2024年06月16日

No.885:終活できる人とできない人

 「自分って時間の使い方がうまくないような気がする」って思うことってないですか?
 基本的には誰しも一つずつ物事を片付けて次へ進んでいきたいと思っているので、何か一つつまずくとその後の予定やしておきたかったことができないままズルズルとずれ込むことがある。
 それは仕事においてはもちろんのこと、仕事以外の日常生活の中でもこういったことの繰り返しであり、それが比較的短時間でできることであれば、多少他のことを後回しにすることによって達成できるが、結構時間を要することであれば、最初の一歩が踏み出せず、なかなか重い腰が上がらない
 私にとって土日は、前の週の行動や仕事の進捗を確認し、そして次の週の行動作戦(それほど大したことではないのですが)を立てるという 区切りという意味で結構重要視しているが、GW明けからこれまでずっと土日に何かしら予定が入り、一週間の区切りがつかないまま次の週に突入するというあまり望ましくない状態がここしばらく続いていたが、この土日は昨日土曜日に短時間の面談とある団体の1時間ほどの月例会議はあったが、他は自分のために使える時間が結構あった。
 ずっとできないまま半年近くが過ぎていた自宅の自分の部屋の後片付けをどこかでやらなければこのまま夏を迎えてしまいそうなので、今日は他のしたいことをいったんは横に置いて、朝から実行に移した。
 私の部屋は家族といえども覗いて欲しくないほど、書類・書籍、そして衣類に身の回り品がところ狭しと散らばっており、「もう少し空間を有効的に使いたい」というより、「生活する部屋としてはもう限界かな」という状態に達していた。
 忙しい時は また時間がある時に整理しようと避けて通ってしまいがちであるが、私はいったん“整理”の作業に入ってしまうと結構思い切って処分する方である。
 服も「地球環境にやさしく」という観点に立てばリサイクルや海外で必要としている方に送るということもしないといけないのかもしれないが、業者を含めなかなかそういった所に持ち込むことができないので、整理後はすぐに処分するようにしている。
 この作業にいったん入ると「もしかしたら使うかも」という気持ちを抱かないようにし、「もしかしたら使うかも」という物は即 処分対象にするようにしている。そうでないと「また使うかも?」なんて考えていたら、大した整理ができないまま終わってしまう。
 私は今日のような不要物を処分する行動って結構好きで、終わってしまえばなんだか別の世界が広がるようで不思議な気持ちになる。大げさに言えば昨日までの自分と今日の自分は違うんだ という感じで・・。ただ、「なんでこんなに物って増えているんやろ」と毎回思ってしまう。

 仕事の中で80代の方に会う機会もあり、終活の話をされる方もあるが、ほとんどの人が終活は進んでいないというのが実態のように思う。
 それは長く一生懸命生きてきたからこそ未練を断ち切れないということ起因するのであろうが、先日 終活が結構進んでいる方と話をしたら、「あとの人生 長くても10年から15年で、自分で動けるのはあと5年。その間に必要なもの以外は全て処分した」とおっしゃっていたが、なかなかこの割り切りができないのが普通の人間であろう。
 先日も相続の仕事の中で実家の後片付けの話が出たが、お母様が90歳で施設に入られ(もちろん終活はせずに)、3年後に施設で亡くなられたので、後片付けは全てご長男がされたそうだが、この労力は並大抵のものではないし、費用もそれなりにかかったとのこと。
 実は私の実家も同じような形で兄夫婦が何日もかけて片づけてくれたが、今はほとんど場合、子世代と同居していない状態なのでこれからこういった大変なケースがたくさん出てくるであろう。
 部屋の後片付けの話から終活の話になってしまったが、一定の年齢になると物の整理だけでなく、いろいろなことにおいて 割り切ることが本人にとっても周りの人にとっても幸福をもたらすのではと考えるようになってきた。
 私は自分では未練派ではなく割り切り派とは思っているが、実際直面したらどうなのかな?
 今日は片付いて少し広くなった部屋(大きさは8畳のままで変わりないが)で寝れるので少し楽しみ・・。
posted by ヒロイ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月09日

No.884:37年ぶりでも相手が分かった

 今年のお正月に大学時代の友人で千葉在住のI君から、「親の相続のことで相談したいんだけど」と突然連絡があり、その後 何度か電話やメールでやり取りし、先週の金曜日にI君と川崎から駆けつけていただいたI君の弟さんも同席のもとI君のお父さんのお住まいがある神戸で、私が声を掛けた京都の司法書士さんも含め 計5人で面談をした。
 大学時代の友人といえば ほとんどがクラブ(陸上競技部)の仲間で、クラブ以外で今でも連絡を取り合っているのは学部が同じ経済学部だった2人だけしかいなくて、学生時代いかにクラブ以外のことには時間を割いていなかったのかということにこの歳になってあらためて気付かされた。
 陸上部の連中は10年程前から毎年夏に交流会があり、可能な限り顔を出しているが、クラブの仲間以外は年賀状をやり取りする以外はほとんど連絡を取り合うこともない。
 経済学部の友人のうちI君以外のもう一人は、10年程前 京都に出張で来た時に突然 事務所に連絡があり、私もたまたま中にいたので、事務所の近くまで来てもらい学生時代を過ごした今出川の近くの定食屋でいっしょに晩ご飯を食べたことがあった。
 今回 連絡をくれたI君は年賀状のやり取りは続いていたものの その年賀状にも最近は住所と名前しか書いていなかったので連絡の取りようもなかったが、I君が私の自宅の電話番号が載っていた頃の古い年賀状を引っ張り出してきて、年始早々 自宅に電話をしてきてくれた。
 I君は学生時代は京都市左京区の岩倉に下宿していたが、3回生の時 彼の実家のある神戸で私の陸上の大会あり、ちょうどその開催日が 彼が神戸の実家に帰っている時と重なり、「その競技場 うちの実家の近くなんで前日泊りに来いや」という彼のお誘いに甘えて、彼の実家に泊めてもらったことがあった。
 その時に世話を焼いてくれたお母さんは7年前に他界されたとのことであったが、お父さんはご健在で、このお父さんの遺言書の作成と今後の財産の管理についてが今回の相談内容であった。
 この日の相談の内容についてはここでは触れないが、その相談が終わったあと37年ぶりの再会を祝し、神戸の三宮駅前の居酒屋でこれまでの人生での出来事や歩み、そして今抱えている悩み事も相手がどう思うのかというビジネス上のシーンではよくある気遣いなど全くすることなく、お互い思っていることを何でも話したが、こんなことは最近ではあまり経験したことがなく、何とも言えないくらいリフレッシュできた。
 実は彼は私の友人の中で一番早く25歳で結婚し、私が友人として出席した初めての結婚式であった。この日 彼は神戸であった結婚式での私のピーチの内容を覚えていてその話もしてくれたが、私は口では「そうやったかな?」と言ったものの 実はその内容について 私の方はほとんど記憶に残っていなかった。

 今回は私が大学を卒業する時に企業に就職せず、税理士になろうとしていたことを覚えてくれていたことから今回の話が始まり、わざわざ千葉から繰り出してきてくれ この日の再開があったことに少し大げさかもしれないが、「私の学生時代もまんざらじゃなかったのかも」なんて 一人で勝手に感慨にふけっていた。
*私が税理士になったことや開業したことは今まで何も言ってなかったが、HPを見て税理士になってるし、独立もしていることを知ったとのこと。
 今回は、実は37年間 お互い顔を見る機会もない中での駅の改札での待ち合わせであったが、携帯電話を使って捜すこともなく、顔を見た瞬間「おー 久しぶり!」と一発でわかったことが何よりうれしかった。
 毎日 時間に追われるような日々を過ごしているなかで、少し大げさかもしれないが元気でいてよかったと思えるような今回の再開であったし、人間って不思議なもので こんなことがあると5歳くらい若返った気持ちになってしまった。
(最後にこっそり)実はこの日 平日であるにも関わらず夕方4時過ぎからビールを飲んだが、こんな経験って社会人になってから初めてなんです。でもこの日くらいはいいですよね。
posted by ヒロイ at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月02日

No.883:先週の移動距離は650km

   先週は仕事とはいえかなりの距離(約650km)を動いた一周間であった。
   月曜日は朝から滋賀県の顧問先を訪問している事務所の担当者が、午後からいっしょに動くというで昼過ぎに米原駅前で合流することになり、私は昼前に事務所を出て 久しぶりの新幹線で京都からこだまで一駅先の米原まで移動した。
   車で行くとゆうに1時間以上はかかるが新幹線だとわずか19分の乗車時間で米原に到着し、新幹線の速さを再認識した。
   乗車前、京都駅新幹線乗り場に溢れんばかりいた外国人は次々とホームに入ってくる東京行のぞみに乗り込んでいくが、私が乗った東京行のこだまの自由席は1車両3人だけで コロナ禍に出張で乗車した博多行のぞみの車内を再現しているかのようであった。

   金曜は相続関連の仕事で署名・捺印をいただくために兵庫県尼崎市のクリニック(顧問先外)を訪問したが、尼崎は近畿圏でありながら行くのは初めてで、車のナビの指示どうり運転していたが、慣れない道なので右折レーンに入り損ねることもあり目的地着くまで結構 四苦八苦した。
  仕事の話が終わった後、この日初対面の院長との話の中で「尼崎に来たのって実は初めなんです。尼崎と聞いて最初に頭に浮かんだのはプロ野球の池山選手でした。」と言うと、その院長先生は、「池山っていうのがヤクルトにおったな。彼は市尼(市立尼崎高校)やな。でもな今はすぐ近くにもっと有名人がいてな、阪神の熱狂的なファンで黄色のはっぴを着て、去年何回もテレビに出とった居酒屋のオバはん(ちょっと言葉使いが悪いがお許しを)の店はすぐそこやで。」と仕事の後とはいえこんな楽しい話で盛り上がった。
  ちなみに帰りは迷わず京都まで帰ってこれた。

  先週の木曜はある団体の依頼で研修会の講師の仕事も入っていたが、多少ヒヤヒヤしながらもこちらは無事終えることができた。

  日は遡るが、火曜は福井県の高浜からの帰る途中 大雨のため高速道路が舞鶴西から丹波まで通行止めになり何年かぶりに一般道(下道)で帰ってきた。
  ただこの一時間半程の一般道の走行中に目の当たりにした光景は、ちょっと失礼な言い方になるかもしれないが、どんどん進んでいく過疎化という感じで何とも寂しい気持ちになった。
  京都府を南北に繋ぐ京都縦貫自動車道が全線開通するまでは、途中にお食事処や喫茶店が何カ所かあったがそのほとんどが店を閉めていたし、以前はよく立ち寄った道の駅もこの日は休業でトイレ以外には自動販売機だけが何台も並ぶだけでさびれた感が漂っていた。
  これは他の所でもたまに目にするが、普段何も考えずに高速道路を利用している時には気がつくこともないことである。
  全国各地で高速道路が新たにできたり、延長した時に見られる変化としては、終点をはじめとし、SA付近だけは多少の賑わいがあるがそれ以外の地域はただの通過点となってしまっている。
  国を発展させるため、そして政治家の成果の一つとして、新幹線や高速道路をさらに延ばすことを競っているようにもみえるが、これが逆に過疎地を増やしたり、地域格差を作り出しているようにも思う。
  日本は何ごとにおいても二重構造が進んでいっているが、くまなく発展させるのって本当に難しいことなんだな とつくづく思ってしまう。

  先週は本当によく動いた1週間であったが、こんな私の1週間の他愛もない話にお付き合いいただいたことに感謝し、今日は終わりにします。
posted by ヒロイ at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする