2018年12月02日

No604:人生の終わり方

 妙なタイトルで申し訳ありません。
 なぜ、急にこんなことを書こうかと思ったのかというと、ここしばらく相続関連の仕事をする機会が多く、所得税や法人税とはまた違った仕事の関わり方の中で、自分自身も人生についていろいろと考えさせられることもあり、最近思っていることを綴ってみることにした。
 
 最近、人生の終い方を考えましょう とか言って「エンディングノート」や「自分ノート」という自分が最期を迎えた時や子供に伝えたいことをまとめ上げる、そんなものが出回ったり、こういったものの書き方のセミナーまで開かれている。
 確かに、自分の老後や認知症になった後のこと、そして死に際について語れるのはある程度元気で判断能力のある60〜70代の人であろうし、最近、よく話題になっている“終活”というのも同年代の人が主流のようである。
 たまに50台後半から“終活”を始めていると自慢げに言っている人をテレビや雑誌で見かけるが、がんや白血病で余命〇年と言われている人ならいざ知らず、まだまだ元気盛りの人が“終活”なんて、私の個人的な意見では、「おたく、まだまだ早すぎますよ、その前に子育てや親の介護も含め、自分の日々の生活をもっと充実させる方が大事ですよ。そんなことを考えている場合じゃないでしょ。」とお節介を焼きたくなってしまう。

 実際、60代、70代、いや80代の人が、エンディングノートを書いたってなかなか思いどおりにはなりませんよね、というのが私の本音である。

 実際、私の父は86歳まで生きてたけど、ある日、昼ごはんと共に大好きなお酒を少し飲んだ後、自分の部屋で昼寝をしていて、母が午後3時頃、「お茶にしようか」と起こしに行ったところ息をしていなかったというそんな最期だったし、母は母でその後独り暮らしになってから、私が月に1、2回訪ねて行ったときは機嫌よくしていたが、いつからか認知が進み、段々 私とまともな会話ができなくなっていってしまった。
 こんなことを考えると、歳をとった本人は当然のことながら、その周りにいる家族、特に子供は親が元気なうちにどれだけのことをしてあげられるかを考えて接したり、寄り添うことが親孝行なのであろう。
 自分自身は、子育てや仕事で忙しい時期ではあったが、もっと親と話をしとけばよかったと思ったし、親の方こそもう少し息子との時間を持ちたかったのだろうなと思ってしまう。

 今、目の前にある見本でいただいた「自分ノート」を開いてみると、そこに掲げてある質問事項は、

@ 思い出の歌や好きな歌手
A 得意な料理や思い出の一品
B 若い時のあなた(自分)を振り返って書きましょう・・幼い頃のこと、学校のこと、懐かしい旅行 など

 こんなことを書くことは後生に受け継ぐためではなく、自分自身が人生を振り返るためのノートであり、自分の人生を納得できるものであったと思うために書くノートなのであろう。
 相続の仕事をしていると、ついつい残された人の意見でいろいろなことが決まったり、財産についても揉めたりして、亡くなった人の意向が尊重されないケースも多々あり、むなしく思えることだってある。
 良い死に方に誰しも憧れるが、そのためには今をしっかり生きることこそが、それに近づくのかなと何だか宗教家のような考えに行き着いてしまう。
 人間、生まれてくることは本人で選択できないと言われているが、死ぬ時も思うどおりにならない。そういう意味において、人生って誰が決めるんだろう なんて考えて 答えを見つけ出せないまま今日の話を終わりとする。

posted by ヒロイ at 19:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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