2023年05月28日

No.832:経営者は一息はついてもいいが、決して油断はしてはいけない

 今日はある医療団体からクリニックの開業セミナーの講師依頼を受けていたので朝10時から2時間の講演を行ってきた。
 講演といっても日常的に業務として行っている“開業支援”の流れをまとめた内容で毎年 年1回のペースで10年以上行ってきているし、参加者も毎年変わるので年によって内容が大きき変わることはないが、ここ数年はクリニックのコロナへの対応についても触れてほしいという要望があったり、その年ごとにサブタイトルで多少 違いが出てきている
 今年はコロナを特別なものとして捉える必要はないとのことであったが、その代わりというか 最近 以前にも増して希望する人が出てきているということで「第三者への(からの)医院継承」について触れてほしいという要望が事前にきていた。
 この種のセミナーの講師を毎年しているので、開業後10年、20年となる先生からは「僕らのライバルとなるクリニックを増やさんといてな」と軽めのいい方とは言え、冗談では済まないような話しぶりで、結構 真顔でおっしゃる先生もある。
 あらためてこれまで開業支援を手掛けてきた事務所の顧問先一覧を眺めてみると 一人一人の先生の開業時のご苦労やエピソードが結構鮮明に思い出されてくるし、簡単に開業できた人など誰一人としてなく、それぞれの先生がその時々においては真剣そのもので、ある意味人生を賭けた大勝負であったというのは紛れもない事実である。
 こうして思えば、この仕事を継続的に手掛けているのは、私自身 それぞれの先生の開業時の悩みを共有できるやその真剣勝負に立ち会えることに一種のやりがいを感じているからなのかもしれない。
 私は決して顧問先のライバルクリニックを増やそうという思いはなく、今日のような講師を長い期間 続けていると、セミナーで話をする新規開業の題材の中に既に開業されている先生方の経営内容の見直しやスタッフの問題、それに資金的なことで参考になることもたくさんあるし、それは私の税理士事務所の運営上、役に立ったり、ヒントになることもある。
 
 今や開業して3年経つと追われる立場になるので、開業当初は比較的というか、予想以上にいい数字であったにも関わらず ついつい安心したり、気を緩めるのが早いと気づかないうちに停滞したり、下降傾向に陥るようなケースもある。
 これはクリニックに限ったことではなく、どんな事業、商売にも通じることであると思うが、忙しすぎる中で計画的に一息ついたり、一服するのはいいが、ほっとして油断したり、気を抜いているとたちまち取り返しのつかない状態になることだってある。
 そういう意味において、経営はまるで生き物のようでもあり、どこかの会社経営者が「ちょうどこんなもでいいかな と思った時から数字は下降線をたどってしまう」と言っていたが、これは常に気を張り詰めておくようにという戒めのように思う。
 こんなことを考えながら再度 顧問先一覧を見ていると、確かにいい数字を残されている経営者やドクターは、常に「自分の会社やクリニックをどうしたらいいのか、どうしたいのか」ということを考えておられ、日頃から今後の展開についての相談も多いし、またいったん決めたことは間髪入れずに迷わず実行に移されている方が多いように思う。

 今日もセミナーの冒頭と最後の締めに同じことを繰り返して言ったのは、「勤務医と開業医とで最も違う点は勤務医は全てが自分一人の責任になるわけではないが、開業医は誰が何をしようとも最後は全て自分の責任となる」ということである。
 でも、10年も20年も気を緩めずに経営していくことって本当に根気がいるし、そのためには仕事以外で何か楽しみが必要なんですよね。楽しみが・・・。
posted by ヒロイ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月20日

No.831:目を開けない母の顔を見て思ったこと

 もうすぐ91歳になる母は実家の近くの施設に入所している。
 今年の2月にグループホームから特別養護老人ホームへ移り、移る前のグループホームへは7年近くいたので幾度となく訪れたことはあったが、2月に特養に移った後はまだ一度も面会に行くことができていなかった。
 先日、実家の近くまで行く機会があったので事前に面会の予約電話を入れておき、本来の面会時間とは少しずれていたので大きな会議室のような部屋での面会となった。
 5年程前からは認知症が進んで私が誰だか判別することはできなくなっていたが、それでも独り言を言ったり、理由はともあれ にこっと微笑んだりすることもあったし、また手を握ると握り返したりもしていた。
 少し強く握ると「いたゃー、いたゃー(方言で痛い、痛いのこと)」と言って声を出していたのが今では懐かしい。
 前の施設でもコロナ禍以後は一年のうち かなりの期間が「面会不可」という状態で、面会できる時も当然のことながら母の部屋までは行けず、施設の人が車いすやベッドの母を面会場所まで連れてきてくれるという状態が続いていた。
 その後、2年ほど前からはほぼ完全に寝たきりになり、食事も自力では食べられなくなってしまい、そうこうしているうちにほとんど声も発することなく、一日のうち大半は寝ているという状態になっていった。
 私も昨年までは年に数回 施設を訪れていたが、母が目を開けている状態の面会は段々少なくなっていった。
 そんな状態で入所施設を変わったが、今回の面会でもベッドに寝たままの状態で施設の人がベッドを押して私の所まで連れてきてくれた。
 施設の人は忙しさもあり、「15分程 ゆっくりしていてください」と言って部屋を出ていかれたが、私も眠ったままの母と2人にされてもなと思いながらも、2人だけがいる大きな部屋で「お母はん、元気か増生やで」と声をかけたが、反応するわけでもなく当然のことながら目すら開けなかった。
 ただ、手を握ったり額に手をやると、しっかりと温かさが伝わり、変な言い方かもしれないが「頑張って生きとるんやな」とたまに大きな呼吸をしたり、瞼がぴくっと動く母の顔を覗き込んでいた。
 もう話しをすることはできないだろうが、3人の子供を育て、その後 80歳の時84歳の父を見送りった後 しばらくは一人暮らしをしていたが、2、3年で認知症状が出て、そこからの進行は思った以上に早かった。

 今は近くに兄夫婦や姉夫婦がいてくれるのも安心だし、実はこの日「まーちゃん(私のこと)、あの元気だったおばちゃんがこんなんになってるなんて知らんかったわ」と一つ年下の幼なじみが私の所まであいさつに来てくれ、「ずっとここで働いとって、おっちゃん(私の父)のショートステイの時も知っとるで」と話をしてくれた。
 何十年も会ったことがなかったのに、気軽にそして暖かく声を掛けてくれたことで少し緊張していた私の気持ちを和ませてくれた。
 施設を出て車に乗ると、ベッドで寝ていた母の顔が浮かび、「お母はんもがんばっとるんやで俺も もう少し頑張らんとな」と不思議な気持ちになり、なんだか力が出てきたような気がした。

 父の墓参りや仏壇に手を合わす時も思うけど、やはりこうして親の顔を見ると親の恩を忘れずに生きていこう という気持ちにもなった。
 なかなか時間がなく面会に行けないし、会話も意思の疎通もできないが、こういった機会はすごく意味があるなと思いながら京都に帰ってきた。
 つまらぬことで不満を口にしている自分の心の小ささを感じることができただけでも とても意味のある面会であった。
 「お母はん また行くしな」
posted by ヒロイ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月14日

No.830:本屋に行く楽しみさえ奪われてしまう

 いろいろなものがインターネットを通して調べることができるようになったのと、たとえ購入が必要な本であっても ネットで検索し、注文すれば、2、3日で手元に届くので本屋でわざわざ欲しい本を探したり、注文する必要はなくなってきている。
 ネットで本を注文する場合、下の方で[この本の購入者はこれも読んでいます]なんて 頼んでもいないのに紹介してくれるが、あれにはありがたいというより、「大きなお世話!」と イラッとすることがある。
 これまで本屋に行くというか立ち寄るのは、目的の本を探すだけでなく、いろいろな分野の本を見ることができたり、思わぬ本に出合うことができたりすることもあり私の中では一種の娯楽のような意味も持っていた。
 ただ最近 本屋が減り続けている影響でその楽しみも段々奪われてきているような気がする。
 松ヶ崎のTSUTAYA(ツタヤ)も今年の2月で閉店となったが、ここは自宅からも近いし、地下鉄の出口を出てすぐ横だったので重宝していた。 
 また駐車場もあり、夜も10時まで(コロナ後は8時?)やっていたので、比較的軽めの雑誌が欲しい時は仕事帰りに立ち寄ることも度々あった。

 ちなみにTSUTAYAのあとはスーパーのライフが出店するようで、建物の解体が終わり、来夏の開店を目指し 夏から店舗の新築工事が始まると聞いている。

 本屋といえば、仕事に関する本を買うのに何度か行ったことのある四条烏丸の北側にマクドナルドとセットであった大垣書店もマクドナルドと共に閉店となっていて 結構ショックだった。

 私が高校生の時まで住んでいた所は田舎町で、当時は大きくはないが個人商店という規模の本屋も数件あり、本、あるいは本屋というのは地方に住む者にとってテレビに次いで都会との距離や格差を縮めるという役割を果たしていたように思う。
 田舎であってもマンガやスポーツの週刊誌、月刊誌は発売日に遅れることもなく発売されていたので、一斉に全国の者と一緒に手にすることができた・・あたり前のことだが。
 学校の帰りに立ち読みするために立ち寄ったことも何度もあったし、立ち読みの時間が長いと店のおばちゃんが掃除用のはたきをもって急にバタバタしだしたりしていたが、今思い返すと本当にほのぼのとしたいい時代であった。
 小学生の頃、親が本屋だったら店の本をただでいくらでも読めていいのにな なんて馬鹿げたことを考えたこともあった。
 こんな環境下で育ったこともあってか、本というのは地域や年代等の差を埋める大切な手段のひとつだったのかもしれない。
 今では知っている人は少ないだろうが、鉄道マニアであった私は本屋の目立つところに積み上げられていた時刻表を見るのが好きで、発行元がJTBと少し大きめのJR(古くは国鉄)のを年に数回買ってその時刻表で仮想の旅行予定表を作って楽しんだものである。
 また前述のTSUTAYAでは入って右にあった旅行コーナーで、旅の予定はないが、行ってみたい所や泊まってみたいホテル・旅館の本を眺めるほっと一息つくのも楽しみのひとつであった。

 今出川の大学の近くにあった雀荘やビリヤードはとっくの昔になくなっているし、パチンコ屋も10年程前からどんどん減っていったが、こうして本屋までなくなると昭和の時代のものはあと何が残っているのか、考えないと思いつかないくらいである。

 今日もたわいもない話に終始したが、私のとって本屋さんは趣味・娯楽の対象であり、文化だったようにさえ思う(←ちょっと大げさかな?)。
 こうなると結局、年代に関係なく時間があればパソコンに向かったり、スマホをいじることに時間を費やすことという結果になってしまう。
 カミさんも気がつけば、電子書籍やらをスマホをいじりながら見ているものな。

 なんかつまらないなー。
posted by ヒロイ at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月07日

No.829:今までとは違う連休でした

 連休の最終日であったが、まるで今日は家でゆっくり過ごすようにと空から言われているように朝から雨が降り続いている。
 私は連休前に計画した家の私の部屋と事務所の机と棚の整理に追われ、昨日まではどこか出かけることもなく、また人とも会うこともなく せっせと不要物の選別と処分に励んでいた。
 100%とまではいかないが、ほぼ当初の予定していた90%近くは達成できたし、何よりも物、モノ、もので覆われていた身の回りはすっきりし、足の踏み場も確保でき、今までになく床が見える面積が増えたことでなんだか得した気分になっている。
 自分の性格からして また物をため込んだり、積み上げたりするであろうが、いったんとはいえこうして整理すると ちょっと物を置くのも、不思議と「これってここに置いていていいの?」と自問してしまっているし、自分の物とはいえ今までのように「またいつかは整理しよ」と所かまわず置くことに抵抗を感じるようになっただけでも今までと違うし、今回の整理は意味があったように思う。
 ただ、こういう整理整頓というのは性格によるところが大きいので またいつの間にか元のように置きっぱなしや散らかすことになるのだろうなと思わないでもないが、ひとまずは新たな空間づくりができたことに一人でニンマリとしている。

 あとは例年どおり 連休中に大学時代のクラブのOB会の決算を仕上げないといけないという宿題を抱えていて、毎年 連休最終日には仕上げて OB会の先輩にデータを送るというのが今までのお決まりのパターンであったが、これが予定より一日早く昨日の夕方に終わったので、連休最終日の今日は、以前から買いたかった物を買いに大阪まで車で出かけた。
 本当に自分でも呆れるくらい急な予定外の行動であったが、朝 テレビで天気予報のキャスターが、「今日は本降りですので、連休中の疲れを癒いやす意味でも、ゆっくりと家でお過ごしになるのがいいように思います」と言っていたし、みんな連休最終日は人は動かないという、勝手な思いを抱いていたので共犯込み合わないと 外出を即決し、行動に移した。
 家を出て11時頃 名神高速に入ったが、「よし!」と思うくらいトラックやバスはもちろんのこと、行楽のための車もほとんどなく、普段よりスムーズな車の流れであった。ただ、雨足が強まっていたこともあり50qのの速度規制はされていたが・・・。その後、買いたい物だけ買って3時には家に帰ってこれた。

 帰ってきてからはさすがに仕事ことも頭によぎり、明日以降の予定に目をやった。
 5月というのは3月決算法人の申告期で、実は我が事務所も2〜3月の確定申告期の次いで忙しい時期であり、しかも5月はもう7日も過ぎてしまっているので5月の残された日への負荷は相当なものであるなと考えると少し現実に戻されてしまった。

 明日5月8日からはコロナへの対応も変わるという節目の日であり、事務所では明日からは3年近く続いていた時差出勤制をいったん従来の出勤体制に戻すが、事務所内や顧問先への訪問時のマスク着用は当面の間は続けるようにと連休前に全員にアナウンスしたところである。
 これからしばらくはコロナ前と比較しつつ、いろいろなルールをどこまで戻すのか、あるいは戻さないのか 考えていかないといけないことがたくさん出てくるであろう。
 さあ、半年後 そして1年後にはどうなっているのか、コロナに慣れてしまった我々はいろいろな意味で難しい時期を迎えるようにも思う。
 そういえば3年前のGWは、顧問先も事務所も大丈夫かな、もちこたえることができるかな という不安の中、「面談できない場合にはこのレターパックで資料を送ってください。・・・・お互い頑張っていきましょう。」とあいさつ文を添えて顧問先全件にレターパックを送ったが、あの時の先が見えない状況は今まで経験したことのないものであった。
 それにしても3年は長かったな。でも、いわゆる“コロナ後”はまだまだこれからなんだろうけどな。
posted by ヒロイ at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする