休み中は京都市内での移動はあったものの京都から出ることもなく、私個人としては比較的落ち着いた連休であった。
観光都市と言われている京都であるが、外国人観光客の多さには慣れたとはいえ、ふと「ここはどこ?」と思ってしまうこともある。
観光地のバス停、その中でも私が仕事の関係でよく通る二条城前では外国人の中に少しだけ日本人の待っている というのはおなじみの光景になってしまったが、外国人観光客が大幅に増加した裏では、日本人観光客の京都離れは進んでいるという記事を目のしたことがある。
データに目をやると、京都市の宿泊者数の外国人比率は47%と宿泊客のほぼ半分は外国人という驚きの数字であり、桜や紅葉の季節は外国人観光客の比率はさらに高まり、50%を超えてきているらしい。
その背景には円安の影響もあり、外国人にとっては「日本は安い」、「京都は安い」というのが実感であろうし、この金銭的な感覚は日本人とは真逆の受け止め方であろう。
宿泊施設の平均客室単価もコロナ前の水準と比較すると25〜30%近くアップし18,204円となっているが、驚きはそれだけではなく、花見の季節の4月に限ってみると、22,451円と驚きの金額である。
私の東京の友人も昨年の秋に所用で京都に来た時には、予約を取ろうとした二つのホテルが満室でやっととれたホテルはシングルで4万円近くしたと驚いていた。
「噂では聞いていたけど、そりゃそう簡単には京都に来れないよねー」という言葉が今の日本人の気持ちを代弁しているようであった。
以前は東京に行くと「そうだ京都へ行こう」というJR東海のポスターが東京駅にたくさん貼ってあったが、今はどうなっているんでしょうね。そう簡単には京都へは行けないないもの・・。
この現象を見てみると修学旅行もなかなか京都には踏み込めないだろうし、どうしても京都にという方にとっては、京都観光をして京都以外で泊まるという形も増えてきているらしい。
街中を走る観光バスも半分以上が外国人旅行客を乗せたものになっているし、修学旅行だけでなく、そう言えば おっちゃんおばちゃんや老人会などの日本人の団体旅行客なんてほとんど見かけなくなって久しい。
もうコロナのようなことはないだろうが、国内の旅行客から見放されていく状況の中で京都、特に観光業界の行く末はどうなっていくのであろうか?
オーバーツーリズム(観光公害)の問題もいろいろと対策は打っているようであるが、なかなか根本的な解決には至ってないようである。
以前は“京都の人” という言い方で京都以外の人からは多少うらやましがられるようなこともあったが、これからは 京都の人 と聞くと「大変そうですね」って言われるんでしょうかね。
「これからどうなる京都、どうする京都」、こういった問題は京都の一市民としては、明るい未来ばかりではないし、どちらかというと「住みにくい京都」に向かっているような気がしないでもない。
観光業界をはじめとし、京都の経済界が潤うことは財政的には重要なことであろうが、住まいとの共存という点ではなかなか難しい問題である。
祇園祭をはじめとするいくつかの大きな行事も少しずつ趣が変わってくるように思うし、我々が変わっていくことも必要なのかな? なんて弱気な一市民になってしまっている部分もある。
今や「日本人の憧れの街」から「世界の人が憧れる街」に変わってきているんでしょうね。
でもこれって“住む”ための憧れではないですしね。行ってみたい場所と住んでみたい場所 ここには大きな隔たりがありますから。
住みにくい街ランキングの上位にならなければいいんですがね。