2023年05月20日

No.831:目を開けない母の顔を見て思ったこと

 もうすぐ91歳になる母は実家の近くの施設に入所している。
 今年の2月にグループホームから特別養護老人ホームへ移り、移る前のグループホームへは7年近くいたので幾度となく訪れたことはあったが、2月に特養に移った後はまだ一度も面会に行くことができていなかった。
 先日、実家の近くまで行く機会があったので事前に面会の予約電話を入れておき、本来の面会時間とは少しずれていたので大きな会議室のような部屋での面会となった。
 5年程前からは認知症が進んで私が誰だか判別することはできなくなっていたが、それでも独り言を言ったり、理由はともあれ にこっと微笑んだりすることもあったし、また手を握ると握り返したりもしていた。
 少し強く握ると「いたゃー、いたゃー(方言で痛い、痛いのこと)」と言って声を出していたのが今では懐かしい。
 前の施設でもコロナ禍以後は一年のうち かなりの期間が「面会不可」という状態で、面会できる時も当然のことながら母の部屋までは行けず、施設の人が車いすやベッドの母を面会場所まで連れてきてくれるという状態が続いていた。
 その後、2年ほど前からはほぼ完全に寝たきりになり、食事も自力では食べられなくなってしまい、そうこうしているうちにほとんど声も発することなく、一日のうち大半は寝ているという状態になっていった。
 私も昨年までは年に数回 施設を訪れていたが、母が目を開けている状態の面会は段々少なくなっていった。
 そんな状態で入所施設を変わったが、今回の面会でもベッドに寝たままの状態で施設の人がベッドを押して私の所まで連れてきてくれた。
 施設の人は忙しさもあり、「15分程 ゆっくりしていてください」と言って部屋を出ていかれたが、私も眠ったままの母と2人にされてもなと思いながらも、2人だけがいる大きな部屋で「お母はん、元気か増生やで」と声をかけたが、反応するわけでもなく当然のことながら目すら開けなかった。
 ただ、手を握ったり額に手をやると、しっかりと温かさが伝わり、変な言い方かもしれないが「頑張って生きとるんやな」とたまに大きな呼吸をしたり、瞼がぴくっと動く母の顔を覗き込んでいた。
 もう話しをすることはできないだろうが、3人の子供を育て、その後 80歳の時84歳の父を見送りった後 しばらくは一人暮らしをしていたが、2、3年で認知症状が出て、そこからの進行は思った以上に早かった。

 今は近くに兄夫婦や姉夫婦がいてくれるのも安心だし、実はこの日「まーちゃん(私のこと)、あの元気だったおばちゃんがこんなんになってるなんて知らんかったわ」と一つ年下の幼なじみが私の所まであいさつに来てくれ、「ずっとここで働いとって、おっちゃん(私の父)のショートステイの時も知っとるで」と話をしてくれた。
 何十年も会ったことがなかったのに、気軽にそして暖かく声を掛けてくれたことで少し緊張していた私の気持ちを和ませてくれた。
 施設を出て車に乗ると、ベッドで寝ていた母の顔が浮かび、「お母はんもがんばっとるんやで俺も もう少し頑張らんとな」と不思議な気持ちになり、なんだか力が出てきたような気がした。

 父の墓参りや仏壇に手を合わす時も思うけど、やはりこうして親の顔を見ると親の恩を忘れずに生きていこう という気持ちにもなった。
 なかなか時間がなく面会に行けないし、会話も意思の疎通もできないが、こういった機会はすごく意味があるなと思いながら京都に帰ってきた。
 つまらぬことで不満を口にしている自分の心の小ささを感じることができただけでも とても意味のある面会であった。
 「お母はん また行くしな」
posted by ヒロイ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする