2018年04月29日

No573:無理せず、無茶せず、無駄な時間を過ごしたい

 タイトルにあるようなかっこいい生き方に憧れているが、私はこれまで全くと言っていいほど逆の人生を歩んできた一人の人間かもしれない。
 無理をして、無茶をして、いかに無駄のないように物事を進めていくかを考えながら。
 ただ、最近は少しずつではあるが、自分の体力や能力や限界が分かってきたので、何かにつけ 「こんなもんでええか」と思えるようになってきているのも事実である。
 過去において、「60までしっかり仕事をして、うまくいけば早めにリタイヤをし、残りの人生を楽しみたい」と、口にしておられた当時40代の比較的若い経営者が何人かいらっしゃった。ただ、残念ながらその言葉どおりそれを実現している人は私の目の前には一人もいない。
 人生が65や70で終わるのであれば、そういった考え方もおかしな話でないし、それはそれで正しい生き方かもしれないが、今や100歳とはいわないまでも多くの人は80歳くらいまでは生きる世の中になってきている中では人生というものはそうそう甘いものではないように思う。
 病気やけがで不幸にも若くして亡くなる人もいるが、私の周りには80代や90代でまだ誰の世話にもならずに生活している人が何人もいるし、私の母も86歳で判断能力は劣っているが、身体はいたって元気で施設の中では数少ない車いすも杖もいらない入所者である。

 実は私自身も別にリタイヤする時期を決めていたわけではないが、若いうちにとことんがんばって老後はゆっくりと と思っていたが、この長寿社会ではいつ死ぬか、あるいはいつ死ぬことができるか分からないし、逆に寿命のある限り生きていかないといけない、要は死ぬ時期と死に方は自分では選べばないという現実がそこにはある。
 というわけで、一応、私自身も家族の生活を支えないといけないが、それ以外は無理せず、無茶せず、人の世話にならずに長く生きていくようにしないといけない。
 ちょうどこの時期 連休で仕事のことを忘れられる時間が多いので、こうしていろいろな(つまらぬ)ことに考えを巡らすことができ、いつもと違ってある意味“無駄な時間”を過ごしている。
 でも、この一見“無駄な時間”と思える時間が、実はすごく楽しくて、好きな本を読んだり、時間を気にせず犬と散歩したり、部屋の掃除をしたりと日頃できないことができることで、仕事をやり遂げた時とはまた違う種類の充実感や満足感がある。
 若い頃はボーっとしていると世の中から取り残されるのではないかという恐怖心を抱きながら仕事をしたり、日々の生活を送っていたが、今になって(55を過ぎて)、無駄な時間が実はすごく充実した時間であることに気がついた。
 今回 合計で7日間休みがあるが、人と会うのは2時間ほどの1回のみで、後は出かける予定も人と会う予定もない真っ白なスケジュール帳である。 あ〜、時間に追われないことがこれほど幸せだったとは・・・。
 今日、大量に着れなく(着なくなった)服を処分して、収納スペースが空いたので、明日は服でも買いに行ってこようかなと考えている。
 日がそろそろ変わりそうになってきたし、お酒も結構まわってきたのでこの辺で休むのことにします。
 みなさん よい休日を。
posted by ヒロイ at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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