2022年11月27日

No.807:油断大敵

 かつてはスポーツで汗を流すのが楽しみであったし、息抜きという点でも私には適していたが、自分の体が思うように動かなくなってからはスポーツの観戦が趣味の一つになってきた。
 自分が経験したことのある野球と陸上競技以外では、サッカーやラグビーの試合も見に行くことがある。

 サッカーワールドカップに出場している日本が第一戦で強豪のドイツを破ったということで世間の盛り上がりはすごいものがあるが、私は性格が曲がっているせいか、世間が騒げば騒ぐほど 一歩引いて物事を見てしまうところがある。
 もちろん第一戦の勝利はものすごくうれしかったが、マスコミの騒ぎ方は異常とも思えるし、「たった1回勝っただけでそこまで騒ぐもんじゃない」というのが私の本音である。
 先の野球の日本シリーズだって、3戦を終わって2勝1分のヤクルトがその後、4連敗し、オリックスが優勝したし、勝負事なんて本当に終わってみないとわからい。
 今夜の第二戦の相手のコスタリカだって、第一戦のようなみじめな試合はしないだろうし、各地区の厳しい予選を勝ち上がってきたのだから侮っていい相手ではないはずである。
 スポーツでホッとしていいのは全てが終わってからのはずなのに、まだ始まったばかりでこの騒ぎ、これには日本で古くからいわれている「勝手兜の緒を締めよ」のかけらもないくらいの浮かれようである。
 同じグループの他の試合結果次第ではあるが、今日 勝ったとしても最終のスペイン戦に負ければ1次リーグ敗退だってあり得る。
 ただ、監督や選手たちは決して浮かれていないだろうから、どこまで「たった一戦 終わっただけ」と冷静に考えて第二戦を迎えているのか今日の出来をじっくりと見てみたい。

 スポーツの中で実力の差が結果に出てくる、つまり番狂わせの少ないスポーツで代表的なのはラグビーとバスケットボールと言われているが、得点の入りにくいスポーツであるサッカーはその逆で、仮に3対7の割合で攻め込まれていても得点を与えず、こちらが放ったたった1本のシュートが決まると勝つことだってある。
 そういう意味においては、たとえ番狂わせであっても相手より1点でも多く得点すれば勝者になれるし、相手がボール支配率やシュートの数で優っていても結果がすべてという点では他のスポーツと何ら変わりはない。
 私自身 厳しい話もしているが、今日の戦い次第では第一戦のドイツ戦がまぐれでなかったことを証明するチャンスでもある。
 スポーツは最終戦が終わるまで気を抜いてはいけないし、気を抜いたり、緩めた者(チーム)の負けである。

 少しサッカーから離れるが、本当の強さという点では、今年の夏の甲子園では優勝こそできなかったが、あの最強と言われる高校野球の大阪桐蔭は10対0になっても絶対に手を緩めないし、これでもかこれでもかというくらい襲い掛かってくる 怖くて憎らしいほどの強さがある。あそこまでいって初めて本当の実力と言えるのであろう。大阪桐蔭は油断とは無縁であるように思う。
 日本のサッカーが本当に強くなったのかどうかは今晩 一つの結果が出る。そんな目で今晩のコスタリカ戦を観ると結構 冷静に見ることができるように思うし、これも私なりのスポーツの楽しみ方である。
 勝ってほしいですけどね、「日本ってほんまに強いやん」って言われるように。
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2022年11月20日

No.806:私はまだまだ新聞“紙”に頼ってます

 新聞の購読率(自宅で月ぎめで新聞を購読している)が60%を割り込み、58.3%になったというニュースが目に留まった。
 これだけSNSと共存し、個人的にもスマホやパソコンに囲まれながら生活している状態では、情報源はもはや新聞ではないという人がどんどん増えていっているのであろう。
 調査が開始された14年前 2008年の88.6%と比較すると大幅に減少しており、新聞を紙で読む世代の高齢化に伴って50%を切るのは時間の問題と思われる。
 我々の世代は子供の頃、新聞が読めるようになるとなんだか大人の仲間入りをしたような気分にもなり、その後 生活する上ではテレビと同じようになくてはならないものであった。
 私の家ではダメと言われた「毎日小学生新聞」をとっていた友達がうらやましくて仕方がなかったことや大学受験の国語は朝日新聞の天声人語からよく引用されると言われた頃は、新聞が闊歩していたような時代であった。
 あと 新聞の思い出というと、実家のすぐ近所に新聞屋さん(新聞販売所)があり、私の実家もそこの新聞をとっていたが、父は新聞が配達される6時過ぎまで待つことができず、毎日のように5時半にはその新聞屋さんへ新聞を取りに行っていた。まさに新聞はテレビ、ラジオに匹敵するくらいの情報源で、早く読みたいものであったのであろう。
 今の時代、情報はスマホからと言わんばかりにみんなが四六時中スマホをいじっているし、大きな事件が起きると 瞬時にその情報が飛び込んでくるので、新聞と違って時差はほとんど感じられない

  こういった波は中小企業の求人活動にも大きな影響を及ぼしていて、以前は人を雇い入れる場合、ハローワークと新聞の折込広告が主流であったが、購読率が6割、もしかすると若年層では5割は割り込んでいるであろう新聞の折込広告への期待はどんどん下がってきているであろう。
 私が社会人になった頃、いや10年近く前までは、朝電車に乗ると新聞(ほとんどが日経新聞)を折りたたみながら読んでいる多くのサラリーマンの姿が目の前にあったが、今や新聞紙を広げている人は1車両に数名で、1、2名の時も珍しくない。
 こんな状態であっても私はまだまだ紙の新聞から離れられなくて、朝6時過ぎに自宅のポストに入っている2紙(京都新聞と日本経済新聞)をとりに行くところから私の一日は始まり、毎朝 1時間近くかけて目を通した後、出勤の身支度を始めるのが日課になっている。
 新聞の本欄以外に結構楽しみにしているのが広告の内容である。飲食店、旅行ツアー、セミナーの案内、それに新聞の紙面広告以外にも折込広告も目を通していて、こういった新聞の本来にニュース記事以外でも貴重な情報源となっている。
 
 実は今回この内容を書き出していくうちに一つ謎が解けたことがある。
 2、3年前までは 10月1日の新聞折込には(私立)幼稚園の入園案内が10枚近く入っていたのが 最近は数枚しか入らなくなっていたので経費削減かなと思っていた。
 しかし、若年層の購読率がここまで下がってくると20〜30代をターゲットとした広告の効果は著しく低下していっているから効果少なし 判断しているように思われる。
 学習塾の冬期講習等の案内は相変わらず多いが、最近は老人ホームや老人向け宅配弁当(宅食)の折り込みが目立つのも新聞の購読を支えているのが高齢者であることと無関係ではないということも想像できる。
 消費税が10%に引き上げられた時、自宅配達の新聞代だけは新聞業界の後押しもあり8%のままに据え置かれたが、考えてみればこういった恩恵を受けているのは限られた層ということになってくる。

 新聞のことで思い出話も含めいろいろと取り上げたが、数十年後には「以前は新聞は紙で、家に配られていたらしいよ」なんて言う時代が来るのかもしれない。
 過去において50年間での変化が、今や10年、ものによっては5年で様変わりするが、よくよく考えてみると生きていきやすくなったのか、生きづらくなったのかわからない時代である。
 前回も少し昭和について触れたが、数年先には「昭和の人たちはこんなことしてたんよ。」と言われるのでしょうか。大変な時代に突入していっているなと思うこと自体、遅れているのかな?
posted by ヒロイ at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月13日

No.805:今やレトロって “大正”ではなく “昭和”?

 先日、仕事で60代の女性の方と面談する機会があり、その折にご主人の相続のことや3人のお嬢様の現況と将来について、ご自身が考えていることをいろいろと話された。
 メインの話が終わった後、1週間前に飼っておられた14才のワンちゃんが亡くなりとても悲しいということやこれまでのワンちゃんとの充実した生活についての話の後には、ご主人の実家が何代も続くお蕎麦の製造販売をされているのでお蕎麦の食べ方に関する話等、仕事の後の雑談の方も多岐にわたるいろいろな話があった。
 そんな中でテレビや歌の話にもなり、ご主人との年の差が10歳あるので、歌える歌や好みの歌が違うし、テレビ番組や歌、特に歌謡曲とよばれるものは時代(年代)を物語っているということも話されていた。
 最近、テレビでも平成を飛び越して、昭和をテーマにした番組が流れていることがあるが、昭和生まれの私にとって 「昭和ってそんなに昔?」と思うこともある。ただ、私の周りいる平成生まれの人にとっては、昭和というのは少し前の時代で今とは違う時代 という感覚なのであろう。
 我々が子供の頃、「あそこのじいさんは明治生まれの頑固じじいやし」と言って、近所の怖〜い爺さんをみんなで恐れていたこともあったが、よく考えてみると明治時代の人なんて今生きていたら110歳以上ということになる。

 先日、仕事で大阪の箕面に行ったとき、そのマンションの廊下から山の中腹に大きなホテルが見えたので、「あれって箕面温泉スパーガーデンですかね?」とその日訪ねたそこにお住いの方(60代)に言うと、その方から 「我々の時はそうだったんですが、今は頭に大江戸温泉物語って付くんですよ」と教えてもらった。
 私たちの時は歌手が歌う歌だけでなく、テレビのコマーシャルソングも結構耳に残っていて、この温泉のコマーシャルソングは子供の頃 関西に住んでいた55歳位以上の人なら大体歌えると思います 「箕面温泉スパー〜ガーデン♪」って。
 段々と話が妙な方へ行ってしまっているが、ついでに温泉に関することで、テレビや雑誌であるホテルが取り上げられていてとても懐かしかったという話をもう一つ。
 それは東京から1時間半ほどで行ける伊豆の伊東温泉にあるホテルで、昭和の雰囲気が漂っているということで関東圏に住む若い女性から、「昭和レトロ感 満載」と言われ人気があるとのこと。
 そのホテルは「ハトヤホテル」といって、我々が子供の頃、毎日のようにテレビでコマーシャルが流れていたし、その歌は今でも耳に残っている。
  「伊東にゆくならハトヤ、電話は4126(よいふろ)〜
    ・・・・4126、4126やっぱり決めたハトヤに決めた・・・」

 今日の話は何が何だか分からなくなって、収拾がつかなくなってしまったが、知っている歌で歳がわかるということから始まって、歌は時代を物語るっていうこと。
 それにしても我々の年代ではレトロやロマンと言えば大正の後に付けて「大正レトロ」、「大正ロマン」と言っていたが、最近はレトロやロマンと言えば昭和を指すようで、若い人たちから見て我々はまさにレトロ、つまり懐かしい年代ということなのだろうか。
*「レトロ」・・古き良きものを懐かしみ愛好する

 今日は歌やコマーシャルから時代の違いを知るという話でしたが、仕事の上でも相手の年代を知り、それに合わせて仕事をすることも重要なことのように思うし、こういったこと、つまり相手の年代に対する感覚についていかないと昭和の人たちも世の中から取り残されてしまうのかも。
 今の時代に伊東温泉のハトヤがブームになっている。つまりハトヤは過去のものではなく まさに今の、旬のものなのであった。
posted by ヒロイ at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月06日

No.804:毎月 顧問先のことを探る楽しみ

 顧問先の月次の損益計算書をはじめとする何種類かの経営指標は、事務所で作成する先が大部分を占めるが、顧問先の経理担当者が作成されたものをメール等で送ってこられるケースもある。
 そういったものが各担当者を経由して毎月100件以上私のところに回ってくるが、すべての先について細かくチェックできているわけではない。 ただ、顧問先ごとの一定の情報が私の頭の中にインプットされていれば、各先ごとに見るべきポイントが浮かび上がってくるのも事実である。
 いくつか例を挙げると

・コロナの影響を受け 大幅な減収となった先がここへきて回復基調にあるが、これから始まるコロナ時に受けた融資の返済にまで資金が回せるのか。
・本店の移転を計画中であるが、自己資金だけでは賄えない分をいくら融資を受ければいいのか。
・季節変動の大きな業種の場合、落ち込む月はともあれ、通常月の2倍近い売り上げが見込める月が今年もそれくらいの数字を確保できているか。
・「人に手厚く」という方針のもと例年以上の昇給をしたが、それがどこまで収益に反映されているのか
・同じ診療圏内に同一診療科のクリニックが開業したが、その影響はどれほどあるのか。
 等々。

 こういった状況は各顧問先 一件ごとに異なっているし、各担当者から毎月、報告を受けている内容と照らしてどうなのか、またその担当者は前回の提案事項を実行に移すためにどんな働きかけをしているのかを、顧問先の経営者の顔を思い浮かべながら経営数値を眺めていると最終 所長の決裁印を押す前に考えることは結構ある。

 毎月の面談は直接顧問先と関わる いわゆる巡回監査担当者9名で対応しているが、上記のような思いを頭の中で想定しながら数字に接していると、私自身 顧問先と面談していなくても身近に感じられるようになる。
 業種的には開業医、いわゆるクリニックの顧問先が多いが、逆にクリニック以外の業種の話に興味が湧いてくることも多い。
 建築業、自動車部品の製造、Tシャツのプリント販売、動物病院、それに居酒屋等、いろいろな業種の経営状況を知ることで多少なりとも世の中の流れというものを感じ取ることができる。
 こういったいろいろな角度から数字を見ていくと、単なる数字の羅列ではなく、各顧問先が向かう方向(道)が見えたり、経営者の努力の跡が読み取れたりする。
 また、今の物価高はどんな業種がどういう影響を受けているのか? 政府が躍起になっている給与水準の引き上げは現実として実行されているのか、果たして賃上げができる環境下にあるのか・・・。
 考えはいくらでも広がっていくので、私の方も毎月 頭が整理されたり、リセットされたりして 刺激的な中で日々の業務をこなしている。

 私が全ての顧問先の中に入る込めないという現状の中で、私の役割としては顧問先の方々に、「廣井事務所でよかったわ」と思ってもらえる指導体制を作り上げることが役目なのかなと思っている。
 我が事務所の運営方針のような少し硬い話しになってしまったが、通常していることを整理してみれば今日のような内容にまとまってしまった。
 事務所のメンバーも指導型、伴走型、御用聞き型 と様々なタイプがいるが、最終的には顧客満足度がどうしたら高まっていくのかが一番重要なところである。

 私も事務所も顧問先の方々に対して、まだまだフォローしないといけないことがたくさん残っているなと感じながら、休日にこんなことを考えていること自体 果たしていいのか なんて妙なことも考えてしまっている、こんな言葉も頭の片隅に置きながら・・。
 「無駄な時間を過ごすことこそ贅沢であり、これを浪費と思ってはいけない。人間には誰からも入り込めない時間が必要である。日常とは切り離された。」
 なかなか難しいわ、ほんまに。
posted by ヒロイ at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする