私も長年 陸上競技に取り組んでいた身として、高校や大学時代にいっしょに走った者や誰か知っている人いないかなと思って、何気なく目を通していた。
「いたいた、へ〜 もう80歳か」と私が高校時代 陸上部の顧問だった先生の名前があった。
〇 80m障害80歳 瀬野弘昭・・京都新、大会新
そして ずーっと新聞を見ていくと こんな有名人(元オリンピック選書)も載っていた。
* 100m 50歳 朝原宜治 11秒35・・京都新、大会新
そういえば、この瀬野先生は高校を定年退職されてからも高校の体育教師の時以上に本格的に陸上に取り組んでおられ、年賀状はいつも国際大会で入賞した時の写真だったことを思い出した。
(確か、シンガポールやリオデジャネイロなどあちこち行かれていたな。)
高校を卒業してから40年以上経つが、その間会ったのは、私の結婚式に出席してくださったのと 10年ほど前 特急電車の中でばったり会ったくらいでそれ以来、年賀状のやり取りだけでお目にかかることはない状態が続いている。
「よし、今日は勇気を出して おめでとう と電話してみよう」と思い立って、電話番号を検索したが、この先生の携帯電話の番号は登録されていなかったので、登録されている自宅に電話をしてみた。
数回の呼び出しコールの後、電話に出られ、「廣井増生です。お久しぶりです。」と告げると、「おお、廣井か!」と元気な声が返ってきた。
新聞で80m障害で京都新で優勝されたことに対するお祝いの言葉を掛けると、「もう一種目優勝してるんやで、立ち五段跳びでも」 となんともうれしそうに2種目優勝したことを話された。
思い出話も含め、10分近く話した後に、私が「先生、携帯の番号を教えてもらっていいですか」というと、「僕、携帯持ってないねん」とおっしゃった。
私は思わず、「ほんまですか? 今どき、どんな老人でも携帯くらい持ってますよ。」というと「みんなにそう言われるこど、ほんまに持ってないねん。別に不自由したこともないし。」とこの先生らしい答えが返ってきた。
昔から、人に惑わされず、好きなことだけをやり通される性格であったが、この携帯電話を持たれないこともこの性格からきているなと勝手に解釈した。
電話を切った後、本当にお世話になった高校時代のことをいろいろと思い返していたが、
高校時代は体育教師、そして陸上部の顧問でありながら、(あまり大きな声では言えないが)まるで私のマネージャーのように 国体やインターハイ、それに選抜合宿など全国どこに行くのも田舎者の私の気持ちを落ち着かせる思いもあってかいつも着いてきてくれた。
インターハイで優勝した時は、私はあまりにもすさまじいレースだったので走り終わった後 しばらく放心状態であったが、瀬野先生は、「わしは廣井にすごいプレゼントをもらったわ。田舎の高校の一体育教師だけど、インターハイチャンピオンを育てた顧問という 京都の陸上界でこの先 大きな顔ができるというものを」となんともうれしそうに満面の笑みを浮かべておられたのを今でもついこの間のことのように思い出される。
今日は突然電話するのは失礼かなと思いつつ、勇気を出して電話をして本当によかった。
電話を切る前、「いや〜、何年ぶりかわからんけど、廣井の声を聞いてなんだか元気が出てきたわ。もうそろそろ陸上も引退かなと思っていたけど、もうちょっと練習を続けて次の大会をめざそうという気になったわ。この電話、ほんまに老人を元気にしてくれたわ。」と、こちらにもわくわく感が伝わるような元気な声で話されていた。
確かに私の電話でこの先生は元気をもらわれたかもしれんけど、私も80代の恩師からとてつもないパワーをもらったような気がした。
仕事していても家でも ついつい、「もう年だし」とか、「ほんまに最近疲れやすなったし、疲れもなかなかとれへんし」なんて口癖のように言っていたが、この瀬野先生の言葉を聞いて、こんなこと口にするのはまだまだ10年早いわ、いや20年早いわ と思った。
でも現実的には80までは無理やと思うけどね・・。