2023年05月14日

No.830:本屋に行く楽しみさえ奪われてしまう

 いろいろなものがインターネットを通して調べることができるようになったのと、たとえ購入が必要な本であっても ネットで検索し、注文すれば、2、3日で手元に届くので本屋でわざわざ欲しい本を探したり、注文する必要はなくなってきている。
 ネットで本を注文する場合、下の方で[この本の購入者はこれも読んでいます]なんて 頼んでもいないのに紹介してくれるが、あれにはありがたいというより、「大きなお世話!」と イラッとすることがある。
 これまで本屋に行くというか立ち寄るのは、目的の本を探すだけでなく、いろいろな分野の本を見ることができたり、思わぬ本に出合うことができたりすることもあり私の中では一種の娯楽のような意味も持っていた。
 ただ最近 本屋が減り続けている影響でその楽しみも段々奪われてきているような気がする。
 松ヶ崎のTSUTAYA(ツタヤ)も今年の2月で閉店となったが、ここは自宅からも近いし、地下鉄の出口を出てすぐ横だったので重宝していた。 
 また駐車場もあり、夜も10時まで(コロナ後は8時?)やっていたので、比較的軽めの雑誌が欲しい時は仕事帰りに立ち寄ることも度々あった。

 ちなみにTSUTAYAのあとはスーパーのライフが出店するようで、建物の解体が終わり、来夏の開店を目指し 夏から店舗の新築工事が始まると聞いている。

 本屋といえば、仕事に関する本を買うのに何度か行ったことのある四条烏丸の北側にマクドナルドとセットであった大垣書店もマクドナルドと共に閉店となっていて 結構ショックだった。

 私が高校生の時まで住んでいた所は田舎町で、当時は大きくはないが個人商店という規模の本屋も数件あり、本、あるいは本屋というのは地方に住む者にとってテレビに次いで都会との距離や格差を縮めるという役割を果たしていたように思う。
 田舎であってもマンガやスポーツの週刊誌、月刊誌は発売日に遅れることもなく発売されていたので、一斉に全国の者と一緒に手にすることができた・・あたり前のことだが。
 学校の帰りに立ち読みするために立ち寄ったことも何度もあったし、立ち読みの時間が長いと店のおばちゃんが掃除用のはたきをもって急にバタバタしだしたりしていたが、今思い返すと本当にほのぼのとしたいい時代であった。
 小学生の頃、親が本屋だったら店の本をただでいくらでも読めていいのにな なんて馬鹿げたことを考えたこともあった。
 こんな環境下で育ったこともあってか、本というのは地域や年代等の差を埋める大切な手段のひとつだったのかもしれない。
 今では知っている人は少ないだろうが、鉄道マニアであった私は本屋の目立つところに積み上げられていた時刻表を見るのが好きで、発行元がJTBと少し大きめのJR(古くは国鉄)のを年に数回買ってその時刻表で仮想の旅行予定表を作って楽しんだものである。
 また前述のTSUTAYAでは入って右にあった旅行コーナーで、旅の予定はないが、行ってみたい所や泊まってみたいホテル・旅館の本を眺めるほっと一息つくのも楽しみのひとつであった。

 今出川の大学の近くにあった雀荘やビリヤードはとっくの昔になくなっているし、パチンコ屋も10年程前からどんどん減っていったが、こうして本屋までなくなると昭和の時代のものはあと何が残っているのか、考えないと思いつかないくらいである。

 今日もたわいもない話に終始したが、私のとって本屋さんは趣味・娯楽の対象であり、文化だったようにさえ思う(←ちょっと大げさかな?)。
 こうなると結局、年代に関係なく時間があればパソコンに向かったり、スマホをいじることに時間を費やすことという結果になってしまう。
 カミさんも気がつけば、電子書籍やらをスマホをいじりながら見ているものな。

 なんかつまらないなー。
posted by ヒロイ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする