2022年10月30日

No.803:野村克也を生んだ “うらにし”

 先週 定期的な顧問先への訪問のため京都府北部へ行く機会があった。
 私が住んでいた子供の頃は片道3時間以上の時間を要し、京都府の中心地である京都市とは同じ京都府といっても別の地域といってもいいほどいろいろな面において大きな違いがあった。
 今では道路も整備され、約2時間で行けるようになったので思わず近くなったような気になる時もあるが、地図上の距離が縮まったわけではないのは誰しも理解できるところではある。
 京都府に限らず、地域の違いによって経済(所得)格差や教育格差以外にもいろいろな差がある都道府県はいくつも見受けられる。
 大阪府のような比較的面積が小さければその差もまだ小さいのであろうが、近畿内でも兵庫県や和歌山県のように南北に長い県は北と南では大きな違いがある。
 和歌山県でも県庁所在地にの和歌山市と南の果ての潮岬や那智勝浦では、その生活の状況は同じ県内とは思えないくらい違うであろうし、兵庫県なんかは神戸市と北の但馬地方の城崎温泉や豊岡市、それに南の淡路島とでは風土も住んでいる人の気質も違って当然と言えば当然のことであろう。
 話を私の住んでいる京都府のことに話を移すが、南と北とでは都会と過疎地という違いはあるが、実は一番大きなのは気候の違いのようにも思う。
 まあ、根本的にはこの気候の違い、それに地形の違いがこの格差を生み出す原因になっているのではあろうが。
 冒頭でも言っていた先週のある日、朝 冷え込んではいたものの9時以降は日も差し始め、穏やかで結構いい天気の中で事務所のある京都市を出発したが、1時間後の丹波(京都府の真ん中あたり)辺りで曇り空に変わり、そして2時間後、日本海も近い丹後方面に差し掛かると天候は小雨混じりに変わっていった。
 確かに朝の天気予報では京都府南部は晴れ、京都府北部は雨と言っていたが、まさにその通りの天候であった。
 私はこれぞ”うらにし”と空を見上げながら妙に納得してしまっった。

*「うらにし」
・京都府北部の丹後地方周辺に特有の気象。10月から11月末にかけて瞬間的に丹後半島の近海を通る風と、この影響で生じる不安定な気候のことを指す。
 一日の気象の変化が激しく、朝は晴れているかと思えば突然暗雲が垂れ込め、雨や雪を交えた湿度の高い風が吹き荒れたかと思えば、束の間の晴天に恵まれたりする。

 この地方に住んでいたり、私のように過去に住んだ経験のある者にはすんなり受け入れられるが、知らない人からすると「なんだこの天気?」と思ってしまうこともあるでしょう。
 私が小学生だった頃、朝 家を出る時 晴れていてもおじいさんから「傘 持ったか」と言われたことを覚えているが、その後「“うらにし”は、弁当忘れても傘忘れな ということだし」とこの地方で古くから言い伝えられている言葉を最後に付け加えていた。
 こんなことが今の歳なっても身についているからなのか、どこかに出かける時、折りたたみ傘を持たずに出ることはまずない。
 
 この丹後地方出身の野球人 野村克也の本は何冊も読んだが、その中で「“うらにし”のようなうっとおしい気候が人格や性格の形成にも影響し、陰気臭い性格にもなった反面、予期せぬことにも対応できたり、我慢強い人間にもなった」と語っていたことを思い出した。まさしくノムさんそのものでないか。

 秋のある日の天気のことを捉えて今日もダラダラと思ったことを書き綴ったが、久しぶりに野村のことだけでなく、故郷のことも思い出した休日であった。
 実はこの“うらにし”の後、初雪、そして寒波で豪雪地帯の冬が始まるのである。
 あ〜、恐ろしや。
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2022年10月23日

No.802:近所づきあいって

 今どきの人にとって近所づきあいというのは、プラスの面よりマイナスの面の方が目につくと思っている人の方が多いような気がする。
 私は朝 家を出て、夜帰ってくるまで近所の人に会うことはほとんどないが、先週の日曜日に玄関先で単身赴任中の隣のご主人と会ったのであいさつすると、「行ったり来たりで大変です。今月は京都でも用事があるのでほぼ毎週のように戻ってきています」と話されていた。
 また、向かいの家の野球をしている小学生と中学生の男の子は夜になるとバットを持って素振りをしていて、帰ってきた私が車から降りると元気よくあいさつをしてくれるし、私もたまに「甲子園行くときは、応援行くし声かけてな」 なんて声をかけることもある。
 もちろん誰にでも声をかけるのがいいかというとそうではないのは分かっているが、こういったコミュニケーションをとることって、気持ちがほぐれるというか ちょっとほっとすることがある。
 また、近所の人がどんな人かということがわかっているという点でも安心感がある。
 休日の朝 たまにカミさんといっしょにワンちゃんの散歩に行くと、犬仲間の多いカミさんは何人もの人に声をかけられるので、「お前 ほんまにいろんな人知ってるな」というと、「お互いワンちゃん繋がりなんで、中には名前も知らん人もいるんやで」と言っていたこともあったが、そんなことどうであれ、それだけ知っている人がいるというのは、ぽぽたん(うちもワンちゃん)さまさまだなと思ってそのやり取りを横で見ている。
 中にはコミュニケーションをとるのが苦手な人であったり、決してとりたがらない人もいし、こういった行動をすべてよし とするわけにはいかないが、社会生活するうえではこれも何らかの意味をなしているように思う。
 学校、特に大学では長い間オンライン授業が主流となっていたし、会社もリモートワークやテレワーク形式の在宅勤務を導入し、なお現在も継続している企業は、事務系の仕事を中心に決して少なくないように思う。
 この形式の良し悪しは別として、私なんかはこれまで育った環境とあまりにも違うので多少戸惑うこともあったが、我が事務所でもコロナの流行期には導入していたので知らない世界ではなくなってきているのも事実である。
 ただ、この1、2年の間に進学したり就職した人の中には、在宅での授業や仕事が主流で 出向いて対面でということをあまり経験していない人も結構いるだろうし、こういった人たちの社会への出方って本当に難しいし、大変なだと思う。そうそう、先日 「最近の人って対面の経験が少なく」と一人の人が言うと、別の人は「画面でしっかり対面していますから・・」という発言があったのには驚いたし、「感覚違う」と思わず自分に言い聞かせていた。
 日本が世界から大幅な遅れをとっている IT化を進める上では、これはこれでなかなかいい環境ともいえるし、またとないチャンスなのかもしれないが、一定の年齢以上の者にとっては正直まだまだついていけない部分もある。

 近所づきあいの話から始まり、途中でとんだ方向へ行ってしまったが、そういえば うちの子供たち3人もマンション住まいなので近所づきあいなんていうのは皆無であろうし、もしかするといつの時代かには“ご近所づきあい”なんていう言葉は死語になっているかもしれない。
 それにしても何もかもが過去の経験が通用しづらくなってきているし、中年や老人には段々 住みにくい世の中になっているように思う。
 そんな中、朝から結構大きな声で「おはようございます」の声が聞こえる職場って、私にとってはなんだかホッとする場所なのかもしれない。
 あ〜、言っていることが古すぎる、本当に困ったもんだ。
posted by ヒロイ at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月16日

No.801:コロナのない生活って

 これだけの長い期間 コロナ コロナで追いまくられていると、コロナのなかった頃のことで忘れかかっていることもあるが、最近では もう第8波が来ないかのように “アフターコロナ”とが“脱コロナ”とか言って世間が騒ぎ出している。
 つまらないことであるが、“アフターコロナ”と“脱コロナ”の違いはわからないが・・?
 
 京都にいるとコロナへの対応が緩められていることに気づかされる場面にいくつか遭遇することがある。
 まずは日本人観光客に修学旅行生がいっきに増えたし、そして1週間ほど前からは外国人観光客の姿もちらほら目にするようになった。
 そうそう、コロナの最盛期以外は細々と運航していた二階建オープンデッキの赤い観光バスも少し前までは数人しか乗っていなくて、よく運営できているなと心配していたが、今日御所の近くで前を走っていたバスは7割近く乗っていて、2年以上見かけなかった光景で驚きながら上を見上げていた。
 仕事で移動中に二条城の前をよく通るが、ここでは4、5日前 駐車場が満車で観光バスが二条城の周りで待機していたのには驚いた。
 当事務所のすぐそばに同志社大学があり、コロナが広がりだしてからは長らくひっそりとしていたが、この春からは学生も徐々に増えだしていた。そしてこの秋からは多くの講義が対面授業に戻ったからなのだろうか、今出川通を歩く学生の数は急に増え、静かだったのに慣れてしまったせいもあるのか多少うんざりする。
 あと 一番びっくりしたのが先日ファミレスでトイレを利用し、手を洗った後、「ウ〜〜ン」と音がして風の出る、ハンドドライヤーが使えたことである。
 これってどこでも使用禁止の張り紙がしてあり、この設備を製造している会社っていくつ潰れたんだろうと想像したりしていたが、久々の「ウ〜〜ン」には驚いた。
 政府も観光業を活気づかせるのに躍起になっているが、旅行が活発に行われるようになれば日常が戻るかのようなピンポイントと言われても仕方のない取り組み姿勢である。

 以前のようにマスクのない生活に戻ればいいが、国全体でそんな風になるのはもう少し時間はかかりそうである。
 政府は
・屋外ではマスクの着用は不要です。
・屋内では距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用を。
と言っているが、これって相手のあることだし、朝散歩していても知っている人がいると無言で通り過ぎるわけにはいかないので結局マスクは手放せない ということになってしまう。
 日本人の気質からして外国の一部の国のようにマスクなしの生活にはなかなか戻らないのではないのだろうし、仕事中も一人でいるとき以外はまずマスクを外すことはない。やはりこちらもマスクあっての社会となっている。
 インフルエンザの流行期が終わって春になれば、次のステップの何らかの方向性が示されるであろうから、それを待つしかないのでは。

 今日は少しずつ変わってほしいのと、そんなに早く変わっていいのかという交錯した気持ちの中で近頃の世の中の変化や気づいたことをまとめてみた。
 
 今日は冷房も暖房もいらない本当にちょうど“いいあんばい”の一日のようです。
posted by ヒロイ at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月10日

No.800:800回ですが

 今日は10月の第2月曜でスポーツの日という祝日であるが、以前は10月10日は体育の日であった。
 1964年に行われた前回の東京オリンピックの開会式の日にちなんで祝日としたなんて古いことを言っていたら、「何それ?」と言われそうなくらい時代は進んでしまっている。

 このコーナーは15年前に私が開業して以来 ほぼ週一回のペースで綴ってきたが、今回 800回ということでちょっとした区切りの回となるようである。
 このブログは開業した日(2007年9月21日)の翌日、「あまり形にこだわらず、自己紹介も兼ねて思っていることを綴ってみようか」と軽い気持ちで始めたのを覚えている。
 本業である税に関することはそれぞれの依頼者の方と直接やり取りするので、ここでは本当の意味での日記、つまり行動記録のような内容でという趣旨でここまで続けている。
 特にルールもないが、あえて気に掛けていることとしては、画面に向かう時は、画面の向こう側では誰が読んでくれているのかわからないので、あまり特定の人、つまり向こう側の読者を気にせずに書き込むようにしている。
 会った人から「読ませてもらってます」なんて言われると意識せずとも顔が頭に浮かぶこともあるので。


 いつやめようか、何回目でストップしようかと思ったこともあったが、自分自身の一週間を振り返ったり、次の週はこんな週にしようかなと頭を整理する意味もあったのでここまで続けてこれたのであろう。
 この15年の期間を振り返るために日本の総理大臣が何人変わったのか 調べてみると 現在の岸田総理まで9人変わっていた。
 「総理っいいな、代われるんだもの」なんて不謹慎なことを言ってはいけないんだろうけど、経営者って そう簡単に変われないし、特に自分も含め中小企業の場合はなおさらで 業績に浮き沈みのある顧問先のトップの方の何人かの顔を思い浮かべていた。
 実は8年前に亡くなった父も生前はここの読者の一人であったが、パソコンなんて使えないので私が月に一、二回 実家に帰る時に紙に出力して持っていっていたし、母も読んだ感想を言ったり、内容についての質問をよくしていた。
 ただ、その母も今では介護施設に入っていて、認知症も進んできているので読める状態ではない。
 父が亡くなった後、母はしばらく一人暮らしをしていたが、今になって思えば施設に入所する一年くらい前からは私の印刷したブログがそのまま積んであることが多かったし、ある時から母は感想も何も言わなくなったが、あの頃から認知が進んでいたのかもしれない。 これって随分 後になってわかったことなんですが・・・。

 始めた頃は家の方も5人で暮らしていたが、今では2人になってしまったし、こうして思えば 結構長いことやっているんだな とあらためて思った。
 いつまでも続くかわからないし、何かの理由で突然やめてしまうかもしれないが まあ無理することなく続けられるとこまでやってみようかなと思っている。ぼけ防止とは言わないまでも一応 頭の中を整理するのには役立っていると思うし。

 今日は月曜日ですが、祝日で事務所は休みです。
 秋って祝日や連休が多いのはうれしいが、決して仕事量が減ってるわけではないので、それはそれで結構きついものでもある。

 今朝は雨が降ったりやんだりだったのでワンちゃんの散歩も遅めで、先ほど帰ってきたら雨はあがったみたいです。
 今日 1日ずれの月曜日なので朝に書きあがりました。
 散歩の途中で買ったパンを食べるのでここまでということで。
posted by ヒロイ at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月02日

No.799:相続の仕事のときに 親との思い出話が聞けるって・・。

 この仕事に就いた20代の頃、人が亡くなって真っ先に浮かんでくる仕事といえば葬儀屋さんであったが、相続税の仕事という面では税理士もそうなんだ なんて少し不思議な感覚を持ったのを覚えている。
 ただ その頃は相続税の基礎控除額が今よりもずっと大きかったので、相続税がかかるのは一部の資産家とよばれる方のみであったが、その後2015年(平成27年)に相続税法が改正され課税最低限が引き下げられてからは 「ちょっとした豊かな人=小金持ち」にも相続税が課されたり、申告の必要な人が出てきている。
 2010年(平成22年)は課税割合(死亡者数に対する相続税の課税件数の割合)は4.2%だったのが、10年後の2020年(令和2年)にはなんと8.8%に上昇し、亡くなった100人のうち9人が相続税が課される人ということになってきており、10人に1人 ということになるのは時間の問題のように思われる。
 ただ これも地価の高い大都市圏と地方とでは大きな開きがあるが、先日 仕事で関わったのは大阪の方だったので、ここでいう大都市圏にお住まいの方ということになる。
 今回 ここで税金の細かな話をするつもりはないが、この大阪の方の遺産の分け方とその打ち合わせ時のやり取りについて少しだけ触れさせていただくことにする。

 今回の相続税の依頼は事務所の職員が以前勤務していた会社の上司からの紹介ということで、元々 事務所の顧問先の方に関する相続案件ではなかったので、事前に相談を受けていたというわけではなく、お亡くなりになった後、税理士を探しておられる中で相続税の申告業務についてご紹介・ご依頼を受けたという関係である。
 まずは昨年(令和3年)1月に90代前半で亡くなられたお父様の相続税の申告ということで依頼されたお嬢さんと(娘さん)と相続人であられるお母様、それに依頼された方の妹さんと話を詰めていき、遺産分割、そして相続税の申告を期限内に無事終えた。
 そしてそれからわずか1年後の今年2月にお父様の時に依頼のあった上の娘さんから 今度はお母様が亡くなられたと連絡が入り、こちらの方もお父様の時に引き続き 相続の相談と申告をお願いしたいとのこのであった。
 一年前のお父様の相続の話をしていた時はお母様はお元気で一人暮らしをされてたので、正直びっくりし、「えっ?この間お元気でしたのに・・。」と思わず言ったくらいである。
 それから初回の面談の後、メールや電話でのやり取りを経て、姉妹間での財産の分け方が決まったということで連絡を受け、その後の申告に向けての準備もほぼ終えていたので、現時点で計算できている税額の報告とあと残された作業の確認のために昨日 ご自宅を訪問した。

 遺産の分割はほとんどもめることなく、お二人で話しをして決められたので、こういった財産の中身や申告内容についてはここでには触れない(仕事上、触れるわけにはいかない)が、その面談時のほとんどの時間 先に亡くなったお父様も含めてご両親の人柄やいっしょにに過ごしていた日のこと等の思い出話をお聞かせいただいた。
 その内容は相続の話に伺っているにも関わらず、本当にほのぼのとした雰囲気に包まれるいい空間、いい時間であった。
 テレビのお葬式のコマーシャルで、「おじいちゃん、孫の野球の応援で必死だったよね・・。」なんというシーンを見て、こんな和やかな雰囲気の葬式ってないよね と思っていたが、まるでこれに近い形の話が多く、「お母さんが若い頃、秋のお祭りで踊っていたよね」とか、「お父さんは会社勤務だった若い頃より70代以降の方が服装が派手になってたよね」という本当に心の温まる話をいくつも聞くことができた。
 昨日の面談はもちろん相続税申告に向けての最終段階の打ち合わせであったので、申告に向けての準備も後は遺産分割協議書と相続税申告書の作成、それに納付書の準備を残すだけとなった。
 相続というとなんだかどろどろとしたことを思い浮かべてしまうことも多いが、今回のような形は仕事をしていてもスッキリ感があり、非常に後味のいい終わり方であった。

 相続となると相続人 それぞれの方の思いもあり、当然のことながらすべてが問題なく終了するかといえばそうでないケースもいくつかあるが、こんな時 口にはしないが、ふと「亡くなった人はどう思っているんだろう」と考えてしまうこともある。
 今回の相続はお母様はどちらかというと急な亡くなり方ではあったが、亡くなったご両親は、残された者(子)が感謝の念を抱くという意味では、とてもいい人生だったような気がする。
 相続の仕事は 事前対策や節税等いくつも検討する項目はあるが、仕事とは少し離れた観点から見てみると 自分と親との関係、そして自分と子供との関係を考える上で、いい勉強になるなと思うことが幾度となくある。
 こういった局面に出会うと人生の数だけ死があり、そしてその数だけ家族があるなと思うし、ある意味、まだまだ人生になかで学ぶことは山ほどあり、悪いことは排除し、いいことは取り入れる そんなことで仕事を通して人生プラスなるようになれば相続の仕事もまた意義深いものになるように思う。
 日常に追われてる中では“人生”についてなんて考えないですからね。
posted by ヒロイ at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする