2020年05月31日

No682:優しい言葉では解決にならない

 この2ヶ月近くにわたってかなり強固に張りめぐらされた新型コロナウイルス感染拡大防止の網が明日6月1日から少しずつではあるが緩められる。
 ただ、この間 コロナ対策の中に身を置いてきたので、緩められることをホッとするというより、本当に大丈夫かなという半信半疑の気持ちで明日を迎え,不安な気持ちも頭をよぎる。

 自分自身、外出の回数もかなり減ったし、外食にいたっては移動中に手短に終えられる麺類などの店に数回立ち寄ったが、ゆっくりと談笑しながら食事をすることなど一度もなかった。
 当然のことといえば当然であるが、「食事をしながら打ち合わせ」とか、「ゆっくりと飲みながら和気あいあいと」なんて いつになったらできるのか、もしかすると あんな光景は過去のものになり、今後 訪れないのではなんて 恐ろしいような世の中を想像してしまう。
 ちょうどいまから1年前、ラグビーワールドカップで盛り上がったのがまるでどこかの国でずっと前に起こったことかのような錯覚に陥ってしまうこの数か月での変化である。
 事務所の顧問先も大きな影響を受けているところも何件か出てきているが、私は以前から本当に困ったときに「がんばりましょう」という言葉はあまり掛けないというか、当事者にとってこの「がんばりましょう」がどれほど力になるのか疑問を持つという冷めたところがある。
 というのも、私も人生の中で何度か人にも話せないような厳しい局面(挫折)を経験したことがあるが、こんな時には「がんばりや」とか、「気落ちせんと」という言葉があまり慰めにならなかったという思いがある。
 何とも冷めた言い方かもしれないし、励ましてくれる人は温かい気持ちで声を掛けてくれるのであろうが、本当にとことん落ち込んでいる者にとっては、心の奥底では「今の俺の気持ち絶対にわからんと思うは・・・」なんていう 励ましてくれている相手には失礼な気持ちを抱きながらも、「励ましの温かい言葉ありがとう」とさぞ感謝しているような返しをしたことが何度かある。
 そんな落ち込んでいた時に親父くらいの年の離れたある先輩が、「俺は励ますけど、温かい言葉はかけるつもりはないで。いくら優しい言葉をかけてもらっても解決できるのは自分しかないんやしな。落ちこんどってもどうしようもないわ。まだ生きていくんだったら前を見ろ。振り返ったって何も解決せえへんしな。まあ、あまり手は差しのべんけど、話ならいくらでも聞いてやるし、何かあったらいつでも電話してこい」と一見 冷酷そうで実は私のことを他の人の何倍も思っていてくれていたということがその後、随分時間が経ってから分かった。
 自分の思い出話のようになり、話が少し横道にそれてしまったが、「がんばりましょう」なんていう言葉よりも、ピタッと寄り添い、悩み事を聞いたり、いざという時だけ、「これだけはすぐに実行に移しましょう」と間髪入れずに言えるような存在になりたいと思っている。

 事務所開業以来 13年近くの間 本当に多くの方に支えてもらってきたが、今回のこのコロナウイルスの影響を受けられた方々へ何とか恩返しをしたり、力になれればと思っている。
 「がんばりましょう」とか「乗り切りましょう」というような社交辞令ではなく、まずは「なんでも言ってください」といって、どんなことでも言ってもらえるそんな存在になりたい。まずは同じ目線に立って悩みを聞くところからすべてはスタートすると思うので。
 明日からの再スタートを前に、偉大な先輩が何かにつけ厳しい言葉を投げかけながらも、実は本当に私のことも思っていてくれたということを久しぶりに思い出しながら、「言葉ではなく行動を」と自分に言い聞かせた。

 今日も少し重い話になってしまったのが、そろそろ日も変わりそうなので今日はこの辺で・・・。
posted by ヒロイ at 23:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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