2020年07月20日

No689:「引退」とい言葉の重み

 「引退」という言葉を聞いてみなさんは何を考え、誰を想像しますか?
 スポーツ選手の引退は年齢からくる体力の衰えによるものがほとんであるが、中にはまだプレーできるのにと惜しまれながら引退した選手もある。
 前者はほぼ限界までプレーを続けたイチローや野村克也などが思い浮かぶし、後者では野球の江川投手やサッカーの中田英寿選手、それに最近ではレスリングの吉田沙保里や卓球の福原愛などが頭に浮かぶ。
 後の4選手なんかは周りから見ればまだできるのではと思えたが、本人にとっては体力だけでなく気力も含めて限界に達していたのだと思う。

 経営者の場合は、まずは自分が退くと思わない限り、なかなか他人から引導を渡され引退するというのは経営不振の元凶であったり、何か社会的に大きな問題を起こさない限りなかなかないというのが今の日本社会であろう。
 我々のような中小企業の経営者も引き際を考えないわけではないが、今まで「〇〇歳で引退するのが夢」とか、「〇〇歳以降は気ままな自由な生活を送りたい」と言ってきた人で宣言どおりに辞めた人はほとんどといっていいほどない。
 一度は代表取締役社長を他の人に譲りながらも再び社長に返り咲いたユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井社長や社長の座は譲ったもののいつまでも自ら創業した会社の経営に君臨し続ける日本電産の永守会長の姿はすごさや鋭さだけでなく、どこか悲哀なものを感じるのは、どちらも70代にして自分が育て上げた会社を任せられる真の後継者が見つかっていないこともそう思える要因のひとつであろう。
 こんな姿を見ていると、後継者選びと引退ということの難しさをひしひしと感じてしまう。

 よく使う言葉で「まだ」と「もう」という言葉があるが、この両方の言葉を場面に応じてうまく使い分けられる人間がいい形での継承や引退を迎えることができるのではないかと考える。
 企業そのものの置かれている状況や社長の立ち位置によっては、「まだ、○○歳なのでもうひとがんばりしないと・・」と思うと同時に、曲面や状況が変われば、「もう、○○歳だから後進に道を譲らねば・・」と潔い退き方も必要となってくるであろう。

 私は「もう58歳」だが、「まだ58歳」でもある。 年齢からくる衰えもないわけではないが、価値を見出してもらえる年輪と言われる部分とをうまく絡ませながら日々生きていってこそ、必要な人間になれるのであろう。
 まだ、仕事は続ける以上は「〇〇歳で辞める」なんという言葉は、「何が何でも辞めるぞ」という気持ちが固まるまでは口にすべきでないと思っているし、すぐに「辞める」と口にする者ほど信頼できないように思ってしまう。

 実は以前 「辞める(引退する)」言ったはずのあの小室哲哉が芸能界に復帰するというニュースを先ほど耳にしたが、“ああいう人” もっと悪い言葉で言えば“あいつら”にとっては「引退宣言」って何の意味を持っていたのであろうかと思ってしまう。
 こんなのを見ていると辞める時は、「もう復帰はなし」と言い切れる時になってはじめて引退(退任)宣言をしたいものである。
 私は日本にはまだまだ“引き際の美学”があると思っている古い人間の一人かもしれないが、いつかやってくる“退く時”には、やはりいい退き方をしたいと思っている一経営者である。
 「引退」。これこそ人間性が一番表に出る、人生の集大成であるのではなかろか。
posted by ヒロイ at 00:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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