田舎のお年寄りは「都会って怖い所やで」と言ってたこともあったし、「田舎もんと都会の人」 、「田舎暮らしにあこがれて」等、都会とか田舎とかという言葉を使っていろいろなことが語られる。
私は18歳までいわゆる田舎で生活していたので、都会へのあこがれや興味、それに心のどこかで前述のお年寄りの話ではないが、都会に対する恐怖心のようなものも持っていたように思う。
こんな私も家族旅行や修学旅行で京都や大阪、それに東京など都会を訪れる機会は何度となくあったが、今になって思い返せば、初めて「これが都会か」と思った時のことは鮮明に覚えている。
それは私が小学校6年の時、学年で7つ離れていた兄が神戸の大学に進学し、私が一人でその下宿に遊びに行った時のことである。
兄ももちろん田舎育ちであったが、私に対して誇らしげに都会のあちこちを見せて回ってくれた。
確かこの時、一度は行ってみたかった甲子園球場にも連れて行ってもらい野球を見たが、実はこんなことよりも兄の下宿の近くの国鉄(今はJR)垂水駅の飲食店街で生まれて初めて明石焼きなるものを食べさせてもらったことの方がよく覚えている。。
駅の脇の狭い通り沿いにあったその店の前はすごい人込みで、「何これ? 人ばっかしやん?」と都会のパワーに圧倒されながら その明石焼きを口にしたが、口にした瞬間「この食べ物何? たこ焼きのできそこないみたい? また、なんでおつゆにつけて食べるの?」と最初から最後まで不思議な気持ちを抱きながら食べていた。
その後、近くにあったスーパー ダイエーに買い物に立ち寄ったが、ここも人人人で、それまでに何回か行ったことのあった京都にあるデパートの大丸や丸物(今のヨドバシカメラの所にあった)とは全然違う人の多さや人の動きで、「これが都会か、これが神戸か、すごいな」とその強烈な都会の印象が頭に突き刺さってきたのを今でもはっきりと覚えている。
私も京都市内で生活しだしてから既に40年以上になるので、今は東京に行けば多少なりとも 「都会だな」と思うことはあっても、体や頭が多少なりとも都会慣れしていっているのは間違いないし、またそうでないとこんなに長く京都で生活できていないであろう。
実はうちのカミさんも18歳まで田舎育ち(京都府宮津市)で、入試で京都に来た時に、既に下宿生活を始められていたお姉さんにマクドナルドでシェイクを食べさせてもらったらしいが、当時、宮津にはちろんマクドナルドはなく、このシェイクの味や食感を「都会にはこんなおいしいものがあるんだ」と感じたということを話していたのを思い出した。。
昨今、東京一極集中なんて言われているが、コロナの影響で会社への出勤は減り、仕事の内容によっては、テレワークという仕事のスタイルで“脱都会”を実現している人もいるが、これは数少ないコロナによる恩恵の一つともいえるかもしれない。
私は中学や高校でクラブ活動をしていたが、「勝ち上がれば西京極で走れるし、京都の旅館にも泊まれる」 なんて言うことも、当時、京都市まで3時間もかかる所に住んでいた者にとっては、間接的ではあったかもしれないが、クラブに熱が入る一つの要因だったようにも思う。
このようにクラブでの遠征だけでなく、進学して都会で下宿生活が送れるなんて、兄が大学に進学した時のことを思い出せば、それはそれは新しい生活への大きな憧れだったのかもしれない。
今日はただの思い出話に終始した感はあるが、田舎から出てきて今 都会で生活している人の何割かは、これに近い思いを抱く人もいるのではないかと思う。
今日は田舎もんが都会で暮らし始めて、そしてそのまま住み続けているという たわいもない話を書き綴りましたががいかがでしたか。
すみません、今日は本当にただの思い出話につき合っていただいて。