2025年02月23日

No.920:今の選挙制度について(独り言)

 連日 国会は自民党が予算を通すためにどの政策を取り入れるのか、またどの党と組むのか という話題で持ちきりで、こういった話が先行すると、傍で見ていても本当の意味での政策論争がどこまで行われているのか疑問を抱かざるを得ない。
 疑問ならまだしも、今や不信と言っていいような状況であるのは多くの人が感じていることであろう。

 今日 ここでは目の前の論争は少し横に置いて、私が選挙のたびに“1票の格差”についていろいろと考えていることについて“私見”を述べさせてもらう。
 有権者の1票の重みに格差があってはならないというのは民主主義の根幹部分であるし、各地の裁判でもいくつも取り上げられ、合憲 あるいは 違憲と国民から見て関心のある話題でもある。
 ただ、国が音頭をとって「地方」、「地方」と叫んでみても当然のことながら地方は人口も少ないがためにそれに比例して割り当てられる国会議員数も少なく、都道府県別にみても10年20年前と比べて大きく定数減となっている地域もたくさんある。
 法的にはどこまで行っても議員の数は人間の頭数に比例するので、今から私が言うことは問題があると思うし、まさに違憲状態のことを言うことにもなるので、あくまで私見というか、ちょっとした個人的な思いという程度で捉えていただきたい。そうでないとこれから述べることは社会人、あるいは日本国民として×と言わざるを得ない意見なので・・。

 前置きが長くなってしまったが、
 衆院選全289小選挙区の中で「日本一広い選挙区」は北海道12区で総面積約1万5300kuは岩手県と同程度で、東京都と埼玉、千葉、神奈川各県の合計より広い。南北に長く、世界自然遺産の知床半島がある斜里町から礼文島までの直線距離約350qは、東京から滋賀県までとほぼ同じであり、網走市や稚内市など計28自治体で構成されている。
 逆に「日本で一番狭い選挙区」は東京都台東区と中央区にまたがる東京2区で面積は約20Ku。
 この2つの選挙区は面積だけで捉えると765倍もの差があり、定数は当然のことながらどちらも1人である。
 何度も言うが、これは国が認めている平等、つまり同じ一票の重さであるので仕方ないが、この面積の広い選挙区は人口は少ないとはいえ、この広大な土地の中には自然、資源、産業等はいろいろなものが存在するのは明らかである。
 ここには国民の食卓を支える農業、中でも酪農が盛んであり、沿岸部ではホタテ漁も多く行われており、こういった人間の数だけで判断しづらいものが日本の国土の中には数多く散らばっている。
 人口の首都圏、特に東京への一極集中が進めば進むほど東京の定数は増え続け、逆に地方の定数は減り続け、衆議院の小選挙区は東京都は20区、片や県内に2つの選挙区(当然 定数は各1人)しかないのは近畿では和歌山県をはじめとし、全国にいくつもある。
 こうなると日本の政治は定数(定員)の多い東京が牛耳ると言っても過言ではなという状態になる。もちろん人が多く住んでいるので当たり前のことではあるが・・。
 私は一体何が言いたいのかいうと、こういう形が続けばますます地方は浮かばれなくなる ということが言いたいのである。
 2024年の選挙前は「10増10減」であったが、将来は選挙での定数見直しは「30増30減」なんて言うことも起こってくるだろうと予測している。
 今日の話はこれ以上 取り上げても法律で決まっていることなので抵抗のしようもないが、田舎に愛着のある私としてはやり切れない部分が残るのは確かである。
 今日は目の前で繰り広げられている若者に目を向けた政治に何かしっくりこない感じがしているおっさんの独り言なのかもしれませんがどうかお許しを・・・。
posted by ヒロイ at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月16日

No.919:経営は3年目が勝負かな

 毎日 確定申告業務にどっぷりと浸かっているとついつい確定申告って正式にはいつから始まっていつ終わるのかまじまじと考えることもないが、基本的な日程は2月15日〜3月15日で 今年は暦の関係で2月17日(月)〜3月17日(月)がその期間である。
我が事務所は個人開業医の顧問先が多く、1年の業務の20〜25%くらいがこの1カ月の間に集中するので気が抜けない期間でもある。
 まだ 出だしとはいえ 我が事務所のスタッフは ほとんどが10年以上(中には20年以上の者もいるが)の経験者なので、誰からか指示を受けるでもなく、資料が入手できた先から各自が脇目もふらずにどんどんて手を付けていくので 事務所内は空気は既にピィーンと張り詰めた感がある。
 事務所内の取り決めでは3月13日には完了しているというスケジュールを立てているので 今から3週間余りの短期集中ということになる。
 私の方には出来上がった書類が全件まわってくるので、申告者(個人事業主や法人役員)の顔を浮かべながら、決算書・申告書の内容を見ていくというのが恒例の業務となっている。

 所得税の確定申告というのは対象者が大きな会社ではないので、業績はあくまでトップの経営手腕が色濃く出てきているというのもこの確定申告ならではの特徴である。
 もちろんすべての人が1年中 息つく暇もなく働いていらっしゃるわけではなし、決してそれが望ましいわけではないが、中には決算数字を見ていて「少しやばいぞ」と思えるような決算書がないわけではない。
 これまでの経験を踏まえると、医師・歯科医師に限らず他の個人事業者も含め、5年後、10年後、そしてそれ以降 軌道に乗って安定した経営が続けられるかどうかは、実は誰もが注目しがちな初年度の立ち上げだけではなく、3年目あたりに大きな岐路があるような気がする。
 というのも個人の起業であれ、会社の設立であれ 最初の1、2年は全身全霊とはいかなくてもいいが、やはり自分で事業を起こそうと決心した人なのでほとんどの人が毎日 経営に注力して過ごされているが、いろんな経営者を見ていると この“注力”というのを長続きさせることが何よりも大変なことである。
 私がこれまで見てきて、1年 あるいは 2年で当初の予想以上にいい数字が上がってきている人が、次の2つのパターンに分かれるような気がする。
@「2年間がんばってきて、比較的順調なので ちょっとひと休みしたいな。これからもたぶん大丈夫だろうし。」と思う人
A「少し数字はましになってきたけど、まだまだ2年くらいでは油断もできないので、もう少し気を緩めずに走らんとあかんな。しっかりとした基盤と自信ができるまで」という人
 この後者の方は放っておいても大丈夫であるし、5年もすると所得も予想以上のものになり、同業者、競合者が近くに現れようとびくともしない。
 それが前者の2年で一息つかれる人は、経営に対してマイナスに働くような何かの外的要因が出てくるとたちまち足元がガタガタし出してくる。
 多くの決算・申告の内容を見ているとこういったことが結構 的中してくることもあり、2、3年目がピークでその後 早くも下り坂となっている経営者には多少なりとも厳しめの話をすることもある。
 私が全件まわって説明するわけではないが、事務所の担当者には決算の数字を見て、終わった数字よりも翌年に向けての対応をしっかりと話してくるように伝えている。この場でも何度か言ったことがあるが、決算はまさしく経営者にとっての通信簿である。
 いろいろな事情があって、たまたま今回思うような数字が出なくても、「よし、次は○○に対して策を練り、取り返そう・・」と思う人は、1年くらい数字が悪くても間違いなく這い上がってこられるが、一番怖いのは、悪い数字から目を背ける経営者である。
 「お金が足りなくなったら銀行へ」なんて言っていては、業績はなかなか好転しないだろうし、借入のある人は何よりも優先して返済を進めていくというのが経営の常道であるように思う。

 軽い気持ちで確定申告のことを書き始めたところ、いざ経営数値の話になると思わず熱くなってしまったが、しっかりとフォローし、一人でも多くの経営者と ほっとした顔で面談できるように事務所としても支えていかないといけないし、それが節税と並んで、税理士・税理士事務所の重要な役割であろう。
 今日は朝の9時半ごろ京都マラソンが自宅の近くを通過するのに伴い、3時間近く北山通が通行止めになるので、その前に家を出てきて先週末から残っていた業務を片付けているが、もう終わっているので 身支度をしてそろそろ帰ろうと思っている。
 もちろん この時期はいつも以上に頭も使うし、明日からは外出も多くなり、事務所に戻ってから内勤という日が続くが、体調を維持することが何よりも大事であることは分かっているので、あと3週間 ペース配分も考えながら過ごしていきたい。
 今日はこんな状況下なので軽めにと思って書き出したが、気がつくと長くなってしまっていた。
 突然ですが、では 今日はこのへんで終わりにします。
posted by ヒロイ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月09日

No.918:雪を見ると故郷を思い出す

 昨日は京都市内も積雪があり、北山通より北に住む私の家の前は路面も真っ白で、しかも凍てついてガチガチの状態であった。
 ただ 雪国育ちの私にとっては、これくらいの雪は大したことではなく「今日は屋根が白いな」という程度の感覚である。
 今回は雪のことに触れようと思っていたところ、以前に雪は嫌な思い出ばかりではない ということをこのコーナーで綴ったことを覚えていたので過去の履歴を探してみるとなんとか見つかった。
  あらためて読み返すと今の自分も励ましてくれるような内容だったので、今日はちょっと手を抜いてこの時の原文をそのまま張り付けておきます。
 長くなって申し訳ありませんが、お時間のある方はお目通し下さい。

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【No711:雪の積もった故郷に元気づけられた(2020.12.20)】
 先週の12/15(火)と12/16(水)は私の出身地である与謝野町を含む京都府北部へ毎月の定例業務ため訪問していたが、よりによってこの2日間はこの京都府北部の日本海側は雪が降っていて、車での移動中も時には横なぐりの雪が降りつけ、車のワイパーは休む暇もなく雪除けに大活躍であった。
 京都市内でも北に位置する北区や左京区は雪も多少ちらつくももの、道路に積もるような降り方ではなかったが、私が仕事で雪国へ向かうこの日はまるで狙い撃ちしたかのような雪降りの天気であった。
 今回の大雪は新潟県などでは高速道路で車が立ち往生したり、他にも積雪による被害が出ているので、雪が降ってよかったなんて言うのは、多少不謹慎かもしれないが、今回 仕事先で雪に遭って 少し心が和んだ部分がある。
 昨冬は暖冬だったので雪を目にすることさえほとんどなかったので、車のスタッドレスタイヤもほとんど活躍することなく、あまり冬を感じることなく春を迎えてしまった。
 日常生活を送る上では、暖冬の方がいいに決まっているが、先週の雪は久しぶりに故郷を思い出したというか、小さい頃はこんな中で、スキーやそり遊びをしたりをしたり、学校の休み時間には雪合戦で雪降りにも関わらず汗だくなったことを思い出した。
 その日も顧問先(クリニック)へ行くと 院長先生が駐車場の雪かきをされており、雪国ならではの苦労を目の当たりにしたが、私なんかはいくら大変だといっても今 毎日の生活に“雪”があるわけでもなく、こういった雪国の方は私なんかの苦労とは比較にならない程 大変なんだろうなと この先生の額の汗を見ながら感じた。

 雪の話をもう一つ。
 あちこちで雪かきしている人を見て、子供の頃 雪の降る朝 いつもより早く起き、スコップで道路の雪かきをし、通学路を確保してくれていた父のことも久しぶりに思いだした。
 雪の日の朝は目さまし時計ではなく、「ガガガガ―」という 雪かきをする父が持つスコップが道路をえぐるような音で目が覚めるのである。 それと、屋根に積もった雪が軒下に落ちてくる「ドーン」という地響きのような音、これが雪の日に目を覚ましてくれる音である。
 仕事で行った故郷でたまたま雪を見て、両親を思い出したという何ともセンチな話であるが、その父は既に亡くなっており、母も施設に入っているので、私と話をするのを楽しみにしていた親と話をする機会さえ今はもうなく 寂しい限りである。

 都会にいると、「温泉に行って雪景色を見ながら かに料理を」なんていう旅行のパンフレットを見ることもあるが、雪国育ちの者にとっては雪を見ながらお酒や料理を楽しむなんていう発想はなし、冬になれば雪というのは生活そのものという感じである。
 だた、私も地元を離れて40年も経つと 段々 昔のことは忘れてしまっているが、仕事とはいえ こうして雪に出会うことは、少し大げさかもしれないが、何か忘れかけたものを思い出させてくれる そんな気持になった。
 確かに雪道を運転するのも一苦労だったし、靴の中までも濡れてしまったが、故郷で雪に遭遇したことは、懐かしさだけでなく、なんとも言えないパワーをもらった気がした。
 また、いろいろな意味で、「いくつになっても自分の原点を忘れてはならないぞ」といって励ましてくれているような気がした。
 思わぬ雪であったが、やはり幼少期を過ごした所は、本人しか分からない不思議な力があるもんだなとも思った。
 私の子供たちは3人とも京都を離れて暮らしているが、将来、京都で祇園祭や大文字、それに鴨川を見ると何か目に見えぬパワーをもらうようなことがあるのかもしれない。
 いくつになっても故郷はいいものであり、温かさを感じられるありがたいものである。

 今年はコロナの影響でお正月に里帰りできない人も多いと思うが、ほんの少しの時間でいいので、故郷のことを考えることは決して無駄なことではないと思うし、きっと自分の原点がそこにはあるような気がする。

 今年も仕事するのは あと1週間。いいお正月を迎えられるように目の前にある やり残したことを何とかきりをつけたいと思っている年末の日曜日の夜である。
 明日も雪の降る日本海方面へ出張ですので今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月02日

No.917:時間を守れる人と守れない人の違いは?

 私の中では時間厳守って特別なことではなく、当たり前のマナーなのでこんな場であえて取り上げなくてもいいのだが、やはり時間を守れる人とそうでない人が世の中にいるようである。
 予想し難い交通渋滞や突然のトラブルによる公共交通機関の乱れの場合にはやむを得ないと思うが、特にアクシデントもないのに約束の場所に遅れてくるというのは、相手に失礼というより、最初に「すみません、お待たせしまして」ということから面談がスタートすることにどんな思いを抱いておられるのか聞きたくなることがある。
 定期的に面談する方の中に常々大変お忙しい方がいらっしゃって、いつもなかなか時間どおりにはお越しにならないので、定例の19時というのをご本人は「19時でも大丈夫です」とおっしゃるが、こちらが気を利かせて「お忙しいようなので少し余裕を持たせて次回からは19時30分」にいう約束にしたところ、やはり19時の約束の時と同じようにほぼ毎回10分後の19時40分に来られる。
 私は特に怒るわけでもないし、毎度のことなのでそれほど気にならなくなってきているが、この人の約束時間って一体何を指すんだろう なんて意地悪なことも考えてしまう。
 物事を頼んだりお願いする時や重要な商談の時、特に初対面の人と会う場合 さすがに遅刻する人はないと思うが、何事もまずは最初の印象って非常に大事なことだと思う。
 ただ 面談先の会社を訪問する時、予定より3〜5分早く着くくらいなら許容範囲であろうが、「少し早く着きそうですがいいですか」という事前の断りもなく、10分以上早く訪問するというのは相手様の準備もあり、これはこれで少し失礼なことのように思う。

 私は面談場所に遅れていくというのは大きなアクシデントでもない限り、絶対とまではいわないがほとんどない。それは約束の時間を守るというのは何よりも重要なことと思っているからなのであろう。
 ただ こんなことを確実に実行するのは結構 大変で、そのために無駄なこともたくさんしている。
 「無駄なことって 何?」 と思う人もあると思うが、それは車の場合には行先のよっては渋滞による遅延を多少多めに見積もったり、電車も万が一の乗り違い(初めての訪問先ならなおさらであるが)が起こることも想定しながら動くので、何事もなくスムーズに動けた場合、結構 空き時間ができてしまうことがあり、行先によってはその時間が30分近くになることもある。
 ただ 実はこの30分が私にとっての自由時間みたいなもので、本を読んだり、スマホで調べものをしたり、その目的地の周辺を歩いて、あるいは車で回ることによってその会社やクリニック、時には開業予定地の周辺調査ができ、この動きが後々役に立つこともある。
 車で2時間近くかかる顧問先を訪問する時は、30分くらいの時間の幅を活かすために車の中には読みたい軽めの本がいつも2、3冊 移動図書館のように置いてあるので退屈することはまずない。

 実は先日 東京にいる次男が勤務先のトップに同行して外出する時に、自分が事前に調べていた電車の時間よりも2本分ほど早く、「廣井君、そろそろ行こか」と言われた時には慌てたと言っていたが、話の最後(オチ)は「世の中にお父さんよりせっかちな人がいてびっくりしたわ」ということであった。
 余談ですが、“せっかち”のことを少しだけ意味の違いはあるにせよ“イラチ”という言い方をすることもありますが、この“イラチ”って関西弁って知ってました?
 今度 東京の人と話をする時に聞いてみよ!
posted by ヒロイ at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする