2024年01月28日

No.866:実は新聞が好きなんです

 新聞の購読率は年々下がってきており、今の若い人からすれば、「まだ新聞 読んでいるんですか?」と言われかねないが、確かにその数値は調査媒体によって差があるもの 家でとっているのはもはや50%前後と言われているし、30歳以下の世代では25%くらいのようである。
 私は自分で言うのもなんだが、新聞が好きで 毎朝2紙を6時過ぎから約1時間以上かけて読んいるし、月に1回ある新聞休刊日の朝は少しだけ物足りなさを感じてしまし、週に1回くらいあるが、ニュースや自分が知りたいネタが多い時は朝の出勤までには読み切れず、夜仕事から帰ってから続きを読みときもある。。
 新聞をとったり、読んだりしていない人からすれば、「ニュースなんてスマホかパソコンで見るもんでしょう」と言われそうであるが、毎朝 新聞を広げて左右の二面に目をやると、細かな記事も含めてるとざっと20くらいのニュースが瞬時に目に飛び込んでくるので、ネットで見るのよりも 幅広い内容のものをいろいろな角度から感じ取ることができるし、見出しの大きさやどのあたりにかかれているかによってニュースの重要性が分かるというのも紙の新聞でしか味わうことのできないことである。
 もちろん全ての記事を隅から隅まで読むわけではないが、これは読んでおきたいとか、このことは頭に入れておかないと と思うところは、割と細かな内容までしっかりと目を通すようにしている。
 早く知りたい、詳しいところまで頭に入れたいという強いので、決して義務感で読んでいるのではないし、今日のタイトルのようにただ単に新聞が好きなんだと思う。
 ただ、事務所を開業して間もない頃、忙しくて新聞を読む時間がなく、リビングのテーブルの上に一週間分を積んで置いていたのを週末にまとめ読みしたことがあったが、この時は読むのに2、3時かかり結構苦痛であった。
 新聞にもよるが大体28〜32ページくらいあるし、日経なんか42ページ(手元にある土曜日のもの)近くあるのでゆっくり読みふけっていてはとてもじゃないけど1時間で2紙なんて読み切れないというのが本当のところである。

 先日 新聞の下の方に目をやると、事務所のすぐそばの建設中のマンションの広告が載っていた。
 もちろん買うつもりはないが、毎日のように前を通るのでいくらくらいなんだろと思っていたら、新聞の広告欄に≪50〜75uで6,000〜8,000万円、駐車場なし≫と載っていて、「高いな 駅から5分やしな」とその金額に驚いた。
 確かに今や新聞の情報は他の媒体に比べると即時性という点においては劣っているが、後々しっかりと頭に残っているのはネットニュースではなくやはり新聞の記事である。
 私も日中 時間があるとき、スマホやパソコンのネットからの情報にくまなく目をやっている方だと思うが、最近のあの「書き込み」とか「口コミ」というのが嫌で嫌で仕方がない。
 責任の所在もはっきりしない奴らが言いたいことを言うのには呆れてもものが言えないというか、あほらしくて読む気にもならない。

そうそう
 最後に今話題の松○人○の騒がれている件で、その内容や今後の動向には全く関心はないが、この人のことで数年前からずっと思っていたことがあったので、このタイミングでこの場を借りて一言。
 この人 テレビに出る時は結構ネクタイをしていたが、ワイシャツの第一ボタンを留めて、シャキッとネクタイを締めていたのを一度たりとも見たことがない。前を開けてネクタイをだら〜んとぶら下げて姿ばかりで・・。これも着こなしのひとつなんですかね。
 もし しっかりとネクタイを見ているのを見たことのある人は教えて下さい、あったらびっくりするけど。
 ネクタイってぶら下げるものではなく、締めるものと思っているが、この考え方自体が今の時代にマッチしないでしょうかね。
 段々、おじさんの現代社会に対する批判のようになってきたのでこれくらいにしておくが、これからもいい読み物をしっかりと選んで、自分の考え方も形成できるようにマスコミやメディアと付き合っていきたいものである。
 では、また一週間後まで・・。
posted by ヒロイ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月21日

No.865:厳しさが伝えられる経営者

 2020年12月に中国の武漢でコロナの第一例目が報告された後、わが国でも2021年2月中旬から瞬く間に国内全域に感染が広がり、そこからの2年間は正に“暗黒の2年間”であったが、今から思えば「あの頃は」と言えるくらいかなりの日数が経ったような気がしないでもない。
 特に昨年の春までの約2年の間にコロナで世の中が大きく変化したし、人間としての生き方も随分変わったと言っても過言ではないように思う。
 我が事務所の顧問先もコロナの初期段階では、ほぼ全業種で収入が激減し、中には資金繰りがひっ迫する顧問先も何件かあったが、何とか持ちこたえて 1件の脱落者も出さずにここまで事業を継続されているのは何よりである。

 ここへきて一見 落ち着いて見える世の中になってきたような感じもするが、いろいろなところでコロナの影響は残っている。
 先週 ある顧問先のドクターにコロナ前とコロナ後のクリニック経営の違いについて話を聞く機会があり、患者の動向、コロナ対応の診療報酬改定、感染拡大により従業員の確保も困難になったこと等 当時の状況を思い出しながら いろいろな方面へと話へ内容は広がっていった。
 この時に面談したドクターは、しっかり収益を確保して、可能な限り従業員に還元するというのをモットーとされており、症例の研究は当然のことながら、経営的な観点に立って患者や従業員にどう対処すればいいかも常に考えられておられ、毎月の面談は今後の取り組みの相談も含め非常に中身の濃いものになっている。
 先週の面談時にも そのドクターからの話は意外な内容であった。
 コロナ初期は、患者減もあるが何とかみんなで乗り切っていこうといろいろな相談を重ね、クリニックとしてでき得ることは全てされてきた。
 その後は、世の中の人から見れば「えっ、そうなん?」と思えるほど診療報酬の加算や補助金・支援金で収入が増えたことにより、わずかの期間ではあったが収入は増加に転じたので、その増収分の多くを従業員に還元されてきた。それは時間超過の残業代とは別であったので給与が通常月の1.5倍近くになる人もあった。
 それが・・。
 今のように平時になると給与は元に戻っただけであり、もちろん基本的な給与を減額されるようなことはないが、従業員に還元されていたコロナ増収分の特別手当はなくなるので 従業員のほとんどの人の手取額は減ることになり、中にはコロナ期があまりにも手厚かったので25〜30%ほど給与が減った人もある。
 給与の減額の理由はある意味当然のことではあるが、やはり“減る”ということをどのように説明しようかと考えていかれる中で、あの時の異常な忙しさと平時の現在との違いをきちんと認識してもらうことが大事であると考えられ、患者数は今のところそれほど大きく変わらないが、今後は患者の目が一層厳しくなったり、患者対象となる疾患が流行しなかった場合には、収入は間違いなく減少に転じることを過去のデータをもとに自らスライドにまとめ、毎月の定例会議で全従業員に報告された。
 こういった目の前にある経営状況の変化をきちんと伝えることができるというのがこの先生のすごいところであり、また 従業員を引き付けるところでもあるのだろう。
 従業員の退職者はほとんどないが、産休や育休で一時的に欠員が出る部分は早めの求人で補充をされる。なんと先日も1人の募集に10人近い応募があった。
 比較的若い従業員が多いが、産休・育休の後もほとんどの人が退職することなく復帰されるので、従業員の適正人員を考えたときには配置の面では難しいところもあるが、いつ訪問しても明るい雰囲気で生き生きした感じがこちらにも伝わってくるクリニックである。

 話しの内容が少しまとまりにくくなってしまったが、要は経営状況のいい時は特に何か手を打つ必要はないが、経営の厳しさが増したり、いわゆる 手詰まり感のある時に従業員に状況説明をし、情報を共有することがいかに重要であるのかということをこの先生から学ぶことができる。
 トップだけでできる経営なんてどこにもないし、そんな経営はきっともろいはずである。
 この先生は従業員に機嫌取りのようなことは全くされないし、退職希望者が出たときには引き留めることもされない。
 なぜか? 「その従業員のニーズを満たせなかった職場であり経営者だったので仕方がないな。残念だけど・・。私の方もできることしてるもん。」
 なかなか真似はできないがこんなことが言える経営者になりたいなと思う。 ただ 現実にはそんなことはなかなかできないけどね。
posted by ヒロイ at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月13日

No.864:実は「自分へのご褒美」っていう言葉 あまり好きじゃないんです

 この言葉っていつくらいからよく使われるようになったのでしょうかね?
 私が幼い頃はもちろん、学生時代や社会人になりたての頃には使っていなかったように思うので たぶんここ10〜20年くらい前から使われだした言葉ではないのかと思う。
 この言葉を使っている多くの人を敵にまわすような今日のタイトルって結構勇気がいったのだが、批判されるのを覚悟で今日は思っていることを綴ることにする。

 実は私自身はこの言葉は一度たりとも使ったことがないので単純に違和感を感じるということであるが、かと言ってこの言葉を使っている人のことを特別視したり、嫌悪感を抱くことは全くないので誤解のないように。
 私自身の考えなので人に押し付けるつもりもないが、私が使えない、あるいは使ったことがないのは、自分にご褒美がもらえるようなことはほとんどできていないし、自分を褒めるような大それた気持ちになることが まずないということに起因しているのかもしれない。
 よく考えてみると私自身“挫折”と“達成感”の繰り返しなような人生で、当然のことながら達成感を得られたことなんて言うのはほんの一握りあるかないかで、ほとんどの場合 味わってきたのは挫折感であろう。
 「あの時 ああすればよかった」とか「なんでもっと頑張れんかったんやろ」という場面がいくつも頭に浮かんでくるし、こんなことを考えていると当然のことながら悔しさが込み上げてくることがないわけではないが、不思議と尾を引かないあっさりした気持ちになっている自分にあらためて気づく。
 これは「やっぱし実力不足やな」、「手を抜いてたんで、当然の結果か」と自らの努力の足りなさや実力不足を認めざるを得ないことの方が多いからなのであろう。
 私は“運”という言葉もあまり好きな方ではないが、うまくいかなかったときは「運がなかったかな」言って自分を慰めるなが、“運”というのはある意味 気持ちを落ち着かせる時に都合のいい言葉である。
 「自分へのご褒美」という言葉って、欲しい物を買ったり、食べたいものを食べたりするときに使われるケースが多いように思うが、私は欲しいものは欲しい時に買うが、高くて買えないものはきっぱりとあきらめがつくような性格なので背伸びしてまで買おうと思ったことは一度たりともない。そういう意味では結構あきらめも早いのかもしれない。
 事業をしていた私の父の口癖は「お金がなかったら買わんでもええ、そんなことで死んだりせえへん」だった。
 父は人生の中で銀行にはもちろん 他人にも一度たりともお金を借りたことがないまま生涯を終えたが、少しはその血が私の中に流れているのかもしれない。でも、私はお金を借りたこともあるし、住宅ローンもの残っていますがね・・。
 なんだか妙な話になってしまったが、たわいもない奴の独り言と思って聞き流してもらっても結構です。

 自分を褒める言葉で誰しもが納得がいくのは、(若い人は知らないだろうが)今から27年前の1996年のアトランタ五輪女子マラソンで炎天下の中で銅メダルを獲得した有森裕子選手がゴールの後、汗まみれの姿で「初めて自分で自分をほめたいと思います」と発した言葉であろう。
 そういう意味でまだまだ褒められない自分がいるからこそ、毎朝起きて、仕事に向かわせてくれているのかもしれない。
 がんばってこの車に乗りたいとか、○○へ旅行がしたい というような具体的な目標がある方がもっと励みになるのかも? でも車にあまり興味がないしな。
 読みたい本を読んで、飲みたいお酒を飲んで、食べたいものを食べる これが一番の楽しみかな?
 でもよくよく考えると これこそ結構贅沢な話かも?
posted by ヒロイ at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月07日

No.863:事務所の年末年始

 私が開業前に勤務していた税理士事務所では、毎日朝礼があり、従業員が順番でスピーチをしていた。
 そこは正社員が30数名いたので、1ヵ月半に一度位の間隔で 順番が回ってきていが、他の人がどんな考えを持っている人なのか とか 職場以外ではどんな生活をしているのかを知る数少ない機会でもあり、朝礼をすることの意義はそれなりにあったように思う。
 その後、私が独立開業した後は、当初はスタッフ数も私とカミさんを含め4人だけだったし、毎日 机を並べて仕事をしたいたので わざわさ朝礼をして何かを伝える必要もなかった。
 現在 開業から16年経って事務所の人数が増えたという理由だけで果たして朝礼をする意義があるのか と思わないわけではないが、ここ数年 コロナの影響があって以降、それまで年末の最終日に行っていた忘年会を開催しなくなってからは、年末最後の営業日と年始最初の営業日に朝礼を行っている。
 別に朝礼をしたからといって、何か身が引き締まるようなものが醸し出されるわけではないが、現在 スタッフが3つのフロアに分かれて仕事をしているのでなかなか一同に会する機会がないのも朝礼をすることになったきっかけの一つでもあった。
 また普段は全員が揃うこともほとんどないので、年末にはいっしょに仕事をしている全員に対してに私から感謝の気持ちを伝えたいというのもある。
 以前は年末の最終日に忘年会を行っていたし、忘年会が開催されなくなった3年前からはこの最終日に朝礼を行い、この時 勤続10年を迎えた人を労う場ともなっている。
 今年は3人といつになく対象者が多く、これで勤続10年となった人は総勢20人(パートを含む)のうち9人となり、長年続いている老舗の事務所や規模の大きな事務所にはまだまだ足りない部分はたくさんあると思うが、少しずつお客様の要望に応えられる体制ができつつあるのかなと思っている。
 12月中旬にパートさんも含めほぼ全員と賞与支給時に面談を実施しているが、その中で、「事務所の将来構想は?」、「所長は今後どんな事務所へしたいと思っているんですか?」というような質問もあったので、それに対する回答も全員を前にしてきちんと示しておかないといけないと思い、自分なりの考えを事前にペーパーにまとめ 年末の朝礼で伝えた。
 がんばって仕事をしていればいるほど、一年なんて あっという間に過ぎてしまうので、こういう年の変わり目というか節目の時に 過ぎた一年を振り返ったり、次の一年やさらにはその先のことを考えるのに この年末、年始の朝礼というのは私にとってはいい機会になっている。中にはまた所長の話か と思っている人もいるかもしれないが・・。

 話はがらっと変わるが、今日は正月過ぎから京都の我が家に来ていた長女とその娘(1歳)を送りにドライブがてらに往復5時間かけて和歌山まで行ってきた。
 途中で立ち寄ったのは高速阪和道の紀ノ川SA 1ヵ所で、同乗のワンちゃんもいっしょにトイレ休憩しただけだが、この和歌山行きはいい息抜きになった。
 和歌山は2年前に長女が住むまでは車では行ったことがなかったが、高速道路を下りてしばらく走り 紀の川に架かっている大きな橋を渡ると和歌山やなと実感するようになった。和歌山って京都の人には近畿の中で一番なじみがなく遠く感じる場所ですよね。車に乗っている時間は片道2時間くらいなんですが・・。
 私は行きは助手席、帰りはワンちゃんに助手席を奪われたので後部座席に一人だけという 贅沢な同乗者だったのでなおさら気分転換になったのかも?
 カミさんは運転が好きなので秋に信州に行った時も私は一度もハンドルを握らなかったが、仕事では毎月2000km程 運転しているので 休日は運転しなくていいでしょ。

 明日 もう一日休日があり、ちょっと得した気分ですね。
posted by ヒロイ at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月02日

No.862:新年を迎えて

 昨年 母が91歳で他界したため、親族や友人等 個人的な繋がりがある人に対しては12月に喪中の挨拶状を出していたので、年賀状は なし ということになっていたが、税理士事務所として 業務上の関係者には例年どおり年賀状を出した。
 年が変わったからといって何かが大きく変わるというわけではないが、新しい年を迎えるということは、いろいろなことがリセットできたり、また新たな気持ちでスタートできるという点において必要であり 意義ある節目ともいえる。
 業務上の年賀状には、新しい年への思いも綴っているので、それをここに掲げて新年のあいさつに代えさせていただくこととする。

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 旧年中は格別のお引き立てに預かり誠にありがとうございます
 世の中も一定の落ち着きを取り戻しつつありますが、その状況はコロナ禍前とはいろいろな面において違ったものになってきていると感じます
 年を通じて多くの人が望んでいるような平穏無事の日々であればいいのですが、決してそういった毎日が送れるとは限りません 
 また日々の生活に中で何かを実行した場合、報われることもあれば、報われない結果となることもあるでしょう
 ただ “当たり前のことを当たり前にする”ことによって、周りの人に喜ばれ、自分自身も将来「あの頃もよかったな」と思えるような一年にしたいものです

 これからも皆様方とともに歩んでいきたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。
   廣井増生税理士事務所
    廣井増生

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 1月4日から仕事の方もいらっしゃるかとは思いますが、我が事務所は1月5日からスタートなので明後日まで休みですが、1月4日は少しだけ試運転しておこうかな思っています。
 では、みなさんあとわずかの休日をお楽しみください。
posted by ヒロイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする