年末 残すところあとわずかの時期なのでスケジュールは立て込んでるやろなと思ってスケジュール表を見ると、なんとこの土曜日は夕方以降はフリーだったので、「何年ぶりやろな? 何十年ぶりかな? ご飯でも食べようか」と言って会う場所をこちらから指定した。
実はこの一週間はめちゃ忙しい週だったけど、本当に懐かしく「早く土曜日の夕方にならないかな」と会うのが待ち遠しいくらい楽しみにしながら一週間を乗り切ってきたというのが本当のところである。
私も陸上をしていたので大学の時 公式審判員の免許(審判手帳)?を少しの期間持っていたが、社会人になってからは正式に競技に関わることはなくなったので審判員のことなんか忘れていたが、彼の子供は2人(今は社会人)とも大学まで陸上をしていたようだし、彼自身も地元でいまだに陸上に関わりを持つ根っからの陸上人間である。
僅か2時間ほどの時間であったが、中学、高校時代の話に花が咲き、仕事に押しつぶされそうな日常も忘れ、気持ちも高校時代に戻ったような最高に楽しい時間であった。
彼の子供は長距離選手で箱根駅伝の常連校のT大学に入ったが、10人出場できるところを11、12番目の選手だったので出場がかなわなかったと 親として残念だった話もしてくれた。
実は2週間前 彼から突然電話があったのは、私からの喪中はがきを見てびっくりしたそうで、「廣井の両親はどんな大会でも見に来ていたし、あの元気だったお母さんが亡くなったなんて・・」と言っていたが、「そりゃ あの頃は俺とこのおかあはんも若くて元気だったけど、あれからもう40年も経ってるしな・・。」というと、「そりゃそうだわな、うちもオヤジが亡くなってたし、かあさんは一人で暮らしてるけど 80代だもんな」とこんな話を最初の電話の時にしていた。
地下鉄烏丸御池の改札口で待ち合わせた後、店に入ったが やはり若い頃 いっしょに汗を流した者との話は盛り上がる盛り上がる。
高校のあった地元から京都市まで当時は3時間近くかかったので、西京極である京都府大会も2連泊だったし、大阪の長居、神戸の王子、大津の皇子山であった近畿大会は木、金、土と3連泊で、心のどこかでは陸上で勝つことより、何泊も泊まれることの方が楽しみだったのを覚えている。
「ところで高校駅伝の審判員ってなにするん?」と聞くと、たすきを渡す中継点で張り付けになって、選手の呼び出しや整列・整理等の補助をするらしいが、往路と復路、そして女子と男子 計4回もあるので結構大変なんだろうなと思って話を聞いていた。
今日 京都で繰り広げられた華やかな全国高校駅伝もこういった裏方がいるからこそ運営が成り立っているんだなということを認識するいい機会にもなった。
今年になってから○年ぶりや○十年ぶりという友人から、しかも同窓会でなく「京都に行くし時間とれる」という突然の連絡が何人かからあり、中には会えなかった者もいるが、今年は3人も会って話をすることができた。
確かに時間を作るのは厳しい時もあるが、こういった再会? は日常に埋没している自分自身にとっては旧友と貴重な時間を共有でき、何よりも日々の生活に刺激を与え、なんとも“いい時間”を過ごすことができる。
こうしてブログを綴っている時も時間を忘れるが、ふと明日からのスケジュールに目をやると早速 明日は往復250qを1人で運転する厳しい1日になるが、仕事もあと4日なので何とか乗り切って いいお正月を迎えられたらと思っている。
本当に1年って早いものですね。
まだ「よいお年を」ではなく、「もう少しだけがんばりましょう」と言って今日はお終いにします。 では・・。