私自身もそういった部類に入る一人かもしれないが、そんな大きな変化のない生活の中でも私にとって お盆のお墓参りは年中行事の一つとはいえ、ちょっと立ち止まることのできる時間でもある。
親をはじめとし、身近な人の死から年数が経つとその亡くなった人のことを思う気持ちも年々薄れてきていく中、毎年お決まりのこととはいえ墓の前や仏壇の前で手を合わす時は、それがたとえ一瞬であってもその亡くなった人の顔が頭に浮かぶという点においては墓参りの意味はあるのかなと思うし、これがまさにお墓参りというものなのかもしれない。
毎年8月14日はカミさんの両親の墓参りをした後、その墓の近くにある空き家となっている実家に行って、お坊さんのお参りを迎い入れている。
今年も午前中にお経をあげてもらうといういつもの流れであり、かれこれ30年近く同じ形で何も変わったこともないが、たとえわずかな時間とはいえ、これもお盆を実感する“とき”である。
90歳を超える私の母は施設に入ってもう5年以上になるが、父は8年前に亡くなり、その父の墓にはお盆中ではなく毎年お盆の前にお参りしており、今年も近くを通りかかった時に何も持たずにお寺の駐車場に車を止めて、墓の前まで行って手を合わせてきた。
人から見ればまるで“ついで”のようなお墓参りに映るかもしれないが、一応本人はそんな思いではないことはここできちんと伝えておく。
私の実家も数年空き家であったが、兄夫婦が今年の1月から移り住んでいるので、墓の掃除やお寺さんとのやり取りも含め 全てを二人にお任せしている。
私とカミさんは二人とも末っ子という気軽な立場なので、お寺などのお盆の行事に直接関わることもなく、ただ1日だけ、いや往復の時間を含めても数時間の時間を費やすだけのお墓参りであり、世話をしてくれている兄夫婦やカミさんのお姉さん夫婦には本当に頭が下がる思いである。
父の墓参りを線香や数珠を持って じっくりしたのは法事の時くらいであるが、ただ私自身 お先祖様に対しては何かにつけお願い事をする方で、兄が移り住むまでは実家は空き家でその合鍵を持っていたので、何か困ったときは一人で立ち寄って、仏壇に手を合わせてお願いしてきた。
子供の大学受験、資格試験、結婚、カミさんの病気やケガ、それに自分が仕事でピンチになった時など、今から思えばお願いしたことは数えだしたらきりがないくらいある。
お願いと言っても大層なことをいうわけでもなく、「精一杯がんばるんで、困った時 ちょっと力を貸して」といつも同じことを唱えている。
もちろん全部とまでとは言わないが、何とか良い方へ導きだしてくれることが多いので、祖先を敬うことって大事なことかなと思うと同時に結構 信心深い自分にあらためて気付くこともある。
夏になると戦争や原爆、そして あのお盆前に起こった日航機墜落のことなどが毎年取り上げられるが、こうして取り上げ、故人のことを思い返すだけでも 故人に対してはもちろんのこと、残された者にとっても大きな意味があるように思う。
私は親の命日を忘れたまま通り過ごしてしまう年もあるような親不孝な息子なので、こんなことをじっくり考えるのは年1回だけかもしれないが、お盆休暇にお墓参りすることは何かに追われる日常からは切り離されるという点でも貴重なものなのかもしれない。
明日は台風が直撃しそうで、帰省の人は毎年お決まりの渋滞、満席、混雑とは違った大変なお盆の後半で、交通手段は軒並みストップ、甲子園の高校野球も前日に中止が決定し、災害には気をつけないといけないが、いつになく結構 静かなお盆の15日になりそうである。
今年は珍しく 甲子園→お墓参り という順となったお盆であり、こちらも年中行事の甲子園詣は昨日(13日)に行ってきたので、15日の天気のことは気にかけなくて済みそうである。
私の事務所も16日まで休みなのであと2日休んで、16日の五山の送り火とともにお盆に区切りをつけようと思っている。
では、今日はこのへんで。明日、雨風で危険な状態にならなければいいですがね。