差があるし、月末と月初でも同じことはいえるであろう。
私はもともと京都人ではないので京都の大文字をはじめとした五山の送り火を 区切りと思ったことはないが、古くからの京都人はこの日のことを「大文字さん」と言って一つの区切りと思っている人も私の周りにはいる。
一昨日の8月16日は、25人くらいの人数で催されたあるビルの屋上での送り火の鑑賞会に参加してきた。
特に食事会があるわけでもなく飲み物を片手に30分くらいの会であったが、同じ場所から3つの送り火を見るのは初めてで、大文字、妙法、舟形 が点火から消えるとこまではっきりと見ることができた。
自宅の私の部屋から妙法の“妙”が間近に見えるので、現在の家に引っ越してからは自宅のベランダ以外で見ることはほとんどなかったが、今回は初めて自宅、あるいは自宅周辺以外での大文字(送り火)であった。
そういう意味ではいつもと少しだけ違う8月16日であったが、これはこれで新鮮なものであったし、こんなことを言っている私も 知らず知らずのうちに何からの区切りによって気分一新を図ろうとしていたのかなとも思ったりもした。
あと日本には四季があるので、気候の変化とともに服装もチェンジしないといけないので、衣替えを通して次のステージに向かって進んでいるのかもしれない。
そういう意味で日本に四季は頭や体に刺激を与えてくれる重要なものである。
何回か前にこの場で「夏が好き」と言っっていたが、段々と日が短かくなり、日に日に寒くなる秋もこの歳になると結構 楽しめる季節と思えるようになってきた。
まだもう少し暑さは続くが、次はひそかに秋を楽しむような日々を送りたいなと思っている。
「秋を楽しむ」ってちょっとかっこいいと思いませんか。