2024年05月26日

No.882:継承希望者に寄り添うことが意外と新規開業に役立つ

 クリニックの新規開業を数多く支援しているというのが、数年前までの我が事務所に対しての外からの見方であったであろうし、今でも年間 3〜5件は新規開業の立ち上げ支援を行っているが、今では事務所の創業期のように年間10件近く開業支援に関わることはほとんどない。
 私が開業した16年前に開業された先生方の中で医療法人となったり、分院や福祉事業に事業展開された方など、立ち上げ支援からその後の展開へと事務所が関わる業務は少しずつ変化してきている。
 また医療以外の一般企業の税務・経営の相談や相続税の申告依頼も多くなってきているのもここ数年の特徴である。
 そういった中で事業を始められてから10年、20年、中には40年以上も会社を引っ張ってこられたが、やはり高齢であることや体力の衰えから、後継者へ事業を譲られるケースもここ数年 徐々に増えつつある。

 一定年齢以上の経営者との話はこの事業の承継ということが非常に重要なテーマになり、今まで築き上げてきたことを誰に、そしていかに引き継いでもらうか悩んでおられる経営者も何人かいらっしゃる。
 こういった話をある一面から見てしまうと事業の終い方の話と捉えてしまいがちであるが、様々な業種、いろいろな年代の人と関わっていると、この終い方をいっしょになって考えたり、長くトップを走ってきた経営者の生き様を振り返ることが、実はこれから新規事業を始められる方の支援に役に立つことがある。
 どういうことかというと、若い経営者が事業が軌道に乗った後 どういった10年後、20年後を描いておられるかは人によって違うが、創業(開業)支援の話をする中で「成功された○○先生のように」とか、「しっかり稼がれた□□社長のように」というタイプ別に今までの経験を踏まえて若い方々に理想像を示すことができる。
 これって私自身も若く、周りは創業歴の浅い方ばかりだった頃は先のことは読みにくかったが、長年この仕事をしていると方向性を聞いて、過去に成功した人の事例をその人に合うように部分的に取り入れること、言い換えれば“まね”することで結構いい形ができることもある。
 これまであまり経験というものに主眼を置いて事務所経営をしてきたつもりはないが、顧問先や相談に来られる方の年齢層が20代前半から上は80代後半くらいまで、年々その幅が広がってきているのも私が長くこの業界で仕事をしてきたからなのかなと思っている。
 自分の知識や経験だけでは仕事の広がりは一定の範囲までであろうが、こうして、周りの方々につられ、そして事務所のみんなに引っ張られながら手の届く範囲を広げているというのが実態であろう。

 今日のタイトルにあるように、若い経営者にも過去の成功事例をいかに伝えるかが重要なことになってくるし、ずっと先のことかもしれないが将来どんな60代、70代、そしてそれ以降の人生を送っていきたいか非常に参考になることがある。すべて実話ですから。
 ただ、時代の変化が速すぎて過去のことが今は通用しないということも数多くあるということは、常に肝に銘じて 過去にはなかった新たな手法を見出していくことも成功するかどうか重要なポイントとなってくるであろう。
 こうして考えると本当に事業のかじ取りは非常に難しい時代になってきたし、経営のかじ取りを誤れば3年後には姿を消している企業だってある。
 何とか繫栄する企業やクリニックを1件でもたくさん作りたい、そして関わり続けたいというのが、私自身 開業時から今もずっと思い続けているが、これってこちらも結構プレッシャーがかかります。ただ これを楽しみにするぐらいでないといけないのかもしれませんよね。
 まだまだ学ぶことはいっぱいありますね。いや本音でいうとたくさんありすぎ・・・。
 そう思いません。どんどん新しいことが出てきますから。
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2024年05月19日

No.881:日本の中で80℃も気温差がある?

 “日本一暑いまち”を売りにしている埼玉県の熊谷市は過去には他のまちに逆転されたこともあるが、2018年に首位の座?を奪回してからは現在も日本の最高気温の歴代第1位である。
 実は2020年に静岡県浜松市も熊谷市の41.1℃に並び、現在2つのまちが首位に並んでいるという状況である。
 実は先日 ニュースで熊谷市の百貨店前に夏季限定で大温度計が設置され、熱中症対策で各自治体が頭を悩ましているという中で、夏の暑さを競うのを街全体で盛り上げようというなんとも不思議な取り組みが行われている。暑すぎるのもまちの知名度を上げるのに一役買っているという実態がこのことからもうかがえる。
 個人的には確かにこんな暑い所には行きたくはないが、中にはどんな暑いのか体験してみたいという変わりダネもいるかもしれないし、とにかく暑さも大事な街おこしといったところなのだろうか。

 例年夏になるとニュースでは「今日の最高気温は〇〇市の□□℃でした」というニュースが飛び交うが、私は関東内陸部である群馬県の桐生、伊勢崎や埼玉県の越谷が頭に浮かんでくるし、同じく海のない県である岐阜県の美濃市や多治見市もよく耳にする地名である。
 私の中では2013年の時点で急にトップに躍り出た高知県四万十川流域の江川崎や現在トップに並んでいる浜松なんかは川や海も近く 涼しげなまちの印象もあるのでこの2つの最高気温は意外な記録である。
 私は小さい頃から日本地図を見るのが趣味と言っていいほどの地図っ子、地理っ子だったので、日本で一番暑かったのは1933年に山形市で記録した40℃超え(正式には40.8℃)というのが小学生の頃からずっと記憶に残っていて、当時 学校の先生に「なんで東北なのにそんなに暑いのか」と質問したところ、「夏に日本海側で起こるフェーン現象の影響で急激に気温が上がったため」とフェーン現象の意味を交えて教えてもらったことを今でも覚えている。
 当時は真夏でも32℃、33℃くらいになるとやってられないというような状況だったと記憶しているので、この40℃というのは人間が溶けるのではと子供心に心配したこともあった。
 この山形市は2007年に岐阜県の多治見に抜かれるまでなんと74年間も一番暑いまちを死守してきた。

 暑さのついでに寒さも調べてみると日本の観測史上最も低い気温は1902年に北海道の旭川で記録した-41.0℃であった。
 今 時期的に寒さのことはあまり関心がいかないが、日本の中で上下80℃の差があることに驚き、日本って小さな国なのに「すごい」と思ってしまった。
 われわれ日本人はこの80℃の差の中で生活していると考えれば、夏に5℃上がったとか30℃になったなんていうのは決して驚くようなことではないなと捉えることもできる。
 ただ 地球の温暖化により私が子供だった頃とは地球も日本も様変わりしてきているのは誰しもが肌で感じることである。
 今日は仕事には全く関係のない話しであったが、日本の中のいろいろなまちを思い浮かべたり、季節を感じたりするという面では、こういった話は自分では久しぶりにウキウキする楽しい内容であった。

 今年は夏の甲子園も数日ではあるが日中の中休みをとるという初めての試みもあるし、どこもここも熱中症対策には万全の注意が必要となってきている。
 甲子園の暑さ対策は各方面で毎年論じられるが、実は野球以外のほとんどの種目が対象となる全国インターハイも真夏に行われ、陸上競技も福岡市で7月29日から開催されるが、このインターハイの暑さ対策ってあまり聞こえてこない。男子5000mや女子3000mの選手への負荷は甲子園以上のようにも思いのだが。

 暑さも徐々に本番に近づいてくるようだが、しっかり暑さ対策をして何とか夏を乗り切りたいものである。
 まだ5月なんですが、毎年夏が早まってきているように感じてしまい、「春がない」というのが実感です。ただ、気のせいか今年は今のところ少し過ごしやすい日が続いているように思うが私だけですか これって?。
 ただ この後はどうなるのか 月曜日からが心配です。
 では、今日はこのへんで。
posted by ヒロイ at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月12日

No.880:熱い社長との1時間半

 先日 個人的に付き合いのある会社の経営者が事務所に相談に来られた。
 顧問先ではないのでその会社の経営内容までは知らないが、15年以上も前からお付き合いがあり、たまにいっしょに仕事をする機会もあるという間柄であるがお互い取引関係はないので気兼ねなく話し合える仲間の一人である。
 私の場合は同業者である税理士とは本当の意味で腹を割って話せる人はそう多くないし、顧問先に多いお医者さんは 仮に顧問先でない先生であっても何かの関係で仕事に影響するのでは と何かしら無意識のうちに構えて話をしている自分に気付くことがある。
 そういう意味で今回の経営者は本音で話ができる方である。

 この方の会社は40人ほどの社員を抱えておられるが、創業者ではないし、また創業者とは全く血縁関係もなく いわゆる就職した会社の中で上り詰めて社長になった方である。
 中小企業の二代目あるいは三代目として社長なったという私の周りに多い形とは違う形で社長になられた方で、年齢も50代前半なので、年齢的にも世間でいう一番 脂の乗ってきたいい時である。

 こういった経営者にとってはやはり社員や取引先からの”求心力”をいかに高められるかでということで悩んでいるとのことであった。
 私も経営者になって16年目の身なので、あるべき経営者像なんて語れるはずもなく、日頃 自分が気をつけていることや何かの節目で判断しないといけない時、何をもって決断を下していっているのかということを話した。
 ここでその内容を全て語るわけにはいかないが、5〜10人の組織であれば まだまだ社長の一存ですべてが決まる いわゆるワンマン経営であっても経営は成り立つが、最低でも15人以上の人数になると自分一人では把握できないこともたくさん出てくるので ”人に任す”ということが重要になってくる。
 ただこの ”人に任す”ことと、経営者の意思を社員にいかに伝えたり、社内にいかに浸透させるかということとの狭間での自分の立ち位置を考えり、どのタイミングで決断の下すのかという点では本当に難しいものがある。
 私自身も答えを持ち合わせていないが、この術に長けた経営者こそが会社を大きく展させていっているのだろうと思う。
 私がスタッフとの関係で心掛けているのは、お気に入りに人とそうでない人と というのを作らない、別の言い方をするとすべての人のことを気に入る、これって一見難しいように見えるが、「こいつのいいとこどこだっけ?」なんて考えていると自然に身に付く芸当である。
 もしかすると人間は元々あら捜しが好きな動物なのかもしれないが、その逆をすればいいだけであるし、決して全てを褒めちぎるわけではなくダメなものはダメとはっきり言える関係さえ作っておけば、恨んだり憎まれりすることもない。

 この日 この経営者は、「社長経験も浅いので、まだまだ知識が不十分である経営数値の読み方を学ぶことに重点を置こうと思っているんですが、この考え間違っていないでしょうか」と私の方へ問いかけられてきた。
 私は自分の過去の経験に思いを馳せて、「もちろんそれも大事ですけど、経営者が勉強しないといけない分野は限られたものではなく 全てですよ。特定の分野だけ学んだって経営ができるわけではないし。ただ知識は向こうからやってきて頭に入るものではないですから取りにいかないと。全ての分野において。」なんて偉そうに答えた。自分はたいしてできてもいないというのに・・・。
 どんな事業でも日々動いていて、常に何かが起こってしまうので、それに対処しているだけで1日、そして1週間があっという間に終わってしまうことだってある。
 言い訳するとこういった行動こそが、自分を進化させているのかなと勝手に良いように解釈している。

 この社長との話の中で何か結論が出たわけではなかったが、久しぶりに本気で顧問先以外の方とじっくり話ができ、熱いものが頭に残る1時間半の時間であった。
 あらためて考えると刺激がないと進化も進歩もしないなというのが結論のようである。

 今日は朝からすっきりしない天気である。
 講師を引き受けている3つのセミナーの準備をしながら少しゆっくりと と思っていたが、こんなブログを綴ったがために「あれもしないといけない、これもしないといけない」なんて仕事の進捗状況に目を向け、自分を焦らすような休日になってしまった。

 今日はカミさんが、「ポポ(ワンちゃん)の散歩頼むで」と言って早朝から出かけているので、もう少しすると朝に続いて夕方の散歩に出かけることになる。  
 実は休日のこの散歩の時間 結構好きなんです。では・・。
posted by ヒロイ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月05日

No.879:京都に日本人は来なくなった?

 今日は5月5日 こどもの日であるが、GWも明日の5月6日を残すのみとなり、毎度のことであるが大型連休の後は大変な日々が待ち受けているのだろうと段々と心のどこかに暗い気持ちが押し寄せてくる頃である。
 休み中は京都市内での移動はあったものの京都から出ることもなく、私個人としては比較的落ち着いた連休であった。

 観光都市と言われている京都であるが、外国人観光客の多さには慣れたとはいえ、ふと「ここはどこ?」と思ってしまうこともある。
 観光地のバス停、その中でも私が仕事の関係でよく通る二条城前では外国人の中に少しだけ日本人の待っている というのはおなじみの光景になってしまったが、外国人観光客が大幅に増加した裏では、日本人観光客の京都離れは進んでいるという記事を目のしたことがある。
 データに目をやると、京都市の宿泊者数の外国人比率は47%と宿泊客のほぼ半分は外国人という驚きの数字であり、桜や紅葉の季節は外国人観光客の比率はさらに高まり、50%を超えてきているらしい。
 その背景には円安の影響もあり、外国人にとっては「日本は安い」、「京都は安い」というのが実感であろうし、この金銭的な感覚は日本人とは真逆の受け止め方であろう。
 宿泊施設の平均客室単価もコロナ前の水準と比較すると25〜30%近くアップし18,204円となっているが、驚きはそれだけではなく、花見の季節の4月に限ってみると、22,451円と驚きの金額である。
 私の東京の友人も昨年の秋に所用で京都に来た時には、予約を取ろうとした二つのホテルが満室でやっととれたホテルはシングルで4万円近くしたと驚いていた。
 「噂では聞いていたけど、そりゃそう簡単には京都に来れないよねー」という言葉が今の日本人の気持ちを代弁しているようであった。

 以前は東京に行くと「そうだ京都へ行こう」というJR東海のポスターが東京駅にたくさん貼ってあったが、今はどうなっているんでしょうね。そう簡単には京都へは行けないないもの・・。
 この現象を見てみると修学旅行もなかなか京都には踏み込めないだろうし、どうしても京都にという方にとっては、京都観光をして京都以外で泊まるという形も増えてきているらしい。
 街中を走る観光バスも半分以上が外国人旅行客を乗せたものになっているし、修学旅行だけでなく、そう言えば おっちゃんおばちゃんや老人会などの日本人の団体旅行客なんてほとんど見かけなくなって久しい。
 もうコロナのようなことはないだろうが、国内の旅行客から見放されていく状況の中で京都、特に観光業界の行く末はどうなっていくのであろうか?
 オーバーツーリズム(観光公害)の問題もいろいろと対策は打っているようであるが、なかなか根本的な解決には至ってないようである。

 以前は“京都の人” という言い方で京都以外の人からは多少うらやましがられるようなこともあったが、これからは 京都の人 と聞くと「大変そうですね」って言われるんでしょうかね。
 「これからどうなる京都、どうする京都」、こういった問題は京都の一市民としては、明るい未来ばかりではないし、どちらかというと「住みにくい京都」に向かっているような気がしないでもない。
 観光業界をはじめとし、京都の経済界が潤うことは財政的には重要なことであろうが、住まいとの共存という点ではなかなか難しい問題である。
 祇園祭をはじめとするいくつかの大きな行事も少しずつ趣が変わってくるように思うし、我々が変わっていくことも必要なのかな? なんて弱気な一市民になってしまっている部分もある。
 今や「日本人の憧れの街」から「世界の人が憧れる街」に変わってきているんでしょうね。
 でもこれって“住む”ための憧れではないですしね。行ってみたい場所と住んでみたい場所 ここには大きな隔たりがありますから。
 住みにくい街ランキングの上位にならなければいいんですがね。
posted by ヒロイ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする