若い頃 賞与が出た後、大丸に行って思い切って買ったスーツがDURBAN(ダーバン)だったが、この製品を扱っているレナウンがまさか民事再生の適用を受けることになろうとは・・・。これも今や過去の名前では商売が成り立たないことを表している事例のひとつであろう。
自分自身も多くの規制の中での生活を強いられているし、仕事の方も限られた状況の中で期日に合わせて粛々と仕事をこなす以外には、厳しさを増す経営状況下の顧問先には、なかなか会うことさえしづらいが、そんな中でも少しでもプラスになるような提案はできないものかと頭をひねりながら、メールや電話で対応する日が続いている。
昨日は相続関連の仕事でどうしても面談しないといけなかった方と30分程度、直接会っていくつかの未解決事項の確認をしていたが、面談などの通常なら何の疑問もなく行っていた行動が今や事務所でも例外(特例)になってしまっているという現状に不安を感じずにはいられない。
冒頭でも言ったように暗いニュースしか飛び込んでこないし、私自身がこの場で綴ることもほとんどがコロナ関連かその影響について模索していることといった内容になっているので、今日はこの時期ちょっと”いけない内容”かもしれないが、今やってみたいこと、行ってみたい所について書いてみることにする。
とはいってもそれほどたいしたことではなく、単純に今 行ってみたいのは、いつから入園や入館の規制が解かれるかどうかはまだ調べていないが、行ったことのない京都水族館と京都鉄道博物館、それに子供が小さかった頃 よく訪れていた京都市動物園、そして近所でありながらずっと門が閉ざされている京都府立植物園、ある意味、こんなありふれた所が足を踏み入れたい場所である。
どれもコロナの影響でこれまでは閉まっていたが、間もなく開きそうだし、こういった場所はなによりもコロナ、コロナの今の世の中や非常に厳しい経済情勢のことを一時的にせよ忘れられる別世界のように思えるからである。
現実的に孫もいないのに一人で動物園や水族館に行くのは勇気がいるし、今の世の中の状況を感知していない動物を見ることは一種の現実逃避かもしれないが、心や頭の中がある意味、いったんリセットできるようにも思える。
ただ 動物も今の状況を感知していないとはいったものの あれほど多くの人間が目の前を通って行ってたのに最近は誰も来ないなとか、もしかすると餌の内容が変わったなとか 何か肌で感じているのかもしれない。
植物園の花にしたって動物のように何かを考えているわけではないが、いくら咲き誇っても誰の目にも触れずに散っていくなんてあまりにもかわいそうで無残である。
これらの施設の規制解除は間近とのことなので、休日に少し時間がとれたらまずしてみたいと思っていることである。
話は変わるが、昨日 相続の相談に行ったときに母が入っている施設の前を通った。いくら京都府の北部とはいえ面談はだめだろうと思っていたが、このコロナ騒動が始まってから2ヶ月程 訪れていなかったので顔だけでも見れたらなと、車から降りて施設の玄関の張り紙を見てみると「親族の方のみカウンター越しで短時間なら」と張り紙がしてあったので少しだけ覗いてみた。
私はマスクもしていたし、一瞬マスクをとっても私が誰だか分らなかったようだが、施設の職員さんに「何も変わらず元気そうですよ」と最近の様子を話してもらいながら母の顔を見ていると、自分の勝手な思いとはいえ、妙な安心感を覚えて帰ってきた。
最近よく言われている言葉、「今までの日常」がどれほど大切で、意味のあるものだったのかを思い知る毎日である。
いろいろな方面での自粛解除までにはもう少し時間がかかるだろうし、少し形が変わっての今後の生活になるかもしれないが、一後も早く「日常」が戻って欲しい願っている。みなさんと同じように。