ただ、この時期になると新聞や雑誌で、それにテレビでもてっちりを含むふぐ料理やすき焼き、焼肉などを紹介したものが数多くみられる。
そして極めつきは、やはり冬の王様“かに”で、この時期の露出度は一気にアップする。
事務所でも京都市内のかにのお店で忘年会をしたこともあるが実を言うと、私は決して嫌いではないが”かに”への期待は低く、料理として高位置にいるというものではない。
その理由は私が開業した年の2007年12月8日のブログ(No16)を綴っているので再掲にはなるが、初めての方もあるかもしれないのでここに挙げておく。
このNo16に目を通すと、この頃は今は亡き父も健在で、母と共に子供や孫がお正月に集まることを楽しみにしていたんだな と懐かしさも込み上げてきた。
前置きはこれくらいにして、ちょうど14年前の12月8日のブログに目を通してみてください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【No16:“かに”は3時のおやつ 2007/12/08】
京都市中京区で開業されているで税理士のT先生から『廣井さん、開業されたらしいですね。いっぺん、一緒にご飯でも食べましょか。』と声を掛けて頂いて、先日、おいしい中華料理をごちそうになりました。
T先生は私と同じ高校の出身で6年上の大先輩です。このT先輩とは以前、電話で一度だけ話をしましたが、今まで面識はなくこの日が初対面でした。ただ、『廣井さんのお兄さんもお姉さんも同じ高校だったし、よう知っとるで。実家の場所もよう分かっとるし。』と言われ、とても初めて会ったという感じではなく、本当に話がはずみ楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
私の故郷“丹後”は同じ京都府内でありながら、海・山に囲まれ、この時期は、特に“寒い”所です。京都市内では“丹後出身”というのはある意味“田舎もん”の代名詞みたいなもんで、大学で京都に出てきてから、“まちの人達”に対して常にコンプレックスを感じていました(これは、一生消えないでしょう)。だから、余計に同郷の人に会うと何とも言えない安堵感を覚えてしまいます。
おいしい料理とお酒をご馳走になりながら、高校時代の先生の話や郷里を出てから現在に至るまでのことを色々と聞かせて頂きました。びっくりしたことに、T先生が東京での学生時代に私の義兄(姉の夫)の下宿に泊まって遊んだこともあったと聞かされ、これまた、すごい奇偶だなと思わざるを得ませんでした。
まあ、皆さんもそうだと思いますが、故郷の話は本当に盛り上がります。ただ、楽しい話の中で、『この仕事は、常に勉強。』と一番苦手なこともズバッと言われ、『そうですね。』と心にもない返答をしてしまいました。
最後に、この時期、丹後へのツアーもある“かに”ですが、丹後人(丹後出身の者だけが使う言葉)は今では豪華料理の代名詞ともいわれるようになったこの“かに料理”を都会の人ほど豪華料理とは思いません。 なぜなら、小さい頃の3時のおやつは子持ちの“こっぺがに”でしたし、夕食の後にもかにが出てきました。今から思えば『また、“かに”きゃあ(また、かにか)。他になんかないんきゃあ(他に何かないのか)?』と親に対して、あるいは、“かに様”に対して何とも失礼なことを言っていたなと思いました。
でも、丹後出身の私と同い年の開業医の先生も同じことを言っておられました。その先生なんかは『僕は、かにを食べるときは、ひとかけらの身も残さずに食べられるし、かにの食べ方の下手な奴だけは許されへんわ。医局の忘年会でかにを食べに行ったときはいつも“かにの上手な食べ方”の講師役でしたよ。』と自慢げに言っておられました。
先日、年老いた親から『開業して、日も経っとらんし、忙しいかも知らんけど、かにぐりゃあ(かにくらい)食べに帰ってこいや。』と連絡がありました。本当にありがたいもんです。
お正月は久しぶりに“丹後のかに”に会ってこようと思っています。