2023年08月26日

No.844:経営者ってそれほど偉くないよね

 まずはお詫びを。
 私 このコーナーはよほどのことがない限り 週一のペースで掲載しているが、先週はお盆休暇明けでいろいろな用事が立て込んいて土日もほとんど家にいない状態だったので流してしまいました すみません。

 ということで8月の後半は通常の月よりかなり過密なスケジュールで、この一週間で20人以上の人と面談をしたが、その面談時に経営者の方から取引先との関係を含む事業内容のことであったり、従業員に関することであったり、その他もろもろ 悩みや不満を聞く機会がいつもの月より多かったように思う。
 そんな中でも従業員に対する不満をお持ちの経営者の話は聞いていても なかなか解決の糸口が見つけられず、こちらが気持ちの上でしんどくなることもあるが、皆さんは何とかならないかと思って私に相談されていると思うので、いっしょになって解決策や対処方法を考えることもある。
 そんななかで従業員に対する思いとして経営者の口からは出るのは、「期待外れやったわ」とか「裏切られた感じ・・」なんていう後ろ向きであったり、批判的な話が多く、その矛先は新入社員だけにとどまらず、入社後 数年も経っている経理担当者や営業担当者に向けられることもある。
 ただ、入社後数年になる従業員になると会社にとって一定の歯車になってもらっているので欠かすことはできないし、また そこまでの数年間 経営者として容認してきた(雇い続けてきた)責任もあるので、今さら急に今までとは違った対応をとるということもできない場合が多い。
 じゃあどうすればいいのだろうか? 解決策はあるの? ということであるが、
 いろいろな面において知識も豊富な優等生の経営者の方は、ご本人は成績表でいえば“優”の方なのだろうが、こういう方ほど従業員もついつい“優”の人を求め、“良”や“可”では満足されないという傾向が少なからずあるように思う。
 経営者ご自身が“不可”のランクの人であれば経営そのものがやっていけないかもしれないが、経営者が“良”やあるいは“可”クラスの普通のレベルの方であってもすごくいい経営ができている場合もある(経営者の方にとってはちょっと失礼な言い方になってしまいましたね、お許しを)。
 こういった方は人間的に魅力があり、30分話していても 私の方が「あっ そうか!」とか、「そういう風に言えばいいんだ」と思うことがいくつもあり、私自身もいい話をたくさん仕入れて持って帰りたいという気になりついつい熱心に聞き入ってしまう。
 こういう魅力的な人のもとには、やはり魅力的な人が集まり、経営者が仮に“良”ランクの人であっても、従業員は“優”の人が集まったりしてきているケースもあり、こういった会社は多少のことがあっても総力戦で乗り切れるので安泰である。
 私がこの仕事をしていてよかったのと思うことは、上記に掲げているような経営者の本音、特に「ここだけの話」というのを聞く機会が他の仕事をしている人よりも多いということであり、事務所の経営や自分の人生にとって参考になることもたくさんある。

 この次にする話は顧問先の方から「廣井さん何言ってんの?あんたはどっちの見方?」なんて言われるかもしれないが、つい最近 ある会社で従業員の代表格の方からそっと耳打ちされた話である。
 その内容は、「私たち正社員の給与はまだましですが、パートの方の給与はいつも最低賃金すれすれで、まさにパートさんの時給は最低賃金との攻防なんですよ。でも、さっき社長の奥様は給与計算ができたと言ってみんなに給与明細だけ渡して帰って行かれました、新車のベンツに乗って。私たち一従業員がいうことではないんですけど・・。すみませんついついこんなつまらぬことまで愚痴ってしまって、まあこの話は忘れて下さいね。」
 この話、きちんと理解されないと話が変な方向へ行ったり、誤解を生じてしまうのでちょっと補足をしておくが、この従業員の方は最低賃金すれすれやベンツに乗っていることが嫌と言っているんのではないんです。経営者と働く者との気持ちが通じていないということが残念で仕方がないということが言いたかったようなんです。こういう会社はベクトルの向かっている方向がバラバラというのは傍で見ているとなんとなくわかります。
 この会社の経営者は業績が向上するようにいろいろな策を練っておられるにも関わらず なかなか業績が上向かないのは、こういったこととも決して無関係でないように思えてしまうんです。えらい辛口の話になってしまいますが・・。
 でもこういった話は、この場で皆様方に言っているだけでなく経営者の端くれの私自身も文章にまとめることによって自問する機会が持てるのではと思ってこうして綴っているんです。
 経営者って怖いですよ、あまり人から注意されないので。外から自分を見る機会を持たないと。

 最後に ここまでの話と少し観点は違ってきますが、仕事や日々の生活の中のいろいろなシーンで人の言動を見ていて思うことをひとつ、
 人を好きになったり嫌いになるのは人それぞれ自由だが、嫌いになった人の数だけ、人から好かれていない(きついので あえて「嫌われている」という表現は使いませんが)ように思うことがあるんですが、みなさんはそんな風には思いませんか? 冷静に考えて・・。

 まあ、忙しいながらもこんな妙なことも考えながらこの一週間過ごしていました。
 高校野球は応援していた学校がお盆の前半で次々に敗退していったので、その後は興味が薄れ、私にとって終盤は消化試合の感覚で結構冷めた目で見ていました。
 まだまだ暑い日が続いておりますが、甲子園が終わると不思議と秋を感じてしまいます。
 今日は私自身が心の中にあったもやもやを吐き出す形でついつい長くなってしまいました。
 最後までお付き合いいただいた方 ありがとうございました。
posted by ヒロイ at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月14日

No.843:年に一度だけのお墓参り

 仕事に追われる忙しい毎日とはいえ 特段の変化もなく よく似た日々を送っている人は多いと思う。
 私自身もそういった部類に入る一人かもしれないが、そんな大きな変化のない生活の中でも私にとって お盆のお墓参りは年中行事の一つとはいえ、ちょっと立ち止まることのできる時間でもある。
 親をはじめとし、身近な人の死から年数が経つとその亡くなった人のことを思う気持ちも年々薄れてきていく中、毎年お決まりのこととはいえ墓の前や仏壇の前で手を合わす時は、それがたとえ一瞬であってもその亡くなった人の顔が頭に浮かぶという点においては墓参りの意味はあるのかなと思うし、これがまさにお墓参りというものなのかもしれない。
 毎年8月14日はカミさんの両親の墓参りをした後、その墓の近くにある空き家となっている実家に行って、お坊さんのお参りを迎い入れている。
 今年も午前中にお経をあげてもらうといういつもの流れであり、かれこれ30年近く同じ形で何も変わったこともないが、たとえわずかな時間とはいえ、これもお盆を実感する“とき”である。
 90歳を超える私の母は施設に入ってもう5年以上になるが、父は8年前に亡くなり、その父の墓にはお盆中ではなく毎年お盆の前にお参りしており、今年も近くを通りかかった時に何も持たずにお寺の駐車場に車を止めて、墓の前まで行って手を合わせてきた。
 人から見ればまるで“ついで”のようなお墓参りに映るかもしれないが、一応本人はそんな思いではないことはここできちんと伝えておく。
 私の実家も数年空き家であったが、兄夫婦が今年の1月から移り住んでいるので、墓の掃除やお寺さんとのやり取りも含め 全てを二人にお任せしている。
 私とカミさんは二人とも末っ子という気軽な立場なので、お寺などのお盆の行事に直接関わることもなく、ただ1日だけ、いや往復の時間を含めても数時間の時間を費やすだけのお墓参りであり、世話をしてくれている兄夫婦やカミさんのお姉さん夫婦には本当に頭が下がる思いである。
 父の墓参りを線香や数珠を持って じっくりしたのは法事の時くらいであるが、ただ私自身 お先祖様に対しては何かにつけお願い事をする方で、兄が移り住むまでは実家は空き家でその合鍵を持っていたので、何か困ったときは一人で立ち寄って、仏壇に手を合わせてお願いしてきた。
 子供の大学受験、資格試験、結婚、カミさんの病気やケガ、それに自分が仕事でピンチになった時など、今から思えばお願いしたことは数えだしたらきりがないくらいある。
 お願いと言っても大層なことをいうわけでもなく、「精一杯がんばるんで、困った時 ちょっと力を貸して」といつも同じことを唱えている。
 もちろん全部とまでとは言わないが、何とか良い方へ導きだしてくれることが多いので、祖先を敬うことって大事なことかなと思うと同時に結構 信心深い自分にあらためて気付くこともある。
 夏になると戦争や原爆、そして あのお盆前に起こった日航機墜落のことなどが毎年取り上げられるが、こうして取り上げ、故人のことを思い返すだけでも 故人に対してはもちろんのこと、残された者にとっても大きな意味があるように思う。
 私は親の命日を忘れたまま通り過ごしてしまう年もあるような親不孝な息子なので、こんなことをじっくり考えるのは年1回だけかもしれないが、お盆休暇にお墓参りすることは何かに追われる日常からは切り離されるという点でも貴重なものなのかもしれない。

 明日は台風が直撃しそうで、帰省の人は毎年お決まりの渋滞、満席、混雑とは違った大変なお盆の後半で、交通手段は軒並みストップ、甲子園の高校野球も前日に中止が決定し、災害には気をつけないといけないが、いつになく結構 静かなお盆の15日になりそうである。
 今年は珍しく 甲子園→お墓参り という順となったお盆であり、こちらも年中行事の甲子園詣は昨日(13日)に行ってきたので、15日の天気のことは気にかけなくて済みそうである。
 私の事務所も16日まで休みなのであと2日休んで、16日の五山の送り火とともにお盆に区切りをつけようと思っている。
 では、今日はこのへんで。明日、雨風で危険な状態にならなければいいですがね。
posted by ヒロイ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月06日

No.842:「京都市 22年ぶりに黒字」と聞いて思うこと

 先日、「京都市 昨年(令和4年度)一般会計22年ぶり黒字に」という新聞記事を目にした。
 京都市民として黒字になってよかったという喜びよりも、「21年間も赤字が続いていたんだ」ということに驚いたと同時に なぜか多少の苛立ちも感じてしまった。

 今回 ここで綴るにあたって京都市の財政の内容を細かく検証したわけでもないので、素人考えの域を出ないのはこの先を読んでいく上で承知しておいていただきたいのだが、よくぞここまで放っておいたもんだという気持ちと それにもっと早く手を打つことができなかったのかと疑問も湧き出てきた。
 それぞれの自治体で生活する住民にとっては、赤字であっても「自分たち」、究極は「自分」の生活に手厚い方がいいし、赤字が原因で生活ができなかったり追い出されるわけでもないので、毎日の生活が快適なのがいいのに決まっている。
 こんな中で、地下鉄の敬老乗車証の自己負担額の改定の問題は京都市の財政状態がお年寄りの日々の生活に影響するという点では、老人を抱える世帯では他人事ではなく、まさに生活に密着していると思ったので、この制度について少しだけ調べてみた。
 私の家族にはこの制度を利用している者はいないので、これまで詳しい内容は知らなかったし、正直あまり関心も寄せていなかったが、10年ほど前にある仕事先で所得に応じてかなりの負担があるということを聞いて「全員が無料ではなかったんだ」ということを初めて知った。
 この制度の変遷ついて調べてみると、今まで知らないことがたくさん分かってきたので、この制度について少しだけ触れておくことにする。
 この制度は1973年(昭和48年)に創設され、2005年(平成17年)までは全員無料だったが、その後は所得に応じ自己負担が生じるようになったようだが、直近の負担額を調べるとその内容に大変驚いた。
 ご家族にお年寄りがいらっしゃる方はご存知だと思うが、皆様が具体的な内容を見てどうお感じになるのかということで、京都市の基準を掲げてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【〜令和5年9月末】・・金額は1年間利用(実質 乗り放題)するための自己負担額
・生活保護を受けている方等:負担金はなし
・市民税非課税の方:6,000円
・市民税課税・・合計所得金額が200万円未満の方:10,000円円
(省略)
・市民税課税・・合計所得金額が400万円以上700万円未満の方:30,000円
・合計取得金額が700万円以上の方は、利用できない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ということで、まずは利用できない人もあることに驚いた。
 京都で生まれ育った人で、若い頃から現在までしっかり働き、そしてこの間(現在も)しっかりと税金を払っている人はこの制度を利用できないなんて・・。
 もちろん「所得が高い人は相応の負担を」ということであろうが、なんかこの表を見ると寂しい気もする。
 でも この制度自体が赤字の一因でもあるということであれば致し方ないのと割り切るしかないのだろうか。

 調べついでに京都市の今年度 黒字となった主な要因を調べてみると、
@ 職員数の削減や働き方改革により人件費の削減
A 観光客の増加に伴う宿泊税の増加
B 地価上昇で固定資産税が増加
C ふるさと納税の増加
 ということであるが、@以外は一つ逆風が吹けばたちまち赤字の方向へと進んでいくのではというような感じの黒字要因である。
 公共団体の財政を企業と比較するのはナンセンスという考え方もあるので大きな声では言えないが、企業ならとっくに倒産していた状態である。
 確かに住民サービスを落としてまで黒字化するということは公共性という点では問題はあるが、「あっ、今年は赤字」とか、「久しぶりに黒字脱却」なんて一喜一憂しないで、もう少し長期的な政策やビジョンを持って市を運営していって欲しいと思わざるを得ない。
 やはり住みやすい京都にし、人口も流失しない街にするにはどうあるべきかということを考えることが、街の活性化と存続には不可欠であると思うので。

 今回は赤字の中身を少しだけ勉強してみるかという軽い気持ちでこの話に入っていったが、今まであまり詳しく知らなかった敬老乗車証のことも知ることができたし、赤字の要因は高齢化の波も大きく影響していることも調べていくと数字ではっきりと分かった。
 最後に社会は想像以上に大きく変化してきているということで こんなことを掲げて終わりとします。

◆敬老乗車証制度の創設当時と比べて京都市の平均寿命が11歳伸び、対象者も8万人から32万人になっっている。

 本当に大変な時代になってきていますね。
posted by ヒロイ at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする