普段は時間に追われ、時計を見ながら仕事をするようなことが多く、ついつい仕事を“する”というより、むしろ“片付ける”形になってしまうが、多少なりとも時間的に余裕があるといろいろな局面を想定しながら、深い部分まで入り込んだり、思考を巡らしながら仕事の中身を見つめることができる。
この慌ただし現代社会で生活していると“時間的な余裕”を感じることなんてほとんどないが、この2日間は少しだけとはいえ、時間に追われず過ごせたので、気持ちにゆとりを持った時間の重要性を肌で感じることができるいい機会にもなった。
仕事を含む日常生活の中ではイライラしていることも多く、知らず知らずのうちに周りにいる人に迷惑をかけていることもあろうかと思うが、心の余裕のあるなしは、場合によっては人格にまでも影響を及ぼすことだってある。
仕事での場面ではないが、気持ち次第で物事の捉え方がこんなにも違ってくるという、近隣での大音量に対する私の気持ちを表す一例であるが、
家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。
上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
“心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも。
家のすぐ北隣には、ある女子大のグランドがあり、普段はほとんど使われることはないが、毎年10月の土日には近くの幼稚園や保育園が借りて運動会が行われる。
私自身がもう少く若く、しかも子供も受験生だった頃はスピーカーから流れる大音量の音楽や先生の掛け声にイライラして、事前にお断りとお詫びの文書はいただいていたにしても、「多少近所のことも考えて、もう少し音量 抑えられないのか」と戸をピシャリと閉めるようなこともしていた。
今年も同じ時期に大音量が響き渡るような運動会があり、多少は気にはなったが以前のように「迷惑やなあ」という思いは抱かず、むしろ元気な声が聞こえるのも 少子化の世の中では必要なこと と思えるくらいの感覚になっていたし、夫婦だけの2人暮らしになると毎日が静かで、まだ孫こそいないが、こういった子供の声も何か元気づけられるもののようにも捉えることができた。
最初に言った、時間的な余裕ということとは多少違うかもしれないが、気持ちに余裕を持ったり、あるいは 自分が置かれている環境が変わるということだけでも これほど物事の捉え方が変わってくるものなんだなということも気付かされた。
今朝でも8時過ぎから少年野球をする子供やコーチそれに親の声が鳴り響いていたが、聞きなれていることを差し引いても、「コロナ最盛期には声一つ聞こえなかったが、やっと子供たちが戻ってきたな」なんて心のどこかでホッとしながら、私は心穏やかに朝刊に目を通していた。
上記のようなきれいごとの話をいくつか並べたが、現実にはそんなにことがうまく運ぶことはほとんどなく、日常はアクシデントに見舞われることの方が多いようにも思うし、もし、カミさんに心穏やか なんて話をしようものなら、「イライアしないあんたなんて想像もつかないし、ありえへんわ。ほんまに周りの者にとって迷惑以外何ものでもないし、振り回されてばっかしや。」と言われるでしょうが、ガミガミ、イライラしない老人になれるよう今からしっかりと準備をしておきたいものである。
“心の余裕”は仕事のこと、家族のこと、そしてお金のことなど自力ではどうしようもないことの方が多いと思うが、“時間の余裕”は自分の努力次第で何とか作り出すことができるのではと思っている。
今日はそんなことを考えさせてもらえる貴重な休日であった。今日は珍しく家には私とワンちゃんのぽぽたんしかいなかったのでこんなことも考えられたのかも。