2024年12月22日

No.911:コスパに挑戦

 今年の冬至は12月21日だったということで、寒さはまだまだこれから本番であるが、これから夏至に向けて日が長くなるということは少しうれしいことである。
 私が寝ているベッドから窓までは50p程しかなく、比較的厚いカーテンとはいえ日が昇ってくると否応なしにも明るさを感じるので、朝が来た ということは寝ながらにしてわかるのだが、このところその明るさが感じられず、時計を見ないと今何時かわからい日が続いていた。
 調べてみる冬至の日の出が7時1分、日の入りが16時49分と思っていたよりずっと遅い日の出と早い日の入りであったことに少し驚いた。

前置きが長くなったが、
 数年前から“コスパ”や“タイパ”という言葉があちこちで飛び交っていて、皆様も「〇〇の食事はコスパがいい」とか、「この業務はタイパがよくないね」なんていうのを聞いたり、使ったことはあるでしょうが、時代遅れなのかもしれないが、実はこの言葉は自分からの話題提供の会話の中ではたぶん 自分からは使ったことがないように思う。
*コストパフォーマンス(コスパ):支出した費用とそれによって得られたものとの割合。費用対効果。
 これは日々の生活の中でも仕事をする上でも重要であることは分かっているが、このことに重きを置きすぎるために何かを失っていないか心配する時もある。
 もちろん費用対効果を探りながら生きていきていくことは必要であろうが、逆にコスパにとらわれずに生きていくことも必要なのではと感じることもある。
 レストランであれば一定のメニューから量的なことは分かるし、空腹を満たすためだけならボリュームにだけ目を向ければいいのでコスパの追及は比較的容易であろうが、味は人によって感じ方も違うし、味だけでなく店の雰囲気も含め こういったことまでコスパということで数値化できるのかどうかは悩むところである。
 実は我々の税理士業界でもこのコスパという言葉が使われており、ネットでは、「格安税理士」、「安くて評判のいい税理士」、「コスパのよい税理士の見つけ方」なんていう見出しが目に飛び込んでくる。
 こういったことは依頼者からすれば当然のことであるし、比較・検討した上で税理士を見つけることは今や必須かもしれないが、我々の仕事は各税目の申告書を作成することは当たり前の業務であって、それ以外にどれだけの付加価値、つまりプラスαを付けられるかが他の税理士との差別化であると考えながら仕事をしているので、「法人の決算 いくらでできますか?」とか「相続税の申告業務はもともと高くつく業務と聞いているので、できるだけ安い税理士さんを探します」なんて言う納税者に遭遇すると何とも言えない気分になる。
 こういった時には事務所として提供できるサービス内容をしっかりと伝え、基本的な報酬を提示し、あとは依頼者の判断に委ねるしかないというのが事務所の考え方である。
 その時 心の中で思っている「税理士の業務って値段だけで決めるものではないですよ」ということを口にすることはないし、税理士自らいうことではないと思っている。

 最初に掲げたもう一つのタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉であるが、時間をどれだけ効率的に使うのか、また一定の投下時間からどれだけの成果物が得られるかというこのこと自体は、仕事をする上では常に念頭に置いて業務に当たらないといけないし、経営効率を追求する立場である経営者であれば、さらにその重要度は高いものになるのであろう。
 「少ない労力で大きな成果を得る」というのがコスパ、タイパを論じる意義だとすれば、そのこと自体は万人にとって良いことなので、何ら非難されることではないが、“コスパ”、“タイパ”という言葉に何かしら薄っぺらな概念というか、我々の世代にとってはスッと頭の中に入ってこないのは、もしかすると年のせいなのかもしれない。
 ただ、一見 無駄と思われること、つまり無駄な時間を費やしてしまったなと思うことの中にも、後で表に現れる顕在的な成果物が潜んでいたりすることもあるし、40年もこの仕事をしていると何年も前に経験したことが役に立つことも数えきれないほどある。それがその当時はそれほど重要でなかったことであっても。
 コスパやタイパを追求することは必要であるが、無駄と思われることの中にもきっと意味のあることもあるはず と思いながら業務、そして日々の生活を送っているので、こんな言い訳がましい話になってしまっていることはお許しいただきたい。
 最近、言葉一つとっても年代の違いを感じてしまう世の中になってしまいましたよね、残念ながら・・。
posted by ヒロイ at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月15日

No.910:忘年会のない職場

 今回のタイトルは実は我が事務所のことを指しているんです。
 決して忘年会を催すことを拒んでいるわけではないし、コロナの前までは毎年12月の最終就業日の夜に開催していたが、コロナで数回開催ができない年があり その流れで現在に至っている。
 また、年末年始は仕事も立て込んでいるのと年末から帰省や旅行などで慌ただしい人もいるのでどちらかというと落ち着いた時期にという私の思いもあり、事務所全体での懇親食事会は確定申告明けので一段落ついた4月初旬の慰労会と暑さも一息つき11月以降の繁忙期に入る前にということで9月から10月初旬に納涼会を行っている。
 毎年食事の内容と場所は、会席料理をはじめ 中華や焼肉などできるだけ重ならないように私の独断で決めている。
 「次は何ですか?」とか「○○なんかいいですね」なんていう言葉も耳に入ってくるので、多少なりともそういった意見も参考にし、もちろん予算と場所も考えながら思いを巡らしている。
 この流れでいくと次は来年の春先になるのであろうが、こういったことを考えることも疲れている時期とはいえ、多少なりとも楽しみながら次のお店捜しをしているというのが本当のところである。
 予算や料理以外に事務所のメンバーはいろいろな交通手段であちこちから通勤しているので、帰りのことを考えるとどうしても交通の便のよい所というのも結構頭を悩ますところではある。
 コロナ以降ということだけではないが最近の傾向としてはこういった職場での行事についてはいろいろな考え方もあり、参加を強制はできないので、それぞれの事情によって参加できない人も毎回数名いるが、これはこれで時代の流れとして致し方ないと割り切っている。

 食の話ということで、仕事柄なのか性格によるところからなのかは分からないが、毎日の昼ご飯は事務所の隣のコンビニで買ってくることも含め、とにかくサッと早く食べられるということを重視しているため、大した昼メシにありつけることはほとんどない。
 車で出掛けることも多いが、まずは並ばずにすぐに席に着ける店となると、昼時が重なれば選択肢は極端に狭くなってくる。
 そんな中で車で数件訪問している途中で面談時間の関係で、少しだけ時間のとれる日が月に1回だけあり、毎回事務所の担当者とお決まりに店に行くことが定番になっている。その店は滋賀県の栗東の国道沿いにある"かつや"というご飯屋さんであり、先週もちょうど立ち寄ることがあり、毎回メニューを見ながら楽しんでいる。
 同行している○○君はいつも決まった定番メニューであるが、私はほぼ毎回違う定食で、先日は定食ではなくなぜか「海老ロースかつ丼+とん汁」を注文した。
 毎回レジで支払する時に 次回使える100円引きの券をもらうが、前回もらったその券を車の中に置いてきたままで、離れた駐車場まで取りに行くわけにもいかず、「しまった」と思うことも2回に1回くらいの割合である。
 もしかすると駐車場に着いたとたん「何食べようかな?」と夢中になり過ぎているからなのかもしれない、お恥ずかしい話ですが。

 こんなしょうもない話ばかりしていますが、仕事はちゃんとしていますよ。なんせこの時期 仕事一色ですから”頭休め”としてこんな内容になってしまうんです(← 言い訳のつもり)。
 年末まであと2週間、もうひとがんばりしないとお正月はやってきません。
 それにしても今日の話も終わってみれば、タイトルと全然違う話になってしまっていますね、これも毎度のことですが。
 では、このへんで・・・。
posted by ヒロイ at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月07日

No.909:おいしそうな おにぎり

 最近 おにぎりが話題になり、テレビやネットでとり上げられているのを目にした方もいらっしゃるかと思いますが、私の家の近くにも結構有名なおにぎり屋さんがあり、ワンちゃんの散歩コースによっては店の前を通るときもある。
 北山通りに面したビルの1階に1年半ほど前 オープンした“こじまや”というお店であるが、開店したての頃「こんなところでおにぎり買う人いるの?」と思ったし、最初は人影もまばらでこの店いつまでもつのかな なんて失礼なことを考えたりもしていた。
 それが最近はブームに乗ってかどうかは知らないが、店の前に路上駐車をして買っている人を見かけるし、地元の人だけでなく他府県ナンバーの車が停まっている時もたびたびある。
 2週間ほど前の休日の朝、とはいっても10時頃にワンちゃんの散歩の帰り道で通りかかったので、横にいたカミさんに「昼ご飯に少し買って見よか」と言ったところ、「あんた値段知ってるの? おいしいだろうけど結構高いで」と一蹴され残念ながら買わずに家まで帰ったことがあった。
 話題のおにぎり屋さんということだったので、後でスマホで覗いてみると、
  ・紀州産南高梅 240円
  ・ツナマヨ 280円
  ・タコの炊き込みご飯 300円
  ・まぐろ昆布 350円
  ・北海道産紅鮭 450円
 とおいしそうなメニューが並んでいた。
 これまではおにぎりといえば、急ぎで昼ご飯を済ませたい時にコンビニで買うものというイメージが強かったが、こういったおいしそうなメニューを見るとただ単にお腹を満たすだけのものでなく、しっかりと味わうものになってきている。値段の方もそこそこなので、「おにぎりでも」なんていう軽い気持ちで買うというわけにはいかないが。
 我々 昭和世代の者にとってはおにぎりは遠足や運動会に持っていくために朝早くから親が握ってくれたもので、ちょっと贅沢感を出すために中に入っていた塩昆布が昼にはご飯に味(だし)がしみて 白いご飯が食べる時には何とも言えない味付きのおにぎりに変わっていっているのが楽しみの一つであった。
 昔話ついでにもう少し話を続けると、さらに小さい頃(たぶん小学校1、2年の頃?)には、友達が家に遊びに来ている時に夕方になると祖母が握ってくれたおにぎりの味は今でも思い出す。
 少し辛いくらい塩たっぷりで、海苔にも巻かれていない白いままのものが 子供たちの前に出てきた夕方のおにぎりは最高であったし、横に小さく刻まれていたたくあんをもう一方の空いた方の手でつまみながら食べていた。というか がっついていたというのがまさにその時に表情であったのであろう。
 今度は軽い朝ごはんではなく、一回の食事として扱って 冒頭のこじまやに寄ってみようかなと思っている。
 私は直接買いに行くこともないが、お米の値段が高騰しているという記事を目にすると、おにぎり屋さんの経営も結構大変なんだろうなと心配してしまう。

 自分のブログを見てみると、最近は心の中から叫びたくなるような文句や批判めいた内容が多くなっていて、もう少し ほんわか感 を出さないと思っていたが、今日はそういった内容で終われそうなので、ここでお終いにします。
 でも 世の中も変わりましたね、おにぎり屋さんが北山通りに出てお商売をするようになったのですから。
posted by ヒロイ at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月01日

No.908:京都は日本人にとって近づきにくいまちになったのか?

 昨日 地元紙の朝刊に“京のホテル価格 一段と上昇”という気になる記事の中に下記のようなことが書かれていた。
・駅前 1人用客室が1泊素泊まりで3万円に迫る
・カプセルホテルでも1万6千円を上回る
 「これってどういうこと?」と思ったが、急増するインバウンド(訪日客)だけでなく、人件費や原価高も影響しているということで、今や京都は日本人が手軽に行ける観光地でなくなってきているという現実がある。
 ホテル側にとっては客室稼働率が90%に近づき、しかも高価格帯で、ということであれば経営的に見てありがたい話であろうが、昨年の秋、関東に住む知人が京都へ来て、久しぶりに会った時に「ホテルがとりにくいだけでなく、(宿泊代が)めちゃ高くなっていたので驚いた」と嘆いていたが、それから1年後の今秋、その傾向には一段と拍車がかかってきている状況のようである。

 今年は暑い秋が長く続いたので紅葉の色づきも10日程遅れ、今が見ごろのようであるが、京都に入ってきたり、市内を走る車も確かに多いが今までの紅葉や桜の季節の京都ならではの一番の季節にしては“めちゃ混み”というような大渋滞は一部の観光地だけで、街中の主要道路は普通の休日より少し多めか? というくらいの込み具合である。
 それもそのはずデータに目をやると、今年の10月の速報値では、
 外国人観光客は前年同月比で30%増の65万人、日本人は12%減の33万人で宿泊客の65%が外国人という、まさに国内観光客が減り続けているということで、データから見ても 車でやってくる日本人観光客が少ないのもうなづける。
 でもこれって観光がビジネスである以上、儲かる方へシフトするということはやむを得ないにしろ、こういったことは強制的に入国制限や京都市を訪れる外国人観光客を規制でもしなければどうすることもできず、どちらかいうと行政が掲げていたインバウンド大歓迎という施策にピタッとはまっていっているともいえる状況なのであろう。
 京都が国際都市になるにはこういった現象は当然のことなのかもしれないが、日本人にそっぽを向かれる街になるのは少し寂しい感じがする。
 確かに泊まるだけで3万も5万も、家族連れであれば10万近く準備しないともはや京都には泊まれないということである。
 確かに日本人の家族連れや修学旅行を含む団体旅行にお目にかかる機会はめっきり減ったと感じていたが、今回の報告記事を見て頷くしかなかった。
 こういった現象を見ていると日本人は安上がりで身近なところで旅を楽しむしかなく、こんなところも我が国の経済が好況ということを肌で感じることができにくくなっている要因かもしれない。

 京都は日本人にとって特別な所で、
 「そうだ京都へ行こう!!」という東京駅のポスターや50代以上の人なら一度は聞いたことがある「なのにあなたは京都へゆくの、京都のまちはそれほどいいの・・」というチェリッシュの歌が今や懐かしい響きになって頭をよぎってしまう。
 さあ、1年後、5年後、10年後の京都はどんな街になっているのでしょうかね? 何か先のことは想像すらできない時代になってきているという感じがするのは私だけなのでしょうか?
posted by ヒロイ at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする