2021年07月18日

No738:みなさんなら遺言書にどんなことを書きますか?

 相続税の仕事をしていると遺言書というものに接する機会がある。
 最近、新聞や雑誌に特集が組まれていることもあるし、「いい遺言書の書き方」というようなタイトルの本も出ているが、まだまだ多くの人に遺言書というものが浸透しているかというと そうでもないというのが実情であろう。
 相続税の仕事の中では、数年前に書かれた公正証書遺言が開封された後 我々の手もとに届き、大きく揉めることがなければ、比較的 淡々とその内容に沿って申告書の作成を進めていくことになるが、当然のことながらそう簡単には収まらない場合もある。
 遺言書を書くことのメリットはいくつかあるが、このメリットや狙いについては個別にご相談いただくにして、ここでは私が仕事で接した“遺言書”というものについて、日頃 思っていることを述べさせていただくことにする。

 一般的には財産の分配をはじめとし、自分の死後のことを書き留めるということは決して気乗りのする話ではない。
 仕事をする上では、遺言書を書く人の書く時の心の中を読み取ることなんて必要がないことかもしれないが、税理士という職業からは少し離れて、当の本人(亡くなっていれば被相続人ということになる)が、どんな思いで書かれたのかを一個人としてふと考えることがある。
 相続税の申告業務の依頼がある場合、その亡くなられた被相続人を過去において知っていた人の場合もあれば、人づてで申告業務をご紹介いただくような場合には、亡くなった人がどういった人かも全く分からないし、その家族関係もどうだったのか知らないまま仕事に取り掛かることになる。
 ただ、生前を知らなかった人の場合でも、やはり財産の話をする中で、夫婦、親子、そして子供たち兄弟姉妹の関係が浮き彫りにされてくるし、これはこれでまるで人間模様そのもののような事例に遭遇することもある。
 生前にある程度、配偶者や子供たちに自分の意思を伝えていた人で、遺言書の内容もそれに近いものであればそう大きく揉めたりすることもないが、過去において何の意思表示もされていなかった人の場合には、大変な問題に発展することもある。
 以前にもあったが、子である4人の兄弟それぞれが、「お父さんはこう言っていた」と違う内容を言ってこられた場合である。
 最終的には4人で協議(相談)され、何とか収まったが 何とも後味が悪く、自分が思っていた相続分(取り分)よりも少なかった人は、最後まで損をしたという思いが残っていたように思う。
 ひと揉めもふた揉めもあったケースで、相続税の申告や納税も終えられた後、兄弟は法事でさえも一堂に会することはなく、墓参りさえもお互いに探りを入れて、同じ時間にかち合わないようにされるという徹底ぶりであったが、不幸にもこういった死後のことは亡くなった本人は見ることも聞くことも、そして注意することもできないというのが相続のむなしい部分である。

 これらのことから考えても 残ったものにどう思われるかは別にして、よくよく考えて自分の意思をしっかりと文書に残しておくことの意義はあるし、ある意味長く人生を歩んできた者の最後の大きな仕事なのかもしれない。
 揉める相続が悪いというわけではないが、相続税の納付と申告書の税務署への提出が無事終了した後、相続人が揃ったところで、「申告業務を無事終えていただきありがとうございました」と全員からお礼を言われたこともあるが、これこそ税理士冥利に尽きる瞬間であり、自分もこんな死に方がしたいなとふと思ったものである。

 年齢によっては今すぐ遺言書を書く必要がない人も多いかと思うが、後でみんながお墓の前で手を合わせてくれるようにするためには ということを頭の片隅に置いておけば いい遺言書が書けるのかなと考えたりもする。
 遺言書を書く、書かないは別にして、いずれにしても いい死に方ができるような人生を送りたいものである。
 最後はなんだか宗教家のようになってしまったが、相続の仕事は税金の計算以外に、死やさまざまな家族関係と向き合う機会に接することができるという意味においては、なかなか奥深い仕事である。

 今日出来上がった相続税申告書を目の前にして、ふと感じたことを綴るとこんな内容になってしまいました。
posted by ヒロイ at 20:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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