2025年01月26日

No.916:わんちゃんは見ている

 我が家のわんちゃん ポポタンは普段はカミさんべったりで、朝と夕方の散歩はもちろんのこと、寝る時も同じ部屋でどちらが添い寝かわからないような形で寝ている。
 そんな状態なので休日にカミさんが用事があって出て行った後、私一人が家に残っているときは、いつ帰ってくるんだと言わんばかりにリビングのドアの方へ行ったり来たりして落ち着かない様子である。
 「私が居るのに」といくら私が心の中で呟こうとも私にはあまり関心を寄せてこないが多かった。
 それがあることがきっかけで様子が変わってきたのを見ると、うちのポポタンも結構 繊細な一面も持っているなと思うこともある。
 長女が2歳と5カ月の子供2人を連れて我が家に数日間 来ることがあり、娘(長女)は上の子、カミさんは下の子にかかりっきりで、ポポタンは朝夕の散歩以外はあまり構ってもらえず 部屋の隅っこでゴロンと休んでいることが多く、その様子は私には拗ねているようさえ見えてしまう。
 また赤ん坊の泣き声がうるさい時もその大きな声から逃れようと隣の部屋の端の方へ避難している。
 わんちゃんなので不満も言えず おとなしくしているが、こういう状況の時に私が仕事から帰ってくると今までは私にはあまり関心を寄せてこなかったポポタンが のこのこと私の足元まで忍び寄ってきて顔を覗き込んでくる。
 その表情はまるで「家の中に人が大勢いる時は私はほったらかし」と言っているようで、私は「とうちゃんがいるからな」と言いながら撫でてやると何とも嬉しそうする。普段(平時)にはあれほど関心を寄せないくせして 「こんな時だけかよ」なんて言いつつも私にとっては何とも「かわいいやっちゃな」という感じである。
 こういった様子を見ていると 何気なくいっしょに暮らしていながら、わんちゃんも いろんなことに対して敏感なんだなと思ってしまうし、人間なら言葉で自分の気持ちを表現できるが、わんちゃんはそれができない分余計に態度で表してくる。
 これって動物だけでなく、赤ん坊も似たとこがあって、何かいやなことがあるとすぐに態度に表してきて、私が雑誌を見たり、スマホをいじりながら抱いていると必ずと言っていいほどぐずってくるが、何も持たずに立ってあやすと さっきまで泣いていたのがピタッと泣き止むからこれまた不思議なものである。

 この周りの行動を見たり、何気ないこちらの状況を感じとられているというのは、大人の世界とは違ってとても新鮮であるが、これって わんちゃんや赤ん坊はある意味 素直な気持ちをそのまま純粋に行動に移しているだけなのかもしれない。
 日々のビジネスシーンでは経験することのない こういったとりとめのない日常って、多少は自由を束縛されることがあってもそれほどいやにならないからなんとも不思議なものである。
 そりゃ子育て真っ最中の親であればこんな悠長なことは言ってられないだろうし、毎日が必死なのであろうが、私のような立場であればこれほど新鮮な気持ちで接しられるんだと自分の変わりように驚くこともある。

 今日は時間に追われるような毎日を送っている者が、わずかな時間とはいえ、違う世界に身を置くことでホッと一息ついている日常を紹介させてもらった。
 そう考えると今日のようなことと綴ることで、仕事で抱え込んだストレスを吹き飛ばす効果も大いにあるような気がする。
 ただ、このお世話が毎日だとこんな気持ちにはなれないだろうけど・・。
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2025年01月19日

No.915:風通しが良い職場

 こんなタイトルをつけること自体が個人主義もある程度 認められる今の社会ではマッチしないのは分かってはいるが、自分の職場(事務所)を見渡して、風通しの良し悪しが日常業務の遂行にも多少なりとも影響を及ぼすこともあるのではという思いもあり こんなテーマを取り上げた。
 毎年 年始め最初の出勤日に新年のあいさつを兼ねて朝礼を実施しているが、今年は「思っていること考えていることを素直に口に出そう」と いうような話をした。
 別に今の職場の状態に問題があるわけではないし、私が若かった頃と比べるとある意味、黙々・淡々と仕事をしていて作業効率という点では申し分ないが、他の人がどんな風に考えているのかということが以前よりも分かりにくいというような気がしないでもない。
 古き時代には俗にいう“しょうもない雑談”を通して人の考え方や生活スタイルなども分かり、そんな中に目に見えない仕事のしやすさも潜んでいたようにも思う。
 他人様にあまり深入りすることは決していいことととはいえないのでこの辺りのバランスが非常に難しいが、仕事をする上で他の人の考えが分かることによって意思の疎通が図られ、さらには情報の共有化も進むという点では必要なことのようにも思うのでわざわざ新年にこんな話をしたのである。
 オフィスが1フロアであれば、全員の顔を見渡せ、ある程度 その場の雰囲気や仕事の状況も自然に察知できるが、我が事務所は22人が3、4、5Fと3つのフロアに分かれて仕事をしているので、顔が見えないということが、情報を共有化するのに少し妨げになっているのも事実である。
 ただ、今は社内メールという便利なものがあるので、伝達するのは相手がいなくともいつでもできるという点では大きな問題があるというわけではない。

 あと新年に事務所のみんなに「相手の迷惑にならないことであればもう少しおせっかいを焼いてもいいのでは」というような話もした。
 もちろん、一線を越えてまでおせっかいを焼くことはただの迷惑行為に過ぎず あってはならないが、職場内はもちろんのこと、顧問先の方に対しても 時と場合によってはもう少し踏み込んでおせっかいを焼くことは決して悪いことばかりではない という話もした。
 若い世代にとっては「妙なこと言うな」と思う人もいるか必要と思われるおせっかいは焼く” ということかなと自分には言い聞かせている。
 今日の書き出しでも言ったように、成果主義や個人主義を表に出しがちな世の中とは逆行するかもしれないが、こんな経営者がいたり、こんな職場があってもいいではとも思っている。

 今日も長くなってしまったが、過去このコーナーで同じようなことを綴っていた記憶があったので探してみると、【No619:今では懐かしい “おせっかいな人”(2019年3月10日)】というのが見つかった。
 あらためて内容に目を通してみると 今日の話と少し重なることもあったことからも、私って何年経っても同じようなことを考えているんだなとあまり変わらぬ自分に気付くこともできた。
 変わらぬことが良いことが、良くないことかはわからないが・・。
posted by ヒロイ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月13日

No.914:私が仕えた唯一のトップ

 新年早々のこの連休は、年末年始の休暇以降 休みが多くて仕事の方が停滞しそう と多少なりとも心配はするものの、いざ休みになってしまうと 毎年のことながら正月明けの慣らし運転からこれから訪れる繁忙期の間の時期として頭と体の切り替えにちょうどいい休暇になっている。
 昨日は全国都道府県対抗女子駅伝で地元 京都が優勝したことで 京都府民の中には いくらスポーツのこととはいえ、これまたいい気分で今年のスタートが切れたと思っている人もいるのでは。

 さて ここから本題ですが、
 私が学校を出てから開業するまで23年間勤務していた税理士事務所(退職時には税理士法人)で長年 トップに君臨されていた(元)所長が施設に入っておられることを昨年12月に親族の方からお聞きした。
 特に体のどこかが悪いとかではなく、80代後半の奥様の体調管理との兼ね合いで入所されたと聞いていたし、面会も可能とのことだったので、事前に予約を入れた上で 教えてもらっていたその施設を訪れた。
 市街地からは車で10〜15分ほどで比較的便利のいい場所にありながらも 目の前にはゴルフ場もある自然に囲まれたいい雰囲気の施設であった。
 前回お目にかかったのは2年半程前に所用で私が以前に勤務していたその事務所を訪れたときだったので、久しぶりに顔を見れるということで数日前から面会を楽しみにしていた。
 施設のスタッフの方に部屋(個室)の前まで案内してもらい中に入ったが、6畳くらいの部屋のベットの横で車いすに座って私が来るのを待っていてくれたようである。
 部屋に入るなり、「廣井です、ご無沙汰しております。お元気そうで・・。廣井ですが分かりますか?」と声を掛けると、少し間は空いたものの にこっと笑みを浮かべながら「それくらいわかってるで」と返された。
 2年くらい前までは自宅からバスを乗り継いで事務所に出てこられているとは聞いていたが、今では確か90歳は超えておられるし、もちろん往年の時のような軽快な会話というわけにはいかないが、最後まできちんと話ができ、私の方も非常にいい時間を過ごせたなと思っている。
 話の途中に、「その話はさっきの話の続きみたいだけど、話はひとつづつ区切ってもらわんと僕の頭ではなかなか前後の関係が繋がらんことがたびたびあって・・」とおっしゃったが、それが「そりゃそうですよね」と妙に納得し、その後は更にゆっくりと一つ一つ確認するようにしながら話をした。
 話をしては休憩し という形ではあったが、体調もよさそうで 声は小さめであったが聞き取れないようなことは全くなく、お互いゆっくりめの口調で 昔話や今の生活ぶりについていろいろと話を聞くことができた。
 長居してはいけないので15分ほどで失礼しようと思っていたが、部屋を出る時に時計を見ると30分近く話していたことに驚いた。
 私の場合、私もカミさんもどちらも両親が既に亡くなっているので、最近では身近なところでは90歳以上の人が少なくなってきているが、今日は23年間もいっしょに仕事をして、仕事の進め方や考え方について たくさんのことを教えてもらっり、所員旅行や食事会にあちこち連れて行ってもらったことを懐かしく思いだした。
 天安門事件の前の年だったが、所員旅行で中国に行った時に万里の長城の急な斜面を「きついな」と言いながら必死になって上がっておられた姿は今でもよく覚えている。実は私は入社3年目で初めての海外旅行であった。
 昨日、帰る間際に少し小さめの声ではあったが、「近いとこやし、また顔を見せてな」と言われたので、失礼にならない程度にまた訪れようかなと思い、施設を後にした。
 年齢的には自分の親世代であり、体力的にはもちろん私の方が元気であるし、話の内容も決して大層なことでないが、口にされた一言一言から不思議と目に見えぬパワーをもらうことになり、これって不思議なものだなと思ってしまった。
 今日 話をした思い出話だけでなく、今の私や事務所の運営の根幹は長年いっしょに仕事をしたその勤務先で培われたものもたくさんあり、面会を終えて感謝の気持ちが沸き起こってきた。
 何と言っても 私が生涯で給与をもらった唯一の勤務先ですから、私の社会人としてのイロハがすべて詰まっていた場といっても過言ではないですよね。
posted by ヒロイ at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月05日

No.913:人生の教科書

 今年初めてと思いきや そう言えば元旦に新年の挨拶として、事務所の年賀状を張り付けていたので、新年2回目です。
 みなさんはどんなお正月でしたか?
 私は9連休だったので最初の2日だけは近場に出かけたが、あとは歩いて近く神社へ初詣に行ったのと、年始に東京から帰ってきた次男と、そして昨日 和歌山の長女一家と食事に行ったくらいで、それ以外はほとんど自宅のリビングか自分の部屋に籠っていた。
 時間ができたら読みたいな、目を通したいなとか思っていた本や資料が私の部屋に積まれていたが(中には1年近く)、こういったものを読む時間がいつになくしっかりとれたのは、9日間 ほとんど外部との接触がない休暇だったということも大きかったように思う。
 そのお陰もあって 山積み状態が低い山になり私の部屋も多少なりとも整理ができた感があるが、これから繁忙期に入るので、「また時間がある時に読もう」という本が3月末くらいまで積まれていきそうである。

 私は年賀状をまだ出し続けているが、“年賀状じまい”という人も徐々に増えてきて、今年も数名の方からそういった添え書きのあるものをいただいた。
 このことに関しては本当に各人の自由で以前から返事が来ない人でも 年一度のあいさつ代わりに出している人もいるので、人それぞれの考えで出す、出さないは決めていけばそれはそれでいいのかなと思っていいる。
 前の職場でいっしょに仕事をしていた同年代の女性からの年賀状には、このブログを楽しみにしているということに加えて、「共感することも多いです」と書かれており、こういったのを見ると単純なもので「もう少し続けようか」なんては励みになったりしている。
 あと 私がまだ20代だった頃、私の部下という形でいっしょに仕事をしていた当時 高校新卒だった女性からの年賀状には、「子供は就職し、私は元日から働いています」と書いてあったのには、何の仕事をしているんだろう? 正月から仕事なんて と思ってしまった。

 毎年のことではあるがテレビは正月ならではの番組がほとんどで、元プロ野球が「野球人生ってどうでした」という問いかけに対して、すかさず「野球は人生の教科書です」と答えていたが、箱根駅伝を走った選手たちも20歳前後の若者とはいえ もしかすると同じように「箱根駅伝は人生の教科書です」という人も何人かいるのかもしれない。
 この「○○が人生の教科書」なんて言えるものがあるなんてすごいなと思うし、これって野球や箱根駅伝で活躍したことだけでなく、それまで一つのことに打ち込んだからこそ、その過程がその人の考え方を変えり、人生の根幹となるようなものが出来上がっていったのであろう。
 この歳になって人生の教科書を持ち合わせていない自分に多少恥ずかしさも感じるが、私がまだ小さい頃 親父が晩酌しながらの会話の中で、何回か言っていたいくつかの言葉がいまだに私の頭に残っているが、これが私にとっての教科書みたいなものかな思ってしまった。
 「人に迷惑をかけない」、「いつまでもあると思うな親と金」、あと商売をしていたので「損して得取れ」というのもよく言っていた。
 実はこんなこと久しぶりに思い出したが、これも今日のテーマを決めた後、自分を振り返ることになり、親には大変申し訳ないが数ヵ月ぶりに遠い墓で眠る親のことを思いをはせた。
 最後は妙な展開になってしまったが、年の初めに多少なりとも目が覚めるような終わり方ができてよかった。

 多くの方と同じように私も明日から仕事です。今回のように長い休みの後ってきついですが・・。
posted by ヒロイ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月01日

No.912:謹賀新年

謹賀新年

旧年中は格別のお引立てに預かり誠にありがとうございます。
世界的にも我が国においても経済は持ち直し、好調・好況と言われている業種も少なくありませんが、周りを見ると日々の生活が豊かになったと肌で感じている人がたくさんいるようには思えません。
大きな社会の中で生活している以上、一人の力ではどうしようもない現実が目の前にありますが、決して腐ることなく、前を見て一歩一歩前進していくしかないように思います。
今の時代 万人にとっていいことばかりではなく、やはり個々の思いと見識に左右される世の中ではありますが、様々な分岐点に立った時 そのまま今の時流に乗るのか、あえて別の道を選ぶのかをきちんと見極めながら毎日を過ごしていかなければならないと考えています。
これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

令和7年 元旦 

廣井増生税理士事務所
 所長 廣井増生

〒602-0941  京都市上京区今出川通小川東入南兼康町334
   Tel:075-406-7020   
   Fax:075-406-7025
   URL:http://www.tax-hiroi.com
posted by ヒロイ at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする