決して、大げさに取り上げるのがいいかというとそうばかりではないのはわかるが、今までの自分の人生を振り返ってみると、やはり節目というか区切りのようなものがあるとそれを目標にしたり、気持ちの中での変換点にしたりして次なるステップへ進もうというきっかけにもなった。
こういったものがなくなってきたり、大きく取り上げられなくなったのはコロナの影響があったのも事実であるが、よく考えてみるとコロナの影響だけでなく日々の生活の中で“個”を重視する傾向が強まり、多くの人や団体で何かを取り組むということが少なくなってきたこともこういった流れに拍車をかけているのではと自分なりに勝手に解釈している。
学校の卒業式や入学式もコロナ禍では中止や縮小の形がとられていたが、徐々に緩和され 少しずつまとまった人数で実施される学校も出てきたが、まだまだ以前のように多くの人に見送られての卒業式はあまり実施されないのであろう。
無理して実施する必要はないが、卒業式というのは卒業証書をもらうだけでなく、これまでの世界から新たな世界へ飛び出していくという、一抹の不安を抱えながらも新鮮さも持ち合わせながら迎える一つのイベントであったのだが。それも多くの人に見送られながら。
就職にしても我々の時代は入社式には「ここで頑張るしなかないな」と一つの覚悟をもって臨んだものだが、今や新卒の3人に1人が3年以内に転職する時代になれば、入社式でその会社への思い入れはそれほど強いものではないだろうし、新入社員の気持ちも大きく変化していっているのであろう。「自分に合う会社、あるいは仕事か ひとまず様子を見てみるか。」という感じで。
少し話がそれるが、小学校の運動会というのは全校生徒が集う行事であったが、今や学年単位での運動会も多くの学校で実施され、これも もしかすると「以前は運動会って 全校でやってたらしいよ。」なんていう時代が来るのかもしれない。
私のような何か刺激がないと体が動かないような人間は、「来年からは・・」とか、「これを機会に・・」なんとすぐ思って、気持ちを切り替えたり、ある時は(無理やり)やる気を起こさせたりしているが、今の人はそんなイベントがなくとも、毎日 コツコツと気を抜かずにできるっていうのは、我々とは比較にならないほど自分というものを持っているからなのだろうか と思ってしまう。
事務所は今年も忘年会の実施は見送ることになったが、一年を通して節目や行事のなくなっていく世の中に自分自身も段々馴染んできていっているのも事実である、。
今まで人に励まされたり、刺激を受けたり、場合によっては流されたりしながら生きてきた自分にとっては、いろいろな方向性を自分で決めないといけないという点において結構きつい世の中になってきている。
そういう意味ではまさに生活、そして人生を組み立てるためには、自分がしっかりしていないといけない時代になってきたんでしょうね。
それにしても世の中の変化が速すぎるって思いませんか? 何もかも。