2019年09月08日

No645:“終活”の難しさは 思うように死ねないこと 

 今回のタイトルは“死”を肯定し、導き出しているともとられかねず、ちょっと誤解を生むようなタイトルになってしまった。
 実は8月以降、「私の現時点での財産を洗い出し、今後の対処方法を教えてほしい」というような依頼を3件も受けて、実際に作業にとりかかっている。
 70代、80代、90代と依頼者3人(すべて男性)の年齢に開きはあるが、3人とも特に入院されているわけでもなく、頭は同年代の方と比べるとかなり上位にランクされるくらい まだまだ聡明という言葉が当てはまるような方である。
 さすがに90代の方は家の中から出ることはできないが、ご家族やヘルパーの方の力を借りてご自宅で生活されており、読みかけの新聞や雑誌が並べてある。

 “終活”とは人生が終わるときのための整理やその後の道筋を立てておくことをいうのであろうが、こういったことをきちんとされていた方は自分の親も含めほとんどない。
 以前、相続税の申告業務の依頼を受け、相続人の方からいろいろな話を聞いたり、残された資料を見せていただく中で、亡くなられた被相続人の方がご自身ですごくきれいに整理されたノートが残されており、その中には預貯金の口座番号や生命保険の証券番号、他にいくつかの契約されたことについて契約者番号や契約期間が細かく記されていた。また自宅の修繕の経過や今後の対応についても書かれており、これを見せていただいた私は、「これはすごい」と思ったと同時に、数年間にわたるがんの闘病期間中にどんな気持ちでこのノートを作成されたのであろうかと、私も親交のあったこの亡くなられた方のことを考えた。

 もちろん多くの財産をお持ちの方は、後々 相続人間での遺産分割でもめないようにしておくことも大事である。
 人間70代以上になると誰しも、「ああしたい」、「こうしたい」と思うだろうし、日々の雑談の延長として私に対して、「財産をこんな風に分けようと思っているんだけど・・・」という話はいく度となく聞いたことはある。
 ただ、正式に「遺言書」で残したり、子供たちがそろった面前ではっきりと口にされるケースはほとんどない。
 逆に言うと年々歳をとり、段々体が弱っていく身である中で、財産の分け方を明言できる(「遺言書の作成」を含む)ほど気丈である人は少ないように思う。

 実は、今回は財産とか遺言の話がしたいわけではなく、「いかに死ねるのか」とか「思うように死ぬことの難しさ」ということについて私が考ていることを少しだけ述べさせてもらおうと思っている。
 お年寄りから、「なんぼ(何歳)まで生きんとあかんのやろ」とか「80歳で亡くなったお父さんにはよ迎えにきてと毎日拝んでるんやけど」なんていう話を聞かされることもある。
 そうかと思えば、交通事故や災害、それに殺人に巻き込まれてある日、ある時、突然にして命を落としてしまうことだってある。
 この命というもの、そして生きることと死ぬことの難しさ、これっていったいどうしたらいいんだろうと思ってしまうし、こんなことを考えていたら計画を立てて死の準備をする“終活”が思いどおりに進められる人ってどれくらいの割合いるのだろうかと考えてしまう。

 ただ、こういったことを考えながら、それそれの人が満足のいく人生の終わり方を導き出すことも我々の仕事の中に入り込んできている。
 どんな書物を読むよりも、亡くなった父や施設で暮らす母のことも考え合わせたり、いろいろな人の思いも聞いたりする そんな体験こそが、財産や税金の計算をするだけの仕事に終わらず、それぞれの人にとって最善の方法を導き出すとき より良いヒントになることもある。

 最後にこういった話の中に入っていく時には、情にほだされたり、“情”によりかかりすぎないようにすることも必要であり、少し冷たい人間に見えるかもしれないが、そのことが結果として一番よい方法を導き出すためには重要なことなんだろうなと自分に言い聞かせながら行動するようにしている。
 ただ、ただいった時にいつも考えてしまう 「一番いい結果ってどんな結果なんだろうなって。」
posted by ヒロイ at 15:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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