2024年11月24日

No.907:第一ボタンをはずす奴

 言葉遣いが悪くてすみません。
 No 何番であったかは覚えていないが、今回の内容は以前にここで取り上げた記憶があるので、その時と内容がだぶっているのか、それとも当時と違うこと言っているのか そこの部分はあえて確認しないまま 今 自分が思っていることを素直に綴ることにするので、そこのところは お許しいただきたいので まずは綴り出す前に断っておく。
 
 私が社会人になったころは、クールビズやカジュアルデーなんていう 着る者の自由度に合わせてファッションを楽しむなんていうビジネスシーンはなかったので、一般的にスースを着る職業(たぶんこの考えが今では古いんでしょうね)でノーネクタイなんてなんていう考え方はなかった。
 残業していて、接客の予定もなく自分の席でデスクワークをする遅い時間帯に 一息つきネクタイを外し首元を緩める時は、ホッとする何とも言えない瞬間であった。
 これは気を緩めるのではなく、さあこれからは 誰にも邪魔されずに自分の世界に入り込んで仕事に集中するぞという ある意味 残業のスタートの合図のような意味合いも持っていたように思う。
 今回 タイトルでもあげているワイシャツの第一ボタンとネクタイというのは自分でもあまり気に留めたことはなかったが、こうして自分自身の行動やその時の気持ちを振り返ってみると、ビジネスの上では結構重要視していた部分であったのかもしれない。
 先日、テレビで久しぶりに私のこういった(ある意味偏った)考え方からして、「こいつめっ!」と思う野球選手の姿が目に入った。
 この選手は2023年5月 ある事件の報道があってから、その後 その年は試合に出ることがないまま、2023年の年末に西武からソフトバンクに移籍し、今年(2024年)には、新天地で本塁打王と打点王の二冠を獲得した。
 そして今回 年俸大幅アップのインタビューでの姿に少しイラついたということであるが、スーツ姿での公式会見であるにも関わらず、ネクタイはゆるゆる、もちろん第一ボタンは外し放題 という出で立ちであった。
 少し前にあった同じくソフトバンク 和田投手の引退会見は、同じくスーツに身を包んでいたが、ボタンも留め、ネクターもビシッと締めていて、あまりにも違うこの二人の姿に野球選手であってもユニフォームを脱いだ時こそ品格が出るな と我ながら勝手に納得してしまった。
 今回のような話はあくまで私の好みやセンスの問題、それに独りよがりの考え方もあるので人さまに強要するつもりは全くないので、あまり深く考えずに古いおっさんの独り言くらいで聞き流してもらえればそれで十分である。
*これを綴りながらこの選手の記事を探していると、昨年12月のソフトバンクの入団会見の時はきちんと第一ボタンを留め、ネクタイもキュッとしまっていた・・やればできるんだ。

 最後にもう一人ネクタイをしていて、ワイシャツのボタンは必ず空けていた芸能人がいる。もし、ネクタイをしてボタンを上まで留めている写真があれば教えて下さい。
 それは今はなかなかお目にかかれなくなった松ちゃんこと〇本〇志さんです。
 もちろんですが、ファッション面からするとネクタイしていない時は逆にボタンをはずしている方が自然であるということはわかってはいます。

【ネクタイ着用のビジネスシーンではシャツのボタンは留める】という マナー集の一部を張り付けておきますのでご参考に。
商談やプレゼンなどネクタイを着用するビジネスシーンでは、シャツのボタンは一番上のボタンを含めて全て留めるのがマナーです。
ビジネスシーンや面接では特に相手に与える印象が大切なため、ボタンは上まできっちり留めましょう。首元に窮屈さを感じる場合にはシャツのサイズを見直すのがおすすめです。
「首元がきついのはサイズが合っていないということなんですよね」 その時はケチらずに買い替えましょう[廣井]
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2024年11月17日

No.906:機屋が正しく読める人

 コロナが始まってからしばらくの間は税務調査も大幅に減っていたし、コロナがピークの時は税務署の調査官が税務調査に出向くことすら制限されていた時期もあった。
 2020年2月から2023年5月までは、日常生活における行動にも一定の制限がかかっていたので当然と言えば当然のことであるが、昨年(2023年)の秋以降は税務調査も少しずつ増え始め、今年(2024年)の春以降はすっかりコロナ前の水準まで戻ってきている感がある。
 現場としては「戻ってきている」というのが実態なのであろうが、3年近く税務調査が控えられていたということもあり、“通常状態”になったことがすっかり「増えてきている」という風に肌で感じてしまうということに 人間の感覚や慣れとは怖いものだなと思ってしまう。
 この場で税務調査の細かな内容に触れるわけにはいかないので、調査の中身とは違う話になってしまうが、先週 事務所のお膝元である上京区の西陣織の帯製造業の会社に税務調査が入った(現実にはまだ終わっていない・・現在も進行中)。
 調査初日の午前中は社長から調査官に対して帯の製造工程についてこと細かな説明があり、時折 調査官も疑問に感じたことを質問してくるという 帳簿のチェックの前に材料、工程、職人という製品ができるまでの流れの中の重要なポイントをきちんと把握した上で、机上の調査に入るという 一般的な税務調査の流れに沿ってやり取りが進んでいった。
 税理士という職業柄、当然のことながら税務調査の立ち合いは非常に重要な仕事の一つであるが、今日 この後は税務調査に直接関係のない話で内容をまとめさせてもらうことにする。

 私の実家は京都府北部(丹後地方)で祖父、父と二代に渡って織物業を営み、来る日も来る日も反物(たんもの)を織り続けていて、そのお陰で私たち3人の兄弟は学校にやってもらい、就職するまで育ててもらった 恩人ともいえる職業である。
 実家の2階にあった私の部屋の下では朝7時に織機のスイッチが入るので、否応なしにも目が覚めるし、実家を離れる高校3年生までは目覚まし時計に頼った記憶もほとんどと言っていいほどない。
 この仕事は後継者もいなかったので、今から35年ほど前 父が60歳になったのを機に何の迷いもなく、スパッと廃業し、それからは農耕民族のように畑での野菜やくだもの作りに精を出していた。
 税務調査から話は変な方向に流れてしまっているが、この日に行われていた1時間半ほどのやり取りは、私の幼少期を思い出させてくれる懐かしい話しのオンパレードでもあった。
 ここで今日のタイトルの話に無理やり戻すが、今回の税務調査の対象となっている西陣織や私の実家が営んでいた丹後ちりめんは、機屋で製造されるのであるが、この機屋を「はたや」と読める人が果たしてどれくらいいのであろうか と思ったのが今日の話をしようと思ったきっかけでもある。
 私が通っていた小学校は1学年50人程(今は10人くらいのようである)であったが、そのうち親の職業は70%くらいはこの機屋であったし、15%くらいは機屋でなくとも織物(着物)関連の仕事に就かれていた。俗にいうお勤めの人(うちの母はサラリーマンのことをいつも月給取り と言っていた)や食料品や雑貨のお店をしている人たちが残りの15%位であったように思う。まさに右も左も機屋 一色の地域、そして時代であった。
 今日は税務調査から自分の幼少期や親の職業について思い出すことができたという 副産物もあり、頭の片隅に懐かしさが蘇る先日の税務調査であった。
 ただ、調査はまだ2日目を残しているので油断はできないが、何とか乗り切れたらと思っている。
 “機屋”っていう言葉に触れるのが初めての方も多いと思うが、最後にネットのコトバンク:デジタル大辞泉にこの言葉が載っていたので ここに挙げて今日はお終いとする。

[デジタル大辞泉]
*はたや【機屋】
1 機を織る建物。はたどの。
2 機を織るのを職業とする家。また、その人。織り屋。
posted by ヒロイ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月09日

No.905:こんな経験初めて

 まずは先週はあるトラブルにより、このコーナーも久しぶりに臨時休業となりましたことをお詫び申し上げます。
 今回の妙なタイトルを見て「いったい何が?」と期待されている方があるかもしれないが、何か身に危険が及んできたとかそういったことではないし、捉え方によってはそう大したことではないとも言えるが、いざ急に自分に降りかかってくると大変なことであった。

 実はスマホ(携帯)が2日間 一切使えない状態になってしまったのです。
 先週の金曜日(11/1)の夕方に事務所内で仕事関係の連絡をしようと思いスマホを手にすると、画面が真っ黒でどこを押しても無反応、試しに充電器に差し込むと、一瞬 チカっとランプがつくがすぐさま消えて再び無反応。
 その後、10分ほどいじっていたが、どうにもならないのでいったん通常の仕事に戻り、ひと通り仕事を終えて繋がらないスマホを持って 20時頃に家に帰ったが、このままでは日常生活もままならないと思い、ドコモショップに故障のための来店予約を入れた・・これも私のスマホでは
予約がとれないのでカミさんのスマホからやってもらった。
 家から15分程度で行ける3つのショップは3件とも11/2(土)と11/3(日)は予約が詰まっているのでご来店いただけません という冷たい(こんな時なのでなおさらそう感じたのかも)アナウンスが流れるだけであったが、唯一 北大路店だけが3連休の最終日の11/4(月)17:30の枠で予約がとれた。
 3連休の初日の朝に ポッカリ心に穴の開いた状態でスマホをいじっていると突然 スイッチが入り画面が現れた。
 「やった!」と思うと同時にこれで一安心、電子機器なんてこんなもんで機嫌を損ねているうちは反応ないが、何かのきっかけで立ち直ることもあるんだ なんて馬鹿なことを考えながら、着信の電話やメールがないか画面を食い入るように見て、15時間程に間 音信不通であった穴を埋めようといじっていると、30分もしないうちに再び×となってしまい、そこからは うんともすんとも全く反応しない元の状態に戻ってしまった。
 休日なんで大した連絡もないだろうと自分に言い聞かせてはいたが、調べたいことがあっても検索はできないし、電車の時間の確認もできない、そして11/4(月)は車で大阪に行く用事があり、高速道路の込み具合が知りたかったがそれを調べることもきないという できないことずくめでスマホ1台がないだけでどれだけ不便なのか痛いほど思い知らされた。
 極めつけはカミさんと大阪に行って、ある店で少しだけ別行動をとる時にスマホで連絡ができないので、それぞれの用事が終わったという連絡や待ち合わせ場所の確認もできず、久しぶりに「○時〇分に玄関前で」という一昔前の待ち合わせ手法を取らざるを得なかった。
 単なる連絡手段だけでなく、買い物や乗り物の決済、それ以外にもスマホは万能ではあるが、こうなってしまえば何もできない自分がただ取り残されているだけという ありなんとも悲しい気分になった。

 待ちに待った11/4の17:30にドコモショップに行って、お店のお兄さんに現物を渡し故障内容を調べてもらうと、「もう少し初期段階(一度だけスイッチが入った段階)で持って来ていただければ、結構 復旧できたかもしれませんがここまで行くと 電話帳と写真以外は一切消えてしまいます」と言われ、「それはないやろ」と思ったものの 今までのメールと電話の着信履歴、それ以外のデータも全てアウトという むごい現実を受け入れる以外 どうすることもできなかった。
 そしてその場で機種を選んだ新しいスマホに何とか電話帳は移し替えられので最低限の仕事のことはできるが、もしスマホでスケジュール管理をしていたら連休明けからどこで誰と会うのかも分からない状態のなるところであった。
 ただ 今や少なくなったが、手書きの手帳でスケジュール管理をしていたのでこの部分の被害は防ぐことができた。
 こんなこといつまで愚痴っていても始まらないので私の頭の中は何とか切り替えられてはいるが、今回のことで日常生活におけるスマホの依存度の大きさがわかったことと、スマホのない2日間は最初は不安であったが2日目の午後になると定期的にスマホを開いてチェックする必要もなく(できないだけだが)、何かに追われているという感覚が徐々に薄れてきて、10〜15年ほど前まではみんなこんな感じだったんだなと感傷にふけることもできるようになった。
 この間 一度だけ地下鉄に乗った時、地下鉄の中ではほとんどの人(一人で乗っている人は9割以上)がスマホをいじっていて、スマホを持たない私がある意味特異な存在であったが、このことさえもスマホを持っていたら気付かなかったであろう。
 いろいろな意味でスマホのあるのが当たり前であり、ないままで生活することすら想像したこともなかったが、とんだ災難によりスマホなしの生活を2日間強いられたのは、何とも貴重な体験であった。
 とはいってもこんな不安な体験 二度としたくないですが・・。
posted by ヒロイ at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする