2018年02月18日

No563:オリンピックで思うこと・・・「金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差」【一部No354:再】

 昨日のフィギア男子の羽生結弦選手に引き続いて、今夜(先程) 女子スピードスケートで小平奈緒選手が金メダルを獲得した。

 小平選手おめでとう!

 夏季でも冬季でもオリンピック中継や選手のインタビューを見ていて、銀メダル、そして4位の選手が、半分満足、半分悔しさ という何とも言えない表情で、『力は出し切りました。悔いはありません』 答えているのを見て、この表情の奥にこそ スポーツのむごさが潜んでいるんだなと考えてしまった。今回も前半は銀メダルラッシュでそれぞれのメダリストの胸の内を考えながら4年前の2月16日【No354】のこのコーナーを読み返してみると、私自身 今回の全く同じようなことを考え、ここに綴っていたことに気がついた。
 先日、ある紙面に過去においてスピードスケート男子500mで金、銅、銀のメダルを獲得した 清水選手のコメントもやっぱし と思ったので載せておきます。
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 「銀メダルは悔しいんですよ。金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする」(清水選手)
 1998年長野五輪500メートルで金、1000メートルで銅、2002年ソルトレーク五輪500メートルで銀と、すべての色を獲得した経験を持つだけに、説得力があります。「金しかとっていない柔道の野村忠宏くんは、この心理はわからないって言ってました。」
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 ということで、今回は4年前の内容を掲げさせてもらいますね。

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No354:金メダルと銀メダル、そして銅メダルと4位の差

ソチでの冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっているが、ここへきて日本選手も羽生選手の金メダルを筆頭にいくつかのメダルを獲得しだしてきた。
 こんなとき、オリンピックには程遠いが、私も多少なりともスポーツをかじっていた一人として、表題に示した「金メダルと銀メダル」、「銅メダルと4位(メダルなし)」の差はとてつもなく大きな差であることが痛いほど分かるし、その悔しさは誰にも言えない本当に辛く、苦しいもののように思えてならない。
 テレビ局のキャスターや各新聞はこういった悔しい銀メダルや4位の選手について過大とも思えるくらい賞賛の言葉を並び立てるが、実は選手自身にとってはいくら何と褒められようともこの悔しさを埋められるものはどこにも見当たらないはずである。
 今回、女子モーグルで4位であった上村愛子選手に対して、“連続入賞、本当にお疲れさん”というような表現をしていたマスコミが多かったように思うが、本人にとっては悔やんでも悔やみきれないほど悔しいものであったに違いない
 ただ、この上村選手が一スポーツ選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしと思ったのは、その悔しさ(ひょっとすると人生最大の悔しさだったかも?)を表に出すことなく、こんなコメントで締めくくっていた。
『オリンピックの思い出としては、いい思い出で終われると思っている。メダルはないが、頑張ってよかった。』
 応援していた者にとってはいっしょに泣きたいくらいであったが、この大人のコメントで多少なりとも救われた気がした。
 ただ、滑り終わった後の『全部終わったときに、点も見ずに泣いていた。メダルは獲れたかな、と思ったがまた4番だったんだと・・・。』コメントを聞いて、本当はメダルが欲しかったんだろうなと思うと、各局のアナウンサーが「5大会連続入社は立派です」と褒めれば褒めるほど、見ている者にとっては痛々しくも感じられた。
 ただ、スポーツにしろ、勉強にしろ、そしてビジネスにしろ、この埋められなかった悔しさがあるからこのその後の人生、無駄にせずに生きていこうと、次なるステップへと歩み出していけるのではないのだろうか。
 ただのスポーツ好きの大人が言うにはとても偉そうな表現になってしまったが、こうして本音の部分も書くことによって、逆にその悔しさが埋められやしないかなとも思ったりもするのである。

 では、なぜ 選手は金と銀、そして銅と4位にこだわるのか。 それは、そこまでの道のりにおいてとてつもない努力をし、多くのものを犠牲にしてきた者は、その証となるものが欲しいということであろう。じゃあ銀メダルや4位は証にならないのかというとそうではないが、これはスポーツをやってきた者にとってはどうしても欲しい証である。
 私も高校時代 陸上をしていたが、見ていて一番むごいと思ったのは近畿大会の決勝 8人で争われるレースである。このうち全国大会に行けるのは6位まででこの時の6位と7位にはとてつもない大きな差があり、これは3年間クラブ活動に打ち込んできた高校生にとってはある意味、“むごい差”でもある。

 話を少し角度を変えて捉えてみるが、
 今回のキャスターの中に2人の元女子オリンピックがいる。シドニーのマラソンで金メダルを獲った高橋尚子とトリノのフィギアスケートでこれまた金メダルを獲った荒川静香である(呼び捨てしてすみません)。
 こういった場面ではやはりメダリストではなく“金”メダリストに声がかかるんだなと、金メダルの威光と重みをまじまじと感じながら解説を聞いている。

 今回の羽生選手は相手も少しミスをするラッキーはあったものの、やはり最高の、しかもとびっきりの実力者であるがゆえに勝ち取れたものであろう。これが実力拮抗の状態であれば最後で逆転されていたようにも思う。
 そういう意味では金メダルを獲るには、運も必要かもしれないが、実力が誰も寄せ付けないくらいとび抜けている必要があるのであろう。いわゆる“断トツ抜きんでている”というやつである。
 オリンピックになると今でも思い出すが、高橋選手の鍛えられた走力(体力)と完璧なまでに計算されたレース運び、そして、一方 荒川選手のミスを探そうにも見つけられないくらいに最初から最後までこれまた完璧に滑りきったフリーの演技。 やはり、銀、銅のメダリストには申し訳ないが、金メダリストは完璧を貫いたものでないと手に入らない、とてつも重く、かつ、気の遠くなるような繊細な部分も備える必要があるのだろう。
 
 こんな偉そうなことを言ってしまったが、本当は我々一凡人にとってはオリンピックに出ることがとてつもなく、遠いことであり、偉大なことであることを忘れてはならない。

posted by ヒロイ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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