2024年04月29日

No.878:“夢の蓄積は正夢になる”

 GWは3連休+3日間仕事+4連休で いわゆるカレンダーどおりとなっており、今日は最初の3連休の最終日である。
 長期の旅行をする予定でもあれば、真ん中の3日間を休日にすると10連休となり、海外も含めほとんどの場所への旅行が可能となるが、そんな予定のない私にとっては途中の3日間の営業日で少し仕事も進められ、また全体としては結構休みも多く なかなか並びのいいGWという感じである。

 休み中とはいえ仕事の話になってしまうが、先日 本当に久方ぶりに顧問先から契約解除の申し出があった。
 その顧問先は開業10年近くになる医療機関で、業績は悪いわけではないが もう少し上を目指してもらおうという意味も込めて、私共から考えられる増患対策を提案したり、実行したりしているものもあるが、ここ数年 収入も所得もほぼ横ばいで推移し もう一歩抜きんでられないという状況が続いている。
 過去において医療法人化の相談もあったが、現時点ではそれほどメリットがないので個人のままで事業を続けられてきた。
 今回、あるコンサルさんに相談された結果、クリニックの移転と医療法人化を提案されたとのことであったが、私は経営数値を見る限り 現時点ではまずはスタッフの雇用の安定化を図りながら、多少新しい分野にも手を広げつつ、一方ではコロナ禍に借りたそれなりの固まった金額の借入金をまずは順調に返していくことが第一優先である と何度か説明をしてきた。
 ただ今回の解約の理由を聞くと、私共が経営規模や現状分析の結果を踏まえた 多少のブレーキも効かせながら一歩一歩階段を上がっていくようなアドバイスではなく、結果的には次なるステージを目指して、もっともっとスピード感を持ちながら駆け上がっていくためのアドバイスや後押しが欲しかったのではという気がする。多少の無理があったとしても・・。
 今回の話を聞いて、従業員の定着、停滞気味の収入など目の前に早急に解決しないといけない問題も残されているので、正直 今回の決断は多少冒険かなと思わないわけではないが、このドクターにとって私の堅めの考え方だけでは自分の思いが実現しないと思われたのであろう。

 実は私が16年前に開業した時にHPの所長のあいさつで “夢の蓄積は正夢になる” と書いていたことを思い出した。
 「・・・・・私共は、一人一人異なる夢を抱かれているお客様(顧問先)に対して、それぞれの方々の“夢”や“想い”をお聞きしながら、その実現のためのお力になれればということです。・・・・・一人でも多くの方の“夢”が“正夢”になるように。」
 私自身も開業して間もない頃は自分が食べていけるかどうかわからなかった中で、やはり熱い思いや夢を持っていたんだなと当時のことが頭に浮かんできた。
 今回 顧問契約が解除された原因は一つだけではないかもしれないが、こちらからのアドバイスではこのドクターの夢を実現しづらくなっていっていたんだな と反省せざるを得ない。
 このドクターは電話口で私に対しても10年間の寄り添いながらお付き合いをしていただいたとお礼もきちんとおっしゃった上で、「私の夢であるクリニックの移転と医療法人化をかなえてくれそうなコンサルさんと税理士さんが見つかったんです」と悪びれる様子もなく、普段 おとなしめの方であるのにこの時はこちらにも躍動感が伝わるような声で電話の向こう話されていた。

 事務所として10年近いお付き合いの中で、いろいろな相談にも経営指標の分析結果を踏まえた上で回答していたが、もう少しご本人に熱い思いにも耳を傾ける必要があったのではと反省する部分がないわけではない。
 ものごとが実現するには、運やまぐれででできるものではなく、目標達成に向けた綿密な構想と誰にも負けないくらいの熱い想いが必要であることは私自身が一番わかっているはずなのにその意が汲めなかったとは少々情けない気もする。
 正に “夢の蓄積は正夢になる” と言ってたのは私自身のはずなのに・・。
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2024年04月21日

No.877:国スポ(国体)は廃止されるのか?

 スポーツ選手、特に甲子園が目標である球児以外の高校生にとってはインターハイと並んで憧れであり、目標であった”国体”は、今年の佐賀県で開催される大会から名称が変わり「国民スポーツ大会(国スポ)」となるらしい。
 我々の世代にとっては国スポよりも国体の方が馴染みがあるし、私もかつて田舎の高校生としては珍しく京都市内の強豪校の選手を破って出場した時は、「増生君 国体でるんだって」とか「国体選手やな〜」と言われるのが何とも言えないうれしさというか、誇らしい気持ちだったことを覚えている。
  “国スポ選手”と言われてもまだ馴染みがないので、「それって何?」という感じがしないわけでもないが、これも時代の流れなので致し方ないのかもしれない。ただ この大会名の変更は正直少し寂しい感じがする。
 その名前を変えた国スポを今後 継続するか否かという議論が現在行われだしている。
 主な理由は、日本の中で起こっている都市部と地方の格差、つまり選手層や開催する都道府県の財政力に差があり過ぎて、人口が少なかったり、財政力の小さな県では開催することの負担に耐え切れないという問題が発生してきているようである。
 こういったことを捉えても、本当に日本は力がなくなってしまってきているな、そして国内でのいろいろな局面で格差が広がってきているなと思わざるを得ない。
 また、世界に目を向けてもGDPは長年 アメリカ、中国に次いで世界第3位であったのが、昨年ドイツに抜かれ第4位、来年にはインドに抜かれ第5位となることが確実視されているようである。
 ここまでなら日本も人口減少国なのでやむを得ないかなという気もするが、将来に目を向けると約25年後の2050年にはインドネシアにも抜かれ第6位、そして50年先の2075年には12位となるという予測が出ている。
 今の若い人にとっては「それがどうかするの? 」、「私たちに何か関係あるん?」と一蹴されそうであるが、小さい頃から日本はこんな小さな国なのに国力はアメリカに次いで世界第2位ですごいんだぞ と教え込まれてきた我々の世代にとっては今後日本はどうなるの? と先のことを考えてしまう。
 ただ、その頃 私はこの地球上にいないのでそんな心配をしても仕方ないのだが、一応 子供や孫も含め次なる世代のことが気にならないわけでもない。

 GDPや国力の話はさておき、国体の話が出てきたので私が国体に初出場した高校1年生の時のことを少しだけ綴らせていただく。
 国体は学年や年齢によって出場できる選手が分かれており、少年Aというクラスは、今では中学生も出場可能となっているようだが、当時は高1のみが出場できる登竜門的なクラスで、トラック競技では200mと3000mしかなく、400mの選手だった私は京都府予選では200mに出場した。
 下馬評では100mでNo1の東山高校 黒川君、200m No1の洛南高校 中村君の一騎打ちかなと京都陸協のコーチ陣も思っていたらしいが、400mでは私も一応 京都府の高1 No1であったとはいえ、片田舎の公立高校の私はよくても3位と思われていたらしい。
 それがまぐれか実力かは分からないが、何と私がトップでテープを切ったので各校の先生方はびっくりされたと後で聞かされたし、当時私の高校の顧問の瀬野先生がゴールをした私の所に飛んできて、「廣井、してやったりだな」と私と握手するのになんとも誇らしげに手を差し出されたのを覚えている。
 長野県の松本市で開催された やまびこ国体の開会式には京都府のユニフォームを着て京都府選手団として、開会式に出たのを今でも鮮明に覚えている。晴天であったが少し肌寒い 忘れもしない 昭和53年(1978年)10月15日のことである。
 確かにスポーツにあまり興味のない人であれば、こんな話はそれほど関心もないかもしれないが、私のようなに 学生生活=クラブ活動 という者にとっては本当に貴重な体験であり、その後7年間 陸上に没頭するきっかけにもなった宝物のような思い出でもある。


 話がえらいところに飛んで、最後は私の自慢話?になってしまったが、国スポ(国体)廃止の議論がされるたびに寂しい気持ちになる者もいるということで今日の話はお終いにということする。
 独りよがりかもしれないが、若い頃のことを思い出すと何だか体が元気になってきたような気がする。何とも単純ですね私って。
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2024年04月14日

No.876:事務所の個人面談は終わった後の方が大変

 事務所の幹部3人が先週の火曜日から金曜日まで 4日間かけて、パートを含む18人の従業員と個人面談を行った。
 1人30分を目安としているが、15分程度の人もいれば、中には50分を超えるような人もあり 人によってさまざまであった。
 事務所開業以来 一昨年までは、私が所長面談という形でみんなと個人面談を行ってきたが、全ての人に対して周到な準備が十分できてから面談を行っていたとは言い切れず、またその面談もそれほど深く内容ばかりではなく、中には形式的な面談だけで終わった人もあった。
 それが昨年からはスタッフも多くなってきたし、せっかく面談するのであれば、双方 頭の中もきちんと整理した上で面談した方が、面談結果を今後に活かせるのではという思いから、事前に渡しておいた質問シートに対しての回答を提出してもらった上で、面談に臨むように形を変えて面談をするようになった。
 今年はこの形式になって2回目なので当然のことながら今回の回答書だけでなく、昨年のものも比べながら面接を進めていくことができた。
 面談の内容はそれぞれ個人的なことも含まれているので ここでは触れないが、昨年の回答書に書かれたことがどこまで実行に移せたか検証しながら面接を進めていった。
 こんな時に当然のことながら過去を振り返って検証することの大切さも感じながらも、過去を振り返るだけでなく、いかに次の一年を過ごしていくかを考えることが重要であるかということも感じた。
 これは 家庭や仕事を含む日常生活だけでなく、過去では受験勉強もそうであったように「過去を振り返ることはどこまで必要なのか」と誰しもが悩む部分でもある。
 何が言いたいのか少しだけ整理をしておくと、過去を振り返ることは重要であるが、過去にこだわりすぎるとなかなか前に進めない場合もあり、この切り捨てていい過去とまだまだ頭の片隅に置いておかないといけない過去の振り分けが結構難しく、またこの部分は人によって違うなと感じたところでもある。
 新たなことに取り組むときには、過去の反省点を踏まえてというのが一般的であろうが、逆に過去を引きずることなく、断ち切って新しいことに取り組むことも大事なような気がするし、これによって新しいことに対しての加速力・推進力は大きな差が出てくるように思う。
 世の中の動きは想像している以上に早く、我々の業務もその動きに取り残されないようにしないといけないし、会計や税務の知識の積み上げやメンテだけでなく、いろいろな事務所の業務において、「あの事務所 まだあんな方式のままやってるで」なんて言われたら、顧問先もそして事務所のスタッフもその船にいっしょに乗って進んでいこうという気が失せてしまうのかもしれない。
 今回の面談でも個々の考え方や改善すべき点についてはそれなりに話ができたし、「IT化に乗り遅れないようにしていきましょう、そのためには〇〇も導入して・・」、「○○の業務にも関わっていかないと・・」という次を見据えた意見を言う人も何人かいた。
 面談は当然のことながら される側の責任もあるが、面談をする側の責任の方が何倍も重要であるように思うし、その面談での意見をいかくみ上げて、いい方向へ向かうように活かしていくのは経営者の重要な役割である。
 すぐさまできることから、1年がかり、あるいはそれ以上の日数を要することもあるが、目の前に課題は出揃ったので、近日中にその対応策を検討、そして決定し、実行に移していかなければならない。
 面談って実施前の準備も結構大変であったが、実は面談後の方がずっと大変で、重要であるということは今までの経験からもよくわかっている。
 みんなから「言うだけ言わせて」とか「聞くだけ聞いといて」なんて思われてしまったら、面談の意義は全くないし、「しない方がまし」なんて思われてしまったら、意義どころか経営上 大きなマイナスとなってしまうこともある。
 昨年の面談記録を見ても事務所側が手を付けずにほったらかしのものがあったのも事実であるので、検証と反省は不可欠である。
 それにしてもいろんな提案があったし、みんないろいろなことを考えながら仕事をしてくれていることがわかり、こちらが身の引き締まる面接であった。
 最後に感想を一言、「みんな真面目やな」。
posted by ヒロイ at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月07日

No.875:相続の仕事って本当に考えさせられることも多いな

 最近 相続税の申告業務の依頼をはじめ相続に関する相談が非常に多い。
 相続と聞けば以前はついつい資産家というイメージを抱きがちであったが、最近の相談は、「多額になりそうな相続税をどうしよう」という税に関する事前相談や申告の相談だけでなく、「財産の分割(取り分)で揉めそうだ」とか、「親が認知症になってしまいそうなので事前に手を打つべきことは」という誰でもが直面しそうな相談も結構多い。
 ここでは相続税の節税対策や相続発生以後の申告に向けての話は少し横においておくが、いろいろな方々の相談を受けてまず思うのは家族関係が複雑になってきているなということである。
 少し古いが家父長制度であった頃は、相続財産の件に関しては良くも悪くも長男がとか跡取りがということで比較的揉めることなく決まったのであろうが、現行法の下ではそんなことは許されないし、当然のことながら 法に則った形での結論や導きが基本となる。
 相続人も全国あちこちに散らばっているケースも珍しくないし、職業も親の跡を継いでいるなんていう人はほんの一握り、たぶん数パーセントであろう。
 そういう意味において多かろうと少なかろうと財産をどう分けるのがいいのかというの親側の悩みも多いような気がするが、こういった時に後々 意外と厄介になるのは親側の意向がコロコロ変わるケースである。
 以前は長男に多めにとおっしゃっていた方が、あることがきっかけで長男にだけは財産を相続させたくない と1、2年前におっしゃっていたことと正反対のことを口にされる方に出会ったこともある。
 私も親は両方とも亡くなったので今後 親から相続を受けることはないが、財産があるにせよないにせよ、被相続人になることはあるので目の前で起こっている相続案件はいろいろな面において非常に勉強になる。
 少しだけ話を戻すが、
 先程も親側の態度や気持ちがフラフラして定まっていないことが相続で揉める要因になりかねないと言ったが、60代ではまだまだお金もいるし、自分が生きていくのが精いっぱいなのでなかなかそこまでは決めきれないかもしれない。
 ただ、70を過ぎるころからはある程度 道筋を決めておく必要があると思うし、80を過ぎてからでは自分の考えの整理もなかなかつかないこともあるし、相続で一番困る 感情に左右されがちになるというのも80代以降の方が多いように思う。
 亡くなってしまえば、本人は何もわからないと言ってしまえばそれまでであるが、やはり子供や孫たちがたまには思い出したり、離れて暮らしていれば毎年とは言わなくとも1、2年に1回くらいは墓参りに来てもらえれば、生きてきてよかったと言えるのであろう。
 私の周りにも親子、兄弟で揉めて墓参りや法事にも顔を出さない、あるいは出せない関係となってしまっている方もいらっしゃるが、揉めているのは子供たちだけのせいだけではなく、親が生前にきちんと親子間や兄弟間等の親族関係の整理ができていなかったことがその最大の要因であることは間違いない。
 相続の仕事をしていて、財産のことなので全てが平等ということにはなかなかならないが、それぞれの相続人が100%とは言わないまでも、一定のところまでは納得して判を押される相続案件に関わった時には、いいお手伝い、いい仕事ができたと私の方まで亡くなった被相続人に対して「よかったですね」と思わずつぶやいてしまう。
 
 話し話だけに少し熱くなってしまったが、仕事柄 今後いろいろなケースに遭遇するであろうが、いい形での終い方ができるようにするのも私たちの仕事の役割の一つかもしれない。
 長寿社会になってきてはいるが、それと同時に亡くなっていく人も非常に多いように思うし、事務所で抱える相続の事案も今まで以上に多くなってきているので、そういった相続の仕事をしながら、その奥深さを以前にも増して感じる機会も増えてきている。
 人の死に際が取り上げられるケースはほとんどないが、人間って死に際が一番大事なんだろうな 手を休めながら考えている。
 今日は休日であったが、どうしても落ち着いて静かな中で仕事がしたかったので事務所に出向き、亡くなった方から何度も手を握られたことを思い出しながら申告のための資料整理をしていた。
 若い人には申し訳ないが、親の立場、子の立場 両方経験していることも役に立っているんでしょうね。
 人生 いろいろあるものね。
posted by ヒロイ at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする