2024年08月25日

No.895:過去の繁栄は目指さない

 日本経済新聞にThe STYLEという日曜版のみのカラーのページ(今日は12ページ)があり、いろいろな分野の楽しい記事が載っている。
 日々の出来事を扱ったニュースではないので平日であればサッと読み流してしま気持ちになる。
 今日は“過去の繁栄は目指さない”という「おっと!」と思うような見出しで特集が組まれており、内容は人通りが少なく寂れ、シャッター通りと呼ばれる全国の多くの商店街の活性化策が載っていた。
 ここでその内容について触れるつもりはないが、まず目についたこの見出しのその意味を頭の中で再確認してみると 「そうそう、これって商店街だけの話ではなく、他のことでもいえるわな」という感じがしてきた。
 長年人生を送っているとどうしても今まで一番良かった時のことを思い浮かべ「あの頃よもう一度」なんて ほとんどありえない過去の繁栄やその頃の場面がまたどこかからやってくるのではなんて期待してしまう自分がある。
 ただ、この“過去の繁栄は目指さない”というのは、もう少し突っ込んで考えてみると「過去の繁栄が戻ってくることなんてありえない」ということを認識し、目の前の現実と今後訪れる未来をしっかりと見据えないといけないということを教えてくれている。
 来年に迫った大阪関西万博がマスコミで取り上げられるとき、1970年の大阪万博(EXPO 70)と比較され、中にはまるであの時の賑わいを期待するかのような番組設定もあるが、もうあんなことは起こらないし、時代が違うということをもっと直視しないといけないと思う。
 人口の違いだけでなく、人間の意識や価値観はこの55年で大きき代わり、来年の万博はまるで別世界での万博というイベントであるということをどれだけの人が意識できているのか疑ってしまうような内容の番組もいくつかあった。
 ここに万博を一つの例に挙げたが、我々の生活、仕事、家族や人間関係、そして価値観は過去のものとは大きく違うし、過去のもので通用するものは本当に限られたものになってきているようにも思う。
 今まで仕事でも日常の生活の中でも過去を振り返り期待することも多かったし、また過去を目標としないこととなった時には逆に新たなことに取り組まず、「過去を捨てよう」なんていうスローガンを耳にしたこともあり、実際 自分自身に対してもこういった言葉を投げかけてきたことも幾度となくあった。
 ただ、こんな過去は横に置いておき、その過去に出来上がったものを到達点とするのではなく、新しいもの、新たな形を創り上げるという点で、この“過去の繁栄を目指さない”という言葉は非常に目新しいもののような気がする。
 今日は何か言葉の勉強のようになってしまった部分も無きにしも非ずだが、この新たな目標を設定する意識って結構いい方向へ導いてくれるような気がする。
 後輩や部下たちに「昔はこうやったらうまくいったし」なんていう言葉が一番ダメな言葉であるということも再認識できた今日の内容であった。
 でも人間って ついつい過去のいい時のことを思い出してしまいますよね。
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2024年08月18日

No.894:もし一年中 区切りがなかったら

 今回のタイトルって何が言いたいのかわかりますか?
 事務所はお盆も含めての夏季休暇が今日までで、明日からは通常業務となる。
 毎年こうしてお盆がきて、正月がきて、新学期や新年度、また春にはGWと同じ行事や休暇が繰り返されるが、どちらかいうと自分ではこういった行事っていうのを比較的 気にかけている方だと思う。
 仕事が休みになるということはもちろんあるが、それだけでなく それぞれの区切りでリフレッシュした後はいくつになっても新たに何かに取り組もうという気が起こるものである。
 「今年からは・・」とか、「連休明けからは・・」というように いつまでその気持ちが続くかは別にして、いったんは新たな気持ちで何かに取りかかるということで、こんな“気分一新”を何十回、何百回と繰り返してきているが、これがまさに人生なのであろう。
 学校に通っている子供のいる方は卒業や入学、そして学年が変わるなど、変化を避けて通ることはできないが、子供が大きくなった私のような年代では少なくともこういった区切りは身近なところにはなくなってきている。
 終盤を迎えている高校野球でも、地方予選であれ、甲子園であれ、敗れた次の日から、「次の主役は俺たちだ」と思って、今秋、そして来年に向けて始動している2年生の高校球児も全国にたくさんいることであろう。

 私にしても毎年のことではあるがお盆明けからは、「秋⇒年末年始⇒確定申告」と今後訪れる仕事のイベントを多少なりとも意識しながら、過ごす日々の始まりでもある。
 そういう意味で、もし区切りがなかったら 私なんか もともとなまけ癖のある方なので、漫然とそしてボーっと過ごし、いつの間にやら日だけが過ぎていくという恐ろしい事態になりかねない。
 あまり区切りを気にし過ぎてもいけないが、誰しも知らず知らずのうちに何らかの区切りによって気持ちの切り替えをはかっているのであろう。
 身近なところでは金曜日の朝と月曜日の朝は同じ一日の始まりであっても気分に大きな差があるし、月末と月初でも同じことはいえるであろう。
 私はもともと京都人ではないので京都の大文字をはじめとした五山の送り火を 区切りと思ったことはないが、古くからの京都人はこの日のことを「大文字さん」と言って一つの区切りと思っている人も私の周りにはいる。
 一昨日の8月16日は、25人くらいの人数で催されたあるビルの屋上での送り火の鑑賞会に参加してきた。
 特に食事会があるわけでもなく飲み物を片手に30分くらいの会であったが、同じ場所から3つの送り火を見るのは初めてで、大文字、妙法、舟形 が点火から消えるとこまではっきりと見ることができた。
 自宅の私の部屋から妙法の“妙”が間近に見えるので、現在の家に引っ越してからは自宅のベランダ以外で見ることはほとんどなかったが、今回は初めて自宅、あるいは自宅周辺以外での大文字(送り火)であった。
 そういう意味ではいつもと少しだけ違う8月16日であったが、これはこれで新鮮なものであったし、こんなことを言っている私も 知らず知らずのうちに何からの区切りによって気分一新を図ろうとしていたのかなとも思ったりもした。

 あと日本には四季があるので、気候の変化とともに服装もチェンジしないといけないので、衣替えを通して次のステージに向かって進んでいるのかもしれない。
 そういう意味で日本に四季は頭や体に刺激を与えてくれる重要なものである。
 何回か前にこの場で「夏が好き」と言っっていたが、段々と日が短かくなり、日に日に寒くなる秋もこの歳になると結構 楽しめる季節と思えるようになってきた。
 まだもう少し暑さは続くが、次はひそかに秋を楽しむような日々を送りたいなと思っている。
「秋を楽しむ」ってちょっとかっこいいと思いませんか。
posted by ヒロイ at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月14日

No.893:偉そうにし過ぎと思いませんか? SNSの口コミって何も権限も責任もないのに。

 パリ五輪が終わった。

 前回ここでオリンピックを楽しみにしているようなことを綴っていたが、今回ほど大きな関心を寄せないまま終わった大会は今までにはなかった(選手の皆様 ごめんなさい)。
 年のせいかな? と思ったりもしたが、関心や興味が沸かないのはそれだけではないような気がする。
*ここから先は競技種目の好き嫌いや自分の個人的な思いをまあまあストレートに述べるので偏った意見になるかもしれないが、今回だけは”おっさんの本音”で片付けておいてください。たまには思ったことも言いたいので・・。
 今回のオリンピックが自分の中で盛り上がりに欠けたのサッカー、バスケット、バレーという、比較的メジャーな団体スポーツで日本の目を見張る活躍がなかったことかもしれない。
 それに個人競技で花と言われる陸上と水泳でも日本人がパッとせず同じような傾向であったからであろう。
    そんな中で唯一 陸上の女子やり投げで北口選手が金メダルを獲ったのは少し胸のすく思いがした。
    日頃は接する機会が比較的少ない競技ではあるが毎回オリンピックになると盛り上がる体操、柔道、レスリングは期待に沿った形になったようには思うが。
    ただ、自分がルールを知らないし、テレビでも一年を通し一度も目にしたことがない種目は メダリストの選手の健闘は大いに称えるが、自分の気持ちが競技の中に入っていったかというとそうはならずに結果だけ見たり聞いたりしただけにとどまったものもいくつかある。

    そうそうこれを書きながら一つ忘れていた種目があった(失礼)。それは卓球である。
    男子も銅メダルで立派だったが、中国との女子団体の決勝だけは結構真剣で見ていた。ただやはり中国の壁は予測していたよりもずっと高くそして厚かった。

 今どきの人には通用しないかもしれないが、私自身のことをふと振り返ると結構この”壁”とという言葉と向き合いながら人生を送ってきたように思う。
    とはいっても現実には乗り越えられなかった壁の方が圧倒的に多く、人生の中では少しだけ運よく乗り越えられた壁があるくらいである。
    でも壁があるからこそ努力を惜しまずにやってこれたのではないかとも思っている。
     そういう意味では今後4年間、卓球女子は大きく立ちはだかる中国の壁に向かって凄まじい努力と国内での競争が待ち受けているのでだろうし、今回のオリンピックの中で4年後が一番楽しみな種目である。
    ただ残念ながら 次のオリンピックでも負けるのではと予感したことがあるのも事実である。
    それは今回 銀メダルとなった選手の顔が全力を出し切ったという点ですがすがしそうに見え、腹の底から悔しそうには見えなかったという点である。ごめんなさいね、誰もまねができないくらいがんばったのはわかっていますよ。
    ある種目で負けた時 大泣きして非難を浴びた選手もいたけど、悔しさの最大限の表現は大泣きか睨み返す(これも非難の的になるだろけど)どちらかだもの。あとは口をへの字にして無言を貫くというのもあるか。
     選手の努力も十分に知らない一ファンがいうことではないのかもしれないが、「次こそ中国を破って見せるぞ」というものが今一つ伝わってこなかった点が気がかりで4年後打ち破ることは厳しいのでは と感じたし、中国の壁はあまりにも高すぎる壁ということを選手が感じていたのかもしれない。
    選手のみなさんごめんなさい、勝手な発言をして。この3年間 脇目もふらず努力されてきたのに。

     あと 事前の情報が溢れかえり、競技が始まる前から選手の体調はもとより、いろんなことが耳に入ってきて、「さあ競技が始まった」という純粋で素(す)の状態で観戦ができなくなってきていることもワクワク感が少なくなってきている理由のひとつとして上げられる。

    最後にあと一つ言っておきたいこととしては、何でもかんでもSNSを通じて書き込むのはいい加減にしてほしいということである。
    書き込んでいる人に対しては、「何の権限も責任もないのによくそこまで言えるのか」と怒りが込み上げたり、呆れたり、最後にはバカらしくなってしまう。
    選手を傷つけたり、キャスターを追いつめたり、そして終わった後にはキャスターの順位付けまでしたりして、ここに書き込んでくる人は自分はいったい何様かと思ってしまう。
    こういった無責任な投稿で何人もの人が苦しんでいるというのは分かっているのだろうか。
    最近はできるだけこういったものは見ないようにしている。だって役に立つ内容ってほどんどないもの。ただ単に思っていることを腹いせのように書き連ねているだけのものが多いから。
    今日は問題のある内容(発言)もあったかもしれないが、一発言っておきたかったことが言えたのですっきりした。
    でも 言い過ぎたかな?
posted by ヒロイ at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

No.892:オリンピックからいろんなことが勉強できる

 若い頃はオリンピックになるとテレビにくぎ付けであったり、日本人が活躍しそうな競技の時は夜中や朝方の競技終了まで観ていたこともあったが、今回に限らずここ何大会か前からは、後から競技結果を聞いて喜んだり残念がったりすることが多くなってきている。
 前回は地元の日本/東京での開催であったが、コロナ禍での開催で大きな声で声援できないということもあり、今から思えばオリンピックに対する熱中度や盛り上がりは物足りないものがあったことは否めない。
 私は時差について妙な思いがあり、サッカーワールドカップやアメリカの野球等、時差で昼と夜とが逆になっている地域での開催の場合、地球の大きさを実感でき、世界って広いんだなんて子供じみた思いで競技の進行を追うのを楽しんでいる部分がある。
 「そんなの知ってたよ」とか「何言ってるの今頃」なんて言われることかも知らないが、実は柔道の競技人口が日本は第4位っていうのを今回初めて知った。
 よく柔道は日本のお家芸とか発祥の地であるとか言われているので 断然日本が多いと思っていたが、恥ずかしながら私は今回 新聞やネットで情報が流れるまで知らなかった。
 柔道は今や世界200カ国以上で行われているスポーツで、国ごとの競技人口は下記のとおりとなっており、今回フランスで柔道がえらい盛り上がっているなと思ったが、この競技人口を見れば「なるほど」と思ってしまう。
・5位までの順位は下記のとおりである。
@ブラジル 200万人以上
Aフランス 56万人
Bドイツ 18万人
C日本 16万人
Dキューバ 15万人

 柔道の話はここまでにして、競技としてはワールドカップも開催されるラグビーはオリンピックでは7人制で、戦術や競技スタイルも15人でする通常のラグビーとは違うようであるし、選手層も異なることから、多くの国民が熱中するワールドカップとはその関心度は雲泥の差である。
 オリンピックやサッカーワールドカップなどでは「日本代表=日本国籍を持つ者」となっており、最近は父親又は母親のどちらかが外国人のハーフの日本代表選手も増えているが、原則として日本国籍有している。
 一方、ラグビーの日本代表には確か外国人(外国籍)の選手もいることは知っていたが、こちらの方の出場資格のルールどうなっているのか正式には知らなかった。
⇒ ラグビーである国・地域の代表としてプレーする資格を得るには、当該国・地域でその選手が生まれたか、両親、祖父母の1人が生まれている、もしくはその選手が36カ月継続か通算10年にわたり当該国・地域に居住していることの、どれかを満たす必要があるが、国籍は必ずしも必要ないということである。
 別に外国籍の日本代表選手をどうこう言うつもりもないので誤解しないで欲しいが、ただ単純にオリンピックの基準とは違うなと思っていたのでこの機会にきちんと調べてみたということである。

 冒頭であまりオリンピックに関心がないように書いてしまったが、一昨日から競技が始まりだしている陸上競技には否応なしにも関心が行くだろうし、まして決勝まで進める選手がいたら、時間に関係なく“生”で観てしまうかもしれない。
 期待していた女子5000メートルの田中希実選手は予選で落ちてしまい残念であったが、あと私が注目するの日本人が出場する種目は下記のとおりである(選手名は省略)
・男子 100m
・男子 110mハードル
・男子 3000メートル障害
・男子 走り幅跳び
・男子 4×400mリレー
・女子 やり投げ

 今日はオリンピックにあまり関心がなさそうな書き出しであったが、こうして掲げてみると後半は結構“生”で観ることがあるのかも。
 翌日 仕事に支障のない程度に・・。
posted by ヒロイ at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする