私が住んでいた子供の頃は片道3時間以上の時間を要し、京都府の中心地である京都市とは同じ京都府といっても別の地域といってもいいほどいろいろな面において大きな違いがあった。
今では道路も整備され、約2時間で行けるようになったので思わず近くなったような気になる時もあるが、地図上の距離が縮まったわけではないのは誰しも理解できるところではある。
京都府に限らず、地域の違いによって経済(所得)格差や教育格差以外にもいろいろな差がある都道府県はいくつも見受けられる。
大阪府のような比較的面積が小さければその差もまだ小さいのであろうが、近畿内でも兵庫県や和歌山県のように南北に長い県は北と南では大きな違いがある。
和歌山県でも県庁所在地にの和歌山市と南の果ての潮岬や那智勝浦では、その生活の状況は同じ県内とは思えないくらい違うであろうし、兵庫県なんかは神戸市と北の但馬地方の城崎温泉や豊岡市、それに南の淡路島とでは風土も住んでいる人の気質も違って当然と言えば当然のことであろう。
話を私の住んでいる京都府のことに話を移すが、南と北とでは都会と過疎地という違いはあるが、実は一番大きなのは気候の違いのようにも思う。
まあ、根本的にはこの気候の違い、それに地形の違いがこの格差を生み出す原因になっているのではあろうが。
冒頭でも言っていた先週のある日、朝 冷え込んではいたものの9時以降は日も差し始め、穏やかで結構いい天気の中で事務所のある京都市を出発したが、1時間後の丹波(京都府の真ん中あたり)辺りで曇り空に変わり、そして2時間後、日本海も近い丹後方面に差し掛かると天候は小雨混じりに変わっていった。
確かに朝の天気予報では京都府南部は晴れ、京都府北部は雨と言っていたが、まさにその通りの天候であった。
私はこれぞ”うらにし”と空を見上げながら妙に納得してしまっった。
*「うらにし」
・京都府北部の丹後地方周辺に特有の気象。10月から11月末にかけて瞬間的に丹後半島の近海を通る風と、この影響で生じる不安定な気候のことを指す。
一日の気象の変化が激しく、朝は晴れているかと思えば突然暗雲が垂れ込め、雨や雪を交えた湿度の高い風が吹き荒れたかと思えば、束の間の晴天に恵まれたりする。
この地方に住んでいたり、私のように過去に住んだ経験のある者にはすんなり受け入れられるが、知らない人からすると「なんだこの天気?」と思ってしまうこともあるでしょう。
私が小学生だった頃、朝 家を出る時 晴れていてもおじいさんから「傘 持ったか」と言われたことを覚えているが、その後「“うらにし”は、弁当忘れても傘忘れな ということだし」とこの地方で古くから言い伝えられている言葉を最後に付け加えていた。
こんなことが今の歳なっても身についているからなのか、どこかに出かける時、折りたたみ傘を持たずに出ることはまずない。
この丹後地方出身の野球人 野村克也の本は何冊も読んだが、その中で「“うらにし”のようなうっとおしい気候が人格や性格の形成にも影響し、陰気臭い性格にもなった反面、予期せぬことにも対応できたり、我慢強い人間にもなった」と語っていたことを思い出した。まさしくノムさんそのものでないか。
秋のある日の天気のことを捉えて今日もダラダラと思ったことを書き綴ったが、久しぶりに野村のことだけでなく、故郷のことも思い出した休日であった。
実はこの“うらにし”の後、初雪、そして寒波で豪雪地帯の冬が始まるのである。
あ〜、恐ろしや。